2011年2月26日 講義

 

 

第10講 科学的社会主義の哲学 ③
      ──唯物論的な弁証法の仕上げ

 

1.弁証法の基本法則

● 基本になるのは『小論理学』の「論理学のより立入った区分」(予備概念)

 ・弁証法の基本法則を3つのモメントによる対立物の統一として示している
  ―『大論理学』よりも『小論理学』をより発展したものとする根拠

 ・「抽象的側面あるいは悟性的側面」「弁証法的側面あるいは否定的理性の側
  面」「思弁的側面あるいは肯定的理性の側面」(『小論理学』㊤ 240ペー
  ジ)

 ・即自(直接的な統一)―対自(対立の定立)―即自かつ対自(対立を揚棄し
  た統一)

 ・「これら3つの側面は、……あらゆる概念(事物の真の姿―高村)あるいは
  真理のモメント」(同)

 ・3つのモメントは、いずれも真理のモメントであると同時に、より深い真理
  に向かって前進していく過程をとらえたもの

● 対立物の統一とは、有限な認識を否定しつつ、客観的、絶対的真理に向かっ
 て、無限に認識を前進させていく過程を構造的にとらえたもの

 

2.客観的弁証法

● 客観的弁証法と主観的弁証法

 ・「いわゆる客観的弁証法は、自然全体を支配するものであり、またいわゆる
  主観的弁証法、弁証法的な思考は、自然のいたるところでその真価を現わし
  ているところの、もろもろの対立における運動の反映にすぎない」(全集⑳
  519ページ)―ちょっと狭い

 ・客観的弁証法とは、客観的に存在するすべての事物(自然、社会、人間)は
  すべて対立物の統一として存在しており、それを対立物の統一として認識す
  ることによって真理を認識する方法

1)真理認識への第1歩は悟性的認識にはじまる(「悟性的側面」)

● 悟性的認識とは、形式論理学的認識

 ・「これは犬である」「これは犬ではない」というように、対象となる存在し
  ている事物を確固として他のものから区別してとらえる認識

 ・「犬は犬」「犬でないものは犬ではない」として確固不動の「あれかこれ
  か」としてとらえるところからA=Aの論理、「同一律」とよばれている

● 悟性的認識は、常識的な真理、真理の第1歩であり、教養の本質的モメント

 ・対象を認識するとは、対象を特定することであり、特定するとは他のものと
  一線を画す確固不同なものとしてとらえることに始まる―言いかえると対象
  を固定し、静止したものとしてとらえることに始まる

 ・「悟性は一般に教養の本質的なモメントである。教養ある人は漠然としたも
  のや曖昧なものに満足せず、対象をその確固とした性格において把握する」
  (ヘーゲル『小論理学』㊤ 243ページ)

 ・「教養のないものはこれに反して不確かで動揺しているから、こういう人と
  話をする場合は、何が問題になっているかについて理解しあい、その人をし
  て当の問題をしっかり注視させるのに非常に骨のおれることが多い」(同)

 ・弁証法は、形式論理学を排斥するのではなく、それを内に含んでいる

● 悟性的認識はきわめて広い領域で正当性をもつ真理ではあるが、初歩的な真
 理にとどまる

 ・認識の対象となるすべての事物は自立していると同時に他のものとの関連の
  ちにある非自立の存在であり、固定し、静止していると同時に運動、変化、
  発展している

 ・悟性的認識は、事物の自立性、固定性、(静止性)のみを抜き出した一面的
  な「同一性」の認識としての限界をもっているから、否定されねばならない

2)真理認識への第2歩は悟性的認識の否定(「否定的理性の側面」)

● 真理認識の第2歩は、悟性的認識の一面性を否定することによって、真理に
 向かって一歩前進する

 ・悟性的認識は、自立、固定、静止の一面的な「同一性」の認識だから、連
  関、運動、発展の見地から否定されるのは当然のこと

 ・悟性的認識の否定によって、更に一歩「あれもこれも」どちらも真理とする
  認識に向かって前進する

 ・一般に対話では、相手の主張を否定することで、双方が納得する(それもそ
  うだね)
 
● 悟性的認識の否定は、「弁証法的否定」とよばれている

 ・それは、恣意によって明確な概念に混乱をひきおこす「外面的な技術」
  (同 245ページ)ではない

 ・それは「あらゆる悟性的規定、事物および有限なもの自身の本性」(同)

● 弁証法的否定は、詭弁の否定、懐疑論の否定とは異なる

 ・詭弁の否定とは、自分に都合のいい身勝手な否定―小泉元首相「自衛隊のい
  るところが非戦闘地域」としてイラクに自衛隊派遣

 ・懐疑論の否定は、何ら積極的なものを生みださない単なる否定
  ―弁証法的否定は真理に前進するための否定

 ・弁証法的否定は、「事物を即自かつ対自的に考察し、一面的な悟性規定の有
  限性を明らかにすることにある」(同 247ページ)

● 弁証法的否定とは、同一のうちに区別をみること

 ・悟性的な「同一性」の認識のうちに、それと異なる区別をみること

 ・区別には、差異と対立(矛盾)がある

 ・差異とは、自己から区別された「他者一般」であり、差異する2つのものは
  自己と自己の「他者一般」という偶然的関係

● 差異から対立(矛盾)へ

 ・対立とは、上下、左右のように、自己と自己の対極に位置する「固有の他
  者」(ヘーゲル)との間の必然的な関係をとらえたもの

 ・必然性(法則性)は真理である

 ・悟性的認識は、単なる否定一般という差異から、対立という必然的な関係を
  とらえる認識に移行することによって、真理に向かって一歩さらに前進する

 ・「哲学の目的は、……無関係を排して諸事物の必然性を認識することにあ
  り、他者をそれに固有の他者に対立するものとみることにある」(『小論理
  学』㊦ 32ページ)

 ・事物を自立と非自立(連関)、静止と運動の統一としてとらえる

●「すべてのものは対立している」(同 33ページ)

 ・「悟性が主張するような抽象的な『あれか、これか』は実際どこにも、天に
  も地にも、精神界にも自然界にも存在しない。あるものはすべて具体的なも
  の、したがって自分自身のうちに区別および対立を含むものである」(同)

 ・ヘーゲルは直観的に「すべてのものは対立している」ととらえたが、現代で
  は量子論で証明済みとなっている(第8講)

 ・真理を認識することは、すべてのもののうちにいかなる対立が存在するのか
  をとらえること

 ・そのためには、とりあえずヘーゲル「論理学」の弁証法的な諸カテゴリーを
  学び、身につけることによって、はじめて弁証法を自在に活用することがで
  きるようになる―基本法則を学ぶだけでは足りない

 ・有と無、質と量、質における即自有と向他有、限界における定有の実在性と
  否定性、量における連続性と非連続性、有と本質、本質と現象、同一と区
  別、根拠と根拠づけられたもの、物における物自体と性質、質料と形式、内
  容と形式、全体と部分、力とその発現、内的なものと外的なもの、可能性と
  現実性、偶然性と必然性、実体と偶有、原因と結果、自由と必然、特殊
  (個)と普遍、判断と推理、分析と総合、機械的関係と目的的関係、内的目
  的と外的目的、種と類、概念と理念、主観と客観など

3)真理認識への第3歩は対立物の統一の認識にある

● 対立物の統一とは、すべてのものには対立する2つの側面があり、2つの側
 面は自立と媒介の統一の関係のうちにおかれていることを意味する

 ・対立する2つの側面が、相互に媒介されない自立的関係にあるとき、その事
  物は静止した状態にあり、対立物は「調和的統一」のうちにある(質と量、
  主観と客観など)

 ・対立する2つのものは、固有の他者という必然的な関係にあるので、相互に
  媒介しあう(差異とのちがい)

 ・対立する2つの側面が相互に媒介され、「媒介的統一」の関係にあるとき、
  その事物は運動、変化、発展する

 ・こうして対立物の統一は、自立と媒介の統一、静止と運動の統一をとらえる

 ・形式論理学は、対立を媒介されない調和的統一、すなわち「もまた」の関係
  (時間的継起、空間的な依存の関係)としてのみとらえる

● 対立物の統一は真理

 ・すべてのものは対立しており、対立しているものは自立と媒介の統一、静止
  と運動の統一の関係にあるから、「対立物の統一」という弁証法は、真理認
  識の唯一の形式ということができる

 ・というのもすべてのものは、自立と連関(静止と運動)の統一としてのみ存
  在しているから

● 対立物の媒介的統一には「対立物の相互浸透」と「対立物の相互排斥」の2
 種類がある

 ・媒介的統一には、「相手があるから自分がある」という側面と「相手でない
  から自分である」という側面の、矛盾する2つの側面がある

 ・すなわち媒介的対立は矛盾であり、その矛盾する2つの側面が「対立物の相
  互浸透」と「対立物の相互排斥」としてあらわれる

 ・対立する2つのものの「相手があるから自分がある」の側面が「対立物の相
  互浸透」(対立物の相互移行、対立物の同一)

 ・対立する2つのものの「相手でないから自分である」の側面が「対立物の相
  互排斥」(矛盾、対立物の闘争)

 ・「対立物の相互排斥」による「矛盾の解決(止揚)」が発展を生みだす
  ―発展として矛盾の解決を認識のうちにとらえたものが「真にあるべき姿」

● 対立物の相互浸透の例(量から質への転化)

 ・すべての事物は質と量の調和的統一(一定の質と一定の量をもつ)

 ・質とは、或るものがそれを失えば、現にそれがあるところのものではなくな
  るもの(或るものを或るものたらしめるもの)―水は液体という質をもつ
  (液体でなくなれば水でなくなる)

 ・量とは、或るものにとって外的な無関係なもの―水は10度でも80度でも水
  (液体)には変わりなし

 ・したがって質と量とは対立する関係にある

 ・しかし物には限度があり、水の温度(量)を100度にまであげると、水は
  水蒸気(気体)となる

 ・これは量の変化が質の変化をもたらす―対立物の相互移行(量が質に移行す
  る)、対立物の同一(量=質となる)

● 対立物の相互排斥の例(本質と現象の闘争)

 ・原始共同体では、人間の類本質は、そのまま現象となってあらわれている
  (本質と現象の統一)

 ・階級社会では、人間の類本質は疎外された現象としてあらわれ、本質と現象
  は対立している(本質と現象の矛盾)

 ・この矛盾が、疎外からの回復を求める階級闘争となってあらわれる(本質と
  現象の闘争)

 ・社会主義・共産主義の社会では、より生産力の発展したもとで、人間解放が
  実現され、人間のより発展した類本質がそのまま現象する(より高い段階で
  の本質と現象の統一)

● 発展の2つの形態

 ・発展とはより高い質をもつものへの変化

● 自己同一性をつらぬく萌芽からの発展(否定の否定)

 ・萌芽からの発展は、自己否定をくり返しつつ自己発展する

● 矛盾の揚棄としての発展(媒介の揚棄としての最初の直接性への回復)

 ・或るものは、その内にある矛盾を揚棄して、或るものとは異なるより高い他
  のものへ発展する

 ・矛盾の揚棄(解決)としての発展が、発展の一般的な形態(潜在的概念の顕
  在化)

●どちらも「らせん型の発展」という共通点をもつ

 ・「らせん型の発展」とは、より高い段階での古いものへの外見上の復帰

 ・否定の否定は、自己否定をくり返しつつらせん型に発展

 ・矛盾の「揚棄」とは、「保存と否定」であり、古いものを保存することで外
  見上古いものに復帰

 

3.主観的弁証法

● 一般的には客観の反映としての真理認識の方法が主観的弁証法

 ・客観的弁証法を認識のうちにとらえたものが主観的弁証法

● しかし人間の認識は客観的実在から相対的に独立したものであり、主観的弁
 証法は独自の分野をもつ

 ・単なる反映論を越えるものとして、意識の創造性に関する弁証法をもつ

 ・自己を客観化して認識の対象としてとらえる自己意識の弁証法をもつ
  ―「いかに生きるか」の生き方論と「より善く生きるとは何か」を探究する
   生きがい論


① 意識の創造性の弁証法―理想と現実の統一(主観と客観の統一)

 ・第1段階は「世界はどうあるか」の真理認識の弁証法―客観から主観へ、主
  観から客観への反覆

 ・第1段階の真理認識のうえで、実践は認識の真理性を検証する基準

 ・第2段階は、「世界はどうあるべきか」の真理認識の弁証法―客観世界にお
  ける対立・矛盾を認識することで、その矛盾を揚棄する「概念」(理想)を
  とらえる

 ・第3段階は「概念(理想)」を客観化することで、客観を「理念」(理想と
  現実の統一)にかえる

 ・第3段階の真理を実現するうえで、実践は概念的真理を検証する基準となる
  ―「概念」が真理でなければ、現実に転化しえない

 ・第1段階から第3段階まで、実践を媒介に客観から主観へ、主観から客観へ
  の往復運動を反覆することで、世界を真にあるべき姿にかえ、理想と現実の
  統一を実現していく


② 自己意識の弁証法①―現にある自己と真にあるべき自己の統一

 ・自己意識の即自態としての少年期から対自態としての青年期へ

 ・青年期は、現にある自己と真にあるべき自己との対立が顕在化し、「若き
  ウェルテルの悩み」が生じる(自己意識の顕在化―自己分裂)

 ・青年期固有の問題として自己意識にもとづき「いかに生きるべきか」の問題
  意識(分裂・対立を統一させようとする働き)
  ―青年期の特徴は、人生観、世界観の模索にあり、これに応えるのが、科学
   的社会主義を普及する労学協の役割

 ・青年期から壮年期に入ると、科学的社会主義に接する機会のなかった者も自
  分なりの世界観を確立し、自己意識の即自かつ対自態(より高い段階の現に
  ある自己と真にあるべき自己との統一)

 ・しかし、壮年期においても社会のもつ矛盾が自己意識に反映して、再び自己
  分裂して自己意識の対自態に

 ・科学的社会主義の学説に到達することで、より高い自己意識の即自かつ対自
  態に到達し、現にある自己と真にあるべき自己との統一が実現される


③ 自己意識の弁証法②―生きがいに関する特殊性と普遍性の統一

 ・生きがいとは、「おのれの満足を覚えようとする主体の特殊性の権利」(個
  人の尊厳)

 ・人間は、労働によって人間になるから、生きがいは働きがい―生きがいと働
  きがいの同一

 ・「大人になったら何になりたい」の質問の意味は、どんな仕事に生きがいを
  見いだすのかの問い

 ・2/11 NHK「無縁社会」②―地縁、血縁の絆が消失し、社縁が唯一のつな
  がり、それを失うことで社会との絆を絶たれ、生きがいをなくし、自殺へ

 ・「大人になったら何になりたい」の質問の意味は、どんな仕事に生きがいを
  見いだすのかの問い

 ・また、不安定雇用のなかで、仕事にありついても生きがいに結びつかない
  ―生きがいと働きがいの区別

 ・そこで生きがいは、特殊性から普遍性へと向かう
  ―個人的価値から人間的価値へ、個人の尊厳から人間の尊厳へ

 ・真の生きがいは、自由と民主主義という本質的、普遍的な人間的価値を求め
  る社会変革の生き方にある
  ―個人的価値と人間的価値の統一(特殊的生きがいと普遍的生きがいの
  統一)

 ・生きがいの真理は、「個人の尊厳と人間の尊厳」という対立物の統一に
  ―それをもたらすのが科学的社会主義であり、それが「生きがいを社会進歩
   に重ねる」といわれるもの

 

4.エンゲルス、レーニンの弁証法の検討

① エンゲルスの「弁証法の3原則」

● エンゲルスは弁証法をだいた「 いにおいて3つの法則に帰着する」(全集⑳
 379ページ)ととらえた

 ・「量から質への転化、またその逆の転化の法則。対立物の相互浸透の法則。
  否定の否定の法則」(同)

● 問題点

 ・対立物の統一という根本形式を正面から論じていない

 ・対立物の相互排斥(矛盾)と対立物の相互浸透を一対のものとして論じてい
  ない

 ・量と質の弁証法は、対立物の相互浸透の1事例にすぎない

 ・否定の否定は、自己同一性を保ちつつ無限に発展する萌芽からの発展であ
  り、矛盾の揚棄としての発展が正面から論じられていない
  →エンゲルスのいう3法則を独自に取り上げる必要があるのか疑問に思われ
   る


② レーニンの弁証法

●「カール・マルクス」における弁証法

 ①否定の否定、らせん型の発展
 ②飛躍、漸次性の中断、量の質への転化、矛盾による発展への内的衝動
 ③すべての側面の相互依存性と緊密な連関、単一の合法則的な世界的運動過程
  をなしている連関

●「哲学ノート」における弁証法

 ・「弁証法は簡単に対立物の統一の学説と規定することができる」(同191
  ページ)が、「展開を要する」として16の要素を提起

 ・16の要素のうち、対立物の統一として規定されているのは、「対立物の矛盾
  した諸動向等々の闘争あるいは展開」「たんに対立物の統一ばかりでなく、
  ……(その対立物)への移行」「否定の否定」「内容と形式との闘争」「量
  の質への移行、およびその逆の移行」「分析と総合の結合」などにとどま
  り、十分に展開されていない

● 問題点

 ・弁証法を「対立物の統一の学説」としているのは評価しうるが、十分に展開
  されたものとなっていない

 ・対立物の統一がなぜ真理なのか、その展開が調和的統一と媒介的統一の統一
  であること、媒介的統一とは対立物の相互浸透と対立物の相互排斥との統一
  であることなどが解明されていない

 ・全体として未整理。個々の要素の内的連関が明らかにされず、思いつきを羅
  列したにとどまる

 ・参考程度にとどめておけばいいのではないかと思われる