● 聴 講(①38:39、②54:15、③15:08)

 

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第15講 「ソ連型社会主義」の建設と崩壊 ②

 

第2次世界大戦をつうじて、
東欧諸国に「ソ連型社会主義」と区別して
「人民戦線政府」と呼ばれる社会主義政権が誕生。

人民主権、普通選挙、複数政党制、自由と民主主義を共通の課題とする。

各国の社会主義運動の発展のなかで、コミンテルンは解散されるが、
スターリンはそれにかわって、コミンフォルムを結成し、
東欧等への覇権主義的干渉の道具に。

スターリンは、「ソ連型社会主義」と一線を画する人民戦線政府を敵視し、
1949年コミンフォルムの名でまずユーゴスラビアを「破門」、
自主的・民主的に社会主義への道を探求していた
東欧の指導者を根こそぎ逮捕、処刑し、
「ソ連型社会主義」を押し付ける。

1953年スターリン死亡、56年のスターリン批判を機に、
ハンガリーで「10月革命」。

ソ連は軍事介入により、革命を弾圧する「ハンガリー事件」勃発。

68年「チェコ5か国軍隊侵入事件」、81年「ポーランド事件」を経て、
89年ポーランドから始まった東欧革命で、
東欧の「ソ連型社会主義」政権は全て崩壊。