『科学的社会主義の哲学史』より

 

 

第一一講 近代哲学⑤
     マルクス主義(その一)

一〇、マルクス主義は哲学史の総括として誕生

近代哲学の総括としてのマルクス主義

 第七講で近代哲学が提起した根本問題は、世界を大きく二分する思考と存在、精神と自然とはどういう関係にあるかの問題であり、マルクス主義哲学は、その問題についての真理を示すことで、真理探究の学問としても生き方の問題としても近代哲学の到達点を示すものであることをお話ししました。
 もう少し詳しくいうと、思考と存在との関係にかかわる第一の問題は、思考と存在のどちらが根源的かという問題であり、それに関して観念論か唯物論かの対立が生じます。近代哲学は、一七、一八世紀のイギリス唯物論と大陸の観念論の対立として幕をあけ、一八、一九世紀のフランス唯物論とドイツ観念論の対立として展開します。近代自然科学の発展をつうじて、自然、存在を根源的とする唯物論が次第に勝利していきますが、自然全体をどうみるかという認識論の問題については逆にフランス唯物論が機械的自然観という事実に即さない観念論の自然観の立場にたったのに対し、ドイツ観念論は、弁証法的自然観という唯物論の自然観にたつという、いわば逆転現象が生じたのでした。
 この問題に決着をつけたのがマルクス(一八一八~一八八三)、エンゲルス(一八二〇~一八九五)によって創始されたマルクス主義でした。マルクス主義は、自然を根源的なものとみなす唯物論の立場にたつと同時に、認識論における逆転現象を正し、自然についても事実に即して認識する弁証法的唯物論を確立したばかりでなく、これまで観念論の「最後の隠れ場所」(エンゲルス『反デューリング論』全集⑳二六ページ)になっていた歴史観にも弁証法的唯物論を適用して、史的唯物論をうち立てるという不滅の功績を残したのです。これによって、一八、一九世紀の唯物論と観念論の対立は、最終的に唯物論の勝利として結着することになりました。この時以降唯物論と観念論の対立は、一つには認識論をめぐって弁証法と形而上学、真理と非真理の対立となって展開されていくことになります。
 思考と存在との関係にかかわる第二の問題は、思考と存在とは果たして同一になりうるのかという、認識と実践にかかわる問題です。まずイギリス唯物論から生まれたイギリス啓蒙思想は、イギリス革命のなかで、理想と現実の統一の問題をはじめて提起し、ついでルソーに代表されるフランス啓蒙思想は、フランス大革命を理論的に準備するものとなり、理想と現実の統一の問題をさらに実践的なものに高めていきます。
 フランス革命に衝撃を受けたドイツ観念論は、理論的に理想と現実の統一の問題を論じ、ヘーゲルの革命の哲学に結実することになりました。さらに政治的には、フランス革命のなかから社会主義思想が誕生し、ルソーを発展的に継承したバブーフ=ブオナロッティの人民主権と平等思想を柱とする社会主義思想は一九世紀前半のヨーロッパを席巻し、理想と現実の統一の課題は、より発展した形態で論じられ、マルクス主義の社会主義論に結実します。
 こうした思考と存在との同一性の議論のうえに、マルクス主義は、史的唯物論というマルクス主義が人類史上はじめて生みだした科学的な社会にかんする哲学をつうじて資本主義を分析し、理想と現実の統一という一般的命題を資本主義から社会主義への発展の問題として具体化して示したのです。これによって社会主義は科学となり、ここに「理想と現実の統一」の問題も、ヘーゲルの一般的命題から、資本主義における「理想と現実の統一」として具体化されるに至り、哲学の最高の問題について解答が見いだされることになったのです。この時以降、哲学は「変革の立場」にたつのか、それとも「解釈の立場」にとどまるのかが、きびしく問われることになりました。
 ここでも唯物論は、人間の本性に根ざした「変革の立場」にたつのに対し、「観念論」は人間の本性から離れて、「解釈の立場」にたつのです。したがって唯物論と観念論の対立は、認識論についていうと、一つには弁証法か形而上学かの対立であり、もう一つは変革の立場か解釈の立場かの対立となってあらわれてきます。
 マルクス主義哲学が近代哲学の到達点を示す真理認識の哲学となったところから、現代哲学のほとんどがブルジョア哲学の観念論の立場からマルクス主義を批判し、攻撃するものとして登場することになります。その特徴は、彼らがいずれも弁証法を否定して形而上学の立場にたつか、あるいはもっぱら解釈の立場から、あれこれの観念論的議論をくり返すことによって真理の探究に背を向けることになります。したがって弁証法か形而上学か、変革の立場か解釈の立場かは、現代哲学の本質を論じるうえできわめて重要な試金石となるのです。

マルクス主義は古代、中世哲学の成果をも総括する

 このように、マルクス主義哲学はドイツ古典哲学のみならず近代哲学全体の到達点をも示すものとなっています。またそもそも近代はルネッサンスによって幕明けしたものであって、それは古代ギリシア哲学への復興を意味していましたから、マルクス主義哲学も、決して古代哲学の成果を無視しているということではありません。古代ギリシアのソクラテスは、哲学の目的の一つは、人間としていかに生きるべきかという生き方の当為の問題を「徳」「道徳」としてとらえ、それは小ソクラテス派や、ローマ・ヘレニズム時代のストア派やエピクロス派、さらにはカントにも引きつがれていきました。
 こういうソクラテス以来の人間の内面的な生き方の探究としての道徳論を批判し、生き方を問題とするのであれば、国家、社会との関わりをも問題にすべきだと指摘したのがヘーゲルでした。マルクス主義は、ヘーゲルの道徳、倫理論を引きつぎながら、唯物論の観点から人間とは何かという人間論を論じ、人間の本質論にもとづく唯物論的な生き方の当為の真理を探究したのです。
 しかし何といっても古代哲学の最大の成果は、第五講で学んだようにプラトンのイデア論を継承・発展させたアリストテレスの「思惟の思惟」、すなわち理想と現実の統一という実践的真理観にありました。生涯に十回もの哲学史の講義をし、古代哲学に精通していたヘーゲルは、このアリストテレスの実践的真理観を継承し、理想と現実の統一にこそ「哲学の最高の窮極目的」があると考えました。
 マルクス主義哲学は、アリストテレス、ヘーゲルの実践的真理観を継承しつつ、どうすれば「事実の真理」から「当為の真理」へと認識を発展させうるのかというヘーゲルが必ずしも明確にしなかった問題を、弁証法を使いながら解明したのです。それが『資本論』における科学的社会主義観となってあらわれています。またプラトンの「哲人政治」の考えがマルクス主義の「プロレタリアート執権論」に発展的に継承されていることもすでに学んできたところです。
 しかもマルクス主義は古代哲学の精髄を発展的に継承しているのみならず、中世哲学の価値ある遺産もしっかり継承しています。中世哲学の最大の教訓は、哲学が真理を探究する立場を貫くためには支配階級のイデオロギーになってはならないというものであり、マルクス主義はまっすぐにその立場を貫いた人民の哲学となっています。また中世のスコラ哲学は、人間の本質が自由な精神にあることを明らかにし、「近代的自我」の確立に道をひらきましたが、マルクス主義は「近代的自我」を自然や社会を変革する主体性としてとらえ、革命の哲学を確立したのです。
 したがって、マルクス主義哲学は、たんに近代哲学の到達点というのみならず、「それまでに人類が生みだしたすべての価値ある知識の発展的な継承者」(『前衛』四〇〇号、五〇ページ)ということができるでしょう。

マルクス主義の哲学

 以上を前置きとして、これからマルクス主義哲学としての弁証法的唯物論と史的唯物論とをみていくことになりますが、マルクス、エンゲルスには、例えばプラトンの『国家』、アリストテレスの『形而上学』、カントの『純粋理性批判』、さらにはヘーゲルの『論理学』のような体系的な哲学書が存在するわけではありません。
 マルクスは弱冠二十三歳で哲学博士の学位を取得し、若いときに「ヘーゲル法哲学批判 序説」「聖家族」(エンゲルスとの共著)、「ドイツ・イデオロギー」(同上)「経済学批判 序言」「フォイエルバッハにかんするテーゼ」「経済学・哲学手稿」「ミル評注」などの哲学的著作をいくつも著していますが、一八四九年ロンドンに亡命し、本格的に経済学を研究するようになってからは、エンゲルスとの任務分担によって、哲学は主にエンゲルスが担当することになります。
 マルクス主義哲学の主要な構成部分をなす『反デューリング論』『空想から科学へ』『フォイエルバッハ論』『家族、私有財産および国家の起原』『自然の弁証法』はすべてエンゲルスの著作となっています。しかしマルクスはその生涯をかけた不朽の名作『資本論』の「あと書き(第二版への)」のなかで、『資本論』で用いられた方法は弁証法であるとする異例の記述をしています。というのも、通常の著作では、叙述の内容を「あと書き」に書くことはあっても、叙述の方法にまで論及することはないからです。それを受けてレーニンは「マルクスは"論理学"をのこさなかったとはいえ、"資本論"の論理学をのこした」(『哲学ノート』レーニン全集㊳二八八ページ)と述べ、「ヘーゲルの〈論理学〉全体をよく研究せず理解しないではマルクスの〈資本論〉、とくにその第一章を完全に理解することはできない」(同一五〇ページ)とまでいっているので、『資本論』もある意味でマルクスの哲学書に含めることができるかもしれません。
 いずれにしてもマルクス、エンゲルスの著作は膨大なものであり、『マルクス・エンゲルス全集』(大月書店)だけでも全四十一巻、補巻四巻となっており、両者のメモ類まで含めたすべての文書を網羅するものとして現在も継続中の『新メガ』にいたっては百巻を優に越えるものが予定されています。
 そのなかで、体系化されているわけではないマルクス主義哲学をどのように要約して紹介すべきかは難しい問題です。ここでは、マルクス主義哲学が、世界のすべてについての真理を探究し、認識しようとする「全一的な世界観」であることを考慮し、第七講でみたように、自然、人間、社会という世界を構成する三つの部分に分けてみていくことにしましょう。

(一)自然にかんする哲学

 マルクス主義哲学は、自然全体をどうみるかの問題について、自然界のすべての事物は連関し、運動しているという弁証法的自然観にたっています。
 私たちの宇宙は、反物質を含まない物質のみから成る宇宙ですが、エンゲルスは、まず物質とその存在形式について、次のように論じています。すべての物質は、連関していることによって一つの統一的な物質世界を形づくっており、「世界の現実の統一性はそれの物質性にある」(全集⑳四三ページ)。現在でこそ私たちの宇宙にあるすべての物質は百三十七億年前のビッグバンから生じたものとして、すべての物質が相互に連関する「統一性」をもっていることは明瞭となっていますが、一九世紀にかかる知見をもつことができたのは、まさに弁証法の威力を示すものとなっています。
 またすべての物質は、時間と空間のうちに存在していますが、エンゲルスは、時・空は客観的実在であることを肯定するだけでなくて、ニュートンの絶対時間、絶対空間にみられるような物質を入れる容器のようなものではないと考えました。すなわち、時・空とは、物質から切りはなすことのできない「いっさいの存在の根本形式」(同五三ページ)であり、「時間の外にある存在ということは、空間の外にある存在ということと同じくらいにはなはだしい無意味」(同)であるとして、時・空の「外に」物質は存在しえないと主張したのです。この考えの正しさはアインシュタインの相対性理論で証明されるところとなり、時・空と物質とは一体不可分であることはいまや客観的真理として承認されています。
 同様に、物質と運動の関係も一体不可分であり、「運動は物質の存在の仕方」(同六一ページ)としてとらえられます。ニュートン力学では物質と運動は区別され、物質の運動は「神の最初の衝撃」(『自然の弁証法』同三四五ページ)にはじまると考えられていたのに対し、エンゲルスは物質と運動とを対立物の統一という弁証法においてとらえたのです。「運動のない物質が考えられないのは、物質のない運動が考えられないのと同じ」(全集⑳六一ページ)であり、したがって「あらゆる静止、あらゆる平衡は、相対的なものに」(同)すぎないとされています。今日の素粒子物理学の「標準理論」では、物質の最小単位としての素粒子は、すべて粒子と反粒子とが一対のものとして生成したり消滅したりする、不断の対生成、対消滅という運動のなかで、すべての物質が形成されていることが明らかになっています。
 また物質の階層性の問題についても、エンゲルスは示唆に富んだ見解を示しています。物質の階層性とは、私たちの宇宙における物質は、大きさと重さで区別されるいくつかの狭い帯のなかに存在しており、べったり平面上にむらなく存在しているのではないことを意味しています。当時はようやく物質の最小単位がいくつかの原子からなる分子であると考えられていた時代でしたが、エンゲルスはこの分子は「無限に続く分割のなかでのひとつの『結節点』であって、この結節点が分割を完結させるのではなく、質的な区別を生み出す」(エンゲルス「マルクスへの手紙」全集㉛二五五ページ)として、物質の階層性は、人間の認識の深まりによって無限に続くことを予見しています。それに関連して、物質の階層性に直接言及しているところも紹介しておきましょう。
 「物質がその質量の相対的な大小によって判然と区画された一連の大きな集団に区分されていて、そのため個々のどの集団の成員もおたがいどうしはきまった有限の比をなしているが、隣りの集団の成員にたいしては数学的意味での無限大または無限小の関係にあるということである。眼に見えるかぎりでの恒星系、太陽系、地上の物体、分子と原子……それらはそれぞれこのような集団をつくりあげている」(『自然の弁証法』全集⑳五七五~五七六ページ)。
 物質の階層性は、「最大の構造としての宇宙から、最少のクォークのレベルまで、物質のありようがより『下位』の階層を基本単位から構成されていること、その単位が不連続な系列である」(池内了『宇宙進化の構図』一四ページ、大月書店)という考えを基礎にしています。つまりすべての物質は、最小単位の粒子から成り立っているという連続性をもちながら、同時に非連続であるという連続性と非連続性との統一なのです。エンゲルスが、連続性と非連続性の統一という弁証法によって物質の階層性の基本をしっかりとらえていることには驚嘆するほかはありません。
 同様に、生命の起源についても、連続性と非連続性の統一が力を発揮しています。エンゲルスは「今日までのところ、自然科学が生命の起源にかんしてはっきり言えることは、それは化学的な仕方でおこなわれたにちがいない、ということだけである」(全集⑳七五ページ)として、蛋白質という化学物質が何らかの化学的作用により生命体に変化したととらえます。つまり化学的運動と有機的運動とは非連続のようにみえて連続しているという、連続性と非連続性の統一としてとらえ、観念論的な生命神秘説をしりぞけたのです。
 さらに「生命とは蛋白体の存在の仕方である。そして、この存在の仕方は、本質的には、蛋白体の化学成分が不断に自己更新をおこなうこと」(同八四ページ)にあり、言いかえると「各瞬間にそれ自身でありながら同時に他のものである」(同八五ページ)という同一と区別の統一という弁証法的存在としてとらえました。同一と区別の弁証法は、ダーウィンの進化論の説明にも適用されています。
 「種の変化は適応と遺伝との交互作用の結果として把握されるようになっており、そのさい、適応はこの過程において変化をもたらす側面、遺伝はその保存する側面である」(同七三ページ)。適応とは変化、すなわち区別であり、遺伝とは保存、すなわち同一であり、この同一と区別の統一として種の進化がとらえられるのです。
 では進化はなぜ生じるのでしょうか。エンゲルスはそれを「必然性と偶然性との内的連関についてのヘーゲルの叙述を実地に証明したもの」(同六〇七ページ)としてとらえています。すべての事物は偶然と必然の統一であり、偶然のうちに必然があり、必然のうちに偶然があるのです。種の進化とは、必然的な遺伝のなかから、偶然の変化としての突然変異が生じ、その偶然的な変化が必然的な種の進化をもたらすものに転化するという偶然と必然の統一なのです。
 以上マルクス主義の自然哲学を概観してきましたが、「自然は弁証法の検証となるもの」(同二二ページ)となっており、「近代唯物論は本質的に弁証法的」(同二四ページ)なのです。エンゲルスは、ヘーゲルに学んだ弁証法を縦横に駆使して、その後の自然科学の発展方向を予見しており、その基本部分が現代自然科学によって真理性を承認されているところに、弁証法という思惟形式が真理認識の唯一の形式であることが示されているのです。

(二) 人間にかんする哲学

・人間解放の哲学

 マルクス主義哲学の原点であり、かつその根本的理念として掲げるものが人間解放にあるということは、どんなに強調しても強調しすぎることはありません。マルクス主義哲学は「全一的な世界観」をその特徴としていますが、その哲学上の一切の問題は、人間解放に集約されることになります。
 マルクスが本格的に経済学の研究を始めた最初の仕事は「ヘーゲル法哲学批判 序説」(全集①)でした。そのなかでマルクスは、「人間にとっての根本は、人間そのもの」(同四二二ページ)であり、したがって人間解放の理論とは「人間を人間の最高存在であると言明する」(同四二八ページ)ような理論でなければならないのであって、それは「人間をいやしめられ、隷属させられ、見すてられ、軽蔑された存在にしておくようないっさいの諸関係を、くつがえせという……至上命令をもっておわる」(同四二二ページ)としています。
 こうしてマルクスは「人間をいやしめられ、隷属させられ、見すてられ、軽蔑された存在にしておくようないっさいの諸関係」の根本となる経済的諸関係の研究に生涯をかけることになります。マルクスが資本主義の経済的諸関係の研究を本格的に始めたのは、最高の存在である人間を疎外する資本主義そのものの歴史的制約性を明らかにし、人間解放という至上命令を実現するためにほかならなかったのであり、この原点をマルクスは生涯見失うことはありませんでした。

・人間の本質と人間疎外論

 では、人間を最高の存在とする人間解放とは何を意味するのでしょうか。この問いに答えるためには、人間の本質と人間疎外の唯物論的探究が必要となってきます。マルクスは、人間を「直接に動物的生活活動から区別する」(マルクス「経済学・哲学手稿」全集㊵四三七ページ)ものは「意識的な生活活動」(同)、つまり生産労働にあるととらえ、「生活活動の仕方のうちに一つの種の全性格、それの類性格があるのであって、そして自由な意識的な活動は人間の類性格である」(同四三六ページ)としています。
 生産労働は、人間の自由な意識によっておこなわれるものですから、人間を動物界から区別する人類としての本質は、自由な意識にあるとします。しかし狩猟と採集にしろ、農耕と牧畜にしろ、生産労働は共同作業としてしか営むことはできませんから、人間は動物と異なり、社会をつくって、社会のなかで共同して生産し、生活することになります。人間とチンパンジーとはDNAで一パーセント前後しか違いがないのに、その生活様式に大きな違いが存在するのは、人間はチンパンジーと異なり、生産と生活の共同の場である社会をもっているからです。その意味では人間が社会をつくると同時に、社会が人間をつくっているのです。「社会そのものが人間を人間として生み出すように、社会もまた人間によって生み出されているのである」(同四五八ページ)。したがって人間のもう一つの類本質は、共同社会性にあるのです。
 「人間の本質は、人間が真に共同的な本質であることにあるのだから、人間は彼らの本質の発揮によって人間的な共同体を、……社会的な組織を創造し、産出する」(マルクス「ミル評注」同三六九ページ)。このようにマルクスは、人間を動物界から区別するものを生産労働に求め、そこから自由な意識と共同社会性を人間の二つの類本質としてとらえています。
 しかしさらにいえば、この生産労働は自然を変革するという労働ですから、変革をつうじて「世界はどうあるべきか」「世界はどうあることに価値があるのか」という、当為ないし価値という意識が生まれてくるのであって、この価値意識をもつところに、人間の第三の類本質があるということができると思われます。人間は自由と民主主義に普遍的価値を見出しています。イギリス、フランスの啓蒙思想は、自由、平等を「天賦の人権」という自然権思想によって説明しようとしましたが、これも自由と民主主義に普遍的価値があることを観念論的にではあっても証明しようとする試みだったのです。ではなぜ人間は自由と民主主義に普遍的価値を見いだしているのかといえば、それらが人間の類本質である自由な意識と共同社会性を反映した、類本質に根ざした価値意識だからです。自由な意識をもつ人間という「存在」が自由という価値「意識」を規定し、共同社会性をもつ人間という「存在」が共同社会性を維持・発展させる民主主義という価値「意識」を規定しています。「存在が意識を規定する」という唯物論の命題は、人間の価値意識にも貫かれているのです。
 マルクスが理論的につかんだ人間の本質論を実証的に裏付けたのが、ルイス・モーガンの『古代社会』でした。モーガンは、一九世紀においてもなお原始共同体が存続していたネイティヴ・アメリカンの社会で彼らと生活を共にし、階級も国家も存在しない社会における人間の本来の姿、つまり人間の類本質を顕現している人間の姿の詳細を明らかにしたのです。マルクスは、これこそ史的唯物論を裏付けるものとして詳細なノート「モーガン『古代社会』摘要」(全集補巻④二五七ページ以下)を作成したものの、論文にまとめる時間のないまま亡くなりました。
 マルクスの没後、エンゲルスがまっ先に手をつけたのが、このマルクスの「遺言を執行」(エンゲルス『家族、私有財産国家の起原』全集㉑二七ページ)することであり、それがこのノートをもとに著された『家族、私有財産および国家の起原』なのです。ネイティヴ・アメリカンの原始社会は、すべての青年男女の構成員が平等に参加する会議でことが決められ、たがいに自由人であることを承認し、援助しあい、保護しあう原始共同体の社会でした。そこでは、自由な意識と共同社会性とはいわずもがなの当然のこととされており、そこから自由と民主主義という価値が社会の根本原理とされていたのです。
 「その成員はすべて自由人であり、たがいに他の者の自由を守りあう義務を負っている。個人的権利においては平等で――サケマも軍事指揮者も、なんらの優位も要求しない。……自由、平等、友愛は、定式化されたことは一度もなかったが、氏族の根本原理であった。……だれもがインディアンに認める不屈な独立精神と個人的な威厳ある態度とは、これによって説明される」(同九二ページ)。
 この文章はエンゲルスがモーガンの文章をそのまま引用したものです。階級も国家も存在しない原始共同体の社会は、七百万年の人類史の九九パーセント以上を占めていますが、この長い期間をつうじて人間は人間の本質を形づくってきたのであり、それは「自由、平等、友愛」という価値を根本原理とするものだったのです。この人間の本質は階級社会において損なわれ、人間疎外が生じることになります。マルクスは人間の根本的特徴を生産労働に求めましたので、人間疎外もまたそこから生じると考えました。人間疎外とは、マルクス独特の用語ですが、人間の生産労働から生まれた労働生産物が、逆に人間を支配することによって、人間の類本質が損なわれることを意味しています。
 言いかえると、階級社会においては人間は人間の類本質を本質として内にもち続けながらも、表面的には人間疎外という現象をもつのです。この本質と現象の矛盾は、人間疎外という現象からの脱出によって類本質への回復を求める欲求あるいは運動となってあらわれるのであり、それが階級闘争といわれるものなのです。
 マルクスはヘーゲル『法の哲学』に学んで、人間は労働をつうじて自己の意志を労働生産物に「置き入れ」、そのことにより労働生産物を自分のものとして所有するに至るのであり、したがって生産者が労働生産物の所有権を取得するのは絶対的な権利であると考えました。ところが階級社会においては、生産者が生産した労働生産物を支配階級が取得し、生産者は搾取されることになります。しかも搾取の度合いが強まれば強まるほど、本来人間にとって喜びであるべき労働が苦しみに転化し、苦労した労働の末につくり出した労働生産物を取得する喜びも奪われ、対等・平等であるべき生産関係は、支配と従属・抑圧の関係に転化してしまうのであり、こうした状態をマルクスは人間疎外とよんだのです。言いかえるとそれは人間の類本質である自由な意識と共同社会性、自由と民主主義という人間的価値を奪われた、人間の非人間化を意味しています。
 すなわち、まずマルクスは労働生産物を「人間の類生活の対象化」(全集㊵四三七ページ)ととらえ、生産者は自分自身を「活動的、現実的にも二重化し、そうすることによって己れ自身を己れの創り出した世界のうちに観る」(同)ことになります。したがって生産者が搾取により労働生産物を奪われることは、「人間から彼の生産の対象をもぎ離すことによって、彼から彼の類生活、彼の現実的な類的対象性をもぎ離」(同四三八ページ)す人間疎外をもたらすことになるのです。
 エンゲルスは『家族、私有財産および国家の起原』において、この人間疎外の状況を「新しい文明社会、階級社会をひらくものは、低劣きわまる利害――いやしい所有欲、獣的な享楽欲、きたならしい貪欲、共有財産の利己的な略奪」(全集㉑一〇一ページ)として描きだしています。「人間をいやしめられ、隷属させられ、見すてられ、軽蔑された存在としておくようないっさいの」搾取をもたらす経済的諸関係をくつがえすことによって、はじめて人間の解放は可能となるのです。
 しかし経済的諸関係において搾取をなくすことは、人間解放の物質的土台を形づくるのであって、人間解放の必要条件ではあっても十分条件ではありません。それにプラスして、政治、法、社会的意識という上部構造において、普遍的人間的価値である自由と民主主義とが全面的に開花する必要があるのです。マルクスは「真の共同社会においては、諸個人は、彼らのアソシエーションのなかで、またアソシエーションをとおして、同時に彼らの自由を獲得する」(マルクス、エンゲルス、服部訳『〈新訳〉ドイツ・イデオロギー』八五ページ)と述べています。ここにいう「アソシエーション」とは、ルソーが『社会契約論』で述べた対等・平等な人民の、自由な結合から生まれた共同社会を意味しています。
 人間解放の社会とは、土台においても上部構造においても人間の類本質を全面的に開花する真のヒューマニズの社会なのです。一五世紀のルネサンス運動から生まれたヒューマニズムは、土台における搾取に対する批判を欠いた一面的なヒューマニズムにすぎませんでした。これに対しマルクス主義の社会主義とは「成就されたナチュラリズムとしてのヒューマニズム」(「経済学・哲学手稿」全集㊵四五七ページ)という真のヒューマニズムの社会なのです。ここにいう「成就されたナチュラリズム」とは、回復され成就された人間の自然性(ナチュラリズム)としての人間の類本質の意味に理解すべきものでしょう。

・変革の立場にたつ

 マルクス主義は人間解放の哲学であり、革命の哲学です。したがってその哲学はたんなる認識論にとどまるものではなく、認識と実践の統一による「思考と存在の同一性」を実現する革命の哲学です。
 マルクスの墓碑銘には「哲学者たちは、世界をさまざまに解釈しただけである。肝要なのは、世界を変えることである」(『〈新訳〉ドイツ・イデオロギー』一一三ページ)という有名な「フォイエルバッハにかんする第一一テーゼ」が刻まれています。革命の哲学は、「思考と存在との統一」の哲学として大きく三つの段階に区分される認識と実践の統一の哲学です。その第一段階は「世界はどうあるか」という客観的真理、「事実の真理」の認識です。これはいわば、思考が存在と同一になる過程ということができます。すべての認識はまず経験から出発し、認識と実践を繰り返しながら、無限に客観的事物の真の姿、つまり客観的真理に接近していきます。
 人間は「人類の生命の無限の持続」(全集⑳八九ページ)をつうじて、思考が存在と同一になる客観的真理に到達しうるのであって、その時々の真理は、相対的真理と相対的誤謬との統一なのですが、人類の歴史をつうじてその認識が無限に客観的真理に向かって前進していることは絶対的なのです。その鍵となるのが実践であり、実践をつうじて時々の認識の相対的真理と相対的誤謬とがともに明らかになり、その相対的誤謬を誤謬として認識することにより、これまでの認識の限界をのりこえて前進することができるのです。マルクスは「フォイエルバッハにかんする第二テーゼ」で「人間の思考に対象的な真理が得られるかどうかという問題は、――理論の問題ではなくて、実践的な問題である。実践において、人間は真理を、すなわち、彼の思考の現実性と力、此岸性を証明しなければならない」(『〈新訳〉ドイツ・イデオロギー』一一〇ページ)と述べています。
 革命の哲学の第二段階は、思考のなかにおける「事実の真理」の認識から「当為の真理」の認識への移行の問題です。ヘーゲルは「もちろん必然そのものはまだ自由ではない。しかし自由は必然を前提し、それを揚棄されたものとして自己のうちに含んでいる」(『小論理学』下一一六ページ)といっています。客観世界は必然性の世界であり、必然性という「事実の真理」を認識するだけでは、人間はまだ必然性の支配下におかれている「必然的自由」の段階にとどまるのであって、真の自由ではありません。真の自由に達するには、必然性を揚棄して「世界はどうあるべきか」という「当為の真理」を認識する「概念的自由」の段階に達し、それを目標にかかげた実践で、自然や社会を合法則的に変革しなければなりません。
 では事実の真理の認識から当為の真理の認識はどのようにしておこなわれるのでしょうか。事実の真理とは、偶然と必然の統一のうちにある客観的世界のうちの必然性をとらえるものです。必然性の最も根本的な形式は対立ですから、「事実の真理」としての必然性の認識とは、対象となる客観的事物を対立物の統一として認識することを意味しています。その対立物が、対象となる客観的事物の本質的かつ根本的な対立・矛盾としてとらえられたとき、それは「事実の真理」となるのであって、「事実の真理」である対立物の統一を揚棄してえられる積極的なものが「当為の真理」としての「真にあるべき姿」、つまりヘーゲルのいう「概念」なのです。
 事実の真理と同様に、当為の真理を認識する鍵となるのも実践です。マルクス主義は、労働者階級の階級闘争という実践に学んで、客観的実在である資本主義社会の基本的、根本的矛盾を解明し、それによって人類史上はじめて「真にあるべき社会主義」という社会主義の「概念」を取り出すことに成功したのです。
 第三段階は、当為の真理を目的に掲げた実践により、客観的事物を「真にあるべき姿」に変革し、存在を思考に一致させる過程であり、このように矛盾の揚棄による発展が合法則的発展とよばれているのです。ヘーゲルは概念と客観との統一を「理念」とよんでいます。理念の積み重ねによって自然や社会も合法則的に発展していくことになります。いわば第一段階が存在から思考へであったのに対し、第三段階は思考から存在へという逆方向をたどるのであり、この方向を異にする二つの「思考と存在との同一性」の運動をつうじて自然や社会は合法則的に発展させられることになるのであり、それがヘーゲルのいう実践的真理なのです。
 したがってもし目的として掲げる当為が真理でないならば、それに沿った実践は現実にはね返されてしまうことになりますし、逆に目的が真理をとらえているとしても、実践が目的の範囲から逸脱している場合には、同様に客観的事物を合法則的に発展させることもできません。こうして「思考と存在との同一性」の運動の全課程をつうじて実践が鍵を握ることになり、その意味で「すべての社会的な生活は、本質的に実践的である」(『〈新訳〉ドイツ・イデオロギー』一一三ページ)ということになります。人類は認識と実践を繰り返すことで一歩ずつ世界への認識を深め、自然や社会を弁証法的に発展させてきたのです。

・人間の生き方の当為

 マルクス主義が人間を最高の存在にする人間解放という革命の哲学であることは、とりもなおさず、人間は自然や社会を合法則的に発展させる主体的存在であり、主体的に生きることに人間らしく生きる生き方の当為があるととらえることを意味しています。
 「これまでのすべての唯物論(フォイエルバッハのそれをも含めて)の主要な欠陥は、対象、現実、感性が、ただ客体または直観という形式のもとでだけとらえられて、感覚的・人間的な活動、実践として、主体的にとらえられていない」(同一〇九ページ)。
 マルクス主義哲学では、道徳は社会的イデオロギーの一種として階級的性格をもっており、「支配階級の支配と利益を正当化するものか、それとも、……この支配にたいする反抗と抑圧される者の未来の利益とを代表するものか」(『反デューリング論』全集⑳九七ページ)の対立をもってあらわれてくることを明らかにします。マルクスは、フランス人権宣言の正式名称が「人および市民の権利宣言」となっていることをとらえ、市民の権利とは「利己的人間の、人間と共同体とから切りはなされた人間の権利にほかならない」(マルクス「ユダヤ人問題によせて」全集①四〇一ページ)と指摘し、ブルジョア的道徳は、資本主義の利潤第一主義という本質を反映した「利己的人間」の自由と平等にほかならないと批判しています。
 これに対して「未来の利益」を代表するプロレタリアートの道徳とは、人間を最高の存在にする人間解放の道徳であり、人間の類本質から生まれる「ほんとうの自由およびほんとうの平等」(エンゲルス「大陸における社会改革の進展」同五二四ページ)を求める道徳なのです。つまり階級道徳のなかにあって、プロレタリアート道徳こそが、人間を最高の存在にする生き方の当為の真理であり、搾取も階級もない人間の類本質が全面開花する社会を求めて生きるところに人間としての最高の生き方があることを明らかにしました。
 より具体的にいうと、すべての人間は自由な意識をもつ自由な一個の平等な人格として尊重されなければならないという、個人の尊厳と人間の尊厳という規範がいっさいの道徳律の根源となります。そのうえにたって、自由な意識のあらわれとしての思想、良心、表現の自由などの諸自由を守り発展させ、社会共同体を維持・発展させるのに必要な民主主義的な規範――対等・平等、相互尊重と承認、協力、連帯、友愛など――が求められることになります。
 しかしこうした自由と民主主義を求める道徳の立場にたって生きるだけでは人間解放を実現することはできません。人間としてより善く生きるためには、人間疎外をもたらすいっさいの諸関係をくつがえして真の自由と民主主義、人間解放を実現する社会組織を産出することが求められます。ヘーゲルのいう道徳と同時に倫理が生き方の当為の問題となってくるのです。人間は社会的存在として社会と一体不可分の関係にあり、共同社会性をその本質の一つとしています。人間としてより善く生きるためには、内面においてより善く生きるにとどまらず、人間解放を実現するより善い社会に変革し、共同社会性を全面的に開花させることが求められているのです。
 マルクスは人間を最高の存在にする革命の哲学を確立することにより、この哲学を実践する生き方こそが生き方の真理を示すものとして、最も人間らしい、最高の価値ある生き方であることを明らかにしたのです。
 弱冠十七歳のマルクスは「職業の選択にさいしての一青年の考察」(全集㊵)において、「人間の本性というものは、彼が自分と同時代の人々の完成のため、その人々の幸福のために働くときにのみ、自己の完成を達成しうるようにできているのである」(同五一九ページ)と述べていますが、これこそ生き方の当為の真理を述べたものであり、マルクスはこの初心を生涯貫き通したのです。「生き甲斐を社会進歩に重ねる」との命題も同様の意義をもつものということができるでしょう。

・弁証法の定式化の試み

 マルクス主義哲学は、ヘーゲル弁証法を継承し、認識論としての弁証法を定式化しようとしました。その代表的著作がエンゲルスの『反デューリング論』(全集⑳)と『自然の弁証法』(同)です。まず『反デューリング論』で「弁証法というものは、事物とその概念上の模写とを、本質的にそれらの連関、連鎖、運動、生成と消滅においてとらえるもの」(同二二ページ)とされています。自然そのものが弁証法的に存在しているために、自然を認識する認識論としての弁証法は真理認識の唯一の思惟形式となります。「事物とその概念上の模写」にはその意味が込められています。
 すべての事物は静止と運動の統一、自立と連関の統一として存在しており、その静止と自立の側面を一面的に強調するのが形式論理学です。事物の認識は、まず対象となる事物が「何であるか」をとらえようとすることに始まりますから、対象を静止し、自立したものとして確固とした規定のうちにとらえる形式論理学は、真理認識の一形式であると同時に、真理認識の第一歩となるものです。それをエンゲルスは「いわゆる常識の考え方」(同二一ページ)であり、「きわめて広い領域で正当性をもっており、必要でさえあるとはいえ、遅かれ早かれかならず限界に突きあたる」(同)と述べています。
 ではどういう場合に形式論理学が限界に突きあたるのかといえば、対象が「何であるか」の認識から、「どのようにあるか」の認識に進もうとしたときです。というのも形式論理学は「個々の事物にとらわれてその連関を忘れ、それらの存在にとらわれてその生成と消滅を忘れ、それらの静止にとらわれてそれらの運動を忘れるからであり、木を見て森を見ないから」(同)です。
 エンゲルスがいいたいのは、個々の事物はそのものとして自立していると同時に他のものと連関しており、そのものとして現存していると同時に、生成・消滅する存在であり、静止していると同時に運動しているのに、形式論理学は、そのものを自立、現存、静止という一面でしかみないと批判しているのです。 
 そこから対象となる事物が「どのようにあるか」の真理を認識するには、自立と連関の統一、現存と生成・消滅の統一、静止と運動の統一としてとらえる弁証法が必要となってくるのです。この弁証法の唯物論的定式化の試みを最初に考えたのはマルクスでした。彼は経済学の研究に専念し、『資本論』出版の準備をすすめる過程で何度となくヘーゲル「論理学」に立ち戻り、『資本論』(一八六七年)において意識的に弁証法的叙述を心がけています。
 マルクスは一八五八年一月のエンゲルス宛の手紙のなかで「ヘーゲルの『論理学』をもう一度ぱらぱらめくってみたのが、大いに役に立った。もしいつかまたそんな仕事をする暇でもできたら、ヘーゲルが発見はしたが、同時に神秘化してしまったその方法における合理的なものを、印刷ボーゲン二枚か三枚で、普通の人間の頭にわかるようにしてやりたいものだが」(マルクス「エンゲルスへの手紙」全集㉙二〇六ページ)と書き送って、弁証法を定式化する意図を語っています。
 さらにマルクスは、『資本論』の執筆をつうじて弁証法の定式化の必要性をいっそう痛感し、一八六八年五月の手紙で、「経済的な重荷を首尾よくおろせたら、『弁証法』の本を書くつもりです。弁証法の正しい諸法則はすでにヘーゲルにちゃんと出てはいます。ただし神秘的な形態で。肝心なのは、この形態をはぎ取ることなのです」(マルクス「ディーツゲンへの手紙」全集㉜四五〇ページ)と書いています。「経済的な重荷」とはいうまでもなく、『資本論』の完成を意味しています。マルクスは『資本論』を書き終えてから弁証法の本を書くつもりだったのですが、『資本論』自体も第一巻の出版のみに終わり、第二巻、第三巻はようやくエンゲルスの編集によって出版されたことはご承知のとおりです。このマルクスの意図を知っていたエンゲルスは、彼の没後まっ先に遺稿の中から探しだそうとしたのが、「彼がいつも仕上げようとしていた弁証法の草案」(エンゲルス「ラブローフへの手紙」全集㊱三ページ)でしたが、結局発見されないままでした。他方エンゲルス自身も、一八七八年六月から書き始めた『自然の弁証法』のなかで、弁証法を定式化しようと試みています。すなわちヘーゲル「論理学」にもとづき、「弁証法の諸法則」(全集⑳三七九ページ)は、「だいたいにおいて三つの法則に帰着する」(同)として、「量から質への転化、またその逆の転化の法則、対立物の相互浸透の法則、否定の否定の法則」(同)の三つをあげています。
 すなわち「第一の法則は『論理学』の第一部、存在論(有論――高村)のなかにあり、第二の法則は彼の『論理学』のとりわけ最も重要な第二部、本質論の全体を占めており、最後に第三の法則は全体系の構築のための根本法則としての役割を演じている」(同)と述べています。果たしてヘーゲル「論理学」の弁証法をエンゲルスのいうように総括しうるものかどうか、さらには弁証法を三つの法則として定式化しうるのかどうかは検討すべき課題です。もともと『自然の弁証法』は完成された著作ではなく、その準備段階としての研究ノートにすぎませんから、これをもってエンゲルスの弁証法の定式化は完成したとみることはできないでしょう。
 しかしエンゲルスが弁証法の定式化を完成しえなかったことは、けっして弁証法の基本形式を理解していなかったことを意味するものではありません。エンゲルスは弁証法とは形而上学のように「あるものは存在するか存在しないかのどちらか」(同二一ページ)というように「媒介のない対立」(同)においてとらえるのではないとして、次のように述べていることからもそれを知ることができます。
 「ある対立の両極、たとえば積極的なものと消極的なものとは、対立していると同時に、またたがいに分離しえないものであり、まったく対立していながら、たがいに浸透しあっているのである」(同二一~二二ページ)。
 ここには明確な形としてではなくても対立物の統一という弁証法の基本形式が述べられているのです。こうした点も含めて、マルクス、エンゲルスが果たさなかった弁証法の定式化の課題はレーニンも含めた後の世代に託されることになったのです。

・認識論としてのカテゴリー論

 第一講で学んだようにカテゴリーとは最高類概念です。私たちはこのカテゴリーを使用することによって、真理に接近していくことになります。
 レーニンは「人間の前には自然の諸現象の網がある。本能的な人間、野蛮人は自己を自然から特出させない。意識的な人間は特出させる。カテゴリーは、この特出の、すなわち世界認識の小段階であり、この網の認識と把握とをたすける、網の結節点である」(『哲学ノート』レーニン全集㊳六七ページ)ととらえています。自然のなかに含まれる普遍的なものを意識のうえに「特出」させ、真理の認識につなげる「結節点」がカテゴリーであり、私たちはこのカテゴリーを通って真理に接近していくのです。したがって、真理を認識する弁証法的論理学にとってカテゴリー論は欠くことのできないものです。ヘーゲル「論理学」では、弁証法とカテゴリーとは一体不可分の関係となっており、すべてのカテゴリーは対立物の統一という弁証法的カテゴリーとしてとらえられています。
 マルクスが「弁証法の正しい諸法則はすでにヘーゲルにちゃんと出てはいます」と述べていることのうちには、弁証法的カテゴリーも含まれているというべきでしょう。というのも、マルクスは一八五八年の手紙で、ヘーゲル弁証法は「無条件にあらゆる哲学の最後の言葉」(マルクス「ラサールへの手紙」全集㉙四三七ページ)であると最高の賛辞を捧げているからです。
 「あらゆる哲学の最後の言葉」というのは、おそらくヘーゲルが『哲学史』で述べた、「最も発展した、最も豊富な、最も深い」(『哲学史』上七四ページ)「最後の哲学」(同)を念頭においての発言でしょう。ヘーゲル「論理学」が弁証法的カテゴリーを中心に展開された認識論であることは前講でお話ししたところであり、これをもって「最後の哲学」としてとらえたということは、カテゴリー論についても、基本的にヘーゲルの見解をもって足りると考えたものと思われます。
 マルクスが『資本論』第二版へのあと書きのなかで、ヘーゲルが「弁証法の一般的な運動諸形態をはじめて包括的で意識的な仕方で叙述した」(『資本論』①二八ページ)としているのも、カテゴリーの「包括」性を論じたものということができるでしょう。
 これに対してエンゲルスは、『自然の弁証法』において、弁証法の基本法則を論じると同時に、自然科学全般を視野において「自然は弁証法の検証となるもの」(全集⑳二二ページ)であることを論証しようとしています。しかしエンゲルスは、自然科学のカテゴリーは問題としながらもヘーゲルが「論理学」で論じた哲学的カテゴリーそのものについてはあまり関心を示していません。その理由もマルクス同様、ヘーゲルのカテゴリー論で十分であると考えたのかもしれません。
 もっともマルクスもエンゲルスも、ヘーゲルのカテゴリーのうち、「概念」「理念」をヘーゲルの観念論を代表するものと考えていたので、この二つのカテゴリーは唯物論的弁証法には不要と考えていたようです。しかし前講で学んだように、「概念」「理念」は、ヘーゲルの革命の哲学にとって欠くことのできないカテゴリーであり、またプラトン、アリストテレスという古代ギリシア哲学の最大の成果としての理想と現実の統一にかかわるカテゴリーですから、この二つのカテゴリーを含めて、哲学的カテゴリーについては、ヘーゲルのカテゴリーを活用すれば足りるといえるのではないかと思われます。
 結局マルクス主義にはヘーゲル「論理学」のような哲学の体系書は存在しないので、マルクス主義独自の哲学的カテゴリー論は存在しないといえます。ではマルクス主義哲学は、カテゴリー論を独自に発展させることをなしえなかったのかといえば、そうではありません。マルクス主義哲学の最大の功績は、史的唯物論とそれを使っての資本主義の運動法則を解明することにより、社会を科学すると同時に、社会主義をも科学にしたところにあります。
 それに関連して数多くのカテゴリーが生み出されることになります。そのなかでも特に重要なのが「階級」というカテゴリーを生みだしたことであり、この階級的観点により社会の諸現象を科学の目でとらえられるようになった功績はどんなに大きく評価しても評価しすぎることはありません。
 その意味においてマルクス主義はカテゴリー論においても近代哲学の到達点を示すものだということができるでしょう。人類の認識は、客観的真理に向かって無限に前進していくのであり、したがってカテゴリーも認識の発展によってより豊かなものになっていくことになります。その意味ではマルクス主義のカテゴリー論も、歴史的に無限に発展するカテゴリー論の近代的到達点というべきものなのです。

(三) 社会にかんする哲学

 近代社会を特徴づけるものの一つは、自然科学の発展にあります。資本主義にとって、生産力の増大をもたらす自然科学の発展は、資本自身の要求であったところから大いに発展することになります。それに対して社会科学における真理の探究は、資本にとって不利益になりこそすれ利益になるものではありませんから、社会科学では資本の利益にかなう限りでのブルジョア社会科学のみが横行していました。したがって資本主義という階級社会の土壌そのものが、真理を探究する社会科学の発展を疎外してきたということができるでしょう。
 それに加えて、真理探究の社会科学や人文科学が発展しえなかったもう一つ大きな原因がありました。それは社会においても人間においても、自由な意志をもつ諸個人から成っているという事実があったからです。自然においては「まったく意識のない盲目的な諸力がたがいに作用しあうのであって、一般的法則はその交互作用のなかではたらいている」(エンゲルス『フォイエルバッハ論』全集㉑三〇一ページ)ところから、自然界における必然性、法則性の発見はそれほど困難ではないのに対し、「社会の歴史の場合には、行為している人々は、すべて意識をもち思慮や熱情をもって行動し一定の目的をめざして努力している人間である」(同)ところから、社会の発展史は「自然の発展史とは本質的にちがったもの」(同)だからです。
 てんでにバラバラな意識をもって行動している人間の集団としての社会のなかに、自然と同様の必然性、法則性を見いだすことには独特の困難さが伴っていたのであり、したがって、社会の歴史をとらえる歴史観は、観念論の「最後の隠れ場所」(全集⑳二六ページ)になっていたのです。その最後の隠れ場所から観念論を追い出し、唯物論の全面的な勝利宣言を発したのが、マルクス主義の史的唯物論でした。それと同時に、史的唯物論の発見は、社会を科学するために必要な一連の諸カテゴリーを新たに生みだすことによって、社会科学発展の土台を築いたのです。

・史的唯物論

 史的唯物論は、弁証法が真理認識の唯一の形式だとすれば、社会の発展も社会のなかにある基本的な対立・矛盾をとらえることでなければならないと考えます。では社会とは何かといえば、それは人間が生産と生活をしている場です。人間が生活するためには、衣食住をはじめとする生活諸手段、つまり物質的財貨を生産しなければなりません。
 物質的財貨の生産には、人間が自然に働きかけ自然を改造するという対自然の関係と、人々が生産の過程でとり結ぶ諸関係という対人間の関係があります。前者が「生産力」、後者が「生産関係」とよばれ、生産力と生産関係の統一による物質的財貨の生産の様式が「生産様式」とよばれています。生産力、生産関係、生産様式はいずれも経済的なカテゴリーということができます。以下カッコ内の概念はすべてカテゴリーを示すものです。
 人間の社会は物質的財貨の生産なくして存在しえませんから、生産様式は社会の「土台」をなしています。この土台のうえに、政治、法、社会的意識の諸形態が「上部構造」として存在しており、土台と上部構造の統一が「社会構成体」とよばれています。このように社会を構造的に把握することによって、社会全体の動きを土台と上部構造との関係において科学的にとらえることが可能になりました。上部構造は土台から相対的に独立し、土台と上部構造とは相互に作用しあう関係にありますが、究極的には上部構造は土台によって規定されています。
 以上のカテゴリーをふまえて史的唯物論では、社会の基本矛盾を「生産力と生産関係の矛盾」としてとらえます。生産力は、それに対応する生産関係を生みだしますが、生産力は日々発展するのに対し、生産関係は相対的に固定していますので、生産力と生産関係の間には次第にズレが生じ、やがて矛盾に転化します。
 「社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないものである所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。そのときに社会革命の時期が始まる」(マルクス「経済学批判 序言」全集⑬六ページ)。
 こうして生産力と生産関係の矛盾が社会発展の原動力としてとらえられることになります。生産関係とは、生産物を誰がどのように取得するのかという「所有諸関係」をめぐって生じる人と人との関係であり、「階級」社会においては搾取する階級と搾取される階級との対立としてあらわれる関係であり、それを「階級対立」とよびます。
 階級社会における生産力と生産関係との矛盾は、生産物の分配をめぐる階級対立という矛盾としてあらわれ、階級的矛盾の激化が生産力の発展にとっての桎梏となってあらわれてくるのです。その意味では「人類の全歴史は(土地を共有していた原始の種族社会が解体してからは)階級闘争の歴史、すなわち搾取する階級と搾取される階級、支配する階級と抑圧される階級のあいだの闘争の歴史であった」(エンゲルス「『共産党宣言』一八八八年英語版序文」全集④五九八ページ)ということができます。
 先にもみたように、人間疎外とは人間の類本質を喪失することではありません。人間は人間である限り内に人間の類本質をもち続けるのですが、人間疎外のもとでは表面的にはこの類本質が損なわれる現象が生じます。この本質と現象の矛盾が、疎外からの回復を求める階級闘争となってあらわれるのです。階級闘争とは、疎外された現象から脱出し、本質に一致する現象を実現しようという人間の奥深い内面的欲求から生じるものであり、それは人間の本質に根ざした、人間性の回復を求める真のヒューマニズムの運動なのです。
 したがってどんなに厳しい弾圧のもとでもけっして階級闘争を根絶することはできないのであり、階級社会にあって「階級闘争」は歴史発展の原動力となっています。階級的観点にたって社会の諸現象を分析し、階級闘争の理論によって社会の諸運動を把握することで、はじめて社会を科学することが可能となります。
 社会発展の一般的運動法則を発見するには、個々人の意志ではなく、大衆を動かしている動機を、しかも「一瞬ぱっとかがやいてたちまち消えてしまうわら火のような行動へ駆りたてる動機ではなくて、大きな歴史的変化をもたらす持続的な行動を起こさせる動機」(全集㉑三〇三ページ)を探らなくてはならないのであり、それが階級としての意志、階級的意志であり、この大衆の階級的意志が階級闘争をもたらします。
 社会を構造的に把握し、かつ階級的観点を社会の諸現象の分析、研究に貫くという、二つの武器をもつことによって、史的唯物論は社会を科学することを可能にするという人類史上初の快挙をなしとげました。この史的唯物論によって、人類の社会は、原始共同体、奴隷制社会、封建制社会、資本主義社会へと歴史的に発展してきたことが明らかにされました。
 まず原始共同体とは、狩猟、採集という極めて生産力の低い社会であり、かろうじて生計を維持しうる生産力のため共同して生産し、平等に分配する階級のない社会でした。人類の歴史は七百万年といわれていますが、そのうち九九パーセント以上はこの原始共同体の社会でした。
 約一万年前に人類は農耕・牧畜の技術を身につけて生産力は飛躍的に発展し、生計を維持しうる以上の財貨を生産するようになると「労働力はある価値をもつ」(全集⑳一八六ページ)ようになり、それまで生計を脅かす存在として殺されていた戦争の捕虜は、奴隷としてその労働力が生かされるようになります。こうして原始共同体のもとにおける対等・平等な生産関係は、生産力の発展にとって桎梏となり、新しい奴隷主と奴隷という生産関係をもつ奴隷制社会に移行することになります。
 しかし奴隷制社会のもとでは奴隷が生産した生産物はすべて奴隷主の所有となるところから奴隷の生産意欲はそがれ、生産力発展の桎梏となります。そこでこの矛盾の解決を求めて、奴隷に農産物の一定割合を所有することを認める、封建領主と農奴という新しい生産関係の社会としての封建制社会が誕生することになります。封建制社会のもとで農奴の手に一定の可処分生産物が残るようになると、それが商品として取引されるようになり、都市において市民階級(ブルジョアジー)が台頭してきます。
 彼らは、封建的な制約から逃れて、自由な生産による生産力の発展を求めて、ブルジョアジーとプロレタリアートという新しい生産関係の社会、資本主義社会を生みだします。二一世紀の資本主義的生産関係のもとでは、資本も労働力も過剰になっているにもかかわらず結合しえないという形での、生産力発展の桎梏が生じており、全世界的に社会主義への模索がおこなわれる時代となっています。
 いまや史的唯物論は、たんなる一理論にとどまるものではなく、現実の人類社会の発展の歴史を合理的に説明しうる唯一の真理認識の理論であることが証明されたのです。