『21世紀の科学的社会主義を考える』より

 

 

第一一講 科学的社会主義の哲学④
     ──史的唯物論

 

一、史的唯物論とは何か

史的唯物論は人間社会と歴史研究の「導きの糸」

 史的唯物論は唯物史観ともよばれていますが、弁証法的唯物論という真理認識の唯一の思惟法則を人間社会とその歴史に適用し、人間社会とその歴史の真理を見いだそうとするものです。マルクス、エンゲルスは、弁証法についてはヘーゲル弁証法を継承したものの、史的唯物論は全く彼らの独自の産物であり、史的唯物論によって人間社会を科学的に考察することを可能にした功績に対しては最大の評価が与えられなければなりません。
 人間社会は自由な意志をもった無数の人々から成りたっており、各自が自己の意志にもとづき勝手に行動しているのですから、一見すると人類の歴史は権力争いの「無意味な暴力行為」(全集⑳二三ページ)の積み重ねのようにしかみえないのであって、そのなかに一定の法則性を見いだすことは極めて困難な仕事でした。
 この歴史観に最初にを打ち込んだのがヘーゲルでした。ヘーゲルはその弁証法によって世界のすべての事物を運動・変化・発展するものとしてとらえ、「この運動や発展の内的な連関を明らかにする試み」(同)をおこなったのです。彼は人類の歴史を貫くものは自由な意識にあるとして、「世界史とは自由の意識の進歩を意味する」(『歴史哲学』上四四ページ)と規定しました。もちろんそれは一面的な歴史観にすぎませんでしたが、彼の画期的な功績は人類の歴史にも内的な法則性があることを指摘したところにありました。
 いわばヘーゲルの提起した人類の歴史を一つの発展過程としてとらえるという問題に対して、弁証法的唯物論を徹底することにより正解を与えたのが史的唯物論だったのです。
 史的唯物論は、唯物論と弁証法という二つの観点から人間の社会とその歴史の真理にせまります。
 一つには、社会には政治、法、経済、道徳、宗教、イデオロギーなどさまざまの要素が存在していますが、それらの要素の相互媒介の関係を唯物論の観点から解明し、社会の構造を立体的に明らかにしました。
 二つには、「一般に、世界を動かすものは矛盾である」(ヘーゲル)との観点にたって社会を弁証法の観点から考察し、社会の基本矛盾を解明することによって、社会の運動、発展の法則を明らかにしようとします。言いかえると人間社会の歴史は、ときの政治的権力者の特殊な意志に支配された偶然の積み重ねではなくて、社会の基本矛盾を揚棄することから生じる社会の発展という一定の発展法則をもっており、その法則を認識することをつうじて人間は自ら歴史の創造者となりうることを証明してみせたのです。
 三つには、変革の立場という弁証法の観点から、個々のバラバラな人間を階級というカテゴリーによって一括りにし、階級的観点にたって人間集団の動きをマクロ的かつ持続的なものとしてとらえ、人間の動きを科学的に分析することを可能としました。そして階級闘争こそ歴史発展の原動力であることを明らかにしたのです。
 しかし注意しなければならないのは、史的唯物論は歴史的研究をする際の「導きの糸」(全集㊲三六一ページ)であって、「史実をぐあいよく裁断するためのできあいの型紙として取り扱われると、その反対物に転化する」(同)ということです。
 すなわち「われわれの史観は、なによりもまず研究にさいしての手引き」(同三八〇ページ)なのであって、きまり文句で片付けるのではなく「さまざまな社会構成体の存在諸条件が一つひとつ探究」(同三八〇ページ)されなければならないのです。この観点は、後に考察するソ連をいかなる社会構成体と考えるかの問題についても生かされなければなりません。ソ連は社会主義ではなかったというと、では資本主義だったのかという人がいますが、社会主義か資本主義かのきまり文句で片付けるのではなく、具体的にいかなる社会構成体であったのかが史的唯物論の観点から検討されなければならないのです。

史的唯物論は生きている人間から出発する

 史的唯物論は、人間の社会は現実に生きている人間で構成されているところから、人間社会を考察するにあたっては、人間が生きることができなければならないという動かしがたい基本的事実から出発します。
 「すべての人間的存在の、したがってまたすべての歴史の第一の前提、すなわち、人間たちは『歴史をつくる』ことができるためには生きることができなければならないという前提を確認することからはじめなければならない」(『「新訳」ドイツ・イデオロギー』三五ページ)。
 こうして史的唯物論は、誰もが認めざるをえない具体的事実から出発するという唯物論の観点にたって、一つひとつ論理を展開していくことになります。
 「しかし、生きるために必要なのは、とりわけ、飲食、住居、衣服、そしてさらにその他のいくつかのものである。したがって、第一の歴史的行為は、これらの欲求を充足するための諸手段の産出、物質的生活そのものの生産であり、しかも、これは、人間を生かしておくだけのためにも……すべての歴史の根本条件である」(同)。
 人間が生きるためには衣、食、住をはじめとする生活諸手段を生産しなければならないのであり、したがって物質的財貨の生産が「すべての歴史の根本条件」となります。
 物質的財貨の生産には、対自然(人間が自然を改造し支配する関係)の側面と対人間(生産をめぐる人と人との関係)の側面があります。前者は「生産力」、後者は「生産関係」とよばれ、両者を統一したものが「生産様式」とよばれています。
 マルクスは『経済学批判序言』(全集⑬)において、「研究にとって導きの糸として役だった」(同六ページ)史的唯物論の「一般的結論は、簡単にいえば次のように定式化することができる」(同)として、次のように述べています。
 「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する」(同)。
 「歴史の根本条件」となるのは物質的財貨の生産そのものであり、したがって対自然の側面である「生産力」となります。生産力を規定するのが、道具や機械です。したがってもっと突っこんでいえば生産力の発展の歴史は、道具、機械の発展の歴史ということができます。資本主義のもとで道具から機械への決定的転換がおこなわれ、マニュファクチュアから機械制大工業に移行します。機械制大工業こそ資本主義の独自の生産様式なのです。
 この生産力の「一定の発展段階に対応」して、一定の生産関係が生まれます。生産力と生産関係の総体が「社会の経済的構造を形成」し、これが「生産様式」とよばれ、社会の「実在的土台」(同)となるのです。というのも、生産なくして社会は存在しえないからであり、生産が「すべての歴史の根本条件」、つまり社会を支える「実在的土台」をなし、「その上に一つの法律的および政治的上部構造がそびえ立ち、そしてそれに一定の社会的諸意識形態が対応する」(同)のです。存在が意識を規定するのと同様に、人間の「社会的存在が彼らの意識を規定する」(同)ことになります。
 搾取の存在する社会における「生産関係」は、搾取者と被搾取者という対立する関係、対立物の統一の関係におかれます。奴隷所有者と奴隷、封建領主と農奴、資本家と労働者という階級対立です。階級間の利害は対立しますので、「対立物の相互排斥」としての階級間のたたかい、階級闘争としてあらわれます。
 「これらのたがいにたたかいあう社会諸階級は、いつでもその時代の生産関係と交易関係との、一言でいえば経済的諸関係の産物」(全集⑲二〇五ページ)なのです。

人民のたたかいが歴史をつくる

 『空想から科学へ』では、こうした階級社会の生産関係としての階級対立を前提とし、「これまでのすべての歴史は、原始状態を別にすれば、階級闘争の歴史であった」(同)という有名な命題を打ちたてています。言いかえると人民のたたかいが歴史をつくるというのです。
 この階級闘争の観点によって「歴史の真の究極の推進力」(全集㉑三〇三ページ)が明らかにされることになりました。というのもこの階級的観点は、個々の人間を動かす動機ではなく「諸階級全体を、動かしている動機」(同)をとらえ、「大きな歴史的変化をもたらす持続的な行動を起こさせる動機」(同)を明らかにしているからです。
 階級は「経済的諸関係の産物」ですから、階級間の矛盾のあらわれとしての階級闘争は経済の分野を土台としながらも、社会の上部構造としての政治やイデオロギーの分野を含むたたかいとして展開されます。階級闘争が激化すると支配階級は国家権力を使って弾圧しますので、国家権力をめぐる政治闘争が階級闘争の中心舞台となります。階級闘争が経済、政治、イデオロギーの全ての分野で発展し、その総合的な力によって被支配階級が支配階級から政治権力を奪いとると政治革命が実現し、政治革命をつうじて社会全体の根本的変革が実現されることになります。
 では階級間の矛盾が激化し、階級闘争が発展するより深部の原因は何かといえば、それは生産力と生産関係の矛盾としてとらえることができます。それをもう一度『経済学批判序言』に立ち返ってみてみましょう。
 「社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないものである所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。そのときに社会革命の時期が始まる」(全集⑬六ページ)。
 先にみたように生産力と生産関係とは一定の対応関係にあります。つまり社会はその社会の生産力にふさわしい生産関係をつくり出します。しかし生産力は日々発展するのに対し、生産関係は相対的に固定しているところから、生産力がある段階にまで達するとこれまでの生産関係が「桎梏」(手かせ足かせ)となって生産力の発展を妨げるようになるのです。生産関係とは、生産手段を誰が所有するのかによって生まれる人と人との関係ですから、生産手段の「所有諸関係」ということができます。
 生産力の発展にとって生産手段が「桎梏」になるとは、これまでの生産手段の所有諸関係が生産力のそれ以上の発展の妨げになるということです。このときに「社会革命の時期が始まる」のですから、この生産力と生産関係の矛盾が、社会発展をもたらす基本矛盾となり、新たな生産関係を求めて社会変革の運動が起きるのです。

土台と上部構造およびその相互作用

 このように史的唯物論では、物質的財貨の生産を「すべての歴史の根本条件」としてとらえ、そのうえにたって社会とは経済的諸関係を「実在的土台」とし、政治、法、社会的意識の諸形態を上部構造とする立体的構造をもつものとしてとらえます。ここに唯物論の観点が生かされています。唯物論では存在が第一次的、根源的なものであり、意識は存在によって規定される第二次的なものと考えます。つまり唯物論では「存在は意識を規定する」ととらえますが、同様に史的唯物論では「社会的存在は社会的意識を規定する」ととらえるのです。人間の社会における「存在」とは、モノを生産する経済的諸関係であり、社会における「意識」とは、人間の意識、つまり精神活動から生まれた政治、法、宗教、道徳、その他のイデオロギーを意味しています。ヘーゲルは「精神哲学」において、主観的精神から区別される「客観的精神」を取りあげ、これを『法の哲学』という別の著作にまとめています。「客観的精神」とは、人間の精神活動を客観化したもの、精神活動の産物であり、『法の哲学』では客観的精神として法、道徳、家族、市民社会、国家がとりあげられています。マルクス、エンゲルスが政治、法、イデオロギーを上部構造としてとらえたのは、ヘーゲル『法の哲学』の影響があったのかもしれません。
 存在が意識を規定するのと同様に、社会においては社会的存在としての経済的諸関係、とりわけ人と人との関係である生産関係(階級関係)が社会的意識としての政治、法、イデオロギーを規定するのです。経済的諸関係における階級対立が社会的意識の土台となっているという見方を「階級的観点」とよんでおり、社会を科学的に考察するうえで、もっとも重要な観点となっています。政治と法を扱うのが国家ですから、国家は「通例、最も勢力のある、経済的に支配する階級の国家」(全集㉑一七〇ページ)として上部構造を代表する存在となっています。政治や法の本質を考察するとき、この「階級的観点」を失った論評はすべて人民をするものにしかなりえないことに注意する必要があります。
 しかし土台が上部構造を規定するとは、「上部構造の全体は、究極においてこの土台から説明されるべき」(全集⑲二〇五ページ)ことを意味しているのであって、「これを歪曲して、経済的要因が唯一の規定的なものであるとするならば、さきの命題を中味のない、抽象的な、ばかげた空文句にかえ」(全集⑲四〇一~四〇二ページ)てしまうことに注意しなければなりません。
上部構造は土台によって規定されながらも土台から相対的に自立し、土台に対し「反作用する」(同四二四ページ)のです。エンゲルスは、「もし政治権力が経済に対して無力であるならば、一体どうしてわれわれはプロレタリアートの政治的執権のためにたたかうのでしょうか」(同四二七ページ)として、こうした反作用を考えない「みなさんに足りないのは弁証法」(同四二八ページ)だと指摘しています。
 「現実の世界ではそのような形而上学的な両極対立は、危機においてしか存在せず、大きな過程全体は相互作用――たとえ非常に不等な諸力の相互作用であり、そのうちで経済的運動がはるかに最強で、最も本源的で最も決定的な力であるにせよ――の形態ですすむ」(同)。
 土台と上部構造とは相互に原因となり結果となるという相互作用の関係にありながらも、究極的に規定的要因となるのが土台であるということです。
 史的唯物論は唯物論の観点から社会を土台と上部構造としてとらえることによって社会が構造をもっていることを明らかにすると同時に、弁証法の観点から土台における生産力と生産関係の矛盾とそのあらわれとしての階級闘争が社会発展の原動力であるととらえることによって社会の科学的探究を可能にしました。それまでの歴史観では、「すべて意識をもち思慮や熱情をもって行動し一定の目的をめざして努力している人間」(全集㉑三〇一ページ)が社会を構成しているところから、人間社会を無数の人間の意志が衝突することによる偶然の支配する場と考えていました。そこに階級という集団の意志(階級的意志)を導入することにより、生産力と生産関係の矛盾は階級闘争として現象するという科学的見地を持ち込むことに成功したのです。これによって社会における個々の偶然的な意志ではなく階級的意志という必然的意志を、一時的な意志ではなく持続的・永続的な意志を、表面的な意志ではなく究極的な意志を見いだすことが可能となり、「科学の目」をもつことができたのです。
 問題が「歴史の真の究極の推進力となっている原動力を探究することであるとすれば、肝要なのは、どんなに卓越した人間であろうとも個々の人間の持つ動機よりも、むしろ大衆を、諸民族の全体を、そして各民族においてはさらにその諸階級全体を、動かしている動機である。それも、一瞬ぱっとかがやいてたちまち消えてしまうわら火のような行動へ駆り立てる動機ではなくて、大きな歴史的変化をもたらす持続的な行動を起こさせる動機」(同三〇三ページ)であり、それが階級的意志にほかなりません。

 

二、資本主義社会の基本矛盾

生産力と生産関係の矛盾による社会発展

 史的唯物論において、生産力と生産関係の矛盾が社会発展をもたらす根本矛盾であることが定式化されました。この矛盾は人類史全体を貫き、すべての社会に妥当するものとしてとらえられています。
 原始共同体というかろうじて生計を維持しうる低い生産力の社会は、構成員が全員で協力して生産し、生産物は平等に分配されるという階級のない社会でした。
 ところが生産力が発展して自分の生計を維持する以上のものを生産できるようになると、「労働力はある価値をもつ」(全集⑳一八六ページ)ようになり、それまで殺されていた戦争の捕虜は、奴隷としてその労働力が生かされるようになります。こうして生産力の発展にとって原始共同体における生産関係は桎梏となり、新しい奴隷主と奴隷という生産関係をもつ奴隷制社会に移行します。しかし奴隷はいくら生産しても生産物はすべて奴隷所有者のものとなるところから生産意欲をそがれ、やがて奴隷制のもとでの生産関係は、生産力の発展にとっての桎梏となります。
 そこでこの矛盾を解決するため、生産力の発展にみあう新しい封建制の生産関係――封建領主と農奴――が誕生します。農奴は土地に縛りつけられながらも、農産物の一定割合を自己の所有とすることが許されることにより生産意欲は向上して生産力の発展を生みだしたのです。
 封建制社会のもとで剰余生産物の一部が農奴の手もとに残されるようになると、商品生産が発展し、農民層の分解が進行します。都市において小商品生産をしていた市民(ブルジョアジー)が次々に台頭してくると、封建的な身分関係や取引の制限が自由な商品交換による生産力の発展の桎梏となるところから、取引の自由を求めて資本主義的生産様式の社会が誕生することになります。
 マルクスは『経済学批判序言』において「ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である。……したがってこの社会構成でもって人間社会の前史は終わる」(全集⑬七ページ)として、その後にくるのは敵対的階級の存在しない真のヒューマニズムの社会主義・共産主義社会であると考えたのです。
 ところで、エンゲルスは『空想から科学へ』において、資本主義社会の基本矛盾を「社会的生産と資本主義的取得」(全集⑲二一〇ページ)の矛盾としてとらえ、「この矛盾のうちに現代の衝突の全体がすでに萌芽としてふくまれている」(同)と述べています。ご承知のとおりこの有名な科学的社会主義の入門書としての古典は『反デューリング論』の一部を抜粋し、一部手直ししたものです。
 『反デューリング論』第二版への序文において、エンゲルスは「この書物で展開されている考え方は、大部分マルクスによって基礎づけられ発展させられたもの」(全集⑳九ページ)であって、「私が彼に黙ってこういう叙述をしないということは、われわれのあいだでは自明のことであった」(同)としているので、この資本主義の基本矛盾のとらえ方は、マルクス、エンゲルス両者の見解として理解すべきものでしょう。

「生産力と生産関係の矛盾」と「社会的生産と資本主義的取得」の矛盾との関係

 となると、マルクスのいう人類史全体を貫く「生産力と生産関係の矛盾」という社会発展の基本矛盾と、エンゲルスのいう「社会的生産と資本主義的取得」の矛盾という資本主義社会の基本矛盾との関係をどうみるのかという問題が生じます。
 その回答もまた『空想から科学へ』に示されています。まずエンゲルスは、近代の社会主義は「生産力と生産様式とのこの衝突」(全集⑲二〇八ページ。ここでの「生産様式」とは「生産関係」の意味)の思想的反射であり、「まず第一に、この衝突によって直接に苦しめられている階級、すなわち労働者階級の頭のなかでのその観念的反映にほかならない」(同)ととらえます。そのうえで「では、この衝突はどういうものか?」(同)との問いを自ら発し、「社会的生産と資本主義的取得」としてあらわれるとしています。
 これは「生産力と生産関係の矛盾」を社会発展の本質的矛盾としてとらえると同時に「社会的生産と資本主義的取得」の矛盾をこの本質的矛盾の現象形態として、つまり本質と現象の関係としてとらえていることを示しています。資本主義社会においても「生産力と生産関係の矛盾」によって、生産関係が生産力の発展の桎梏に一変したとき「社会革命の時期が始まる」という本質規定は貫かれていることを意味することになるのです。それはまた後にふれることにして、エンゲルスが「社会的生産と資本主義的取得」の矛盾というとき、資本主義の独自性を強調することをつうじて資本主義的矛盾の揚棄としての社会主義の本質を明確にしたかったからではないかと思います。
 資本主義の独自性は、機械制大工業のもとで生産力が巨大な発展をとげて「社会的生産」を実現し、人類史上前例のない巨大な生産力による巨大な富を生産しながら、その前代未聞の莫大な富を資本家が独り占めする「資本主義的取得」にあります。その結果、資本主義社会における資本家階級と労働者階級との間の階級矛盾は、第六講でみたように極限にまで拡大され、労働者・国民の人間疎外を未曾有のものとするのです。
 これに対し社会主義社会とは、資本主義の基本矛盾を解決した社会であり、言いかえると「社会的生産と資本主義的取得」の矛盾を解決して「社会的生産と社会的取得」を実現する社会なのです。いわば資本主義社会とは、「生産力」においても前例がなく、階級矛盾という「生産関係」においても前例のない、「生産力と生産関係」の矛盾が極限にまで達する社会であることを表現し、かつ社会主義社会とはその矛盾を解決する「社会的生産と社会的取得」の社会であることの展望まで含めて、エンゲルスは資本主義の基本矛盾を「社会的生産と資本主義的取得」と表現したのではないかと思われます。

リーマン・ショックにみる基本矛盾とその現象形態

 すべての社会発展の基本矛盾を「生産力と生産関係の矛盾」とし、資本主義における「社会的生産と資本主義的取得」の矛盾をその現象形態としてとらえることは、二〇〇八年の世界的な経済危機をとらえるうえでも重要だと思われます。というのもこの経済危機にはこの二つの矛盾が重ねあわさってあらわれており、文字どおり「本質は現象しなければならない」(『小論理学』下五五ページ)ことを示しているからです。
 二〇〇八年「リーマン・ショック」といわれる百年に一度の経済危機を迎え、マスコミでも「資本主義限界論」が公然と叫ばれるようになりました。
 この世界的経済危機をもたらしたものこそ、新自由主義型国家独占資本主義であり、それは「カジノ資本主義」とよばれています。「カジノ資本主義」とは、モノづくりによる新たな富の生産によって利潤を獲得する本来の資本主義ではなくて、新たな富の生産よりもギャンブルによる富の再配分によって利潤を獲得しようという「化けもの資本主義」です。ギャンブルとは「ゼロ・サム」(勝ち負けを合計するとゼロになる)ゲームであり、富を再配分するにすぎず、新しい富は生産しません。その意味で「カジノ資本主義は」は本来の資本主義ではないのです。現代の発達した資本主義諸国では、軒並みにゼロ成長かそれに近い状況になっています。資本主義のもとでは生産力が発展すればするほど利潤率が低下するという「一般的利潤率の傾向的下落の法則」(『資本論』⑨三六一ページ/二二一ページ)が働いているため、一定の生産力にまで達するとそれ以上追加資本を投下しても新たな利潤を生産しえない段階に達することになります。資本主義の本質は利潤第一主義にありますから、新たな利潤が追加して生みだされない以上、資本はこの段階でそれ以上の追加投資をストップさせてしまいます。それがゼロ成長といわれるものです。資本と労働力は結合することによって利潤を生みだしますが、この段階に達すると資本も労働力もともに過剰になっているにもかかわらず、資本主義の本質により結合することができないという資本主義ならではの独特の矛盾を生みだすのです。いわば現代の発達した資本主義諸国においては、利潤第一主義の本質を前提とした生産手段の私的所有という資本主義的な生産関係が、すでに生産力の発展にとっての「桎梏」となっているのです。
 資本の側では、膨大な「内部留保」の蓄積によって「金あまり現象」となりながら、だぶついた金の使い道がないのです。第六講でみたように、日銀・白川総裁の「経営者から『手許金は潤沢だが問題は使う場所がないことだ』と聞く」との国会答弁がそのことを雄弁に示しています。そこで資本の側では新たな投資先を物質的財貨の生産にではなく、金融投機というギャンブルに見いだすことになります。
 金融投機とは金融商品を売買して投機の対象とするものですが、情報量の差が勝ち負けを決しますから、最初から金融大資本が勝利し、一般大衆は損をするという"出来レース"です。マルクスはこの金融投機を生みだした信用制度を「他人の労働の搾取による致富を、もっとも純粋かつ巨大な賭博とぺてんの制度にまで発展させ、社会的富を搾取する少数者の数をますます制限するという性格」(『資本論』⑩七六五ページ/四五七ページ)をもっていると喝破しています。
 その金融投機を全世界に広げるために、アメリカ金融独占資本は世界各国に「金融自由化」を押しつけ、小泉内閣はそれに従って「郵政民営化」を強行したのです。ここに資本主義的な生産関係が「生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する」(全集⑬六ページ)姿をみることができます。マルクスの指摘する生産力と生産関係の矛盾という、人類史を貫く根本矛盾がいまや誰の目にも明らかになり、「社会革命の時期が始ま」ったことを知るのです。
 他方でこの「リーマン・ショック」により巨大金融独占の再編が進行して、ますます少数の独占資本に世界中の富が集中すると同時にマネー・ゲームに踊らされて金融商品に手を出した世界中の人民は金融商品の暴落によってなけなしの貯金を奪われ、ますます多数のものが貧困と生活苦に追いやられるという富の再配分が進行しました。「社会的生産と資本主義的取得」という矛盾もまた世界的規模でさらに激化することになったのです。
 「リーマン・ショック」は、いまや先進資本主義国において「生産力と生産関係の矛盾」を本質とし、「社会的生産と資本主義的取得」の矛盾を現象とする「社会革命の時期」の始まりに突入していることを明らかにしたのです。
 こうして史的唯物論のいう社会発展の根本矛盾は、その本質規定からしても、またその資本主義的現象規定からしても正しいことが証明され、「資本主義限界論」が公然と叫ばれるようになりました。ここでも「本質は現象しなければならない」(ヘーゲル)のであって、すべての事物の真理は本質と現象という対立物の統一にあることが証明されているのです。
 「社会的生産と資本主義的取得」の矛盾が存続するかぎり、資本主義の矛盾は何度でも形をかえ、しかもより鋭さをもって顕在化することになります。二〇一一年八月、史上初のアメリカ国債の格下げは、ドル基軸体制を揺るがすものとして世界的な株安の連鎖を引きおこし、新たな金融危機の危険性が指摘されています。しかも米日欧の実質ゼロ金利のもとではもはや金融政策による有効な景気浮揚策はとりえない状況になっており、カジノ資本主義はコントロール不能におちいったことを示しています。
 金融危機を打開するには、国民のふところを豊かにすることによる実体経済の活性化以外の道はありません。しかし資本主義のもとではそれを実現しえないところに、現段階の「資本主義限界論」があらわれているのです。

 

三、「ネオ・マルクス主義」批判

「ネオ・マルクス主義」の「国家論」批判

 このように資本主義の現段階は、あらためて史的唯物論の正しさを証明するものとなっているにもかかわらず、史的唯物論は古くなったとして批判する「ネオ・マルクス主義」(ネオは「新しい」の意)が一九八〇年代に日本でも登場しました。
 「ネオ・マルクス主義」は六〇年代後半に西ヨーロッパで生まれ、アルチュセール、プーランザス、ジェソップ等がその代表的人物とされています。
 彼らは西ヨーロッパで経済的矛盾が激化しているのに革命運動、労働運動が発展しないのは科学的社会主義の理論の誤りを示すものだとして、科学的社会主義の国家論、階級闘争論などを攻撃して、西ヨーロッパの科学的社会主義の運動に混迷をもたらしました。「ネオ・マルクス主義」は現代ではすでにその影響力を失っており、今日それを議論するに値するかどうか不明ですが、理論を生みだした時代背景は現代の日本も同様ですから、同様の議論が再生産される可能性もありますし、日本共産党第一八回大会決議は科学的社会主義の学問的強化のためにも「ネオ・マルクス主義」理論の徹底的研究・批判を呼びかけていますので、一言その批判をしておきます(詳しくは『ネオ・マルクス主義――研究と批判』新日本出版社)。
 まず「ネオ・マルクス主義」の国家論を検討してみましょう。彼らは「土台――上部構造論」を批判し、国家を階級支配の機関ではなく、そのときどきの「階級的力関係の凝縮」とみなすのです。
 しかし一つには、史的唯物論は土台――上部構造論にたっていますが、それは物質的財貨の生産こそ人間生存の根本条件であるという動かしがたい事実から出発しているのであって、彼らもこれにとってかわりうるような科学的歴史観を提起しているわけではありません。この出発点を肯定するかぎり、経済的諸関係が土台をなし、そのうえに人間の精神活動の産物である政治、法、社会的意識の諸形態がそびえ立つという社会の唯物論的構造を否定することはできないでしょう。
 二つには、「ネオ・マルクス主義」はすべての事物が本質と現象の統一であることを否定し、国家を本質をもたない現象のみの存在としてとらえる誤りをおかしています。国家を単に階級的力関係の凝縮とみることは、国家をときどきの力関係によって不断に変化する現象としてのみとらえ、不変の本質をもつことを否定するものでしかないことを意味しているからです。
 確かに国家機関のうち国会は、議会制民主主義のもとで一定程度「階級的力関係の凝縮」とみることができますが、それでも小選挙区などの非民主的選挙制度、選挙運動の規制、マスコミの世論誘導などによって、実際の階級的力関係を大きく歪曲し、支配階級に有利な力関係の凝縮とされています。なによりも国家権力の中枢となる軍隊、警察などの公的権力では階級的力関係は全く反映せず、労働者・国民を常に階級敵としてとらえる階級支配の機関の本質を露骨に示すものとなっています。
 三つには、第五講で学んだように科学的社会主義の国家論は、国家の存在しない原始共同体から、なぜ国家が誕生するに至ったのかという国家の起原を解明することをつうじて、国家の本質が階級支配の機関にあることをとらえ、またそれによって国家のもつ公的強力の必然性をも明らかにした理論です。「ネオ・マルクス主義」の国家論は、こうした問題のすべてを合理的に説明する手段を失わせることになってしまいます。国家が階級支配の機関であるという本質は人民抑圧の強力装置に示されていますが、国家を「階級的力関係の凝縮」ととらえたのでは、なぜ国家が公的強力をもつのか、その必然性を明らかにすることはできません。
 四つには、科学的社会主義の国家論は、人類史の時代区分に重なるものとして国家をとらえることを可能にします。
 「古代国家は、なによりもまず奴隷を抑圧するための奴隷所有者の国家であった。同じように、封建国家は農奴的農民と隷農を抑圧するための貴族の機関であったし、近代の代議制国家は、資本が賃労働を搾取するための道具である」(全集㉑一七一ページ)。
 これに対し「ネオ・マルクス主義」は、資本主義社会の国家が資本家階級の国家であることを否定することによって結局は資本主義国家を美化し、それに幻想を抱かせてしまうのです。

「ネオ・マルクス主義」の「階級還元主義」批判

 次に彼らの「経済還元主義」「階級還元主義」の批判をみてみましょう。彼らは、史的唯物論は「経済還元主義」の誤りをおかしており、革命運動の長期停滞は、階級闘争による社会発展論、つまり「階級還元主義」の誤りを示すものであるというのです。
 しかし一つには、史的唯物論は、「上部構造の全体は、究極においてこの土台から説明されるべき」(全集⑲二〇五ページ)であることを主張するのであって、けっして上部構造の果たす独自の役割を否定する「経済還元主義」ではありません。それはエンゲルスも指摘するように、社会主義をめざす権力が上部構造に属するプロレタリアート執権であり、それによって土台を構成する生産手段の社会化を実現するという科学的社会主義の社会主義論に示されています。また日本共産党が当面の革命を民主連合政府の樹立という政治革命に求め、政治革命という上部構造の革命によって、「ルールある経済社会」という土台の変革をめざしていることにも上部構造の独自の役割の存在が示されています。
 二つには、科学的社会主義の学説は、土台における経済的矛盾の激化を短絡的、直接的に労働運動や革命運動の発展に結びつけているわけではありません。マルクスは「国際労働者協会(第一インターナショナル――高村)創立宣言」において「成功の一つの要素を労働者はもちあわせている――人数である。だが、人数は、団結によって結合され、知識によってみちびかれる場合にだけ、ものをいう」(全集⑯一〇ページ)として「万国のプロレタリア団結せよ!」(同一一ページ)とよびかけました。
 労働者は科学的社会主義の理論によって導かれ、階級的に結集してのみ労働者階級としての階級的力を発揮し、階級闘争を発展させることができるのであり、そのためには日々のねばり強い地道な運動が求められているのです。経済的矛盾の激化は階級闘争発展の一つの客観的条件となるのみであって、どんなに階級的矛盾が激化しても労働者が階級的に結集するという主体的条件を伴わないと階級闘争を発展させることはできません。
 三つには、反面からすると、生産力と生産関係の矛盾はとりのぞかないかぎりけっしてなくなることはなく、したがってその矛盾は長期的にみるかぎり不可逆的に激化する方向に進行し、矛盾の顕在化しない時期が長期間続いたとしてもいずれは人民のたたかいの発展、階級闘争の発展を生みだすのです。マルクスはそういう歴史の激動期は必ず到来するのであり、平穏な長い日々のあとに、「二〇年をひとまとめにした数日」(全集㉚二七五ページ)という歴史の激動期がくると語っています。
 四つには、「ネオ・マルクス主義」は史的唯物論を「階級還元主義」として批判していますが、では社会を構造的かつ弁証法的にとらえるうえで階級的観点にとってかわる別の「科学の目」を提起しうるかといえば、それはなしえないのです。
 結局「ネオ・マルクス主義」とは、革命運動が長期的かつ系統的な幾世代にもわたる運動であることを忘れ、一時的運動の局面のみをみて右翼日和見主義に転化した「小ブルジョア革命性」にすぎません。彼らは史的唯物論の批判を展開してみても、それを揚棄するより発展した科学的な歴史観は何ら示すことができず、無力さを示すのみとなっています。
 逆に二〇一一年、数十年にわたって強権政治の続いてきたチュニジア、エジプトで人民が蜂起して民主主義革命を実現し、いまやその周辺諸国にもその影響が広がっていることは、人間解放を求める階級闘争が社会発展の原動力となっているとする史的唯物論の正しさをあらためて証明するものとなっています。エジプトでは三十年続いたムバラク政権がわずか十八日間の反政府デモで崩壊し、文字どおり「二〇年をひとまとめにした数日」を体験することになったのです。

 

四、その他の史的唯物論批判の批判

「反人間中心主義」批判

 以下において、必ずしも系統だったものではありませんが、その他の史的唯物論批判のいくつかを紹介し、批判的に検討してみることにしましょう。
 一つは、第一講でも紹介した史的唯物論を「反人間中心主義」とする岩崎武雄氏の議論です。岩崎氏は、科学的社会主義に一定の理解と共感をよせながらも、『弁証法――その批判と展開』(東大学術叢書)において、次のように史的唯物論を批判しています。
 マルクスは、社会には「人間の力を絶対に超越する必然的な法則が存する」(同一二八ページ)と主張するが、そうなれば「人間はただこの自然法則によって押し流されてゆくだけ」(同)であり、「唯物史観の思想においてはほとんど歴史のうちにおける個人の実践というものの意義が認められる余地」(同一三〇ページ)がなく、したがって「反人間中心主義」(同一二五ページ)だというのです。
 しかし、これは科学的社会主義の「弁証法的決定論」を一八世紀の「機械的決定論」と混同するものにほかなりません。「機械的決定論」とは、偶然性を否定してすべては必然性によって決定されているという「宿命論」の立場から、人間の行為の能動性を否定し、人間も含めたあらゆる事物の運命はあらかじめ決定されているとする立場です。これに対し、「弁証法的決定論」はすべての事物を偶然性と必然性の統一としてとらえます。すなわち弁証法的決定論は人間社会に法則的、必然的な発展法則の存在することを認めると同時に、そこには偶然性も存在するのであって、けっして社会は直線的に発展するものではないことを認めるのです。人間はその偶然性のなかにある必然性を認識したうえでその発展方向を「概念」としてとらえ、かつ実践することにより、社会を合法則的に発展させうると考えています。科学的社会主義では、人間は自然や社会を変革するところに人間としての存在理由があるとしています。しかもその変革はやみくもの変革ではなく、「概念」をとらえた合法則的実践により、より良いものに変革するという革命の立場にたち、歴史を動かす人間の能動的役割を認めているのです。そして人間の類本質の一つが「自由な意識」にあるととらえ、自由な意識が「必然的自由」から「概念的自由」へと発展することをつうじて革命の立場にたちうるとする人間発達論にたっています。さらに科学的社会主義のめざす社会主義・共産主義の社会とは、人間疎外をもたらすいっさいの諸関係をくつがえし、人間を「人間にとっての最高の存在」とする真のヒューマニズムの社会です。
 したがって科学的社会主義の学説は「機械的決定論」の対極に位置し、歴史を動かす人間の能動的役割を認めると同時に、人間の類本質である「自由な意識」の発展をつうじて人間を「最高の存在」とする社会主義・共産主義の社会を実現しようとする真のヒューマニズムの学説であり、「人間中心主義」ともいうべき理論なのです。

「階級闘争批判」の批判

 二つは、史的唯物論の階級闘争論あるいは階級的観点をもって「憎悪の哲学」だと批判する見解です。例えば、第六講で紹介した平田氏の『市民社会と社会主義』では、「単純粗野な階級一元論的社会認識が、これまでの社会主義建設の実践過程に多くの災禍をうみだした」(前掲書二五二ページ)として、「異なる建設の道をあゆむ他の社会主義国を、帝国主義的策謀に乗ぜられた反革命」(同二五三ページ)としたスターリンによるユーゴの除名であるとか、「社会主義共同体あるいはプロレタリア国際主義の名のもとにおける他国への介入・干渉」(同)をしたチェコ五ヵ国軍隊侵入事件の例をあげています。
 またこれも第一講で紹介した『若者よ、マルクスを読もう』の共著者である内田樹氏は、そのなかでマルクス著「ヘーゲル法哲学批判序説」の「ある一つの身分がすぐれて解放する身分であるためには、逆にいま一つの身分が公然たる抑圧の身分でなければならない」(全集①四二五ページ)とする箇所を引用し、この箇所には同意できないだけでなく、階級闘争という「枠組みそのものに対する懐疑的な態度」(前掲書九九ページ)を表明し、スターリン、毛沢東、ポル・ポトの大量「粛正」、は、この階級闘争論のあらわれだととらえています。
 しかし、対立する階級と階級闘争とは、階級社会において必然的に発生する歴史的事実をカテゴリーとしてとらえたものであり、善悪、好嫌という価値の問題ではなく、事実の問題です。
 若きマルクスの表現には誤解を招くところもありますが、階級闘争は搾取と抑圧により疎外されている人間が疎外からの解放を求めてやむなくたたかいに立ちあがるのであって、真の人間性の回復を求める真のヒューマニズムのたたかいなのです。したがって階級闘争の最終目的である搾取と階級の廃止も、暴力的な反革命があればともかくとして、階級敵を抹殺したり、粛清したりすることにあるのではなく、生産手段の所有形態の変更を求めるものにすぎません。奴隷制社会にあっては奴隷から解放されて自由民に、封建制社会にあっては農奴から解放されて自由な小土地所有農民に、資本主義社会にあっては、賃金奴隷から解放された自由な生産者になることを求めるものでしかありません。
 マルクスは、こうした批判も予想していたのか、『経済学批判序言』において、「ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である」(全集⑬七ページ)という先に紹介した文章に続けて、次のように述べています。
 「敵対的というのは、個人的敵対という意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件からくる敵対という意味である。しかしブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対の解決のための物質的諸条件をもつくりだす」(同)。
 階級闘争は階級間の利害の対立から生じる階級的な敵対的形態であって、けっして「個人的敵対」という意味ではなく、したがって個人的恨みや個人的報復という問題ではないのです。
 したがって階級闘争の手段は、数のうえでは圧倒的多数を占める被支配階級が団結した力を示すことにあります。したがって『共産党宣言』の最後の言葉は「万国のプロレタリア団結せよ!」とされています。内田氏もこの言葉を引用しつつ、「真の革命宣言は『憎しみ』や『破壊』を称賛する言葉ではなく、『友愛』の言葉で終わらなければならない」(同四九ページ)のであって、その点からして「すばらしい結びの言葉」(同四八ページ)であると絶賛しているのですから、先の内田氏の発言と矛盾することになります。とりわけ発展した資本主義国における階級闘争は、政党間の政治闘争である選挙闘争としてたたかわれるのであり、「ブレット(弾丸)からバロット(投票)に」と言われるように、言論の力によるたたかいとして展開されているのです。
 スターリンの大量粛清、毛沢東の文化大革命、ポル・ポトの知識人大量虐殺は、たとえ階級闘争を名のっていたとしても、本来の階級闘争とは無縁のものであり、むしろこれらの事件はヒトラーのユダヤ人抹殺と同種の事件というべきものでしょう。

「社会発展論批判」の批判

 三つには史的唯物論の誤りは、ソ連・東欧の崩壊で証明されたという意見があります。すなわち史的唯物論では、資本主義から社会主義への移行を歴史的必然としているが、実際にはソ連、東欧にみられるように社会主義から資本主義に移行したのであるから、その誤りは明らかだというものです。
 確かに、ソ連・東欧が資本主義に移行したことは間違いありませんが、それをもって「社会主義から資本主義への移行」ととらえうるかは問題です。なぜなら第一四講以降で検討するように、ソ連・東欧は社会主義をめざして出発しながらも、途中で大きく方向を誤り、人間解放どころか、社会主義とは無縁の「人間抑圧型の社会」(日本共産党綱領)に変質してしまったからです。
 史的唯物論の基本命題は、生産力と生産関係の矛盾が社会発展の力だというものであり、ソ連・東欧の場合も、資本家という階級は消滅しましたが、第一四講でみるように「党官僚(ノーメンクラトゥーラ)」という新しい階級が誕生し、そのもとでの生産関係が生産力の発展にとっての桎梏となり、崩壊に至ったということができるでしょう。その意味ではソ連・東欧の崩壊もまた史的唯物論の観点からみて社会発展の一形態ということができるのです。
 では、ソ連・東欧が社会主義でなかったとすれば、いかなる社会構成体の社会だったのでしょうか。ソ連・東欧の崩壊は、国家資本主義から私的資本主義への移行を意味するとの見解があります。すなわち、これらの諸国は資本の本源的蓄積のないところから国家が国家資金を使って資本主義を建設した国家資本主義だったのであり、その崩壊とは、国家資本主義のもとで資本の蓄積がおこなわれた結果、国家資本主義から私的資本主義へ移行したことを意味するととらえ、それは明治維新直後に国家資本主義のもとで三井、三菱、住友などの財閥が生みだされ、私的資本主義に移行したのと同様の事例であったという見解です。
 しかしソ連や東欧を利潤第一主義をその本質とする資本主義国家だとみなすことは問題です。というのも、実際の国有企業は利潤を無視した非効率的運営と、採算度外視の国家依存の存在でしかなかったからです。またソ連や東欧の崩壊は、社会の土台をなす生産関係がこれまでの党官僚と労働者という階級関係から、資本家と労働者という階級関係に変化したものですから、社会構成体そのものを異にするのに対し、国家資本主義から私的資本主義への移行は、同じ資本主義という社会構成体の枠内での局面の変化にすぎません。
 結局ソ連・東欧は、資本主義でも社会主義でもない人類史上はじめての独自の階級社会、独自の社会構成体とみるべきものでしょう。

「個人の尊厳否定論」の批判

 四つは、史的唯物論には、階級概念はあっても個体概念が存在しないから、個人の尊厳を認めず、したがって人権や自由を軽視するものという意見があります。
 個々人は、階級社会のなかで人間疎外を実感し、個人としても人間としてもより善く生きたいという要求にもとづき自らの意志で階級に結集し、階級闘争に参加するのです。第五講で学んだように階級闘争は人間疎外からの解放を求める真のヒューマニズムのたたかいであり、人間的価値である自由と民主主義の実現を求めるそれ自体人間的価値を最大限尊重する運動なのです。いわば階級に結集し、階級闘争に参加することは、その運動のなかで未来社会を先取りし、人間解放をめざす真のヒューマニズムの運動となっているのです。その意味で階級闘争に参加した人々は、そのなかでがすべてという資本主義的価値観から解放され、自由、平等、友愛の精神を身につけることによって、個人の尊厳と人間の尊厳の統一を実現することになるのです。今回の東日本大震災にあたって、日本共産党が組織をあげて被災者の生活支援、復興ボランティアとしての活動を現在もなお一貫して継続しているところにも科学的社会主義の運動が真のヒューマニズムの運動であることが示されています。
 したがって個人と階級とは、けっして対立する概念ではなく、相互に媒介しあう個と普遍の関係にあります。人間を「人間にとっての最高の存在」(全集①四二二ページ)とするために、個人は階級という普遍に結集することを求め、階級という普遍は個人を個人的、人間的に成長させるのです。個人と階級とを対立してとらえる議論は、自ら階級闘争に参加した経験をもたない観念的議論でしかありません。
 以上「ネオ・マルクス主義」をはじめとし、様々の史的唯物論批判の理論を検討してきましたが、結論的には史的唯物論にとってかわりうるほどの人類史全体を包括し、かつその発展史を跡づけうるような体系的、科学的歴史観は他には存在しえないことが明らかになり、逆に史的唯物論が歴史の検証を受けてその真理性を証明し、生命力を発揮し続けているということができるでしょう。

 

五、階級闘争は真のヒューマニズムの運動

 第七講で科学的社会主義の学説とは、人間を「最高の存在」にする真のヒューマニズムの社会、社会主義・共産主義の社会の実現をめざす学説であることを学びました。
 科学的社会主義の哲学である史的唯物論は、その唯物論的観点によって社会の構造を解明し、その弁証法的観点によって社会の発展法則を明らかにすると同時に弁証法的決定論の立場から「歴史の真の究極の推進力」(全集㉑三〇三ページ)を階級闘争に求めました。
 人間は人間の類本質が疎外されたとき、疎外からの解放を求めて階級闘争に立ちあがるのであり、その意味で階級闘争は人間の類本質に根ざしたもっとも人間的な真のヒューマニズムの運動です。その真のヒューマニズムの運動をつうじて真のヒューマニズムの社会を実現することになるのです。したがって人間解放を求める階級闘争は「たたかい、争う」という用語にもかかわらず、その内実として人間を「最高の存在」にしようという真のヒューマニズムの立場にたった真のヒューマニズムの運動なのです。
 この観点を見失うとき、階級闘争はヒューマニズムを否定する血で血を洗うたたかいであるかのように誤解されてしまうのであり、マルクスもそれを懸念して階級的敵対は「個人的敵対という意味」(全集⑬七ページ)ではないことをあえて指摘しているのです。
 階級闘争は真のヒューマニズムの運動だからこそ、闘争の手段の基本になるのは労働者階級を先頭とする被支配階級の団結した力なのです。『共産党宣言』の結びの言葉「万国のプロレタリア団結せよ!」は、マルクスの墓碑銘ともなっている言葉ですが、ここにこそ階級闘争の真髄が示されています。チュニジア、エジプトの民主主義革命は、まさに人民の団結した力によって実現したものです。