● 聴 講(①1:07:35、②40:25、③15:52)

 

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第2講 序論② 「哲学の方法」としての弁証法
    緒論真理への道

 

第2講は、「序論」の残り部分と「緒論」を対象としている。
まず問題とするのは「知とはなにか」であり、
知とは、自己と対象の完全な一致を目指して、
対象を自己のうちに取り込み、自己との一体化を目指す意識の運動である。

そのためには、いかなる思考方法が必要であるか。
数学は数学の論理こそ真理認識の方法であると自慢する。
しかし、すべての事物は質と量の統一であるのに対し、
数学は量のみを問題とし、しかもA=Aという固定した論理を使用するから、
現実に存在する生きたものの真理をとらえることはできない。
ここに弁証法が登場すべき理由がある。
弁証法は全ての現実は対立物の統一として存在しているから、
「対象の生命に身を委ね」(43ページ)ることで
「対象の内的な必然性」(同)をとらえる真理認識の論理である。

「緒論」では、何故経験を通じて知を「吟味」し、
真理に接近しうるのかを問題とする。
それは自己のうちに真か偽かを判断する尺度を持っているためである。
人間は自然や社会を変革しうる動物として、
経験をつうじて対象が何であるかの知と同時に、
何であるべきかの知(つまり真理の尺度)をも手にすることができるのである。
こうして経験は知と尺度の両方を一歩ずつ真理に向かって前進させていく。

 

最後に脳科学。脳科学にとって意識の問題はハードプロブレムである。
脳という物質から何故意識という精神が生ずるのかを、
個々人の常時変化する意識を覗き見ることなしに解明することは
困難だからである。
脳の機能局在の解明は進んでいるが、意識の解明はまだ先の課題である。
脳の働きとしての「吟味」には、
ミラーニューロンやワーキングメモリーの関与が考えられるが、詳細は不明。