2010年10月23日 講義

 

 

第6講 資本主義社会の人間疎外論

 

1.具体的人間は「社会的諸関係の総体」

● 人間の類本質は、階級社会においては、「社会的諸関係の総体」として、疎外
 された類本質という仮象としてあらわれる

 ・奴隷制、封建制、資本主義という各階級社会は、それぞれの社会に固有の疎
  外の形態を示す

 ・疎外の形態は、人間疎外の土台となる搾取を生みだす生産諸関係と搾取の諸
  形態によって規定される

 ・「彼らがなんであるかは、彼らの生産と、すなわち、彼らが何を生産するの
  か、また、彼らがいかに生産するのかと一致している。したがって諸個人が
  なんであるかは、彼らの生産の物質的諸条件に依存する」
  (『〔新訳〕ドイツ・イデオロギー』18ページ)

● 資本主義的搾取の特徴は、搾取が目にみえないところにある

 ・奴隷制の場合、奴隷の生産物はすべて奴隷主に。封建制の場合、農奴の生産
  物の半分前後は封建領主に

 ・資本主義的搾取は、対等・平等な商品交換(貨幣と労働力の交換)から生じ
  る

 

2.資本主義社会と市民社会


① 啓蒙思想家による「市民社会」論

● 17、18世紀のイギリス、フランスの啓蒙思想家たちは、封建制社会の人身的
 束縛(不自由)、不平等、不合理を批判し、自由、平等な個人の理性的結合
 による社会を「市民社会」として提唱

● ブルジョア民主主義革命(イギリス名誉革命、フランス革命)は、市民社会
 を実現する市民革命としてとらえられた

 ・「いまようやく夜が明け、理性の国が出現した。これ以後は、迷信、不正、
  特権、圧政は、永遠の真理、永遠の正義、自然にもとづく平等、人手に渡す
  ことのできない人権によって、とって代わられるべきだ、とされた」
  (『空想から科学へ』全集⑲187ページ)


② ブルジョアジーはなぜ「市民社会」を求めたのか

● 資本主義社会とは、すべてのものが商品となる商品交換社会

 ・二重の意味で自由な労働者(自由な人格、生産手段からの自由)が存在し、
  労働力までもが商品となる特殊歴史的な社会

 ・「資本は、生産諸手段および生活諸手段の所有者が、みずからの労働力の売
  り手としての自由な労働者を市場で見い出す場合にのみ成立する」
  (『資本論』① 291ページ)

● 商品社会とは、商品所有者が対等、平等な所有者として、自己の所有する商
 品を価値どおりに、自由にかつ平等に交換する市場原理のつらぬく市民社会

 ・ブルジョアジーは、封建的な身分的制約から解放され、自由な商品交換を実
  現するために「市民社会」を求めた

 ・労働力という商品も、価値どおりに自由にして平等に、資本家のもつ貨幣と
  交換される


③ 労働力の商品化を前提とすることにより、
  ブルジョアジーは自由な商品交換をつうじて搾取を実現しうる

● 労働力は自己のもつ価値以上の価値物を生産しうるという「独特な使用価値」
 (『資本論』② 331ページ)をもつ特別の商品

 ・「労働力はまる一日作用し労働することができるにもかかわらず、労働力の
  日々の維持は半労働日しか要しないという事情……は、買い手にとっての特
  殊な幸運であるが、決して売り手にたいする不当行為ではないのである」
  (同)

● 資本家は、労働力という商品を市場で等価交換によって手に入れ、自由、平
 等という市場原理をつらぬきながら、剰余価値を手に入れる(搾取を実現す
 る)

 ・奴隷制では、奴隷主が直接的強力(ムチの力)で奴隷の生産物を丸ごと搾取
  し、封建制では領主は農奴を身分的に隷属させ、土地にしばりつける経済外
  的強制によって搾取するから、搾取が目にみえる形で実現される

 ・これに対し、資本主義的搾取は労働力という商品の自由な商品交換から生じ
  るから、搾取は隠蔽されてしまう

● 商品交換における等価交換の法則は「資本主義的搾取法則への転換」(『資
 本論』④993ページ)をとげる

 ・「最初の操作としてあらわれた等価物どおしの交換は、一転して、外観的に
  のみ交換が行われる」(『資本論』④ 1000ページ)

 ・「内容は、資本家が、絶えず等価なしに取得し、すでに対象化された他人の
  労働の一部分を、より大きな分量の生きた他人の労働と絶えず繰り返し取り
  替える」(同 1000~1001ページ)という不等価交換

 ・「商品生産の所有諸法則は資本主義的取得法則に転換する」
  →等価交換の法則は、労働力という特別な商品により不等価交換の法則に転
   化する


④ 平田清明「市民社会論」批判

● 平田清明著『市民社会と社会主義』(1969、岩波書店)

 ・史的唯物論を定式化した「経済学批判序言」の(全集⑬)の「アジア的・古
  典古代的・封建的および近代市民的生産方式」は共同体から市民社会への移
  行をとらえたものと理解し、階級的観点からの生産様式にもとづく原始共同
  体・奴隷制・封建制・資本主義社会の区別とは別個のものととらえる

 ・市民社会とは「社会の総体把握のための方法概念」(56ページ)であり、
  史的唯物論は、第1次的社会構成としての市民社会概念から、第2次社会構
  成としての階級概念への転化をとらえたもの

 ・すなわち、古典古代的共同体から奴隷制社会へ、封建共同体から農奴制社会
  へ、近代市民社会から資本家社会への自己変転を述べたもの(98ページ)

 ・近代市民社会から資本家社会への転化を示すものが、「市民的所有権の資本
  家的領有権への転変」(53ページ)

 ・マルクスは市民社会と資本主義社会を区別していたのに、後代のマルクス主
  義者は両者を混同し、市民社会の独自の意義を見失った

 ・そのために史的唯物論は「単純粗野な階級一元論」(99ページ)におちいっ
  てしまい、「共同体から市民社会への移行」(98ページ)という基礎視座が
  失われてしまった

● 平田「市民社会論」批判

 ・マルクスの「社会の総体把握」の概念は、「経済的社会構成体」で「市民社
  会概念」ではない

 ・近代市民社会が資本家社会に転成するのではなく、近代市民社会という現象
  のうちに、利潤第1主義という資本主義社会の本質が貫徹している

 ・つまり近代市民社会と資本主義社会とは、現象と本質の関係としてとらえね
  ばならない


⑤ 労働力商品化のもとでは、資本家にとって、
  自由、平等、所有の保証は現象にすぎず、搾取の自由が本質をなす

● 労働力が商品となり、生産手段と生産した商品の所有が保証され、対等平等な
 所有者の自由な商品交換が保証されれば、搾取の自由を保つことができる

 ・したがって労働力商品のもとでは「市民社会」は「資本主義社会」となる

 ・資本主義社会の基本法は自由、平等、所有を保証する単なる「市民法」
  (民法)が存在するだけで十分であり、「搾取法」を必要としない

●「労働力の売買がその枠内で行なわれる流通または商品交換の部面は、実際、
 天賦人権の真の楽園であった。ここで支配しているのは、自由、平等、所有、
 およびベンサム(「最大多数の最大幸福」を唱えたイギリスの功利主義者
 ―高村)だけである」(同② 300ページ)

●「近代国家による人権の承認は、古代国家による奴隷制の承認となんらちがっ
 た意味を持たない」(全集② 118ページ)


⑥ 労働者は学習しないかぎり搾取の事実を知りえない

● 労働者は学習しないかぎり人間の類本質の疎外を感覚的には理解しえても、
 それが資本主義的搾取、および搾取されていることに起因することを悟性的
 に理解しえない

 ・これが資本主義のもとでの階級闘争の発展を困難にさせる一要因となってい
  る

● 労働者は自らの学習組織(労働者学習協議会)をもたねばならない

 ・労働者は学習しないと資本主義そのものと持続的、系統的にたたかうことが
  できない

 ・労働者は自らを階級に組織すると同時に、自らの学習組織をつくりあげた

 

3.資本主義社会という階級社会における人間疎外

① 労働の疎外

● 単に生産物を搾取されるだけでなく、「資本のもとへの労働の実質的包摂」
 (『資本論』③ 873ページ)

 ・『資本家への労働者のどうしようもない従属が、完成される」(同730
  ページ)

 ・一方では過労死に至る過重労働と他方で自由な首切りと失業苦

● 資本主義的蓄積の結果、産業予備軍の増大により、労働力は価値以下でしか
 販売しえない

 ・ワーキング・プア

 ・生活保護基準以下の最低賃金制


② 共同社会性からの疎外

● 自由、平等、所有は「共同社会性」からの疎外による利己的人間を創出する

●「いわゆる人権、すなわち公民の権利(共同体への参加の権利―高村)とは
 区別された人の権利が、市民社会の成員の権利、すなわち利己的人間の、人
 間と共同体とから切りはなされた人間の権利にほかならない(「ユダヤ人問
 題によせて」全集① 401ページ)

 ・自由という人権は、「孤立して自己に閉じこもったモナド(単子)として
  の人間の自由」(同 402ページ)であり、「自己に局限された個人の、権
  利」(同)

 ・「私的所有の人権は、……社会から独立に、その資力を収益したり、処分
  したりする権利、つまり利己の権利」(同)

 ・「平等とは、……自由の平等にほかならない。すなわち、各人がひとしく
  このような自立的なモナドとみなされる」(同)

●「だから、いわゆる人権はどれ一つとして、利己的人間以上に、市民社会の
 成員としての人間以上に、すなわち自分の殻、利己と我意とに閉じこもり共
 同体から区別された個人であるような人間以上にこえでるものではない」
 (同403ページ)


③ 人間的価値観からの疎外

●「資本主義的生産の最高の発展」(『資本論』⑩ 757ページ)としての株式
 会社は「ペテンと詐欺の全体制を再生産する」(同 760ページ)

 ・サブプライム・ローンは「ペテンと詐欺」を代表するもの

 ・カジノ資本主義とは、最初から勝負のきまったインチキ賭博

● 価値観の多様性を根拠に真にあるべき国家、社会の論議を棚上げにする

 ・唯物論的二元論―世界がどうあるかの真理は存在するが、世界がどうあるべ
  きか(人間はどう生きるべきか)の問題は価値観の問題として真理性を否定
  する

 ・事実と価値、存在と当為の峻別

● あらゆる人間的価値を貨幣的価値に置換してしまう

 ・資本主義社会とは商品社会であり、すべてのものが商品化される

 ・愛、学問、芸術などの人間的価値が貨幣的価値に置き換えられてしまう

 ・道徳的、倫理的堕落とブルジョア的腐敗

 

4.資本主義社会における政治的国家と
  市民社会(資本主義社会)の分裂

① フランス革命の産物としての政治的国家の有限性

● マルクスは「ユダヤ人問題によせて」(全集① 384ページ~)で「政治的国
 家と市民社会とのあいだの現世的分裂」(同393ページ)を論じている

 ・フランス革命は、一定の政治的解放の実現であり、「政治的国家」の実現

 ・しかしこれによって「私的所有は廃止されないばかりか、かえって前提さえ
  されている」(同 391ページ)

 ・政治的国家にあって「人間は自分で自分を共同的存在だと思っている」
  (同 392ページ)が、市民社会においては「人間は私人として活動し、他
  人を手段とみなし、自分自身をも手段にまで下落させて、ほかの勢力の玩弄
  物となっている」(同)

● 政治的解放は、経済的解放を伴なわないかぎり、真に政治的解放を実現する
 こともできないのであり、人間解放は実現しえない

 ・この結論は正しいが、マルクスが「ユダヤ人問題によせて」のなかで1791
  憲法と1793憲法とを同列において批判しているのは問題

 ・1791憲法を階級闘争によって発展させたものが1793年憲法

 ・しかし1793年憲法も資本主義の枠内での憲法としての制約をもっている

● 政治的解放は資本家の国家という階級支配の機関を生みだしたのみ

 ・政治的解放とは封建領主の国家からの解放を意味するのみ

 ・封建領主の国家から資本家の国家への移行が「政治的解放」とよばれるブル
  ジョア民主主義革命の本質


② 日本国憲法と政治的国家

● 日本国憲法は、平和主義、自由権、社会権において現代の最高水準の憲法と
 いわれている

 ・現代日本もまたマルクスのいう「政治的国家」

 ・それを可能にしたものが、反ファッショ連合軍による対日占領政策としての
  「ポツダム宣言」

 ・日本の軍国主義を一掃し、平和で民主的な日本に再生することを国際的に宣
  言するものとして、1946. 11. 3制定
  ―帝国軍隊の解体、戦犯の追放、独占 資本の解体、官民労働者の団結権、団
   体交渉権、団体行動権の保障などの民主主義的改革の実施

 ・「ポツダム宣言」の具体化としての日本国憲法
  (1946.11制定、1947.5施行)

● アメリカの対日占領政策の転換

 ・アメリカ帝国主義は、日本をアメリカにとっての無害の属国にするため一定
  の「民主化」政策をとってきた

 ・しかし日本の労働運動や民主勢力の前進のもとで、民主的運動の弾圧に転化
  (1947. 1のゼネスト中止命令。1949-50 4万人のレッドパージ)

 ・中国革命の発展のなかで、日本を「反共の防波堤」(1948. 1 ロイヤル
  陸軍長官)とする占領政策に転換

● 1952. 4 サンフランシスコ平和条約と日米安保条約

 ・以降アメリカに政治的、経済的、軍事・外交的に従属する体制のもとで日本
  の資本主義復活、強化。再軍備と軍国主義復活の道へ

 ・「二つの異常」―アメリカ追随・軍事同盟絶対と大企業奉仕の政治により憲
  法上の諸原則の空洞化

 ・日本国憲法も「二つの異常」のもとで、政治的国家の憲法として人間疎外を
  もたらしている

● 日本国憲法のもとでの人間疎外

 ・日本国憲法はマルクスのいう「自由、平等、所有およびベンサム」をすべて
  含んでいるが、いずれも形式的なもの

 ・自由―思想・良心の自由(19条)、信教の自由(20条)、集会、結社、表
  現の自由(21条)、学問の自由(23条)などの形骸化―企業内に自由なし

 ・平等―法の下の平等(14条)は、経済的平等を意味せず

 ・所有―財産権の保障(29条)による搾取の自由の保障

 ・ベンサム―個人の尊重、幸福追求権(13条)
  →階級闘争のみが、これらの諸権利を実質的なものにしていく

● 憲法擁護闘争の意義と限界

 ・憲法の平和的民主的諸条項の形骸化のなかで、「現行憲法の前文を含む全条
  項を守り、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざす」(日本共産党綱
  領)ことは、人間解放を求める階級闘争の課題として重要な意義をもつ

 ・とりわけ憲法前文と9条に示される非軍事平和の原則は世界に誇りうるもの
  であり、それを守る「9条の会」の運動には大きな意義がある

 ・しかし同時に憲法の「全条項」を守ることは、搾取の自由を守ることにな
  り、人間疎外からの完全な解放をもたらすものではないことも自覚する必要
  がある

 ・科学的社会主義の学説と運動は、日本国憲法の護憲運動を包摂しつつ、それ
  を乗り越える(止揚する)ものである

 

5.現代日本における
  国家独占資本主義のもとでの人間疎外

① 現代日本は、新自由主義型国家独占資本主義

● 対米従属的な国家独占資本主義

 ・国家と独占資本が一体となり、搾取と収奪を強める国家独占資本主義

 ・「日本株式会社」とよばれる政・財・官の癒着の構造(鉄の三角関係)

 ・アメリカに従属し、アメリカの強い干渉による軍事費、公共投資などの予算
  編成―1993年以来毎年アメリカから「年次改革要望書」が届き、その実行
  状況をアメリカがチェック

● 新自由主義型国家独占資本主義

 ・市場にまかせればすべてがうまく行くという市場原理主義に立って、大企業
  に対する規制や労働者保護法を廃止し、大企業の負担軽減、金融機関の自由
  化を求めることによる独占資本の搾取と収奪を強化しようとするもの

 ・1929年の世界恐慌を機に広がったケインズ型(福祉国家型)国家独占資本
  主義

 ・ケインズ型国家独占資本主義の矛盾から、1980年以降新自由主義型国家独
  占資本主義(レーガノミクス)

 ・アメリカ型資本主義を代表し、ヨーロッパの「ルールある資本主義」に対立
  する概念―ものづくり資本主義からギャンブル資本主義への転換

 ・日本では中曽根内閣のもとにはじまり、小泉「構造改革」により完成、民主
  党政権に継承

● 現代日本の「構造改革」の特徴

 ・労働者派遣法改悪による派遣自由化―不安定雇用の増大

 ・大企業減税と消費税増税―22年間で消費税224兆円、法人税減税208兆円

 ・毎年2200億円の福祉予算の切り捨て

 ・金融自由化と郵政民営化によるギャンブル資本主義への転換

● 新自由主義のもたらした2008年の経済危機

 ・「構造改革」のもとで空前のもうけをむさぼる大企業は「金あまり現象」か
  ら金融投機へ―2010. 9. 8 日銀白川総裁「(大企業の)経営者から『手元資
  金は潤沢だが、問題は使う場所がないことだ』という話をしょっちゅう聞い
  ている」(衆院財務金融委員会)

 ・アメリカにおける金融バブルと過剰生産の崩壊による経済危機の発生

 ・日本独占資本は、金融投機と外需依存により、アメリカ以上の打撃

 ・トヨタが真っ先に派遣労働者のクビを切り、それに他の大企業が続く

 ・政府は自動車、家電大独占に税金投入、生産上昇。路上に投げ出された労働
  者はそのまま放置
  → 今回の経済危機は、さらに大企業と労働者、国民との矛盾を拡大し、人間
   疎外を深刻なものとする


② 現代日本における人間疎外

● 現代日本の新自由型国家独占資本主義は、人間疎外を極限にまで押しすすめ
 ている

 ・ほんらい経済とは「経世済民」(世の中が丸くおさまり、民が救われる)で
  あり、発展すればするほど民の暮らしが良くなり、人間らしく生活できるも
  の

 ・しかし、新自由主義型国家独占資本主義は、経済が発展すればするほど、国
  民は貧困と労働苦を強いられ、人間性の破壊とヒューマニズムの喪失する経
  済

 ・ 利潤第1主義の資本主義は、経済であって経済ではない

● いまこそ人間疎外からの解放、人間解放を高くかかげるべき時代

 ・「いまの社会は、人間の生体にあっていないのではないか」(辺見庸『しの
  びよる破局―生体の悲鳴が聞こえるか』30ページ、大月書店)

 ・「だから何度もいっているのです、人間とは何か。人間とはどうあるべきな
  のかと。何回も何回もいまだからこそそこに立ちかえって、反覆してそのこ
  とを思索しなければならない。すでに、これをやったら経済が回復する、回
  復すればいいと、そういう話じゃないだろうとぼくは思う」(同51ページ)

 ・モノの価値と人間の価値が「ひっくり返った、逆立ちした世界というもの
  を、ちゃんと足が地について、人間の上体が上についているような形に戻し
  ましょう」(同 52~53ページ)