2009年8月19日 講義

 

 

第25講 第2部「本質論」①

 

1.本質論の主題と構成

● 有論は表面的な事物の真の姿をとらえる感覚的、直観的認識、これに対し
 本質論は内に隠された事物の真の姿を思惟においてとらえる媒介的認識

 ・ナーハデンケンにより事物を内と外に二重化してとらえた、内にある真の
  姿が本質

● 本質論では、対立する二つのカテゴリーの相互媒介の関係が論じられる

 ・「反省の立場」(10ページ)

 ・対立する二つのカテゴリーの同一と区別の統一の関係を論じる

● 「A 本質」

 ・本質は同一と区別の統一として現存在の根拠となるもの

 ・本質は有と同一であると同時に区別されたもの

 ・同一と区別の統一は根拠

 ・本質は現存在(現に存在するもの)の根拠となる

● 「B 現象」

 ・内にある本質が外にあらわれたものが現象

 ・現象の世界は本質と現象の無限の媒介の世界

 ・現象の法則は対立物の統一にあり、「内容と形式」としてとらえられる

 ・内容と形式の展開が「相関」(「イ 全体と部分」「ロ 力とその発現」
  「ハ 内的なものと外的なもの」)

● 「C 現実性」

 ・本質と現象との統一が現実性

 ・必然的な現実性が現実性の「総論」においてイデアとの関連で議論される

 ・必然的な現実性は、「各論」において必然的な「相関」として論じられめ
 (「a 実体性の相関」「b 因果性の相関」「c 交互作用」)

 

2.「本質論」総論

● 112節から114節までは、本質論の総論

 ・本質、仮象、反省関係、同一と区別などの本質論における基本的カテゴリ
  ーを論じている


112節 ── 本節は媒介的に定立された概念

● 本質は、事物の内にある真の姿

 ・事物を内と外に二重化してその相互媒介的な関係をとらえる

 ・「本質は媒介的に定立された概念(真の姿)」(9ページ)としての「概
  念」(カテゴリー)

● 本質と有との相互媒介的な関係

 ・有から本質へ ── 有は「自分自身の否定性をつうじて自己を自己へ媒介
  する」(同)

 ・本質から有へ ── 「他のもの(有 ── 高村)へ関係することによって、
  自分自身へ関係する」(同)→有は本質により「定立され媒介されたもの
  として存在」(同)

● 本質と有とは「移行」ではなく「関係」

 ・本質は有を揚棄した有の自己媒介、つまり「単純な自己関係」(同)──
  本質は媒介を揚棄した「無規定的なもの」(〔上〕264ページ)

 ・有は本質との関係で、本質から切りはなされると単なる「仮象」に

● 「絶対者は本質である」(9ページ)

 ・本質は有の「単純な自己関係」(9~10ページ)を意味する(本質は有と
  同一)

 ・しかし本質は、自己媒介による自己関係として「絶対者は有である」との
  定義よりも高い意義

● 本質の否定性は「特定の述語の捨象」(10ページ)ではない

 ・「有自身の弁証法」として、有の直接性を否定して、「有のうちへはいっ
  ていった」という否定性

● 有の直接性に対し、本質は「反照」の立場


112節補遺 ── 本質は事物の真の姿

● 本質との関係において、有は「単なる仮象」(同)

 ・仮象とは「揚棄された有」(同) ── 有の直接性が否定(揚棄)され
  て、有は仮の姿に

● 「本質の立場は一般に反省の立場」(同)

 ・反省の立場には2つのものがある

 ・1つは「直接的なもの、有的なもの」(同)

 ・もう1つは「媒介されたもの、あるいは定立されたもの」(同)→対象を
  「直接態においてではなく、媒介されたものとして知ろうとする」(11
  ページ)立場(直接性と媒介性の統一としてとらえる)

● 「哲学の課題」は「事物の本質を認識することにある」(同)

 ・事物を「直接態」(同)としてではなく「他のものによって媒介あるいは
  基礎づけられたもの」(同)として認識する→その媒介するもの、基礎づ
  けるものが本質

 ・「事物の直接的存在は、言わばその背後に本質がかくされている外皮ある
  いは幕」(同)

 ・本質は「事物の真の姿」(同)であり、「不変なもの」(同)であり、
  「過ぎ去った有」(同)

 ・神は「本質そのもの」(同)として、客観世界は神のあらわれ

 ・「神を最高の彼岸的存在」(14ページ)とみる考えは、「この世界をその
  ままで確固とした積極的なものと考えている」(同) ── 真理は客観世
  界は神に媒介されたものとしてあることにある

 ・本質は「それだけで存立するもの」(同)ではなく「現象する」(同)も
  の


113節 ── 本質は有との同一性

● 本質の「自己関係」(16ページ)は「同一性、自己内反省」(同)

 ・本質は、有との「同一性」であり、有が「自己内反省」したもの

 ・同一性も自己内反省も、有を揚棄した「自己関係という抽象」

● 悟性の立場は、本質を有と「同一なもの」(同)「矛盾しないもの」(同
 )としかみない

 ・しかし、本質は有と同一であると同時に区別されたもの


114節 ── 本質は同一と区別の統一

● 本質が有との「同一性」としてのみとらえられると、有は「非本質的なも
 の」(同)となる

 ・本質は本質、有は有として区別されたままとなる

● 本質は直接性と媒介性の統一

 ・本質は有を内在しているから、「非本質的なもの」を「自己のうちに持
  つ」(同) ── 反照は「区別の作用」(17ページ)を持つ

 ・本質の同一性は区別を含む同一性

 ・本質の領域は「矛盾の定立された領域」(同)

● 本質論では「肯定的なもの」(同一)と「否定的なもの」(区別)という
 対立する2つのものの関係が論じられる

 ・本質論で論じられる対立するカテゴリーは「形而上学および科学一般の諸
  カテゴリー」(同)を含んでいる

 ・しかし形而上学の悟性は、対立するカテゴリーを「独立性」(18ページ)
  においてとらえ、その「相関性」(同)を「もまた」(同)によって結合
  するのみ

 ・重要なことは対立するカテゴリーを「概念に統一する」(同)こと(対立
  物の統一としてとらえること) ── ここにヘーゲルの功績あり

 ・この見地から、形式論理学の同一律、矛盾律、背中律、差異法則(差別の
  原理)、充足理由律を批判