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第8講 「D 精神」①
 ─「A 真の精神、人倫」①

 

今回から『現象学』第2部の「精神の現象学」。
第2部は大きく「D 精神(道徳を含む)」「E 宗教(芸術を含む)」
「F 絶対知」からなり、中心となる「D 精神」を5回に分けて学ぶ。
「D 精神」は、「序論」「a 真の精神、人倫」
「b 自己疎外的精神、教養」「c 自己確信的精神、道徳性」からなる。

意識が真理の階段を上って人倫的実体に達したとき、意識は精神となる。
つまり意識は現象、精神はその本質である。
「いま精神は人倫的現実」(255ページ)であり、
ギリシャのポリスという人倫的現実は、
「一人は皆のために、皆は一人のために」という理念を媒介とする
個人と共同体の統一である。
精神は、人倫的現実から出発して、いくつかの形態を経て、絶対知に至る。
その過程は、人類の歴史である。

人倫的世界は、真の精神である。
そこでは男女の結合をつうじて、国家共同体と家族共同体、
人間のおきてと神々のおきてとが美しい調和をなして、
「一人は皆のために、皆は一人のために」の世界となっている。
しかし男と女が「行動」をするようになると、
それぞれは自分のおきてに従い、他方のおきてを侵すことで
「罪責」を負うとともに、人倫的現実も解体し、次の「法状態」に移行する。

 

科学的社会主義の立場から学ぶために、
第1部では脳科学の観点からのコラムを紹介したが、
第2部では史的唯物論の観点からのコラムとなる。
ヘーゲルがポリスを民主主義の原点としてとらえ、
人類史を、大きく民主主義の花開く社会、民主主義の疎外社会、
疎外からの解放の社会としてとらえたことは評価しうる。
しかし後の『歴史哲学』と異なり、
『現象学』ではまだポリスは奴隷制社会としてとらえられていない。
また人類史の最初は、ポリスではなく、
原始共同体の社会としてとらえねばならない。
原始共同体では「自由、平等、友愛は、定式化されたことは一度もなかったが、
氏族の根本原理であった」(エンゲルス『家族、私有財産および国家の起原』) 。
それこそヘーゲルのいう人倫的現実の世界だった。