2012/08/25 講義
第5講 古代哲学④
アテナイ期の哲学から
ヘレニズム・ローマ時代の哲学へ
1.アリストテレス(その2)
① 倫理学
●「人間に関わることの哲学」は「ニコマコス倫理学」で個人が「善い人間とな
る」理論的研究、「政治学」で「善い人間となる」実践的方法(2冊で人間学
のワン・セットに)―はじめて倫理学を体系的に論じようとした
● ソクラテスの倫理学とアリストテレスの倫理学
・ソクラテスは徳(道徳)の基礎は人間の自己意識という主観的なものにある
と考えた
・この考えは、その後小ソクラテス派や、ヘレニズム・ローマ時代のストア
派、エピクロス派に引きつがれる
・これに対してアリストテレスは、人間の本質という客観的なものに結びつけ
て「徳」を考えようとした―唯物論的倫理学への最初の一歩
→ソクラテスの主観的倫理学に対し、アリストテレスの唯物論的倫理学
● 人間は本質的に「ポリス的動物(ゾーン・ポリティコン)」(『政治学』7ペ
ージ)である
・「人間は最も文字どおりの意味でゾーン・ポリティコン(共同体的動物、社
会的動物)である」(全集⑬ 612ページ)
・集団力としての生産力の創造は、「人間は生まれながらにして、アリストテ
レスが考えるように政治的動物ではないにしても、とにかく社会的動物であ
ると言うことに由来している」(『資本論』③568ページ)
・マルクスは、アリストテレスに学んで「人間の本質は、人間が真に共同的な
本質であることにある」(全集㊵ 369ページ)ととらえる
● 人間にとっての最高善は幸福である
・善には、外的善、身体的善、精神的善の3種があり、最も大切なのは精神的
善
・したがって理性をもって生きる「観想的生活」、哲学者の生活こそ最高善の
幸福な生き方
● 最高善の実現は共同体としてのポリスの生活においてのみ可能
・最良のポリスのもとで個人も最高善を手にすることができる
・しかし共同社会という人間の本質を開花させる最高善は議論せず
―共同社会はたんに最高善を生みだす環境にすぎないとし、徳については従
来どおりの主観的な徳を主張
● アリストテレスの唯物論的倫理学は、科学的社会主義の倫理学に継承・発展さ
れていく
② 科学的社会主義の哲学は、アリストテレスから何を発展的に
継承したのか
● アリストテレス哲学の根本思想が発展的に継承されねばならない
・ギリシア哲学の最大の成果は弁証法
・弁証法の公理は対立物の統一
・問題はいかなる対立物の統一をアリストテレスから学ぶのかにある
●「哲学全体の最高の問題」(全集㉑ 279ページ)は「思考と存在はどういう関
係にあるのか」(同278ページ)の問題
・1つにはどちらが根源的かの問題―唯物論か観念論か
・もう1つは「思考と存在との同一性」(同280ページ)という真理観の問題
● アリストテレスは、イデア論をつうじて「思考と存在の同一性」の問題につい
て、実践的真理観に道をひらく
・アリストテレスのイデア論は「エネルゲイアとしてのイデア」
・同時にそれは実践的真理観という哲学の最高の問題に解答を示すもの
●『形而上学』第12巻の「思惟の思惟」でそれが示される
・『形而上学』(アリストテレス全集⑫)全体のまとめ、その「世界観の大
要」(同711ページ)に相当するのが第12巻
・絶対的実体(理性)は「これがその思惟対象に接触しこれを思惟していると
き、すでに自らその思惟対象そのものになっているからであり、こうしてそ
れゆえ、ここでは理性(思惟するもの)とその思惟対象(思惟されるもの)
とは同じものである」(アリストテレス全集⑫ 420ページ)
・「〔この神的な理性は〕それ自らを思惟する〔いやしくももっとも優越的な
ものであるからには〕、言いかえれば、その思惟は、思惟の思惟である」
(同429ページ)
・この「思惟の思惟」(「思考の思考」)をどう解するべきかをめぐって種々
の議論あり
● ヘーゲルは「思惟の思惟」を概念(真にあるべき姿)と存在(現実)との統一
という「最高の立場」ととらえた
・「アリストテレスの哲学の主要点は、思考と思考されたものとが1つである
こと―客観的なものと思考〔現実態)とが同一であることである。……思考
は思考の思考である」(『哲学史』㊥の2 41ページ)
・アリストテレスのいうヌース(理性)は、その活動によって主観と客観の
同一性を実現する。ヌースは「実現の力である。この力は活動、運動、反発
であり、したがってそれは死んだ同一性ではない」(同42ページ)
・「ただ思考においてのみ、客観的なものと主観的なものとの真の一致がある
のである。…このようにしてアリストテレスは最高の立場に立つ。それ以上
に深いものを認識したいと望むことはできない」(同44ページ)
―『哲学史』のなかでくり返し「思考の思考」を「最高の立場」として引用
している
● ヘーゲルは「思惟の思惟」を実践的真理観ととらえることで「最高の立場」と
とらえた
・ 『小論理学』第24節補遺2でヘーゲルは「思考と存在との同一性」として
の真理を論じている
・普通には真理とは「対象と表象との一致」(『小論理学』㊤ 124ページ)
と理解されている(認識論的真理観)
・しかしヘーゲルは、哲学的な意味の真理はそれにとどまらず、「概念と存在
の一致」として理解すべきものとする(実践的真理観)
・「神のみが概念と実在との真の一致」(同)―アリストテレスに学んだもの
・「論理学の提起は、以上述べたような意味における真理、すなわち自分自身
との一致という意味における真理を研究することである」(同125ページ)
・ヘーゲルはアリストテレスのイデア論を「思惟の思惟」をつうじて実践的真
理観としてとらえることで、真理を探究する論理学の「最高の立場」と理解
し、『エンチクロペディー』の末尾に引用
● 科学的社会主義の哲学への発展的継承
・ヘーゲルは、アリストテレスの絶対的実体を理想を追求する人間主体ととら
え、人間は客観の分析をつうじて客観の真にあるべき姿としての概念をとら
え、それを自ら運動して客観化することによって、概念と存在との一致とい
う実践的真理を実現するものととらえた
・科学的社会主義の哲学は、ヘーゲルを媒介してアリストテレスの「思惟の思
惟」を理想と現実の統一の実践的真理として発展的に継承したものというこ
とができる―「真理は必ず勝利する」
2.ヘレニズム・ローマ時代の哲学
① ヘレニズム・ローマ時代は帝国主義の時代
● BC4世紀からAD9世紀まで
・BC4Cアレクサンドロス大王帝国の建設、ローマ帝国による世界支配、ゲ
ルマン・キリスト教国家としてのフランク王国(神聖ローマ帝国)の成立ま
でが「ヘレニズム・ローマ時代」
● それはギリシア哲学の基礎となったポリスを解体し、帝国主義的侵略と他民族
抑圧の時代
・特にBC8Cイタリアの1都市国家として誕生したローマは、BC3~2C
にかけてのポエニ戦争でカルタゴを打ち破り、BC27年エジプト・プトレマ
イオス王朝(クレオパトラ女王)を併合して、古代社会最大のローマ帝国を
建設(395年東西ローマに分裂、476年西ローマ帝国滅亡)
・その支配は、東は小アジア、西はポルトガル、南はアフリカの地中海沿岸、
北はイギリスにまで及ぶ(『ローマは一日にしてならず』)
・ローマの世界支配は「軍事力、ローマ式の裁判管轄権、徴税機構」(エンゲ
ルス「原始キリスト教史によせて」全集㉒ 460ページ)による強権的支配、
(『すべての道はローマに通ず』)
・ポリス、氏族社会、土地共同体、民俗宗教など従来の伝統的組織をすべて解
体して、新しい支配体制確立(パックス・ロマーナ―ローマ的平和)
・9Cのフランク王国(後の神聖ローマ帝国)で封建社会に移行
② 過渡期の哲学
● この時代の哲学は、中世のスコラ哲学を準備する過渡期の哲学
● 第1期は、現実から逃避して心の平穏を求める哲学
・ストア派、エピクロス派、スケプシス派
● 第2期は、キリスト教を理論化しようとする哲学
・現実逃避の哲学から、慰めの哲学に
・「キリスト教は、発生時には被圧迫者の運動であった。それが最初に現れた
のは、奴隷および被解放奴隷の、貧者および無権利者の、ローマによって征
服または撃破された民族の宗教としてであった」(同445ページ)
・新約聖書のうちで最も古い「ヨハネ福音書」(AD68年頃)にみられるの
は
「今日のキリスト教徒にはすっかり失われて、現代では社会の他の極、
すなわち社会主義者たちのもとにのみ見いだされる闘争欲と必勝感とであっ
た」(同456ページ)
・しかし実際には、皇帝ネロの最初の弾圧(AD64)以来、ディオクレティア
ヌス帝の大迫害(AD303)まで約250年間弾圧続く
● キリスト教は解放の理論から帝国主義的支配にとって無害な理論に
・抵抗としての原始キリスト教を無害な存在に転化したのが、アレキサンドリ
アのピロン(フィロン)とストア派のセネカ
・「じじつ、フィロンをキリスト教の教義上の父とよんでもよいとすれば、セ
ネカはその伯父であった。新約聖書中の幾多の章句はほとんど文字どおりに
彼の諸著作から写しとられたもののようにみえる」(全集㉑ 11ページ)
・「ヨハネ福音書」には存在しなかった人間の原罪性、ロゴスのキリストへの
人格化、贖罪による原罪からの救済などが「ストア=フィロン学説のなかに
嵌めこまれた」(全集⑲ 292ページ)
・「時世の困難と全般的な物質的、精神的困窮とについての嘆きにたいして、
キリスト教の罪の意識が次のように答えた。そのとおりだ、そうしかなりえ
ないのだ。世界の堕落にたいして罪のあるのはお前だ、お前たちみなだ、お
前自身の、お前たち自身の内なる堕落だ!」(同297ページ)―キリスト教
的「自己責任論」
・マルクス「宗教はなやめるもののため息であり、……民衆の阿片である」
(「ヘーゲル法哲学批判・序説」全集① 415ページ)
・キリスト教がユダヤ人の民俗宗教から世界宗教に発展するとともに、ローマ
帝国の支配にとって無害な存在に
・現世に救いを求めていた運動から、来世に救いを求める慰めの宗教に転換
● 無害な存在から帝国主義的支配のイデオロギーに
・コンスタンティヌスの「ミラノの勅令」(AD313)でキリスト教の信仰の
自由を認める
・ニカイア公会議(AD324)―コンスタンティヌス帝が招集したローマ帝国
のキリスト教会の第1回世界の公会議
・その会議で全キリスト者を拘束する信仰箇条決定、承認しない者は国事犯に
・この決議は教会と国家との同盟およびキリスト教のローマ帝国国教への転化
を示すもの
・ギリシア哲学の人間哲学、真理探究の哲学は、人間支配の哲学、慰めの哲学
に転化―哲学の堕落、変質
・この傾向は中世のスコラ哲学のもとで完成する
● ローマ・ヘレニズム時代の哲学は、哲学の転換を示すものとして重要な意義を
もつ
・一般には哲学の低迷期としてとらえられているが正しくない
・たんに低迷しているのみならず、哲学が真理探究の学問としてではなく、人
民支配のイデオロギーとしてのスコラ哲学に転化した契機となったという消
極的意味で重要な意義をもつ
3.第1期の過渡期の哲学
● アリストテレスとともにギリシア哲学は終わる
・自然と人間の真理を探究する普遍的哲学は自由と民主主義のポリスの解体と
ともに終了する
・それにとってかわり、帝国主義の支配のもとで客観世界に絶望し、人間の内
面の世界に閉じこもる主観性の哲学が誕生
● 主観性の哲学はスコラ哲学への橋渡しをなす第1期の過渡期の哲学
・スコラ哲学は9Cから16Cの宗教改革まで約700年にわたってヨーロッパ
の大半を支配
・過渡期の哲学は主観性の哲学として、観念論哲学としてのスコラ哲学への橋
渡しをする
・小ソクラテス派の流れを引きつぎ、生き方の真理を問題としながらも、それ
を人間の類本質との関係で考察しないところから、観念論的議論に
● 第1期の過渡期の哲学に共通するのは、現実からの逃避、何ものにも無関心、
無感動な「アタラクシア(心の平穏)」をもって最高の道徳とする(『哲学
史』㊥の2 161ページ、307ページ)
① ストア派
● 小ソクラテス派のキュニコス派の原理の継承
・ストア派のゼノンが講義したのが「柱廊(ストア・ポイキレー)」とよばれ
る会堂であったところから、ストア派の名を得る
・ゼノンが常食したのは、水とパンとイチジクに蜂蜜のみ
● ストア派の道徳論の一般的原理は、理性にしたがって生きることという独断論
・神によって造られた自然には理性的秩序がある
・したがって普遍的な理性にしたがって生きることが徳であるという
・理性的に生きるとは、自己のうちへの集中化、内面的な自由に生きることで
あり、もろもろの快楽、享楽、身分、地位、財産にこだわらないこと―「ス
トア的自由」
・ストア派の原理は「ストイック(禁欲主義)」の語源に
● セネカ(BC55〜AD39)
・「徳行と節制を説教していた」(全集⑲ 295ページ)ストア派のセネカは、
「ネロの宮廷の第1の策謀家であって、ネロから金銭、所領地、庭園、邸宅
を贈られていた」(同)
・「哲学者たちは、たんに謝礼かせぎのための学校教師であるか、金持ちの放
蕩者たちのお雇い道化師かであった」(同)
● マルクス・アウレリウス(121~180)哲学者皇帝は、謙虚と禁欲を説きつつキ
リスト教を弾圧
② エピクロス派
● 自然哲学においては、「無神論的唯物論」(全集⑲ 292ページ)
・デモクリトスの原子論の継承・発展
・マルクスの学位論文「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差
異」〔全集㊵ 185ページ)―エピクロスの自然哲学がデモクリトスの原子
論を弁証法的により発展させていることを明らかにしたもの
● 小ソクラテス派のキュレネ派の原理の継承
・キュレネ派の人間らしく満足に生きられることが快楽(ヘドネー)であると
いう原理を思想にまで高めた
・「隠れて生きよ」―ポリスなどの煩わしいことから身を引き、身体の健康と
心境の平静を旨とする静かな快の生活を説く
● エピクロスの道徳論の一般的原理は、快楽を善の基準とする独断論
・ストア派もエピクロス派も、その道徳論は独断論理
・ストア派は道徳の真理の基準を理性という普遍性の原理に求めたのに対し、
エピクロス派は快楽という個別性の原理に求めた
・それは「恐怖や欲望から自由な精神の自分自身との同一的な心の平静の持
続」、つまり「アタラクシア」をかかげる(『哲学史』㊥の2 249~250
ページ)
・しかし本質的には現実からの逃避
③ スケプシス派
● スケプシス派は、ストア派、エピクロス派の独断論の否定から生まれた
・ピュロンに始まるところからピュロン主義ともよばれる
・ストア派、エピクロス派の一面性への批判から生じた
・スケプシス派とは「あらゆる規定されたもの(区別されたもの)を氷解さ
せ、空無のうちにあることを示す」(『哲学史』中の2 292ページ)哲学
―スケプシス派を「懐疑派」と訳すのは正しくない。彼らは「疑い深かった
のではなく、非真理を確信していたのである」(同298ページ)
・どのような判断も真ともいえず、偽ともいえない。したがってすべての判断
をさしひかえ(エポケー、判断中止)、いっさいの意見から等距離を保つべき
・こうしてこそ心の平静さ(アタラクシア)がえられる
● しかしスケプシス派の本質はニヒリズムにある
・スケプシス派は「悟性が確実だとする一切のものにたいする完全な絶望であ
り、そこから生じる境地は、何事にも心を動かされぬ自己安住である」
(『小論理学』㊤ 250ページ)
● スケプシス派の弁証法への接近
・スケプシス派はすべてのものは、対立、矛盾を含んでおり、したがっていか
なる肯定も、いかなる否定もともに一面的であり、したがって真理は存在し
ないとする
・「哲学は、懐疑的なものを1つのモメントとして、すなわち弁証法的なもの
として、そのうちに含んでいるのである。しかし哲学は、懐疑論とはちがっ
て、弁証法の単に消極的な成果に立ちどまってはいない」(同251ページ)
④ まとめ
● 哲学がイデオロギーの一種として階級制(党派制)をもつことを過渡期の哲学
ははじめて明らかにした
● 過渡期の哲学は現実からの逃避により、ローマ帝国の支配に消極的に貢献した
・「これらすべての哲学に共通の目標」(『哲学史』㊥の2 161ページ)は
「何ものにも動じることなく、無関心で、何ものにも乱されることなく、無
感動で、確固不動であること、すなわち、何ものにも心を痛められることな
く、何ものにもしばられることのない精神の安定」(同)
●「民衆からは町の道化師とみなされ、ローマの金持や地方総督等々からは館の
茶坊主として慰み用に雇われて、……ご主人様とその客人たちをアタラクシ
ア、アパシア、ヘドネーなどというおかしげなことばでたのしませた」(全
集③ 128ページ)
4.第2期の過渡期の哲学
● 世界帝国・ローマ帝国の支配のイデオロギーとしての世界宗教・キリスト教
・キリスト教は民俗宗教であるユダヤ教(その教典が旧約聖書)のメシア(救
世主)思想を受けつぎ(旧約聖書と新約聖書の結合)、神から遣わされたキ
リスト(メシア)への信仰により、悔い改めた者は階級、民族の差別なく、
天上において神に救済されるとの教義を基本とすることで世界宗教となる
・第2期の過渡期の哲学は、ローマ帝国の支配のイデオロギーとしてのキリス
ト教哲学(スコラ哲学)の萌芽となった哲学
① アレクサンドリアのピロン(BC25〜AD40)
・旧約聖書に示されたユダヤ人の民俗宗教をギリシア哲学と結合
・「はじめにロゴス(言葉)があり、ロゴスは神のところにあり、ロゴスは神
であった」(ヨハネ福音書)をピロン流に解釈したもの
・原始キリスト教に欠けていたのは「人間になったロゴスの特定の人格への化
現。罪ある人類を救済するためのこの十字架上での贖罪」(同292ページ)
・ピロンの文書には、人間の原罪性、神と人間との間のなかだちとしてのロゴ
スとしてのキリスト、贖罪など「すでにすべての本質的にキリスト教的な諸
観念を内包」(全集⑲ 291ページ)しており、ピロンは「キリスト教の真
の父」(同)
・すべての人が原罪から解放されるためには、洗礼を受け、キリストと一体化
することによる贖罪が必要とされる
② アレクサンドリアのプロティノス(AD204〜269)
・新プラトン派の創始者―神秘的観念論者
・世界のすべての事物は聖なる一者(神)の満ちあふれる力から流れでる(流
出説)
・人間の生活の目的は、流出の方向を逆にたどり一者にまで昇りつめることに
ある
・「アレクサンドリアの世界図式」―「世界像の頂点に神が立ち、その底部に
質料とそれにかかずらう人間が沈み、両者の間に仲介者としてのロゴスが介
在する」(岩崎、鰺坂『西洋哲学史概説』96ページ)
・神に始まり、人間界、自然界という3段階の階層的自然観を示す
③ 教父哲学の完成者アウグスティヌス(354〜430)
● カトリック教会の設立と教父哲学(4~5C)
・大衆運動から出発した原始キリスト教には、もともと統一教義は存在せず
・エンゲルスは新約聖書のうちで最も古い「ヨハネ福音書」では「原罪につい
ては痕跡もない。三位一体についてもゼロ。イエスは『小羊』ではあるが、
神の下位にあるもの」(全集㉑ 11ページ)とされていることを指摘
・「そこにはたった1つの支配的な教条があるだけである。すなわち信者たち
はキリストの犠牲によって救われた」(同)
・ローマ帝国は教義を広めるために、公認の教義を教えるローマ・カトリック
教会設立―公認以外は異端として排斥
・カトリック教会の教義を確立し、基礎づけるものとして教父哲学が生まれる
・ローマ教皇は、西ヨーロッパの国王、皇帝と並ぶ権力者となる
● 教父哲学の代表者はアウグスティヌス(354〜430)
・教父哲学の完成者、カトリック教会の教義に理論的基礎を与え、スコラ哲学
にも大きな影響
・世界は神の意志によって創造されたものであり、原罪を負って生きる人間は
悪への自由をもつだけ。人間の救済は神の恩寵を媒介する教会をつうじての
みなされる
・「教会のほかに救いはなし」
・「地の国」(ローマ帝国の支配する現実世界)に対する「神の国」を主張
し、「地の国」とのたたかいをつうじて、最終的に「神の国」の勝利を説く
・世界史を神による人間の救済史としてとらえる―「前歴史」(世界の創造と
堕罪)、「地の国」での人類の歴史、最後の審判による「神の国」の歴史
④ まとめ
・古代哲学はギリシア哲学で頂点に達し、過渡期の哲学をつうじて哲学は真理
探究の学問から、帝国主義的支配のイデオロギーという堕落の道に
・過渡期の哲学を経て、封建制社会の支配のイデオロギーであるスコラ哲学の
完成―哲学の暗黒の時代に |