2010年3月17日 講義
第39講 第3部「概念論」⑦
1.「C 理念」「a 生命」(2)
216節 ── 生命は概念(魂)と肉体との直接的な統一
● 生命は直接的な理念
・「概念は魂として肉体のうちに実現」(216ページ)
・生命は、具体的普遍としての魂、魂の特殊化としての肉体、魂と肉体の統
一としての個(主体)
・主体は「無限の否定性」(同)として、肉体の諸部分を相互に「一時的な
手段であると同時に、一時的な目的」とする
● 生命は「生命ある個体」(217ページ)
・生命は、まず「生命ある個体」であり、最後は「向自有する統一」(同)
としての類となる
・生命ある個体は、理念の直接性のため、「魂と肉体とが分離」(同)する
という可死性をもつ
216節補遺 ── 有限な生命は概念と実在との不一致
● 生命は「概念として現存している直接的な理念」(同)
・しかし、「概念と実在とが本当に合致していない」(同)ところにその欠
陥をもつ
・概念(魂)は、「肉体性という型」(218ページ)のうちに閉じこめられ
ていて「まだ自由な向自有ではない」(同)
● 生命の過程は、理念の「直接態を克服」(同)して類となることにある
・自由となった概念が「認識としての理念」(同)
217節 ── 生命は三重の推理
● 生命体は三重の推理によってのみ全体の有機性を理解しうる(192ページ)
・生命体は、魂(普遍)、肉体(特殊)、主体(個)の三重の推理
● 生命体の推理は「活動的な推理」(同)として、主体を再生産する単一の
過程
・生命体は「3つの過程」(同)を通過することで概念が自己と連結する
・218節以下で、その「3つの過程」を辿る
218節 ── 第1の過程は生命体の内部における再生産の過程
● 生命あるものは主体から肉体を分裂させる
・自分自身で魂にそった肉体をつくりあげていく
・肉体は「区別や対立を持つ諸モメント」(同)にわかれながら、主体の単
一へ帰っていく
・肉体の諸分肢の産物は、「主体にほかならない」(219ページ)
● 主体はその内部において「ただ自己をのみ再生産する」(同)
218節補遺 ── 自然的生命体における感受性、興奮性、再生産
● 自然の生命体は感受性、興奮性、再生産の3つの形式
・感受性 ── 「肉体に遍在する魂」(同)
・興奮性 ── 自分自身のうちでの分裂
・再生産 ── 諸分肢、諸器官の再生産
● 生命体は、内部で「不断に自己を更新する過程としてのみ存在する」(同)
219節 ── 第2の過程は生命体が自己を客観化することによる
再生産の過程
● 生命体は「本源的自己分割」(同)の可能性 ── 可死性
・死により客観を「自己のうちから解放」(同)
・死は生命体と「無機的自然」との対立を証明する
・死により概念を実在が分離するところに生命体の「欠陥」(220ページ)
がある
● 生命体は客観を「空無なものとして揚棄」(同)することによって「自己
を客観化」(同)し、再生産する
・客観を支配することが生命体の再生産を保証する「生物の活動」(同)
・生命体の同化と異化は、他のものに自己の存立を依拠するという点で概念
の自立性を否定する欠陥
● しかし、同化と異化は、客観を揚棄することにより、生命の再生産を保証
する確かな「生物の活動」(220ページ)
219節補遺 ── 生命体は自然を支配する
● 生命体は、無機的自然に対立し、支配し、同化する
・無機的自然が生命体に従属するのは、自然が潜在的概念であるのに対し
て、生命体が顕在的概念だから
・生命あるものは、無機的自然のうちで「自分自身とのみ合一する」(同)
・生命体が死ぬと、客観性への支配がなくなり、「客観性の自然力が活動し
はじめる」(同)
220節 ── 第3の過程は個体が類として再生産される過程
● 生命体は、第1の過程では、自己のうちでのみ「概念として振舞う」(同)
● 生命体は第2の過程をつうじて、客観を支配する実体として「即自的に類」
・実体は、偶有を支配する「絶対の力」(104ページ)
・生命体は類となることによって、概念と存在との完全な一致としての生命
の理念となる ── 個体の有限性を止揚
● 類の特殊化は類の「本源的分割」(同)としての性別
221節 ── 類は個(有限者)の真理
● 類は「有限者の真理」(㊤ 292ページ)としての向自有
・「生きた個体」(221ページ)は、類に「媒介されたもの、生み出された
もの」(同)
・個別者は、実体としての類のうちで「滅亡する」(同)
221節補遺 ── 類は生命の理念
● 類は、「有限者の真理」として生命の真にあるべき姿
・「生命あるものは死ぬ」(同) ── 即自的には類でありながら、個とし
てのみ現存する矛盾のあらわれ
・個体の死は、類が個を「支配する力」(同)であることを証明
・個体は「類の力に圧倒」(同)され、類から生まれ、「再び類のうちへ没
する」(同)
● 生命の過程から生じてくるのは、「生命としての理念」の顕在化
222節 ── 生命の理念は精神
● 生命の理念は、理念の直接態一般からの解放
・生命はその真実態としての自由な理念に
・それが精神(人間)の出現
● 人間の精神活動は主観(理想)と客観(現実)の統一を定立する
2.「C 理念」「b 認識」総論
認識は理想と現実の統一を論じる
● 人間の精神活動は、主観と客観の媒介された統一を定立する
・主客の統一は、主観が客観のなかの概念をとらえる「イ 認識」と、主観的
概念が実践を媒介に客観として定立される「ロ 意志」という2つの側面が
ある
・この2つの側面を通じて理想と現実の統一が実現される
●「a 生命」は即自的理念、「b 認識」は対自的理念、「c 絶対的理念」
は即自かつ対自的理念
223節 ── 人間(精神)は自由な理念
● 人間(精神)は自由な理念
・人間という「客観そのものが概念」(222ページ)
・人間において「理念は向自的に自由に存在」(同)
・人間の精神は理念の「内部での純粋な区別」(同)として「理念の主観
性」(同)をなす
・人間の精神は、イデアをとらえる「観想」(同)
● 理念は、広義の認識作用において主観的理念と客観的理念に分割される
・人間の主観性の分割と合わせて、より進んだ「2つの本源的分割」(同)
・「それらは潜在的には同一であるが、まだ同一なものとして定立されては
いない」(222~223ページ)
224節 ── 主観的理念は客観との同一性を定立しようとする
衝動をもつ
● 主観的理念と客観的理念は「反省関係」(223ページ)
・同一性の定立されていないことが「この領域における有限性の規定をなし
ている」(同)
・主観的理念にとって、客観的理念は「目前に見出される直接的な世界」
(同)として対立のうちにおかれている
・理性は主観的理念と客観世界との同一性を定立しようという「衝動をもっ
て、世界にあらわれてくる」(同)
225節 ── 認識とは主観と客観の同一への2つの運動
● 広義の「認識作用」(同)とは主客の同一性の定立の過程
・そこでは主観の一面性と客観の一面性が「1つの活動のうちで即自的には
揚棄」(同)されている
● この過程は「2つの運動に分裂する」(224ページ)
・1つは客観のうちにある潜在的な真にあるべき姿を主観のうちにとらえる
運動(認識そのもの、理念の理論的活動)
・もう1つは、主観的な真にあるべき姿を客観的世界に「形成し入れる」(
同)運動(善を完成しようとする善の衝動、意志、理念の実践的活動)
3.「C 理念」「b 認識」各論(1)
「イ 認識」
226節 ── 狭義の認識の到達する真理は有限な真理
● 広義の認識作用の有限性
・客観世界との対立を前提
● 狭義の認識は、客観の存在(現にある姿)と客観の概念(真にあるべき
姿)という「理念の2つのモメント」(224ページ)が「互に別々のも
の」(同)となっている
・与えられた素材の認識への同化は、素材を「概念諸規定」(同)、つまり
普遍、特殊、個としてとらえるのみで、概念(真にあるべき姿)そのもの
をとらえない
・こうした認識の到達する真理は「有限な真理」(同) ── 概念という「
無限の真理」(同)への到達は、「彼岸にすぎない」(同)
・しかしその認識は「概念の諸規定」(同)をつうじて「概念に導かれてい
る」(同)
226節補遺 ── 概念をとらえる認識は能動的
● ロックの「タブラ・ラサ」は、認識が真にあるべき姿をもとらえる「概念
の活動」であることを認めようとしない
● 認識は客観世界の「受動的」(同)な反映ではなく、客観のうちに潜在す
る概念を顕在化させる「能動的」(同)な活動
227節 ── 分析的方法は個から普遍を取り出す有限な認識方法
● 認識作用は、与えられた外的な客観を前提するところにその有限性がある
・分析的方法は、与えられた個から普遍を取り出す
・「与えられた具体的なものを分解」(226ページ)して、抽象的普遍を取
り出す
・具体的なものから「特殊なものを捨象」することによって「具体的な普
遍、類あるいは力および法則」(同)を取り出す
● こういう個から普遍を取り出す二通りの方法が分析的方法
227節補遺 ── 最初の認識作用は個から出発する分析的方法
● 最初の認識作用は分析的方法
・認識の対象は「個別化の形態」(同)をもっているから
・分析的方法は「個別的なものを普遍に還元する」(同)
・ここでは思惟による「抽象あるいは形式的同一性」(同)があるのみ
● 分析的方法も「あるがままに事物を把握」(同)するのではなく、概念を
認識においてとらえるのと同様、事物を変化させる
228節 ── 綜合的方法は普遍から個にすすむ有限な認識作用
● 出発点となる普遍が「無限の概念」(同)ではなく、有限な悟性的概念で
あるところに、綜合的方法の「有限の認識作用」がある
・総合的方法は普遍から個を取り出す認識方法
228節補遺 ── 綜合的方法は対象に即した概念の諸モメントの
展開
● 綜合的方法は普遍(定義)から出発し、特殊(分類)を経て、定義された
対象としての個(定理)へとすすむ
・つまり「対象に即しての概念の諸モメントの発展」(227ページ)
229節 ── 定義は対象の類および普遍を規定する
● 定義は、対象の「類および普遍」(同)を規定するもの
・定義の「材料および基礎づけ」(同)は分析的方法によってえられる
・しかし、この「普遍的規定性」(同)は対象の魂をとらえた普遍性ではな
いから、「単に目じるしの役目」(同)にすぎない
229節補遺 ── 定義の必然性は証明されない
● 定義は分析的方法によって作られるところに問題あり
・対象から分析によりどんな普遍、類を取り出すかは、その人の知見しだい
・「生命、国家などには無数の定義がある」(228ページ)
・「一般に定義された対象の内容には必然性がない」(229ページ)
● 哲学は、対象のもつ必然性を証明しなければならない
・分析的方法も、綜合的方法も、概念をとらえるものでないかぎり「哲学に
は適しない」(同)
230節、同補遺 ── 分類は定義(類)の特殊化
● 分類は、定義という普遍の特殊化(つまり定義された対象を分類する)
・分類は、定義された対象の「全範囲を包括するように作られ」(230ペー
ジ)ねばならない
● そのためには、分類を「外的な見地」(229ページ)からではなく、「概
念に規定されているもの」(230ページ)としておこなうこと ── 生物の
場合は DNA にもとづく分類
231節 ── 定理は必然性を証明する
● 諸規定を綜合した定理において、定義の具体的個別性が証明される
・定義 ── 直角3角形とは、2辺が直角をなす3角形である
・ピュタゴラスの定理 ── 直角3角形においては、斜辺の2乗は直角をな
す2辺の2乗に等しい
● 定理における諸規定の同一の証明は、「媒介された同一」(同)の証明
・「媒介項をなす材料を持ち出してくるのが構成」(同)
・構成とは幾何学における補助線または作図
・ピュタゴラスの定理の証明には、3辺の外側に3つの作図と3本の補助線
が「構成」として用いられる
● 綜合的方法と分析的方法とは相互に補足しあって科学的方法となる
・概念の本性からいえば、「分析が最初に」(231ページ)
・しかし相互と分析という2つの方法は、いずれも「前提を持」つから、
「哲学的認識には使用できない」(同)
・「現代ではいわゆる構成の濫用がこれに代っている」(232ページ)
・しかし「概念の構成」(同)は、概念を避けた「感覚的諸規定の提示」(
同)と、「前提された図式」(同)にしたがって「分類する形式主義」(
同)にすぎない
・有限な認識方法としての分析的、綜合的方法、あるいは「概念の構成」で
はなく、悟性的認識を越えて概念を認識し、「概念の諸規定の必然性に導
かれ」(233ページ)る理性的認識へと前進しなければならない
● 単なる反映的認識から、「主体に内在するもの」(234ページ)としての
「意志の理念」(同)へ
232節 ── 認識から意志へ
● 定理の証明が作り出す必然性は、与えられた対象の認識を越えて、自ら必
然性を生みだす「意志の理念へ移っていく」(234ページ)
・「主体に内在」(同)する「自己関係的な概念」(同)の自己産出が真の
必然性
・必然の真理は概念であり(115ページ)、意志という理念である
232節補遺 ── 受動的主観性から能動的主体へ
● 認識の証明は、認識の出発点である与えられた客観を否定する
・認識は「与えられたそして偶然的な内容」から出発
・いまや定理において必然性が証明され、内容は必然的となっている
・この必然性は「主観的活動により媒介されたもの」(同)
● 主観性は受動的認識から、能動的主体性へ
・認識としての単なる「タブラ・ラサ」から「自己が規定する」(同)意志
へ
・認識の理念から意志の理念へ
・概念を実現する主体性へ
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