『ヘーゲル「精神現象学」に学ぶ』より

 

 

第八講 「D 精神」 ①

 『精神現象学』第二部と「D 精神」の概要

 今日から『現象学』第二部に入ります。『現象学』の第一部は、主観的精神、つまり個人の意識を取り扱う「意識の経験の学」でしたが、第二部の「D 精神」「E 宗教」は客観的精神、つまり人類の精神史である世界史という「精神の現象学」を取り扱っています。中心となるのは「D 精神」ですので、ここは五回に分けて学んでいくことになります。
 第一講で学んだようにヘーゲルは真理とは実体ではなく主体であるととらえていますが、それを言いかえると「絶対的なものを精神と言い表わす」(二六ページ)ことだと述べています。つまり精神とは無限に真理に向かって前進する歴史の主体なのです。この無限に真理に向かって前進する精神の到達点が「絶対的精神」とよばれていますが、それは「自己を精神と心得ている精神」(二七ページ)にほかなりません。『エンチクロペディー』では、絶対的精神の感性的形式が芸術、表象の形式が宗教、概念の形式が哲学としてとらえられており、『現象学』でもこの見地から哲学における絶対的精神が「絶対知」(四四一ページ)とされているのです。
 また、第一部と第二部とは、エボデボの関係にあり、哲学的に表現すれば、「論理的なものと歴史的なもの」との対応関係にあります。ヘーゲル自身も「意識が自らについて行う経験(第一部 ── 高村)は、その概念からみて、意識の全体系、言いかえれば、精神の真理の全領域(第二部 ── 高村)と同じものを、自らのなかに含んでいる」(六六ページ)と述べています。
 第一部を振り返ってみますと、「B 自己意識」では、「われとわれわれの統一」というギリシアのポリスを共同体の真理としてとらえますが、ヘレニズム・ローマ時代から中世にかけて「主と僕」の疎外された意識となります。疎外された自己意識は、内面における疎外からの回復を求めて、「ストア主義」「懐疑論」「不幸な意識」をさまよいますが、その目的を達することはできません。しかし近代に至って、疎外された自己意識は、「C 理性」となって「人倫の国」の回復を社会変革に求め、フランス革命の「徳」を経て、産業革命から生まれた「ことそのもの」という資本主義的市場経済に注目します。自己意識は「ことそのもの」という資本主義に一般意志という共同体の概念をつけ加えることによって、疎外から回復した「人倫の国」を再興し、個人の意識という限界のうちにありながらも、絶対的精神に到るとされています。
 第二部も第一部とほぼ同様の内容となっています。まず第二部の主要部分である「D 精神」の構成と概要からみておくことにしましょう。
 「D 精神」は、「序論」「A 真の精神、人倫」「B 自己疎外的精神、教養」「C 自己確信的精神、道徳性」の四部構成になっています。まず「序論」では、精神の概念とは人間社会の概念ともいうべき「われとわれわれの統一」であることが明らかにされ、その「真の精神」がいかにして「自己疎外的精神」となり、また「自己確信的精神」として疎外から復活するのか、という精神の弁証法的展開が「D 精神」の課題であることが論じられます。次の「A」では、真の精神はポリスにあり、それは共同体の概念を内に含んだ「人倫の国」であること、その実体は「人間のおきて」と「神々のおきて」の統一であること、この統一は行為をつうじて対立に転化し、ポリスは没落・解体してヘレニズム・ローマ時代の「法状態」となることが論じられます。「B」では、この「法状態」が「自己疎外的精神」とよばれ、疎外された自己意識は近代における「教養」を積むことで「啓蒙」思想となります。「啓蒙」は世の中が矛盾だらけであることに気づき、矛盾の解決による「人倫の国」の再興を求めて、宗教改革から、産業革命による商品生産の「有用性」を経て、フランス革命へと向かいます。しかし啓蒙の頂点としてのフランス革命の挫折により、自己意識は現実の変革から方向を転じて、内面の変革によるドイツの道徳的意識に向かいます。それが「C」の「自己確信的精神、道徳性」であり、自己意識は、「道徳」から「良心」に至って疎外から回復し、絶対的精神に到達する、とされています。
 次の「E 宗教」では宗教とは絶対的精神の一形態としての民族精神であることがまず明らかにされます。それは独自の発展的歴史をもち、東方的精神としての「自然宗教」、ギリシア的精神としての「芸術的宗教」を経て、ゲルマン的精神としての「啓示宗教」(キリスト教)となり、キリスト教の三位一体論のうちに絶対的精神が現れていることが明らかにされます。この第一部、第二部の絶対的精神をふまえて、『現象学』の結論として第三部の「F 絶対知」が論じられることになります。 
 第一部の「意識の経験の学」でも、自己意識の発展は人類史を背景としていましたが、第二部では、直接人類の歴史を論じていますので、ヘーゲルの歴史観がより直接的に表現されています。第一講でもお話ししたように、ヘーゲルは「歴史のうちに発展を、内的連関を示そうとした最初の人」(全集⑬四七六ページ)でしたが、ヘーゲルの歴史観とは一言でいうと精神の発展史ということができます。
 すなわちヘーゲルの歴史観は、精神が「真の精神」から「自己疎外的精神」となり、「自己確信的精神」として疎外から回復する歴史としてとらえられます。この三段階歴史観は、史的唯物論にもそのまま採用されており、先駆的な意義をもっています。
 しかし問題なのは、ヘーゲルの出発点となる「真の精神」がギリシアのポリスという個人と共同体の一体化した「人倫の国」としてとらえられていることです。「自己疎外的精神」という階級社会において個人が共同体から疎外されると認識されながら、最後の「自己確信的精神」では階級社会からの脱出が論じられるのではなく、道徳的意識によって疎外からの回復を実現するものとされ、真の「人倫の国」の回復という課題が曖昧になってしまっているのです。いわば「D 精神」には、疎外された精神は存在しても、真に疎外から回復した精神は存在しないといういうことができるでしょう。
 それにもかかわらす、ヘーゲルの歴史観が人類史を精神史ととらえることによって、上部構造に属する政治、法、道徳、芸術、宗教などが歴史的に果たした哲学的役割を正面から考察しようとしていることは、唯物論的歴史観の不十分な部分を補完する役割をもつものとして、評価しうるものです。そこにも私たちが『現象学』の第二部を学ぶ意義があるのです。またヘーゲルの歴史観は、『現象学』と晩年の『歴史哲学』や『法の哲学』とでは、同じ精神の発展史であっても力点の置かれ方が異なっていることも注目されるところです。

 

一、「序論」

 理性から精神へ

 まず最初に精神と意識との関係が明らかにされなければなりませんが、ヘーゲルはそれを現象と本質の関係としてとらえています。
 「意識は、自らの真なる現存に向って進んでゆくとき、或る点に到達するであろう。この点に達したとき、意識にとってあり、他者としてあるに過ぎないような、見知らぬものにつきまとわれていたその外観は、はらい落される。言いかえると、現象と本質が等しくなるここに至って、意識の叙述は、精神の本来の学という正にこの点と一致するのである」(六六ページ)。
 意識と精神とは、ここまでエボデボの関係として説明してきましたが、更にいえば現象と本質の関係にあります。すなわち第一部において意識の諸形態は、真理を認識する階段を昇って「或る点」に達するまで「見知らぬ」何かに「つきまとわれている」と思われていたのが、この「或る点」に達すると、その「見知らぬ」ものが本質としての精神であり、意識の諸形態は本質である精神の諸現象であったことに気づき、ここに現象と本質は一致して第二部の「精神の本来の学」に入るというのです。
 ではその「或る点」とは何かといえば、理性の最高の段階としての変革的な意識に達した点なのです。
 「理性は、全実在であるという確信が、高まって真理となり、自己自身を自分の(人倫的 ── 高村)世界として、また(人倫的 ── 高村)世界を自己自身として、意識するようになったとき、精神である」(二五五ページ)。 すなわち、現象としての意識と本質としての精神との一致する「或る点」とは、第一部の最後において、理性が一般意志を概念とする人倫的実体という真理に到達した点を意味しています。一般意志を概念とするということは、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」を概念とすることを意味しており、これが「精神の概念」(一一五ページ)としての「われとわれわれの統一」なのです。理性が世界の概念を把握し、全世界を自己自身のものとして意識するようになったとき、「理性」は「精神」へと高まるのです。
 こうして精神は全世界を自己自身のものとして意識するようになりますが、とりわけ意識の対象とするのは人間社会であり、「人倫的現実」(二五五ページ)を「精神の概念」として把握するのです。
 「即且対自的に存在する本質(人倫的実体 ── 高村)は、同時に(人倫的 ── 高村)意識として、自分にとり現実的となり、また自分で自己意識を表象するようになったとき、精神である」(同)。すなわち精神としての「人倫的現実」とは、人倫的実体と人倫的意識、共同体と個人、普遍と個の統一であり、この統一を媒介するのが、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という概念なのです。

 真の精神はポリスという人倫的現実

 この概念は、人倫的実体の統治の原理になると同時に、人倫的意識として構成員に共有される規範となることによって、人倫的実体と人倫的意識を統一し、人倫的現実を生みだしています。その意味で理性は、この概念にもとづき「自己自身を自分の世界として、また世界を自己自身として」意識することになります。ヘーゲルはこの「真の精神」(二五八ページ)としての人倫的現実を古代ギリシアのポリスに見いだしています。
 人倫的意識としての精神は、共同体全体を貫く統治の原理として「すべてのひとの行為の根拠、及び出発点」(二五六ページ)であると同時に、人倫的実体のルールないし規範として「すべての人の目的であり目標」(同)となるのです。
 「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という人倫的現実は、「すべての人、各々の人の行為によって、みんなが統一しており、等しいことを表わすものとして、生みだされた一般的な仕事」(同)なのです。しかし、「すべての人、各々の人の行為」によって生みだされたものであるがゆえに、この現実はけっして固定した、不動のものではありえません。
 その意味では、人倫的現実は、「実体としては、動揺せぬ正しい自己相等性」(同)ですが、同時に「各人は、自分自身の仕事を遂行し、一般的な存在をひきさき、そこから自分の分け前を奪る」(同)のです。つまり、構成員の一人ひとりは自分なりに理解した共同体の概念を遂行しようとすることで、「一般的な存在」としての共同体の現実を引き裂くことになります。
 つまりポリスに属する各人がポリスの概念を自分なりに理解して行動することは一面では「実体の運動であり、魂」(同)としてポリスを発展させると同時に、他面では自分なりの概念の理解がポリスを「解体し、個別化する」(同)ことにもなっていくのです。このようにポリスは各人の「活動から生まれた一般的本質」(同)であると同時に、「自己のなかで解体した存在である」(同)という矛盾のうちにおかれており、こうした矛盾をもつことによって「現実的であり、生きている」(同)のです。ポリスにおける個人と共同体とは、その統一の契機うちにあっては「われとわれわれの統一」という「精神の概念」(一一五ページ)を作りあげると同時に、その分裂の契機のうちにポリス解体の危険性を含んでいるのです。 

 精神の展開は現実の世界史として示される

 以上みたように、精神は、意識の発展から生まれた意識の「絶対的な本質」(二五六ページ)として、第一部における意識の諸形態をその現象形態として含んでいます。しかし第一部「意識の経験の学」とは異なり、精神が展開することによって辿る道は、「意識、自己意識及び理性」(同)といった意識の諸形態ではなく、現実の世界史という諸形態なのです。「これらの形態がこれまでの形態と異なるのは、それらが実在する精神であり」(二五七ページ)、「一つの世界(世の中)の形態である」(同)ことにあります。
 こうしていまや精神は「現に直接的な真実態である限り、或る民族の人倫的生命」(同)、つまり古代ギリシアのポリスという人倫的実在としてあらわれています。しかしこの精神は、「美しき人倫的生活を廃棄」(同)して疎外された精神となり、「いくつかの形態を通り」(同)疎外から回復してより高度の人倫的実在となって「自己自身の知」(同)、つまり絶対的精神に行きつくことになります。すなわち「D 精神」は、大きく人倫的世界、自己疎外的精神の世界、疎外から回復した道徳世界という三段階の世界史ととらえられることになり、この三段階歴史観はそのまま史的唯物論に発展的に継承されることになるのです。
 「D 精神」は、「自らの真実態にいる精神」(二五七ページ)であるギリシアのポリスという「生々とした人倫的世界」(同)に始まります。この真の精神がポリスのうちに埋没している無意識的自然から、「自らの本質を(個人的自己として ── 高村)抽象的に知るようになると」(同)、人倫的実体は解体し、精神は、ローマの「法という形式的一般性」(同)のうちに没落し、「自己疎外的精神」となります。
 この自己疎外的精神は、ヘレニズム・ローマ時代から中世を経て近代に至り、「自分の世界の一方を教養の国として、それに対する世界を信仰の世界」(同)へと分裂します。「この二つの世界」(同)が「概念によって、把まれるとき」(同)、「啓蒙」(同)となり、疎外からの回復を求めて世界の変革に向かい、宗教改革から産業革命へ、次いでフランス革命という「混乱に陥れられ」(同)ることになります。フランス革命の挫折により、理想と現実という「此岸と彼岸に分けられ、ひろげられた国」(同)は、現実の疎外された世界から「自己自身を確信する精神」(同)、つまり近代ドイツの「道徳性」(同)という内面の統一された世界に帰って行くことになり、「自らの世界とその根拠を、もはや自らの外に置くことをしない」(同)のです。
 この道徳的世界観は、最後に良心となり、良心の赦しという相互承認をつうじて疎外から回復する絶対的精神に達し、「D 精神」は完結する、というのです。
 「こうして人倫的世界、此岸と彼岸に分裂した世界と道徳的世界とは、みな精神である。が、それらの運動と、精神の単純な自己存在的自己への還帰とが、展開されて行くとき、これらのものの目標及び結果として、絶対精神の現実的自己意識(宗教)が現われること」(同)になり、それが「E 宗教」のうちの啓示宗教としてとらえられることになります。

 

二、「A 真の精神、人倫」

 真の精神は人倫的世界

 ヘーゲルは、「われとわれわれの統一」としての「精神の概念」を古代ギリシアのポリスに求め、ポリスを人倫的現実である「真の精神」として、人類史の出発点に位置づけています。
 「精神は、その単純な真実態においては意識であり、その契機を分解する。行動は、精神を実体と実体の意識に分ける、がまた実体をも意識をも分ける。……このとき、無限の媒介となるのが自己意識(男と女)である」(二五八ページ)。
 ポリスという人倫的実体は、「その単純な真実態」においては、「範疇そのもの」(二四四ページ)として、概念に媒介された客観と主観の統一、つまり人倫的実体と人倫的意識の統一である人倫的世界として存在しています。しかしポリスを構成する人民が行動するとき、人倫的社会は人倫的実体としての行動と人倫的意識としての行動、つまり「精神を実体と実体の意識に分ける」ことになります。第一部の「意識」が感覚から知覚に移行することで、個別と一般に分解されたのと同様に、第二部でも人倫的現実が行動となる場合には「実体と実体の意識」、つまり人倫的実体と人倫的意識とに分かれてきます。
 この行動による分裂は、さらに人倫的実体を国家共同体と家族共同体に、人倫的意識を「人間のおきて」(二五八ページ)と「神々のおきて」(同)とに分けることによって、「実体をも意識をも分ける」ことになります。こうして二重に分解された人倫的現実は、「自己意識」としての男性と女性による「無限の媒介」(同)をつうじて、二重に分解された実体と意識とを一つに結びつけ、人倫的現実という美しい調和をつくり出していきます。
 つまり男性は人間のおきてをつうじて国家共同体と結びつき、女性は神々のおきてをつうじて家族共同体と結びつき、男女の夫婦としての結合により、二つの主体と二つの意識とは「無限の媒介」のうちに調和した人倫的現実をつくります。つまり、男性と女性は「自らの自己と実体との統一を、自らの仕事としてと同時に現実として、つくり出す」(同)のです。
 人間のおきてとは、国家共同体の定める法や政治という統治の原理であり、神々のおきてとは、家族共同体における家族間の道徳的規範を意味しています。男性と女性は、夫婦としての結合をつうじて、二つのおきてを統一し、「自己と実体との統一」、つまり「われとわれわれとの統一」を「自らの仕事として」現実的なものにします。
 しかし、男と女が「行為に出るとき、実体を分裂させる両威力の矛盾」(同)を経験することになり、「その結果、自分自身が没落することに気がつく」(同)ことになります。こうして「人倫は没落してしまって」(同)、いわゆる「c 法状態」(二七八ページ以下)という疎外された精神に移行することになるのです。

 「 人倫的世界、人間のおきてと神々のおきて、男と女」

 見出しの意味するところは、真の精神はポリスという「人倫的世界」にみられ、ポリスは「人間のおきてと神々のおきて」という理念をもち、「男と女」を媒介して人倫的実体と人倫的意識、客観と主観、普遍と個、共同体と個人の一体化した「人倫的世界」をなしているという意味です。精神は、意識の諸形態の本質として「感覚的確信、知覚及び悟性を、自分のうちに含む意識一般」(二五六ページ)であり、人倫的世界で早くもそれが証明されることになります。
 すなわち、ポリスという人倫的世界は「精神の単一な実体は意識となって分裂する。言いかえれば、抽象的感覚的存在の意識が、知覚に移行したようなことが、真実の人倫的存在の直接的確信においても起る」(二五八ページ)。先に意識が感覚的確信から知覚に移行することにより、個別と一般(普遍)の区別が生じることを学びましたが、同様に、「単一な」人倫的世界も「個別の法則と一般の法則」(同)という区別を生みだすことになります。しかしこの二つの法則は、共同体と個人とが一体化した人倫的実体の法則ですから、「二つの側面が相互に対立を表わしているにしても、それはただ表面上のことにすぎない」(二五九ページ)のであって、「実体集団」(同)としての国家共同体と家族共同体とは、「全体としての精神」(同)の統一という悟性のうちにありますから、両者は、相互に浸透し調和して、階級のない社会となっているのです。
 このように、人倫的現実が一般と個別の関係のうちにとらえられたとき、人倫的実体は、国家と家族の関係のうちにおかれ、人倫的意識は、人間のおきてと神々のおきてという関係のうちにおかれることになります。こうして、一般的実体としての国家共同体には一般的意識としての人間のおきてが、個別的実体としての家族には個別的意識としての神々のおきてが対応することになります。

 人間のおきてと神々のおきて

 人間のおきては、国家が人民を統治する原理となるものであり、「この精神の真実態は、公開のところで、明るみの中で妥当することであり、現実に存在する」(同)のです。
 この人間のおきてに対立するのが、神々のおきてです。「この人倫的威力と公開的であることとに対立しているのが、もう一つの威力、神々のおきてである」(同)。神々のおきてとは、「自然的な人倫的共同体」(二六〇ページ)としての「家族」(同)のおきてを意味しています。神々のおきては、家族の内輪のおきてであるとはいっても、それは「全体としての家族に対する、個々の家族成員の関係」(同)におけるおきてですから、「汝の隣人を汝自身の如く愛せよ」(二四七ページ)というような「感覚の関係」(二六〇ページ)でもないし、「愛の関係」(同)でもなく、ましてや「権力や冨を得てそれを維持する」(同)関係でもありません。
 結局家族のおきてとは、「個々人を家族の外に引き出して、その自然態や個別態をおさえつけ、一般者のなかに引き入れ、一般者のために生きさせる」(同)家族として守るべき道徳ということになります。
 先にもみたように、二つのおきては対立しながらも、「いずれにも実体全体を含み、また実体の内容の全契機を含んでいる」(二五九~二六〇ページ)のであり、したがって「両者相互の関連や移行」(二六三ページ)が問題となってきます。
 まず人間のおきてからみた神々のおきてとの関係をみておきましょう。人間のおきては、先にみたように「人倫的実体全体が単一となった」(同)国家共同体という普遍的存在の「統治」(同)の原理ですから、神々のおきての「上位」(同)に位置するものです。しかし、国家は市民が存在してこその国家であり、したがって、家族は国家が存在しうる「実在性の場」(同)となっています。国家は一方では「個人の自立や財産を、個人的物的な権利」(同)として認めながらも、他方で「自分達の生命が、ただ全体のなかにのみある」(同)という意識をもたせるために、「政府は、戦争によって、時々それらを内奥からゆり動か」(二六三~二六四ページ)し、「個人に例の労働(戦争)を課して、その主人公たる死を感じとらせねばならない」(二六四ページ)という威力を示すのです。
 こうして「精神は、個人の存立の形式を解体して、個人が、人倫的定在から出て、自然的定在に沈んでしまうのを防」(同)ぎ、「国家共同体本来の威力」(同)を示します。というのも、国家「共同体が自己を維持する力」(同)は結局のところ世論の支持にあり、「この共同体は、自らの威力の真実態とその保証を、神々のおきてという実在において」(同)もっていることを知っているからこそ、対外的戦争を使って対内的世論を統一し、「自己を維持する力」を保とうとするのです。
 次に神々のおきての方から人間のおきてとの関係をみてみましょう。
 家族という場合、「夫と妻、両親と子供、兄妹」(同)という三つの家族関係が考えられますが、ヘーゲルは「混じり気のない(人倫的 ── 高村)関係」(同)は兄弟と姉妹の間にあるといっています。というのも「両者は、互いに情欲をもち合うこともないし、一方が他方にその自立存在を与えたのでもないし、一方が他方からそれを受け取ったのでもなく、互いに自由な個人」(同)として、相互に道徳的規範を認めあう関係にあるからです。
 しかし、男と女とでは、社会的役割分担が異なるところから、「兄弟は自分の生活圏であった神々のおきての外に出て、人間のおきてに移って行く。だが姉妹は家を司るもの、神々のおきてを護るもの」(二六六ページ)となります。といっても、「両性とその人倫的内容との区別は、なお実体の統一のうちに在るまま」(同)であり、「家族は、この共同体のうちで、自らの一般的実体をえて存立するが、これとは逆に、この共同体は、家族においてその現実性の形式的な場をえ」(同)るのであって、「両方の何れもが単独では完全でない」(同)のです。したがって「一般的な人倫的本質」(同)は、「民族と家族をその一般的な現実としているが、男と女をば、自らの自然的自己としており、活動する個人性としている」(同)のです。
 「こうして人倫の国は、汚れなき世界、いかなる分裂によっても不純とはならない世界として、存続している」(二六八ページ)。そこでは、人倫的実体における人間のおきてと神々のおきてという「各々の威力は、他方の威力を維持し生み出して行く」(同)ことにより「直接互いに浸透し合うこと」(同)で悟性的な美しい調和をなしています。男性は人間のおきてと、女性は神々のおきてと結びついていますが、「男と女の結びつきは、全体が働く媒介であり場」(同)であって、二つのおきてを「直接的に結びつけ」(同)ているのです。
 
 「b 人倫的行動、人間の知と神々の知、罪責と運命」

 見出しの意味は、人間のおきてと神々のおきてとをつなぐ男と女が「人倫的行動」をとるようになると、二つのおきての対立が顕在化し、二つの義務の対立、衝突のなかで、一方のおきてにしたがったものは他方のおきてに違反する「罪責」が生じ、人倫的実体は亡びる「運命」となるというものです。
 この人倫の国においては、男性は国家共同体と、女性は家族共同体と一体となっており、自己意識はまだ「個別的な個人性」(同)としては現れていません。しかし「行為となれば、それは現実的な自己」(同)となり、「人倫的世界の安定した組織と運動をかきみだ」(同)し、男と女という「二つの存在者」(同)は「対立したものに移行する」(同)ことになります。
 男と女は、行為をつうじて「純粋に個別的な自己意識」(二六九ページ)となり、二つのおきてと、「二つの自己意識を、無底の単純態に投げこ」(同)み、いわゆる対立状態におとしいれるのです。「このため二つの威力は互いに排斥し合い、互いに対立し合う」(同)ことになり、「義務相互の衝突」(同)が生じてきます。
 行動する自己意識は、「一方の側にだけ正義を、だが他方の側には不正をみる」(二七〇ページ)ことになり、「一方のおきてには向うが、他方のおきては拒絶し、これを、自分の行為の結果、侵す」(二七一ページ)という「一面的なことをやって、罪責を負う」(同)ことになります。つまり男と女という二つの自己意識は、相互に相手のおきてを拒絶することで、お互いに罪責を負い、傷つけ合うことになるのです。
 しかし「行為をして罪責を負うのが、この個人ではないということだけは、すぐわかること」(二七一~二七二ページ)です。というのも、行為する場合の男と女は、国家共同体あるいは家族共同体の一員という「一般的自己としてのみ存在」(二七二ページ)している「類としての実体」(同)であって、「個別的個人性までは下って行かない」(同)各共同体に埋没した存在でしかないため、個人の罪責は直ちに共同体の罪責となるからです。
 こうして「人倫的な二つの威力相互の、またこの威力を命として行動に移す個人相互の、動きは、両方(個人と共同体 ── 高村)が同じように没落を経験するときに至って初めて、真の終局に達」(二七三ページ)し、人倫的実体は亡びてしまい、「法状態」(二七八ページ)という「別の形態が現われてくる」(二七七ページ)のです。
 「人倫的精神の美しい調和や安定した均衡」(同)は、個人が国家や家族という共同体のうちにあって、無自覚のまま共同体のうちに埋没していたという「自然性のゆえに」(同)、人間のおきてと神々のおきてとの矛盾が自覚されず、顕在化されていなかったことにより保たれていました。しかし、個々人が行動するとき、個々人は自我に目覚めて「個別者であるような個々の個人」(同)に発展していかざるをえないのであって、「この破滅を宿していたのは、ほかならぬこの安定と美そのものにおいてのこと」(同)なのです。
 その意味では、「この人倫的民族は、自然によって規定され、そのため制限された個別性であり、したがって別の個別性(としてのローマ帝国 ── 高村)に廃棄されて」(同)疎外的精神となるのです。
 この人倫的世界の叙述全体は、ギリシアの悲劇作家・ソフォクレスの『アンティゴネ』を下敷きにして展開されたものです。

 

 

* コラム * 史的唯物論と古代ギリシアの民主政治

 ポリスの民主政治

 ヘーゲルは古代ギリシアのポリスを、人類史の最初の社会として位置づけると同時に、「われとわれわれの統一」した人倫の国としてとらえています。ポリスとは、人口数万ないし十数万人を擁する城壁に囲まれた都市国家であり、古代ギリシアには、アテネやスパルタなどをはじめとする百を超える都市国家が存在していました。城壁の周辺には市民の所有地、共有地がありましたが、それは限られたものでした。ポリスは、自由と自治を理念とし、市民は氏族共同体の一員であると同時に国家共同体の一員として、政務や軍務にたずさわりました。しかし同時にポリスは社会構成体としては奴隷制社会であり、市民は在留外人や奴隷とは厳格に身分を区別され、自由と自治は市民に限定されたものでしかなかったのです。
 しかしこういう制約をもちながらも、十八歳以上の市民男子は、国政の最高議決機関である民会(エクレシア)に参加する資格を有し、その権限は行政、立法、外交など国政のあらゆる部門に及び、裁判を行う場合すらありました。市民は誰でも民会で発言権をもち、評議会の準備した議案を審議し、決定するという民主的国家でした。
 ポリスはポリス相互の対立抗争をつうじて紀元前四世紀には凋落しはじめますが、その政治的影響は後代にも残り、政治や政治学を意味するポリティックスは、ポリスに由来するものとなっています。ヘーゲルのポリスにみられる歴史観には、史的唯物論の見地からみるとき、以下のような意義と限界がみられます。
 まず第一に、ヘーゲルがポリスに自覚的な民主主義の原点を見いだしたことは、正しい歴史観ということができます。民主主義を意味するデモクラシーの語源は、デモス(人民)とクラシア(権力)とを結びつけたギリシア語のデモクラシア、つまり「多数者の支配」からきたものです。しかし、古代ギリシアの国家は、最初からヘーゲルが主張するような民主政治だったわけではありません。それまでの王制、貴族政治、僣主(独裁)政治を経て、ようやく紀元前五世紀頃に民主政治の基礎が確立し、この民主政治のもとで古代ギリシアの文化、芸術、哲学などが開花することになったのです。
 それはともかくとしてポリスの民主主義は、人民が直接統治行為に参加する直接民主主義であり、この直接民主主義を民主主義の原点とするという意味でも重要な意義をもっています。直接民主主義は、後述する原始共同体にもみられる統治形態ですが、原始共同体の直接民主主義が、自然的・無自覚的なものであったのに対し、ポリスの直接民主主義は君主制や貴族制に対立する意識的・自覚的なものだったところに、民主主義の原点とされる理由があります。
 これに対し、近代の民主主義は、代議制のもとでの民主主義という間接民主主義が一般的形態となっています。人民主権論の創始者として名高いジャン・ジャック・ルソーは「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイとなり、無に帰してしまう」(『社会契約論』一三三ページ、岩波文庫)と間接民主主義を批判し、直接民主主義でなければ人民の声にもとづく民主政治は実現しえないと訴えました。小選挙区制などによる間接民主主義の機能マヒが声高に叫ばれる今日こそ、民主主義の原点を直接民主主義のポリスの民主政治に求めたヘーゲルの慧眼は高く評価されるべきでしょう。
 第二に、ヘーゲルがその疎外論をつうじて、人類史を民主主義の花開く社会、民主主義から疎外された社会、疎外からの民主主義の回復の社会への弁証法的発展としてとらえようとしたことは、史的唯物論にも大きな影響を与えました。エンゲルスは、ヘーゲルの「画期的な歴史観は、新しい唯物論的見解の直接の理論的前提であった」(全集⑬四七六ページ)と評価しています。というのも、史的唯物論の根底には、階級対立の存在しない原始共同体から、疎外された階級社会を経て、疎外から回復した搾取も階級もない社会主義・共産主義社会への弁証法的発展という大きな構図のもとに、人間の本質の顕現する社会から、人間の本質の疎外された階級社会を経て、疎外からの人間解放の社会という人間論の弁証法が展開されていて、ヘーゲルの歴史的弁証法の見地が、二重の意味で貫かれているからです。

 ヘーゲルのポリス観と史的唯物論

 第三に、そういうすぐれたヘーゲルの歴史観も、史的唯物論からみるといくつかの制約をもっています。
 一つには、『現象学』においては、ポリスの本質が奴隷制社会であることが明らかにされていないことがあります。しかしそのことは、ギリシアのポリスが奴隷制社会であることを否定したものではなく、当時のヘーゲルにとってまだその認識が十分でなかったことを意味するものにすぎません。というのも、ヘーゲルは晩年の『歴史哲学』において、世界史を自由の意識の進歩の歴史としてとらえ、世界史を東洋の世界、ギリシア・ローマの世界、ゲルマンの世界の三つに区分しています。東洋では、専制者ただ一人の自由であり、ギリシア・ローマでは少数の者の自由であり、「ゲルマン諸国民に至ってはじめて、クリスト教のお陰で、人間が人間として(すべての人が)自由であり、精神の自由が人間の最も固有の本性をなすものであるという意識に達した」(『歴史哲学』㊤四三ページ)としています。
 ギリシア・ローマが少数の者の自由であるというのは、「ギリシア人(もちろんローマ人も ── 高村)は奴隷をもち、その生活とその美わしい自由の維持とがこれに負う」(同)ていたからです。その意味では、彼らの「自由そのものこそ同時に人間性、人道を無視するところの奴隷制にほかならなかった」(同)のであり、「したがってまだ身分の相違に支配されるところの、人倫の立場に立っている」(同㊦四五ページ)というのです。
 少なくとも『歴史哲学』においては、ポリスは奴隷制社会として制限付き人倫の国としてとらえられています。ヘーゲルの『歴史哲学講義』は、一八二二年にはじまって、五回おこなわれ、ヘーゲルの死後の一八三七年に出版されました。五回の講義を経た後の一八三一年に『現象学』の改訂準備に入ったところで、ヘーゲルはコレラで死亡します。ヘーゲルが改訂したかった『現象学』のうちに、ポリスが制限付きの人倫の国という箇所が含まれていたのは間違いないと思われます。それはともかく、ヘーゲルが真にあるべき社会としての「人倫の国」を、われとわれわれの統一という階級のない社会としてとらえていた意義は失われることはないでしょう。
 二つにはヘーゲルのポリス観の最大の問題は、ポリスを人類史の最初の段階として位置づけていることです。ヘーゲルが奴隷制という制限付きではあっても、ポリスを人倫の国としてとらえることは全く誤りということはできませんが、ヘーゲルがポリスを人類史の最初に位置づけていることは、現代の到達点からすると批判せざるをえません。約七百万年という人類の長い歴史のなかにあって、九九%以上が、搾取も階級もない、個人と共同体とが一体化した原始共同体という「人倫の国」であったことは今日ではよく知られているところです。
 それは史的唯物論において、原始共同体と呼ばれる社会構成体です。史的唯物論では、社会発展の究極的な原動力を生産力と生産関係の矛盾に求め、この基本矛盾の観点から、人類の歴史を、原始共同体、奴隷制社会、封建制社会、資本主義社会、社会主義・共産主義社会という、五つの社会構成体として発展してきたことを明らかにし、現在ではこの五つの社会構成体の歴史として人類史をとらえることは、確定した科学的な知見とされています。
 七百万年前に人類が誕生してから、約七、八千年前までの長い歴史は、人類の最も古い社会構成体である原始共同体としてとらえられています。そこでは狩猟・採集という低い生産力に対応して、みんなで生産し、みんなで分配するという、すべての構成員が自由にして平等な生産関係の社会でした。
 それは搾取も階級もない、すべての構成員が共同体の統治に参加するという、無自覚的ではあってもポリス以上の民主的な共同体であり、個と普遍、個人と共同体の一体化した社会でした。こういう原始共同体の社会は、西洋文明によって新大陸アメリカが発見されるまで、ネイティヴ・アメリカンの生活として一九世紀まで存続していたのであり、その全貌を解明したのが、ルイス・モーガンの『古代社会』でした。
 エンゲルスは、モーガンの『古代社会』を素材とする『家族、私有財産および国家の起原』において、ネイティヴ・アメリカンの原始共同体の世界が、共同体と個人が一体化した普遍と個の統一した社会であったことを明らかにしました。
 共同体の業務は、男女を問わず氏族全員から成る会議で決せられ、「兵士も憲兵も警察官もなく、貴族も国王も総督も知事も裁判官もなく、監獄もなく、訴訟もなく、それでいて万事がきちんとはこぶ」(全集㉑九九ページ)という驚くべき社会でした。「自由、平等、友愛は、定式化されたことは一度もなかったが、氏族の根本原理であった」(同九二ページ)のです。原始共同体は、生産力が低く、私有財産の生じる余地がなかったところから、全員で生産し、全員で分配する階級も国家もない、自由で平等な社会だったのです。
 ところが、狩猟・採集の移動する時代から、農耕・牧畜の定住する時代に入って、生産力が飛躍的に発展して私有財産が生まれてくると、「労働力はある価値をもつ」(全集⑳一八六ページ)ようになり、それまで殺されていた戦争の捕虜は、奴隷としてその労働力が生かされるようになり、奴隷主と奴隷という二大階級の支配する奴隷制社会となります。
 ギリシアのポリスは、奴隷制社会という階級も国家も存在する社会ですから、けっしてヘーゲルのいう人類史の最初に位置づけられるべき社会ではありません。ポリスが奴隷制社会でありながら、奴隷を除く市民の間だけの範囲で民主政治を実現できたのは、ポリスの規模が小さかったことと同時に、それまでの君主政治や貴族政治への批判という特殊な事情があったといえます。いずれにしても、ヘーゲルが人類社会の最初にポリスを位置づけたことは、ヘーゲルの認識の個人的・歴史的制約を示すものということができるでしょう。
 それはともかく、階級分化が鮮明になってくると、共同体の共同事務を処理する仕事は、それまでみんなの持ち回りでおこなわれていたものを、新しく台頭した搾取階級が独占することにより、ここに共同事務を処理する独自の機関が誕生し、この独自の機関をもつことで、国家が誕生することになります。誕生した国家は、階級対立を抑圧するために「一つの公的強力」(全集㉑一六九ページ)をもつようになり、共同の利益を守ることを仮象としながら、搾取階級の階級支配の機関としての本質を強化していきます。
 「古代国家は、なによりもまず奴隷を抑圧するための奴隷所有者の国家であった。同じように、封建国家は農奴的農民と隷農を抑圧するための貴族の機関であったし、近代の代議制国家は、資本が賃労働を搾取するための道具である」(同一七一ページ)。
 ヘーゲルは、晩年の著作『法の哲学』とは異なり、『現象学』の段階ではまだ国家と社会を明確に区別することなく、したがって当然にも国家の階級的本質をとらえることはできませんでしたが、次講で学ぶように、階級社会を「自己疎外的精神」としてとらえたのは、さすがというべきであり、史的唯物論もヘーゲルの疎外論をその歴史観の根幹に据えることになったのです。