2009年12月16日 講義

 

 

第33講 第3部「概念論」①

 

1.「概念論」の主題と構成

概念論の難解さは革命的立場の偽装に由来する

● 概念には抽象的普遍としての概念と具体的普遍としての概念とがある

 ・抽象的普遍としての概念 ── 事物に共通する普遍

 ・具体的普遍としての概念 ── 事物の真の姿または真にあるべき姿という
  普遍

 ・概念論の概念は主として真にあるべき姿

● ヘーゲルの概念論は、革命的立場を示すもの

 ・事物を人間の認識と実践により真にあるべき姿に発展させる

 ・その革命的立場が偽装されているために概念論は難しい


概念論の主題と構成

● 概念論の主題

 ・哲学の究極目的は、理想と現実の統一

 ・理想となるのが概念

 ・客観的事物は、発展して概念となる ── そこに人間の認識と実践が介入
  する

 ・主観的概念と存在との一致した「理想と現実の統一」が理念とよばれる

● 概念論の構成

 ・総論(160〜162節)と各論(「A 主観的概念」「B 客観」「C 理念」)

 ・総論では概念が真にあるべき姿という主観的なものであり、主観的概念は
  客観をあるべき姿につくりかえる「あらゆる生命の原理」(121ページ)
  であり、概念の運動は発展であることが論じられる

 ・「主観的概念」とは、概念そのものであり、概念は、個、特殊、普遍を統
  一した具体的普遍。この3つのモメントの展開が判断、推理

 ・「客観」とは、主観的概念の特殊化、概念の顕在化の度合いに応じて「機
  械的関係」「化学的関係」「目的的関係」

 ・「理念」で革命的立場は鮮明に。理念は概念と存在との一致、理念は「生
  命」

「認識」「絶対的理念」

 

2.「概念論」総論

160節 ── 概念とは自由な実体的な力

● 概念そのものは、客観世界から解放された「自由なもの」

● 概念は「向自的に存在する実体的な力」(121ページ)

 ・エネルゲイアとしてのイデアとして客観をつくりかえる「実体的な力」

● 概念はエネルゲイアとして、自らを特殊化して個となる具体的普遍であり
 「体系的な総体」(同)

 ・個、特、普のモメントの各々は概念の統体性をもつ

 ・概念は「自己同一」(同)を保ちつつ絶対的に「規定されている」(同)


160節補遺 ── 概念の立場は絶対的理念論の立場

● 概念の立場は「絶対的理念論」

 ・絶対的理念論は、直接的存在を理念の「単に観念的なモメントにすぎな
  い」ととらえる

● 概念は「あらゆる生命の原理」(同)として「絶対に具体的なもの」(同
 )

 ・概念は、あらゆる事物に真にあるべき姿を与える「無限の、創造的な形
  式」(122ページ)

 ・概念は、客観世界全体を自己のうちに含む「絶対に具体的なもの」(同)

 ・「客観的思想」(㊤ 116ページ)とは、概念のこと

●「絶対者は概念である」(同)

 ・絶対的真理は、あらゆる事物のうちにある概念の原理である

● 抽象的普遍としての概念にも、潜在的に「真にあるべき姿」がふくまれて
 おり、ヘーゲルの概念も一般の用語と無縁のようにみえて、そうではない


161節、同補遺 ── 概念の進展は発展

● 論理の展開は、有論は移行、本質論は反省、概念論の進展は発展

● 発展には「概念の発展」と「概念からの発展」の2つがある

● 概念への発展とは、矛盾の揚棄による真にあるべき姿の実現

 ・ヘーゲルのいう「潜在していたものを顕在」(124ページ)はその一例

 ・「植物は胚から発展する」(同) ── 胚と胚乳との矛盾の揚棄

 ・矛盾の揚棄(アオフヘーベン)には「保存する」の意味もあり

● 概念からの発展とは、エネルゲイアとしてのイデアの展開による客観の変革


162節 ── 概念論の構成

● 構成

 ・主観的概念 ── 形式的概念の理論

 ・客観 ── 直接態に規定された概念

 ・理念 ── 主観と客観の統一、絶対的真理の理論

● 有論、本質論の概念は、真の概念の名に値しない

 ・対立する他のものへの移行は「特殊として規定されていない」(126ペー
  ジ)

 ・対立物の「統一」は、「個あるいは主体として規定されていない」(同)

 ・対立する2つの規定は、真にあるべき姿によって貫かれた自由な同一とし
  て定立されていない

● 概念論の概念は、普遍、特殊、個が一体となった自由な実体的な力として
 真の概念

● 概念、判断、推理は、「生命のない、無活動な容器」(同)ではない

 ・現実的なものの真理をとらえる「概念の諸形式」

 

3.「A 主観的概念」「a 概念そのもの」

163節 ── 概念の3つのモメント

● 中世のスコラ哲学における普遍論争

 ・普遍は存在するのか、名前にすぎないのか

 ・この論争に決着をつけ、具体的普遍こそ普遍と個の真理だとしたのがヘー
  ゲル

 ・具体的普遍の例は「自我」 ── 「私」は「すべてのものを自己のうちに
  含んでいる普遍」(㊤ 119ページ)

● 概念そのもは、普遍、特殊、個の3つのモメントを含んでいる

 ・普遍は「規定態のうちにありながらも自分自身との自由な相等性」(127
  ページ)

 ・特殊は普遍の規定態であり、「そのうちで普遍が曇りのなく自分自身に等
  しい姿を保っている」(同)

 ・個は普遍と特殊の統一としての「現実的なもの」(同)

● 概念は絶対的に自分自身を産出して個となる

 ・「個、主体」は、「統体性として定立された概念」(128ページ)であ
  り、真にあるべき姿としての個、主体


163節補遺1 ── 抽象的普遍と具体的普遍

● 抽象的普遍を「真の普遍と混同」(同)してはならない

 ・真の普遍はキリスト教によってはじめて承認 ── 三位一体説

 ・キリスト教は、神を具体的普遍とすることで「人間そのものの無限性と普
  遍性」(同)とを認める

 ・ルソーの「普遍的意志」は、具体的普遍としての意志(「意志の概念」)
  ── 抽象的普遍としての「万人の意志」から区別される


163節補遺2 ── 概念の発生

● ヘーゲルは、概念を「われわれが作るもの」(130ページ)でも「発生し
 たもの」(同)でもないという「概念は真に最初のもの」(同)「神は世
 界を無から創造した」(同)

● しかし、これまでの論理学の全展開は、これを否定するもの

 ・12節 ── 経験から出発して、理念をとらえる(㊤ 79ページ)

 ・24節 ── 論理学は「思想のうちに把握された事物の学」(㊤ 115〜116
  ページ)

 ・ 159節 ── 「概念が有および本質の真理」(117ページ)

 ・概念の革命性を押し隠すための表現


164節 ── 概念は絶対に具体的なもの

● 概念は「絶対に具体的なもの」

 ・真にあるべき姿はすべての事物について考えうる「具体的なもの」

 ・真にあるべき姿は、客観をつくりかえる「実体的な力」(121ページ)と
  して「絶対的に具体的なもの」 ── エネルゲイアとしてのイデアとして
  概念の諸モメントは不可分

 ・概念の諸モメントは、「他のモメントとともにでなければ理解できない」
  (131ページ) ── 「概念の透明性」(同)

● しかし、他方で概念は抽象的

 ・「具体的なものである感覚物」(132ページ)ではない

 ・概念はまだ理念ではない

● 概念は「規定されたものの真実の姿」(同)として「全く具体的なもの、
 主体そのもの」(同)

 ・客観世界全体を真にあるべき姿にかえる主体が概念


165節 ── 主観的概念から判断へ

● 個において「はじめて概念の諸モメント」(133ページ)は区別される

 ・具体的普遍を特殊化したものが個

 ・つまり「個は普遍である」

 ・こういう「概念の特殊性」(同)の定立されたものが判断

 ・つまり判断とは、概念の諸モメントの同一と区別の統一

● 概念の真の区別は「普遍、特殊、個のみ」(134ページ)

 ・概念の区別は「外的反省」によってのみ生じる

 

4.「A 主観的判断」「b 判断」総論(1)

166節 ── 判断は概念の諸モメントを区別しながら関係させる

● 166~171節までは、判断の総論部分

●「判断は特殊性における概念」

 ・判断とは「概念の諸モメントを区別しながら関係させるもの」(134ペー
  ジ)

 ・判断は、主語と述語の外的結合ではなく、統一のもとにある概念が分割さ
  れ、再統一することにある

●「個は普遍である」(135ページ)が判断の「最初の規定」(同)

 ・「である」との繋辞は、「外化のうちにあっても自己同一であるという概
  念の本性にもとづいている」(135~136ページ)

 ・本質論の相関は、「互いに関係を持っている」(136ページ)という連関
  だが、判断での連関は「同一性として定立された同一性」(同)

 ・したがって「判断においてはじめて概念の真の特殊性がみられる」(同)


166節補遺 ── 形式論理学の判断論批判

● 形式論理学は、判断を異種の2つの概念の結合と考えている

 ・しかし、主語と述語とは、1つの概念の区別であって「異種の概念」(
  同)ではないし、判断の両項も外的に「結合される」(同)のでもない

 ・述語は、主語「自身の規定」(137ページ)

 ・形式論理学の判断論は、判断一般を「偶然的なもの」(同)に変え「概念
  から判断への進展が示されていない」(同)

● 概念は「あらゆる生動性の核心」(同)であり、「自己を自己から区別」
 (同)して判断へと進展する

 ・概念は「それ自身の活動」(同)によって、自己を特殊化して必然的に判
  断に移行する ── 「判断の意義は、概念の特殊化」(同)

● 概念によって事物は「現にあるような姿を持っている」(同)

 ・「対象を把握するとは、その概念を意識すること」(同)

● マルクスもヘーゲルに学んで「概念的把握」という用語を使用


167節 ── あらゆる事物は判断である

●「あらゆる事物は判断である」(138ページ)

 ・あらゆる事物は「個別化されている普遍的なもの」(同)として判断

 ・あらゆる事物の概念(真の姿、真にあるべき姿)は、判断の形式において
  示される

● 判断と命題の区別と同一

 ・命題の述語は、主語の「或る状態、個々の行為」(同)を表現するのみ
  で、主語の普遍性をもたないから判断ではない

 ・命題が不確定な表象を「確定しようとする場合にのみ」(139ページ)判
  断となる