● 聴 講(①56:52、②53:14、③18:32)

 

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第5講 「C 理性」①
 ─「A 観察する理性」①

 

理性は、意識の最高位に位置する変革の意識であり、
絶対知をもって終わる。
「C 理性」は、序論に相当する「理性の確信と真理」、
「A 観察する理性」、「B 行為する理性」、「C 社会的理性」に分かれる。

「理性の確信と真理」では、「理性は、全実在であるという意識の確信」
(142ページ)であり、この確信を真理に高めることが、
理性の課題であるとされる。
つまり、全世界は無秩序な存在ではなく理性的(合理的)存在であり、
この世界を合法則的に真理に発展させることが、理性の課題なのである。
そのために、観察し、行為することが求められることになる。

「A 観察する理性」は、対象となる自然のもつ法則性を探求する。
言い換えると、対象のうちに概念に媒介された 対立物の統一という
真理を見出そうとするのである。自然のうちでも有機体は、
内的目的という概念に媒介された個と類の統一であるが、
「素朴な観念論」である観察する理性は、それを見ようとしない。
行為的理性においては、この見地は払しょくされて、
唯物論の観点から合法則的変革の立場が貫かれなければならない。

 

最後に脳科学から見た感性、悟性、理性について一言。
脳は、構造、機能の異なるいくつかの脳部位を持ちながらも、
「1つの心」としてその持ち主の人格を創り出している。
脳科学的には、外部情報はまず脳の感覚野で処理されて感性となり、
次いで言語野に送られて悟性となる。
さらにその情報は前頭前野という上位中枢に回され、
過去の記憶と比較検討しながら、理性的な判断がなされることになる。
したがって、感性、悟性、理性は相互に媒介されながら
「1つの心」を創り出している。
ところが、観念論は感性、悟性、理性を分断してとらえることによって、
認識が無限に客観的真理に接近することを否定する。
たとえばカントの不可知論は、現象は認識しうるが、
物自体は認識しえないとする。
つまり、経験から感性、悟性が生まれることは認めながら、
それを踏まえて理性の創造性が生まれることを否定することで、
悟性と理性を分断するのである。