2009年12月26日 講義

 

 

第34講 第3部「概念論」②

 

1.「A 主観的概念」「b 判断」総論(2)

168節 ── 判断の立場は有限

● 判断は、有限

 ・具体的なものは、個のうちに普遍があるにもかかわらず、判断では個と普
  遍が「分離しうる」(139ページ)ものとされていて、「その形式によっ
  て一面的であり、そのかぎり誤っている」(㊤ 142ページ)


169節 ── 「である」が述語の普遍に特殊性をもたらす

●「個は普遍である」という判断

 ・個と普遍は「である」で連関し、抽象的な普遍である述語に「主語の規定
  性」(139ページ)としての特殊性をもたらす

 ・この特殊性に媒介されて個と普遍の同一性が定立される

● 主語は述語によって内容をもつ

 ・「主語は述語においてはじめてその明確な規定性と内容を持つ」(140ペ
  ージ)

 ・「主語が何であるかは、述語においてはじめて言いあらわされている」
  (同)


169節補遺 ── 判断の発展

●「個は普遍である」との判断は発展する

 ・主語の個は、特殊、普遍に

 ・述語の普遍は、特殊、個別に

● 判断の発展により、より深い真理がとらえられる


170節 ── 述語の特定の内容のみが主語と述語の同一性を
       定立する

● 主語は述語よりも広い

 ・主語は「具体的なもの」(141ページ)として、述語より「豊かで広い」
  (同)

 ・述語の特定の内容は「主語の多くの規定の1つ」(同)にすぎない

● 述語は主語よりも広い

 ・述語は普遍的なものとして「主語を自分のもとに包摂」(同)

● 述語の特定の内容のみが「両者の統一」(同)をなす


171節 ── 判断の進展

● 判断における主語と述語の同一性は、「分離するもの」(同)として定立
 されている

 ・しかし、主語と述語の同一性は「概念上同一なもの」

 ・主語は個(特殊と普遍の統一)であり、述語は主語の規定性を含む普遍と
  して「特殊と普遍とが同一になったもの」(同)

● 繋辞が充実されたとき、判断は推理となる

 ・判断においては、繋辞が主語と述語の同一性を定立する

 ・この繋辞が充実して特殊性となり、個 ── 特 ── 普となったものが推理
  →特殊が中間項となる

● 判断の進展は、「概念の自己規定の進展」(142ページ)

 ・判断とは「それ自身、規定された概念にほかならない」(同)

 ・判断から推理にいたる進展がはじめて判断の諸種類を必然的に導き出す

 ・有論、本質論、概念論の進展にそって判断も進展する


171節補遺 ── 判断の諸種類

● 判断の諸種類は「思惟によって規定された統体性と考えられなければなら
 ない」(同)

 ・判断の諸種類は「規定された概念」(同)として、概念の統体性のうちに
  とらえられねばならない

● カント ── カテゴリー表の図 ・式にしたがい「質の判断、量の判断、
 関係の判断、および様相の判断」(143ページ)に分類

● 判断の諸種類は、有論、本質論、概念論に対応する「3つの主要な種類」
 (同)

 ・本質論の判断は「本質の性格に対応」(同)して、再び2つに

 ・判断の諸種類は、概念の進展に応じて「段階」(同)的な価値をもつ

 ・本当の判断は、「概念の判断」(155ページ)

 

2.判断各論(1)

「イ 質的判断」

172節 ── 定有の判断は正しくはあっても真理ではない

● 最初の判断は、定有の判断

 ・定有の判断において「個は普遍である」の普遍は、「直接的な質」(144
  ページ)

● 肯定的判断は正しくない

 ・「ばらは赤い」という肯定判断において「個は1つの特殊なもの」(同)
  ── ばらは1つの特殊な色とされている

 ・しかし、ばらは赤だけではないから、より正しくは「ばらは赤くない」
  「個は特殊なものではない」(同)という否定的判断で補わなければなら
  ない

● 質的判断は、正しくはあっても、単なる質を表すものであって、概念を表
 すものではないから真理ではない


172節補遺 ── 正しさと真理の区別

● 正しさは真理ではない

 ・正しさとは「われわれの表象とその内容との形式的な一致」(145ペー
  ジ)

 ・真理とは、対象と概念との一致(24節補遺2参照)

● 定有の判断は「主語と述語とが互に実在と概念との関係をなしていない」
 (同)から真理を含むことはできない

 ・定有の判断は、主語と述語の形式上の同一性は内容上の同一性でないとい
  う点でも真理ではない

 ・主語と述語とが「一点で触れあう」(146ページ)のみ

 ・これに対し、概念の判断では「述語は言わば主語の魂」(同)


173節 ── 定有の判断の有限性は同一判断、無限判断に
       示される

● 否定的判断もまた正しくない

 ・否定的判断は、「それはなお色を持ってはいる」との肯定判断としても示
  しうるところに、その有限性あり

 ・定有の判断の「一点で触れあう」有限性を止揚しようと思えば、全点で触
  れあう「同一判断」か、全点で触れあわない「無限判断」しかない

 ・しかし、それはどちらも「正しくはあるが馬鹿らしいもの」(147ペー
  ジ)であり、ここに定有の判断の有限性が示されている

● 定有の判断は、同一判断と無限判断の間をゆれ動く「感性的事物の本性を
 表現」(同)するもの


173節補遺 ── 定有の判断の有限性

● 否定的無限判断は定有の判断の「弁証法的成果」(同)

 ・肯定的判断の有限性により否定的判断に、否定的判断の有限性により否定
  的無限判断へ(否定の否定)

 ・民法上の係争は「単なる否定判断の例」(同)であるのに対し、刑法上の
  犯罪は否定的無限判断の1例

 ・同様に死も否定的無限判断


「ロ 反省の判断」

174節 ── 反省の判断は他のものに関係する本質の判断

● 反省の判断は、本質の判断の1例

 ・「個は普遍である」の普遍は、主語の質を示す普遍ではなく、主語の相関
  的本質を示す普遍(有用、危険、etc )

 ・主語はどんな本質をもち、その本質は他のものとどんな関係、連関にある
  のかの判断


174節補遺 ── 反省の判断の有限性

● 反省の判断では、述語は「主語と他のものとの」(149ページ)本質的な
 関係を示す

 ・「この植物は薬になる」 ── この植物とある病気との本質的な関係が「
  薬になる」として示されている

 ・述語は他のものとの「反省規定」であり、「普通の理由づけ」(同)に用
  いられるもの ── 病人に「この植物」を飲まそうという理由に

● しかし、反省の判断において「主語の概念はまだ示されていない」(同)


175節、同補遺 ── 単称判断、特称判断、全称判断

● 単称判断は述語の普遍性からして「単一性を越え」(同)、特称判断(特
 殊性の判断)へ、ついで全称判断(普遍性の判断)へ

 ・「この植物は薬になる」→「いくつかの植物は薬になる」→「すべての植
  物は薬になる」

●「すべて」ということは「反省が普通最初に出くわす普遍性の形式」

 ・ここでは、普遍性は「個々のものを包括する、外的な紐にすぎないように
  みえる」(151ページ)

 ・しかし、実際には「普遍は個々別々なものの土台であり、根柢であり、実
  体である」(同) ── これが類

 ・「類がなかったら、個々の人間は全く存在しない」(同)

 ・これに対し抽象的普遍は「外的な紐」

 ・具体的普遍としての実体は「あらゆる特殊なものを貫き、それらを自己の
  うちに含むもの」(同)


176節、同補遺 ── 反省の判断から必然の判断へ

● 全称判断は必然の判断

 ・「すべての個は普遍である」とは「普遍は普遍である」ことであり、形式
  上の同一が内容上の同一としても定立されている。これが必然の判断

 ・主語はどんな実体(類)に属するのかの判断

●「全称判断から必然性の判断への進展は、われわれの普通の意識のうちに
 も見出される」(152ページ)

 ・すべてに属することは類に属し、したがって必然的」(同)


「ハ 必然性の判断」

177節 ── 必然性の判断は類と種の関係の判断

● 必然性の判断は種を主語とし、述語を類(実体)とする本質の判断

 ・類は種の実体であり、種のうちには類が必然的に含まれている

● 定言判断、仮言判断、選言判断

 ・「種は類である」との判断が定言判断

 ・「もし種が類的特徴を持っていれば、種は類である」 ── 仮言判断

 ・「類は種の全体である」 ── 選言判断


177節補遺 ── 必然性の判断から概念の判断へ

●「あらゆる事物は定言判断である」(153ページ)

 ・あらゆる事物は、「実体的な本性」(同)をもち、これが事物の「不変不
  動の根柢をなしている」(同)

 ・あらゆる具体的事物は、すべて定言判断

● われわれが、事物を「類によって必然的に規定されている」(同)と考察
 することによって「はじめて判断は本当の判断となりはじめる」(同)

 ・反省の判断は、主語とわれわれとの「外面的な関係」(154ページ)を示
  すのみであるのに対し、必然性の判断は、主語の「実体的本性」(同)を
  示す一段高い判断

● 定言判断は「特殊性のモメントに正当な地位を与えていない」(154ペー
 ジ)から仮言的判断に

 ・仮言判断においては、主語のもつ「特殊性のモメント」が「他のもの」に
  媒介されたものとしてとらえられる

 ・仮言判断は、主語の特殊性が他のものとの因果関係において「普遍の特殊
  化」(同)としてとらえられる

● 仮言判断における「普遍の特殊化」は、仮言判断を選言判断に移行させる

 ・「AはBかCかDかである」 ── 「類は種の全体である」

 ・主語である普遍は、述語である特殊の全体