2012/07/28 講義

 

第4講 古代哲学③
    アリストテレス(その1)

 

1.アリストテレス(BC384〜322)の略歴

● マケドニアで生まれ、プラトンが死亡するまで20年間師事

 ・プラトンの最も優れた弟子として、プラトンのイデア論を発展させると同時
  に、独自の哲学を世界観として確立

● BC342 王子のときのアレクサンドロス大王(マケドニア、ギリシア、エジプ
 ト、インドの一部にわたる大帝国の建設者。ローマ帝国建設までの300年間の
 ヘレニズム世界を形成)の家庭教師となる

● BC335 アレクサンドロスの東征のため、彼とはなれ、アテネに「リュケイオ
 ン」とよばれる学校建設―リュケイオンに散歩道(ペリパトス)があり、アリ
 ストテレスが散歩しながら講義したところから、アリストテレス学派は、「ペ
 リパトス学派」とも「逍遙学派」とも称される

● アリストテレス哲学は中世全体をつうじて唯一の哲学的代表者とみなされ近代
 においても尚その生命力を発揮していおり、プラトンと並んで古代哲学の双璧
 をなしている

 ・アリストテレスの著作は、エジプトのアレクサンドリアに渡ってプトレマイ
  オス王朝のもとで「プトレマイオス文庫」の基礎となり(カエサルのアレク
  サンドリア占領により消失)、アレクサンドリア哲学とよばれる

 ・中世のスコラ哲学はアリストテレス哲学を自己流に解釈―「因習的伝説のた
  めに彼ほど不当な取扱いを受けてきた哲学者は他にその例を見ない」(ヘー
  ゲル『哲学史』㊥の2 2ページ)

 ・宗教改革以後、はじめてアリストテレス哲学は本来の姿でヨーロッパに普及

 ・アリストテレスの現実主義、プラトンの理想主義といわれることもある

 ・しかしヘーゲルはそのとらえ方に疑問を呈している(後述)

 


2.アリストテレス哲学の一般的特徴とその功績

● 経験的事実の徹底的観察と分析

 ・アリストテレスはプラトンの弟子であったが、「一」としてのイデアの探究
  と同時に、「多」としての多様な現象の観察と分析に関心

 ・彼の業績は論理学、自然学、天体論、気象論、動物誌、心理学、政治学(経
  済学)、倫理学、芸術論(『アリストテレス全集』全17巻、岩波書店)と百
  科全書的ではあるが、体系的ではない

 ・彼の哲学的著作は『オルガノン』(「カテゴリー論」「命題論」「分析論前
  書」「分析論後書」「トピカ」「詭弁論駁書」の総称)と『形而上学』に分
  かれる

 ・『オルガノン』とは真理認識の「道具」の意味、論理学に相当

 ・アリストテレス没後、『自然学(フィジカ、フュシカ)』の「後」にあった
  全14巻を一冊にとりまとめ「自然学の後の書」(メタ・タ・フィジカ)の意
  で「メタ・フィジカ」とよばれ、明治の哲学者・西周が「形而上学」と訳し
  た

 ・「自然学」のような「特殊の存在の学」(第2の哲学)に対して、『形而上
  学』は「存在としての存在の学」として「第1哲学」、「神学」ともよばれ
  る

 ・アリストテレスの『形而上学』は、カント、ヘーゲルのいう「形而上学」と
  もエンゲルスのいう「形而上学」とも異なり、論理学とほぼ同義であって
  『オルガノン』と厳密に区別すべき理由なし

● アリストテレスへの評価

 ・ヘーゲル「アリストテレスは古代の哲学者のうち、もっとも学ぶ値打のある
  人である」(『哲学史』㊥の2 149ページ)

 ・マルクス「僕は古代の哲学者のうち彼(ヘラクレイトス―高村)よりも好き
  なのはアリストテレスだけだ」(全集㉙ 427ページ)

● 科学的社会主義の立場から学ぶべきアリストテレスの功績

(1)イデア論

 ・「古いものが……復活されねばならないとすれば、例えばプラトンが、そし
  てはるかに深い形でアリストテレスが与えているような理念(イデア―高
  村)の形態は、……比較にならないほど想い起こす価値を持っているという
  のは、それをわれわれの思想のうちに取り入れて明かにするという仕事は、
  ……哲学そのものの進歩をも意味するからである」(『小論理学』㊤ 49
  ページ)

 ・プラトンのイデア論をいかに「はるかに深い形」に発展させ、「哲学そのも
  のの進歩」をもたらしたのかを探究することは、本講座の最大の課題の1つ

(2)カテゴリー論と形式論理学

 ・論理学は思惟の諸法則を探究する

 ・人間は言語(概念)をつうじてのみ思惟することができる

 ・概念には、上位概念(類)と下位概念(種)がある

 ・けっして種になりえない最高の、最も外延の広い概念が「最高類概念」とし
  てのカテゴリー

 ・概念と概念の結合から判断が生まれ、判断と判断の結合から推理が生まれる

 ・思惟の諸法則とは、概念(カテゴリーを含む)、判断、推理の諸法則であ
  り、論理学は思惟の諸法則という「形式」を問題とするところから「形式論
  理学」とよばれる

 ・アリストテレスは形式論理学とカテゴリー論の始祖であると同時にその諸形
  式を包括的に論じようとした

 ・カントは、アリストテレス以来論理学は進歩も退歩もせず、「それ自体とし
  てすでに自足完了している観がある」(『純粋理性批判』第2版への序文)
  としている

 ・エンゲルス「思考形式(概念、判断、推理―高村)、思考の諸規定(カテゴ
  リー ―高村)を研究することはきわめてやりがいもあり、必要なことであ
  る。そしてこういうことを系統的にくわだてたのは、アリストテレス以後は
  ヘーゲルだけであった」(全集⑳ 548ページ)

(3)弁証法

 ・アリストテレスは1つの事物のなかに区別を見いだし(同一と区別の統一)、
  区別のうちに対立(対立物の統一)を見いだした

 ・エンゲルス「古代ギリシアの哲学者たちはみな、生まれながらの、天成の弁
  証家であって、じっさい、彼らのうちで最も広い学識の持主であるアリスト
  テレスは、すでに弁証法的思考の最も根本的な諸形式を研究したのであっ
  た」(全集⑳ 19ページ)

 ・レーニン「(アリストテレスの『形而上学』に関し)総じてきわめて特徴的
  なのは、いたるところにある、弁証法の生き生きとした萌芽および弁証法に
  たいする関心」(『哲学ノート』レーニン全集㊳ 333ページ)

 ・アリストテレスの弁証法を、マルクス『資本論』『経済学批判』で引用した
  経済的カテゴリーをつうじて検証する

(4)唯物論的倫理学

 ・たんなる内面的な生き方の探究ではなく、人間の本質に根ざしたより善い生
  き方を提示

 


3.カテゴリー論

● アリストテレスは、はじめてカテゴリー論を包括的に論じようとした

 ・主語と述語からなる判断は、概念と概念の結合としてなされるから、そこに
  最高類概念としてのカテゴリーが含まれると考えた

 ・そこから、彼のカテゴリーは主語のカテゴリーと述語のカテゴリーとして構
  成される―カテゴリーは「カテゴリア」(述語形式)に由来

 ・「存在のなかの存在」という最も根源的な存在(自然哲学にいうアルケー)
  をとらえる主語と述語がカテゴリーとなる

● アリストテレスは主語となるものを「実体」(第1実体は個物、第2実体は類、
 種)、述語となるものを「量」「性質」「関係」「場所」「時」「位置」「様
 態」(状態、性状)「能動」「受動」という10個のカテゴリーとしてとらえ
 た

 ・アリストテレスは人間である(第1実体としての個物と第2実体としての普
  遍)―Who

 ・彼は、1.5メートルの背丈である(量)―How.What

 ・彼は、正しいものである(性質)―What

 ・彼は、パイドンより小さい(関係)―What

 ・彼は、リュケイオンにいる(場所)―Where

 ・彼は、昨日もいた(時間)―When

 ・彼は、座っている(位置)―How

 ・彼は、サンダルを履いている(様態)―How

 ・彼は、問いかける(能動)―Why

 ・彼は、問いかけられる(受動)―Why→主語と述語から成るあらゆる命題を
  普遍的要素に分解して、それぞれの要素の属する最高の普遍性(最高類概
  念)を求め、それをもってカテゴリーとした

● アリストテレスのカテゴリーは、カテゴリーの萌芽形態

 ・アルケーを示す実体のカテゴリーは、その後大きく本質と類のカテゴリーに
  分割され、現在ではほとんど使われていない(「価値の実体」などを除い
  て)

 ・個物のなかのアルケーは「本質」(さらには法則、必然性)あるいは「物
  質」であり、個物を越える根源的普遍は「類」とよばれる―ヘーゲルは実
  体=類としてとらえる

 ・述語のカテゴリーも原理に基づくものというより恣意的に集めたもの
  ―能動、受動のカテゴリーは派生的カテゴリーにすぎない

 ・述語のカテゴリーはカントにより、量、質、関係、様相(可能性、偶然性、
  必然性などをあらわす)の4つに整理され、4つについて各3つ計12のカ
  テゴリーとなる(後述)

 ・しかしカントはカテゴリーを自我(悟性)の働きによる主観(純粋統覚)の
  産物(悟性概念)と考える(観念論的カテゴリー論)

 ・これを批判したヘーゲルは、カテゴリーを客観のなかの真の姿、真にあるべ
  き姿としてとらえる(唯物論的カテゴリー論)

 ・その立場から、カテゴリーを対立する一対の概念としてとらえる(「すべて
  のものは対立している」)―弁証法的カテゴリー論

 ・ヘーゲルは有論で質、量、本質論で関係、様相のカテゴリーを、概念論で
  ヘーゲル独自の概念、理念のカテゴリーを論じ、カテゴリー全体を萌芽から
  の弁証法的発展としてとらえている

 ・科学的社会主義の哲学は、これまで独自のカテゴリー論を展開していない

 ・ただしマルクスはヘーゲルが「弁証法の一般的運動諸形態をはじめて包括的
  で意識的な仕方で叙述した」(『資本論』第2版へのあと書き)として、
  ヘーゲルのカテゴリーの体系が「包括的で意識的」であることを示唆してい
  る

 


4.アリストテレスの形式論理学

●『オルガノン』『形而上学』における形式論理学

 ・判断のうち真偽が問題となる判断が「命題」

 ・命題のうち、他の命題を展開する前提となる根本命題が『公理」とよばれる

 ・アリストテレスの形式論理学では、公理、命題、推理を論じている

 ・アリストテレスは論理学の根本任務を完全な推理の形式を明らかにすること
  にあると考え、あらゆる可能な推理の形式(約300)を検討した

 ・「推理の諸形式およびいわゆる格をはじめて主観的な意味において考察し記
  述したのは、アリストテレスである。しかもかれは、根本的な点では何も附
  加するものがないほど正確にそれをなしとげている」(『小論理学』㊦
  163ページ)

● アリストテレスの3つの公理

 ・公理とは、他の命題を展開する前提となる根本命題

 ・同一律―AはAである

 ・矛盾律―Aは非Aではない

 ・排中律―AはBであるか非Bであるかのいずれかである
  →3つの公理は、結局は同一律(同一性の原理)に帰着する

● 形式論理学と弁証法的論理学

 ・形式論理学は、同一性の原理にもとづいて、対象となる事物を特定の区別に
  おいて確固としてとらえる論理であり、理論においても実践においても欠く
  ことのできない真理認識の思惟形式

 ・「いわゆる常識の考え方」(全集⑳ 21ページ)。「一般に教養の本質的モ
  メント」(『小論理学』㊤ 243ページ)

 ・しかしすべてのものは運動、変化、発展しているから、確固として固定した
  ものとしてとらえる形式論理学は低位の一面的なものにすぎず、客観的真理
  認識のためにはより高位の、全面的認識としての弁証法的論理学へと発展し
  ていかざるをえない

 ・弁証法的論理学は、形式論理学を排除するのではなく包摂するもの

 


5.アリストテレスの弁証法

① ヘーゲルはなぜアリストテレスを高く評価したのか

● ヘーゲルはアリストテレスの形式論理学を評価したのではない

 ・「彼こそはかつてこの世に現われた限りでのもっとも豊かな、もっとも包括
  的な(もっとも奥深い)学問的天才のひとりであり、―いかなる時代にも彼
  に比肩できるほどの人はいないからである」(『哲学史』㊥の2 1ページ)

 ・「もし人々がこうした(形式論理学の―高村)研究および悟性推理一般の重
  要性を証明するために、アリストテレスを引合いに出すとすれば、それこそ
  最も不適当な人を引合いに出すのである。……かれはそのメタフュシカの諸
  概念においても、自然およぶ精神の諸概念においても、悟性的推理の形式を
  基本においたり基準にしたりしようとはおよそしていない」(『小論理学』
  ㊦ 167~168ページ)

 ・「自然および精神」という世界のすべてについて、形式論理学ではなく、弁
  証法を基本においたととらえたもの

 ・「アリストテレスは、かれ特有の仕方で、多くの記述的なものおよび悟性的
  なものを与えてはいるが、しかし支配的なものは常に思弁的(弁証法的―高
  村)概念であって、彼がはじめてあんなに明確な表現を与えた悟性的推理
  は、思弁的領域には用いていないのである」(同168ページ)

 ・経験的事実の研究にあたっては弁証法的態度をつらぬく

 ・ヘーゲルが「因習的伝説のために……不当な取扱い」を受けてきたとする理
  由はここにある

● ヘーゲルはそのすぐれた分析能力によって弁証法的思考を展開している

 ・アリストテレスは同一律、矛盾律、排中律を公理とする形式論理学を展開し
  ているが、客観的事物を観察するときには「いたるところにある、弁証法の
  生きいきとした萌芽」(レーニン)を示している

 ・すべての対象を一面的にではなく全面的に、同一のものとしてではなく対立
  という区別をもつものとしてとらえている(肯定と否定、個と普遍、帰納と
  演繹、質料と形相、可能態と現実態など)―事物をよく観察し、抜群の分析
  能力をもつことをヘーゲルは評価した

 ・とくにヘーゲルが注目したのは、主観と客観ないし精神と物質という最も普
  遍的なカテゴリーの統一を主張したこと(後述)

 ・アリストテレスの同一と区別の弁証法を経済学のカテゴリーについて以下に
  検討してみる


② アリストテレスの経済学における弁証法

● マルクスは『資本論』第1篇「商品と貨幣」や「経済学批判」(全集⑬ いわゆ
 る「1857〜58年草稿」とよばれるもの)のなかでアリストテレスの経済学研
 究にいくつも示唆を受けたことも紹介している

 ・それはアリストテレスが経済学の根本的カテゴリーについて弁証法的分析を
  おこない、同一のうちの区別としてとらえたことの成果

● 同一の商品のうちにおける交換価値と使用価値の区別

 ・「われわれが所有しているもののいずれにも2つの用がある。……一方の用
  は物に固有のものだが、他方の用は固有でないから、例えば、靴には靴とし
  てはくという用と、交換品としての用とがある」(「政治学」アリストテレ
  ス全集⑮ 23ページ、『資本論』① 146ページで引用)

 ・「靴としてはく用」―靴の使用価値、「交換用品としての用」―交換価値

● 同一の商品のうちにおける貨幣と商品一般との区別

 ・貨幣は他の商品と同様の商品の1つではあるが、他の商品に対立する特別の
  商品

 ・「貨幣は、いわば、1つの基準として、物品を同じ基準で測られたものと
  し、平等なものにする。……家屋に代えて5個の寝台を得ることと、5個の
  寝台の価格だけの貨幣を得ることは何ら変わるところがないからである」
  (『ニコマコス倫理学』同⑬ 161ページ)

 ・「アリストテレスは、まず第1に、商品の貨幣形態は、簡単な価値形態の、
  すなわち、なにか任意の他の一商品による一商品の価値の表現の、いっそう
  発展した姿態にすぎないことを、はっきりと述べている。というのは、彼は
  こう言っているからである。『5台の寝台=一軒の家』ということは、『5
  台の寝台=これこれの額の貨幣』というのと『区別されない』と」(『資本
  論』① 101ページ)

● 同一の鋳貨のうちにおける価値の担い手と価値章標との区別

 ・商品流通が増えてくると「それ自ら有用なものの1つであって、生活のため
  に取り扱い易いという効用を持っているようなもの、例えば鉄とか銀とか
  ……を相互の間に取りきめた。こうしたものの価値は初めのうちは単に大き
  さと重さによって秤られたが、しかし遂には秤る面倒を省くために、また刻
  印がその上に押されるに至った。なぜなら刻印は『どれだけか』の印として
  押されたから」(『政治学』24〜25ページ)

 ・もともとは貨幣と鋳貨とは同一であるが、次第に分離し、区別されていく

 ・貨幣は価値の担い手(「一般的尺度」)からたんなる価値章標に―信用貨幣
  へ移行する契機となる

 ・マルクスはこの文章を引用しつつ、「アリストテレスは、プラトンよりもは
  るかに多面的に、またふかく貨幣を把握していた」(全集⑬ 97ページ)と
  述べている

● 同一の流通のうちにおける商品の流通と資本の流通との区別

 ・商品の流通も資本の流通もいずれも商品と貨幣、あるいは貨幣と商品との交
  換としては同一

 ・しかしアリストテレスは家政術と貨殖術を区別し、前者は使用価値の取得を
  目的とする「ほんとうの富」(『政治学』22ページ)であるのに対し、交換
  価値の取得を目的とする貨殖術には「限りがない」(同23ページ)から「間
  違った種類の富」(同p.26)であるとする

 ・なぜなら貨殖術においては「貨幣は交換の出発点であり、目的点でもあるか
  らである。そしてさらに、この種の貨殖術から生ずる富には限りがないので
  ある。……そしてその目的というのは間違った種類の富であり、財の獲得で
  ある。しかるに他方の家政術に属する貨殖術には限りがある。何故なら、こ
  の種の財を獲得することは家政術の仕事ではないからである」(同26ページ)

 ・「アリストテレスは『政治学』第1巻、第9章で、流通の2つの運動W―
  G―WとG―W―Gとを『オイコノミケー』(経済術、家政術)と『クレー
  マティスティケー』(貨殖術)という名で対立させて説いている」(全集
  ⑬ 116ページ)

 ・「循環W―G―Wは、……消費、欲求の充足、一言で言えば使用価値が、こ
  の循環の究極目的である。これに反して、循環G―W―Gは貨幣の極から出
  発して、最後に同じ極に帰ってくる。それゆえ、この循環を推進する動機と
  それを規定する目的とは、交換価値そのものである」(『資本論』② 255
  ページ)―資本の本質規定として『資本論』中最も重要な規定はアリストテ
  レスに学んだものということができる


③ アリストテレスにおける形相と質料、
  可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)の弁証法

● アリストテレスの4原因説

 ・存在する事物を知るとは、その事物が「何故そうあるか」というその原因を
  知ること

 ・これまでの哲学者の原因論を分析してみると4つの原因があり、これ以外に
  は存在しない

 ・すなわち形相因、質料因、動力因(始動因)、目的因であり、この4つの原
  因を知ることが存在する事物についての科学的な知識をもつことになる

 ・例えば、家を建築する場合、形相因は家の設計図、質料因は木材、セメン
  ト、始動因は建築屋、目的因とは完成した家

 ・マルクスは『資本論』でこの4原因説を利用して、「労働過程の単純な諸契
  機は、目的的な活動または労働そのもの、労働の対象、および労働の手段で
  ある」(『資本論』② 305ページ)としている―「労働過程」(形相因)、
 「労働そのもの」(目的因)、労働対象(質料因)、「労働手段」(動力因)

 ・アリストテレスの目的因はスコラ哲学に取り入れられ、人間も自然もすべて
  目的によって規定され、支配されているという目的的自然観となる。ガリレ
  イの落下の実験によって打ち破られ、中世の目的的自然観から近代の機械的
  自然観に転換
  →4原因をあげながらも、始動因、目的因は形相因に帰着するとして、結局
  は「質料」と「形相」の2原因としてとらえている

● 実体としての個物は質料と形相の統一

 ・質料は、実体をつくりあげる材料となるものであり、形相は無規定の質料を
  規定して実体をつくりあげるもの

 ・低次の実体は質料のみ、通常の実体は質料と形相の統一、最高の実体(絶対
  的実体)(神)は形相のみで質料をもたないと考えた―この最高の実体がス
  コラ哲学で世界創造の神とみなされた

 ・しかし現在では、質料と形相のカテゴリーは真理をとらえるものではないと
  して使用されていない

● 可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)の弁証法

 ・質量と形相のカテゴリーを運動、生成の観点からとらえるとき可能態と現実
  態となる

 ・このカテゴリーはアリストテレスが作り出したものであり、現在も「可能性
  と現実性」のカテゴリーとして用いられている

 ・質料が可能態に、形相が現実態に対応する

 ・区別のない無規定の質料はたんなる可能態であり、これを規定された現実態
  にするのが形相

 ・可能的なものが現実的なものになるということのうちに、運動、生成の概念
  が示されている

 ・その意味でアリストテレスの哲学は「生成の体系」(シュヴェーグラー『西
  洋哲学史』㊤ 220ページ)であり、この運動、生成の見地が、アリストテレ
  スのイデア論に生かされている

 


6.アリストテレスのイデア論

● プラトンのイデア論の発展的継承者

 ・アリストテレスはプラトンに20年間師事してプラトンのイデア論を学ぶ

 ・しかしアリストテレスはプラトンのイデアは個物から離れて存在する超越的
  存在にすぎないし、したがって存在する個物がいかにして存在するに至った
  のかという存在するものの説明根拠をもたないと批判

 ・アリストテレスはこれに対して「形相」というイデアを主張し、「形相」は
  個物の存在根拠となっていると主張―プラトンのイデアそのものを否定して
  現実的なものにこだわったのではない

● ヘーゲルのとらえるプラトン、アリストテレスのイデア論

 ・「プラトンが、そしてはるかに深い形でアリストテレスが与えているような
  理念(イデア)の形態」(『小論理学』㊤ 49ページ)を「われわれの思想
  のうちに取り入れて明らかにするという仕事は、……哲学そのものの進歩を
  も意味する」(同)

 ・一般にはプラトンはイデアのみ真実と考えたのに対し、アリストテレスはイ
  デアを排して現実的なものを固守したと考えられているが、それは誤りであ
  る

 ・というのもアリストテレスはプラトンのイデア論が単なるデュナミスにとど
  まっていることを批判したものであって、アリストテレスのイデアとは「本
  質的にエネルゲイアであること、言いかえれば、端的に外にあらわれている
  内的なもの」(『小論理学』㊦ 84ページ)であり、したがってヘーゲルの
  いう意味での「現実性」を主張したもの

 ・「プラトンの理念(イデア)は総じて……生きいきとした活動の原理、主体
  性の原理が欠けている。……純粋な主体性の意味での主体性―の原理は、本
  来アリストテレスのものである」(『哲学史』㊥の2 28ページ)

 ・対立するものの統一が問題になっている場合には、「対立を揚棄する」(同
  31ページ)という「否定的な原理」(同)が働いているが、プラトンのイデ
  アには「否定的な原理はそれほど直接的には表明されていない」(同)こと
  により「現実性の契機が欠けている」(同)

 ・つまりプラトンのイデア論には運動、生成の原理が存在しないこと、イデア
  (理想)が現実性に転化する観点が欠けているとして批判したもの

 ・これに対してアリストテレスの「現実性あるいはエネルゲイアといわれてい
  るものはまさしくこの否定性であり、活動であり、活動的な能力である」
  (同)

 ・アリストテレスのイデア論は、「絶対的実体」において主体的な活動にもと
  づく主観と客観の一致という「最高の立場」(同44ページ)に達する(後
  述)

 ・ヘーゲルがアリストテレスのイデア論について「哲学そのものの進歩をも意
  味する」(『小論理学』㊤ 49ページ)といったのは、それが主体的な変革
  の立場を意味しているものととらえたため

 ・ヘーゲルは、イデアを唯物論的理想ととらえ、そのイデアを掲げた実践によ
  り客観世界を真実在に変革する「主体性の原理」が重要だという革命の立場
  にたった