2011年6月25日 講義

 

 

第14講 「ソ連型社会主義」の建設と崩壊 ①

 

1.スターリンによる「ソ連型社会主義」の建設

● 1920年代後半から1930年代中頃にかけて、スターリンによる「ソ連型社会
 主義」の形成

 ・生産手段の国有化による中央集権的指令経済
  ―労働者の管理・運営からの排除

 ・スターリンへの権力の集中と一党支配体制による専制主義

 ・「警察支配(デルジモルダ)」による自由と民主主義の抑圧

 ・大ロシア人的排外主義

 ・1991年のソ連崩壊まで「ソ連型社会主義」は存続

● スターリン型「社会主義」のもとで搾取も階級もなくならず、人間解放どこ
 ろか党官僚の支配による「人間抑圧の社会」(日本共産党綱領)となる

 ・「社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という
  覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑
  圧する官僚主義・専制主義の道」(同)を進み、「社会主義とは無縁な人間
  抑圧型の社会として、その解体を迎えた」(同)

 ・ソ連の崩壊は「歴史的な巨悪の崩壊」(同)であり、「世界の革命運動の健
  全な発展への新しい可能性を開く」(同)

● なぜ社会主義の3つの基準(生産手段の社会化、社会主義的な計画経済、プ
 ロ執権)を実践しながら、社会主義と無縁な存在に変質したのか

 ・その解明なくして、21世紀の社会主義は論じえない

 ・理論上の問題か、実践上の問題か、両方の問題か

● スターリンの性格のみには解消しえない

 ・レーニンの「大会への手紙」で「スターリンは粗暴すぎる」「書記長の職務
  にあってはがまんできない」(レーニン全集㊱ 704ページ)と解任を求め
  る

 ・スターリン以後の歴代指導部にも「ソ連型社会主義」は継承されている

 ・社会主義の3つの基準にてらして「ソ連型社会主義」を検証してみる

● ソ連をとりまく情勢も影響

 ・レーニンは革命当初はソ連に続いてヨーロッパ諸国の革命が勝利してこそ、
  ソ連の建設が可能だと考えていた

 ・実際には、ソ連は帝国主義諸国の軍事干渉と包囲網の中で、一国で社会主義
  の建設に向かわざるをえなかった

 ・革命当時のロシアは80%が農民の農業国であり、帝国主義列強との間に軍
  事力の差

 ・ファシズムの台頭による新たな軍事干渉にそなえて先進資本主義国の工業生
  産力に「追いつき、追いこす」ことがソ連経済の重要任務に

 

2.スターリンの生産手段の社会化

① 強制的農業集団化

● 生産手段の社会化は、巨大化した生産手段の社会化

 ・小農民の農地の社会化を意味するものではない

 ・エンゲルス「力ずくではなく、実例とそのための社会的援助の提供とによっ
  て、小農の私的経営と私的所有を協同組合的なものに移行させる」(全集㉒
  494ページ)―自発性の原則

 ・革命直後のソ連は圧倒的多数が小農民であり、その集団化は慎重のうえにも
  慎重を期すべき課題

● 1928年 第1次5ヵ年計画で重工業化推進

 ・工業化のための資金を農民から強制的に搾取して5ヵ年計画をすすめようと
  いうもの

 ・1927.1928年の穀物危機―富農、中農による穀物調達への抵抗

● 1929年末に強制的集団化決定、強行

 ・これまでの自発性の原則から転換し、説得ではなく、命令により集団化強行

 ・1930. 1~1930. 3の3ヶ月間に2%だった農家の60%をコルホーズ(国営
  農場)化

 ・農民を抑圧し、労農同盟を破壊し、人民の権力を否定するもの
  →社会主義を変質させる第一歩に

 ・多くの農民はコルホーズに提供するより殺して食べた方がいいとして、2月
  と3月の2カ月間に1400万頭の牛、豚の3分の1、羊と山羊の4分の1を殺
  し、農業に大打撃

 ・抵抗した農民900万人はシベリア送りに
  ―集団化に協力しないものを階級敵 と規定


② 生産手段の社会化が人民抑圧の手段に

● 農業集団化の本質は、生産手段の社会化が人民抑圧の手段となったところに
 ある

 ・ネップの事実上の終焉、労働者と農民の対立の激化

 ・農民における生産者が主役を否定

 ・農民抑圧により、ソ連は人民が主人公の社会から「人民抑圧型の社会」に大
  きく転換
 
● 農民のみならず、労働者をも抑圧―スト権、経営参加権を奪い、転職や移動
 の自由も制限

 ・15、16才の子供まで遅刻を理由に裁判に


③ 「警察支配」による自由と民主主義の抑圧

 ・農業集団化に伴う国内の政治的、経済的困難を「人民の敵」に転化

 ・「人民の敵」と規定されるだけで逮捕、処刑の恐怖政治

 ・1928~32年 革命前のインテリゲンチャの「粛清」

 ・34年の「キーロフ暗殺事件」を契機とし、37~38年にかけて党と国家の
  幹部、労働者、農民数千人を「粛清」

 ・17大会選出の中央委員、同候補139名中110名逮捕

●「警察支配(デルジモルダ)」の「人民抑圧型の社会」へ

 ・秘密警察の野蛮な支配により、自由と民主主義のひとかけらまで奪う

 ・文字どおりの「収容所列島」化

 

3.スターリンの計画経済

① 中央集権的指令経済

● 1930年代に、工業も農業もすべて国家が管理する中央集権的計画経済に

 ・「上から物量を中心指標とする計画目標がおろされ、その遂行が法的に義務
  づけられること、また資源の配分も中央の資材・機械補給局が直接分配(聴
  濤弘著『21世紀と社会主義』209ページ)
  ―「極度に中央集権化された指令主義的計画経済」(同)

● 第1次5ヵ年計画のもとで急速に工業化すすむ

 ・28年 対前年工業生産比 26.3%、29年 24.3%、30年 32.0%と急成長、30
  年に失業者一掃をうたう

 ・1929年の大恐慌でアメリカの対前年工業生産比―44%、4人に1人の失業

● 反面では、指令経済は官僚主義の温床に

 ・上命下達の指令経済は、強大な権力を国家官僚の手に集中

 ・しかも生産手段はすべて国有化され、その管理者は国家官僚が独占

 ・国家機関としての官僚と国有企業、国営農場の管理者とは一体化して官僚と
  なり、人民の上に君臨

 ・レーニン流「執権論」のもとで、人民民主主義と人民の権力に対する監視の
  軽視


② 官僚主義防止の手段

● パリ・コミューンの官僚主義防止の手段

 ・すべての公務員を選挙でえらび、いつでも解任

 ・労働者なみの賃金

● ソ連の実態

 ・レーニン流「執権論」に普通選挙なし

 ・スターリンによる「党員最高給月額」の廃止
  ―官僚主義防止の最後の手段まで奪われる

● 歯止めを失った官僚主義は専制主義へ


③ 「新しい階級」の形成

 ・スターリン憲法により「新しい階級が誕生」(ジラス著『新しい階級』50
  ページ)

 ・新しい階級としての「ノーメンクラトゥーラ(共産貴族)」

 ・ソ連共産党内で重要党員の序列がつくられ、それにリストアップされたもの
  が「ノーメンクラトゥーラ(名簿)」

 ・リストにもとづき、国家や企業の候補者が定められる
  →ソ連共産党そのものが「新しい階級」を生みだす

 ・新しい階級により官僚主義は専制主義に転化

 

4.スターリンの「プロ執権」

① レーニン流「執権論」の問題点

● ソビエト=プロ執権として、ソビエトを絶対的な権力とする

 ・「プロ執権」は階級敵を抑圧する論理に

 ・本来の「プロ執権」は、科学的社会主義の政党の主導性と人民主権の対立物
  の統一

 ・レーニン流「執権論」は、人民主権の側面を軽視することで、社会主義=人
  間解放の社会に背を向けることにも


② スターリンによるレーニン流「執権論」の誤りの拡大

● レーニン流「執権論」の誤りを更に拡大―人民抑圧の理論に

 ・転機になった農業集団化における党の決定によるソビエトの破壊

 ・レーニン流「執権論」を利用し、農民抑圧を強行

 ・「国家機関の上に党がある社会」(聴濤『ソ連はどういう社会だったのか』
  170ページ)

 ・「プロ執権」=「ソビエト」は「プロ執権」=ソ連共産党に

 ・「プロ執権」は人民抑圧の論理に

 ・党書記長に権力が集中し、党自体も、ソビエトも役割低下

 ・スターリンは、ノーメンクラトゥーラの作成権限を一手に掌握することで、
  「神格化」と「個人崇拝」に

● ノーメンクラトゥーラの支配とソビエト、党の形骸化

 ・最高ソビエト大会は、提出議案を承認するのみ

 ・党大会も中央委員会も次第に開催回数が減少

 ・17回大会選出の中央委員、同候補者の139名中110名逮捕、98名が処刑

 ・実際にはスターリンの個人独裁―軍事、政治、外交のすべてを決定

 ・1936年「スターリン憲法」―党は「すべての社会的ならびに国家的組織の
  指導的中核」として、一党支配体制確立

 ・党の指導的役割が憲法上記されることで、いっさいの人民の批判を封じ込め
  る

 

5.スターリンの覇権主義

① 国内的には専制主義、対外的には覇権主義

●「ソ連型社会主義」は国内的な専制主義と結びついた、対外的覇権主義

 ・「ソ連型社会主義」とは一言でいうと国内および国外における「人民抑圧型
  の社会」

 ・スターリンは生来の大国主義・覇権主義―「第ロシア人的排外主義」

● コミンテルンを利用した覇権主義

 ・コミンテルンの7回大会で反ファッショ統一戦線を提唱

 ・1939年 「独ソ不可侵条約」締結後、ナチス・ドイツを平和勢力として美化
  ―ヨーロッパの反ファッショのたたかいを困難に

 ・条約の真のねらいはソ連とドイツの勢力圏をきめる覇権主義に


② 第2次大戦中の覇権主義

● 1944年 英・ソ首脳会談

 ・チャーチルとの間でルーマニア、ギリシャ、ユーゴスラビアの分割案で合意

● 1945年 米・英・ソのヤルタ会談

 ・スターリンは、千島列島全部、歯舞、色丹、北海道本島の北半分を要求

 ・「カイロ宣言」の領土不拡大の原則に違反し、現在の北方領土問題の根源に

● スターリンの覇権主義は、レーニンの民族自決権の承認に明白に違反するもの

 ・レーニンは、民族自決権を世界のあらゆる民族の問題に広げると同時に、そ
  れを植民地解放の理論に仕上げる

 ・十月革命直後の「ロシア諸民族の権利の宣言」によりポーランド、フィンラ
  ンド独立

 ・「万国のプロレタリア、被抑圧民族団結せよ」のスローガンに発展

 ・現在植民地は基本的に解消し、植民地から独立した諸国は「非同盟諸国会
  議」を結成して、国連を動かす力にまで成長

 

6.「ソ連型社会主義」の本質

●「ソ連型社会主義」とは、社会主義とは無縁の「人間抑圧型の社会」

 ・社会主義とは、何よりも経済的搾取と政治的抑圧という二重の疎外から解放
  された人間解放、真のヒューマニズムの社会

 ・「ソ連型社会主義」はノーメンクラトゥーラによる経済的搾取と階級支配。
  スターリンの個人独裁による「警察支配」で資本主義以上の人間疎外
  ―ヒューマニズムのかけらもみられない大量虐殺と全土「収容所列島」化

● 変質の最大の原因は、レーニン流「執権論」

 ・その誤りがスターリンのもとで極限にまで拡大

 ・「プロ執権」は、科学的社会主義の政党の指導性と人民主権という対立物の
  統一でなければならないとする科学的社会主義の社会主義論の正しさを証明
  する反面教師となったということができる