『21世紀の科学的社会主義を考える』より

 

 

第七講 人間解放論

 

一、科学的社会主義は人間解放の真のヒューマニズムの学説

人間解放の社会主義・共産主義

 科学的社会主義の学説は、資本主義社会における搾取と階級を廃止することによって人間を類本質の疎外から解放し、社会主義・共産主義の社会の実現をめざす学説です。
 「階級と階級対立のうえに立つ旧ブルジョア社会に代わって、各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの協同社会(アソシエーション――高村)が現われる」(『共産党宣言』全集④四九六ページ)。
 つまり、人間解放とは、人間疎外からの人間の類本質のより高い形態での回復を意味しており、『古代社会』のモーガンの言葉を借りれば、「それは、古代の氏族の自由、平等、友愛の復活――ただし、より高い形態における復活」(全集㉑一七七ページ)の実現にほかなりません。
 マルクスが最も詳細かつ本格的に人間解放論を論じたのは、人間疎外論を論じた『経・哲手稿』においてです。そこでは人間疎外論と人間解放論とは一対の関係として論じられていますので、それをみてみましょう。
 「人間的自己疎外としての私的所有のポジティブな廃棄、したがってまた人間による、また人間のための人間的本質の現実的獲得としての共産主義。したがって、社会的すなわち人間的な人間としての人間の、意識的に、かつ従来の発展のまったき豊かさの内部でなされた、自身にたいする完全な還帰としての共産主義」(全集㊵四五七ページ)。
 ここでは、まず共産主義とは「私的所有」(生産手段の私的所有)の「廃棄」による搾取と階級の廃止であることが明らかにされ、ついでそのことによる人間疎外からの回復、つまり人間「自身にたいする完全な還帰」を実現することによって「人間的本質」、すなわち人間の類本質の「現実的獲得」に至ったものが共産主義であるとしているのです。
 この『経・哲手稿』は一八四四年四月から執筆されたものですが、その直前に書かれた「ヘーゲル法哲学批判序説」において、マルクスは「人間をいやしめられ、隷属させられ、見すてられ、軽蔑された存在にしておくようないっさいの諸関係を、くつがえ」(全集①四二二ページ)し、人間を「人間にとっての最高の存在」(同)にすることが至上命令であると述べています。この至上命令を実現することこそが、人間解放の社会主義・共産主義としてとらえられており、したがって科学的社会主義は人間を「最高の存在」とする真のヒューマニズムの学説なのです。
 いわば、共産主義とは人間の類本質を否定する人間疎外を今一度否定する「否定の否定」により、本来の人間性を取り戻し、人間の類本質のより高い段階における回復を実現する人間解放なのです。「共産主義は否定の否定としての肯定であり、それゆえに人間的な解放と奪回の、すぐあとにくる歴史的発展にとって必然的な、現実的契機である」(全集㊵四六七ページ)。

社会主義・共産主義は「成就されたヒューマニズム」

 『経・哲手稿』の先ほどの文章に続けて、マルクスはさらに人間解放の共産主義とは何かをより詳しく論じています。
 「この共産主義は成就されたナチュラリズムとしてヒューマニズムに等しく、成就されたヒューマニズムとしてナチュラリズムに等しく、人間と自然との、また人間と人間とのあいだの相剋の真の解消、現存と本質とのあいだの、対象化と自己確証とのあいだの、自由と必然とのあいだの、個と類とのあいだの、抗争の真の解消である」(同四五七ページ)。
 「ナチュラリズム」とあるのは、その少し前に「どれほど人間が類存在として、人間として、出来上がっているか」(同四五六ページ)とか「〔どれ〕ほど人間の自然的なあり方が人間的になっているか」(同)が論じられていますので、本来の人間である自然的人間=類本質を顕現した人間という意味でしょう。
 共産主義とは「成就されたナチュラリズム」、つまり人間性の回復であり、言いかえれば人間を「最高の存在」にするものとして「成就されたヒューマニズム」なのです。社会主義・共産主義が真のヒューマニズムの実現にあることは、二一世紀の社会主義を論じるうえでは極めて重要な視点であるといわざるをえません。
 次の「人間と自然との、また人間と人間とのあいだの相剋の真の解消」とは、人間が自然に働きかけて生産した労働生産物が搾取されることによる自由な意識の疎外という「人間と自然」との相剋、および、搾取から生じる階級対立という「人間と人間とのあいだの相克」の真の解消を意味しています。「現存と本質」とのあいだの抗争とは、疎外された「現存」する人間と、類「本質」としての人間との矛盾を意味し、「対象化と自己確証」とのあいだの抗争とは、労働生産物は本来自己の自由な意識を「対象化」したものでありながら、搾取により「自己確証」するものになっていないという矛盾を意味しています。また「自由と必然」とのあいだの抗争とは、自由な意志にもとづく生産は、資本主義のもとでは搾取の必然性に支配されている矛盾を、「個と類」とのあいだの抗争とは、資本主義社会における疎外された個人と類本質としての人間とのあいだの矛盾を、それぞれ意味しています。
 共産主義は、これらのいっさいの「相剋」や「抗争」、つまり人間疎外をもたらすいっさいの矛盾の真の解決を実現する人間解放の社会としてとらえられているのです。マルクスは「それゆえに私的所有の廃止はあらゆる人間的なセンスと属性の完璧な解放である」(同四六一ページ)と述べています。
 ここにいう「人間的なセンス」とは「人間的本質諸力たることを自証するもろもろのセンス」(同四六二ページ)と言いかえたりしていますので、人間の類本質としての「自由な意識」と「共同社会性」を意味していると思われます。では「属性」とは何でしょうか。この点についてマルクスは何も説明していないのですが、人間に固有の「属性」としての「人間的価値」として理解することができます。
 したがって「あらゆる人間的なセンスと属性の完璧な解放」の社会とは、「その本質のまったき豊かさを具えた人間、……をその社会の恒常的な現実として生み出す」(同四六三ページ)ものであり、言いかえると社会主義・共産主義の社会とは人間の三つの類本質の全面開花の社会ととらえられているのです。
 マルクスが『経・哲手稿』を書いて三十年近く経過して、エンゲルスは『反デューリング論』を著し、そのなかでマルクス、エンゲルスの数ある著作の中でもっとも完成された社会主義論を展開しています。その全体を貫いているのは、第四講で学んだ「概念的自由」の立場であり、人間が自分自身と社会の主人公となることによって「人間的価値」である真の自由を実現する社会を社会主義・共産主義の社会としてとらえています。
 「社会が生産手段を掌握するとともに、商品生産は廃止され、それとともに生産者にたいする生産物の支配が廃止される。社会的生産内部の無政府状態に代わって、計画的、意識的な組織が現われる。……いままで人間を支配してきた、人間をとりまく生活諸条件の全範囲が、いまや人間の支配と統制に服する。人間は、自分自身の社会的結合の主人になるからこそ、またそうなることによって、いまやはじめて自然の意識的な、ほんとうの主人になる。……これは、必然の国から自由の国への人類の飛躍である」(全集⑳二九二ページ)。
 最後の「必然の国から自由の国」とは「必然的自由の国から概念的自由の国」という意味でしょう。「貧困、労働苦、奴隷状態」等の「資本主義的必然の国」から解放され、人間が人間自身と社会の主人公となる「概念的自由の国」が社会主義・共産主義の社会なのです。
 その意味で科学的社会主義は人間を「人間にとっての最高の存在」とする真のヒューマニズムの学説なのです。

 

二、アソシエーション

ルソーの「社会契約国家」

 では、このような人間の類本質の回復を実現する人間解放の社会とは、どんな共同社会なのでしょうか。
 それを解くキーワードが、これまでもあちこちで論じてきた「アソシエーション」です。この言葉は、冒頭に引用した『共産党宣言』にでてくるだけではなく、『資本論』にも「共同的生産手段で労働し自分たちの多くの個人的労働力を自覚的に一つの社会的労働力として支出する自由な人々の連合体(アソシエーション――高村)」(『資本論』①一三三ページ/九二ページ)として登場してきますし、エンゲルスの『家族、私有財産および国家の起原』にも「生産者の自由で平等なを基礎にして生産を組織しかえる社会」(全集㉑一七二ページ)として紹介されています。
 マルクスがアソシエーションの用語を用いるようになったのは、ルソーの『社会契約論』に学んだものでした。マルクスは、いわゆる「クロイツナハ・ノート」(一八四三年夏)でルソーの研究を始め、『社会契約論』の詳細な抜き書きをおこなっています。ルソーのいう「社会契約国家」とは真にあるべき国家であり、一言でいえば「人民の、人民による、人民のための国家」、つまり人民主権の国家です。そこには大きく二つの特徴があります。一つは「人民のための政治」であり、もう一つは「人民による政治」です。
 ルソーにとって「人民のための政治」とは、人民の「一般意志(ヴォロンテ・ジェネラル)」を統治の原理とする治者と被治者の同一性を実現する政治です。「一般意志」とは、人民の「真にあるべき意志」を意味しており、「政治はどうあるべきか」という当為の真理をとらえた意志であり、たんに多数者の意志である「全体意志」から区別されるものです。一般意志にもとづく国家の統治は、人民の真にあるべき政治的意志にもとづくものですから、国家と人民とは支配、服従の関係ではなく、自分自身にのみ服従するというアソシエーションの関係をつくりだすのです。
 「『各構成員の身体と財産を、共同の力のすべてをあげて守り保護するような、結合(アソシエーション――高村)の一形式を見出すこと。そうしてそれによって各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること。』これこそ根本的な問題であり、社会契約がそれに解決を与える」(『社会契約論』二九ページ、岩波文庫)。
 人民主権のアソシエーションとは、一般意志を統治原理とすることにより、人民一人ひとりは「すべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること」ができる治者と被治者の同一性の共同体なのです。
 人民主権のもう一つの特徴は、「人民による政治」です。一般意志のもとで統治するのも人民なら、統治されるのも人民という治者と被治者の同一性の観点からも個と普遍の統一が実現することになります。ルソーは「人民による政治」を人民の権利の側面からとらえました。すなわち、「政府は主権者の公僕にすぎない」(同八四ページ)のであって、彼らは「主権者から委ねられた権力を、主権者の名において行使しているのであり、主権者は、この権力を、すきな時に制限し、変更し、取りもどすことができる」(同)と主張しました。
 つまり「人民による政治」とは選挙で代表者を選べばあとは代表者に政治を委ねるのではなく、人民は権力を監視し、チェックする主権者として日常的に政治に参画する権利をもっていることを意味しています。

人民による政治は人民の権利であると同時に義務

 このようにルソーは「人民による政治」を主権者たる人民の権利と考えたのに対し、たんなる権利ではなく義務でもあると指摘したのがヘーゲル『法の哲学』でした。
 ヘーゲルはルソーに学び、真にあるべき国家を人民主権国家としてとらえ、人民主権国家の強さを「人民による政治」が人民の権利であると同時に義務であるところに求めました。
 人民主権の「国家はおのれの強さを、おのれの普遍的な究極目的と諸個人の特殊的利益との一体性のうちにもっており、また諸個人が同時に権利をもつかぎりにおいて国家に対する義務をもつ、という点にもっている」(『法の哲学』二六一節)。
 人民の一般意志は、国家の「普遍的な究極目的と諸個人の特殊的利益との一体性」を示すものですから、それを上から下まで貫きとおすことは人民の権利であると同時に、自ら国家を統治する主権者の義務でもあるというのです。つまり人民主権の国家においては、国家は「人民のための政治」を究極目的としているのですから、人民は国家の統治に義務として参加することによって「おのれの解放を手に入れ、……実体的自由を得る」(同一四九節)のであり、その意味で権利でもあるのです。
 逆にいえば人民が国家の統治に参加する義務を放棄することは、「人民のための政治」という権利を喪失することになるのです。その意味でヘーゲルの真にあるべき人民主権国家における権利=義務説は、ルソーの「人民による政治」権利説を一歩前進させたものです。後に考察するユーゴスラビアの社会主義の実験にてらしても、これは重要な観点だと思われます。
 それはともかくマルクス、エンゲルスは、このルソーの「アソシエーション」に未来社会の理念を見いだしました。『共産党宣言』における「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるようなひとつのアソシエーション」とは、『社会契約論』のアソシエーションを念頭におきながら執筆したものとみることができます。
 また「ドイツ・イデオロギー」において「真の共同社会においては、諸個人は、彼らの連合(アソシエーション)のなかで、また連合(アソシエーション)をとおして、同時に彼らの自由を獲得する」(『「新訳」ドイツ・イデオロギー』八五ページ)と述べているのも、同様に自由にかんする個と普遍の統一を論じたものです。

人間解放の社会は個と普遍の統一したアソシエーション

 さらにマルクスは、一八四三年秋に執筆した論文「ユダヤ人問題によせて」のなかで『社会契約論』から次の文章を引用して、「政治的人間の抽象化をルソーが次のようにえがいているのは正しい」(全集①四〇六ページ)としています。
 「一つの人民に制度をあたえようとあえてくわだてるほどの人は、いわば人間性をかえる力があり、それ自体で一つの完全で、孤立した全体であるところの各個人を、より大きな全体の部分にかえ、その個人がいわばその生命と存在とをそこから受けとるようにすることができ、身体的にして独立的な存在に部分的にして精神的な存在をおきかえることができる、という確信をもつ人であるべきだ」(同)。
 この箇所も社会契約国家を説明した箇所であり、社会契約国家とは、主権者である個々の人民が普遍者である国家からより大きな「生命と存在」とを受けとる個と普遍の統一国家であることを示しています。
 マルクスは、フランス革命の人権宣言は個のみを強調し、利己的な人間の自由・平等を生みだしたのみであって、真の人間解放は、自由、平等な公民(主権者たる地位)を取り戻す個と普遍の統一にあると理解して、次のように続けています。
 「現実の個別的な人間が、抽象的な公民を自分のうちにとりもどし、個別的人間のままでありながら、その経験的な生活において、その個人的な労働において、その個人的な関係において、類的存在となったときはじめて……人間的解放は完成されたことになるのである」(同四〇七ページ)。
 人間は、利己的存在としての「個人的人間」としてではなく、「共同社会性」という類本質を回復して主権者という「抽象的公民を自分のうちにとりもどし」、個と普遍を統一した存在となったとき、はじめて「人間的解放は完成されたことになる」のです。
 この箇所は、政治的アソシエーションについて言及したものですが、これに対して先にみた『資本論』における「共同的生産手段で労働し自分たちの多くの個人的労働力を自覚的に一つの社会的労働力として支出する自由な人々のアソシエーション」というのは、経済的アソシエーションについて述べたものであり、ここでも同様に個と普遍の統一の見地が貫かれています。
 こうしてマルクスのアソシエーションは、未来社会のキーワードとなるものであり、搾取と階級なき社会主義・共産主義とは経済的にも政治的にも個と普遍の統一でなければならないことを示す概念となっています。

 

三、経済的アソシエーション

コンバインドな労働とアソシエイティッドな労働

 マルクスは、同じ「結合した」労働を意味する「コンバインドな労働」と「アソシエイティッドな労働」を使い分けていました。前者は資本によって強制的に結合された労働を意味し、後者は自由な意志にもとづく対等・平等な関係で結合した労働を意味しています。
 マルクスは、「資本によって『コンバインされた』労働者たちが、危機と闘争の中で、モラル的政治的成長をとげて、自己統治能力を展開し、たんなる『コンバインドな』労働を『アソシエイティッドな』労働へと主体的に転換していくプロセスこそ、近代共産主義運動の基本内容をなす」(田畑稔『マルクスとアソシエーション』二七ページ、新泉社)と考えていたのです。
 資本家階級の存在しない社会主義・共産主義社会において、これまで資本に従属し、賃金で雇われていた労働者は、もはや労働者ではなく生産者に転化すると同時に、経営体(企業)における経営主体として「自己統治能力」をもとめられることになります。エンゲルスは『共産主義の原理』において、社会主義・共産主義とは「すべてこれらの生産部門を、全社会によって、すなわち共同の計算で、共同の計画にしたがって、また社会の全員を参加させて、経営される」(全集④三八八ページ)社会としてとらえ、「それは、競争を廃止し、そのかわりに、をもってくる」(同)と述べています。
 資本主義社会にあって、資本家の存在しない企業が、協同組合です。マルクスは協同組合工場を「資本主義的生産様式から結合的(アソシエイティッドな――高村)生産様式」(『資本論』⑩七六四ページ/四五六ページ)への積極的な過渡的形態であると指摘しています。協同組合運動の「大きな功績は、資本にたいする労働の隷属にもとづく、窮乏を生みだす現在の専制的制度を、自由で平等な生産者の連合社会(アソシエーション――高村)という、福祉をもたらす共和的制度とおきかえることが可能だということを、実地に証明する点にある」(全集⑯一九四ページ)のです。
 なるほど協同組合は「自由で平等な生産者のアソシエーション」の萌芽ではありますが、資本主義的生産様式に包囲され、市場原理にさらされているため、利潤第一主義から自由になりえていないという制約をもっています。

自由で平等な生産者のアソシエーション

 これに対して社会主義・共産主義のもとにあっては、搾取と階級が廃止されることにより、利潤第一主義から国民のくらし第一主義への転換がおこなわれますから、経済的に「自由で平等な生産者のアソシエーション」をつくりあげることが原理的に可能となります。
 生産者は自分たちの手で生産手段を管理・運営し、生産、分配計画をたて、原材料を購入して生産し、生産物を所有し、管理し、分配することになります。生産者は一個人として生産労働に従事すると同時に、経営体の一員として主体的に経営に参加することによって、個と普遍の統一を実現するのです。
 「自由で平等な生産者のアソシエーション」のいくつもの結合としての社会主義・共産主義社会では、搾取から解放されることで貧富の格差が解消され、すべての国民に等しく豊かな生活が保障されます。また、つりあいのとれた計画経済により、資本主義的な「生産のための生産」(『資本論』④一〇二一ページ/六二一ページ)から解放され、「消費のための生産」つまり国民の生活要求に応じた生産、環境保全の「持続可能な発展」への道が開かれます。その結果、生産と消費の矛盾としての恐慌は消滅して計画的・持続的発展は可能となり、強制的な消費拡大としての軍需産業やムダな公共事業は廃止され、社会保障、医療、教育への優先的予算配分が実施されることになります。

 

四、政治的アソシエーション

階級支配の機関としての国家の揚棄

 階級の消滅とともに、階級支配の機関としての国家も揚棄されてしまいます。
 「国家がついにほんとうに全社会の代表者となるとき」(全集⑳二八九ページ)、抑圧すべき階級は消滅してしまうため、公的強力の必要性はなくなり、「それは自分自身をよけいなものにしてしまう」(同)のです。
 これは、いわゆる科学的社会主義の「国家死滅論」を述べたものです。エンゲルスは『反デューリング論』で「国家死滅論」を次のように論じています。
 「社会関係への国家権力の干渉は、一分野から一分野へとつぎつぎによけいなものになり、やがてひとりでに眠りこんでしまう。人にたいする統治に代わって、物の管理と生産過程の指揮とが現われる。国家は『廃止される』のではない。それは死滅するのである」(全集⑳二八九~二九〇ページ)。
 つまり国家の死滅というのは、階級支配の機関としての国家の中心的な要素である公的強力の必要性がなくなり、国家は人を統治するのではなく人間の類本質を実現し、かつ経済を統治するものに質的に変化することを意味しているのです。したがって国家による社会主義的な計画経済や、自由と民主主義を実現する法と政治の役割まで否定するものではありません。「原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会」(日本共産党綱領)というのも、科学的社会主義の「国家死滅論」にたって公的強力そのものが不必要になる社会というものでしょう。
 国家としての国家の揚棄により、国家は本質と現象――階級支配の本質と共同利益実現の現象――との分裂という二面性を揚棄し、共同利益の実現に一本化され、本質と現象の同一性が定立されることになります。これが階級支配の機関としての国家の死滅であり、「国家は『廃止される』のではない。それは死滅する」のです。

「人民のための政治」の実現には導き手が必要

 国家を揚棄した国家における国家と人民との関係は、治者と被治者の同一性による政治的アソシエーションです。言いかえると、「人民の、人民による、人民のための政治」という人民主権国家の実現です。それは「人民による」政治として、人民の普通選挙にもとづく政治ですが、それだけでは「人民のための政治」にならないことはいうまでもありません。多数決は必ずしも真ならず、なのです。
 「人民のための政治」を実現するには、ルソーのいう一般意志が形成されなければなりません。ルソーは一般意志を実現する法を制定するには、すぐれた知性をもつ人民の導き手としての「立法者」が必要であり、立法者は「すぐれた知性」(『社会契約論』六一ページ)をもち、「われわれの幸福のために喜んで心をくだき、最後に、時代の進歩のかなたに光栄を用意しながらも、一つの世紀において働き、後の世紀において楽しむことができる、そういう知性でなければなるまい」(同六一~六二ページ)として、「人々に法を与えるには、神々が必要であろう」(同六二ページ)とまでいっています。
 したがって、ルソーは人民主権国家を唱えながらも、そのための「神々」に等しい「立法者」が現実的には存在しないところから、母国フランスでも人民主権が実現されるとは考えませんでした。「ヨーロッパには、立法可能な国がまだ一つある。それは、コルシカの島である」(同七六ページ)と述べるにとどまっています。
 では人民が神々にも等しい「立法者」をもつことなく革命に突入するとどうなるでしょうか。その場合は「動乱が人民を破壊することはありえても、革命が人民を再建することはできない。そしてその鉄鎖が断ちきられたとたんに、人民もばらばらになり、もはや存立しない」(同六九ページ)ことになってしまうというのです。
 ルソーの死後、わずか十一年で勃発したフランス革命は、ルソーの不安が決してではなかったことを示しました。ロベスピエールの率いるジャコバン独裁のもとで、ルソーの人民主権論をかかげた一七九三年憲法が制定されたものの、実際には、断頭台を血の海と化す恐怖政治がもたらされました。
 隣国のプロシアでフランス革命の顛末を見届けたヘーゲルは、フランス革命のかかげた自由の精神には終生強い共感をよせ、かつ一般意志にもとづく人民主権の政治を自己の信条としながらも、「定形のない塊り」としての人民が政治に参加する「人民による政治」には強い反発を示しました。
 「人民という言葉は往々にして個々人としての多くの人々の意味に解されるが、……これは定形のない塊りであって、その動きとふるまいは、まさにそれゆえに自然力のように暴力的で、無茶苦茶で荒々しく、恐るべきものであるであろう」(『法の哲学』三〇三節注解)。
 そのうえで、ヘーゲルは「君主主権に対立させられた国民主権は、国民についてのめちゃな表象に基づく混乱した思想の一つである。国民というものは、君主を抜きにして解されたり……する場合は、定形のない塊りであって、これはもはや国家ではない」(同二七九節注解)として立憲君主制を合理化しています。
 人民の一般意志は、「人民のなかから生まれざるをえないが、しかし人民のなかから生まれることはできないとの矛盾」を解決することなしに「人民のための政治」を実現することはできませんし、したがって治者と被治者の同一性という政治的アソシエーションを実現することもできないのです。

 

五、人民の導き手としての科学的社会主義の政党

労働者階級の解放と人民の解放

 マルクスは、史的唯物論を定式化して示した『経済学批判序言』(一八五八年)において、「私のそれまでの研究では、フランスの諸思潮の内容自体についてなんらかの判断をあえてくだすことはできない」(全集⑬六ページ)として、「ヘーゲルの法哲学の批判的検討」(同)に入ったことを明らかにしています。「フランスの諸思潮」とは、いうまでもなくフランスの社会主義・共産主義の思想潮流を意味しています。
 ルソーの『社会契約論』を研究してきたマルクスにとっても、人民の一般意志にもとづく統治こそ真にあるべき統治であるとしても、ルソー自身が提起した果たしてそれを実現することは可能なのかとの問題意識は、ヘーゲルの『法の哲学』の批判的検討をするうえで避けて通れない課題でした。
 マルクスは「ヘーゲル国法論批判」(一八四三年夏)で、民主制と君主制を対置してヘーゲル批判を展開しています。そこでは、民主制とは「普遍と特殊との真の一体性」(全集①二六四ページ)であって「現実的に全人民(デモス)の契機」(同二六三ページ)であるから、「民主制は体制の類である」(同)のに対し「君主制は一つの種、しかも不良種である」(同)と指摘するにとどまっています。
 マルクスのいう「民主制」とは、ルソーのいう個(特殊)と普遍の統一を実現した人民主権国家を意味しています。しかしここで回答すべき、人民の手に委ねて果たして人民の一般意志が形成されるのかどうかという問題について、マルクスは沈黙を守っています。ヘーゲルの問題提起の意義は十分承知しながらも、まだこの段階では回答を持ちえなかったというべきでしょう。
 一八四三年一〇月、マルクスは一八三〇年の七月革命にみられるような革命の息吹きのたちこめるパリに移住します。そこで執筆した「ヘーゲル法哲学批判」では、その回答に向けて一歩足を踏み出し、人民解放の担い手がプロレタリアートであることを発見することになります。
 「それではドイツの解放の積極的な可能性はどこにあるのか? 解答。それはラディカルな鎖につながれた一つの階級の形成のうちにある」(全集①四二七ページ)として、それがプロレタリアートであるととらえます。マルクスはプロレタリアートを「社会の他のあらゆる領域を解放することなしには、自分を解放することのできない」(同)階級としてとらえ、「ドイツ人の解放は人間の解放である。この解放の頭脳は哲学であり、それの心臓はプロレタリアートである」(同四二八ページ)としています。
 すべての支配され抑圧される人民の解放なしに労働者階級の解放はありえないとすれば、人民解放のための人民の一般意志形成の課題に労働者階級はどう関わるのでしょうか。マルクスの問題意識は発展し、一八七一年のパリ・コミューンの経験を経て、この問題への回答として「プロレタリアート執権」論が確立されることになるのです。
 マルクス、エンゲルスにとって、資本家によって直接搾取され、類本質を疎外されているプロレタリアート(労働者階級)が、社会変革の階級闘争の先頭に立つのはあまりにも当然のことでした。ですから『共産党宣言』では、「労働者革命の第一歩は、プロレタリアートを支配階級の地位に高めること、民主主義をたたかいとること」(全集④四九四ページ)とされています。プロレタリアートの権力は「民主主義をたたかいとる」ことにより人民全体を解放する任務をもつことが早くも示されていることに注目したいと思います。
 プロレタリアートが歴史上はじめて独立の階級として歴史の舞台に登場したのは、フランスの二月革命(一八四八年)であり、このなかで「ブルジョアジーの転覆!労働者階級の執権!」(全集⑦三一ページ)のスローガンが登場します。

パリ・コミューンこそ「プロレタリアート執権」

 一八七一年のパリ・コミューンは、二月革命以来頭角をあらわしてきた労働者階級の被抑圧人民に対する主導性がはじめて明確になった革命でした。これが「パリ・コミューン」とよばれたのは、当時の「愛国的で革命的なパリの民衆の心情を共通に支配していたのは、何よりもフランス大革命時のコミューン、それも王制を転覆し、ジロンド派の支配を打ち倒した『反乱のコミューン』への熱烈な追慕の念」(桂圭男『パリ・コミューン』九ページ、岩波新書)からでした。このフランス大革命時の「反乱のコミューン」が「第二革命」を実現し、第一共和制と人民主権を規定した一七九三年憲法を生みだしたのであり、それへの「熱烈な追慕の念」として約八十年の時を隔てて「パリ・コミューン」の名称が復活したのです。
 したがって七一年コミューンは、ルソーの人民の一般意志にもとづく人民主権を実現し、人民の、人民による人民のための政治をめざすものでした。コミューンの推進力・国民軍結成の契機となった二〇区代表団の「原則宣言」は次のように述べています。
 「政治的領域においては、共和制を多数決原理の上に置く。それ故に、多数者が国民投票という直接的手段によるにせよ、彼らの道具である議会という間接的手段によるにせよ、人民主権の原則を否定する権利を認めない」(同九七ページ)。
 ここにいう「共和制」とは人民主権国家を意味しています。この宣言は、人民の多数の意志よりも人民の一般意志を上位におき、一般意志にもとづく「人民主権の原則」を強調したものとして特記されるべきものです。したがってコミューンは、マルクスが「フランスにおける内乱」で指摘したように、文字どおり「人民による人民の政府」(全集⑰三二三ページ)、「人民自身の政府」(同三三五ページ)でした。
 このとき公然と人民の先頭に立って人民の一般意志の導き手となったのが、労働者階級でした。労働者階級が導き手となって、はじめて「定形のない塊り」としての人民は一つにまとまり、人民の一般意志を実現する勢力となったのです。コミューンは、この意味で労働者階級がすべての被抑圧人民の導き手となった歴史上はじめての人民主権の政府、人民の、人民による、人民のための政府だったのです。
 パリ・コミューンは「労働者階級が社会的主動性を発揮する能力をもった唯一の階級であることが、……パリの中間階級の大多数――小店主、手工業者、商人――によってさえ、公然と承認された最初の革命」(同三二〇ページ)でした。コミューンは労働者階級の主導性のもとに実現した最初の人民主権の政府だったのです。
 「コミューンは、こうして、フランス社会のすべての健全分子の真の代表者であり、したがって真に国民的な政府であったが、それと同時に、労働者の政府」(同三二三ページ)であり、「本質的に労働者階級の政府」(同三一九ページ)でした。
 エンゲルスは、プロレタリアート執権が「どんなものかを諸君は知りたいのか? パリ・コミューンをみたまえ。あれがプロレタリアートの執権だったのだ」(同五九六ページ)と宣言しました。このことによって「プロレタリアート執権」とは、神のような天才的な個人ではなく、労働者が階級的に結集して人民の導き手となり、人民の一般意志を示して人民の、人民による、人民のための政治を実現する権力であることを明確にしたのです。
 しかし残念ながら、マルクスはコミューンが「人民自身の政府」であると「同時に、労働者の政府」と指摘するにとどまり、人民自身の政府と労働者の政府とがいかなる関係にあるのかを明確にせず、しかも「人民自身の政府」とは一般意志を実現する人民主権の政府であることも直接的には語りませんでした。そこから後に「プロレタリアート執権」への誤解と歪曲がすすむことになります。
 では、労働者が階級的に結集するとは、どういうことでしょうか。『共産党宣言』では共産主義者の当面の目的の一つが「プロレタリアートを階級に結成すること」(全集④四八八ページ)にあると指摘していますが、それは労働者を独自の政党のもとに結集してこそ実現しうるのです。

科学的社会主義の政党の主導性のもとでの人民主権

 「あらゆる真のプロレタリア政党は、つねに階級的政策を、独立の政党へのプロレタリアートの組織化を、闘争の第一条件としてかかげ、プロレタリアートの執権を闘争の当面の目標としてかかげてきた」(全集⑱二六四ページ)。
 労働者は労働者階級の「階級的政策」を実行する独自の政党を結成し、そのもとにプロレタリアートを組織してこそ、階級的に結集することになり、それによって被支配階級全体の導き手となり、プロレタリアート執権を実現することができるのです。マルクス、エンゲルスによって執筆された一八七一年の第一インターナショナル代表者協議会の決議は次のように述べています。
 「労働者階級が有産階級のこの集合権力に対抗して階級として行動できるのは、有産階級によってつくられたすべての旧来の党から区別され、それによって対立する政党に自分自身を組織する場合だけであること。労働者階級をこのように政党に組織することは、社会革命とその終極目標――階級の廃止――との勝利を確保するために不可欠であること」(全集⑰三九五ページ)。
 マルクス、エンゲルスはそれまでドイツ亡命革命家を中心に組織された正義者同盟(義人同盟)を改組して、一八四七年自ら労働者階級の最初の国際的政党「共産主義者同盟」を結成し、その綱領として『共産党宣言』を発表したのです。こうして労働者階級の政党は、科学的社会主義の学説に導かれた科学的社会主義の政党となります。
 科学的社会主義の政党が導き手となって、はじめて「定形のない塊り」としての人民は人民の一般意志を形成し、人民主権の政治を実現しうるのです。いわば科学的社会主義の政党が導き手となることによってはじめて、「人民の一般意志は、人民のなかから生まれざるをえないが、しかし人民のなかから生まれることはできないとの矛盾」を解決することができるのです。また科学的社会主義の政党が導き手になることによってはじめて、被抑圧人民は利己的個人から普遍的人間へとむかい、主権者の自覚をもって権利と同時に義務である国家の統治に参画し、治者と被治者の同一性を実現することになるのです。
 科学的社会主義の政党は、第八講で学ぶように真理認識の唯一の思惟法則である弁証法的唯物論をつかって「世界はどうあるべきか」の真理である一般意志を人民の前に提示し、人民の行く手を指し示すことによって人民の導き手となります。提示された「一般意志」は真理のもつ力によって人民の意志となり、全人民の一般意志に転化するのです。
 科学的社会主義の政党が「一般意志」という当為の真理を示すことによって人民の導き手となることを、「科学的社会主義の政党の主導性」とよびたいと思います。労働者階級が独自の政党を組織すべき理由はここにあるのです。
 言いかえると、マルクス、エンゲルスのいう「プロレタリアート執権」とは労働者階級の政党の主導性と人民主権との統一を意味し、だからこそパリ・コミューンは「労働者の政府」であると同時に「人民自身の政府」とよばれることになったのです。

哲人政治

 資本家階級は、搾取と階級支配という真実を隠蔽することに利益を感じますが、逆にプロレタリアートは真実を明らかにすることを利益としています。さらに労働者階級の政党は、科学的社会主義の哲学、弁証法的唯物論という真理認識の武器をもつことによって、真理を探究し人民の一般意志という人民の政治的当為の真理を人民の前に提示し、その導き手となることができるのです。
 プラトンは主著『国家』のなかで「哲人政治」を唱えました。すなわち「哲学者たちが国々において王となって統治するのでないかぎり」(プラトン全集⑪三九四ページ、岩波書店)、言いかえると「政治的権力と哲学的精神とが一体化」(同)されないかぎり、「国々にとって不幸のやむときはない」(同)と考えました。なぜなら「哲学者とは、つねに恒常不変のあり方を保つものに触れることのできる人々のことであり、他方、そうすることができずに、さまざまに変転する雑多な事物のなかにさまよう人々は哲学者ではない」(同四一八ページ)からです。ここにいう「恒常不変のあり方を保つもの」とは、イデア(真実在、真にあるべき姿、当為の真理)を意味しています。プラトンは「雑多な事物のなかにさまよう」のではなく、政治の真にあるべき姿(イデア)に触れることのできる哲学者こそが国の担い手とならなければならないと考えたのです。国家というものは常に真にあるべき法と政治を追求していくべきものだからです。
 労働者階級の政党=科学的社会主義の政党は、真理認識の武器である弁証法的唯物論をもつことによって、プラトンのいう「哲人政治」を担う資格を手にします。しかしそれはあくまで資格を手にするのみであって、実際には、弁証法的唯物論を駆使して歴史的な長い革命の過程における当為の真理を不断に探求し続けることで、人民のよき導き手であり続けることによってのみ「哲人政治」を現実のものになしうるのです。
 言いかえると科学的社会主義の政党の任務は、何よりも人民の前に当為の真理を示すという理論的主導性を発揮することにあります。その任務を果たしえなければ、科学的社会主義の政党は人民の導き手になりえないだけでなく、「哲人政治」を担う資格も失うことになります。この理論的主導性が存在してはじめて科学的社会主義の政党は実践的にも人民の導き手としての組織的主導性を発揮することができるのであり、理論的主導性を示すことのないまま組織的主導性のみをふりまわすことが、どんな悲劇を生みだすかは、後にソ連型社会主義のところで詳しくお話しします。
 ルソーは、一般意志をつくり出す「立法者」の権威は「暴力を用いることなしに導き、理屈をぬきにして納得させうる」(『社会契約論』六五ページ)ところに生じるとしていますが、マルクスは「クロイツナハ・ノート」のなかで、この箇所に太く傍線を引いています。マルクスは、ルソーのいう「立法者」を科学的社会主義の政党としてとらえたのではないでしょうか。科学的社会主義の政党が一般意志という当為の真理を人民の前に提示し、人民を「理屈をぬきにして納得」させることによって人民の導き手となり人民主権を実現することをもって、マルクスは「プロレタリアートの執権」としたものと思われます。
 なお「プロレタリアート執権」とは「プロレタリア・ディクタツーラ」の訳です。かつて「ディクタツーラ」が「独裁」と訳されていたところから、「プロレタリア・ディクタツーラ」とは「共産党の独裁」であるとの反共宣伝がなされたことがありました。そうした経験から「プロレタリアート執権」と訳されるようになり、日本共産党は一九七六年の臨時党大会でさらに「労働者階級の権力」に改めました。しかしそれでもなお「労働者階級の権力」とは何かについて説明を必要とするため、二〇〇四年の綱領改定でこの用語は使われなくなりました。しかし内容的には「プロレタリアート執権」概念が保存されていることについては、第一九講でふれたいと思います。

 

六、科学的社会主義は人間を「最高の存在」とする
  真のヒューマニズムの学説

 科学的社会主義の学説は、人間疎外から人間の類本質を回復する人間解放の理論として誕生しました。それは人間を「人間にとっての最高の存在」(全集①四二二ページ)とする真のヒューマニズムの学説です。
 それが真のヒューマニズムであるとする根拠は、ヒューマニズムを一人ひとりの人間が他の人間を人間として尊重すべきだとする道徳や倫理の問題としてではなく、社会の構造にかかわる問題としてとらえ、しかも「ブルジョア啓蒙運動の最初の形態、すなわち一五世紀と一六世紀の『ヒューマニズム』」(全集㉒二一ページ)のような抽象的なヒューマニズムではなく、人間疎外をもたらす搾取と階級そのものを廃止して人間を「人間にとっての最高の存在」とする具体的かつ科学的ヒューマニズムの立場にたっているところにあります。
 マルクス、エンゲルスは「聖家族」において自分たちの哲学を「人間主義と一致する唯物論」(全集②一三〇ページ)とよびました。同じ頃に著されたマルクスの「フォイエルバッハにかんする第一〇テーゼ」では、「旧来の唯物論の立場は、ブルジョア的な社会であり、新しい唯物論の立場は、人間的な社会、または社会的な人類である」(『「新訳」ドイツ・イデオロギー』一一三ページ)と述べています。
 ここにいう「古い唯物論」とはフォイエルバッハの唯物論であり、それは「ブルジョア的な社会」、つまり資本主義社会のうえに立つ唯物論であるのに対し、マルクスの「新しい唯物論」は、「社会的な人類」という人間の類本質を回復した真に「人間的な」(ヒューマニズムの)社会としての社会主義・共産主義を展望する真のヒューマニズムの学説であることをこのテーゼは明らかにしています。
 マルクスが史的唯物論を定式化した『経済学批判序言』では、資本主義社会を最後の階級社会としてとらえ、「この社会構成でもって人間社会の前史は終わる」(全集⑬七ページ)と締めくくっています。この「人間社会」とは、「フォイエルバッハにかんする第一〇テーゼ」との関連を考えれば「"真に人間的な社会"としての将来社会(共産主義社会)」と解すべきだとする牧野広義氏の見解(「マルクスの変革の哲学」『唯物論と現代』五四ページ)に賛同するものです。
 科学的社会主義の学説にとって「社会主義論」はその中心的な位置づけをもつものです。社会主義・共産主義社会とは人間を「最高の存在」とする真のヒューマニズムの社会であり、したがってその実現をめざす「階級闘争論」もまた真のヒューマニズムの運動とすることによって、科学的社会主義は真のヒューマニズムの学説となっているのです。