● 聴 講(①58:02、②46:36、③22:31)

 

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第6講 「C 理性」②
 ─「A 観察する理性」②
 ─「B 理性的自己意識の自己自身による実現」①

 

次に観察の対象は、自然から人間に移り、
思惟法則としての「論理学的法則」と行動法則としての「心理学的法則」が
検討されます。

思惟法則としてまず挙げられるのは、形式論理学であり、
その基本法則はA=Aという同一律です。
しかしすべての物は運動変化していますから、
形式論理学は「思惟の真理ではない」(179ページ)のであり、
対立物の統一を基本法則とする弁証法的論理学が思惟法則の真理なのです。

他方心理学は、「一定の環境が個性にどんな作用を
及ぼすか」(181ページ)という個性の法則をとらえようとします。
しかしヘーゲルは、環境をそのまま受け入れるか、
それともその影響を断ち切るかは個人次第だとして、
心理学的法則を否定しています。
史的唯物論では、「存在は、意識を規定する」としていますが、
これは個人的意識というよりも階級的意識を論じたものです。
個人の意識は、階級的意識を土台としながらも、解釈の立場に立つのか、
それとも変革の立場に立つのかによって規定されるということになるでしょう。

さらに観察する理性は、「人相学と骨相学」の法則性の検討に向かいます。
当時これらは最新科学とされていたようです。
ヘーゲルは、いずれの法則性も否定しますが、
骨相学の提起した「精神は骨である」との命題には
重要な問題が隠されているとしています。
これまで観察する理性は「物は自己である」としてきたのに対し、
骨相学の命題には「自己は物である」との転換が見られるのであり、
これこそ変革の立場を示すものであって、主客の相互媒介によって
客観的真理に接近する絶対知の立場が示されている、というのです。

こうして「A観察する理性」は絶対知を知ったところで
「B 行為する理性」(正確には「理性的自己意識の自己自身による実現」)に
移行します。
行為する理性の目標となるのは、ギリシャのポリスという人倫の国ですが、
行為する個人にとってとりあえずの目標となるのは、
異性との「快」という個人の幸福です。
行為する個人は、異性との関係を通じて人間の本質が
社会との 「絶対的な関係」(214ページ)にあることを学び、
社会変革に乗り出します。
しかし最初は主観的な「こころの法則」を目標とするため、
「自負の狂気」となるしかありません。

 

最後に脳科学から見た現代の心理学について一言。
ヘーゲルの時代と異なり現代の心理学は「認知心理学」として、
脳科学の重要な一部門を占めています。
認知心理学により、対象意識から自己意識が生まれることが明らかにされ、
あらためて『現象学』の先駆性が浮き彫りになってきました。