2011年5月28日 講義

 

 

第13講 科学的社会主義の社会主義論 ②
      ──レーニンの社会主義論

 

1.レーニンの社会主義

① 10月社会主義革命

● レーニンはマルクス、エンゲルスの主要な著作を徹底的に学び、1917年10月
 ロシア革命を成功に導く

 ・ジョン・リード『世界をゆるがした十日間』

 ・レーニンの社会主義論は、マルクス、エンゲルスの社会主義論に学びつつ
  も、それにロシア革命の独自性をプラスしたもの

 ・試行錯誤を重ねながらも、ブルジョア民主主義の枠組みを大きく越える自由
  と民主主義の発展をもたらし、社会主義の体制的優位性を示す

● ソ連の示した体制的優位性

 ・「平和についての布告」「土地についての布告」「ロシア諸民族の権利」
  「勤労被搾取人民の権利」などを次々に発表し、全世界の熱狂的歓迎を受ける

 ・人類史上はじめて「社会権」を人権として規定―8時間労働日、年次有給休
  暇、国の負担による社会保障制度、医療の無料化、教育の無料制(国際人権
  規約A規約として定着)

 ・社会権を契機に三者構成のILO誕生

 ・民族自決権の承認―20世紀の民族解放運動に大きく貢献(A規約1条「すべ
  ての人民は、自決の権利を有する」)

●「平和についての布告」で無併合、無賠償の即時講和と「平和共存」を訴える
 ―帝国主義戦争違法視、1928年の「不戦条約」から国連憲章に
  →ロシア革命の示した社会主義の体制的優位性は、21世紀の国際法として
   定着


② レーニンからスターリンへ
 
● レーニンからスターリンへ

 ・1922. 5 最初の発作、一時復活するものの、再び発作を起こし24年1月死
  亡。スターリンへ

 ・スターリンによる「ソ連型社会主義」の建設

 ・レーニンの権威を利用するため、科学的社会主義(マルクス主義)を「マル
  クス・レーニン主義」と規定する

 ・日本共産党も1970年代半ばまで科学的社会主義を「マルクス・レーニン主
  義」とよんでいたが、ソ連の誤りが明確になるなかで、どんな天才的な個人
  の認識にも限界があるところから、個人の名前を称するのは適当でないとし
  て、1976年第13回臨時党大会で「科学的社会主義」を統一呼称へ

● レーニンの時代の社会主義と、スターリン以降の「ソ連型社会主義」とは区
 別して論じるべき

 ・第13講「レーニンの社会主義」、第14、15講「ソ連型社会主義の建設と崩
  壊」

 ・社会主義の3つの基準に分けて検討

 

2.生産手段の社会化

● 生産手段の国有化

 ・『反デューリング論』に学んだもの

 ・土地や工場、機械など主な生産手段を国有化し、農民は自営農民に

 ・工業生産物は、国家が直接所有・管理、農業生産物は農民の食べる分以外は
  国家が徴発し、労働者・国民に分配

● 生産と分配の「全人民的な記帳と統制」(レーニン全集㉗ 247ページ)の組織

 ・これが「社会主義への移行」(同)の決定的任務と考えた

 ・生産物を国家がすべて管理することで、商品も、商品交換のための市場も消
  滅

 ・「市場経済」とか「商売の自由」は、社会主義建設の敵とされる

 

3.社会主義的な計画経済

● 国家の指令にもとづく中央集権的な計画経済

 ・国家計画委員会(ゴスプラン)による指令経済

 ・国家供給委員会(ゴススナブ)による資源、原材料の管理・供給

● 企業としての自己責任なし

 ・国家の計画にしたがい、供給された原材料で生産し、生産物は国家が所有・
  管理

 ・赤字が生じても、国家の責任で補填

 ・生産性の向上、効率性に問題

 ・「量的生産第一主義」で品質が犠牲に

● 農民の不満爆発

 ・剰余農産物の徴発への不満続発。一部に暴動

 ・農民と労働者の間に対立・矛盾の激化―政権存続の危機に

●「新経済政策」(「ネップ」1921. 10~ )

 ・農業の集団化・社会化一時棚上げ。小規模経営のもとでの余剰農産物の商品
  化認める

 ・「市場経済をつうじて社会主義へ」方針転換―「国内商業の振興」

 ・経済全体の要をなす部門を「瞰制高地」として国家が管理し、資本主義的競
  争に負けない社会主義部門をつくり発展させる

● 計画経済とはマクロ経済の問題。ミクロ経済の問題は市場経済

 ・市場経済は需要と供給の調節、高品質・低価格の商品開発などのメリットを
  もつ

 ・他方で格差拡大、資本主義の復活も

● 社会主義的計画経済と市場経済の統一は21世紀に残された課題

 ・中国、ベトナムにおける「社会主義市場経済」の試み

 ・1923年レーニン3度目の発作、回復することなく死亡

 ・スターリンによるネップ中断、農業集団化による「ソ連型社会主義」へ

 

4.プロレタリアート執権

● レーニン流「プロ執権」論

 ・マルクス、エンゲルスの『共産党宣言』1872年ドイツ語版への序文に注目

 ・プロレタリアート執権を実現した「コミューンは、『労働者階級は、できあ
  いの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために使うことはでき
  ない』ということを証明した」(全集⑱ 87ページ)

 ・パリ・コミューンの経験を国家機関のつくりかえの問題から国家機関の粉砕
  に置きかえてしまう

●「プロ執権」=ソビエト

 ・「労働者・兵士ソヴェトは、パリ・コミューンがつくりだし、マルクスが労
  働の経済的解放をなしとげることのできる、ついに発見された政治的形態」
  (レーニン全集㉔ 524ページ)

 ・プロ執権=ソビエト(普通選挙とも民主共和制とも異なる)

 ・執権とは「なにものにも制限されない、どんな法律によっても、絶対にどん
  な規制によっても束縛されない、直接強力に依拠する権力」(レーニン全集
  ⑩ 233ページ)と規定―ロシア革命の特殊性を「プロ執権」に結びつけて
  しまう

 ・「革命はプロレタリアートが『行政機関』と全国家機関とを破壊して、それ
  を武装した労働者からなる新しい機関」(同 526ページ)、つまり「全一
  の権力をもつ全能の労働者・兵士代表ソビエト」(同)におきかえることに
  ある

 ・普通選挙制も、議会も民主共和制も否定されることに

● レーニン流「執権論」と民主主義との関係

 ・ブルジョア民主主義は「徹頭徹尾、偽善的で、いつわりの民主主義」(同
  499ページ)とし、プロレタリアート執権こそ「人民のための民主主義」
  (同)だとする

 ・ブルジョア民主主義とプロ執権とを対立するものとしてとらえる

 ・プロ執権は「抑圧者、搾取者、資本家」(同)を抑圧しなければならない
  し、彼らの反抗を、暴力でうちくだかなければならないとして、「一連の自
  由の除外例」(同)を設ける

 ・民主主義(デモクラシー)とは「人民の支配」であり、それを階級抑圧の概
  念としてとらえることは概念矛盾

 ・ソビエトが全権力を掌握すると、ソビエトと一般国民との支配、従属関係の
  可能性

 ・ソビエトのなかでソ連共産党が支配的勢力になると一党支配と国民の従属の
  構造に

 

5.レーニン流『プロ執権』論

① コミンテルン加入の条件としての「プロ執権」論

● コミンテルンの結成(1919. 3)

 ・レーニンの起草による「ブルジョア民主主義とプロレタリアート執権とにつ
  いてのテーゼ」(レーニン全集(㉘ 490ページ)採択

 ・以後「ブルジョア民主主義かプロレタリア執権か」の二者択一がコミンテル
  ンの基本方針に

 ・第2回大会で「ブルジョア国家機構全体、議会、司法、軍事、官僚、行政、
  自治体、等々の機構を、下から上まで破壊し、…搾取者階級全体の真の服従
  を保証する」(同㉛ 178ページ)と「プロ執権」をさらに極端化

● 人民主権の否定

 ・「激化した階級闘争の時期には、プロレタリアートは、自家の国家組織を不
  可避的に、以前の支配階級の代表を参加させない戦闘組織として建設しなけ
  ればならない。この段階では、およそ『人民の総意』という擬制は、プロレ
  タリアートにとって直接に有害である。議会的な権力分立は、プロレタリア
  ートには不必要で、有害である。プロレタリア執権の形態はソビエト共和制
  である」(「コミンテルン資料集」① 224ページ大月書店)

 ・「人民の総意」とは、ルソーのいう一般意志(ヴォロンテ・ゼネラル)であ
  り、レーニン流プロ執権は、ブルジョア民主主義を否定するにとどまらず、
  「人民の、人民による、人民のための政治」まで否定することに

 ・コミンテルン第2回大会は、「プロレタリアートの執権かそれともブルジョ
  ア民主主義か」の二者択一をせまり、レーニン流プロ執権をコミンテルンの
  加入条件と定めた

● 民主主義の戦術的、一時的利用

 ・「ブルジョア国家機関を破壊する目的でこれらの機関を利用する」(同)

 ・民主主義を否定するために民主主義を利用するという人を愚弄するマヌー
  バー

 ・日本共産党の綱領草案(22年テーゼ)にもこの見地が貫かれている

 ・「日本共産党は、ブルジョア民主主義の敵であるにもかかわらず、……天皇
  制の政府の転覆と君主制の廃止というスローガンを採用」するが、「当面直
  接の任務―現存の政治体制の廃止―が達成されるやいなや、無条件に放棄さ
  るべき」

● コミンテルンをつうじて、レーニン流「執権論」の押しつけ

 ・第2回大会で21ヵ条の加入条件―その1つにレーニン流「プロ執権」論の
  承認

 ・コミンテルンは世界の共産主義運動の統一的組織とされ、各国の党はコミン
  テルンの1支部に

 ・レーニン流「プロ執権」論は、20世紀の社会主義の実験全体を貫く最も太
  い柱に

 ・さらにスターリンのもとで「プロ執権」論は、共産党の一党支配体制による
  「人民抑圧型の社会」(日本共産党綱領)に

 ・「31年政治テーゼ」もその産物の1つとして民主主義一般を否定するもの


② 「プロ執権」論と官僚主義

● ソビエトに権力を集中した干渉戦争と戦時共産主義のもとで、官僚主義の台頭

 ・ 1919 .3 ロシア共産党第8回大会でソビエト体制内部における官僚主義
  の部分的復活(レーニン全集㉙ 172ページ)を指摘

 ・「全住民が行政に参加するときだけ」(同)官僚主義に勝利しうる

 ・全住民への「長期の教育」(同)が必要

 ・「労働組合が経済の運営に参加」(同 100ページ)することは「官僚主義
  化とたたかう主要な生産手段」(同)

● 官僚主義の治療には長い時間が必要

 ・ソビエトへの権力の集中は官僚主義の土壌となる

 ・それを否定するには、国家管理への勤労大衆の引き入れと「人民的な統制」
  (同㉜ 101ページ)が必要と指摘―「ソビエトは実際には、勤労大衆に
  よってではなくプロレタリアートの先進層による勤労者のための行政機関」
  (同㉙ 172ページ)

 ・他方で官僚主義の批判は「ソビエト権力の打倒に導くスローガン」(同
  198ページ)ともなりうる危険を指摘

 ・官僚主義を「追いはらい」(同㉟ 540ページ)、「根絶する」(同)こと
  はできないのであり、「ゆっくり治療する」(同)長い時間を必要とする

● 真の意味の「プロ執権」の実現が、官僚主義を克服する

 ・科学的社会主義の政党の主導性のもとにおける人民主権の権力が官僚主義を
  防ぎ、社会主義権力への人民的統制を実現しうる

 ・政党の主導性と人民主権という対立物の統一のうちに真理がある