『科学的社会主義の哲学史』より

 

 

第一五講 科学的社会主義の哲学の
     進歩と発展のために

一、科学的社会主義の哲学は「最後の哲学」

 ここまでみてきたように、科学的社会主義の哲学は、古代から近代に至るまでの二千六百年の哲学史の総括から生まれた「最後の哲学」であるばかりでなく、その後の現代観念論の諸潮流から集中砲火の攻撃を受けたにもかかわらず、逆にその攻撃のなかにあって今一度「最後の哲学」であることを証明してきたということができます。
 それはヘーゲルのいう「最も発展した、最も豊富な、最も深い哲学」(『哲学史』上七四ページ)であり、「この最後の哲学の中には、一見過去のものであるように思われるすべてのものが保存され、包含されて」(同)いるのです。

最も発展した哲学

 哲学とは真理を探究する学問です。人類は長い哲学の歴史をつうじて、いかなる思惟形式をもてば真理に接近しうるのかを探究してきましたが、科学的社会主義の哲学は弁証法という「思考の最高の形式」(『反デューリング論』全集⑳一九ページ)を手にし、しかもそれを唯物論と結びつけた弁証法的唯物論とそれを人間社会に適用した史的唯物論をもつことによって、真理を探究するうえでの「最も発展した哲学」となったのです。
 「すべての哲学の、とくに近世の哲学の、大きな根本問題は、思考と存在とはどういう関係にあるのかという問題である」(『フォイエルバッハ論』全集㉑二七八ページ)。
 科学的社会主義の哲学はこの哲学の根本問題について、世界の根源性が存在(物質)にあるとするのみならず、創造的認識をも含むあらゆる認識の源泉性もまた存在にあるとする唯物論の立場に一貫してたつことによって真理認識の基本的土台を築きました。その土台のうえに形式論理学を包摂して全面的真理を認識する「思考の最高の形式」としての弁証法をおくことによって、最高の真理認識の哲学という「最も発展した哲学」となりました。さらに真理認識を保障するものが実践であることを明確にして、いっさいの不可知論と認識に限界をもうけようとする哲学を打ち破り、人間は無限に客観的・絶対的真理に向かって前進しうることを明らかにしたのです。また真理には「事実の真理」のみならず「当為の真理」が存在することを明らかにして、「当為の真理」の認識をかかげた実践をつうじて自然や社会を合法則的に発展させる「革命の哲学」を確立しました。それは自然や社会を変革しうる人間の特質を生かした「最も発展した哲学」を意味することになったのです。
 科学的社会主義の哲学の最大の成果は、史的唯物論によって観念論の「最後の隠れ場所」である歴史と社会から観念論を追いだし、自然、人間、社会という世界のすべての部分において唯物論の勝利を宣言するものとなりました。史的唯物論によってはじめて社会は一定の構造をもつ有機体としてとらえられると同時に、その一般的な運動法則を解明することによって、社会を科学の対象にすることを可能にしました。
 科学的社会主義の哲学は、弁証法的唯物論と史的唯物論によって真理を認識し、かつ実現するうえでの「最も発展した哲学」となったのです。

最も豊富な哲学

 科学的社会主義の哲学は、弁証法的唯物論と史的唯物論によって、自然、人間、社会という世界のすべての構成部分について真理を探究しうる「全一的な世界観」として、これまでの哲学史上で問題とされたテーマのすべてを含む「最も豊富な哲学」となっています。
 まず自然観については、エンゲルスの自然観が弁証法を駆使することによってどんなに理論的先見性をもっていたかは第一一講で学んだところですが、その自然の無限の階層性に関する自然観は、日本における素粒子物理学の「標準理論」に大きな影響を及ぼしたことはよく知られているところです。このように弁証法的唯物論は真理認識の最高の形式として自然科学の発展と歩みをともにすることで、無限に豊かになっていくのです。
 次に人間観については、科学的社会主義の人間論――人間の本質論、人間疎外論、人間解放論――は、生産労働という自然変革の運動の唯物論的分析の産物であり、「真のヒューマニズム」とは、人間疎外からの人間解放にあることを解明する画期的なものとなりました。それは自由と民主主義を「天賦の人権」とする観念論的人権論を打ち破り、人間の本質から生まれた普遍的、本質的価値としてとらえる唯物論的価値論を確立することにつながります。それはまたソクラテス以来の道徳、倫理論がもっぱら人間の内面に「より善く生きる」方向を求めたのに対し、人間解放という真のヒューマニズムの実現に向かって生きることこそ、最も善い生き方の真理であることを明らかにするものとなりました。
 最後に社会観についていうと、史的唯物論は、人間社会の一般的運動法則を解明したのみならず、剰余価値学説と結合して、人類史上はじめて資本主義の運動法則を明らかにし、資本主義の歴史的限界と社会主義への発展の必然性を科学的に示しました。
 また史的唯物論は人類、社会、国家の誕生の秘密を唯物論的に解明することで、新境地を切りひらくものとなりました。特に国家の誕生について、啓蒙思想の「社会契約論」という観念論的な理論を克服し、生産力の発展にもとづく階級分化に国家の起源を求めたことは、同時に国家の本質が階級支配の機関にあることを解明することにつながりました。
 哲学史上、最も包括的に哲学的カテゴリーを論じたのはヘーゲルでしたが、科学的社会主義の哲学は、史的唯物論をつうじて新たに数多の社会的、経済的諸カテゴリーを生みだし、それをヘーゲルの哲学的カテゴリーに付加することによって、最も豊かなカテゴリーをつくりあげることでも「最も豊富な哲学」となったのです。
 このように科学的社会主義の哲学は、真理を認識する経験諸科学と歩みをともにすることによって人類の認識の発展とともにより豊かになっていく「最も豊富な哲学」となっているのです。

最も深い哲学

 科学的社会主義の哲学は、思惟の最高の形式としての弁証法的唯物論と史的唯物論をもつことによって、古代から現代に至るまでの二千六百年の哲学史を総括する「最後の哲学」として、「一見過去のものであるように思われるすべてのものが保存され、包含され」ているばかりか、それがより発展したものに高められており、さらに現代観念論のあらゆる攻撃との論争をつうじてより深く、より強固なものに発展した「最も深い哲学」となっています。
 まず古代哲学は素朴な真理探究の道を歩みはじめることによって、大きく三つの問題を提起しました。一つには人間はいかに生きるべきかの問題、つまり生き方の当為としての道徳論を提起し、二つにはイデア論をつうじて理想と現実の統一を提起し、三つには弁証法という真理認識の思惟形式を提起したのです。
 古代社会において、ソクラテスが人間の生き方の当為を哲学の課題として提起したことは重要な意義をもつものでした。しかしその道徳論はもっぱら人間の内面にのみ目を向け、社会的存在としての人間にまで目を向けえなかったところから、その道徳論は客観的基準を見いだしえないという制約をもっていました。
 これに対しマルクス主義の哲学は、人間が社会的存在であり、かつ自然や社会を変革する能力をもつ存在であるという唯物論の立場から、社会を変革し、人間解放を実現することが最高の生き方であり、生き方の真理であることを明らかにしました。
 またプラトンのイデア論を継承・発展させたアリストテレスは「思惟の思惟」として主観と客観の統一、理想と現実の統一を論じながらも、主として理想が現実に転化する側面のみに注目し、現実から理想に至る論理の展開を論じることはできませんでした。また彼は「弁証法的思考の最も根本的な諸形式を研究」(全集⑳一九ページ)したものの、もっぱら「対立」の側面を明らかにすることに主眼がおかれ、対立物の統一という弁証法の定式化にまで達することはできませんでした。この二つの問題は、ヘーゲルの革命の哲学で解決され、マルクス主義の哲学に発展的に継承されることになります。
 またマルクス主義の哲学は、中世のスコラ哲学をつうじて哲学が真理を探究しようとする立場を貫くためには「神学の侍女」としての観念論としてではなく、唯物論の立場を堅持しなければならないことを学ぶと同時に、真理探究のために哲学は支配階級のイデオロギーであってはならず、人民の哲学でなければならないことを反面教師として学んだのです。
 真理探究の哲学を大きく前進させたのが、「神学の侍女」から解放された近代哲学でした。近代哲学が提起した最高の問題は、思考と存在のどちらが根源的かの問題であり、自然科学の発展によって次第に唯物論が勝利していきますが、しかし自然観についてはフランス唯物論が機械的自然観にたち、ドイツ観念論が弁証法的自然観にたつという逆転現象が生じました。その逆転現象を解決し、自然の根源性を主張すると同時に、認識の源泉も自然にあることを認め、自然の弁証法的性格を反映した弁証法的唯物論を確認したのがマルクス主義の哲学でした。
 思考と存在とに関わる二つめの問題が「思考と存在との同一性」の問題でした。それは言いかえると思考と存在とは同一になりうるのかの問題であり、啓蒙思想をつうじて、理想は現実になりうるのかが、政治的、実践的に論じられました。フランス革命を理論的に準備したルソーの人民主権論と平等論は、バブーフ=ブオナロッティの社会主義思想を媒介してマルクス主義の社会主義論に生かされることになりました。他方ドイツ観念論は、思考と存在との同一性の問題を、現実から理想に、理想から現実にという両面から論じて、ヘーゲルの革命の哲学に結実します。ヘーゲルの哲学をふまえて、マルクス主義は史的唯物論によって社会発展の一般的法則性を解明したにとどまらず、資本主義から社会主義への合法則的発展をも明らかにすることによって、革命の哲学を確立しました。
 このように近代にまで至る哲学史上の人類の価値ある遺産のいっさいを継承すると同時に、それを一段と高い地位にまで引きあげることにより、マルクス主義の哲学は「最も深い哲学」となったのです。これに対して現代哲学は、近代にまで至る哲学の到達点を示すマルクス主義の存在を大前提として出発します。
 レーニンは、ロシア革命をつうじてマルクス主義の内容をより豊かなものに発展させると同時に、マルクス主義哲学を「レーニン的段階」に引きあげ、これまでのマルクス主義を科学的社会主義に発展させました。しかしそれ以外の現代哲学は、ブルジョア哲学としての観念論哲学としてマルクス主義ないし科学的社会主義を批判し、乗り越えようとしますが、それは逆にマルクス主義を鍛えあげ、より深いものに発展させる契機となるにとどまり、科学的社会主義の哲学が現代においてもなお「最後の哲学」であることを証明する結果となりました。
 以上により、科学的社会主義の哲学は「それまでに人類が生みだしたすべての価値ある知識の発展的な継承者である」との規定は、基本的に正しいものと結論づけることができます。残された問題は、「歴史とともに進行する不断の進歩と発展とを特徴としている」ことを、二〇世紀以降の壮大な社会主義の実験をふまえて証明することになります。

二、科学的社会主義の哲学の進歩と発展のために

 二〇世紀末のソ連・東欧の崩壊は、これらの諸国が社会主義をめざして出発しながら、最後は「社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道を進んだ」(日本共産党綱領)結果、「社会の実態としては、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会として、その解体を迎えた」(同)とされています。これらの諸国は、マルクス主義の社会主義論を社会主義建設の指針として出発しながら、このような「人間抑圧型の社会」に転落してしまったのですから、これらの諸国の誤りをくり返さないためにも、その教訓を含めて科学的社会主義の学説、とりわけその哲学の進歩と発展が求められているということができます。
 これに対し、中南米のいくつかの国は、アメリカの格差と貧困をもたらす新自由主義に反発し、普通選挙をつうじて国民の多数の意志にもとづき、貧困を解決し、自由と民主主義の開花する「二一世紀の社会主義」を展望しています。それは「ソ連型社会主義」を否定し、民主主義をつうじて社会主義への道を切り開こうとするものということができます。それはまた、科学的社会主義の自主的探究をつうじて、「国民が主人公」の立場にたち、国民の多数の意志にしたがって一歩ずつ社会を発展させ、民主主義革命から社会主義革命へ前進していこうとする日本共産党の綱領とも共通する社会主義の探究ということができます。科学的社会主義にとって、人間解放の真のヒューマニズムの社会としての社会主義が、人間の本質的価値としての自由と民主主義の全面開花する社会であることは当然の帰結であり、こうして二一世紀の社会主義はソ連型社会主義という誤りを克服して、本来の輝きを取り戻そうとしています。
 以下において、現代哲学が直面する今日的局面をふまえて、これまで論じてきたことのまとめとして科学的社会主義の現代的な進歩と発展のために、あらためて明確にしなければならない理論的・哲学的課題とは何なのかを、みなさんと一緒に考え、問題提起をしてみたいと思います。

社会主義論

 まず最初に指摘しておきたいことは、社会主義の原点は、人間を最高の存在にする真のヒューマニズムの社会にあることを明確にしておくことだと思います。そのためには、「人間をいやしめられ、隷属させられ、見すてられ、軽蔑された存在にしておくようないっさいの諸関係」(「ヘーゲル法哲学批判 序説」全集①四二二ページ)を解消していく人間解放が求められるのであり、これまで社会主義の三つの基準(生産手段の社会化、プロレタリアート執権、社会主義的計画経済)といわれてきたものも、それ自体を目的とするものではなくて、真のヒューマニズムを実現するための手段としてとらえることが必要だと思われます。日本共産党のいうソ連・東欧の投げ捨てた「社会主義の原則」のなかには、人間解放による真のヒューマニズムの実現が含まれていると考えるものです。
 ソ連・東欧の最大の誤りは、この社会主義の原点を見失うとともに、社会主義の三つの基準を手段としてではなく目的としてとらえてしまったところにあります。そのため「ソ連型社会主義」の場合、社会主義の三つの基準のいずれもが、社会主義の原点と切りはなされてとらえられたところから「官僚主義・専制主義」の温床となったことを忘れてはなりません。生産手段の国有化は、国有企業を党官僚が支配することで官僚主義に結びつき、プロレタリアート執権は共産党の一党支配を生みだし、中央集権的計画経済も官僚主義・専制主義に直結するものとなってしまったのです。
 真のヒューマニズムを実現するうえで重要なことが三つあります。
 一つは、真のヒューマニズムとは、人間の類本質の全面開花を意味しており、したがって一人ひとりに個人の尊厳が保障されると同時に、人間の本質的・普遍的価値としての自由と民主主義を全面的に実現するものでなければならないということです。ソ連や東欧の実態からみて、社会主義とは「国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する」社会であるとの誤解が生まれました。しかし本来の社会主義とは、ブルジョア的なごまかしの自由と民主主義ではなく、本当の自由と民主主義の開花する社会なのです。
 ブルジョア的な自由と民主主義がどんなに欺瞞的なものであるかは、最も民主的憲法といわれる日本国憲法の基本原理が国民主権原理とされながら実際には財界主権であり、思想・表現の自由が最も重要な自由とされながら、選挙運動は厳しく制限されるとともに、大企業職場での共産党員への差別と抑圧は野放しにされ、また法の下の平等といいながら、貧富の格差は無限に拡大していくという実態にも端的に示されています。これがいわゆる「形式的自由」の限界なのです。本当の自由と民主主義は、資本主義のもつ法則性(必然性)を認識したうえで、こういうブルジョア的な「形式的自由」を揚棄し、「概念的自由」を実現することが、資本主義の矛盾の解決としての社会主義なのです。
 二つには、その意味でも「科学的社会主義の自由論」を確立する必要があるように思います。エンゲルスが『反デューリング論』で示した「意志の自由とは、事柄についての知識をもって決定をおこなう能力をさすもの」(全集⑳一一八ページ)という規定では十分ではありません。というのもこの自由の規定によると「事柄についての知識」をもたないままに決定する、思想、良心、表現の自由などの「形式的自由」はそのうちに含まれないことになり、科学的社会主義は自由を認めないとの反共攻撃に手を貸すことになってしまうからです。
 科学的社会主義の自由論は、ヘーゲルに学んで必然性との関係において論ずべきであり、自由は「否定的自由」「形式的自由」「必然的自由」「概念的自由」という四段階に発展するものとしてとらえなければなりません。そうすることで思想、良心、表現の自由などのいわゆるブルジョア的自由は「形式的自由」であり、それは科学的社会主義の自由論の「本質的モメント」(『小論理学』下九〇ページ)として認めながらも、その制限性によって「必然的自由」へ、さらには「概念的自由」という真の自由へと発展させられなければならないことが明確になるのです(詳しくは拙著『ヘーゲル「法の哲学」を読む』参照)。
 三つには、プロレタリアート執権の真の意義は、労働者階級の政党の主導性のもとに「人民の、人民による、人民のための政治」を実現する権力というところにあります。バブーフ共産主義は、ルソーの人民の一般意志を統治原理とする人民主権論と平等思想の結合から誕生したものであり、人民主権論と深く結びついていました。マルクス主義は人民の多数意志が一般意志にまで発展するには、人民の導き手が必要であると考え、それを労働者階級の政党に求めたのであり、プロレタリアート執権は「人民による人民の政府」(「フランスにおける内乱」全集⑰三二三ページ)、「真に国民的な政府」(同)と結びついた概念でした。マルクスが資本主義から社会主義への「政治上の過渡期」(「ゴータ綱領批判」全集⑲二九ページ)の国家は「プロレタリアート執権以外のなにものでもありえない」(同)ととらえたのは、人民の多数の意志にもとづいてのみ社会変革は実現されなければならないことを強調したかったものと思われます。
 それがレーニンのもとで歪曲され、とりわけスターリンのもとで個人の専制主義の誤りにまで転化されてしまいました。それでも社会主義と人民主権論との結合は地下水脈として生き続け、第二次世界大戦後、東欧諸国における人民民主主義共和国となってあらわれ、日本でも人民主権をかかげる「日本共産党憲法草案」の提案(一九四六年)や、「国民が主人公」をキーワードとする日本共産党の現綱領となってあらわれているのです。

思考と存在との同一性

 「思考と存在との同一性」の問題には、思考は存在と同一になりうるのかの問題と、存在は思考と同一になりうるのかの問題という二つの側面があります。前者は果たして真理を認識しうるのかという認識論の問題であり、後者は果たして真理を実現しうるのかという実践的真理観の問題です。 
 まず最初に指摘しておきたいのは、科学的社会主義の哲学は、思考と存在との同一性を求める「革命の哲学」だということです。しかしそうでありながら、実際には、唯物論の認識論が認識の源泉を存在に求めるところから、認識論の反映的・受動的側面としての「事実の真理」のみが強調され、認識の創造的・能動的側面としての「当為の真理」が軽視され、「当為の真理」をかかげた実践により自然や社会を合法則的に発展させる実践的真理の問題が軽視されてきました。
 それはレーニンですら、「人間の意識は客観的世界を反映するだけでなく、それを創造しもする」(『哲学ノート』レーニン全集㊳一八一ページ)という認識の創造性に対する腰の引けた表現をしているところにも示されています。それは「思考と存在との同一性」の問題を、「思考は存在に一致しうるか」という反映論の問題にとどめ、それを認める客観的真理の立場にたつのか、それとも認めない不可知論の立場にたつのかという問題に矮小化してしまうことにもなっていたのです。
 しかしそもそも『空想から科学へ』というマルクス主義の入門書自体が、社会主義という理想を空想的なものから科学的なものに発展させるために作成されたものであり、マルクスも「解釈の立場」から「変革の立場」への移行を求めているのですから、認識の創造的・能動的側面を軽視するのは間違いといわなければなりません。しかもこのような態度は、何よりも人間の特質が自然や社会を変革することにあることを正面からとらえない弱点をもつものといえます。
 こうした態度が真理観にも影響し、存在に一致する思考とは「事実の真理」を意味するものであって、「当為の真理」をも含むことが明確にされないままにきたのです。しかし当為の真理は事実の真理をふまえ、それを揚棄した真理ですから、これもまた存在に一致する思考といわなければなりません。その点が明確にされなかったところからヘーゲルのいう「概念」「理念」のカテゴリーがないがしろにされてくることにもなったのです。人間は自然や社会を変革する存在として動物界から画然と区別されることによって、価値意識をもつ存在となっています。すなわち、変革するとは、自然や社会の「現にある存在」を認識することをつうじて「あるべき存在」という当為の立場にたつことを意味しており、その「当為の真理」に人間は価値を認めることで、価値意識をもつ存在となっているのです。
 こうして弁証法的唯物論は、事実と価値、存在と当為を峻別して人間は「事実の真理」は認識しえても「当為の真理」は認識しえないとする不可知論を打ち破り、変革する存在としての人間の特質にふさわしい認識論を確立しなければなりません。それを可能にしたのが、「思考の最高の形式」としての弁証法が解明した発展法則でした。弁証法はすべてのものは対立しており、その対立する二つの側面とその相互媒介の関係をとらえることが世界の根本法則であるとして、弁証法の基本形式が対立物の統一であることを明らかにします。その運動法則には対立物の相互浸透という構造法則と対立物の相互排斥(対立物の闘争)による対立、矛盾の揚棄という発展法則の二つがあることを解き明かしました。
 そのうえにたって、「事実の真理」とは、偶然性のうちに必然性を認識すること、言いかえると必然性の根本形式としての「対立」を発見することであり、その対立物の統一としての「事実の真理」を認識することによって、その対立・矛盾を揚棄する「当為の真理」を認識しうることを明らかにしたのです。マルクス主義が資本主義の基本矛盾を「社会的生産と資本主義的取得」としてとらえたのは「事実の真理」を示すものであり、社会主義とはその矛盾を揚棄する「社会的生産と社会的取得」という「当為の真理」としてとらえられるのです。つまり「事実の真理」と「当為の真理」とは媒介のない対立のうちにあるのではなく、「事実の真理」における対立・矛盾を揚棄し、発展させたものが「当為の真理」であるという、連続性と非連続性の統一としてとらえることが可能になったのです。こうして社会にも発展法則があり、それは「生産力と生産関係」の統一と対立としてとらえる史的唯物論の根本命題が明らかにされ、社会を科学の対象とすることができたのです。
 「思考と存在との同一性」の問題には、大きく思考を存在に一致させる問題と存在を思考に一致させる問題の二つがあることが明確にされなければなりません。思考を存在に一致させる問題はさらに二つに分かれ、「事実の真理」と「当為の真理」の問題があるのです。「当為の真理」がいわゆる「概念」であり、概念をかかげた実践により自然や社会は合法則的に発展させられ、実践的真理としての「理念」が実現されることになります。
 人間は当為の真理、つまり唯物論的理想をかかげた実践によって自然や社会を合法則的に発展させることができるのであり、人間の存在意義はまさにこの点にあるということができます。その意味では、「究極的に存在は思考を規定するが、思考と存在とは、相互に媒介しあう同一性である」としないと正しい命題にはならないというべきでしょう。存在は一切の認識の出発点となるという意味において根源的なのであって、それを除けば思考と存在とは「作用と反作用」の関係にあり、その二つの側面において「思考と存在との同一性」は論じられなければならないのです。
 このように理解してこそ科学的社会主義の哲学は「思考と存在との同一性」を理想と現実の統一として論じてきた哲学史を継承し、発展させてきた革命の哲学ということができるでしょう。

唯物論と観念論

 思考と存在との関係にかかわる二つの目の問題が、唯物論と観念論の対立の問題でした。唯物論か観念論かの問題については、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』の「なにが根源的なものか、精神かそれとも自然か」(全集㉑二七九ページ)との指摘もあって、もっぱら思考(精神)と存在(自然)のどちらが根源的かの問題として議論されてきました。ところが、フランス唯物論とドイツ観念論の対立のなかで、世界の根源性の問題については、フランス唯物論は存在を根源的と考え、ドイツ観念論は思考を根源的と考えながらも、自然を全体としてどうみるかという自然観については、フランス唯物論は機械的自然観という事実にもとづかない観念論的認識にたったのに対し、ドイツ観念論は弁証法的自然観という事実にもとづいた唯物論的な認識にたつという、一種の逆転現象が生じました。そこから、唯物論か観念論かの問題には、世界の根源性の問題とは別に、認識は存在の反映なのか、それとも思考の産物なのかという、認識の源泉性の問題を含んでいることが明瞭になってきたのです。
 フランス唯物論は、世界の根源性の問題については唯物論の立場にたちながら、認識の源泉性の問題については観念論の立場にたっていたのであり、逆にドイツ観念論は、世界の根源性の問題では観念論でありながら、認識の源泉性の問題については唯物論の立場にたっていたのです。ふり返ってみると、唯物論か観念論かの対立は、世界の根源性をめぐる対立としてではなく、まず認識の源泉性の問題として哲学史上に登場し、認識を存在から出発すると考えるイギリスの経験論と、認識を思考から出発すると考える大陸の合理論の対立としてあらわれてきました。イギリス経験論は、経験をつうじて存在を意識のうえに反映した感性を認識の基礎と考える唯物論の立場にたったのに対して、大陸の合理論は、思考から生まれた理性を認識の基礎と考える観念論の立場にたったのです。
 この唯物論と観念論の対立をめぐって、世界の根源性の問題と認識の源泉性の問題という二つの問題があり、この二つは区別しなければならないことを、自然観をめぐるフランス唯物論とドイツ観念論の対立は教えてくれることになりました。実はエンゲルスも無自覚ではあっても、唯物論か観念論かの対立には二つの異なる側面があることに気付いていたように思われます。『フォイエルバッハ論』で「なにが根源的なものか、精神かそれとも自然か」(全集二七九ページ)と述べたのに続けて「この問いにどう答えたかに応じて、哲学者たちは二つの大きな陣営に分裂した。自然にたいする精神の根源性を主張し、したがってけっきょくはなにかの種類の世界創造をみとめた人々は、……観念論の陣営をつくった」(同)と述べているからです。観念論とは、世界の根源性の問題については「精神の根源性」を主張すると同時に、認識の源泉性の問題については「なんらかの種類の世界創造」を認めることで思考が認識の源泉であると考える立場を意味しているのです。
 さらにエンゲルスは、同じ論文のなかで「唯物論の立場」(同二九七ページ)とは「現実の世界――自然と歴史――を先入見となっている観念論的幻想なしにそれに近づくどの人間にも現われるままの姿で、把握しようと決心」(同)することであり、「唯物論とは、これ以上の意味をまったくもっていない」(同)としています。ここにいう唯物論では、世界の根源性の問題は全く姿を消しており、もっぱら認識の源泉性の問題として論じながら、「これ以上の意味をまったくもっていない」とすることは、はからずもエンゲルス自身も唯物論と観念論の対立には二つの側面があることをそれとなく感じてはいながらも、明確には自覚していなかったといえるのではないかと思われます。
 第八講でお話しした、レーニンが『唯物論と経験批判論』で提起した唯物論か観念論かを見分ける「三つの質問」は、もっぱら世界の根源性にかかわる質問ですから、これのみで唯物論か観念論かを論じることは不十分だといわなければなりません。唯物論の立場にたつと言い切るためにはそれに加えて、認識の源泉性の問題について、人間のもつ反映的認識のみならず創造的認識もまた存在を反映した認識から生じるものと認めるのか、それとも創造的認識は存在の反映とは無関係に思考から生じるものと考えるのか、という問いにどう答えるかが、もう一つの唯物論か観念論かを区別する試金石となっているのです。
 いずれにしても科学的社会主義は、弁証法的唯物論の立場にたつことによって、世界の根源性のみならず、認識論でも唯物論の立場を貫くことにより、唯一の真理認識の思惟形式となっているのです。

弁証法の定式化

 弁証法の定式化についてはマルクス、エンゲルスはもとより、レーニンも試みながら、いずれも未完のままになっており、それを完成させることも現代の科学的社会主義の一つの課題となっています。長年弁証法の探究に携わってきた一人として、弁証法の定式化について一言しておきたいと思います。
 一つは、弁証法と形式論理学とを対立する「あれか、これか」の問題としてとらえてはならない、ということです。エンゲルスは、形式論理学を「いわゆる常識の考え方」(全集⑳二一ページ)であり、「きわめて広い領域で正当性をもっており、必要でさえある」(同)と述べているように、形式論理学は対象が「何であるか」を確固としてとらえる真理認識の第一歩となる思惟形式として必要なものです。これに対して弁証法は、形式論理学を内包しながらも、その一面性を批判し、全面的に対象を認識する、より発展した真理認識の思惟形式なのです。いわば一面的真理か全面的真理かの問題であって、形式論理学は間違いであるのに対し弁証法的論理学は正しいという問題ではないのです。
 それに関連して、形式論理学は、対象をバラバラな、固定したものとしてとらえるのに対し、弁証法は、対象を連関と運動においてとらえるとの見方があります。この見方にはエンゲルスも責任があります。かれは「弁証法というものは、事物とその概念上の模写とを、本質的にそれらの連関、連鎖、運動、生成と消滅においてとらえるもの」(同二二ページ)と述べ、あたかも弁証法とはもっぱら連関と運動をとらえる論理形式であるかのように述べているからです。しかし形式論理学が対象を自立し、固定したものとしてとらえるのに対し、弁証法は対象を連関し、運動するものとしてとらえる思惟形式だとしたら、どちらも一面的な認識でしかないということになってしまうでしょう。正しくは、形式論理学は対象を自立し固定したものとしてとらえるのに対し、弁証法は対象を自立と連関の統一、静止と運動の統一としてとらえることにあります。
 なお形式論理学と形而上学との関係についても一言しておきたいと思います。エンゲルスのいう「形而上学」は、ヘーゲルが『小論理学』で反弁証法的な形式論理学を「単なる悟性的思惟」(『小論理学』上一三七ページ)としての「古い形而上学」(同)とよんで批判したことに由来しており、エンゲルスは形式論理学と形而上学をほぼ同義に理解しています。しかし形式論理学は一面的ではあっても真理認識の正しい思惟形式ということができますが、形而上学は誤った認識というべきものと思われます。すなわち形式論理学を適用した場合、対象が「何であるか」の認識から「どのようにあるか」の認識に向かうとき「かならず限界に突きあたる」(全集⑳二一ページ)のであって、その限界から先は弁証法によってのみ真理を認識しうるにもかかわらず、そこに形式論理学を適用すると「解決できない矛盾に迷いこんで」(同)しまい、誤った認識に転化するのです。このように限界を越えて形式論理学を適用することによって生じる誤った認識を形而上学とよぶのが正しいのではないでしょうか。
 例えば、臓器移植をめぐる問題に関して脳死の人は生きていると同時に死んでいます。生きている人から臓器を取り出すことは、傷害罪ないし、殺人罪となります。しかし臓器移植は生きている人の臓器しか使えません。そこで脳死の人を死んでいるとみなして、そこから生きた臓器を取り出すという矛盾をおかすのが臓器移植であり、これを形而上学とよぶべきなのです。
 二つは、一般的に弁証法の基本法則(基本形式)は対立物の統一として説明されており、それをもって弁証法の定式化とよぶことはできるだろうと思います。問題は真理を認識するという哲学の課題に答えうるものは弁証法しかないとして、私たちが科学的社会主義の哲学としての弁証法的唯物論を学ぶ理由にあります。なぜ弁証法にいう対立物の統一が真理なのかの論理的説明がなければならないにもかかわらず、その説明がないままに対立物の統一が一人歩きしている実態があるように思われます。
 ここは、原点に立ちかえってヘーゲルが弁証法的論理学を確立するに至った論理の展開を押さえておくことが重要だと思います。すなわち真理を認識するということは、偶然と必然の統一として存在する自然のなかから必然性を取り出すことを意味しています。その必然性の最も根本的な形式が、或るものとその固有の他者との「対立」という関係なのです。ヘーゲルがいうように、哲学の目的は、或るものと他者一般というような「無関係を排して諸事物の必然性を認識することにあり、他者をそれに固有の他者に対立するものとみることにある」(『小論理学』下三二ページ)のです。したがって一見すると一つのまとまりをもったものとして存在している事物のうちに、対立しているものをとらえることが、「諸事物の必然性を認識すること」になります。「すべてのものは対立している」(同三三ページ)のです。
 第一〇講で学んだように、一つの事物のうちの対立する二つの側面が相互に自立していて媒介のない対立のうちにあるとき、その事物は静止の状態にあります。しかしその「自立的統一」の状態から、対立する二つの側面が相互に媒介しあう関係に移行するとき、その事物は静止から運動へと移行します。いわば自立的統一から媒介的統一への移行によって運動が生じるのです。
 対立する二つの側面の相互媒介の関係には、相互に排斥しあう「対立物の相互排斥(闘争)」と相互に引きあう「対立物の相互浸透」があります。
 対立物の相互浸透における運動は、相互に移行し、浸透しあう「構造法則」としての運動であり、対立物の相互排斥としての運動は、対立・矛盾を揚棄し、発展する「発展法則」としての運動です。すべての事物は発展していきますので、「一般に世界を動かすものは矛盾」(同三三ページ)であり、「矛盾は最後のものではなく、自分自身によって自分を揚棄する」(同)とされています。
 こういう説明が前提として存在してこそ、対立物の統一という基本法則をもつ弁証法は真理認識の唯一の形式ということができるのであって、あれこれの「対立物の統一」の例を挙げるだけでは、弁証法の真理性を証明することはできないというべきでしょう。
 三つは、弁証法の定式化に関連して、エンゲルスのいう、弁証法の「三つの法則」をどう考えるかの問題があります。第一一講でも紹介したように、「質から量への転化、またその逆の転化の法則、対立物の相互浸透の法則、否定の否定の法則」(『自然の弁証法』全集⑳三七九ページ)がそれです。まずここでは、弁証法の基本形式が対立物の統一であることが示されていません。またその対立物の統一を展開したのが、対立物の相互浸透と対立物の相互排斥であるにもかかわらず、対立物の相互浸透のみしかとりあげられていません。対立物の相互排斥が取りあげられていないところから、「一般に、世界を動かすものは矛盾である」にもかかわらず、矛盾の揚棄としての発展の問題が正面から取りあげられていないのです。
 またヘーゲルは「否定の否定」を自己同一性を保ちつつ、無限に自己否定をくり返していく生命体を意味する「向自有」のカテゴリーに限定して使っています。つまり向自有というカテゴリーはヘーゲルのいう真無限、すなわち有限のうちにおける無限を意味しており、生命体は有限な存在としての自己同一性を保ちつつ「否定の否定」をつうじて無限に発展する存在として「向自有」なのです。これに対してエンゲルスが「否定の否定」を三つの法則の一つにあげたのは、それをヘーゲル哲学の「全体系の構築のための根本法則」(同)ととらえたことによるものです。ヘーゲルは『小論理学』の予備概念の最後(前掲書二四〇ページ以下)で弁証法を「悟性的側面」「否定的理性の側面」「肯定的理性の側面」の三つの側面としてとらえています。いわば対立が顕在化しない統一の状態(即自)、対立が顕在化した状態(対自)、対立を揚棄して統一を回復した状態(即自かつ対自)という弁証法の三つの側面をとらえたものであり、エンゲルスはこれを「否定の否定」として理解したことで、「全体系の構築のための根本法則」ととらえたものでしょう。
 しかしこの三つの側面は一般に「対立物の統一」を示すものとして理解されており、「否定の否定」として理解するのは疑問に思われます。またエンゲルスは、この対立物の統一を「否定の否定」ととらえることで、「矛盾による発展または否定の否定」(同三三九ページ)として「否定の否定」を「矛盾による発展」と同義に理解しています。しかし矛盾による発展は新しい質への発展であるのに対し、否定の否定は自己同一性を保ちつつの発展ですから、両者は区別されるべきものだと思われます。したがって否定の否定の法則を弁証法の三つの基本法則にあげるのは適切ではないと考えるものです。
 また量と質との相互移行は、対立物の相互浸透の一例にすぎないのであり、対立物の相互移行の例は、本質と現象、偶然と必然、原因と結果などすべての対立物の統一についてみられるものであって、量と質のみに限定して考える理由は存在しないということができます。
 結論的にいえは、弁証法を定式化するとすれば、それは対立物の統一であり、対立物の統一には対立物の相互浸透と対立物の相互排斥があるというにとどめるべきではないかと思われます。この弁証法の基本法則のもとにヘーゲル「論理学」に示された弁証法的諸カテゴリーおよび科学的社会主義の社会・経済的な諸カテゴリーが包摂されることになります。

科学的社会主義の人間論

 第一三講で、レーニンがとらえたマルクス主義の「三つの構成部分」(哲学、経済学、階級闘争・社会主義論)は、「全一的な世界観」としてとらえることとも矛盾するし、この観点からすると、自由と民主主義は科学的社会主義の本質的構成部分としてはとらえられないなどの問題が生じることを指摘しておきました。
 マルクス主義の「最初の仕事は、ヘーゲルの法哲学の批判的検討」(「経済学批判 序言」全集⑬六ページ)に始まり、それは「ヘーゲル法哲学批判 序説」(全集①四一五ページ)として結実することになります。マルクスは、ヘーゲル哲学に対置する形でマルクス主義を全面的に展開しようと考えていたところから、それに続けてヘーゲル『法の哲学』の対象とされていた「法、道徳、政治等々の批判をつぎつぎに出し、そして最後に一つの別箇の著作においてさらに全体の連関、個々の部分の関係、そして締めくくりとしてあの材料の思弁的加工の批判を示すよう試みるつもりである」(「経済学・哲学手稿」全集㊵三八七ページ)として、その少し後に「市民社会と共産主義革命」(全集③五九六ページ)と題する、いわゆる「政治プラン」も明らかにしています。そこでは「国家と市民社会」「選挙権」「人民主権」「諸々の政党」などのテーマがあげられており、こうした「プラン」からしても、科学的社会主義の社会主義論とはルソーのいう人民主権国家であり、そこに至る過程も普通選挙権をつうじて人民の代表が代議制国家の多数派を形成することと、議会外の人民の運動とが結合した多数者革命の道であることが明らかにされるべきでしょう。
 いずれにしてもマルクスが、その史的唯物論の観点から、土台としての「経済学批判」にとどまらず「法、道徳、政治等々」の上部構造全体にわたって論じようとしていたことは明らかです。それをつうじてマルクスは人間を最高の存在にする人間解放の社会を論じようとしていたのですから、人間論をその全体を貫く太い柱として構想していたものと思われます。
 ソ連・東欧の崩壊という歴史的事実とこれらの諸国の社会的実態からしても、科学的社会主義の学説は、人間論をその一つの構成部分とする人間解放の真のヒューマニズムの理論であることが強調されなければなりません。アルチュセールの一八四五年を境として、初期マルクスと後期マルクスを切りはなしてとらえ、後期マルクスはヒューマニズムの見地を放棄したとする構造主義の誤りを批判するうえでも、人間論は科学的社会主義の本質的構成部分ととらえられなければなりません。
 人間論の中心をなすのは、人間の本質論です。マルクスは人間の類本質としての「自由な意識」と「共同社会性」をあげていますが、「自由な意識」は「経済学・哲学手稿」で、「共同社会性」は「ミル評注」でと、別個の論文で論じていることからしてもその二つに限定されるという意味ではないと思われます。人間は自然や社会を変革する能力をもつ存在として、いかにあるべきかという「価値意識」をもちます。価値意識のなかで最も重要なものが人間の本質にかかわる価値意識であり、「自由な意識」から自由という価値意識が生まれ、「共同社会性」から民主主義という価値意識が生まれます。したがって自由と民主主義は、人間の本質にかかわる本質的、普遍的価値意識となっているのです。人間の本質は自由な意識と共同社会性、そして価値意識の三つとしてとらえるべきものと考えます。
 それによって、人間解放の真のヒューマニズムの理論としての科学的社会主義は、人間にとっての本質的かつ普遍的価値である自由と民主主義の全面開花をめざし、自由と民主主義をその本質的構成要素とする理論であることが明らかになるのです。その場合の自由とは、必然性との関係における否定的自由、形式的自由、必然的自由、概念的自由の四段階に区別された自由であることはいうまでもありません。それはまた日本における科学的社会主義の運動が、実践的に自由と民主主義を擁護し、発展させる運動として展開されていることを合理的に根拠づけるものになると同時に、ソ連や東欧の崩壊を例にあげて科学的社会主義の学説を自由と民主主義を抑圧する理論であるかのような反共攻撃に対しても有効な反論となることでしょう。また自由を発展する四段階としてとらえることによって、科学的社会主義の学説が思想、良心、表現の自由などの形式的自由を「自由なものである意志の本質的モメント」(『小論理学』下九〇ページ)として承認しながらも、それが「偶然性の形式のうちにある」(同)単なる恣意としてのブルジョア的自由にすぎないものであるとして、その制限性を明らかにすることもできるのです。
 人間論を論じることは、また生き方の当為を論じることでもあります。哲学はその出発点となった古代哲学の時代から、「世界はどうあるか、あるべきか」の真理の探究とあわせて、「人間としてどう生きるか、生きるべきか」という生き方の真理の探究を続けてきました。資本主義的な人間疎外の支配する社会において、生き方の真理を問うことは、いわば禁句とされており、金もうけのためであれば、何をしても許されるというブルジョア道徳が支配し、真の道徳は影をひそめている深刻な事態となっています。それだけに科学的社会主義の哲学は、たんに政治や社会のあり方を問うのみならず、いかに生きるべきかを問いかけうる哲学としての魅力を最大限に発揮して、その影響力を拡大していかなければならないのではないかと思われます。
 人間論をその構成部分とすることにより、科学的社会主義の生き方論を論じることがはじめて可能になってきます。重要なことは、政治や社会のあり方に無関心な人はいても、一度しかない自分の人生について「いかに生きるべきか」に無関心な人は存在しないということです。誰もが抱いている生き方の当為の問題をつうじて科学的社会主義の学説に接近していく道を探究することは、もっと研究されてしかるべき課題だろうと思われます。マルクスが唯物論の本質は「もし人間がその環境によってつくられるものであるとすれば、ひとはその環境を人間的なものにつくっていかなければならない」(「聖家族」全集②一三六ページ)とするところにある、と指摘しているように、唯物論の立場にたつことは、変革の立場にたつことにほかならず、それは人間にしかできないもっとも人間らしい活動ということができます。変革の立場がもっとも人間らしい立場であるからこそ、変革の目的は、人間がその類本質を回復する人間的価値、つまり自由と民主主義を実現することによる真のヒューマニズムにあるのであって、それを目的とする科学的社会主義の立場にたつことこそが、もっとも人間らしい、人間としての生き甲斐のある最高の生き方であることが強調されるべきでしょう。マルクスの「哲学者たちは、世界をさまざまに解釈してきた。肝要なのは、世界を変えることである」との墓碑銘は、そこにこそ生き方の真理があるとの思いも込められているものと思われます。

三、おわりに

 本講座は、科学的社会主義の学説とは「それまでに人類が生みだしたすべての価値ある知識の発展的な継承者であると同時に、歴史とともに進行する不断の進歩と発展を特徴としている」とする日本共産党の規定を論証する目的で開催されました。
 結論的にいえば、科学的社会主義の哲学は、哲学の二千六百年の歴史をつうじて「人類が生みだしたすべての価値ある知識の発展的な継承者」とよびうる哲学であり、ヘーゲルのいう「最も発展した、最も豊富な、最も深い」真理認識の哲学として「最後の哲学」ということができると思います。
 マルクス主義の哲学は、古代哲学・中世哲学の成果を継承すると同時に近代哲学の到達点を示すものでした。とりわけ史的唯物論と『資本論』の経済学によって、社会を科学することを可能とし、資本主義社会の一般的運動法則を解明し、社会主義への移行の必然性を示したことは、哲学史上画期的なものとなりました。マルクス主義哲学は、レーニンによって科学的社会主義の哲学へと発展させられます。それ以降の現代哲学は、科学的社会主義の哲学という金字塔を打ち倒そうという、ブルジョア哲学としての諸観念論として展開されますが、どの潮流も科学的社会主義の哲学を打ち倒すこともできなければ、それを乗り越えることもできず、逆に科学的社会主義の哲学を鍛えてより豊かにすると同時に、それが「最後の哲学」であることを証明する結果となったのは、歴史の皮肉というべきものでしょう。
 他方「歴史とともに進行する不断の進歩と発展」という問題については、ソ連・東欧の崩壊という歴史から何を学ぶかの解明をつうじて、これから本格的に科学的社会主義を進歩させ、発展させることが求められているということができるでしょう。そして日本共産党の綱領路線や中南米の「二一世紀の社会主義」の試みを科学的社会主義の学説のなかに理論的に定着させることが求められているのではないでしょうか。この点については筆者が本講でいくつかの問題提起しかなしえなかったのはある意味で当然であり、この問題提起を契機としてさらに議論が深まり科学的社会主義の「進歩と発展」につながることを期待したいと思います。なおここで提起した問題の多くは本講座を準備する過程での哲学史の研究をつうじてつかみ取ることができたことをつけ加えておきます。その意味ではヘーゲルのいうように「哲学史の研究こそ即ち哲学そのものの研究」(『哲学史』上六一ページ)であることを実感することができました。今後の科学的社会主義の「進歩と発展」のための宝庫が二千六百年の哲学史であることをあらためて指摘しておきたいと思います。
 最後にヘーゲル『哲学史』の「結語」を紹介しておきます。
 「(長い精神の列が)推進する際、……我々はその音に耳を傾け、これに現実性を与えねばならない。私はこの哲学史が諸君に対して、我々の中に自然に生まれついている時代精神をとらえ、これをその生まれながらの自然性言い換えれば即ちその生命なる閉鎖性から、意識して……真昼の光の裡に引き出そうという促しを含まんことを希望する」(『哲学史』下の三、二〇八ページ)。
 私たちは哲学史を学ぶことをつうじて「時代の精神」をとらえ、それを「真昼の光の裡に引き出」し、「現実性」を与えるためにたたかうことによって、ヘーゲルの「希望」に応えなければならないでしょう。