2014年5月24日 講義

 

 

第8講 「D 精神」①
 ─「A 真の精神、人倫」①

 

〈第2部 「精神の現象学」と「D 精神」の概要〉

●『現象学』の第2部

 ・『現象学』の第1部は、主観的精神(個人の意識)を取り扱う「意識の経験
  の学」

 ・第2部は、客観的精神(人類の精神史)を取り扱う「精神の現象学」

 ・第1部と第2部とは、エボデボの関係、つまり「論理的なものと歴史的なも
  の」との対応関係にある

 ・「意識が自らについておこなう経験(第1部―高村)は、その概念からみて、
  意識の全体系、言いかえれば、精神の真理の全領域(第2部―高村)と同じ
  ものを、自らのなかに含んでいる」(66ページ)

● 第1部と第2部との対応関係

 ・第1部では自己意識は、「われとわれわれの統一」というギリシアの人倫的
  実体を真理とするが、ヘレニズム・ローマ時代から中世にかけて「主と僕」
  の疎外された意識となり、疎外からの回復を求めて、「ストア主義」「懐疑
  論」「不幸な意識」をさまようが、目的は達成されない。そこで近代の「理
  性」は疎外からの回復を社会変革に求め、「こころの法則」「徳」「ことそ
  のもの」を経て人倫的実体を回復し、絶対知に至る

 ・第2部では、精神は人倫的実体であるポリスから出発し、ヘレニズム・ロー
  マ時代に始まった「自己疎外的精神」は中世から近代にかけて、疎外からの
  回復を求めて「教養」を積み、中世の「信仰」、近代の「啓蒙」を経て、フ
  ランス革命に至るが、挫折してしまう。そのため、自己の内面における疎外
  からの回復を求めてドイツの「道徳」にいたり、「宗教」によって絶対知に
  達するという世界史の道程をたどる

● ヘーゲルの歴史観

 ・第2部ではヘーゲルの歴史観がより直接的に表現される

 ・ヘーゲルの歴史観は人類の精神の発展史ということができる(後述)

 ・それは、唯物論的歴史観に対立する観念論的歴史観ではあるが、上部構造と
  しての「精神」の発展を論ずる点において唯物論的歴史観を補完する一面的
  真理をもっている

 ・またヘーゲルの歴史観も、『現象学』の時代と、晩年の『法の哲学』『歴史
  哲学』の時代とでは大きく異なる

●「D 精神」の構成と概要

 ・第2部は「D 精神(道徳を含む)」「E 宗教(芸術を含む)」「F 絶対知」
  から成る

 ・「D 精神」は、第2部の中心に位置するので5回に分けて学ぶ(① 255〜
  278ページ、② 278〜305ページ、③ 305〜325ページ、④ 325〜343ページ、
  ⑤ 343〜383ページ)ことにする

 ・「D 精神」は大きく分けると、「序論」と「A 真の精神、人倫」「B 自己
  疎外的精神、教養」「C 自己確信的精神、道徳性」の4部から成る

 ・「序論」では、精神とは意識の本質であること、それがどう第2部で展開さ
  れるかが論じられる

 ・「A」では、真の精神は人倫的実体としてのギリシアのポリスにみられるこ
  と、ポリスにおける共同体の理念は「人間のおきて」と「神々のおきて」と
  の統一であること、この統一は行為をつうじて「人間のおきて」と「神々の
  おきて」との対立となり、人倫的実体は没落してローマの「法状態」、つま
  り「自己疎外的精神」となることが論じられる

 ・「B」では、疎外された自己意識は、近代における「教養」を積むことで、
  世の中は矛盾だらけであることに気づき、矛盾の解決による人倫的実体の再
  興を求めて、中世の「信仰」を打ち破る近代の「啓蒙」の時代を迎える。し
  かし啓蒙の頂点としてのフランス革命の挫折により、自己意識は現実の変革
  から、内面の変革としてのドイツの道徳的意識に向かう

 ・それが「C」の「道徳性」であり、精神は道徳において絶対知の入口に達し、
  次の「E 宗教」で絶対知に至る

 

1.「精神」の序論

〈理性から精神へ〉

● 精神の生成

 ・精神とは意識の本質であり、精神と意識とは本質と現象の関係

 ・意識が真理の階段を昇って最高の段階としての人倫的実体に達したとき、
  「現象と本質が等しく」(66ページ)なり、「精神の本来の学」(同)とな
  る

 ・「理性は、全実在であるという確信が、高まって真理となり、自己自身を自
  分の世界として、また世界を自己自身として、意識するようになったとき、
  精神である」(255ページ)

 ・つまり精神とは「精神の概念」(115ページ)である「われとわれわれの統
  一」(同)、つまり「一人は皆んなのために、皆んなは一人のために」とい
  う理念が、現実になったもの―「いま精神は人倫的現実である」(255ペー
  ジ)

 ・「即且対自的に存在する本質(人倫的実体―高村)は、同時に(人倫的―高
  村)意識として、自分にとり現実的となり、また自分で自己自身を表象する
  ようになったとき、精神である」(同)

 ・すなわち精神である「人倫的現実」とは、「精神の概念」のもとにおける人
  倫的実体と人倫的意識、共同体と個人、普遍と個の統一

 ・この統一を媒介するのが、「一人は皆んなのために、皆んなは一人のために」
  という理念である

 ・この理念は、人倫的実体の統治の原理になると同時に、人倫的意識として構
  成員の規範となることによって、人倫的実体と人倫的意識とを統一して、人
  倫的現実とする

 ・ヘーゲルは、この人倫的現実を古代ギリシアのポリスに見いだす

 ・「つまり精神は、(人倫的実体の統治の原理として―高村)すべてのひとの
  行為の根拠および出発点」(256ページ)であると同時に、人倫的実体の規
  範として「すべての人の目的であり、目標である」(同)

● 共同体の理念の弁証法

 ・共同体の理念は、「すべての人、各々の人の行為によって、みんなが統一し
  ており、等しいことを表わすものとして、生み出された一般的な仕事」(同)

 ・その意味では、「精神(理念―高村)は、実体としては、動揺せぬ正しい自
  己相等性」(同)であるが、同時に「各人は、自分自身の仕事を遂行し、一
  般的な存在をひきさき、そこから自分の分け前を奪る」(同)

 ・つまり、構成員は、自分なりに理解した共同体の理念を遂行しようとするこ
  とで、「一般的な存在」としての共同体の理念をひきさく

 ・「実在がこのように解体し個別化することこそまさに、すべての人が行為し
  自己となる契機である」(同)

 ・しかし、この各人の自分なりに理解した理念の遂行こそが人倫的「実体の運
  動」(同)を引き起こし、「魂」(同)としての共同体の理念に磨きをかけ
  る

 ・したがって、共同体の理念は、「自己のなかで解体した存在であるという、
  まさにこの点で、死んだものではなく、(日々新たに再生されるものとして
  ―高村)現実的であり、生きているのである」(同)

 ・こうした個人と共同体の弁証法をつうじて「われとわれわれの統一」(115
  ページ)という「精神の概念」(同)が現実のものとなってい

〈精神の展開は、現実の世界史として示される〉

● 理性は「現実の人倫的実在」(257ページ)を生みだすことで、精神となる

 ・精神は、意識の発展から生まれた意識の「絶対的本質」(256ページ)とし
  て、これまでの第1部における意識の諸形態をすべて含んでいる

 ・これまでの意識の諸形態として、「意識、自己意識、理性」(同)を論じて
  きたが、これらの意識の諸形態は、みな精神の一契機にすぎない

 ・意識の最高の段階としての理性は、世界をより理性的なものに変革し、真の
  精神としての人倫的実体という現実を生みだす

 ・このとき理性は精神となり、「精神は自らの真理」(257ページ)のうちに
  あって、「現に精神であり、現実の人倫的実在である」(同)

● 精神の諸形態は、現実の世界の諸形態

 ・精神は、意識の諸形態を経て、「現実の人倫的実在」となった

 ・いまや精神は、「或る民族の人倫的生命」(同)、つまり古代ギリシアのポ
  リスである

 ・精神は、第2部全体をつうじて、「美しき人倫的生活を廃棄して、いくつか
  の形態を通り、自己自身の知」(同)、つまり絶対知に行きつかねばならな
  い

 ・この絶対知は、第1部における個人の意識としての絶対知ではなく、人類と
  しての絶対知、つまり絶対的真理である

 ・しかしこの道程が、これまでの意識の諸形態と異なるのは、「それらが実在
  する精神であり、本来の現実であり、ただの意識の形態ではなく、1つの世
  界(世の中)の形態である」(同)、つまり人類の歴史として展開される道
  程であることにある

 ・「世界史の実体をなすものは精神とその発展過程である」(『歴史哲学』㊤
  41ページ)

 ・「世界史とは、精神が本来もっているものの知識を精神自身で獲得して行く
  過程の叙述」(同43ページ)

● 第2部の展開

 ・精神が「自らの真実態にいる精神」(同)であるとき、それは古代ギリシア
  のポリスという「生々とした人倫的世界」(同)という形態をとる

 ・次に「精神が自らの本質(が個人的自己であること―高村)を抽象的に知る
  ようになると」(同)、「法という形式的一般性」(同)に没落し、人倫的
  実体は解体されてしまう

 ・こうして「自己自身のうちで分裂した」(同)自己疎外的精神は、「自分の
  世界の一方を教養の国として、それに対する世界を信仰の世界、本質の国」
  (同)とに分裂する

 ・「だがこの2つの世界」(同)が「概念によって、把まれるとき」(同)、
  「啓蒙によって混乱に陥れられ、革命に行きつくこと」(同)になり、破綻
  する

 ・そこで精神は現実の国から「自己意識に帰って行くことになり」(同)、
  「道徳性」(同)、さらには「良心」(同)として「自己自身を確信する精
  神」(同)となり、絶対知に接近する

 ・但し、道徳をもって絶対知の入口とする見解は、後に『法の哲学』で否定さ
  れることになる

 ・「こうして人倫的世界、此岸と彼岸に分裂した世界と道徳的世界とは、みな
  精神である」(同)

 ・それらの運動の結果として「絶対精神の現実的自己意識(宗教)」(同)、
  つまり絶対知としての宗教が現われる

 

2.「A 真の精神、人倫」

● 真の精神は、人倫的世界

 ・「精神の概念」(115ページ)は、「われとわれわれの統一」(同)

 ・へーゲルはこの「精神の概念」をギリシアのポリスに求め、ポリスを人類史
  の出発点に位置づける

 ・ポリスという精神の人倫的現実は、人倫的実体と人倫的意識からなり人倫的
  実体は国家共同体と家族共同体とからなり、人倫的意識は人間のおきてと
  神々のおきてとからなる(おきて=規範=共同体の理念)

 ・男は人間のおきてをつうじて国家共同体と、女は神々のおきてをつうじて家
  族共同体と結びつき、男女の結合は2つの実体と2つの意識を「無限の媒介」
  (258ページ)のうちにおき、美しい調和の人倫的世界をつくる

 ・「自己意識(男と女―高村)は、(2つのおきてを統一することで―高村)
  自らの自己と実体との統一(われとわれわれとの統一―高村)を、自らの仕
  事としてと同時に現実として、つくり出す」(同)

 ・「人間のおきて」とは国家の定める法や政治という普遍的規範であり、
  「神々のおきて」とは家族としての道徳という個別的規範

 ・しかし、男と女という「自己意識は行為に出るとき」(同)、2つのおきて
  の矛盾は顕在化し、ポリスは「没落」(同)して「法状態」(278ページ)
  に移行する

① 「 a 人倫的世界、人間のおきてと神々のおきて、男と女」

● 見出しの意味

 ・真の精神は、ポリスという「人倫的世界」にみられる

 ・ポリスという人倫的実体は国家共同体と家族共同体の2つからなり、それぞ
  れが「人間のおきてと神々のおきて」という2つの共同体の理念(人倫的意
  識)をもっている

 ・男は「人間のおきて」の、女は「家族のおきて」の守り手となり、男と女の
  結合をつうじて、人倫的実体と人倫的意識、客観と主観、普遍と個、共同体
  と個人の一体化した「人倫的世界」をつくりあげている

● 人倫的実体における区別

 ・感覚から知覚への移行と同様に、単一な人倫的意識も区別と対立を生みだす

 ・いま精神は「現実的実体」(259ページ)として存在しているから、その意
  識も「共同体」(同)の理念として、2つの現実的おきてとなっている

 ・1つは、「人間のおきて」(同)として、「公開のところで、明るみの中で
  妥当する」(同)「現実に存在する」(同)国家共同体の「統治」(同)の
  原理としての「一般的意志」(268ページ)

 ・もう1つは「神々のおきて」(同)として、「個々人を家族の外に引き出し
  て、……一般者のために生きさせる」(250ページ)家族共同体の道徳的理念

● 人間のおきてと神々のおきての相互媒介

 ・2つのおきては「相互に対立を表わし」(259ページ)ながらも、「それは
  ただ表面上のことにすぎない」(同)のであって、「いずれにも実体全体を
  含み、また実体の内容の全契機を含んでいる」(259~260ページ)

 ・国家共同体の人間のおきては、神々のおきての「上位」(263ページ)に位
  置する「統治」(同)の原理であり、家族に対し「自分達の生命が、ただ全
  体のなかでのみあるので、という意識をもたせる」(同)―戦争政策による
  思想動員

 ・人間のおきては「個人が、人倫的定在から出て、自然的定在に沈んでしまう
  のを防ぐ」(264ページ)

 ・これに対し、家族共同体の神々のおきては、「地下の国」(264ページ)に
  おいて、国家共同体を支える人間のおきての「威力の真実態」(同)である

 ・神々のおきての「混じり気のない関係は、兄(弟)と(姉)妹の間に在る」
  (同)―夫婦や、親子と異なり、互いに「感覚の関係でもないし、愛の関係
  でもない」(260ページ)「自由な個人」(264ページ)の関係だから

 ・男性は「自分の生活圏であった神々のおきての外に出て、人間のおきてに
  移って行く」(266ページ)のに対して、女性は「家を司るもの、神々のお
  きてを護るものとなる」(同)

 ・「家族は、この(国家―高村)共同体のうちで、自分らの一般的実体をえて
  存立するが、これとは逆に、この共同体は、家族においてその現実性の形式
  的な場をえ」(同)るのであって、「両方の何れもが単独では完全でない」
  (同)

 ・「だから、一般的な人倫的本質は、……民族と家族をその一般的な現実とし
  ているが、男と女をば、自らの自然的自己としており、活動する個人性とし
  ている」(同)

● 真の精神としての「人倫の国」(268ページ)―以上のまとめ

 ・「こうして人倫の国は、汚れなき世界、いかなる分裂によっても不純とはな
  らない世界として、存続している」(同)

 ・人間のおきてと神々のおきてという「各々の威力は、他方の威力を維持し生
  み出し」(同)、「直接互いに浸透し合う」(同)

 ・人間のおきては、「男性の個人性によって推理連結され」(同)、「神々の
  おきてが個人化されるのは、……女性においてである」(同)

 ・「男と女の結びつきは、全体が働く媒介であり、場」(同)であって、人間
   のおきてと神々のおきてを「直接的に結びつけ」(同)る

 ・人倫の国では、男女の結びつきを媒介として、人間のおきてと神々のおきて
  とは美しい調和をなしている

② 「 b 人倫的行動、人間の知と神々の知、罪責と運命」

● 見出しの意味

 ・人間のおきてと神々のおきてをつなぐ男と女が、「人倫的行動」をするよう
  になると、2つのおきての対立が顕在化し、2つの義務の対立、衝突のなか
  で、一方のおきてに従ったものは他方のおきてに違反する「罪責」が生じ、
  人倫的実体は亡びる「運命」となる

 ・ギリシアの三大悲劇詩人・ソフォクレスの『アンティゴネ』を下敷きにした
  もの

● 人倫の国では、自己意識はまだ「個別的な個人性」(同)としては、
 現れてこない

 ・「ここでは個人性は、一方では一般的意志として、他方では家族的血縁とし
  て」(同)、国家共同体または家族共同体と一体化して、共同体のうちに埋
  没しており、まだ「個別的な個人性」(同)として現れていない

 ・なぜなら「そのとき、まだ行為は何もなされてはいない」(同)から

● 人倫的行動は「人倫的世界の安定した組織と運動をかきみだす」(同)

 ・人間のおきてと神々のおきては、「現われて行為となるときには対立したも
  のに移行」(同)する

 ・行為は「この2つの威力の定在の場である2つの自己意識(男と女―高村)
  を、無底の単純態に投げこむ」(269ページ)―「個別的な個人性」という
  深淵に投げこむ

 ・行為によって「義務相互の衝突」(同)が生じることになる

 ・「このため2つの威力は互いに排斥しあい、互いに対立し合うという意味を
  もっている」(同)

● 人倫的行動は、「自分で犯罪という契機をもっている」(271ページ)

 ・「意識は、一方の側にだけ正義を、だが他方の側には不正をみる」(270ペ
  ージ)

 ・行動する自己意識は、「一方のおきてには向うが、他方のおきては拒絶し、
  これを、自分の行為の結果、侵す」(271ページ)

 ・「こうして自己意識は行為の結果、罪責を負う」(同)ことになり、「この
  罪責は、また犯罪という意味をもっている」(同)

 ・しかし「行為をして罪責を負う」(同)のは、「類としての」(272ページ)
  個人であって、「個別的個人性」(同)としての個人ではない(人倫的実体
  に埋没し、一体化している個人)

● 人倫的実体の解体

 ・したがって、2つの威力のそれぞれを「命として行動に移す個人相互の、動
  きは、両方が同じように没落を経験するときに至って初めて、真の終局に達
  する」(273ページ))

 ・ポリスにおいては、人倫的意識と「無意識自然」(274ページ)とが対立し
  ながらも、「その実体と無媒介に1つになっている」(同)という意味にお
  いて「真の精神」(同)だった

 ・ポリスが亡びたのは、もともと人倫的精神が「自然の無意識的安定であると
  共に、精神の自意識的で不安定な安定」(277ページ)という矛盾をかかえ
  ており、「人倫的精神の美しい調和や安定した均衡」(同)そのもののうち
  にこの矛盾という「破滅の芽」(同)をもっていたため

 ・ポリスという人倫的実体は、「個人を通して」(277ページ)生きている民
  族精神を失い、「一般的な国家共同体」(同)としてのヘレニズム国家やロ
  ーマ帝国によって滅ぼされてしまう

 ・人倫的実体が亡びるのは、個人が国家共同体や家族共同体のうちに埋没し一
  体化していた自然状態から、個別的な自我に目覚めて、「個別者であるよう
  な個々の個人」(同)に発展し、「制限された個別性」(同)から「別の個
  別性」(同)に移行したことによるもの

 ・こうして、人倫的実体は解体し、次の「C 法状態」に向かう


 

*** *** *** *** コラム *** *** *** ***

〈ポリスの民主政治と史的唯物論〉

■ ヘーゲルのポリスにおける歴史観の意義と問題点
 
・ヘーゲルは、古代ギリシアのポリスを人類史の最初に位置づけると同時に、
  個人と社会が一体化した真にあるべき社会としての人倫の国としてとらえて
  いる
 ・ポリスは人口数万ないし数十万人の城壁に囲まれた都市国家であり、自由と
  自治を理想として独特の直接民主主義の政治がおこなわれ、文化、芸術、哲
  学が花開いた
 ・ポリスは、18歳以上のすべての市民男子が国政の最高の議決機関である民
  会に参加し、決議する権限をもつ「民主」国家
 ・ヘーゲルのポリスに見られる歴史観には、以下のような意義と問題点がある

■ ヘーゲルがポリスを民主主義(デモクラシー)の原点として
とらえたことは正しい
 ・デモクラシーの語源は、デモス(民衆)とクラシア(権力)とを結びつけた
  ギリシア語のデモクラシア
 ・デモクラシアとは、人民が権力を握り、それを自らが行使する政治
 ・古代ギリシアでは、君主政治、貴族政治、僣主政治を経て、紀元前5世紀頃
  に民主制を確立
 ・民主主義の原点は、原始共同体にあるが、自覚的になったのはポリスが最初
  ということができる
 ・しかもポリスの民主主義は、民主主義の原点を直接民主主義ととらえたこと
  も評価されねばならない
 ・近代以降の民主主義は間接民主主義としてその原点が見失われている
 ・ルソーは「(イギリスの人民が)自由なのは、議員を選挙する間だけのこと
  で、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイとなり、無に帰してし
  まう」(『社会契約論』)―間接民主主義の欺瞞性を指摘したもの
 ・間接民主主義の機能マヒの現在において、ポリスの直接民主主義の意義は大
  きい

■ ヘーゲルが、人類史を民主主義の花開く社会、民主主義からの疎外、
 疎外からの解放という弁証法的発展としてとらえたことも評価しうる

 ・ヘーゲルが世界史を民主主義とその疎外からの回復を求める歴史としてとら
  えたことは、マルクスの歴史観にも大きな影響を与え、ヘーゲルの「画期的
  な歴史観は、新しい唯物論的見解の直接の理論的前提であった」(全集⑬
  476ページ)と高く評価
 ・史的唯物論の根底には、原始共同体 ―階級社会という疎外社会―社会主義
  による疎外からの解放という社会の弁証法的発展が、人間の本質―本質から
  の疎外―疎外からの解放という人間論の弁証法を踏まえて展開されている

■ ヘーゲルがポリスを奴隷制社会としてとらえていないのは問題
 ・ポリスには「われとわれわれの統一」という側面もあるが、本質は奴隷制国
  家であるにもかかわらず、『現象学』ではこの点を明らかにせず
 ・しかしヘーゲルは晩年の『歴史哲学』では、古代ギリシアが奴隷制社会であ
  ることを認めている
 ・「ギリシア人は奴隷をもち、その生活とその美わしい自由の維持とがこれに
  負うた」(『歴史哲学』㊤ 43ページ)
 ・「まだ身分の相違に支配されるところの、人倫の立場」(『歴史哲学』㊤
  45ページ)
 ・ヘーゲルが晩年『現象学』を改訂しようと理由の1つはここにあるというべき

■ 人類史の最初はポリスではなく原始共同体の社会
 ・ヘーゲルは、ポリスを人類史の最初に位置づけているが、人類の最初の社会
  は「原始共同体」の社会
 ・史的唯物論では、ヘーゲルが解明しえなかった社会発展の原動力を、社会の
  土台となる経済的諸関係の基本矛盾としての、生産力と生産関係の矛盾にあ
  るととらえた
 ・人類の最も古い社会構成体としての原始共同体は、もっとも低い生産力(狩
  猟・採集の時代)に対応する、搾取も階級もない、すべての構成員が自由に
  して対等・平等の社会であり、構成員の直接民主主義による統治の社会
 ・エンゲルスの『家族、私有財産および国家の起原』は、ネイティヴ・アメリ
  カンの原始共同体の生活体験を著したモーガンの『古代社会』をベースとし
  たもの
 ・モーガンは「その成員はすべて自由人であり、たがいに他のものの自由を守
  りあう義務を負っている……自由、平等、友愛は、定式化されたことは一度
  もなかったが、氏族の根本原理であった」(全集㉑ 92ページ)と記している
  ―定式化されていなかったところに無自覚的直接民主主義が示されている
 ・人類は約7千〜8千年前に狩猟・採集から、農耕・牧畜の時代に移行するこ
  とで生産力が飛躍的に発展し、私有財産が誕生、生産力と生産関係に矛盾が
  生じた
 ・私有財産制により、私有財産をもつものともたないものの、搾取するものと
  搾取されるものとの階級分化が生じ、奴隷制社会に移行
 ・これにより、これまでの共同体の共同事務を処理する機関は、搾取階級が独
  占することにより、独自の機関となり、ここに国家が誕生した
 ・ポリスが奴隷制国家でありながら民主政治を実現できたのは、ギリシアの君
  主政治、貴族政治への批判という特殊性にもとづくもの
 ・国家は誕生の経緯からして共同事務を処理する機能を必ずもっているが、し
  かし本質は被支配階級を抑圧するところにある―共同事務処理の機関という
  のは仮象、階級支配の機関は本質という国家の二面性
 ・国家の階級支配の本質は公的強力(警察、軍隊、裁判所、監獄)に示される
 ・この上部構造の中心に位置する国家のもつ二面性が、法、政治、道徳その他
  の社会的イデオロギー等の上部構造全体の二面性を生みだしている
 ・この階級的観点と上部構造の二面性という2つの観点が、社会を科学的に考
  察しうる基本的観点となる