2013年10月26日 講義

 

 

第1講 精神現象学とは何か
    序論① 真理は主体である

 

1.はじめに

① 全15回でヘーゲル『精神現象学』を学ぶ

● 逐条的に学ぶには時間が足りないし、推敲された文章でもないから
 必ずしもその必要もない

● ポイントをしぼって学ぶ―それだけにいかなる見地にたって学ぶのかが重要

② 『現象学』を学ぶ基本的観点

● 科学的社会主義の立場から学ぶ

 ・マルクス、エンゲルスが『現象学』を学んだ視点を重視する(特にマルクス
  の「経済学・哲学手稿」第3、4草稿全集㊵)

 ・弁証法的唯物論と史的唯物論をより豊にする視点から学ぶ

 ・マルクス「ヘーゲル哲学のほんとうの産まれ場所であり、秘密であるところ
  のヘーゲル現象学」(同493ページ)―弁証法の誕生の場所

● 現代の脳科学の到達点をふまえて、精神の諸現象を科学的に学ぶ

 ・『現象学』(1807年 )は、「人相術」「骨相学」(182ページ)が論じられ
  た時代―脳の働きが人相や骨相にあらわれると考えられていた

 ・現代の脳科学は、精神、意識をどこまで解明できたかを中心に、脳科学と哲
  学の接点をさぐる

●『現象学』をヘーゲル哲学の到達点としてではなく、出発点として学ぶ

 ・ヘーゲルの初めての哲学書(1807年 37歳)

 ・当初「意識の経験の学」との表題で書き始め、途中から「精神の現象学」に
  表題を改め、「学問の体系第1部」とする―第2部として論理学、自然哲学、
  精神哲学を予定(『大論理学』第1版への序文、岩波書店)

 ・1817年以降『エンチクロペディー』(論理学、自然哲学、精神哲学)の体系
  に転換―その理由の解明も課題の1つ

 ・しかも『現象学』は長い思索もなく出版社にせき立てられて執筆(456ペー
  ジ)
  →ヘーゲルの内容・形式ともに発展途上の哲学として学ぶことが重要

 ・『現象学』から1831年の死亡までの24年間にヘーゲル哲学はどのように発
  展したのかが問題

③ ヘーゲルの生きた時代とヘーゲル哲学

● フランス革命と対峙したヘーゲル

 ・ヘーゲルの生涯(1770〜1831)は、フランス革命(1789〜1830)と重な
  る

 ・ヘーゲルは「生涯一度も、この革命を完結した出来事として、対岸の火事を
  見るようにこの革命の動乱と関係ない安定した世界から、回顧することなど
  はできなかった。1789年から1830年にいたる時期を満たしているもののす
  べてが、―希望と恐怖となって―彼自身の運命ともなる」(リッター『ヘー
  ゲルとフランス革命』19ページ 理想社)

 ・フランス革命の様々な局面がその時代のヘーゲル哲学に反映

● ヘーゲル哲学はつねに歴史とともにあり、時代の精神をとらえようとする

 ・「個人にかんしていえば、だれでももともとその時代の息子であるが、哲学
  もまた、その時代を思想のうちにとらえたものである」(1821年の『法の哲
  学』171ページ世界の名著35 中央公論社)

 ・『現象学』も「現代が誕生の時代であり、新しい時期に至る移行の時代」
  (19ページ)であり、精神は「自己を作り直そうと努めている」(20ペー
  ジ)

 ・『現象学』はフランス革命の影響を受けて始まったカント、フィヒテ、シェ
  リングのドイツ古典哲学を「新しい時期」の哲学と理解し、それを自己の哲
  学で完結させようとする決意を語ったもの

● 1807年という年代は、フランス革命においてどういう時代だったか

 ・1792 王制廃止 第1共和制

 ・1793〜1794 ジャコバン独裁―フランス革命の最盛期

 ・1794 ジャコバンの恐怖政治から「テルミドールの反動」―フランス革命へ
  の批判一挙に高まる

 ・1804 ナポレオン体制確立(皇帝就任)

 

2.精神現象学とは何か

① 『現象学』は「論理的なものと歴史的なもの」との統一

● 論理的なものと歴史的なもの

 ・個人の真理を認識する論理の発展と、人類の歴史的な真理認識の発展との間
  には一定の対応関係があるという、哲学的カテゴリー

 ・個人の思考の発展にも、人類の歴史的な思考の発展にも、同じ合法則的発展
  (矛盾の揚棄としての発展)が貫かれているため、論理的なものと歴史的な
  ものとの間には一定の対応関係が存在することをもってその根拠とする

●『現象学』は精神の現象である「意識」が発展して絶対知(精神)に至る
 過程を「論理的なものと歴史的なもの」との統一として論じたもの

 ・「個々人は、その内容の上から言っても、一般的精神の形成過程を通りぬけ
  なければならない。が、その場合それらの過程は、精神によってすでに脱ぎ
  すてられた形態として、すでにできあがって平にされた道の段階として通り
  ぬけられるのである」(29ページ)―「一般的精神」とは人類としての精神

 ・「『精神現象学』はヘーゲル哲学の認識論的序説であると同時に『歴史哲
  学』」(金子『ヘーゲルの「精神現象学」』45ページ ちくま学芸文庫)

● エンゲルスが『現象学』をヘッケルの「反復説」との関係において
 とらえているのも、同様の見地にたつもの

 ・ヘッケルの「反復説」とは「個体発生は系統発生をくり返す」というもの

 ・1人の人間の受精卵から誕生に至る個体発生の過程は、魚類、両生類、爬虫
  類、哺乳類、人間という生物の進化の過程(系統発生)を短縮して示すもの

 ・1人の人間の脳の発生も、同様に「個体発生は系統発生くり返す」

 ・すべての脊椎動物の脳は、脳幹、小脳、大脳の3つから成る。人間の脳は、
  魚類の脳(本能的行動を示す脳幹)から鳥類、哺乳類の脳(感覚、運動をつ
  かさどる小脳、大脳)を経て、人間の脳(思考、感情をつかさどる大脳新皮
  質)へと成長していく―古い脳に新しい脳がつみかさなる

 ・人間の脳(物質)の反復説が、脳の働きとしての精神の反復説を生みだした
  もの(物質が精神を規定する)といえよう

 ・現象学は「精神の―発生および古生物学に対応する―学とも言えるもので、
  さまざまな段階を通過する個人の意識の発展を、人間の意識が歴史的に経験
  してきた諸段階の短縮された再現としてとらえたものである」(『フォイエ
  ルバッハ論』全集㉑273ページ)

 ・「思考の歴史におけるある概念や概念関係……の発展と、個々の弁証法家の
  頭脳におけるそれらの概念や概念関係の発展との関係」(『自然の弁証法』
  全集⑳ 530ページ)がヘッケルのいう反覆説の関係となっていることは
  「最初ヘーゲルによって諸概念について見いだされた」(同)

② 「現象学」の構成

● マルクス「経済学・哲学手稿」(全集㊵)

 ・「ヘーゲル哲学のほんとうの産まれ場所であり、秘密であるところのヘーゲ
  ル現象学」(同493ページ)

 ・「現象学」は全体として真理を認識するには弁証法という論理学が必要であ
  るということを訴えたもの

A)個人の真理認識の弁証法的発展

●「A 意識」「B 自己意識」「C 理性」がそれに該当する

 ・「A 意識」「B 自己意識」「C 理性」において、個人の意識は感性、知覚、
  悟性、理性として発展することが明らかにされる

 ・感性は対象を即自態(未分化の統一体)としてとらえ、知覚、悟性は対象を
  対自態(対立の顕在化した状態)としてとらえ、理性は対象を即自かつ対自
  態(対立を揚棄した統一体)としてとらえる

 ・つまり、感性、悟性(知覚)、理性は個人の意識の弁証法的発展をつうじて
  の真理への接近を示すもの

●「A 意識」は、客観的事物を対象とする意識

 ・客観的事物を対象として、感性、知覚、悟性へと意識は発展する

 ・対象の意識は自己意識に転化する

●「B 自己意識」は、人間を対象とする意識

 ・人間を対象とする人間対人間の関係において感性、知覚、悟性へと意識は発
  展する

●「C 理性」は、悟性がとらえた対立する自己意識(=意識)を
 統一のうちにとらえる

 ・それが人間と社会とが一体となった「人倫の国」である(古代ギリシアのポ
  リスの再現)

 ・人倫の国において、個人の意識は絶対的真理=絶対知=精神に到達する

B)人類の歴史的真理認識の発展

●「D 精神」「E 宗教」「F 絶対知」がそれに該当する

● 全体として人間の「客観的精神」としての共同社会(ヘーゲルのいう人倫の国)
 が、即自態から対自態を経て即かつ対自態に発展することを論じている

 ・人倫的世界の即自態(感性の世界)は、人間と社会が一体不可分の関係にあ
  るギリシアの自由で民主的なポリスとしてとらえられる

 ・人倫的世界の対自態(悟性の世界)は、人間が社会から疎外されたローマ、
  中世の封建社会としてとらえられる

 ・その疎外からの回復を求めた啓蒙思想にもとづくフランス革命は恐怖政治と
  なって失敗したとされる

 ・そこで啓蒙思想から、理性の世界である道徳、宗教へと転換し、そこで人倫
  的世界は回復し、絶対知に至るとされる

③ 『現象学』とその後の著作との関係

●『現象学』を精神における「論理的なものと歴史的なもの」として
 とらえた場合、ヘーゲルの後の著作との関連が問題となる

 ・問題は「人倫の国」をいかなるものとしてとらえるのかにある

 ・『法の哲学』(1821年)では、道徳を「絶対知」とするのではなく、国家に
  よる社会の変革を論じている

 ・『小論理学』(1827年の第2版)では、「哲学の最高の窮極目的」は理想と
  現実の統一にあるとして、革命の哲学を論じている

 ・『歴史哲学』(1831年改訂)では、啓蒙思想から生まれたフランス革命が
  「壮大な日の出」(『空想から科学へ』全集⑲ 187ページ)として位置づけ
  られている

●『現象学』とその後の著作とは同一と区別の関係としてとらえるべき

 ・その間の同一をつうじてヘーゲル哲学の真髄を学び、区別をつうじて、ヘー
  ゲル哲学の発展をとらえうる

 ・またその区別は、それぞれの時代の精神をとらえた違いとして認識されるべ
  きもの

 ・「ヘーゲルの思考方法がほかのすべての哲学者たちのそれに大きくぬきんで
  ていた点は、その基礎にある巨大な歴史的意識であった。……彼の思考の展
  開はつねに世界史の発展と平行して進んでおり、……このような画期的な歴
  史観は、新しい唯物論的見解の直接の理論的前提であった」(エンゲルス
  「カール・マルクス『経済学批判』」全集⑬ 476ページ)

● 発展的にみたヘーゲル哲学の同一と区別

 ・真理認識の思惟法則が弁証法的論理学であるという同一性が貫かれている

 ・他方でフランス革命の様々の局面の展開を学ぶなかで、ヘーゲルの歴史認識
  は変化し、時代とともに歩むヘーゲル哲学の窮極目的とされる「人倫の国」
  も区別されてくる

④ 『現象学』の主題は何か

●『現象学』の主題をどうとらえるかについて、研究者の意見は分かれている

 ・『現象学』の泰斗、金子武蔵氏は、『現象学』を「近代精神を決定化したも
  の」(金子前掲書51ページ)ととらえ、その主題は「絶対者は主体である」
  (50ページ)ことにあるという

 ・樫山欽四郎氏は、個人と人間の「意識の展開や自己形成が、同時に学でなけ
  ればならない」(464ページ)ことを証明することが主題であるという

 ・城塚登氏は、「われ」と「われわれ」を統一した「協同的」主観・主体が精
  神であることを証明するのが主題だという(城塚前掲書39ページ)

 ・ルカーチは、現象学の主題を疎外と疎外からの回復としての「宥和」(ルカ
  ーチ前掲著下474ページ)としてとらえている

● こうした先達の意見も参考にしつつ、いまだ定説のないこともふまえ、
 『現象学』をヘーゲル哲学全体のなかに位置づけることによって、
  その意義と限界を明らかにしてゆきたい

 

3.「序論」

① 「序論」の意義

● 自己の哲学の独自性をはじめて世に問おうとするもの

 ・時代はドイツ古典哲学の時代

 ・ドイツ古典哲学の最大の関心は、フランス革命の影響のもとに理性は絶対的
  真理、つまり主観と客観の絶対的同一性をとらえうるのかにあった―真理と
  は「思考と存在との同一性」(エンゲルス)の問題

 ・若き日にフランス革命に熱狂したヘーゲルは、カント、フィヒテの哲学を学
  ぶなかで、理性にもとづき社会を変革する啓蒙主義的な合理主義に共鳴

 ・カント、フィヒテの哲学は、主観と客観の対立を絶対化し、両者の統一のう
  ちに絶対的真理があることをみようとしない

 ・これに対し、シェリングとヘーゲルは主観と客観の統一にこそ絶対的真理が
  あるとして、ヘーゲルは1801年「フィヒテ哲学体系とシェリング哲学体系と
  の差異」を発表してシェリングを擁護

 ・1802年にシェリングと共同で『哲学批判雑誌』を刊行(483ページ)

● しかし、ヘーゲルは次第にシェリングの哲学的立場との相違を自覚し、
 『現象学』の「序論」で痛烈にシェリングを批判

 ・ある意味で『現象学』はシェリングとの訣別の書

 ・これを機にヘーゲルとシェリングは生涯絶交したままとなる

 ・シェリングは次第に反動的哲学に転落していく

② 「序論」の根本思想

●「大切なことは、真理を実体としてだけではなくて、
 主観(体)としても理解し、表現するということである」(23ページ)

 ・シェリングの主観と客観の絶対的同一性の哲学は真理をたんなる実体として
  とらえたものとして批判

 ・「実体」とは他のものに依存せず、自己自身によって存在するものであり、
  神、精神、物体、主観と客観の同一などを意味している

 ・つまり真理を固定し、できあがっているものとしていることを批判したもの

● 絶対的真理は精神にしろ、自然にしろ、主客の統一にしろ、
 無媒介な「直接的な統一」(同)から、対立を経て、
 再統一に至る弁証法的な運動として主体である、としたもの

 ・したがって真理とはできあがったものではなく、同一と区別の弁証法的運動
  をつうじて「自己自身が生成すること」(同)

 ・ヘーゲルは、スピノザの「神を唯一の実体」(同)とする考えは、「自己意
  識が捨てられる」(同)つまり人間(精神)が実体としてとらえられないと
  批判

 ・次に主観と客観の同一を否定するカント、フィヒテは「思惟を思惟として固
  定させる」(同)ことにより、主観と客観を「区別のない動かない実体性」
  (同)としていると批判

 ・さらにシェリングの同一哲学(主観的なものと客観的なものとの絶対的同一
  性の哲学)は、主観と客観の「直接的な統一」(同)を主張するものであり、
  「真理とは自己自身が生成する」(同)ものであることをみようとしないと
  批判

● ヘーゲルのシェリング批判は同一と区別の弁証法の観点からなされたもの

 ・ヘーゲル弁証法は、形式論理学への批判から生まれた

 ・形式論理学の公理は、A=Aという同一性の原理

 ・これに対しヘーゲルは、すべての同一性は区別を含む同一性であることを主
  張―つまり同一性とは同一と区別の統一であり、同一のうちの区別により同
  一は運動、変化、発展する

 ・「同一性は同時に関係であり、しかも否定的な自己関係。言いかえれば、自
  分自身から自己を区別するものである」(『小論理学』㊦ 23ページ)

 ・シェリングはこのことに気づかないで、主観と客観の同一を、区別を含まな
  い同一としてとらえたとして批判したもの

 ・すなわち「絶対者のなかではすべては等しい」(22ページ)というのは、同
  一が区別を含む同一であることをみないものであり、「すべての牛を黒くし
  てしまう暗闇」(同)としてとらえるもの

● またヘーゲルは、シェリングの絶対的真理の「認識方法」が
 「知的直観」(23ページ)であることを批判する

 ・シェリングは絶対的真理(主客の同一性)は「知的直観」(23ページ)によ
  って把握される「直接知」(17ページ)であるとし、芸術こそこの直接知が
  もっとも明瞭に現れるとする

 ・これに対してヘーゲルは、絶対的真理は主観と客観の即自態、対自態、即か
  つ対自態という弁証法的運動をつうじて理性的に把握される媒介知であると
  し、シェリングの方法論を「断言する教条論」(44ページ)と批判

 ・真理はできあがったものとして、一挙に把握できるものではない

 ・また長い現象知の道程を経て絶対知に到達することをみないで、「ピストル
  からでも発射されるように、いきなり絶対知で始め」(28ページ)ること
  は、絶対者をたんに実体としてとらえるものであって主体であることを見よ
  うとしないもの

③ 『現象学』は、絶対知(精神)に至る
  現象知の長い道程をたどる真理探究の哲学

●『現象学』は、真理を論じる学問として、体系である

 ・「真理は全体である」(24ページ)

 ・真理は、「槲の実」(20ページ)から「しげった葉をもった槲の木」(同)
  に展開していく、「萌芽からの発展」として全体である

●「全体とは自らの展開をつうじて、自ら完成する実在のことにほかならない」
 (24ページ)

 ・したがって「真理は体系としてのみ現実的」(26ページ)
  →「体系を持たぬ哲学的思惟は何ら学問的なものではありえない。非体系的
  な哲学的思惟は、それ自身としてみれば、むしろ主観的な考え方にすぎない
  のみならず、その内容からいえば偶然的である」(『小論理学』㊤ 84〜85
  ページ)

 ・全体としての真理が「絶対者」(絶対知)=絶対的真理=「精神」

 ・自ら展開して、「自らを完成する実在」が「絶対者」(24ページ)

 ・「絶対者が本質的には結果であり、終わりに至って初めて、自ら真に在る通
  りのものとなる」(同)

 ・絶対者(絶対知)は「精神」(26ページ)

 ・『現象学』は「精神の現実であり、精神を自己自身の場において自ら建てる
  王国である」(27ページ)―絶対的真理にまで至る道程として「自ら建てる
  王国」

●『現象学』は絶対知の生成を述べる学問

 ・学問(哲学)の土台は「絶対的他在において純粋に自己を認識すること」
 (同)―自と他、主観と客観の統一

 ・認識の主体は「絶対的他在」としての客体を認識することをつうじて「自己
  を認識する」という、主観と客観の弁証法をつうじて現象知は絶対知へと前
  進していく

 ・「学の場を生みだすためには、知は長い道程を通りぬけなければならない」
  (28ページ)

 ・その道程を個人の側からみると「教養の形成過程」(29ページ)であり、
  「実体としての普遍的精神の側からみれば、実体が自ら自己意識となり、自
  らを生成し、自らに反照することにほかならない」(同)