2011年8月27日 講義

 

 

第16講 ユーゴの自主管理社会主義と
     その崩壊 ①

 

1.ユーゴの社会主義を論じる意義

● ユーゴの社会主義

 ・コミンフォルムからの除名により、他の東欧諸国と違い、「ソ連型社会主
  義」とは異なる自主管理社会主義と非同盟外交

 ・日本共産党のめざす「国民が主人公」の社会主義と平和、非同盟・中立の外
  交に近似

 ・それだけに1991.6 のユーゴ解体の理由の解明には重大な関心を寄せざるを
  えない

● ユーゴの崩壊について科学的社会主義の陣営内のまとまった研究なし

 ・「ソ連型社会主義」とは、この点で異なる

 ・崩壊の原因の探求を試みたい

 

2.パルチザン戦争から誕生した自主管理

① 6つの共和国、5つの民族、1つの国家

● 第2のユーゴ

 ・第1のユーゴは王国。1941 ナチスの侵攻で消滅

 ・第2のユーゴは1945. 11 人民民主主義共和国として再建

 ・「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つ
  の文字、1つの国家」(柴宜弘著『ユーゴスラビア現代史』)

 ・北西から南東にかけて、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビ
  ナ、セルビア(国内にボイボディナ自治州とコソボ自治州)、モンテネグ
  ロ、マケドニア―北は豊かで南は貧しい共和国

 ・各共和国の名は、その国の多数民族の名をとってつけられている。首都はセ
  ルビア共和国内のベオグラード

 ・最大民族はセルビア人、連邦軍はセルビア人から成る


② パルチザン戦争(人民解放戦争)から誕生した自主管理

● パルチザン戦争

 ・1941. 6 ユーゴスラビア共産党のよびかけで、ユーゴの全土でパルチザン
  部隊による武装蜂起

 ・勝利した各地の「人民解放委員会」は解放区において、自主的に政治、経済
  を統括

●「人民解放委員会」が自主管理の萌芽に

 ・各地の人民解放委員会は、全国的解放は未達成なところから統一的に行動し
  えず、自らの判断で解放区を統治、自主管理の萌芽となる

 ・1945.3 自力で全土解放。チトーを首班とする臨時政府形成

● 1946. 1 ユーゴスラビア連邦人民共和国誕生

 ・45.11 憲法制定議会選挙で共産党中心の人民戦線が勝利

 ・46.1 ユーゴスラビア連邦人民共和国誕生(「第2のユーゴ」)
  ―人民民主主義共和国の名で社会主義の道へ

● 4つの平等

 ・①民族や宗教を越えて平等 ②6共和国の平等 ③すべての民族の平等 ④セル
  ビア人とクロアチア人の平等

 ・連邦中央が強大な権限をもつ統一国家として、民族・共和国間の対立をのり
  こえる→「ソ連型社会主義」とは出発点からして異なる

 

3.自主管理社会主義

①「ソ連型社会主義」のアンチテーゼとしての自主管理

● 第2次大戦後、ユーゴは反ファッショ統一戦線の基礎の上に「人民民主主義
 共和国」を設立しながらも、「ソ連型社会主義」をモデルとした社会主義建
 設をめざす(行政管理型社会主義」)

● 1948. 6 コミンフォルムからの追放を機に、「ソ連型社会主義」からの脱皮
 をはかる

 ・ソ連の軍事的、政治的、経済的圧力をはね返して、自力で社会主義建設をめ
  ざす

●「ソ連型社会主義」へのアンチテーゼ

 ・生産手段の社会化とは生産者が主人公 生産手段の国有化による党官僚の支配
  (ソ連)

 ・社会主義的な計画経済とは計画経済と市場経済の統一 極度の中央集権的指令
  経済(ソ連)

 ・「プロ執権」とは人民が主人公 共産党の一党支配(ソ連)→社会主義の3つ
  の基準のそれぞれに対立する2つの側面があることを浮き彫りに


② 経済的アソシエーションとしての自主管理

● 自主管理の中心思想は「人民の、人民による、人民のための政治」という人
 民主権の政治

 ・「人民解放委員会」による人民自治に由来

●「行政管理型社会主義」と人民主権との矛盾

 ・理論的指導者カルデリは、「ソ連型社会主義」が「党官僚の支配により、労
  働者階級を新しい形で疎外」することに注目

 ・ユーゴの「人民解放委員会」の経験が「ソ連型社会主義」からの脱皮を求め
  て自主管理へ

● 自主管理の基本的理念は、マルクスの「自由な生産者のアソシエーション」
 と人間解放

 ・「自主管理は、……『自由な生産者のアソシエーション』へとみちびく社会
  的過程」(カルデリ『自主管理社会主義と非同盟』4ページ)

 ・マルクス、エンゲルスの「アソシエーション」に最初に注目した功績大

 ・生産手段の社会化を、人と物との関係ではなくて、「人と人との関係」
  (同21ページ)としてとらえる―生産者が主役となることが「自由な生産者
  のアソシエーション」


③ 本来の「プロ執権」としての自主管理

● 生産者が主役とは、生産手段の国有化による特権的党官僚の支配の否定

 ・ソ連では、生産手段の国有化が「一種の国有的独占、テクノクラート=管理
  者独占に転化」(同30ページ)と批判

 ・「ソ連型社会主義」は、党の主導性と人民主権の統一という「プロ執権」を
  否定するもの

 ・「人民解放委員会」の経験が本来の「プロ執権」への回帰を求めた

● 共産党の主導性のもとにおける人民主権という本来の「プロ執権」の立場に

 ・一方で党官僚の「政治的絶対主義」(同 30ページ)

 ・他方で共産党から「自由になる」ことではなくて、党が「指導的、決定的な
  影響を及ぼすこと」(同 33ページ)

 ・レーニン流「執権」論を否定し、本来の意味の「プロ執権」を主張
  ―党の主導性と人民主権国家との統一


④ 社会主義的な計画経済と市場経済の統一

● 60年代に市場経済の導入

 ・63 憲法改正で自主管理権は生産物の処分にまで拡大―商品流通の活発化

 ・65 「経済改革」で市場経済を全面的に導入

●「市場経済、社会的計画化、勤労者の経済的社会的連帯」(同 43ページ)は
 自主管理の不可分の3要素

 ・市場経済の導入で60年代、70年代に年平均6%の経済成長

 ・共和国間、民族間の所得格差の拡大も


⑤ 人間解放の自主管理における社会主義の3つの基準

● 自主管理は、人間疎外を克服した人間解放の社会主義

 ・「労働と労働する人間の解放」(同 55ページ)

 ・「ソ連型社会主義」の見失っていた「人間解放」の理念のかかげられた意義
  は大きい

● 人間解放の真のヒューマニズムの社会という基本理念を明らかにし、その理
 念を実現するものとして社会主義の3つの基準をとらえる

● 正しい理念をかかげながらなぜ崩壊に至ったのか、その原因の解明が求めら
 れる

 

4.自主管理の歴史

① 人民が主人公

● 1950 「自主管理法」制定へ

 ・「工場を労働者へ」のスローガンのもと、企業内にすべての権限をもつ「労
  働者評議会」を設置

 ・評議会による生産計画と経営に関する決定、経営会議のメンバー選出
  ―企業長は経営会議のメンバーの互選

 ・労働者が経済活動の主人公であることが、法的に明確化

●1952 共産党から「共産主義者同盟」(マルクスの党)へ名称変更

 ・ソ連共産党とは異なる存在であることを示すもの

 ・「人民委員会にかんする法」で経済のみならず政治の場でも人民が主人公の
  立場を明確に

 ・1953 憲法で、政治・経済上の自主管理をユーゴの国是とする

 ・1958 共産主義者同盟第7回大会綱領

 ・「社会主義の最高目標は、人間の個人的な幸福」

 ・人民が主人公の立場から党の積極的役割を否定→理論的偏向。「プロ執権」
  を党の主導性と人民主権の統一ととらえるのではなく、後者に比重をおく


② 自主管理社会主義の基本型の完成

● 60年代の市場経済の導入で自主管理社会主義の基本型完成

 ・人間解放の真のヒューマニズムの社会を基本理念として3つの基準

 ・生産手段の社会化=生産者が主人公

 ・社会主義的な計画経済=計画経済と市場経済の統一

 ・「プロ執権」=党の主導性と人民主権の統一

● 社会主義の真にあるべき姿の探求の成果

 ・1963 憲法改正で国名も「ユーゴスラビア連邦人民共和国」から「ユーゴ
  スラビア社会主義連邦共和国」

 ・独自の社会主義への自信を示すもの


③ 自主管理の総決算としての「 74年憲法体制」

● 74年憲法体制

 ・74年憲法と76年の「連邦労働法」にもとづく体制

 ・自主管理社会主義の総決算―極限までの自由化・分権化

● 経済活動においては企業内の「連合労働基礎組織」が自主管理の基礎単位と
 なる

 ・協議と合意にもとづく「協議経済」

 ・「基礎組織」→「労働組織」(企業体)→「連合労働複合組織」へと下から
  の協議が積みあげられていく

● 政治活動においては「近隣共同代表団」が基礎組織

 ・「連合労働基礎組織」と近隣共同体から「近隣共同代表団」を結成

 ・「近隣共同代表団」→コミューン→共和国(自治州)→連邦議会へと代表制

●「緩い連邦制」

 ・経済についても連邦と6つの共和国間で「協議経済」
  ―連邦という統一国家の経済活動の形骸化

 ・政治的にも「緩い連邦制」―各共和国、自治州はみずから憲法を有し、裁判
  権、警察権、経済主権をもち、そのうえで連邦幹部会に参加

 ・緩い連邦制は、共和国間の経済格差を拡大―民族間、共和国間の矛盾拡大

 ・チトーと共産主義者同盟、連邦人民軍(多数民族のセルビア人で構成)が、
  かろうじて連邦制を保つ絆の役割

● 80年代に入って一挙に「経済危機」表面化

 ・65年の「経済改革」で年平均6%の経済成長を実現するものの、南北間の
  経済格差拡大

 ・80年代に入るとセルビア、モンテネグロ、マケドニアで外国からの借款、
  貿易赤字、恒常的インフレで「経済危機」表面化

 

5.ユーゴの崩壊

① 連邦をめぐる共和国間の対立

● 79. 2 74年体制の理論的主柱カルデリの死亡、次いで80.5 チトー死亡し、
 74年体制ゆらぎはじめる

 ・80年代の「経済危機」で共産主義者同盟や連邦政府への批判高まる

● 経済的較差を土台に、カルデリ、チトーの死とあいまって民族、共和国間の
 矛盾激化

 ・経済的に発展した共和国は連邦解体を求め、遅れた共和国は連邦の維持・強
  化を求める

 ・88年「74年憲法」修正―連邦の権限強化、統一市場の創設、市場経済お
  よび「連合労働法」の見直し


② 自由選挙による民族政党の勝利

● 1990 東欧革命の影響を受け、ユーゴ共和国で初の複数政党による自由選挙

 ・民族政党の勝利、共産主義者同盟も事実上共和国ごとの同盟に分裂
  →本来の意味の「プロ執権」消滅、連邦解体は時間の問題に

● 90. 5 クロアチア共和国に民族主義的政権誕生

 ・憲法上「クロアチア人とセルビア人の国家」とされていたものを「クロアチ
  ア人の民族国家」に改める―セルビア人武装闘争に


③ ユーゴ連邦の解体

● クロアチア、連邦からの独立を宣言。クロアチア共和国軍対セルビア人武装
 勢力と連邦軍の間で「クロアチア内戦」に。スロベニアも独立宣言

● ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国に飛び火し、91.11 独立宣言して「ボスニ
 ア内戦」へ→クロアチア、スロベニアの独立宣言で連邦解体

● 党の主導性のもとに統一国家を保っていたが、南北間の経済格差を土台とし
 て党の事実上の解体が民族間の矛盾を表面化させ、連邦解体に至ったもの