2012/05/26 講義

 

第2講 古代哲学①
    創始期の自然哲学

 

1.古代ギリシアのポリス(都市国家)が
  哲学を生みだす

● 今話題のギリシア―総選挙で急進左翼連合第2党に躍進。大企業に甘く国民を
 苦しめるEUの緊縮方針の転換をせまるもの

● ポリス―城壁に囲まれた都市国家

 ・市民はポリスの政治に参加し、ポリスを担う―政治の politics はポリスに
  由来

 ・ポリスにおける自由と民主主義が学問と文化を発展させる

 ・典型はアテナイ、スパルタ(ギリシアの植民地も含め、アリストテレスによ
  ると158のポリスがあったという)―アテナイ、スパルタ間のペロポネス戦
  争(BC431~404)がギリシア衰退の原因に

● 自由な市民が古代ギリシア哲学を生みだす

 ・哲学(フィロソフィア、知を愛する)とは学問一般を意味

 ・ホメロスの『イーリアス』『オデッセイ』にみられるギリシア神話から抜け
  出し、自然における根本的存在は何かという自然哲学に始まる

 ・ソクラテスによって人間としていかに生きるべきかという人間哲学に

 ・プラトン、アリストテレスで最盛期をむかえ、ヘレニズム時代を経て紀元前
  1Cのローマ帝国の誕生により哲学は衰退していく

● 古代ギリシア哲学の最大の遺産は弁証法

 ・「古代ギリシアの哲学者たちはみな、生まれながらの、天成の弁証家であっ
  て、じっさい、彼らのうちで最も広い学識の持主であるアリストテレスは、
  すでに弁証法的思考の最も根本的な諸形式を研究したのであった」(全集
  ⑳ 19ページ)

 ・「自然はまだ全体として、大局的に直観されている。自然現象の総体的連関
  は個別的には証明されておらず、それはギリシア人たちにとっては直接的な
  直観の結果なのである」(全集⑳ 364ページ)

●「ギリシア哲学の多様な諸形態のなかには後代のほとんどすべての見方が胚種
 の形で、発生しかけた姿で見いだされるということである」(同)

 ・ギリシア哲学のなかには、さまざまなカテゴリーが「胚種の形」で存在して
  いる

 


2.ミレトス派

① 紀元前6世紀ギリシアの植民地だったイオニアの
  中心都市ミレトスが哲学の発祥の地

 ・ミレトス派の哲学者は、哲学者であると同時に自然科学者

 ・ミレトス派の哲学者としてタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス


② 「古代哲学は原始的な、生まれながらの唯物論」(同144ページ )

● ミレトス派は世界の生成、消滅する物質の中にあって、永遠、不変な根源的な
 もの(アルケー・原質)が存在すると考え、それを特定の物質に求めた

 ・哲学は物事の根本を探究する学問

 1)タレス(BC642〜545頃)

 ・ミレトスの人

 ・アルケーは水である

 ・水は形態のないものとして普遍性をもつ(器次第でどんな形にでもなる)

 ・あらゆる生物の種子は水分を原理としている

 ・「タレスは幾何学者であり、1年の日数を365日と決定したし、また日食を
  予言したといわれている」(全集⑳ 497ページ)

 2)アナクシマンドロス(BC610〜545頃)

 ・ミレトスの人で、タレスの弟子

 ・アルケーは無規定な物質(アペイロン)である

 ・タレスの水も規定されたものとして、水よりもっと普遍的なものとしてのア
  ペイロンを考えた

 ・「アナクシマンドロスは日時計や、ある種の海陸の地図や、種々の天文学的
  用具を製作した」(同)

 3)アナクシメネス(BC585〜525頃)

 ・アルケーは無規定なものとしての空気である

● ここには哲学上のいくつかの重要な問題が含まれている

 ・最初の哲学は、物質こそ世界の根源だとする唯物論の立場にたっていたこと

 ・「ここにはすでに、まったく原初的な自然成長的な唯物論があり、この唯物
  論はそのはじめにはまったく自然に、無限の多様性のなかにあっての自然現
  象の統一を自明のこととみなし、そしてこの統一を……規定的された物体的
  なあるもの、特殊的なあるものに求めている」(同)

 ・多のなかに一がある、一が多となる。個(特殊)のなかに普遍がある、普遍
  が個(特殊)となる―「一と多」「特殊と普遍」というカテゴリーの萌芽が
  みられる

 ・アナクシマンドロスは、アペイロンから暖かいものと冷たいもの、乾いたも
  のと湿ったものの対立が生じ、アナクシメネスは空気の濃厚化と希薄化の対
  立が生じ、この対立からすべてのものが生じるとして運動を弁証法的に考え
  る萌芽を示す―自己同一なものから運動は生じない

● しかし、哲学の任務は表象のうちにとらえたものを思想の力により最も普遍的
 な根本概念(最高類概念)としてカテゴリーにまで高めるところにあるが、ミ
 レトス派はそこにまでは到達することができなかった

 


3.ピュタゴラス派

● ピュタゴラス(BC580〜500頃)にはじまり、ピュタゴラス派はBC4C末ま
 で続く

 ・ピュタゴラスは、はじめて自分を知者(ソフォス)ではなく愛知者(フィロ
  ソフォス)とよんだ

 ・ピュタゴラスの定理を発見した際、「百頭の牡牛を犠牲に供した」(『哲学
  史』㊤ 309ページ)とされている

 ・万物の根源をミレトス派は個々の特殊な質に求めたのに対し、ピュタゴラス
  派は質ではなく、量に求めた

 ・「数がすべての事物の本質であり、従って諸規定から成る全宇宙の組織は数
  とその諸関係との調和的体系である」(『哲学史』㊤ 275ページ)―自然の
  根源は数である

 ・「数が特定の諸法則にしたがうように、宇宙もまた特定の諸法則に従う。こ
  れによって宇宙の合法則性がはじめて表明されたのである。音楽における和
  音を数学上の比に帰着させたのはピュタゴラスだとされている」(全集⑳
  499ページ)

● 一と二

 ・一とは「同一性」

 ・二とは、「区別」→同一と区別のカテゴリーの確立(形式論理学と弁証法と
  いう思惟法則を論じるうえで最も重要なカテゴリー)

 ・区別には「差別性」「対立」「関係」の3つがある(この区別の3形態は
  ヘーゲルに引きつがれている)

 ・「差別性」とは、個々別々の考察

 ・「対立」とは、一者の成立は他者の消滅となる区別

 ・「関係」とは、対立する両者の共存

 ・対立するもの、関係するものは、もう一つ高次の類の下に立たねばならない
  →対立物の統一の弁証法の萌芽

● 対立というカテゴリーを真理認識の本質的規定と考え、対立する10のカテゴ
 リーの「双欄表」を作成(10を完成された数と考える)

 ・有限と無限

 ・奇数と偶数

 ・一と多

 ・右と左

 ・男性と女性

 ・静と動

 ・正と曲

 ・光と闇

 ・善と悪

 ・正方形と長方形
  →「対立を絶対者そのものの本質的契機とした源泉がピュタゴラス派にある
   ことは明らかである」(『哲学史』上283ページ)
  →「この試案は、このような単なる枚挙以上にでなかったように思われる。
   それでもアリストテレスがやったような、一般的な思惟諸規定(カテゴ
   リー ―高村)の収集が、ここにはじめて作られたということは極めて重
   要である」(同284ページ)

● ピュタゴラス派はミレトス派とエレア派との中間にたっている

 ・ピュタゴラス哲学の原理は「感覚的なものから、超感覚的なものへの橋をな
  している」(『小論理学』上318ページ)

 ・哲学の任務は一般に、事物を思想に還元することにあるが、数(量)は思想
  ではあっても、質と並んで事物のもつ2つの要素の1つであって「感覚的な
  ものに最も近い思想」(同)にすぎない

 ・ピュタゴラス派は、自然の根源を感覚的なものととらえたミレトス派と純粋
  な思想をとらえたエレア派の中間に位置づけられる

● ヘーゲルの批判

 ・「単に数という思想をもっては事物の規定された本質あるいは概念を言いあ
  らわすに足りない」(『小論理学』上319ページ)

 ・数(量)は重要なカテゴリーではあるが、まだ真理を認識するうえでは端緒
  的カテゴリー

 ・質に対立する量をとらえた意義は大きい―しかし「質と量」を対立するカテ
  ゴリーとしてとらえてはいない

 


4.エレア派

● エレア派とは紀元前6~5Cに南イタリアの町、エレアで生まれた哲学の一派

● 真の哲学史のはじめ

 ・「真の哲学史のはじめはエレア哲学、もっと厳密に言えばパルメニデスに見
  出される」(同265ページ)

 ・プラトンの『パルメニデス』(プラトン全集④)は、プラトン弁証法の最高
  傑作とされている―パルメニデスの主張する「一」に対して、プラトンは
  一と多の弁証法を論じている

 ・エレア派ははじめて万物の根源を「有」という思想においてとらえ、「思惟
  をその純粋性において、しかも真に客観的なものとして(本質的なものとし
  て―高村)把握」(同266ページ)した


① パルメニデス(BC515頃の生まれ)

● エレア派を代表する人物

 ・有のみがあり、無は存在しない(有るものは有り、有らぬものは有らぬ)

 ・「有」とは「何ものかがある」「何ものかである」(規定された有)のでは
  なく、たんに「有る」こと(無規定の有)

 ・「その根底にあるものは同一性の原理」(『哲学史』㊤ 318ページ)であ
  り、有は有であって無とならず、無は無に等しく有とはならない。「それ故
  に同等なものからは何ものも生じ得ない」(同)という原理

 ・ヘーゲル「論理学」はエレア派に学んで「有」から始まっている

 ・ミレトス派のアナクシマンドロスやアナクシメネスの一から多が生じるには
  対立という区別が存在しなければならないとの考えを否定することによっ
  て、同一なものは同一であり区別(変化)は生じないとして運動一般を否定

 ・生成(有らぬものが有る)も消滅(有るものが有らぬ)も存在しない

 ・有という一者のみがあり、多は存在しない(「一にして全」ヘン・カイ・パ
  ン)として、ミレトス派の一から多が生じるとの考えを否定

● パルメニデスの功罪

 ・彼が純粋な思惟としての「有」というカテゴリーを打ちたてた功績は大きい
  (「有と無の統一は成」というのは運動を示す基本的カテゴリーとなる)

 ・有るものは有り、有らぬものは有らぬとして、形式論理学の矛盾律(すべて
  のものは自己同一である。AはAである)という思惟法則の原型をつくる

 ・「人々は普通、対象や概念のうちにこのような矛盾を発見し認識すると、そ
  こから『故にこの対象は無である』という結論をくだす。かくして運動が矛
  盾であることを最初に指摘したゼノンは、『ゆえに運動は存在しない』と
  いってい(る)」(『小論理学』㊤ 278ページ)

 ・また、「有」のカテゴリーは、「最も抽象的で、最も貧しい」(『小論理
  学』㊤ 263ページ)カテゴリーにすぎないのであり、それにとどまること
  は許されない

 ・有を無との対立においてとらえた功績は評価しうるが、有のみが真理であ
  り、無は誤りだとしてその相互媒介を考えなかったため、ミレトス派の弁証
  法的思考からは一歩後退している


② ゼノン(BC490〜430頃)

●「弁証法は実にゼノンに始まる」(『哲学史』㊤ 338ページ)

 ・弁証法は相手方の主張を否定することに始まる。いわゆる「消極的弁証法」

 ・ゼノンはパルメニデスを否定する相手の主張を取りあげ、そのもつ矛盾を指
  摘して自己の立場の正しさを論証した(「ゼノンの逆説」)

● 運動するものはその目標に達しえない(運動の弁証法)

 ・運動するものは、目標の半分に到達しなければならない

 ・しかし空間の半分は再び全体となり、運動するものはその半分(最初の目標
  の半分の半分)に到達しなければならない

 ・こうして無限に空間の半分は続く

 ・運動はこの無限の契機の通過であり、したがって決して終わらない。それ故
  に運動するものはその目標に達しえない

 ・つまりゼノンは空間は連続量(無限に分割可能なもの)と非連続量(一定量
  に分割されたもの)という矛盾からなっているにもかかわらず、目標地点と
  いう非連続量を、連続量としてとらえたもの

 ・「それは量を一方では連続的なものとして、他方では非連続的なものとして
  主張することにほかならない。もし空間、時間、等々が単に連続量の規定を
  もって定立されるならば、それらは無限に分割しうるものである。しかし非
  連続量の規定をもって定立されるならば、それらはそれ自身分割されている
  ものであって、分割されない諸々の一から成っている」(『小論理学』㊤
  307ページ)

● アキレウスでも先をいく遅いものに追いつけない(健脚アキレウスの証明)

 ・アキレウスは『イリアス』にでてくるトロイ戦争の英雄。健脚の持主として
  知られる

 ・アキレウス(A)―1時間に20キロ、(B)―1時間に10キロ

 ・AはBの後方20キロから、Bと同時にスタート

 ・1時間後AはBの出発点に、Bはその10キロ先

 ・1.5時間後AはBの出発点から10キロ先、Bはその5キロ先

 ・この反復でAはいつまでもBに追いつけない

 ・よって運動は存在しない→運動(走行距離)は、時間と空間の媒介的統一
  (時間×速度)であるにもかかわらず、時間と空間を分離してとらえてい
  る。2時間後にはアキレウスはBに追いつく

● ゼノンはパルメニデスの原理を否定することは自己矛盾を生みだすことになる
 として、消極的弁証法をつうじてパルメニデスの立場を擁護

 ・運動の存在を否定したものではなく、同一性の原理に立って運動のもつ矛盾
  を指摘することで運動を論理的に否定しようとしたもの

 ・しかし「運動そのものが1つの矛盾である。すでに単純な力学的な位置の移
  動でさえ、1つの物体が同一の瞬間に1つの場所にありながら同時に別の場
  所にあるということ」(全集⑳ 125ページ)

 ・すべての物質は運動しており、運動のない物質はない。言いかえるとすべて
  の物質は矛盾をもつことによって運動しているのであり、ここに弁証法的論
  理学の真理性がある

 ・弁証法は「現実の世界のあらゆる運動、あらゆる命、あらゆる活動の原理で
  ある」(『小論理学』㊤ 246ページ)

 


5.ヘラクレイトス(BC535~475頃)

● エフェソス生まれの「暗い人」とよばれる。プラトンの師

●「万物は流転する(panta」 rhei)(『哲学史』㊤ 367ページ)

 ・「我々は同じ流れに二度と入ることはできない」(同)

 ・いかなるものも恒常ではなく、また同一のものに留まらない

 ・すべてのものは有ると共に無い―有と無の統一としての成(弁証法的唯物論
  の基本的カテゴリー)

 ・「全体と全体でないものを結合せよ。調和的なものと矛盾するもの、一致す
  るものと不調和なものとを結合せよ。そうすると全から一が、また一から全
  が生ずる」(同368ページ)

 ・「ここに我々は〔弁証法〕の祖国を見出す。ヘラクレイトスの命題で、私の
  論理学の中に取り入れられなかったものはない」(同362ページ)

● ヘラクレイトスはエレア派哲学を弁証法的に止揚した

 ・「われわれはここに、一つの哲学体系が他の哲学体系によって、本当に反駁
  される例をみるのであって、この反駁の本質は、反駁される哲学がその弁証
  法において示され、そして理念のより高い具体的な形態の観念的モメントに
  ひきさげられることにある」(『小論理学』㊤ 277ページ)

 ・エレア派は、有のみがあるとした。これに対立する哲学は無のみがある(す
  べては無である)とするもの。これに対し、ヘラクレイトスはこの対立する
  2つの哲学を止揚し、有と無の統一としての成にこそ真理があるとして、エ
  レア派哲学を弁証法的に止揚した

● ヘラクレイトスへの批判

 ・エレア派は同一、ヘラクレイトスは区別をみたが、真理は同一と区別の統一
  にある

 ・ヘラクレイトスは変化(区別)のみをみて、変化のうちに同一性(不変なも
  の)をみない―同じ流れは存在しないが、流れをもつ川は同じ川

 ・すべての有機体は変化のなかの同一性。これをヘーゲルは「向自有」のカテ

 


6.多元論者

● 世界の根源を単一なものに求める場合、その根源的存在がなぜ多様な物体に生
 成、変化するのかが明らかにされねばならない

 ・いわばエレア派の存在の論理とヘラクレイトスの生成の論理が統一されねば
  ならない

 ・ミレトス派のアナクシマンドロスやアナクシメネスも単一の根源的物質のな
  かに対立を見いだすことによって根源的物質の運動を示そうとしたが、多様
  な物体生成を説明するにはほど遠かった

 ・そこから、世界の根源的存在を一者ではなく多者としてとらえ、その多者に
  よる相互媒介により多様な物体の生成を説明しようとする多元論者が登場し
  てくることになる

 ・多元論の到達点を示すものが原子論


① エンペドクレス(BC490〜430頃)

● アルケーとして水、火、空気、土

 ・四つの「万物の根」は、いかに分割してもそれ以上の究極的な性質に到達す
  ることのできない根源的要素とする―元素(ストイケイオン)の考え方のは
  じまり

● 四元素の種々の割合による結合・分離により多様な物体が生成される

 ・四元素そのものは不変な一者であって、四元素は「愛」(牽引する力)に
  よって結合され、「憎」(反発する力)によって分離される―物質と運動と
  を区別するところに限界をもつ


② アナクサゴラス(BC500〜428頃)

● アルケーは四元素ではなく無数にあり、その無数のアルケーを種子(スペルマ
 タ)と名付けた

 ・種子は無限小のものであって、形、色、味等によって相互に区別される

 ・一切のものはそのなかに一切の種子を有し、例えば水の中には水の種子、
  土、空気の種子もあるが、水の種子が最も多いから水となると考える

● ヌース(精神)が種子を動かす

 ・アナクサゴラスが「理性を動物のうちにあるように自然のうちにも内在する
  とみて、理性をこの世界のすべての秩序と配列との原因であると言ったと
  き、この人のみが目ざめた人で、これにくらべるとこれまでの人々はまるで
  たわごとを言っていたものかともみえたほどである」(アリストテレス『形
  而上学』アリストテレス全集⑫ 17ページ)

 ・アリストテレスはアナクサゴラスに学んで、自然を合目的的存在と考え、
  「目的因」を導入したものと思われる

 ・ヘーゲルもアナクサゴラスのいう「ヌースが世界を支配している」との考え
  は、「理性が世界の魂であり、世界に内在するものであり、世界の最も内面
  的な本性であり、普遍である」(『小論理学』㊤ 117ページ)ことを意味し
  ているとして高く評価している―まだ自然科学において宇宙生成論が明らか
  になっていない段階で、ヌースを自然の法則性としてとらえ、自然の合法則
  性を認めたヘーゲルの先見性は、弁証法の威力を示すもの


③ レウキッポス(BC430頃)とデモクリトス(BC460〜370頃)

● 原子論者

 ・物質の最小単位としての「原子」と、自ら運動する原子(物質と運動の
  統一)の運動の場としての「空虚」を物質の根源的存在とする

 ・「真実には原子と空虚のみ」(デモクリトス)――対立物の統一)

 ・原子は形と大きさによって異なる無数の原子からなり、多数の原子の衝突と
  してさまざまな原子の結合と分離により物体が生成する
  →創始期の自然哲学 は、この原子論的唯物論という最後の結論に到達した物
  質の最小単位は粒子から成るとの考えは現在も生きている)

● 原子論者は向自有のカテゴリーを生みだした

 ・向自有とは、無限に発展する生命体(社会的生命体も含む)をとらえたカテ
  ゴリーであり、目的をもち自己同一性を保ちつつ否定の否定により自己発展
  すカテゴリー

 ・「パルメニデスは有または抽象的普遍者を、ヘラクレイトスは過程をたて
  た。向自有の規定はレウキッポスのものである」(ヘーゲル『哲学史』㊤
  390ページ)

 ・向自に(自分1人で)存在するもの(向自有)は、肯定的なもの(原子)と
  否定的なもの(空虚)との統一とした原子論者においてはじめて絶対的規
  定(カテゴリー)となった

 


7.自然哲学における基本的カテゴリー

● 同一と区別の統一

 ・すべての事物は同一(静止、固定)と区別(運動、変化)の統一としてのみ
  存在する―静止のなかに運動があり、運動のなかに静止がある

 ・同一と区別の統一も基本的カテゴリー

 ・簡単にいうと、静止をとらえる思惟法則が形式論理学であり、運動と運動の
  契機をとらえる思惟法則が弁証法であり、どちらも必要な思惟法則

 ・エレア派は同一をとらえ、ヘラクレイトスは区別をとらえたが、どちらも
  一面的―真理は同一と区別の統一にある

 ・すべての有機体(自然的、社会的生命体)は、自己同一性をつらぬきつつ変
  化する。区別のなかの同一性、同一性のなかの区別(向自有のカテゴリー)

● 対立(矛盾)と対立物の統一

 ・「一般に、矛盾、すなわち対立する二つの規定が指摘されえないような、ま
  た指摘されずにすませるようなものは一つもない、……(しかし)人々は普
  通、対象や概念のうちにこのような矛盾を発見し認識すると、そこから、
  『ゆえにこの対象は無である』という結論をくだす」(同278ページ)―そ
  れがエレア派、言いかえると形式論理学の立場

 ・エレア派の「弁証法は成果(矛盾―高村)の否定的な側面にのみ立ちどまっ
  て、同時にその現存しているもの、特定の成果(運動―高村)を見落とすの
  である。ここで言えば、それ(生成―高村)は、無そのものではあるが、有
  を自己のうちに含んでいる無であり、同様に(消滅とは―高村)無を自己の
  うちに含んでいる有である」(同)―いわゆる積極的弁証法

 ・ヘラクレイトスは、矛盾のうちに運動という「特定の成果」を見いだすこと
  で、「弁証法の祖国」となった

● 有と無の統一

 ・ヘラクレイトスが明らかにした「有と無の統一は成」という弁証法は、すべ
  ての運動をとらえる基本的カテゴリー

 ・力学的運動―ここに有って、ここに無い物理学的運動―ミクロの粒子(光
  子、電子など)は粒子であって、粒子でない(波動である)

  化学的運動―水は水素と酸素と同一であって、同一でない

  生物学的運動―生命体は日々同一であって、同一でない

  社会的運動―社会的運動体(企業、労働組合、政党、民主団体)は社会的

  生命体であって、日々同一であって、同一でない

● 連続性と非連続性の統一

 ・すべての運動は、時間と空間における連続性と非連続性の統一

 ・ヘーゲルは、「量」の基本的カテゴリーを連続量と非連続量の統一としてと
  らえ、その見地からゼノンの逆説の一面性を批判した

● 一と多の統一

 ・エレア派は一のみを認め、多を認めず

 ・ピュタゴラス派と原子論者は一と多の統一を唱える

 ・一と多のカテゴリーは、普遍と個(特殊)をとらえるカテゴリーとして重要

● 質と量

 ・ミレトスは質を世界の根源としてとらえたのに対し、ピュタゴラスは量
  (数)を根源ととらえた

 ・しかしすべての事物は質と量との統一としてのみ存在する