2010年8月28日 講義

 

 

第4講 マルクス・エンゲルスの『人間論』

 

1.マルクス(1818-1883)の原点

●「すべての知識の中でもっとも有用でありながらもっとも進んでいないもの
 は、人間に関する知識であるように私には思われる」(ルソー『人間不平等
 起原論』25ページ)

 ・ルソーの人間論はマルクスの原点となった


① 生涯かわらぬ原点は、人間的なものの探究

●「職業の選択にさいしての一青年の考察」―17才

 ・「われわれが取ってもよい地位というのは、……人類のために活動し、われ
  われ自身を……普遍的目標、すなわち完全性に近づけるために、最大の活動
  の場を提供するそれである」(全集㊵ 518ページ)

 ・「われわれが人類のために最も多く働くことのできる地位を選んだとき、重
  荷もわれわれを屈服させることはできないであろう。……またそのとき……
  われわれの遺体の灰は、高貴な人々の熱い涙によって濡らされるであろう」
  (同 519ページ)

●「ドイツ・イデオロギー」(1845~1846)

 ・「人間たちは、これまでいつも、自分自身について、自分たちがなにである
  か、あるいはなにであるべきかについて、まちがった諸観念をつくってき
  た」(服部文男『〔新訳〕ドイツ・イデオロギー』9ページ)

●「モールと将軍」(大月書店 ドイツ社会主義統一党付属マルクス・レーニン主
  義研究所編)

 ・1860頃 長女ジェニーの質問に答えた「告白」―42才

 ・「あなたの好きな格言」 「およそ人間的なもので私に無縁なものはない」
  (553ページ)

●「フランスにおける内乱」(1871)

 ・「それは、本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級にたいする生産者
  階級の闘争の所産であり、労働の経済的解放をなしとげるための、ついに発
  見された政治形態であった」(全集⑰319ページ)

 ・人間一般から労働者階級の解放に(階級的観点にたった人間解放論)


② 人間論と人間解放が出発点となる

●「ヘーゲル法哲学批判」(1843末〜1844. 1)

 ・マルクスがエンゲルスと出会って科学的社会主義の世界観について意見が一
  致し、共同作業を開始したのは1844. 8
  ―「ヘーゲル法哲学批判」はそれ以前の著作であり、マルクスの原点を示す
   もの
 ・理論が「ラディカルであるとは、ものごとを根本からつかむこと」(全集
  ① 422ページ)である

 ・「人間にとっての根本は、人間そのもの」(全集① 422ページ)であり、
  「人間をいやしめられ、隷属させられ、見すてられ、軽蔑された存在にし
  ておくようないっさいの諸関係を、くつがえせという……至上命令をもって
  おわる」(同)
  ―人間を疎外する「いっさいの諸関係を、くつがえ」し、人間を解放して最
   高の存在にすること

 ・「ドイツの実際上可能なただ一つの解放は、人間を人間の最高存在であると
  言明するようなこうした理論の立場にたってする解放である」(同428ペー
  ジ)

 ・「ドイツ人の解放は、人間の解放である。この解放の頭脳は哲学であり、そ
  れの心臓はプロレタリアートである」(同)

● こうしてマルクスは、人間論の探究に向かう

 ・それが「ミル評注」(1844前半、全集㊵)や「1844 経済学・哲学手稿」
  (全集㊵)の人間疎外論に結実すると同時に、「ドイツ・イデオロギー」
  (1845~1846)における具体的人間論の探究に向かう

 

2.人間の類本質(人間とは何か)

①「あらゆる事物は一つの本質を持つ」(『小論理学』㊦ 11ページ )

● 本質とは事物の真の姿

 ・「事物の直接的存在は、言わばその背後に本質がかくされている外皮あるい
  は幕」(同)にすぎない

 ・本質は真の姿であるから不変なもの
  ―本質は「過ぎ去った有」(同)であり、発生史を辿ることで把握される


② 人間の類本質は、人間の自然科学的探究によってとらえられる

●「人間は自然科学の直接の対象」(「1844の経済学・哲学手稿」全集㊵ 465
 ページ)

 ・人間とは何かを探究する「人間的な学問の土台」(同 464ページ)は、自
  然科学

 ・人類の本質は、人類の700万年の歴史をつうじて形成されてきたもの

● 猿から人間への移行は、直立二足歩行にはじまる

 ・直立二足歩行により手が自由に

 ・自由な手が労働を生みだし、労働が自由な手と大脳を発展させる

 ・人間は労働をつうじて自然をつくりかえるなかで、自由な意識(目的にした
  がって自由に生産する意識)を獲得する

 ・人間は自己の自由な意志を生産物のなかに「置き入れる」ことによって生産
  物を自分のものにする
  ―「これが人間の、いっさいの物件にたいする絶対的な、自分のものである
   権利である」(ヘーゲル『法の哲学』44節)

  ・自由な意志が「自分の労働にもとづく私的所有」(『資本論』④ 1303ペー
  ジ)を生みだす(労働と所有の結合)

 ・労働による所有は自由な意志の外在化

● 人間は労働をつうじて社会をつくりだし、「共同社会性」と社会的コミュニ
 ケーションとしての言語を獲得する

 ・「猿に似たわれわれの祖先は集団的な動物だった。……労働の発達は必然的
  に社会の構成員をたがいにいっそう緊密に結びつけることに寄与した。……
  要するに生成しつつあった人間は、たがいになにかを話しあわなければなら
  ないところまできたのである」
  (「猿が人間になるにあたっての労働の役割」全集⑳484~485ページ)

 ・社会とは、人間の集団的な生活をつうじて形成される生産と生活における人
  と人との諸関係(社会的、政治的、経済的、精神的諸関係)の総体

 ・人間とチンパンジーのDNAの違いは1%前後、それにもかかわらず生活様
  式が大きく異なるのは、人間は社会をもっているが、チンパンジーは社会を
  もたないことによる―人間は社会的存在として、「共同社会性」の本質を獲
  得する

 ・「言語は、意識と同様に、他の人間たちとの交通の要求や必要からはじめて
  生まれる。したがって、意識は最初からすでに社会的な産物であり、およそ
  人間が存在するかぎりそうでありつづける」(服部文男『〔新訳〕ドイツ・
  イデオロギー』38ページ)

 ・「社会そのものが人間を人間として生み出すように、社会もまた人間によっ
  て生み出されているのである。……自然の人間的なあり方は社会的な人間に
  とってこそ初めて存在する」(「経・哲手稿」全集㊵ 458ページ)

● 人間は、自由な意識の発達をつうじて人間の類本質を実現することに人間的価
 値を見いだす

 ・より善く生きるために社会的規範(道徳・法律)としての人間的価値

 ・人間は、対自然、対人間との関係で人間となり、その類本質を身につける

 ・人間対自然
  ―労働をつうじての「自由な意識」(主)と「共同社会性」(従)の形成

 ・人間対人間
  ―言語コミュニケーションをつうじての「共同社会性」(主)と 「自由な
   意識」(従)の形成

 ・自由な意識と共同社会性の意識は抽象化され、人間としてより善く生きるた
  めの価値観(社会規範)として定着する


③ 人間の類本質 ①―自由な意識

●「私の労働は自由な生命の発現となり、……私の労働は生命の外在化である」
 (「ミル評注」全集㊵ 383ページ)

●「自由な意識的な活動は人間の類性格である」(「経・哲手稿」同 436ページ)

 ・「意識的な生活活動は人間を直接に動物的生活活動から区別する。まさにこ
  のことによってのみ人間は一つの類存在なのである」(同437ページ)

 ・「動物はただ直接的な肉体的必要に押されて生産をするのにたいして、人間
  自身は肉体的必要から自由な状態で生産をするし、そしてその必要から自由
  な状態においてこそほんとうの意味で生産をする」(同)

● 人間の自由な意識(自由な意志)という類本質は、「自由」を本質的欲求とし
 て求める

● 労働から生まれる自由な意志は、必然性(法則性)との関係によって規定され
 る

 ・自由な意志とは決定する意志

 ・「自由は、夢想のうちで自然法則から独立する点にあるのではなく、これら
  の法則を認識すること、そしてそれによって、これらの法則を特定の目的の
  ために計画的に作用させる可能性を得ることにある」
  (『反デューリング論』全集⑳ 118ページ)

 ・「意志の自由とは、事柄についての知識をもって決定をおこなう能力をさす
  ものにほかならない」(同)
  →エンゲルスの自由の定義には2つの問題あり。1つは形式的自由(思想、
   良心の自由、表現の自由など)が排除されていること。2つは必然的自由
   と概念的自由を混同。科学的社会主義の学説上、市民的政治的自由論が正
   当に位置づけられず、混迷を与える(例えば、柳田謙十郎『社会主義と自
   由の問題』(1975)を脱稿しながら刊行断念)

● 必然性との関係における4段階の自由(ヘーゲルの自由論)

 ① 否定的自由
  ―必然性から逃れて決定する自由(逃れる者は自由になりえない)

 ② 形式的自由
  ―必然性の存在を無視して決定する自由(形式上の自由と内容上の不自由)

 ③ 必然的自由
  ―必然性を認識し、それに沿って決定する自由(必然性に支配される不自由)

 ④概念的自由―必然性を揚棄し、真にあるべき姿を認識して決定する自由(必
  然性を支配する自由)
  →「自由は必然的に歴史的発展の産物である」(同 119ページ)
  → 自然や社会をつくりかえる自由は、概念的自由の問題


④ 人間の類本質② ―共同社会性

●「人間の本質は、人間が真に共同的な本質であることにある」(「ミル評注」
 全集㊵ 369ページ)

 ・人間は社会的存在として、共同的な本質をもつ(共同社会性)

 ・人間は、「個人的活動」のなかで言語的コミュニケーションを媒介に「共同
  的本質を、確証し実現したという喜び」(同383ページ)を味わう

 ・共同社会性は、共同体を維持発展させるうえで必要かつ有益な「民主主義」
  と「平等」を本質的欲求として求める

● 平等は民主主義の一側面

 ・「平等とは、人間が本質的に一であることの、人間の類意識と類としての態
  度の、人間と人間との実践的同一性の、だからまた人間と人間の社会的ある
  いは人間的関係の、フランス的表現である」
  (「聖家族」1844. 9 ~1846. 2 全集② 36ページ)

●「真の共同社会においては、諸個人は、彼らの連合(アソシエーション―高
 村)のなかで、また連合(同)をとおして、同時に彼らの自由を獲得する」
 (『〔新訳〕ドイツ・イデオロギー』85ページ)

 ・ヘーゲル「最高の共同性は最高の自由である」

 ・人間の類本質である共同社会性のもとで、人間の類本質としてのじゆうな意
  志も全面開花する

 ・真の共同社会では、国家・社会の概念的自由(真にあるべき姿)を目的とす
  ることにより、自由で平等な結合を実現しうる

 ・概念的自由は普遍的自由であるから、社会共同体の一員という普遍性のなか
  でのみ獲得しうる


⑤ 人間の類本質③ ―人間としてより善く生きるための価値観の形成

● 人間は反省的意識(自己意識)をつうじてより善い生き方を探求

 ・他者を思惟することで自分自身を思惟の対象とすることにより、より善い生
  き方につながる価値観を形成

 ・ソクラテス「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではな
  くて、よく生きるということなのだ」(プラトン全集①133ページ)

 ・価値観は、より善く生きる基準となるもの

● 価値観の形成

 ・人間的価値とは、自由な意識と共同社会性という2つの本質をもつ人間の真
  にあるべき姿(人間のイデア、概念)の実現につながる一切のもの

 ・前提となるのは、人間の存在と本性そのものを尊重し、擁護する「ヒューマ
  ニズム」

● ヒューマニズム(人間主義、人道主義、博愛〔友愛〕主義)

 ・ヒューマニズムは人間性を奪い、抑圧し、歪曲する現実社会の圧力とたたか
  い人間解放を実現しようとするイデオロギーとして、15世紀イタリアの反
  封建のたたかいとしてのルネサンス運動から生まれる

 ・ダンテ、ペトラルカ、ボッカチオ、ラブレー、モンテニュー、シェークスピ
  アなど

 ・フランス革命の「自由、平等、友愛」はヒューマニズムの頂点をなすもの

 ・「人道主義学派」は「気休めに現実にみられる対象的差異(階級対立―高
  村)を多少とも湖塗しようと努める。……博愛主義者は完成した人道主義
  学派である。この学派は敵対関係の必然性を否定する」
  (全集④ 147ページ)

 ・マルクスは階級的観点の欠けたヒューマニズムは、真のヒューマニズムにな
  りえないと考えた―真のヒューマニズムは、搾取も階級もないところに成立
  する

● 真のヒューマニズムの土台のうえに人間の類本質にかかわる自由と民主主義
 (平等)という価値観が形成される


⑥ 人間の類本質は「自由、平等、友愛」を求める

● モーガンの『古代社会』(エンゲルス『家族、私有財産および国家の起原』全
 集㉑)

 ・ネイティヴ・アメリカンであるイロクォイ族の氏族社会(古代社会)の研究

 ・「原始時代の―国家の成立以前の―社会制度の根本特徴」(全集㉑ 87ペー
  ジ)を解明した著作―エンゲルスはモーガンの『古代社会』をもとに『家
  族、私有財産および国家の起原』を著す

 ・男女平等、全員参加の氏族社会、サケマ(酋長)と軍事首領も選挙で選び、
  解任、相互扶助

 ・「その成員はすべて自由人であり、たがいに他の者の自由を守りあう義務を
  負っている。個人的権利においては平等で―サケマも軍事指揮者も、なんら
  の優位も要求しない、……自由、平等、友愛(ヒューマニズム―高村)は、
  定式化されたことは一度もなかったが、氏族の根本原理であった」
  (同92ページ)

 ・「こういう社会がどんな男女を生みだすかは、まだ堕落していないインディ
  アンに接触したすべての白人が、この未開人の人格的威厳、率直さ、性格の
  強さ、勇気に驚嘆していることが、これを証明している」(同99ページ)

 ・「新しい文明社会、階級社会をひらくものは、低劣きわまる利害―いやしい
  所有欲、獣的な享楽欲、きたならしい貪欲、共有財産の利己的な略奪―であ
  る」(同 101ページ)―これが疎外された人間

● 搾取も階級もなく、国家という階級支配の機関もない古代社会にあっては、自
 由、平等、友愛という人間の類本質が全面的に開花していた

● フランス革命は、徹底的にたたかわれた階級闘争として、人間の類本質に根ざ
 した「自由、平等、友愛」を要求としてかかげる

 ・「フランス革命は、……すべての古い世態の理念をこえでるところの理念を
  生みだした」(「聖家族」全集② 124ページ)

 ・疎外された人間の類本質の回復を求めることが階級闘争の課題であることを
  証明したもの

● 人間解放とは簡単に表現すれば真のヒューマニズムにもとづく「自由、平等、
 友愛」を実現する社会

 ・科学的社会主義の学説は、ブルジョア民主主義革命の唯一にして正統な後継
  者として、「自由、平等、友愛」を完成させるものとして誕生

 ・科学的社会主義は人間解放を求める人類の歴史の大道に位置するもの

 

3.人間の類本質と「社会的諸関係の総和」との
  相互媒介の関係

① 後期マルクス(1845年以降)は初期マルクスの人間の本質論を放棄したか

● フォイエルバッハにかんする第6テーゼ(1845. 4以降)

 ・「人間的な本質は個々の個人に内在する抽象物ではない。それは、その現実
  においては、社会的な諸関係の総和(アンサンブル)である」(服部『新訳
  ドイツ・イデオロギー』112ページ)

●「ドイツ・イデオロギー」(1845〜1846)

 ・哲学者たちは、「それぞれの歴史段階におけるこれまでの諸個人に『人間と
  いうもの』がおしこまれ、それが歴史の原動力として叙述された。こうし
  て、全課程が『人間というもの』の自己疎外過程としてとらえられたので
  あって、……最初から現実的諸条件を度外視するこのような転倒によって、
  全歴史を意識の発展過程に変えることが可能であった」
  (『新訳』99ページ)

● アルチュセールによる初期マルクス主義的人間論(ヒューマニズム)の否定論

 ・アルチュセールは、マルクスは1845年以降「フォイエルバッハテーゼ」
  「ドイツイデオロギー」で「1844 経・哲手稿」からの転換をはかり、人
  間の本質論(ヒューマニズム)、疎外論から階級的人間観に転換し、「階
  級」と「プロレタリアート」の概念により疎外論を放棄したと主張する

 ・これにより「史的唯物論からは直接的な人間学的有効性がいっさい排除され
  る」(セーヴ「マルクス主義と人格の理論」78ページ 法政大学出版局


② 初期マルクスの人間疎外論は、人間解放論と結合している

● 人間疎外とは、人間の類本質の疎外であり、人間解放とは、疎外された人間の
 類本質の回復(否定の否定)として、疎外論と人間解放論は論理的に結合して
 いる

●「共産主義は否定の否定としての肯定であり、それゆえに人間的な解放と奪回
 の、すぐあとにくる歴史的発展にとって必然的な、現実的契機である」
 (全集㊵467ページ)


③ 「フォイエルバッハ」テーゼ、「ドイツ・イデオロギー」は、いずれも
  抽象的人間ではなく具体的人間をとらえた人間解放論を強調しているもの

● 人間が最高の存在であり、「いやしめられ、隷属させられ、見すてられ、軽蔑
 された存在にしておくような、いっさいの諸関係、をくつがえ」す人間解放の
 見地は、「フォイエルバッハ」テーゼ、「ドイツ・イデオロギー」でも全く変
 わっていない

● マルクスのフォイエルバッハ批判は抽象的な人間の本質を論じるのではなく、
 具体的な社会的諸関係のうちにある人間の解放を論じるべきというもの

 ・フォイエルバッハは、「人間的な活動そのものを対象的な活動としてとらえ
  ていない。……したがって彼は『革命的な』『実践的・批判的な』活動の意
  義を把握しない」(第1テーゼ)(『新訳』109~110ページ)

 ・「旧来の唯物論の立場はブルジョア的な社会であり、新しい唯物論の立場
  は、人間的な社会、または社会的な人類である」(第10テーゼ)
  (同113ページ)

 ・「肝要なのは、世界を変えることである」(第11テーゼ)(同)

●『ドイツ・イデオロギー』も全体として史的唯物論の見地から人間解放を論じ
 たもの

 ・引用箇所も「フォイエルバッハ」第6テーゼと同様、人類の「それぞれの歴
  史段階におけるこれまでの諸個人」をみることなく、全歴史過程を「人間と
  いうもの」とその「自己疎外過程」としてとらえるという抽象的人間論を批
  判したもの

 ・階級社会は「幻想的な共同社会」(『新訳』85ページ)であったのに対し、
  「真の共同社会においては、諸個人は、彼らの連合(アソシエーション)の
  なかで、また連合(アソシエーション)をとおして、同時に彼らの自由を獲
  得する」(同)として、人間解放を論じている


④ 後期マルクスは、資本主義社会における労働者階級の人間疎外の具体的あり
  方と人間解放を求めて『資本論』の研究に

● 資本主義的搾取による人間疎外の具体的あり方の解明

 ・「一方の極における富の蓄積は、同時に、その対極における、すなわち自分
  自身の生産物を資本として生産する階級の側における、貧困、労働苦、奴隷
  状態、無知、野蛮化、および道徳的堕落の蓄積である」
  (『資本論』④1108ページ)

 ・抽象的人間疎外ではなく、労働者階級としての人間疎外を論じたもの

●『資本論』の人間解放論は、『ドイツ・イデオロギー』と異なるところはない

 ・「共同的生産手段で労働し自分たちの多くの個人的労働力を自覚的に一つの
  社会的労働力として支出する自由な人々の連合体(アソシエーション)」
  (『資本論』① 133ページ)

 ・後期マルクスも人間解放の社会を「自由で平等な生産者のアソシエーショ
  ン」としてとらえた

 ・協同組合運動の「大きな功績は、資本に対する労働の隷属にもとづく、窮乏
  を生みだす現在の専制的制度を、自由で平等な生産者の連合社会(アソシ
  エーション)という、福祉をもたらす共和的制度とおきかえることが可能だ
  ということを、実地に証明する点にある」(第1インターナショナル「暫定
  中央評議会代議員への指示」1867. 2. 3 全集⑯ 194ページ)


⑤ 本質の存在しない事物は存在しない
 
 ・ひとり人間のみが本質をもちえないとする議論は成り立ちえない


⑥ 人間の本質論と「社会的諸関係の総和」論とは本質と現象との関係

● 本質と現象

 ・「本質は現象しなければならない」(『小論理学』131節)

 ・しかし現象は単なる現象にすぎないのであって本質的現象もあれば非本質的
  現象もある

 ・非本質的現象とは本質が転倒したり、歪曲されてあらわれる現象

● 人間の類本質(自由な意識、共同社会性、人間的価値観をもつ)は、階級社会
 という具体的な「社会的諸関係の総和」において、非本質的現象としてあらわ
 れる

 ・階級社会において、人間の類本質はとりわけ労働者階級において疎外された
  形で現象する

 ・「問題になるのはまず人間性一般であり、次にはそれぞれの時代に歴史的に
  変化させられた人間性である」(『資本論』④ 1049ページ)

● 本質と転倒した非本質的現象との矛盾は労働者階級を中心とする階級闘争とし
 てあらわれる

 ・本質は本質的現象としてあらわれなければならない

 ・人間の類本質は非本質的現象のなかで本質的現象として現象することを求め
  る

 ・非本質的現象と本質的現象との矛盾が人間の類本質の回復を求める労働者階
  級を中心とするすべての人民(被抑圧階級)の階級闘争としてあらわれる
  ―階級闘争のもう1つの原因は、階級間の利害の対立