2011年1月29日 講義
第9講 科学的社会主義の哲学 ②
──弁証法
1.弁証法は哲学の歴史の総括から生まれた
① 哲学の歴史は認識の弁証法的発展の歴史
● 哲学の歴史は、反駁の歴史であり、「弁証法的発展をなして次々とあらわれ
る理念の諸段階」(『小論理学』㊤ 265ページ)
・或る哲学の反駁とは「その哲学の制限を踏み越えて、その哲学の特殊の原理
を理念的な契機へひきさげること」(同)
・「その成果は人間の精神がおかしたさまざまの過ちの陳列場ではなく、神々
のまつられているパンテオンに比すべきもの」(同)
・特殊的な真理から普遍的な真理へ、一面的な真理から全面的な真理へ
● 哲学の歴史の総括から、真理認識の方法としての弁証法が浮かび上がってくる
・「哲学史の研究こそ即ち哲学そのものの研究」(ヘーゲル『哲学史』㊤ 61
ページ、岩波書店)
・「哲学の歴史は、それゆえ、簡単に言えば、認識一般の歴史、知識の全領
域」(『哲学ノート』322ページ、レーニン全集 )であり、「そこから認
識論と弁証法がつくらるべき知識の領域」(同)
② ギリシア哲学の歴史と弁証法
● 真の哲学史のはじめは「エレア学派」にはじまる
・エレア学派は、形式論理学のはじまりを示すもの(悟性的認識)
・パルメニデス―「有のみがあり、無は存在しない」「有るものはあり、無い
ものはない」として矛盾を否定
・有と無とを絶対的に区別し、その一方の有を真理、他方の無を誤謬とするも
の
・形式論理学は、A=A(同一律)を基本にして対象を確固としてとらえる真
理認識の論理
● ヘラクレイトスの弁証法
・ヘラクレイトスは、エレア学派の形式論理学を批判して弁証法の道をひらく
―「1つの哲学の体系が他の哲学体系によって、本当に反駁される例」
(『小論理学』㊤ 277ページ)
・「ヘラクレイトスの命題で、私の論理学の中に取り入れられなかったものは
ない」(ヘーゲル『哲学史』㊤ 362ページ)
・「有と非有とは同一のものである、すべてのものは有ると共に無い」(同
366ページ)として真なるものは対立物の統一であることを示す
・「万物は流転する(パンタ・レイ)、いかなるものも恒常でなく、また同一
のものに留まらない」(同 367ページ)
● ソクラテスの「エイロネイア」(弁証法)
・「かれはその会話において常に問題になっている事柄をもっとよく教えたほ
しいようなふりをし、そしてその事柄について色々な質問をあびせることに
よって、相手をかれが最初に正しいと思っていたものとは反対のものへ導い
た」(『小論理学』㊤ 248ページ)
・対話をつうじて固定化した思惟を解体させ、より普遍的な認識へ前進させる
(否定の否定による認識の発展)
・ギリシア語の弁証法(「ディアレクティケ」)は「対話」の意味
● プラトンの弁証法
・プラトン弁証法の有名な傑作が『パルメニデス』(プラトン全集④)
・「プラトンは、そのより厳密に学問的な対話において、弁証法を用いてあら
ゆる固定した悟性規定の有限性を示している」(同)
・「例えば『パルメニデス』においてかれは一から多を導き出しながら、しか
も多が一として自己を規定せざるをえないことを示している」(同)
● 古代ギリシア人は事物を大局的にとらえようとすることで弁証法に接近した
③ 近代の自然科学の発展と弁証法
● 中世全体は、哲学の暗黒時代
・「哲学は神の僕」とされる
・キリスト教公認の教義を合理化するスコラ哲学が支配
● 15世紀後半以降の自然科学の発展は、形式論理学的考えを生みだした
・自然を個々の部分や個々の要素に分解、分析して真理を認識しようとする
・「この研究方法は、自然物や自然過程を個々ばらばらにして、大きな全体的
連関の外でとらえるという習慣、したがってそれらを運動しているものとし
てではなく、静止しているものとして、本質的に変化するものとしてではな
く、死んだものとしてとらえるという習慣をわれわれに残した」(全集⑲
200ページ)
・自然科学の発展は、要素還元主義により弁証法を投げすてた
●「形而上学者にとっては、事物とその思想上の模写である概念とは、個々ば
らばらな、ひとつずつ他のものと無関係に考察されるべき、固定した、硬直
した、一度あたえられたらそれっきり変わらない研究対象である。形而上学
者はものごとをもっぱら媒介のない対立のなかでのみ考える」(同)
・この形而上学的な考え方は、「常識の考え方」(同)であり、「かなり広い
領域で正当でもあれば必要でさえあるのだが、つねにおそかれはやかれ限界
につきあたるのであって、この限界からさきでは一面的な、偏狭な、抽象的
なものとなり、解決できない矛盾に迷いこんでしまう」(同)
・形而上学とは、形式論理学をその限界を越えて適用することによる間違った
考え方
・脳死の人間は生きていると同時に死んでいる。生きているからその臓器は生
きており移植可能。しかし生きている人からその臓器を取り出すことは傷害
または殺人罪。そこで生きている脳死の人を死んでいるとみなして、その人
から生きている臓器を取り出すのが臓器移植
―生きている人を死んでいるとみなす形而上学
④ ドイツ古典哲学による弁証法の復活
●「近代のドイツ哲学の最大の功績は、思考の最高形式としての弁証法をふたた
びとりあげたことである」(同 198ページ)
・ドイツ古典哲学はカントにはじまり、ヘーゲルによって完結する
・「近世では弁証法を復活し、それにふさわしい地位を新しく与えたのは、特
にカントであった」(ヘーゲル前掲書 248ページ)
● カントのアンチノミー(二律背反)―純粋理性批判
・世界にかんする4つのアンチノミー(二律背反)
―①世界は時間・空間的に有限か無限か
②物質は無限に分割しうるか否か
③世界のすべての現象は自由か必然か
④世界は絶対的原因をもつか否か
・カントはこの4つのアンチノミーについて定立、反定立のいずれも証明しう
るから、世界それ自体は認識しえないと結論
・「アンチノミーの指摘は、それが悟性的形而上学の硬直したドグマティズム
(一面観)を除き、思惟の弁証法的運動に注意を向けさせた限りでは、哲学
的認識の非常に重要な促進であった」(同㊤ 186ページ)
● カントからヘーゲルへ
・このカントのアンチノミーに触発され、ヘーゲルは世界のすべてに対立・矛
盾を認めると同時に、対立・矛盾のうちに事物の連関と発展という積極的意
義を見いだした
・「アンチノミーの真実で積極的な意味は、あらゆる現実的なものは対立した
規定を自己のうちに含んでおり、したがって、或る対象を認識、もっとはっ
きり言えば、概念的に把握するとは、対象を対立した規定の具体的統一とし
て意識することを意味する(同 186~187ページ)
● 弁証法を完成させたヘーゲル
・「この近代のドイツ哲学はヘーゲルの体系によってその完結に到達した。こ
の体系のなかではじめて……自然的・歴史的・精神的世界の全体が1つの過
程として、すなわち、不断の運動・変化・転形・発展のうちにあるものとし
て叙述されたのであり、またこの運動や発展の内的連関を証明しようとする
試みがなされたのである」(全集⑲ 202ページ)
・ヘーゲルは『大論理学』『小論理学』(エンチクロペディーの第1部「論理
学」)をつうじて、「弁証法の一般的な運動諸形態をはじめて包括的で意識
的な仕方で叙述した」(『資本論』① 28ページ)
・有論(表面的真理)、本質論(内面的真理)、概念論(あるべき真理)
―マルクス、エンゲルスも「概念」「理念」の意味を正確に理解せず
・ヘーゲルは10回も哲学史を講義し、2500年の哲学の歴史を総括するなか
で弁証法の基本構造とその体系化を試みた―現代においてもなおヘーゲルの
完成させた弁証法をのりこえる哲学は存在しない
2.マルクス、エンゲルスの唯物論的弁証法
① マルクス、エンゲルスはヘーゲル弁証法を観念論として批判
● ヘーゲルの「概念」「理念」を観念論ととらえる
・「私の弁証法的方法は、ヘーゲルのそれとは根本的に異っているばかりでな
く、それとは正反対のものである。ヘーゲルにとっては、彼が理念という名
のもとに一つの自立的な主体に転化しさえした思考過程が、現実的なものの
創造者であって、現実的なものはただその外的現象にすぎない。……弁証法
はヘーゲルにあってはさか立ちしている。神秘的な外皮のなかに合理的な核
心を発見するためには、それをひっくり返さなければならない」
(『資本論』① 28ページ)
・ヘーゲルにとっては「自然および歴史のなかに現われる弁証法的発展は、
……概念の自己運動のつまらぬ模写にすぎないのである。このようなイデオ
ロギー的なさかだちは除去しなければならなかった。われわれは、、現実の
事物を絶対的概念のあれこれの段階の模写と見るのではなしに、ふたたび唯
物論的にわれわれの頭脳のなかの概念を現実の事物の模写と解した」
(『フォイエルバッハ論』全集㉑ 297~298ページ)
・エンゲルスは「ながらくわれわれの最もよい道具であり、われわれの最も鋭
利な武器であったこの唯物論的弁証法」(同 298ページ)と述べ、弁証法
的唯物論を出来上がったものであるかのように表現
● しかしヘーゲル哲学の本質は「観念論の装いをもった唯物論」というべき
・ヘーゲル哲学は理想と現実の統一を唱えた革命の哲学であり、したがって唯
物論哲学
・観念論的装いは、当時の厳しい検閲のもとでの弾圧を免れるためのもの
・「概念」は理想、「理念」は理想と現実の統一であることを十分に理解しえ
なかった―最も重要なのは「第2部、本質論」(全集⑳379ページ)と考え
た
・マルクス、エンゲルスは、『資本論』をはじめとする彼らの著作のなかで、
ヘーゲル弁証法を逆立ちから元に戻すのではなく、「概念」「理念」をのぞ
いてそのまま使用している
・レーニンもヘーゲル「大論理学」を学んで、「ヘーゲルのこのもっとも観念
論的な著作のうちには、観念論がもっともすくなく、唯物論がもっとも多
い
。"矛盾している"、しかし事実だ!」(レーニン『哲学ノート』全集 203
ページ)と感動的に述べている
② 他方でマルクス、エンゲルスは唯物論的弁証法を完成させようとしていた
● マルクスの試み
・「経済学の重荷を首尾良くおろせたら、『弁証法』の本を書くつもりです。
弁証法の正しい諸法則はすでにヘーゲルにちゃんと出てはいます、ただし神
秘的な形態で。肝心なのはこの形態をはぎ取ることなのです」
(全集 450ページ)
・「もしいつかまたそんな仕事をする暇でもできたら、ヘーゲルが発見はした
が、同時に神秘化してしまったその方法における合理的なものを印刷ボーゲ
ン2枚から3枚(注:1ボーゲンは16枚)で、普通の人間の頭にわかるよう
にしてやりたいものだが」(全集 206ページ)
・「私は、あすはマルクスの遺稿を調べなければなりません。……なによりも
問題なのは、彼がいつも仕上げようとしていた弁証法の草案です」(エンゲ
ルス、1883. 4. 2 全集 3ページ)
―結局マルクスの「弁証法の草案」は存在せず
● エンゲルスの試み
・『自然の弁証法』(全集⑳)で「全体的連関の科学としての弁証法」(同
339ページ)の主要法則を明らかにしようとした
・主要法則として「量と質の転化。―両極的対立物の相互浸透と、極端にまで
おしすすめられたときのそれらの対立物の相互転化。―矛盾による発展また
は否定―発展の螺旋的形式」(同)
・しかし「自然の弁証法」では、もっと広範に弁証法のカテゴリーをとりあげ
ている
・ヘーゲル弁証法に学びながら「自然の弁証法」に何度となく取り組み、「弁
証法の一般的問題。弁証法の根本法則」(全集⑳ 519ページ)に挑戦しな
がら、完成に至らず
3.レーニンの唯物論的弁証法
● 1913年 マルクス主義(科学的社会主義)の総括を試みる
・「マルクス主義の3つの源泉と3つの構成部分」
・「カール・マルクス」(1914)弁証法の諸法則として「①否定の否定、ら
せん型の発展②飛躍、漸次性の中断、量の質への転化、矛盾による発展への
内的衝動③すべての側面の相互依存性と緊密な連携、単一の合法則的な世界
的運動過程をなしている連関」(レーニン全集 42ページ)
● 哲学の本格的研究(『哲学ノート』レーニン全集 1914. 12)
・ヘーゲル『大論理学』『哲学史』『歴史哲学』についての詳細なノートとそ
れに対するコメント
・「ヘーゲルとマルクスとの事業を継承することは、人間思想の歴史、科学お
よび技術の歴史を弁証法的に仕上げることであらねばならない」(同 117
ページ)
・「弁証法の諸要素」として上記5項目を含む16項目を示している
・小論文「弁証法の問題について」で「対立物の統一」を「弁証法の核心」
(同 326ページ)ととらえている―レーニンの功績として評価されるべきも
の
・この小論文で「弁証法一般の叙述」(328ページ)は『資本論』に学び
「もっとも単純なもの、もっとも普遍的なもの」(同)から順次展開すべき
として、体系的叙述に関心を示す
● しかし、結局弁証法の仕上げは「ノート」のままに終わり完成せず
4.弁証法の仕上げは21世紀に残された課題
① マルクス、エンゲルス、レーニンは
唯物論的な弁証法の仕上げをしようとしながら、実現せず
● それは21世紀に残された課題となっている
・しかし、それはレーニンの考えていた弁証法の体系化を意味するものではな
い
・基本法則の明確化とカテゴリーの充実化
● 弁証法のカテゴリーとしてはヘーゲル「論理学」の諸カテゴリーを継承しつ
つ、発展させていく必要あり
・「観念論的装いをもった唯物論」としてのヘーゲル「論理学」の諸カテゴ
リーは、ほとんどそのまま使用しうるもの
・その後の経験諸科学の成果を新たなカテゴリーとしてそれに付加すれば足り
る(カテゴリーは認識の前進とともに無限に発展する)―粒子と反粒子、粒
子と波動、原子核と電子、時間と空間など
② エンゲルスの体系化批判
● エンゲルスは、ヘーゲルの『エンチクロペディー』の『論理学』「自然哲学」
「精神哲学」という体系を引き写しにしようとしたデューリングを次のよう
に批判
・「人間は、一方では、世界体系の総連関をあますところなく認識しようとす
るが、他方では、人間そのものの本性からしても、また世界体系の本性から
しても、いつになってもこの課題を完全に解決することはできない、という
矛盾に当面する」(全集⑳ 36ページ)
・この矛盾は「いっさいの知的進歩の主要な桿杆であって、日々に、たえまな
く、人類の無限の進歩的発展をつうじて解決されてゆくのである」(同)
・「じっさい、世界体系のどんな思想上の模写も、客観的には歴史的状態に
よって、主観的にはその模写をつくる人の肉体的および精神状態によって、
制限されており、今後ともそうであろう(同)
・「ヘーゲル以後は、体系づくりは不可能になった。……この体系を認識する
ためには、自然と歴史の全体の認識が前提されるのであって、そういうこと
は、人間にはけっして達成できないことである」(同 618ページ)
● マルクスはヘーゲル弁証法からその「神秘的な外見から解放する」(全集 437
ページ)ことが残された仕事と考えていた
・体系化を残された仕事とは考えなかった
・「弁証法の正しい諸法則はすでにヘーゲルにちゃんと出」(全集 450ペー
ジ)ている
③ 仕上げに必要な観点
● ヘーゲル『小論理学』を基本とする
・『小論理学』には『大論理学』にはない「論理学のより立入った概念」とい
う弁証法の基本法則がとりあげられている
・弁証法の基本法則は「対立物の統一」
● ヘーゲル哲学の革命性を示す「概念」「理念」は主観的弁証法のうちに生か
さなければならない
・客観的弁証法と主観的弁証法の同一と区別が示されなければならない
・主観的弁証法は客観的弁証法を反映したものであると同時にそれを越える独
自の分野をもつ
・対立物の統一がなぜ真理なのかを、客観的弁証法、主観的弁証法のそれぞれ
について証明しなければならない
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