2010年4月3日 講義
第40講 第3部「概念論」⑧
1.「C 理念」「b 認識」(2)
「ロ 意志」
革命の哲学
●「ロ 意志」は革命の哲学を語る
・「絶対的な究極目的である善」(㊤ 204ページ)とは、真にあるべき国家
・ヘーゲルの国家は国家と人民とが一体化し、治者と被治者の同一性の実現
された人民主権国家
●「哲学の最高の究極目的」(㊤ 69ページ)としての理想と現実の統一は、
国家における理想と現実の統一
233節 ── 善(意志)は世界を規定しようとする
● 主観的理念は世界を「自己の目的にしたがって規定する」(235ページ)
ことに向かう
・絶対的に規定された主観的理念は善(意志)
・善は「自己を実現しようとする衝動」(同)をもつ
・「イ 認識」と反対に「ロ 意志」は主観的理念が客観へ向かう
● 善はエネルゲイアとしてのイデア
・「真理は必ず勝利する」
・善をかかげて生きることはもっとも生き甲斐のある価値ある生き方
● 意志は、主観的善と客観の独立性との対立を空無にしようとする確信をも
つにとどまる有限なもの
234節 ── 善の目的の無限進行
● 有限な善の目的は、実現されると同時に実現されないという矛盾のうちで
無限進行する
・認識は有限なものであり、善の目的も有限なもの ── それを無限に積み
重ねることで無限の絶対的真理に接近する
・善の目的は実現されると同時にされない矛盾のうちにあって無限進行する
● この矛盾の完全な消滅は、主観と客観の一面的で有限なものの対立を揚棄
した統一としての絶対的真理
・そこからはもう新たな対立が生じないような統一
・絶対的真理は、人類の無限の生命をつうじてのみ達成しうるもの
・この矛盾の消滅は、客観が「真実在」(236ページ)として完成すること
を意味する
234節補遺 ── 意志は世界を理念に変革する
● 意志は「世界をそのあるべき姿に変えようとする」(同)
・知性(認識)は、「世界をあるがままに受け取ろうとするにすぎない」(
同)
・意志の活動がなくなることは決してない
・「意志の過程そのもの」(同)が意志の「有限性およびそのうちに含まれ
ている矛盾を揚棄する」(同)
●「世界はそれ自身理念である」(237ページ)
・「理性的認識の真の態度」(236ページ)は、「世界が現実的な概念」(
同)であり、人間の認識と実践により空無な「世界の表面」(同)を消滅
させ、世界の真の本質を明らかにするとする態度にある
・「世界の究極目的は不断に実現されつつあるとともに、また実現されてい
る」(237ページ)
・これを認識するのが「大人の立場」(同)であり、この立場に立つとき
「満足を知らぬ努力」は存在しない
・「若い者」の立場と「宗教的意識」は有限なものにすぎない
・「あるとあるべしとの一致は、硬化した、過程のないものではない」(
同)
235節 ── 意志から絶対的理念へ
● 善の無限進行は客観世界を絶対的理念に変革する
・善の無限進行をつうじて「理論的理念と実践的理念との統一」(同)が定
立される
・それが「善の真理」(同)としての「絶対的理念」(同)
・絶対的理念は、即自的理念(生命)と対自的理念(認識)の統一としての
即かつ対自的理念
2.「C 理念」「c 絶対的理念」
236節 ── 絶対的理念は主観的理念と客観的理念との統一
● 絶対的理念は「理念の概念」(238ページ)としての絶対的真理
・それは「主観的理念と客観的理念との統一」(同)
・すべてのカテゴリーを包括する「客観的思想」(㊤ 115ページ)が絶対的
理念
236節補遺 ── 絶対的理念は理念の真理
● 絶対的理念は「生命の理念と認識の理念との統一」(同) ── 235節参
照
・生命は「即自的に存在する理念」(同)、認識は「対自的に存在する理
念」(同)
・絶対的理念は「認識の過程」(同)における差別を克服した生命の「統一
の回復」(同)
・絶対的理念は両者の統一としての「即自対自的に存在する理念」(同)
● 絶対的理念は「理念の最高の形態」(同)として、アリストテレスのいう
「思惟の思惟」(同)
237節 ── 絶対的理念は論理学の内容を総括した絶対的形式
● 絶対的理念は「概念の純粋な形式」(239ページ)
・絶対的理念は絶対的真理であり、そこには「あらゆる規定性」(同)が溶
かし込まれていて、概念(真にあるべき姿)の「純粋な形式」のみが残さ
れている
・「形式の統体性が内容諸規定の体系として含まれている」(同)
・絶対的理念は、論理学の全内容を「純粋な形式」としてもつ
・論理学の内容である有論、本質論、概念論は、即自 ── 対自 ── 即対自
という弁証法の形式をもつ
237節補遺 ── 絶対的理念は弁証法
● 絶対的理念の「真の内容」(同)は論理学の「体系全体」(同)
・絶対的理念は「絶対的形式としての普遍」(239, 240ページ)
・ この弁証法という形式のうちに論理学の「豊かな内容の全体」(240ペー
ジ)が還元される
・ これまでの論理学の諸段階は、弁証法という「全体へまで自分を駆り立て
る」(同)
238節 ── 弁証法の第1のモメントは端初または有
● 第1のモメントは、端初あるいは有
・有論は、端初であることによって「自立的」(241ページ)だが、絶対的
理念の立場からすると概念の「自己分割」(同)としての否定性、媒介さ
れたもの
・有論は「概念の否定」(同)として「即自的な概念」(同)
・有論は「まだ概念として定立されていない概念」(同)として「普遍的な
もの」(同)
● 端初は「綜合的であるとともに分析的」(同)
・「直接的な存在」(同)としては「分析的方法の端初」(同)
・普遍的なものとしては「綜合的方法の端初」(同)
238節補遺 ── 哲学的方法は分析的であると同時に綜合的
● 哲学的方法は「運動のあらゆる点において分析的であると同時に綜合的」
(242ページ)
・対象となる理念を自由に歩ませ、「その運動および発展を単に眺めてい
る」(同)かぎりでは分析的
・「概念そのものの活動」(同)として対象のうちに弁証法の形式を見出す
という意味では綜合的
239節 ── 弁証法の第2のモメントは進展または反省関係
● 第2のモメントは進展または反省関係
・進展は「理念の自己分割」(同)の定立されたもの
・端初のもつ直接性を否定し「1モメントに引きさげる」(同)
・これにより、端初は分割され「区別されたものの関係」(同)としての反
省関係が定立される ── これが本質論
● 端初の自己分割は、分析的であると同時に綜合的
239節補遺 ── 端初は媒介されたもの
● 理念の進展は、端初も「媒介されたもの」(243ページ)であることを明
らかにする
・自然も「端初的で直接的なもの」(同)に思えるが、真実は精神に媒介さ
れたもの
● 238節の補遺となるべきもの
240節 ── 論理学の進展は、移行、反照、発展
● 理念の進展の「抽象的形式」(同)
・有論では「他者と他者への移行」(同)
・本質論では「対立したものにおける反照」(同)
・概念論では「個と普遍の区別」(同)としての発展
241節 ── 反照は即自的な理念
● 概念の反照への到達は、前進であると同時に後退
・反照に到達するということは、「自己を完成して統体」(244ページ)と
なろうとするものとしては前進であり、「即自的に理念」(243ページ)
といえる
・しかし反面からすると、それは理念の統体性という「最初の領域への後
退」(同)でもある
・「ただこうした二重の運動によってのみ、区別はその本当の姿をうる」
(243〜244ページ)
・区別された2つのものは、「自己を完成」(244ページ)する前進である
と同時に「自己を他者との統一とする」後退となる
242節 ── 弁証法の第3のモメントは終結または対立物の統一
● 第3のモメントは矛盾の解決としての終結
・終わりは「はじめの2つのもの」(244ページ)を観念的モメントとして
揚棄した統一
・終わりにおいて、概念は実現され理念となる
● 理念は絶対に最初のもの
・理念にとって「端初が直接的なものであって理念は成果である」(同)と
いう仮象は消滅する
・理念は、「完結した円」(㊤ 85ページ)
243節 ── 哲学は純粋な理念の学
● 弁証法は「内容の魂であり概念」(245ページ)
・弁証法は、諸カテゴリーに含まれる方法をとらえた「内容の魂」
・弁証法は、論理学の内容を概念(真にあるべき姿)の諸モメントとしてと
らえるのみならず、「概念の統体性」(同)としての理念のあらわれとし
てとらえる
・これにより、論理学は内容・形式ともに「理念へ復帰」(同)し、「理念
は体系的な全体としてあらわれる」(同)
・論理学の「全体は1つの理念」(同)となり、論理学は「純粋な理念の
学」(同)となる
244節 ── 絶対的理念から自然へ
● 絶対的理念は「特殊性のモメント」(同)としての自然を「自己のうちか
ら自由に解放しようと決心」(同)する
・理念の「絶対的自由」(同)は、「生命」(同)でも「有限な認識」(
同)でもない
・論理学は「自然哲学」に移行する
244節補遺 ── 絶対的理念から端初への復帰
● 自然は「存在する理念」
・自然は「抽象的な有」(246ページ)ではなく、「有としての理念」に進
展することにより、同時に「端初への復帰」をとげたもの
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