2010年12月25日 講義
第8講 科学的社会主義の哲学 ①
──弁証法的唯物論
1.科学的社会主義の哲学は1つの世界観
① 誰もが何らかの世界観をもって生活している
● 世界は大きく「自然」「社会」「人間」からなる
・世界全体をとらえるものの見方が世界観
・世界観には、自然、社会、人間をバラバラにとらえる世界観と、統一的、体
系的にとらえる世界観とがある
・統一的、体系的世界観として哲学的世界観、宗教的世界観、芸術的世界観な
どがある
● 哲学的世界観は、世界全体を理論的、体系的に把握しようとする
・世界全体を理論的、体系的に把握しようとすると、科学的に真理を探究する
道に進まざるをえない
・哲学は、世界全体の真理を探究しようとすることによって、すべての経験諸
科学を包摂する学問として登場
● 19世紀まで、哲学は学問の王者として「他の諸科学の上に立つ」(全集⑳ 24
ページ)存在
・アリストテレスの哲学にはじまり、ヘーゲルに至るまでの哲学は、世界全体
を科学的にとらえようとした
・19世紀まで、哲学と科学とは同義―寒暖計は「哲学的器械」、「哲学的原理
に基づいた毛髪保護法」(『小論理学』7節)
・19世紀のドイツ古典哲学の頂点に立つヘーゲル哲学は、「論理学」「自然哲
学」「精神哲学」の3部からなり、世界全体をとらえようとするもの
・科学の発展により自然をとらえる「自然科学」社会をとらえる「社会科学」
人間をとらえる「人文科学」は哲学から独立していく
・「これまでのいっさいの哲学のなかでなお独立に存続するのは、思考とその
諸法則とにかんする学問―形式論理学と弁証法である。そのほかのものは
皆、自然と歴史とに関する実証科学に解消してしまう」(全集⑳ 24~25
ページ)
● 哲学に残されるのは、いかにして真理を認識するかという「認識論」におけ
る真理しかない
・哲学は、世界全体の真理を認識するための思惟法則(思考方法、思考の枠組
み)としての形式論理学と弁証法に収斂していく
・形式論理学も弁証法もともに必要
② 哲学は真理を認識する
● 真理とは、思考と存在との同一性(唯物論的真理観)
・すべての動物は、食物を摂取するために存在する自然を反映する機能をもつ
・人間の思考は動物一般のもつ反映機能を最高度に発達させたもの
・思考は、存在を反映しながらも、その抽象作用により相対的に独立し、存在
から区別されている
・存在から区別された思考が存在と同一にまで到達することを客観的真理とい
う
・人類の類的認識は、相対的・特殊的真理から絶対的・普遍的真理に無限に前
進していく人類史的過程
・真理は客観的真理であるがゆえに科学的に検証しうる
● 観念論的真理は、科学的に検証しえない
・神の言葉に一致する認識が真理(客観的観念論の真理)
・自分が真理だと思うものが真理(意識の自惚れ、確信だけが問題)とか「一
般の一致が真理」とする(主観的観念論の真理)
● 哲学は2つの真理を認識しようとする
・1つは、世界がどのようにあるかの根本的真理の探究(自然や社会、人間の
真理の探究)
・もう1つは、世界はどうあるべきか、またそれに関連して人間はどう生きる
べきかの根本的真理の探究―人間的価値観の形成という人間の第3の本質に
由来するもの
・両者の関係がどうあるべきかの真理の探究(一元論か二元論か)
● 科学的社会主義の哲学としての弁証法的唯物論は2500年の哲学の総括から生
まれた2つの真理認識の思惟法則
2.弁証法的唯物論とは何か
① 弁証法的唯物論とは
「唯物論」と「弁証法」の
2つを意味するものではない
● 教科書によると弁証法的唯物論とは、「①唯物論 ②弁証法」として叙述され
ることがある
・しかし、こういう2つの思惟法則が、並置された(「もまた」)の関係にお
いて2つの真理認識の方法として存在するのではない
● 科学的社会主義の哲学は、「弁証法的唯物論」という1つの哲学であり、1
つの真理認識の方法
② 唯物論は、真理認識の前提となるものの見方
● 世界がどのようにあるのかの真理を認識するとは、現にある世界(客観)を
第一次的、根源的なものととらえ、それを人間が現にあるがままに認識する
(人間の主観、意識のうえに反映する)ことを意味している(思考と存在の
同一性)
・これは、世界における第一次的、根源的なものは客観(物質)であり、主観
(意識)は、客観を反映した二次的なものととらえるものであり、これが唯
物論とよばれるもの
●「われわれは現実の世界―自然と歴史―を、先入見となっている観念論的幻
想なしに、それに近づくどの人間にも現われるままの姿で把握しようと決心
したのである。……そして唯物論とは、これ以上の意味をまったく持ってい
ない」(『フォイエルバッハ論』全集 297ページ)
● 唯物論に対立する観念論
・観念論とは、人間の意識、主観あるいは神のような精神的なものこそ第一次
的、根源的なものとする非科学的な立場
・人間の意識が、動物のもつ反映論的機能の一形態であることを見失うもの
・観念論は人間の存在する以前に宇宙や地球が存在していたことを否定する結
果につながる
③ なぜ観念論は現在においてもはびこっているのか
● 認識論的根拠 ①
・科学的知見によって未解明な分野が残されており、それを観念論的根拠に求
める
・生命の誕生や生命のもつ神秘性(免疫)、暗黒物質、反物質の世界など
● 認識論的根拠 ②
・真理の認識は事物の抽象化をつうじて実現されるが、抽象化は同時に観念論
に道をひらく
・「思惟は、具体的なものから抽象的なものへと上昇しながら―もしその思惟
が正しいものであれば―真理から遠ざかるのではなく、真理へ近づくのであ
る」(レーニン『哲学ノート』全集 141ページ)
・抽象化が正しくなければ、観念論に接近する
● 認識論的根拠 ③
・反映論的認識をつうじて、創造的意識に到達する
・人間の意識の創造性を一面的に肥大化することによって、人間も自然の一部
であり、反映論的認識をもつことを見失い、精神を第1次的なものと考える
観念論に導く
● 階級的根拠
・現実への関心を失わせるものとして、支配階級の側から意識的にイデオロ
ギー操作として観念論が持ち込まれる
④ 唯物論の立場に立つと、世界の真理は
弁証法的な対立物の統一であることがみえてくる
● 弁証法とは、唯物論的に対象となる事物を考察すると、すべての事物は、自
立していると同時に連関・連鎖のうちにあり、静止していると同時に運動、
変化、発展のうちにあることを真理として認める立場
・「われわれが自然、人間の歴史、ないしはわれわれ自身の精神活動を考察す
る場合に、まず第1にわれわれの前に現われるのは、もろもろの連関と交互
作用が限りなくからみ合った姿である。このからみ合いのなかではどんなも
のも、もとのままのものではなく、もとのままのところ、もとのままの状態
にとどまってはいないで、すべてのものが運動し、変化し、生成し、消滅し
ている」(『空想から科学へ』全集⑲ 199ページ)
・このエンゲルスの記述は、形式論理学の一面性(自立性、固定性)を批判す
る論理の展開上、弁証法をも一面的に、連関と運動として描き出していると
いう問題を含んでいる―弁証法は形式論理学に対立するものではなく、形式
論理学を包摂する
・真理は、「対立物の統一」すなわち自立と連関の統一、静止と運動の統一と
いう弁証法のうちにある
● 弁証法の真理性は、現在の量子論による宇宙の歴史の解明によって裏付けら
れている
・われわれの宇宙は、粒子と反粒子の対生成と対消滅(対立物の統一)をくり
返している真空の場のゆらぎのもつエネルギーによってビックバンが生じ、
水素とヘリウムにはじまり、星の内部で核反応や超新星爆発などをつうじ
て、現在のわれわれが認識しているいっさいの元素と物質とが生じた
・1つの物質からはじまってすべての物質が生じたのだから、すべての物質は
「もろもろの連関と相互作用」のうちにある―地球は地球として自立しなが
らも、太陽系惑星の1つとして太陽との連関・相互作用のうちにある
・われわれの宇宙とそれを構成する物質もすべて138億年の歴史をつうじて
歴史的に形成されてきたから、すべての物質は、固定し、静止しながらも、
運動、変化、発展している―地球は、地球として固定し、存在しながらも、
地球の歴史をもち、変化している(温度や大気の変化、大陸の変化、生物の
誕生、変化)
● 世界のすべての事物を単に自立し、静止したものとしてのみならず、連関
し、運動するものとしてとらえるという対立物の統一により弁証法的唯物論
は唯一の真理認識の方法となる
・対立物の統一とは、対立する2つのものが、分離されたままにとどまるので
はなく、相互媒介の関係にあること
・自立しながら連関し、静止しながら運動する
⑤ 弁証法的唯物論の真理観
● 弁証法的唯物論は、真理の認識を肯定する
・弁証法的唯物論は、「思考と存在の同一性」を肯定する科学的世界観とし
て、経験諸科学と共通の土台にたつ
・不可知論(カント、ヒューム)は思考と存在の同一性の問題に疑問を提示す
る
・不可知論への「最も適切な反駁は、実践、すなわち実験と産業とである」
(全集 280ページ)
● 真理をとらえようとすれば、その事物に即してその事物それ自体を考察し、そ
の事物を自立と非自立の統一、静止と運動の統一としてとらえざるをえない
・事物を唯物論的に考察すれば、弁証法的に対立物の統一としてとらえざるを
えない
・「現代の唯物論は本質的に弁証法的」(全集⑳ 24ページ)
・したがって弁証法的唯物論は真理認識の唯一の形式といえる
● 真理には受動的真理だけでなく、積極的真理(概念的真理)がある
・真理は事物の現にある真の姿をとらえるという受動的真理のみならず、事物
のあるべき真の姿(概念的真理)をとらえるという積極的真理もある
・積極的真理は、人間の意識の創造性から生まれる真理、未来の真理であり、
事物の現にある真の姿をとらえることをつうじて獲得される認識として、や
はり客観世界と一致する認識といえる
● 真理には3段階の真理がある
・1つは表面的な真理(有的真理)
・2つは内面的な真理(本質的真理)
・3つは真にあるべき真理(概念的真理)
―この概念的真理をとらえたところにヘーゲルの功績があり、科学的社会主
義の真理論に生かされねばならない
● 概念的真理は矛盾の解決としての真理
・すべての物質は、自己のうちにある矛盾の解決(揚棄)として発展するが、
矛盾の解決としての真理が概念的真理
・『空想から科学への社会主義の発展』は、「真にあるべき社会主義」を観念
論的・空想的な社会主義から、科学的・唯物論的な社会主義として論じたも
の
・事物の未来のあるべき姿を論じることは、真理にも誤謬(空想)にもなりう
る
・事物の現にある姿の真理(対立物の統一)をとらえたうえで、それを揚棄し
てえられる真にあるべき姿を論じることは、概念的真理をとらえるものとし
て、空想から区別される
● 世界がどうあるかの真理と世界がどうあるべきかの真理は実践を媒介に統一
される(一元的真理)
・世界がどうあるかを知ることは、世界はどうあるべきかを知ること
・世界がどうあるべきかを知ることにより、実践をつうじて世界を真にあるべ
き姿に変革し、主観と客観の統一が実現される
⑥ マックス・ウェーバーの二元論批判
● 事実と価値、存在と当為を峻別する二元論
・事実認識と価値判断は全く別なものとする
・事実には真理があるから科学の対象になるが、価値には真理がないから科学
の対象となりえないとする(価値判断からの自由)
● 史的唯物論は一元論の立場にたつから、1つの価値観にすぎないのであって、
科学ではないと批判
● ウェーバーの二元論は、社会科学は社会変革の理論であってはならないとす
る支配階級の立場にたつ世界観
・人間は、自然や社会を変革しうるからこそ人
・ウェーバーの理論は、資本主義批判を封じ込めようとするイデオロギーにす
ぎない
・一元論的真理観こそが科学的真理観
⑦ 弁証法的唯物論は、概念的真理を実現する革命の哲学
● 弁証法的唯物論は、人間を実践を媒介にして自然や社会を変革する主体とし
てとらえる
・「これまでのすべての唯物論(フォイエルバッハのそれをも含めて)の主要
な欠陥は、対象、現実、感性が、ただ客体または直観という形式のもとでだ
けとらえられて、感覚的・人間的な活動、実践として、主体的にとらえられ
ていない」(フォイエルバッハにかんする第1テーゼ、『新訳』109ページ)
● 実践とは何か
・実践とは、目的をかかげて、自然や社会を変革する行為
・唯物論は、人間の認識を「タブラ・ラサ」と考える受動的反映論にとどめる
ものではない
・人間は客観世界を意識の上に反映させることを土台として、概念的真理をつ
くり出し、その実践をつうじて自然や社会を変革することができる
・概念的真理は、真理だからこそ多数者の共通する認識になりうる(「真理は
必ず勝利する」という場合の真理とは「概念的真理」)
・実践は認識の正しさを検証する―「人間の思考に対象的な真理が得られるか
どうかという問題は―理論の問題ではなく、実践的な問題である」(同第2
テーゼ)
・実践による検証を経ながら、自然や社会を「概念」にもとづいて合法則的に
変革していくところに実践の役割があり、階級闘争はその一環をなす
● 弁証法的唯物論は、人間の主体的実践を社会革命に結びつける
・「哲学者たちは、世界をさまざまに解釈しただけである。肝要なのは、世界
を変えることである」(同 第11テーゼ、同 113ページ)
・しかし、変革の立場は、まだ社会を合法則的に発展させる革命の立場ではな
い―変革の方向性が明確でない
・この点の不十分さを克服したのが、ヘーゲルの「概念論」
・ヘーゲルのいう「概念」とは、客観的事物のなかの矛盾を解決する「真にあ
るべき姿」を人間の認識のうちにとらえたもの
・この「概念」という真理(概念的真理)を目的にかかげた実践により、客観
的事物を「真にあるべき姿」に変革しうる革命を実現することができる
―革命とは実践的真理の実現
・これまで科学的社会主義の哲学には、「概念」のカテゴリーが存在しなかっ
たが、革命の哲学として、このカテゴリーを補充しなければならない
・弁証法は「その本質上批判的であり、革命的である」
(『資本論』① 29ページ)
⑧ 実践には、人間の類本質としての人間的価値を追求する実践がある
●「大切にしなければならないことは、ただ生きるということではなく、よく
生きるということなのだ」(ソクラテス)
・人間らしくより善く生きることの探究は人間解放の実践の一環をなす
・この実践は、人間の類本質としての「人間的価値の形成」に由来
● 個人の生きがいの問題と、人間としてより善く生きる問題の同一と区別
・個人の生きがいは、自己の行為にたいする満足感、肯定感から生まれる
(個人の尊重)
・「おのれの満足を覚えようとする主体の特殊性の権利、あるいは、こういっ
ても同じことだが、主体的自由の権利、これが古代と近代との区別における
転換点かつ中心点をなす」(ヘーゲル『法の哲学』124節注解)
・しかし、個人の生きがいは「主体の特殊性の権利」であり、満足感さええら
れればパチンコでも囲碁、将棋でも何でもよいことになる
・人間らしくより善く生きることは、、人間の類本質である「自由、平等、友
愛」という「概念」を求めて生きることであり、それがまた階級闘争の課題
となる
・したがって、人間の類本質の回復を求める階級闘争に個人の生きがいを見い
だすことは、生きがいと、より善く生きることの統一されたもっとも人間ら
しい実践(生き方)となる
⑨ 唯物論的な一元論
● 唯物論的な認識論と、「概念」をかかげた唯物論的な実践論は統一されねば
ならない(理論と実践の統一)
・事実と価値、存在と当為を峻別するウェーバー的没価値論は、自然や社会を
変革する人間の類本質を否定するものにほかならない
・世界がどうあるかを知ることは、実践により世界のあるべき姿を実現するこ
と
● 理論と実践の統一は主観と客観の統一
・主観的な「概念」は、実践をつうじて客観化され、客観を真にあるべき姿に
変革する(主観と客観の統一)
|