2012/12/22 講義
第9講 近代哲学③
18、19世紀のフランス唯物論とドイツ観念論
1.18、19Cの哲学史の概説
● 17、18Cの哲学は、近代哲学の根本問題である唯物論と観念論の対立を
鮮明に
・イギリス唯物論はバークリ、ヒュームで本来の輝きを失う
・それにかわって大陸の観念論が台頭
・「スピノザ主義は18世紀を支配した」(全集② 130ページ)
● 大陸の観念論からフランス唯物論へ
・フランス唯物論は、当時の社会制度に無関心な大陸の観念論に対して公然た
る闘争を開始
・とくにルソーの思想は19C前半のヨーロッパ全体をその支配下に
・フランス革命によるフランス唯物論の勝利によって、18Cは「すぐれてフ
ランスの世紀」(全集⑲ 548ページ)に
・ルソーの人民主権論と平等思想はフランス革命を理論的に準備し、バブーフ
の共産主義に発展
・「フランスの唯物論の他の方向は、直接に社会主義と共産主義とに注いでい
る」(全集② 136ページ)
● フランス唯物論からドイツ観念論へ
・「フランスの政治革命に伴って、ドイツでは哲学革命がおこった」(全集
① 535ページ)
・カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルのドイツ観念論による哲学革命
・ドイツ観念論は、大陸の形而上学的観念論に対し、フランス革命を理想と現
実の弁証法としてとらえる弁証法的観念論であったところから、「ドイツ古
典哲学」とよばれる
・「ドイツ哲学の最大の功績は弁証法をふたたびとりあげたことであった」
(全集⑳ 19ページ)
・ドイツ古典哲学の弁証法は、ヘーゲルで頂点に
・「フランス唯物論のためにうちまかされた17世紀の形而上学は、ドイツ哲
学、ことに19世紀のドイツ古典哲学として、かちほこった、実質的な復興
を体験した」(全集② 130ページ)
・マルクス、エンゲルスは、他方でヘーゲル弁証法を観念論と批判―しかし、
弾圧を免れるための「観念論の装いをもった唯物論」というべき
・ヘーゲル哲学のもつ二面性から、彼の死後、右派と左派に
・ドイツ観念論は、弁証法によって「完成され、人間主義に一致する唯物論に
永久に屈服するであろう」(同)
● ドイツ観念論から、マルクス、エンゲルスの弁証法的唯物論へ
・ヘーゲル左派からマルクス、エンゲルスの弁証法的唯物論へ
・近代哲学は、イギリス唯物論―大陸の観念論―ドイツ観念論―マルクス、エ
ンゲルスの弁証法的唯物論と、唯物論と観念論の対立と闘争のなかで展開
● 近代哲学は、フランス革命をつうじてもう1つの根本問題である「思考と存
在との同一性」の問題も浮き彫りに
・フランス革命をつうじて、「思考と存在との同一性」の問題、言いかえると
理想と現実の統一の問題がうきぼりに
・フランス唯物論は、実践的に「思考と存在との同一性」を問題とし、ドイツ
観念論は哲学的に「思考と存在との同一性」を問題とする
・ルソーは、「一般意志」(真にあるべき意志)の概念によって「当為の真
理」を明らかにして革命の哲学を生みだす―しかし反面で、人民という「存
在」から「当為の真理」としての「思考」を生みだしうるのかの問題を提起
・ドイツ観念論は、「思考と存在の同一性」には2つの側面(1つは「事実の
真理」のみならず「当為の真理」も認識しうるのかの問題。もう1つは「当
為の真理」としての「思考」は現実と同一になりうるのかの問題)があるこ
とを明らかに
・カントは、その観念論的認識論によって「当為の真理」は認識しえないとす
る不可知論に立ちながら、部分的に理想と現実の統一を認める矛盾した態度
をとる
・これに対しヘーゲルは、「当為の真理」は認識しうるのみならず、実践を媒
介にそれを現実に転化しうるとして革命の哲学(理想と現実の統一の哲学)
を確立
・しかし「事実の真理」から「当為の真理」への認識の飛躍の問題の解決は、
マルクス、エンゲルスに持ちこされる
2.18、19Cのフランス唯物論
● 17、18Cのイギリス唯物論から、18、19Cのフランス唯物論に
・18、19Cのフランス唯物論に2つの特徴あり
・1つは、認識論的には、ホッブス、ロックの経験論を引きつぎながらも、そ
の自然観においてデカルトの機械的自然観を継承
・2つは、イギリス啓蒙思想を発展的に継承したフランス啓蒙思想として、フ
ランス革命を理論的に準備すると同時に、実践をつうじて社会主義思想に結
びつく
● 認識論としてのフランス唯物論の3つの固有の狭さ
・唯物論とは、現実の世界をありのままに把握しようとする一般的な世界観
・フランス唯物論は、一般的な世界観としての唯物論を特殊な一形態にかえて
しまう
・1つは、機械的、力学的唯物論―ラ・メトリの『人間機械論』にみられるよ
うに、生命体の運動をも力学的な機械的運動としてとらえる
・2つは、形而上学的唯物論―大陸の観念論は、「論理的完全性」を同一律に
求めて形而上学に達したのに対し、フランス唯物論は、当時の自然科学にお
ける分析的方法から形而上学に
・3つは、偶然性を否定する「決定論」的唯物論―自然は偶然性と必然性の
統一としてのみ存在しており、マルクス主義の弁証法的決定論によって克服
される→この固有の狭さゆえに、フランス唯物論にはみるべき遺産なし
● フランス啓蒙思想
・フランス革命は、封建制を徹底的に打破したブルジョアジーによる第3の決
戦
・革命の原動力となったのは、「第3身分」(ブルジョアジーとサン・キュ
ロット)
・革命を理論的に準備したのがフランス啓蒙思想
・ヴォルテール、モンテスキュー、百科全書派(ディドロ、ダランベール)、
そしてルソー
・モンテスキューは貴族階級に、ヴォルテールと百科全書派はブルジョアジー
に、ルソーは無産階級に、それぞれ権力を与えようとした
・ルソーはたんなる政治的平等ではなく、経済的・社会的な平等思想で、ヴォ
ルテール、百科全書派と決別
・ルソーの人民主権論と平等思想は革命をつらぬく「思考」となり、フランス
革命は「思考と存在との同一性」、理想と現実の統一の問題を提起すること
に
・ルソーの上記2つの思想はバブーフ、ブオナロッティをつうじて社会主義思
想にひきつがれる
● フランス啓蒙思想家としてのルソーとバブーフ
・1789.7.14 バスチーユ監獄の襲撃
・8月、ルソーの思想を一定反映した「フランス人権宣言」(「第1革命」)
により、絶対君主制から立憲君主制へ
・しかしその実態は、人民主権とは無縁の、サン・キュロットに選挙権も与え
ないブルジョア主権
・1792 真の人民主権をめざしてサン・キュロットによる「第2革命」。
王制を廃止し、第一共和制を実現
・サン・キュロットに支えられた「ジャコバン独裁」のもとで、ルソーの思想
を体現した「93年憲法制定」
―以後共和制と93年憲法はヨーロッパの社会変革の旗印に
・ブルジョアジーのクーデターで「ジャコバン独裁」の崩壊。ブルジョアジー
の権力確立
・サン・キュロットの最後の革命としてのバブーフの「平等のための陰謀」
―「93年憲法」の実現をかかげルソーの平等思想と人民主権論にもとづき
財産共有制の社会主義・共産主義思想に
・ルソーの平等思想は、バブーフ共産主義とそれを広めたブオナロッティを媒
介して、19C前半の社会主義思想を生みだす
3.ルソー(1712〜1778)
● フランス革命の理論的指導者
・『人間不平等起原論』と『社会契約論』で人民主権論と平等思想を説くこと
で、19世紀前半のフランスはルソーの影響圏内に
・座右の銘とした「真理のために命を捧げる」の生涯を貫く
・ルソーの遺骸は、「偉人の殿堂」パンテオンに埋葬されている
● ルソーは4つの点で他のフランス啓蒙思想家より抜きんでている
1)1つは、自然法思想(天賦の人権)からではなく、人間論探究の唯物論的
見地から、自由、平等を論じている
・自然状態の平等、私有財産制による人間疎外の不平等社会、社会契約にもと
づくより高い平等の人間解放の社会
・エンゲルス―『資本論』と「瓜二つの思想の歩み」(全集⑳ 146ページ)
と評価
2)2つは、平等思想をつうじて社会主義思想に道をひらく
・「社会の領域においても平等であるべきとするテーゼは18Cには新しいも
の」(ソブール『フランス革命』㊤ 36ページ)
・平等思想は、大革命で「実践的=政治的役割」(全集⑳ 107ページ)を演
じたのみならず、「すべての国の社会主義運動においていちじるしい扇動的
な役割」(同)
3)3つは、その人民主権論は、ロックの間接民主主義と異なり、代表制の欺瞞
を指摘する直接民主主義を主張
・「イギリスの人民が自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選
ばれるやいなや、彼らはドレイとなり、無に帰してしまう」(『社会契約
論』)
・選挙のときのみならず、常時主権者として権力を監視し、いつでも任命、解
任しうるとする
4)4つは、「一般意志」
・ルソーの人民主権論は「人民の、人民による、人民のための政治」というも
の
・「一般意志」とは、人民の真にあるべき政治的意志―フランス革命の全過程
の流行語に
・人民主権とは、単に多数の意志にもとづく権力というだけでは足りず、人民
の一般意志を統治原理とする治者と被治者との同一性を実現する権力
・そのために「一般意志」と「万人の意志」を区別
・自然や社会を変革しうる能力をもつ人間にとって、「世界はどうあるか」と
いう事実の問題と、「世界はどうあるべきか」という当為の問題を区別し、
真理には「事実の真理」のみならず「当為の真理」があることを実質的に明
らかにすることによって、単なる「変革の哲学」ではなく、「革命の哲学」
に
・「一般意志」の提起は「思考と存在との同一性」の問題を実践的に提起
―ドイツ観念論でさらに理論的に深められていく
・人民の意志のなかから一般意志を導き出してそれを法にする「立法者」は、
先憂後楽の「神にも等しい」精神の持ち主でなければならない
・したがって、「当為の真理」をかかげる人民主権の国家の実現は極めて困難
・実際にも、ルソーの人民主権論をかかげた「ジャコバン独裁」は、恐怖政治
をもたらし、ブルジョアジーにクーデターの口実を与える
・ヘーゲルは、ルソーの人民主権国家を真にあるべき国家としながら、それを
実現するには優秀な官僚が必要とする
・一般意志は人民のなかから生まれなければならないと同時に、人民自身はそ
れを生みだしえないとの矛盾の解決が求められる
・それを解決したのが、マルクス、エンゲルスによる「プロレタリアート執
権」論
4.バブーフ(1760〜1797)と
ブオナロッティ(1761〜1837)
● フランス革命から生まれた社会主義・共産主義思想の代表的人物
・ルソーの平等思想と人民主権論を徹底させることで社会主義・共産主義の思
想に
・「フランス唯物論の他の方向は、直接に社会主義と共産主義とにそそいでい
る」(全集② 136ページ)
・ルソーと科学的社会主義をつなぐ橋渡しの役割として評価されるべき人物
● バブーフの「平等のための陰謀」
・ブルジョアジーのクーデターに抵抗して、真の人民主権、真の平等の実現に
より、フランス革命を完成させようとした「最後の革命」が、バブーフの陰
謀
・バブーフの陰謀は「フランス革命における『人民主権論』の最高の到達点」
(杉原泰雄『国民主権と国民代表制』228ページ、有斐閣)
・「不幸と奴隷状態は、不平等に由来し、不平等は財産権に由来する。した
がって財産権は、社会の最大の災禍である」(同231ページ)
・私有財産制の廃止による「階級そのものの廃止というプロレタリア的要求が
現われてくる」(全集⑳ 110ページ)
・「平等はたんに外見上で、たんに国家の分野で実施されるだけであってはな
らない、それはまた現実にも、社会的、経済的な分野でも実施されなければ
ならない、と」(同)
→バブーフはルソーの平等思想を徹底させるならば、社会主義・共産主義の
社会にたどりつかざるをえないことを明らかに
● バブーフ共産主義はパリ・コミューンを生みだす
・バブーフの私有財産制の廃止による階級廃止の思想は、ブオナロッティの
『平等のための陰謀』(1828)をつうじて、フランスの7月革命
(1830)、2月革命(1848)の思想的土台に
・「バブーフの陰謀によって一時敗北した革命的運動は、共産主義理念を生み
だしたこの理念をバブーフの友人ブオナロッティが、1830年革命ののち、
再びフランスにひきいれた」(全集① 124ページ)
・2月革命で労働者階級は、初めて独自の政治勢力として登場―「社会的共和
制」のスローガンは「階級そのものをも廃止するような共和制への漠然たる
あこがれを言いあらわしたものにほかならなかった」(全集⑰ 315ペー
ジ)
・1971 パリ・コミューンで世界最初の人民の政府―治者と被治者の同一性
を実現
・「コミューンこそは、そういう共和制の明確な形態であった」(同)
● パリ・コミューンから科学的社会主義へ(3つの特徴)
・1つは、ルソーのかかげる人民主権と直接民主主義
・主な公務員は普通選挙で選出、解任
・人民自治の政府―革命的民衆クラブが無数に組織される
・文字どおり治者と被治者の同一性を実現
・2つはバブーフのいう真の平等のための経済的解放を実現するための政府
・コミューンは、社会主義を実現するために、私有財産一般の廃止ではなく、
生産手段の社会化という、より具体化した正確な規定を打ち出す
・「コミューンは、……階級的所有を廃止しようとした。それは現在おもに労
働を奴隷化し搾取する手段となっている生産手段、すなわち土地と資本を、
自由な協同労働の純然たる道具に変える」(同319ページ)
・3つは、「プロレタリアート執権」の実現
・「パリ・コミューンをみたまえ、あれがプロレタリアート執権だったのだ」
(全集⑰ 596ページ)
・「労働者階級が社会的主動性を発揮する能力をもった唯一の階級であること
が、……公然と承認された最初の革命」(同320ページ)→マルクス、エン
ゲルスはパリ・コミューンをつうじて科学的社会主義の社会主義思想を完成
させる―「労働の経済的解放をなしとげるための、ついに発見された政治形
態」(同319ページ)
5.18、19Cのドイツ観念論
● 17、18世紀の大陸の観念論は、18、19世紀のドイツで復活
・フランス唯物論にうちまかされた大陸の観念論は「19世紀のドイツ思弁哲
学として、かちほこった、実質的な復興を体験した」(全集② 130ペー
ジ)―「思弁哲学」とは「弁証法哲学」の意味
・ドイツ観念論の特徴は、17、18Cの大陸の観念論が形而上学的であった
のに対し、フランス革命の影響のもとに、「思考の最高の形式としての弁証
法をふたたびとりあげた」(全集⑳ 19ページ)ことにある
・その功績に対する評価もこめて「ドイツ古典哲学」とよばれる
・カント、フィヒテ、シェリングを経てヘーゲルにより完結
・「ヘーゲルがそれを、天才的な仕方で、それ以後のあらゆる形而上学および
ドイツ観念論と結合して、1つの形而上学的世界王国を建設」(全集②
130ページ)
・ヘーゲルは「弁証法の一般的な運動諸形態をはじめて包括的で意識的な仕方
で叙述した」(『資本論』)
・ドイツ古典哲学のもう1つの功績は「思考と存在との同一性」の問題を理論
的に提起したことにある
・カントは、『純粋理性批判』において、観念論的な認識論から「当為の真
理」は認識しえないとしながらも、他方『判断力批判』では芸術と生命体に
限定しながらも理想と現実の統一を認める
・これに対しヘーゲルは、「哲学の最高の究極目的」は理想と現実の統一にあ
るとし、革命の哲学を確立
・ヘーゲルは、「思考と存在との同一性」の問題は、思考が存在に一致する認
識論の問題と、存在が思考に一致する実践論の2つの問題があることを明ら
かにし、両者を統一するところに「思考と存在との同一性」の真理があるこ
とを明らかに
・しかし、ヘーゲルは認識論の問題として「事実の真理」から「当為の真理」
への飛躍の問題を曖昧にしか述べていない
・「思考と存在との同一性」の問題には、「事実の真理」の認識、「事実の真
理」から「当為の真理」への認識の移行、「当為の真理」をかかげた実践に
より、自然や社会を変革するという3つの側面がある
・『資本論』ではこの3つの側面の統一による理想と現実の統一が論じられて
いる
・エンゲルスは『フォイエルバッハ論』で、ヘーゲル哲学の「真の意義と革命
的性格」(同271ページ)がその弁証法にあるとしながら、他方で観念論
的体系を指摘。死後、左派と右派に分裂。左派のフォイエルバッハの唯物論
(ただし歴史観を除く)で、古典哲学は「終結」し、マルクス主義哲学に結
実する流れを紹介
6.カント(1724〜1804)の批判哲学
●「フランス革命のドイツ的理論」(全集① 93ページ)
・フランス啓蒙思想の流れを汲むドイツ啓蒙思想
・『永久平和論』で非武装平和と「世界共和国」を主張。「カント・ラプラス
説」で、宇宙の弁証法的発展観に道をひらく
・『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の3部作から「批判哲
学」とよばれる
● 観念論的に逆立ちしたカントの認識論
・ヒュームの不可知論を知り、経験論と合理論を統一するには、「コペルニク
ス的転換」が必要とする
・経験はヒュームがいうように普遍性、必然性を含まない。にもかかわらず
我々がそれを認識しうるのは、我々のうちにある「ア・プリオリ(先天
的)」な認識能力によるもの
・人間の認識は、経験から出発してまず「感じ」、ついで「考える」から、感
性と悟性の統一
・感性、悟性には、ア・プリオリな思惟形式がある
・感性の思惟形式は、時間と空間であり、これにより経験は、時空のうちの多
様な直観として認識される
・悟性の思惟形式はカテゴリーであり、これにより多様な直観は「概念」とし
て統一のうちに認識される
・普遍性、必然性は、このカテゴリーの作用により認識されることになる
→普遍性・必然性は客観のうちにあるのではなく「思惟の自発性に属する」
(『小論理学』㊤ 165ページ)主観の作用としてとらえるもの
→カントの認識論の一番の問題は、ヒュームの懐疑論を正しいものと前提す
るところにあるが、我々は「実践による経験」をつうじて普遍性、必然性
が客観的なものであることを知りうる
● カントのカテゴリー論
・悟性は、感性による多様な直観を思惟することによって「概念」に統一する
・概念と概念の結合から判断が生まれる
・したがって悟性の一切の作用は判断に還元しうる
・判断に含まれる「統一」の機能をあますところなく取り出せば、カテゴリー
を抽出しうる
・判断には、量の判断、質の判断、関係の判断、様態の判断がある
・量の判断から「単一性」「数多性」「総体性」のカテゴリーが、質の判断か
ら「実在性」「否定性」「制限性」のカテゴリーが、関係の判断から「実体
と偶有」「因果性と依存性」「相互性」のカテゴリーが、様態の判断から
「可能性と不可能性」「現実性と非現実性」「必然性と偶然性」のカテゴ
リーが、それぞれ導きだされる→ヘーゲルの3つの批判
・1つは、経験的にあげられた判断の諸種類から安易にカテゴリーを導出して
おり、カテゴリーの必然性が示されていない―これに対しフィヒテのカテゴ
リーは「自我(主体)」と「非我(客体)」の対立から必然的に導出されて
いるとしてフィヒテのカテゴリー論を評価
・2つは、カントはカテゴリーを「単にわれわれにのみ属するもの(主観的な
もの)」(同175ページ)とみなしているが、そうではなくそれは客観的事
物のうちに含まれている
・3つは、カテゴリーは事物の必然性、普遍性をとらえるものであり、根本的
必然性は対立にあるから、カテゴリーは一対の対立するものとしてとらえな
ければならない。しかしカントは「実体と偶有」「因果性と依存性」「必然
性と偶然性」などのいくつかについてのみ対立するカテゴリーとしてとらえ
ているにすぎない
● カントのアンチノミーと不可知論
・カントはまず悟性と理性とを区別する
・「悟性の対象は、有限で制約されたものであり、理性のそれは無限で制約さ
れぬもの」(『小論理学』㊤ 178ページ)
・カテゴリーは経験的事実を統一する思惟形式だから、その適用範囲は悟性の
対象となる経験的事実に限定される
・もしカテゴリーを理性の対象となる経験を超える事物に適用したらどうなる
かの問題が、有名な「カントのアンチノミー」といわれるもの
・ カントが理性の対象としてあげたのは、世界、物質、因果法則、究極的原
因の4つ
・世界、物質は、経験し尽くせない。因果法則はヒュームのいうように経験に
よってとらえられない。究極的原因は経験的事物の先にある
・これらの理性の対象に、有限性と無限性、単一性と数多性、必然性と偶然
性、原因と結果というカテゴリーを適用すると矛盾におちいる
・第1のアンチノミーは、世界は時間的、空間的に有限か無限か。第2は、物
質は無限に分割しうるか否か(単一性が数多性か)。第3は、世界のすべて
は必然的因果法則のもとにあるのか否か。第4は、世界には究極的原因が存
在するのか否か
・定立・反定立のいずれも証明しうるとして、理性の対象となる経験を超える
事物(「物自体」)はカテゴリーによって認識しえないとの不可知論に
・最も問題なのは、経験を超える事物のうちには「当為」(世界はいかにある
べきか)の問題が含まれることにより、「当為の真理」は認識しえないとす
ることで理想と現実の統一の問題から目をそむける
→不可知論という点ではヒュームと同様。「実践による経験」により、当為
の真理性を検証する
→ヘーゲルは「一方では悟性は現象しか認識しえないことを認めながら、他
方では『認識はそれ以上に進むことができない。そこには人間の知識の自
然的な、絶対的な制限がある』と言うこと……は、この上もない不整合」
(同207ページ)。「われわれが或るものを制限、欠陥として知る場合
には、……われわれは同時にそれを越えているのである」(同)
・カントは、『純粋理性批判』ではその不可知論により「思考と存在との同一
性」を否定しながら、他方『判断力批判』では部分的ではあっても理想と現
実の統一を認めるという「二元論的体系」(『小論理学』㊤ 206ページ)
をとっているという問題もある(次講で)
→アンチノミーの積極的意義は、「あらゆる現実的なものは対立した規定を
自己のうちに含んでおり、したがって、或る対象を認識、もっとはっきり
言えば、概念的に把握するとは、対象を対立した規定の具体的統一として
意識することを意味する」(同186〜187ページ) |