『科学的社会主義の哲学史』より

 

 

第二講 古代哲学①
    創始期の自然哲学

一、古代哲学は自然哲学に始まる

 古代ギリシアの文明は、後のヨーロッパ文化の源流となっただけでなく、全世界の文化的遺産となっています。それは紀元前六世紀ないし四世紀に最盛期を迎えますが、その高度の文明をもたらしたものが、ギリシア独自のポリス(都市国家)でした。このギリシア文明を生みだしたポリスは、同時に最初の哲学を誕生させたのです。 ポリスとは、周囲を城壁に囲まれた、人口数万人から十数万人の都市の規模をもつ国家です。それは市民と奴隷とからなる階級社会でしたが、市民は自由であるとともに平等にポリスの政治に参加するという民主的国家でした。政治を意味する英語のポリティックスは、このポリスに由来しています。
 ギリシア文明の一つにギリシア文学があります。ギリシア文学をとおしてギリシア神話が語られてきました。それを代表するのが紀元前八世紀、ホメロスの『イリアス』と『オデッセイ』の二大叙事詩です。この長い神話の世界から抜け出し、ポリスの自由な市民は現実に目をむけるようになります。世界の根本は何かを考察し始め、ここにギリシア哲学が誕生することになります。
 ギリシア哲学はまず自然における根本的存在は何かを探究する自然哲学にはじまり、ソクラテスにいたって人間としていかに生きるべきか、善く生きるとは何かという、人間哲学に向かいます。ギリシア哲学はプラトン、アリストテレスで最盛期をむかえ、ヘレニズム時代を経て紀元前一世紀ローマ帝国の誕生によって、ヘレニズム・ローマ時代に突入し、ポリスは解体され、ローマの圧制のもとで哲学も衰退していくことになります。エンゲルスは、ギリシア哲学の最大の哲学的遺産をその弁証法にあるととらえています。
 「古代ギリシアの哲学者たちはみな、生まれながらの、天成の弁証家であって、じっさい、彼らのうちで最も広い学識の持主であるアリストテレスは、すでに弁証法的思考の最も根本的な諸形式を研究したのであった」(『反デューリング論』全集⑳一九ページ)。
 なぜそれが可能となったのかについて、エンゲルスは「自然はまだ全体として、大局的に直観されている」(『自然の弁証法』同三六四ページ)ことをあげ、「またここにこそ後代のその形而上学的な論難者たちすべてにたいするこの哲学の優越性がある」(同)としています。もっともエンゲルスは、古代ギリシア哲学の最大の遺産は弁証法であるとしながらも、「ギリシア哲学の多様な諸形態のなかには後代のほとんどすべての見方が胚種の形で、発生しかけた姿で見いだされる」(同)と述べています。そのなかには哲学的カテゴリーも萌芽の形で含まれており、それを発見するのが私たちの責任であることを示唆してくれています。
 ギリシア哲学は、まず自然哲学に始まりますので、そこからみていくことにしましょう。

(一)ミレトス派

 ギリシア哲学は、紀元前六世紀にギリシアの植民地だったイオニアのミレトスに発祥します。そこからミレトス派とよばれることになりますが、それに属するのは、タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスです。ミレトス派は、生成、消滅する世界の諸物質のなかにあって、永遠、不変な根源的なもの(アルケー・原質)が存在すると考え、それを特定の物質に求めました。神話から抜け出した哲学は、まず唯物論の哲学であったところから、エンゲルスは「古代哲学は原始的な、生まれながらの唯物論であった」(全集⑳一四四ページ)と述べています。
 哲学(フィロソフィア)とは「知を愛する」というギリシア語を語源としており、当初は学問一般を意味していました。その言葉どおり当時の哲学者は同時に自然科学者でもあり、自然科学が哲学から完全に分離するのは、ようやく一九世紀のことにすぎません。
 ミレトス生まれのタレス(BC六二四~五四五頃)は、「幾何学者であり、一年の日数を三六五日と決定したし、また日蝕を予言した」(同四九七ページ)といわれています。彼が哲学者として名を残しているのは、「アルケーは水である」との命題によるものです。その理由は説明されていませんが、水は特定の形態のない物質として、器次第で何にでもなりうる普遍性をもつと考えたのかもしれませんし、一説によるとあらゆる生物の種子は水分によって発芽するところからそう考えたともいわれています。
 アナクシマンドロス(BC六一〇~五四五頃)は、タレスの弟子であり、「アルケーは無規定な物質(アペイロン)である」と主張しました。タレスのいう水もまた規定された物質であることに変わりはないところから、水よりもっと普遍的なものとしてアペイロンを考えたのでしょう。彼は「日時計や、ある種の海陸の地図や、種々の天文学的用具を製作した」(同)とされています。
 これに対してアナクシメネス(BC五八五~五二五頃)は、アルケーを空気と考えました。空気こそアナクシマンドロスのいう「無規定な物質」と考えたのでしょう。
 ミレトス派の三人は、こうした無規定の物質がみずから変化して多様な規定をもつ物質になるという意味で、これらの物質をアルケーとよんだのです。
 
(二)ピュタゴラス派

 ピュタゴラス派とは、ピュタゴラスの定理で有名なピュタゴラス(BC五八〇~五〇〇頃)を創始者とする学派です。この有名な定理を発見したとき、ピュタゴラスは嬉しくて「百頭の牡牛を犠牲に供した」(『哲学史』上三〇九ページ)という逸話が残っています。
 ミレトス派が万物の根源を個々の物質という「質」に求めたのに対し、ピュタゴラスはより抽象的、普遍的な「数(量)」に求めました。「数がすべての事物の本質であり、従って諸規定から成る全宇宙の組織は数とその諸関係との調和的体系である」(同二七五ページ)というのがその根本原理となっています。彼は和音を生みだすのは弦の長さの一定の比率にあることを発見し、そこから万物のうちには数の均衡があると考えました。
 またピュタゴラス派は、一とは「同一性」であり、二とは「区別」であるとし、区別には差別性、対立、関係の三つがあるととらえました。「区別」のうちの対立を本質的な区別と考え、対立する十個のカテゴリー表を作成しましたが、この区別にかんする考えはヘーゲルに引き継がれています。
 ヘーゲルはピュタゴラス派を、哲学史上ミレトス派とエレア派(後述)の中間にたっていると位置づけています。というのも「哲学の任務は一般に、事物を思想に、しかも規定された思想に還元することにある」(『小論理学』上三一八ページ)が、ミレトス派は感覚的な事物を根本原理と考えたのに対し、エレア派は有という「規定された思想」を根本原理と考えた、これに対してピュタゴラス派は数を根本原理と考えた、「数はもちろん一つの思想ではあるが、感覚的なものに最も近い思想」(同)であり、したがって「ピュタゴラスの哲学の原理は、言わば、感覚的なものから、超感覚的なものへの橋をなしている」(同)というのです。

(三)エレア派

 エレア派は紀元前六~五世紀にかけて南イタリアの町、エレアで生まれた哲学の一派です。ヘーゲルは「真の哲学史のはじめはエレア哲学、もっと厳密に言えばパルメニデスに見出される」(同二六五ページ)として、エレア派を高く評価しています。というのも「哲学はまず一般的に言って、対象を思惟によって考察すること」(同六二ページ)にありますが、エレア派ははじめて「思惟をその純粋性において、しかも真に客観的なものとして把握」(同二六六ページ)したからです。
 エレア派を代表する人物の一人がパルメニデス(BC五一五年頃の生まれ)です。彼は「有のみが有り、無は存在しない」と述べ、「有」(何物かで「有る」、あるいは何物かが「有る」のではなく、単に「有る」こと)という純粋な思惟でとらえたカテゴリーを確立することによって、「真の哲学史のはじめ」に位置づけられることになったのです。
 ここにあるのは、有るものは有り、有らぬものは有らぬという「同一性の原理」(『哲学史』上三一八ページ)です。A=Aという「同一性の原理」にたつかぎり、Aは永久にAであって運動の契機を見いだすことはできないのであり、したがってエレア派では運動一般が否定されることになってしまいます。
 本来有というカテゴリーは、無というカテゴリーに対立するものです。パルメニデスは、有と無のカテゴリーが存在することは認めても、そのうち有のみが真理であり、無は真理ではないとして否定しました。これは形式論理学の矛盾律(矛盾するものは真理ではないとして否定し、A=Aという同一律のみが真理であるとする)という思惟法則をはじめて示したものということができます。
 このパルメニデスの原理を弁証法的に展開したのがゼノン(BC四九〇~四三〇頃)です。ヘーゲルは「ゼノンではじめて、哲学は自分自身のヨリ純粋な表現に到達する」(同三一二ページ)のであり、「弁証法は実にゼノンに始まる」(同三三八ページ)と述べています。そのうちの代表的な事例を紹介しておきましょう。
 それは「運動の弁証法」といわれるものであり、運動は存在しないことを証明しようというものです。運動するものはまず目標の半分に到達しなければならない、しかし目標の半分は再び全体となり、運動するものはさらにその半分(最初の目標の四分の一)に到達しなければならない、こうして無限に空間の半分は続くから、運動するものは目標に無限に接近することはできても到達することはできない、よって運動は存在しない、というものです。もちろんゼノンも現実に運動が存在することは知っていますが、それを論理的に否定して見せたのです。
 ゼノンの「運動の弁証法」を反駁するためには、まず量には連続量と非連続量とがあることを知っておかなければなりません。例えば一山五個のミカンが二百円で売られているとした場合、「一山」というのは「単位」という連続量を示しています。それが単位であるかぎり、理論的には無限に分割可能ではあっても、それを分割することは許されないという意味で、単位は連続量なのです。これに対して「五個」というのは「集合数」という非連続量を示しています。集合数は単位と違って、この場合でしたら五つのミカンに分割されているという意味で分割されており、それ以上に分割しえない非連続量です。このようにあらゆる量は、単位としてみることもできれば、集合数としてみることもできます。その意味であらゆる量は連続量と非連続量の統一ですが、しかし両者は区別して使用しなければなりません。
 目標地点にまで到達するという位置の運動は、出発点から目標までの距離を、一つの単位(連続量)としてみることもできれば、集合数(非連続量)としてみることもできます。ゼノンは、目標の中間点に到達するという非連続性を問題にしているのですから、それを貫くのであれば、中間点に達する時間の二倍で目標に到達しうることになります。しかしゼノンは非連続性を問題にしながら、目標までの残された半分の距離を無限分割可能性という連続性の問題におきかえてしまいます。しかも連続性の問題としてとらえるのであれば、その距離を分割することは許されないにもかかわらず、さらにそれを四分の一に分割することで非連続性の問題にかえてしまうのです。いわば非連続性を論じながら連続性を論じ、連続性を論じながら非連続性を論じるという連続性と非連続性との混同によって運動を否定したのです。
 運動とはもともと矛盾であり、位置の移動はある瞬間に「そこにあって、そこにない」という連続性と非連続性の同一としてとらえるしかありません。それをゼノンは否定しようとして量を「一方では連続的なものとして、他方では非連続的なものとして主張する」(『小論理学』上三〇七ページ)ことで運動のもつ矛盾をおおいかくす論理のすりかえをやったのです。
 「空間、時間、等々が単に連続量の規定をもって定立されるならば、それらは無限に分割しうるものである。しかし非連続量の規定をもって定立されるならば、それらはそれ自身分割されているものであって、分割されない諸々の一から成っている。どちらの見地も同じく一面的」(同)であり、ゼノンはその一面性に固執することで運動の真理を見失ったのです。
 それはともかくとして、ゼノンは、運動が矛盾をもつことを指摘すると同時に、矛盾をもつものは無であるという形式論理学の立場にたって、有のみが有り、無は存在しないという運動を否定するパルメニデスの教えを守ろうとしたのです。
 
(四)ヘラクレイトス(BC五三五~四七五頃)

 エレア派の哲学を弁証法的に止揚したのがヘラクレイトスです。彼の命題は「万物は流転する(Panta rhei)、いかなるものも恒常でなく、また同一のものに留まらない」(『哲学史』上三六七ページ)というものです。
 エンゲルスは「原始的な、素朴ではあるが、事柄の本質上正しい世界観が、古代ギリシア哲学の世界観であり、これはヘラクレイトスによって最初にはっきりと表明された。すなわち、万物は存在し、また存在しない。なぜなら、万物は流動しており、不断に変化し、不断の生成と消滅のうちにあるからである」(『空想から科学へ』全集⑲一九九ページ)と述べて、弁証法的世界観はヘラクレイトスによって「最初にはっきりと表明された」としています。
 エンゲルスは、「古代ギリシアの哲学者たちはみな生まれながらの、天成の弁証家」(同一九八ページ)であるとしていますが、そのなかにあって「すべてのものが運動し、変化し、生成し、消滅している」(同一九九ページ)という弁証法の核心的部分を最初に明白に表明したのがヘラクレイトスだったのです。
 ヘーゲルも同様に「ここに我々は〔弁証法の〕祖国を見出す。ヘラクレイトスの命題で、私の論理学の中に取り入れられなかったものはない」(『哲学史』上三六二ページ)と述べています。なぜヘーゲルが彼を「弁証法の祖国」とよんでいるかといえば、そこには対立物の統一という運動の論理があるからです。エレア派は「有のみがある」としましたが、これに対する考えは、仏教のように「無のみがある(すべては無である)」というものです。これに対してヘラクレイトスは、この対立する二つの哲学を止揚し、有と無の統一としての成(運動)にこそ真理があるととらえました。
 エレア派は、形式論理学の矛盾律の立場にたって事物や思惟のうちに矛盾を発見すると、矛盾するものは存在しえないとしてそれを否定してしまいました。しかし「一般に、矛盾、すなわち対立する二つの規定が指摘されえないような、また指摘されずにすませるようなものは一つもない」(『小論理学』上二七八ページ)のであって、重要なことは矛盾の否定的な側面にたちどまるのではなくて、その相互媒介から生まれる「特定の成果」(同)、つまり対立物の相互浸透(相互移行)や対立物の闘争による止揚(発展)という積極的側面を認めるところにあります。この弁証法の立場からヘラクレイトスは、エレア派を「反駁」したのです。
 こうしてヘラクレイトスのもとで、「生成」とは無のうちに有が存在することによる無から有への移行であり、「消滅」とは有のうちに無が存在することによる有から無への移行であるという、対立物の相互移行としてとらえられることになります。

(五)多元論者

 ミレトス派は世界の根源的なものをあれこれの単一の物質に求めました。しかし世界の物体の多様性を説明するためには、その根源的な物質が何故どのようにして一から多になるのかが説明されなければなりません。
 ヘラクレイトスは「成」という生成の論理は示したものの、一から多の生成の問題については何も論じませんでした。そこから世界の根源的存在を単一の物質(一者)ではなく多者としてとらえ、その多者による相互媒介によって多様な物体の生成を説明しようとする多元論者が登場してくることになるのです。多元論者を代表するのは、エンペドクレス、アナクサゴラス、レウキッポス、デモクリトスです。
 まずエンペドクレス(BC四九〇~四三〇頃)は、アルケーとして水、火、空気、土の四つを考え、この四つの「万物の根」をそれ以上分割しえない根源的な性質としました。これは現在の元素の考えを先取りしたものということができます。元素とは一種類だけの原子によってつくられた物質種であり、それぞれの元素はそれに特有の性質をもっていて、一つの元素から他の元素は作りえないからです。彼はこの四つの元素の種々の割合による結合または分離により、多種多様な物体が生成されると考えました。もっとも彼は四元素そのものは不変な一者であって、愛によって結合され、憎によって分離されるとして、物質と運動とを切り離してとらえるという限界をもっていました。
 アナクサゴラス(BC五〇〇~四二八頃)は、アルケーとは四元素に限られるものではなく、無数にあると考え、形、色、味によって区別されると考えました。彼はその無数のアルケーを種子(スペルマタ)とよびました。すべての物体はそのなかに一切の種子を有し、例えば水の中には水、土、空気などの種子があるが、水の種子が最も多いから水になると考えたのです。彼が無数の種子を考えたのは、もしアナクサゴラスのように究極的な不変の性質をもつアルケーが四種類しかないとすれば、それをいかに結合・分離しても四種の性質をもつ物体以上のものは生成しえないのであり、現実に存在する無数の事物を説明しえないとの思いがあったのでしょう。
 アナクサゴラスを有名にしたのは、その多元論よりもむしろ「ヌース(知性・理性)」論でした。彼は無数の種子を動かして多様な物体を生みだすのは「ヌース」であるとして、中世全体を支配した目的論的自然観の創始者となり、近代哲学まで続く目的論的自然観と機械論的自然観との論争の出発点をつくり出したのです。アリストテレスは、このアナクサゴラスの目的論を高く評価し、次のように述べています。
 「を動物のうちに存するように自然のうちにも内在するとみて、理性をこの世界のすべての秩序と配列との原因であると言ったとき、この人のみが目ざめた人で、これにくらべるとこれまでの人々はまるでたわごとを言っていたものかともみえたほどである」(『形而上学』アリストテレス全集⑫一七ページ)。
 後にみるように、アリストテレスは世界の原因は四つあるという四原因説を唱え、その一つとして目的因をあげていますが、これはアナクサゴラスのヌースに学んだものといえるでしょう。
 ヘーゲルもアリストテレスを受けて、「ヌースが世界を支配している」(『小論理学』上一一七ページ)との考えは「理性が世界の魂であり、世界に内在するものであり、世界の最も内面的な本性であり、普遍である」(同)ことを示すものととらえています。「理性をこの世界のすべての秩序と配列との原因」とか「理性が世界の魂」とかいうと、世界は神による創造であり神の理性が支配する合目的的世界としてとらえる観念論的世界観とみることもできます。現にスコラ哲学はその立場から目的論的世界観を主張しました。しかしヘーゲルの場合は、ヌースを自然の法則性、必然性としてとらえていることをみておかなければなりません。ヘーゲルの時代には、ようやくカントの星雲説が存在した状況であって、量子論の立場から宇宙の歴史全体を発展的にとらえることはできませんでした。したがって宇宙や地球の諸物体の法則性や必然性を科学的に説明することもできませんでした。その時代にあって、ヘーゲルがアナクサゴラスの「ヌース」を手がかりとして自然の法則性、必然性の存在を直観的に把握した功績は高く評価されるべきものでしょう。
 レウキッポス(BC四三〇頃)とその仲間のデモクリトス(BC四六〇頃~三七〇頃)は、原子論者の始祖です。ヘラクレイトスは、有と無の統一としての成を主張しましたが、レウキッポスとデモクリトスはこの考えを万物の根源に取り入れ、すべての事物は充実(有)と空虚(無)、言いかえると原子と空虚の統一からなると考えました。原子とは、それ以上分割不可能な物質の最小単位をなすものです。エンペドクレスが、それ以上分割しえない究極的な「性質」としての元素の先駆者であったのに対し、レウキッポスとデモクリトスは、それ以上分割しえない「物質」としての原子を主張することで、今日の原子論の先駆者となったのです。
 彼らは、自ら運動する原子の運動の場を「空虚」ととらえました。原子には、形態と配列と位置とによって区別される無数の原子があり、空虚の場において多数の原子の衝突による結合と分離により多様な物体が生成すると考えたのです。
 創始期の自然哲学は、自然の根源的なものの探究にむかい、「生まれながらの唯物論」として出発しましたが、
こうしてレウキッポス、デモクリトスの原子論的唯物論という最後の結論に到達したのです。物質の最小単位は粒子から成るとの考えは、現在でも尚その生命力を保っています(量子論では量子は粒子であると同時に波動とされていますが、粒子説が否定されているわけではありません)。
 この両名の原子論は、ヘレニズム・ローマ時代の哲学・エピクロス派に発展的に継承されます。マルクスは二十一歳のときに、「エピクロス派、ストア派、および懐疑派の哲学へのノート」(全集㊵)七冊を作成し、第一講でも紹介したように、それをもとにして学位論文「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学との差異」(同一八五ページ以下)を著しました。

 

二、自然哲学にみる哲学上の基本的カテゴリー

 第一講で学んだように、哲学とは真理を認識するための学問であり、真理認識のために必要な根本概念としてのカテゴリーをその重要な構成要素としています。
 創始期の自然哲学において、早くも真理認識に必要な基本的カテゴリーが萌芽の形でとらえられています。カテゴリーの多くは、対立する二つの概念として構成されていますが、それはこれから順次お話ししていくように、「すべてのものは対立している」(『小論理学』下三三ページ)からにほかなりません。
 まず最初は「同一と区別」のカテゴリーです。「同一」とは或るものが或るもののままで存続することを示す概念であり、事物の静止し、固定した側面をとらえる形式論理学のもっとも根本的なカテゴリーです。これは、同一性の原理、同一律(A=A)、自己同一性などとよばれており、エレア派の「有」は、この同一性の原理を示すものです。これに対して「区別」とは、或るものは或るもののままでは存続しえないのであり、或るものと異なるものが生じることを示す事物の運動、変化をとらえるカテゴリーです。すべての事物は同一と区別の統一、つまり静止と運動の統一としてのみ存在しているのです。
 二つめは、「差異と対立(矛盾)」のカテゴリーです。ピュタゴラス派で学んだように、区別には「差異」と「対立」があります。真理を認識することは、偶然性と必然性の統一として存在する客観世界のうちにある必然性をとらえることを意味しています。必然性のもっとも基本的な形式が、上と下、左と右というような「対立」する関係なのです。対立する二つのものは、「或るものとその固有の他者」という関係にあり、上があって下がある、下がなければ上もないという、切っても切れない必然的な関係のうちにおかれています。これに対し「或るものとその他者一般」との関係を示す「差異」は、或るものと他のものとの偶然の関係にすぎません。対立する二つのものは、相反する関係にもあるところから「矛盾」ともよばれています。
 形式論理学では、対立・矛盾する二つの極のうち、どちらか一方が真であり、他方は偽であると考えます。言いかえると矛盾をかかえるものは、「『ゆえにこの対象は無である』という結論をくだす」(『小論理学』上二七八ページ)のであり、そこから「運動が矛盾であることを最初に指摘したゼノンは、『ゆえに運動は存在しない』」(同)との結論をひきだしたのです。これに対して弁証法的論理学は、すべてのものは対立しているのであって、対立物の統一にこそ真理があると考えました。この点は重要なところですので、これから時間をかけて学ぶことにしましょう。
 三つめは、ヘラクレイトスがいっているように、すべての運動は「有と無」の統一としてとらえられることになります。物質と運動とは不可分一体の関係にあり、すべての物質は運動していますが、その運動をとらえる基本的カテゴリーが、有と無との統一であり、もっと単純な力学的な位置の運動は、「ここに有って、ここに無い」としてとらえられ、もっとも高度な自然的および社会的な有機体の運動は、日々「同一で有って、同一で無い」としてとらえられるのです。
 四つめは、すべての運動は、時間と空間の「連続性と非連続性」の統一としてとらえられます。それを逆説的にとらえたのがゼノンの「運動の弁証法」でした。この連続性と非連続性の統一のカテゴリーは、運動の飛躍、発展、矛盾の揚棄(止揚)をとらえるうえでも有効なカテゴリーです。一般に矛盾の揚棄としての発展は、「否定しつつ保存する」ことによるより高いものへの移行として理解されていますが、それを言いかえると、連続性と非連続性の統一となります。いわば発展とは、古きよきものを引きつぎながら古き悪しきものを捨て去り、より高いものへ移行するという、連続性と非連続性の統一なのです。
 五つめは、「一と多」の統一です。ミレトス派にみられるように世界の無限の多様性の根源には一者があり、その一者から多が生じたとすることで一と多のカテゴリーが生まれます。それは、多様な現象のうちにより普遍的な法則性を探究しようとする試みから生まれたのです。エレア派は一のみを認め多を否定しましたが、ヘラクレイトスによって一と多の統一にこそ真理があることが明らかにされます。一と多のカテゴリーは、その後普遍と特殊(個)、実体と偶有、本質と現象などのカテゴリーに発展することにもなってくるのです。
 六つめは、「質と量」の統一です。すべての事物は一定の質と一定の量との統一として存在しており、質と量は事物の基本的カテゴリーとなっています。ミレトス派が質を主張したのに対して、ピュタゴラス派は量を主張しました。弁証法の例として、水を加熱すると水蒸気になるという量から質への転化がよくあげられますが、これは本来対立するカテゴリーである質と量とが、一定の条件のもとで相互に移行しあう対立物の相互浸透の一例を示すものです。
 最後は、「目的論と機械論」の統一です。哲学史上、最初に目的論的自然観を示したのはアナクサゴラスでした。これに対し、世界の諸事物を同じことをくり返す型にはまった運動としてとらえるのが、近代のデカルトに始まる機械論的自然観でした。その意味で目的論と機械論の対立は、近代哲学において鮮明となり、かつその統一も問題となってくるのです。
 創始期の自然哲学には、ざっとみただけでもこれだけのカテゴリーの萌芽が存在しています。それが時代を経るにしたがって、次第に人類の認識は深まり、カテゴリーの数も増えると同時に、内容的にも発展してくることになるのです。