『21世紀の科学的社会主義を考える』より

 

 

第一九講 日本共産党の社会主義論

 

一、自主的な社会主義論の探究

真理探究の歴史と伝統

 日本共産党は「科学的社会主義を理論的な基礎とする」(規約)政党です。したがって、日本における「社会主義論」の探究をその中心的課題としています。
 第三講で、戦前の日本共産党の社会主義論は、そもそもの出発点から自由民権運動をふまえ、自由と民主主義の全面的開花の先に社会主義があるとする社会主義論であったことを学びました。それは科学的社会主義の学説が、「自由・平等・友愛」を実現する人間解放の理論であり、人間を「最高の存在」とする真のヒューマニズムの理論であるという原点をしっかりふまえた社会主義論だったということができます。
 またそれは、レーニン流の「プロ執権」の押しつけに反対し、自らの頭で自主的に日本における社会主義という当為の真理を探究することを意味していました。いわば、日本人民の階級闘争の歴史を唯物論的にしっかり認識し、それをふまえて自主的・創造的に社会主義の概念(真にあるべき姿)をとらえることによって正解に到達したものでした。それは「世界はいかにあるか」の真理をとらえることによって、「世界はいかにあるべきか」の真理を導きだす事実と価値の統一という弁証法的唯物論が、いかんなくその力を発揮した成果ということができます。
 この伝統は、戦後新憲法が制定される過程でも発揮されました。日本共産党は一九四六年六月「日本共産党憲法草案」(『日本共産党綱領問題文献集』一二七ページ以下)を発表しました。これは占領軍の草案をもとにつくられた政府案が、ルソーの「ヴォロンテ・ジェネラル」を念頭におきながらも「国民の総意が至高なるもの」などのあいまいな表現であったことへの批判の意味を込めて、「日本人民共和国の主権は人民にある」(同一二八ページ)ことを明記し、「日本人民共和国の政治は人民の自由な意思にもとづいて選出される議会を基礎として運営される」(同一二九ページ)として人民主権の立場にたつ民主共和制の立場を明確にするものでした。これは、本来の「プロ執権」論が、党の主導性と人民主権論の統一であるとする科学的社会主義の社会主義論をふまえて提起されたものでした。こうした日本共産党の奮闘があって、憲法の前文と第一条に主権在民の原則が記入されることになったのです。
 現在の日本共産党綱領(二〇〇四年改正)の基本は、戦後はじめて制定された六一年綱領にあります。この六一年綱領の制定過程は、ソ連・中国の覇権主義的干渉とたたかい、自らの頭で真理を探究する「自主独立路線」を確立していく過程でもありました。県労学協もそれに学んで「真理の前にのみを垂れる」をその理念に掲げています。これに先立ち、日本共産党は、いわゆる「五〇年問題」で中央委員会の解体、党組織の全国的な分裂という不幸な事態に直面します。「五〇年問題」とは、スターリンらが「日本共産党への中国流の武装闘争のおしつけをはかり、日本の党と運動を組織的にも自分たちの支配と統制のもとにおこうとした、きわめて陰謀的なもの」(『日本共産党の八〇年』一〇一ページ)であり、彼らは徳田・野坂らの内通者を利用して党を分裂させたのです。
 第七回党大会(一九五八年)で、分裂を克服して「五〇年問題」を自主独立の立場から総括すると同時に、「綱領草案」の討論がおこなわれます。日本の現状をどう規定するのかの問題と、当面の革命を民主主義革命とするのか、それとも社会主義革命とするのかの問題が最大の争点となり、全員一致に至らなかったために継続審議となります。
 提起された「綱領草案」の民主主義革命を経て社会主義革命へという二段階革命論は、戦前の三二年テーゼを引き継ぐものでしたが、より本質的には、社会主義を自由と民主主義の全面開花としてとらえるのかどうかにかかわる議論でした。それはレーニン流「執権論」のあらわれとしての二二年綱領草案にもみられたような、民主主義は「プロ執権」のための「一時的な手段」にすぎないとの考えを否定することにつながるものでした。

民主主義革命の意義

 綱領討論が継続していた一九六〇年、モスクワで「八一ヵ国共産党・労働者党代表者会議」が開かれます。日本共産党は自主独立の立場を堅持しつつ、一致する共通の課題での国際的な共同と連帯のために努力するという方針で会議にのぞみました。
 そこで日本共産党は第七回大会での綱領討論をふまえ高度に発達した資本主義国でありながら、アメリカ帝国主義に従属している国の革命は、反帝・反独占の民主主義革命であり、それは日本のみならず、事実上外国帝国主義に従属している諸国の共通の課題であるとの提起をしました。その提起は社会主義を自由と民主主義の全面開花する社会として、そこに至る道程を自由と民主主義の開花する民主主義革命を必然的に経過すべき過程とする二段階革命論の立場にたつものでした。
 これに対しイタリア、フランスの党代表は、発達した資本主義国の革命は社会主義革命以外にはないとの立場から、ヨーロッパと日本は事情がちがうので、民主主義革命に「ヨーロッパ以外」という地域的限定を求めました。日本共産党はそれぞれの国の党のおかれた状態を考慮して、この点では固執しませんでした。今にして思うと、ヨーロッパ諸党の議論は、レーニン流の「ブルジョア民主主義かプロレタリアート執権か」の二者択一を求める議論をそのまま継承し、発達した資本主義国の革命はすなわちレーニン流「プロ執権」であり、プロ執権はブルジョア民主主義と対立するものだから民主主義革命は認められないとする考えを根底におくものだったと思われます。
 イタリア、フランス両党は、ファシズム支配下でレジスタンス運動の先頭にたったことが評価されて、第二次大戦後西ヨーロッパで最も大きな二つの党となりました。しかしヨーロッパでは両党のみがコミンフォルムに加盟しており、両党はソ連共産党の影響を強く受けていたところから、レーニン流「執権論」の立場にたって民主主義革命の意義を正当に評価しえなかったのです。
 ソ連の崩壊後秘密文書が開示され、両党がソ連から長期にわたって多額の裏金をもらっていたことが判明しました。ソ連のヒモつきの政党では真理探究よりもソ連への盲従を優先させ、自国の国民に責任を負う革命戦略をもちえなかったのも当然といえるかもしれません。この両党の社会主義論に、自由と民主主義を開花させる人間解放論が存在しなかったことは、その後の両党の革命戦略上の迷走となってあらわれます。
 すなわち、フランス共産党は一九六八年、それまでの社会主義革命一本槍の路線から「先進的民主主義」をへて社会主義へという方針転換をし、七二年には社会党との間に民主主義革命の課題をかかげた「共同政府綱領」を作成して統一戦線を結びます。当時は共産党の方が社会党よりもはるかに大きな力をもっていたのですが、統一戦線にもとづいて社会党のミッテランが大統領統一候補となるなかで、社会党は選挙ごとに力を増します。これに反発した共産党は、七七年共同綱領から逸脱して、国有化の対象を拡大するより急進化した政策をもちだし、自ら統一戦線を打ち壊してしまったのです。この経過からみる限り、フランス共産党にとって民主主義的スローガンは「プロ執権」のための「一時的な手段」にすぎなかったといわれても仕方がないでしょう。
 それは、一九八五年に「先進的民主主義」は誤りだったと自己批判し、再び以前の社会主義革命の路線に回帰したことにも示されています。九一年のソ連崩壊により後ろ盾を失ったフランス共産党は、二〇〇〇年ソ連の失敗はマルクス主義の失敗だったとして、マルクス主義からの離脱を宣言し、ついには理論的にも組織的にも影響力のないミニ政党に転落してしまうことになりました。
 これに対してイタリア共産党は、一九七五年これまでの社会主義革命論の路線から、一転して当面の革命を「民主主義的、反ファシズム革命」とする明確な路線転換をします。同時に、保守勢力(キリスト教民主党)との「歴史的妥協」による多数派形成で民主主義革命を実現すると称して、キリスト教民主党にすり寄り、軍事同盟であるNATOからの脱退という伝統的立場を放棄します。民主主義を前進させる方向に向かって革命勢力が多数派形成の努力をするのではなく、現状をそのまま追認するのではもはや革命勢力とはいえません。こうしてイタリア共産党の右傾化がはじまり、東欧の崩壊した翌年の九一年二月「左翼民主党」に、さらには「民主党」へと名称を変更し、いまでは中道政党の一つに転落してしまいました。
 ある意味で、社会主義を自由と民主主義の全面開花する人間解放の社会と位置づけるか否かの理論問題が、民主主義革命をめぐる日本共産党とフランス、イタリア両党との分岐点になったということができるでしょう。さらにいえば、理論的に当為の真理を認識するには、弁証法的唯物論という真理認識の唯一の方法を駆使して、自らの頭で真理を探究する真剣な努力が求められているのであり、それが日本共産党の「自主独立路線」とよばれるものだったのです。
 日本共産党は、一九六一年アメリカ帝国主義と日本の独占資本の支配に反対する反帝・反独占の民主主義革命をつうじて社会主義革命へという二段階革命路線を確立します。この綱領路線の発展として、七六年「自由と民主主義の宣言」を発表します。そこでは「科学的社会主義の学説と運動は、あらゆる搾取から解放された、真に平等で自由な人間関係の社会――共産主義社会の建設を、根本目標としているが、それは、人類が生み出したすべての価値ある遺産を正当にうけついでおり、民主主義と自由の問題でも、近代民主主義のもっとも発展的な継承者、国民の主権と自由の全面的で徹底した擁護者として、歴史に登場した」とされています。
 これは科学的社会主義の学説と運動を、フランス革命のスローガンとなった「自由・平等・友愛」を継承しつつもより発展させたものとしてとらえるものであり、エンゲルスの指摘するように社会主義・共産主義をフランス革命の「第二幕」としてとらえるという社会主義思想の原点にたつものということができるでしょう。また科学的社会主義を「近代民主主義のもっとも発展的な継承者」としているのは、搾取と抑圧から解放された人間解放の社会が社会主義・共産主義であり、そこでは人間的価値としての自由と民主主義が全面的に開花することを表現したものといえます。
 こうして現綱領における社会主義・共産主義論は「人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会」と規定されています。この意味において、日本共産党の「社会主義論」は、社会主義の当為の真理をとらえたものということができるでしょう。
 では、この「社会主義論」をどのように実現していくのか、社会主義の三つの基準について、二〇〇四年に改訂された現綱領の立場を検討していくことにしましょう。引用文はことわらないかぎり基本的に現綱領からのものです。

 

二、生産手段の社会化

生産力の社会化

 生産手段の社会化の真理は、第一七講で学んだように「人と物との関係」における社会化と、「人と人との関係」における社会化との統一にあり、言いかえると生産力の社会化と生産関係の社会化の統一にあります。
 そこでまず「人と物との関係」、つまり生産力の社会化の問題からみていくことにしましょう。社会主義的変革の中心課題は搾取と階級を廃止するところにありますので、「社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である」とされています。しかしそれにとどまることなくその「所有・管理・運営が、情勢と条件に応じて多様な形態をとりうるもの」であることまでが明確にされ、生産手段の社会化=国有化とされていないのは「ソ連型社会主義」における国有化の問題をふまえてのものと思われます。
 この生産手段の社会化により、「人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくす」土台がつくられることになります。
 問題は、この結果「経済を利潤第一主義の狭い枠組みから解放することによって、人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的な発展の条件をつくりだす」とされていることであり、生産手段の社会化は自動的に生産力を発展させるものではないととらえていることが注目されます。これも二〇世紀の社会主義の実験の総括から生まれた規定と考えられます。
 搾取がなくなればその分生産者の生活は豊かなものとなり、生産者の自由なアソシエーションとあいまって、原理的にはより意欲的に生産力の発展に取り組みうることになります。しかし二〇世紀の社会主義の実験をみるかぎり、そう単純ではありません。「ソ連型社会主義」が生産力の発展をもたらさなかった原因として、生産手段はすべて国有化されることにより、労働者は公務員として一律に給与を支給され、よほどのことがないかぎり解雇もされないところから、働いても働かなくても労働条件に変化なしとして、勤労意欲の低下と非効率におちいったことがあげられています。中国やベトナムが「社会主義市場経済」の道を歩むようになったのも、国有企業の非効率性と生産力の低さが問題とされたことにあります。
 国有化が生産手段の社会化の一形態であることは否定できませんし、また「ソ連型社会主義」では、労働者の経営参加は排除され、生産者が生産・分配の主役になっていませんでしたから、これらの経験をもって単純に国有化自体を誤りだとすることはできません。
 その点で問題なのは、第一七講で学んだように自主管理のユーゴにおいて、労働者評議会には経営参加の権限が与えられていたにもかかわらず、「労働者は、経営戦略的な領域よりも労働条件、人事問題への参加を希望しており、……経営管理機能に属する問題には、提案することのみならず共同決定的な参加にもそれほどの関心を示してはいなかった」(中大社研『自主管理の構造分析』二八八ページ)という問題があります。
 いわば社会化された生産手段のもとにあって労働者は生産者と消費者という対立物の統一であるにもかかわらず、ユーゴの経験は、消費者の側面のみを一面的に拡大し、前者の側面を軽視することによって生産力の発展を犠牲にする結果となったというのです。
 マルクスは「ユダヤ人問題によせて」のなかで、資本主義的権利宣言は「利己的人間」(全集①四〇一ページ)を生みだすにすぎないのであり、社会主義的人間は、「個別的人間」(同四〇七ページ)であると同時「公民」(同)でなければならないと主張しました。資本主義から社会主義への移行にともなう過程は、利己的人間を公民的人間につくりかえ、労働者を消費者であると同時に生産者につくりかえる人間変革をともなう過程ということができるでしょう。
 こういう社会主義的人間集団を全体としてつくりだしていくうえで、社会主義とは人民自身が政治的にも経済的にも主人公となる社会であり、自ら主体的に統治や経営に参加していくことは、人民の権利であると同時に義務であるという「社会主義の理念」を高く掲げ、人民の一人ひとりに徹底させるという科学的社会主義の政党の理論的主導性が必要となってくることでしょう。

生産手段の社会化は生産力の発展をもたらしえないか

 しかし、より本質的な問題として、第一二講で問題にしたように生産手段の社会化(国有化)のもとでは競争原理が働かないから生産力は発展しないのであり、社会主義のもとで生産力を発展させるには市場経済を導入するしかないとの議論があります。
 もしこの議論が正しいことになれば、生産手段の社会化を中心とする社会主義とは、「貧しさを分かち合う平等社会」でしかないことになってしまいます。こうして二〇世紀の社会主義の実験は、生産手段の社会化と生産力の発展との関係の解明を新たな課題としてつきつけているのです。
 マルクスは、利潤第一主義の資本主義のもとでは、資本の運動を「推進する動機とそれを規定する目的とは、交換価値(利潤――高村)そのもの」(『資本論』②二五五ページ/一六四ページ)だと述べています。資本はより多くの特別利潤を求めて生産力の発展を競い合うことになります。したがって「社会的労働の生産諸力の発展は、資本の歴史的任務であり、歴史的存在理由である。まさにそれによって、資本は無意識のうちにより高度な生産形態の物質的諸条件をつくり出す」(同⑨四四二ページ/二六九ページ)のです。
 確かにマルクスも指摘するように、資本主義においては利潤第一主義のもとで市場における競争原理が生産力を発展させてきたことは間違いのないところです。しかしこのような市場経済による競争原理が唯一の生産力発展の要因だとすることは正しくないでしょう。人間の類本質としての「共同社会性」は、共同体のなかで助けあい、学びあい、高めあうことによって、個人の力を越えた集団の力を発揮するのです。マルクスは「協業」のもつ集団力について、「結合労働日の独特な生産力は、労働の社会的生産力または社会的労働の生産力である。それは、協業そのものから生じる。労働者は、他の労働者たちとの計画的協力のなかで、彼の個人的諸制限を脱して、彼の類的能力を発展させる」(同③五七三ページ/三四九ページ)と述べています。この「類的能力」が「共同社会性」にほかなりません。
 この類的能力は、社会的に強制される競争原理を大きく上回る力をもっています。競争原理の行きつく先は、現在日本の独占資本の採用している成果主義賃金であり、それは個々人が習得した技能を他の労働者に継承することを拒むことによって生産力の発展の障害になっていることは、いまや明白になりつつあるところです。しかしアソシエーションのもとで人類の「共同社会性」は全面的に発揮されるのであり、類本質としての「共同社会性」にもとづく生産力の発展には限界がないのです。
 マルクスは、社会主義を「共同的生産手段で労働し自分たちの多くの個人的労働力を自覚的に一つの社会的労働力として支出する自由な人々の連合体(アソシエーション――高村)」(『資本論』①一三三ページ/九二ページ)とよんでいます「自覚的に一つの社会的労働力として支出する」とは、強制によってではなく自覚的に「共同社会性」を発揮する労働力という意味であり、マルクスもそこに社会主義における生産力発展の要因を見いだしているように思われます。
 生産手段の社会化は「物質的生産力の新たな飛躍的な発展の条件をつくりだす」のですが、その可能性を現実性に転化させるには、社会主義の理念を高く掲げ、生産者と消費者の統一、利己的個人と普遍的個人の統一、「共同社会性」を自覚的に発揮する生産関係の構築へと人民を導いていく科学的社会主義の政党の役割が求められることになります。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」とのスローガンは、こうした対立物の統一を実現するうえで有効なものとなるでしょう。
 そのためには、人民自治のための時間を保障する労働時間の短縮が当然の前提となることはいうまでもありません。これこそ資本主義のもとではけっして自動的には実現されないものであり、社会主義の優位性が発揮されるべき課題です。ですから綱領では生産手段の社会化が「労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての構成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす」と規定して、時短が公民的人間という「人間的発達を保障する土台」となることも明らかにされています。
 
生産関係の社会化

 「人と人との関係」、つまり生産関係における社会化とは、生産手段を社会化することによって資本家階級と労働者階級のいずれもが消滅し、自由にして平等な経済的アソシエーションを実現しようとするものです。生産手段が資本主義的私的所有から社会的所有に移行すれば資本家が消滅するのは当然のことですが、同時に資本家に労働力を売却するという意味での労働者も消滅し、これまでの労働者は「生産者」となります。
 生産手段の社会化による階級の廃止という場合、二〇世紀の社会主義の実験は二つの問題を提起しました。
 一つは言うまでもなく、「ソ連型社会主義」におけるノーメンクラトゥーラという資本家にとってかわる「新しい階級」の登場の問題です。この新しい階級は、「ソ連型社会主義」のもとで基本的生産手段がすべて国有化され、ノーメンクラトゥーラがその管理者となることによって生じたものです。この経験をふまえ、綱領では生産手段の社会化は「生産者が主役という社会主義の原則を踏みはずしてはならない」として、経済的アソシエーションをめざすものであることを明確にすると同時に、「『国有化』や『集団化』の看板で、生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない」としています。
 二つは、ユーゴの自主管理社会主義が提起した職場における民主主義のもたらした病弊の問題です。ユーゴの精神科医は「七四年憲法体制」のもとで「自主管理症候群」(岩田『凡人たちの社会主義』二九ページ)というカテゴリーをつくり出していました。「われわれのシステムでは社会のどこにいてもやたらに会議や集会が多く、日常、顔をつき合わせての対決が頻繁だ。そんなところからくる精神病、神経症が多くなっている」(同)というのです。
 しかも企業所得の個人への分配も全員集会で決定されることから集団内の不和が蓄積されることになり、企業内の生産者の不団結を生みだしたというのです。この経験をどれだけ普遍化しうるかは問題ですが、少なくとも生産手段の社会化により階級を廃止することは、直ちに自由で民主的な経済的アソシエーションを実現できるわけではないということを証明したものといえるでしょう。
 生産手段の社会化が「生産者を抑圧する官僚専制の体制」をつくり出してはならないのは当然のことです。それと同時に企業体を生産者の自由で民主的なアソシエーションとしながら、一個の有機体としての経営意志を確保するためには、民主主義を保障しながらも中央集権制が求められることになるでしょう。実践的には企業体のうちに自主的な労働組合を結成し、企業管理者と労働組合との対立と協調をとおして職場での民主主義と中央集権制の統一の実現が求められることになるでしょう。
 いずれにしても綱領が生産手段の社会化に関し、生産力の発展と自由で民主的な生産関係という対立物の統一の見地にたって、日本の社会主義への道を「日本国民の英知と創意によって解決しながら進む新たな挑戦と開拓の過程」としてとらえているのは、その通りであり、だからこそ科学的社会主義の政党がその導き手とならなければならないのです。

 

三、社会主義的な計画経済

計画経済と市場経済の統一

 社会主義的な計画経済の真理は、計画経済と市場経済の統一であり、上からの計画と下からの計画の統一です。 まず、生産手段の社会化によって、「経済の計画的な運営」の条件がつくられ、「くり返しの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする」ことが明らかにされています。生産の無政府状態にとってかわる計画的、意識的な経済活動こそ、資本主義的経済活動の矛盾を止揚し、貧困、不況、環境破壊、社会的格差などの諸問題を解決することにより、社会主義の制度的優位性を示すものとなるのです。
 本来の社会主義的な計画経済は、このようなマクロ的な計画経済であって、一九三〇年代のソ連で行われたような「ボタンの数まで国家で決めて生産する」(聴濤弘『ソ連はどういう社会だったのか』一〇四ページ)というようなミクロ経済の問題ではなく、ミクロ経済の問題は、需要と供給の調整機能をもつ市場経済にまかせればいいのです。したがって計画経済の対象となるのは、国民の生活・医療、教育、福祉の向上を中心としながら生産と消費、工業と農業、経済発展と環境保全などの統一というつりあいのとれた計画的発展ということになるでしょう。
 日本の社会主義の道は、「市場経済をつうじて社会主義に進む」ものとされています。まず社会主義の前段階としての民主主義革命のもとで、民主連合政府による「ルールある経済社会」がつくられます。それは「大企業にたいする民主的規制を主な手段として、その横暴な経済支配をおさえる」ものです。市場経済は認めながらも、市場原理のもたらす雇用不安、失業、社会的な格差の拡大、労働者・中小企業への犠牲の押しつけ、環境破壊などの負の要因を、民主連合政府のもとで大企業への民主的規制によって緩和し解消していこうというものです。
 民主連合政府がたんに政府のみならず「国の機構の全体を名実ともに掌握し、行政の諸機構が新しい国民的な諸政策の担い手」となるなかで、社会主義的変革が課題となり、「主要な生産手段」を少しずつ社会化していくことになります。
 少しずつ生産手段を社会化していくことにより、「市場経済のなかでまず社会主義部門が生まれ、そして、その合理性と優位性を市場経済のなかで点検されながら、次第に社会主義部門の比重と力量を大きくしていく」(不破哲三『激動の世界はどこに向かうか』二二〇ページ)ことにより、「市場経済をつうじて社会主義へ進む」のです。利潤第一主義の資本主義部門の生産力に立ち向かって、市場での競争をつうじて社会主義部門がその優位性を示していくことは容易なことではありませんが、それを可能にするのは、やはり社会主義の理念に支えられた労働者、国民の社会主義的主権者意識ではないかと思われますが、これも引き続き二一世紀の課題ということになるでしょう。
 こうして社会主義日本の経済計画は、計画経済と市場経済の統一となるのです。この形態が社会主義・共産主義の社会全体をつうじての問題なのか、それとも過渡的な形態なのかは議論を要する問題ですが、市場には市場経済でなければ解決しえない労働力の配分や需要と供給の調整の機能がありますので、少なくとも市場経済は相当長期に継続し、この間は、商品も、価値も存続することになるでしょう。
 「社会主義的改革の推進にあたっては、計画性と市場経済とを結合させた弾力的で効率的な経済運営、農漁業・中小商工業など私的な発意の尊重などの努力と探究が重要である」。
 市場経済には一定の調整機能というメリットがあると同時に、他方で所得格差の拡大、弱肉強食などのデメリットもあります。このデメリットにより、経済的弱者となりがちな「農漁業、中小商工業」などが切りすてられないよう計画経済によって「弾力的で効率的な経済運営」が求められることになります。これも二一世紀に残された大きな課題ということができるでしょう。

上からの計画と下からの計画の統一

 市場には、需要より供給が多ければ市場価格は低下し、逆に需要より供給が少なければ市場価格は高騰することによって、需要と供給の関係を調節するという機能がありますが、将来の経済の真にあるべき姿という経済の当為の真理まで示すことはできません。それは人民の多数の意志を基礎として探求されなければならない課題であり、したがって上からの計画と下からの計画の統一が求められることになるのです。
 綱領では、上からの計画と下からの計画の統一の問題についての直接的言及はありません。しかし社会主義への前進は、統一戦線の力により「国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程」とされていますので、この統一戦線が政府と国民とを結ぶ中間団体として位置づけられていることになります。また「国民の消費生活を統制したり画一化したりするいわゆる『統制経済』は、……全面的に否定される」とされているのも、事実上上からの計画と下からの計画を統一するものといえるでしょう。
 統一戦線については、次の「プロ執権」論で学ぶことになりますが、統一戦線は人民の要求する社会主義的な経済計画をとりまとめて政府に提示します。政府はそれを受けて計画を決定し、統一戦線はその計画を実践することをつうじて生じた問題をさらに政府に提起し、政府はそれを検討して決定するという過程をくり返すことになります。いわば統一戦線を媒介にして、下から上へ、上から下への運動を反覆することをつうじて、上からの計画と下からの計画の統一が予定されているのです。

 

四、「プロ執権」論

民主共和制のもとでの「国民が主人公」の社会

 「プロ執権」の真理は、科学的社会主義の政党が導き手となった「人民の、人民による、人民のための権力」にあります。言いかえると、「プロ執権」とは共産党の主導性と人民主権との統一です。
 まず人民主権の問題ですが、第一二講で学んだように「プロ執権」は人民の普通選挙にもとづく民主共和制をその「唯一の政治形態」(全集㉒二八七ページ)としています。
 現綱領はこの基本的見地をまっすぐ受けつぎ、社会主義的変革の「出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で国民の合意が前提となる」とされ、普通選挙にもとづく民主共和制という政治形態により、国民の多数の意志にもとづいて社会主義・共産主義を建設するという「多数者革命」の立場が明確にされています。
 こうして国民の多数の合意にもとづいて建設される社会主義・共産主義の日本とは、「搾取の廃止によって、人間が、ほんとうの意味で、社会の主人公となる道が開かれ、『国民が主人公』という民主主義の理念は、政治・経済・文化・社会の全体にわたって、社会的な現実となる」とされています。「ほんとうの意味で、社会の主人公となる」とあるのは、一つには現憲法が国民主権原理をかかげながらも、実際には財界主権となっている現状を批判したものであり、二つには普通選挙という国民の多数の意志にもとづく政治ではあっても、それが国民のための政治になっていないことを批判したものであり、三つには、国民は選挙のときのみの主権者であって、選挙が終われば奴隷となっている現状を批判したものということができます。つまり「国民が主人公」とは、「人民の、人民による、人民のための社会」という人民主権の国家、社会を意味しているのです。

直接民主主義と間接民主主義の統一

 人民主権という場合、人民は選挙のときのみの主権者ではなく、日常的に主権者として行動し、人民の代表者の動きをチェックする直接民主主義が保障されなければなりません。その意味でこれも第一二講で学んだように「プロ執権」とは直接民主主義と間接民主主義の統一なのです。
 直接民主主義を実現するには、デモや集会、リコールや請願などの手段が保障されなければなりません。それと同時に、日常的に国家と人民との間にたって人民の多数の意志をすくいあげ、国家の政策に反映する中間団体が必要となります。綱領では統一戦線がその中間団体として位置づけられ、直接民主主義と間接民主主義の統一をめざしています。
 「日本共産党は、社会主義への前進の方向を支持するすべての党派や人びとと協力する統一戦線政策を堅持し、勤労市民、農漁民、中小企業家にたいしては、その利益を尊重しつつ、社会の多数の人びとの納得と支持を基礎に、社会主義的改革の道を進むよう努力する」。
 「社会の多数の人びとの納得と支持」の対象となるのが、社会主義をめざす国家の決定する諸政策であることはいうまでもありません。こういう全人民的「納得と支持」のもとに一歩ずつ社会主義・共産主義の建設に向かって歩んでいくことになるのです。

日本共産党の主導性

 では、次に日本共産党の主導性について現綱領はどう規定しているでしょうか。現綱領にはそれまで存在していた「プロレタリアート執権」の訳語である「労働者階級の権力」という用語は使用されていません。そうしたことから「国民が主人公」がキーワードとなっていることと相まって、日本共産党は党の主導性も「プロ執権」論も放棄したとの議論が一部にありました。しかし原発の「安全神話」にみられるように、日本のように高度に発達した資本主義国のもとで巨大なマスコミが存在し、それが国民の意識を左右し、世論誘導して支配階級のイデオロギーに従属させる役割を果たしているという状況のもとにあって、日本共産党の主導性なしに、国民を統一戦線に結集して民主連合政府をつくり、さらには社会主義・共産主義の日本に前進するということは、たんなる夢物語にすぎません。ヘーゲルの時代以上に、人民は「定形のない塊り」であり、問題によっては支配階級の意志に支配され、従属する「定形のある塊り」にもなっているのです。
 綱領では「国民が主人公」の立場から統一戦線をつうじて民主主義革命から社会主義革命へと「国民の合意のもと、一歩一歩の段階的」に前進する道すじが示されていますが、党は「国民的な共同と団結をめざすこの運動で、先頭にたって推進する役割を果たさなければならない」と規定されています。したがって「統一戦線の発展のための決定的な条件」となるのは、日本共産党の「高い政治的、理論的な力量」と「労働者をはじめ国民諸階層と広く深く結びついた強大な組織力」であるとされています。
 すなわち統一戦線の「先頭にたって推進する役割」とは、党の主導性にほかなりませんし、主導性を発揮するために「高い政治的、理論的な力量」、つまり理論的主導性を基本にしつつ、「強大な組織力」により国民と「広く深く結びつ」く組織的主導性もあわせて求められているのです。このように日本共産党は国民の「先頭にたって」一般意志を提示し、国民の支持と共感をえて一般意志をかかげた統一戦線のもとに国民の多数を結集して統一戦線を「推進する役割」を果たすのです。
 しかしスターリン憲法の「指導的中核」条項が歴史的に果たした役割を考慮し、一方では党と人民とは指導・被指導の関係ではないという意味をこめて「日本の労働者階級の前衛政党」という誤解を生む規約上の規定をあらためて「日本の労働者階級の党であると同時に、日本国民の党」と規定すると同時に、他方で党の主導性を国民に押しつけるのではなく自らの自覚とする意味で、現規約には、党は「日本社会のなかで不屈の先進的な役割をはたすことを、自らの責務として自覚している」と明記したのです。
 日本共産党は、真理探究の武器としての弁証法的唯物論を縦横に活用して、真にあるべき政治という当為の真理を示して、人民の導き手となることを自覚し、実践すると同時に、日本革命という階級闘争に勝利するためには、日本共産党が社会変革の統一戦線に国民を結集するうえで決定的役割を果たさねばなりません。そのため「労働者をはじめ国民諸階層と広く深く結びついた強大な組織力」を、うまずたゆまず作り上げてゆく不断の努力が求められているのです。
 日本共産党の綱領と規約の立場は、党の「指導性」と誤解されるおそれのある党の「主導性」という用語を使用することなく党の主導性を認め、実質的に「プロ執権」論の真理である日本共産党の主導性と人民主権の統一の立場にたっていることをより正確に、しかも誤解されないよう工夫して規定したものということができるでしょう。

 

五、まとめ

 かつて「ソ連型社会主義」が支配的だった一九八〇年代までの時期には、日本共産党の自主独立路線は「自主孤立路線」と批判され、ソ連の言いなりにならない日本共産党は、「マルクス・レーニン主義からの逸脱である」などの国際的批判を浴びることがしばしばでした。
 事実その頃、日本共産党は、二大「社会主義」国とされていたソ連とも中国とも対決し、フランス、イタリア共産党とも一線を画する国際共産主義運動の孤児であるかのように扱われていましたし、その綱領路線は特異な路線であるかのようにみなされていました。
 しかしいまでは、すでにソ連も東欧もなく、フランス共産党は衰退し、イタリア共産党は消滅してしまいました。中国共産党も、「文革」時の日本共産党への干渉・介入を自己批判して日本共産党との関係正常化を求めただけではなくて、これまで三回の両党理論会談をおこなっています。その会談は、いずれも中国側が設定した問題に日本側が回答するという形でおこなわれ、二〇〇九年の第三回会談は、「世界経済危機」を中心に「二十一項目の質問が用意されていて、それらについての日本共産党の見解を聞きたい」(不破前掲書一ページ)というものでした。
 政権を掌握して半世紀以上にもなる「社会主義をめざす」国の政権党が、いまだ一度も政権の座についたことのない日本共産党に対し、二一世紀の社会主義の諸問題についての見解を求めるということは、通常では考えられないことだといえるでしょう。日本共産党とベトナム共産党との間でも二〇一一年一〇月四度目の理論交流がおこなわれています。
 県労学協は、二〇〇〇年に中国、二〇〇九年にベトナムを訪問し、中国では江西師範大学と、ベトナムでは「ベトナム友好連合機構」と理論交流しました。そこでも日本における自主的な科学的社会主義の探究は、国際的にも生命力をもつものであることを実感しました。
 また「ソ連型社会主義」を批判し、「二一世紀の社会主義」を唱えているベネズエラ、エクアドル、ボリビアの三国は、いずれも多数の意志にもとづく民主主義革命から社会主義革命へ、しかも自由と民主主義の花咲く国民参加型の社会主義への道を歩もうとしています。
 こうして、いまや日本共産党が自主的・創造的に探究してきた社会主義論は、科学的社会主義の社会主義論の当為の真理であることが歴史的に証明されつつあるのです。まさに「真理は必ず勝利する」のです。それは同時に、これまでの社会主義の三つの基準といわれるものへの反省をせまり、科学的社会主義の「人間論」の見地にたった「社会主義論」が求められていることになるでしょう。
 本講座では、二一世紀の科学的社会主義に残された三つの課題として、「人間論」「弁証法的唯物論の定式化」「社会主義論」を取りあげてきました。以上の議論をもとに最後の第二〇講において、この三つの課題をふまえて日本共産党の社会主義論を検討すると同時に、科学的社会主義とは何かをもう一度根本からつかみ直し、二一世紀の科学的社会主義を考えてみることにしましょう。