2009年11月18日 講義

 

 

第31講 第2部「本質論」⑦

 

1.「C 現実性」総論(2)

● 仮象としての現実性は内的なものとしての可能性と外的なものとしての偶
 然性


144節 ── 偶然性は単に外的なもの

● 現実性は内的なものと外的なものとの統一

 ・しかし偶然性は単に「非本質的な外的なもの」(88ページ)

 ・偶然性は「単なる可能性という価値しか持たぬ現実的なもの」(同)

● 偶然的な存在は「真の意味における現実」(㊤ 69ページ)ではない

 ・偶然的なものは「有るかもしれず、また無いかもしれないもの」(同)


145節 ── 可能性と偶然性

● 可能性も偶然性も現実性のモメント

 ・可能性と偶然性は「単なる形式」(89ページ)としての内的なものと外的
  なもの

● それらは現実性の内容となる本質から区別され、存在するかどうかは本質
 によって規定されている


145節補遺 ── 自由な意志とは何か

● 偶然性は、「単に外的な現実性」(同)

 ・偶然性は、現実性ではあっても「単に可能なものという意味における現実
  的なもの」(同)

 ・偶然性は、その存在の根拠を「自分自身のうちにではなく、他のもの(本
  質 ── 高村)のうちに持つ」(同)

● 実践の領域でも「意欲の偶然性」(恣意)にとどまらないと同様に、認識
 においても偶然性にとどまらないことがわれわれの任務

 ・自然の「豊かさと多様性」(90ページ)の認識から「自然の内的な調和と
  法則性の洞察へ」(同)と前進しなければならない

●「意志にかんする偶然性」(同)は正当に評価すべき

 ・恣意は自由に「決定をする能力」(同)である意志の「本質的モメント」
  (同)

 ・しかしそれは「形式的な自由にすぎない」(同)

 ・本当に自由な意志は、必然性を認識して決定をする必然的自由

 ・恣意は「真実で正しいものを選ぶ場合でさえ、気が向いたらまた他のもの
  を選んだかも知れないという軽薄さを持っている」(91ページ)

 ・恣意は「形式上の自由」と「内容上の不自由」という矛盾

● 偶然性と現実性とを「混同してはならない」(同)

 ・しかし偶然性は「理念の一形式」(同)として「客観的な世界のうちにそ
  の位置を持っている」(同)

 ・自然の表面には「偶然がほしいままにはびこっている」(同)

 ・精神の世界も同様

●「学問および特に哲学の任務」(92ページ)は「偶然の仮象のもとにかく
 されている必然を認識することにある」(同)

 ・区別という仮象のもとの対立という必然の認識、自由という仮象のもとの
  必然の認識

 ・しかしそれは偶然的なものを否定する決定論の立場に立つことではない


146節 ── 偶然性は条件

● 偶然性は、その存在の根拠を自己のうちにもたない「定有的な外面性」
 (同) ── 現存在(定有的)ではあるが、単に外面性の形式をもつの
 み

 ・偶然性は単に外的なものとして措定された現実性ではあっても、他のもの
  としての本質のうちに根拠をもっているからその「被措定有」(同)も揚
  棄される定め

● 偶然性は「揚棄され」(93ページ)「他のものの可能性」(同)となる定
 めをもつものとして条件

● 偶然性は自己のうちに根拠をもたないから、揚棄されて他のものとなる可
 能性をもつ現実性、すなわち条件


146節補遺 ── 条件と事物の結合は新しい現実を出現させる

● 偶然的なものは、他のものの「抽象的可能性」(同)ではなく、1つの現
 実性という「有るものとしての可能性」(同)として、条件

 ・条件とは1つの現存在でありながら、揚棄されて「他のものの実現に役立
  つ」(同)直接的なもの ── 「消耗されることがその定め」(同)

●「現実性のもう1つの側面は本質性」(同)

 ・この本質的側面(事柄)は、条件を前提とし、内的なものとして同様に揚
  棄され「1つの新しい現実」(同)を出現させる

 ・条件は「自分とは全く別な或るものへの萌芽をそのうちに含んでいる」(
  同)

 ・出現する新しい現実は、本質的な現実性と「なんら別なもの」(94ペー
  ジ)ではない

 ・消耗される諸条件は「他の現実のうちでただ自分自身とのみ合一する」(
  同)

● 現実性の過程は自己媒介

 ・現実性とは「直接的存在」(同)ではなく、「自己を自己自らへ媒介す
  る」(同)ことによる直接性を揚棄する「過程」(同) ── それが必然
  性


147節 ── 展開された現実性は必然性

● 事柄と条件の「相互的媒介」(同)の展開は「実在的可能性」(同)

 ・相互的媒介から生まれた「統体性」(同)としての事柄は「内的なものの
  外的なものへ」(同)「外的なものの内的なものへ」(同)の直接的な転
  化

 ・この統体性としての事柄の働きが「活動」(同)

 ・活動は、事柄と条件(つまり諸条件)が自己を揚棄する働き

 ・諸条件の働きが新しい現実を生みだす

 ・「あらゆる条件が現存すれば事柄は現実的にならざるをえない」(同)
  ── 事柄は必然的に現実になる

● 展開された現実性は必然性

 ・条件、事柄の活動という「展開された現実性」(95ページ)は内と外と
  の「交互的な転化」(同)として「必然性」(同) ── 内にあった諸条
  件が現実性という外的なものに、外的な諸条件が新しい現実の内的なもの
  に転化

 ・必然性は「非常に難解な概念」(同)

 ・真の必然は自己媒介による媒介を揚棄した直接性

 ・「必然性はその実概念そのもの」(同) ── ただし「その諸契機はまだ
  現実的なもの」(同)であり、しかもこの現実的なものは、必然性の過程
  のうちで「崩壊し移行する」(同)ところに限界あり


147節補遺 ── 概念は必然性の真理

● 必然性とは自己原因による自己媒介

 ・他のものによって媒介される必然性は真の必然性ではない

 ・真の必然性は「他のものによって制約されない自己関係」(96ページ)

● 必然は盲目である

 ・必然のうちには「まだ目的が顕在」(同)せず、その過程は相互に無関係
  な「個々別々の諸事情の存在にはじまる」(同)

 ・必然の過程では「直接的な諸事情」(同)は亡び去り、「全く別の或るも
  の」(同)が生じるから盲目的

 ・これに対し「目的活動は盲目ではなくて予見的」(同)

●「概念は必然性の真理」(97ページ)

 ・概念は「必然を揚棄されたものとして含」(同)む

 ・「必然性は即自的には概念」(同)

 ・「必然性は概念的に把握されないかぎりにおいてのみ、盲目」(同)
  ── 世界は神の摂理によって支配されている

● 必然は一見すると「全く不自由な関係」(同)

 ・古代の人々は必然を運命と考え、近代の立場は「慰めの立場」(同)
  ── 「自分の目的や利益」を断念するかわりに、代償がえられるだろうと
  して慰める

 ・古代人の立場は「反対のものへの執念」(98ページ)がないから「不自由
  も苦痛も悩みもない」(同)ので慰めを必要としない

 ・慰めの立場は「無限の主体性」(99ページ)によりいつかは「事柄そのも
  のの真理」に到達しうるであろうとする「より高い意味」(同)をもつよ
  うに ── それがキリスト教の立場であり、「真にあるべき姿」としての
  神の国が実現すればすべての人々が救われるという「より高い意味」の慰
  めの立場

●「運は自分の作るもの」(100ページ)

 ・人間は自分自身を必然的なものとして産出する

 ・必然にかんする見方は、「人間の運命そのものをも決定する」(同)


148節 ── 条件、事柄、活動

● 必然性は3つのモメントからなる

 ・条件 ── 「事柄と無関係に存在する偶然的な、外的な事情」(101ペー
  ジ)「事柄のために材料として使用」(同)され、「事柄の内容へはいっ
  ていく」(同)

 ・事柄 ── 「まだ内的なもの」(同)であり「諸条件を使用することによ
  って外にあらわれ」(同)「自己を事柄として示す」(同)

 ・活動 ── 「諸条件を事柄へ」(同)「事柄を諸条件へ」(同)移す運動

● 外的必然

 ・3つのモメントは相互に独立した存在

 ・外的必然性は「限られた内容を事柄として持つ」(102ページ)

 ・全体的なものは、形式上事柄にとって外的、したがって内容も事柄にとっ
  て外的で制限されたもの

149節 ── 外的必然から内的必然へ

● 盲目のうちにある必然(外的必然)と真の必然(内的必然)

● 真の必然は「自己のうちで反照」(102ページ)して諸条件を生みだし、
 それを揚棄して「自己同一的」(同)新しい現実を生みだす

 ・真の必然は自己のうちで「直接的なものを揚棄」(同)して諸条件をつく
  り出し、諸条件を揚棄して「直接的なものとする活動」(同)という「絶
  対的な形式」(同)をもっている

 ・これに対して、外的必然は「他のもの」(同)によって必然となるのであ
  り、「絶対的でなく、措定されたものにすぎない」(同)

● 他者による媒介を揚棄して、外的必然は内的必然に移行する

 ・内的必然性は諸条件を自己産出し、それに「媒介されて必然的」

 ・内的必然性は諸条件は他のものではないから「媒介されないで必然的」(同)