● 聴 講(①57:48、②50:56、③17:58)

 

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  〈史的唯物論と封建制社会、
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第9講 「D 精神」②
 ─「A 真の精神、人倫」②
 ─「B 自己疎外的精神、教養」①

 

「A 真の精神、人倫」の続き。
人倫的実体は、自己矛盾により解体し、ローマの「法状態」に至る。
法状態とは、自己疎外的精神を意味する。
すなわち、近代民法の基礎を築づいたローマ法の下で、
個人は所有権の平等な主体とされたものの、
実際には何ら所有することのない名前だけの権利であり、社会から疎外され、
社会的存在という人間の本質を奪われた多数のアトムにされてしまった。

「B 自己疎外精神、教養」では、人間疎外の生じた階級社会一般が論じられる。
疎外された個人は、教養を積んで「純粋透見」(理性の力)を身に着け、
疎外された社会――それは現実の国(絶対主義国家)と
信仰の国(カトリック教会)とに分裂している――を
人倫的実体に回復しようとする。

疎外された個人は、まず「現実の国」に立ち向かう。
そこでは、「国家権力と財冨」が対立し、
国家権力は「善」、財冨は「悪」とされる。
こういう対立構造を是認するのが「高貴な意識」であり、
否定するのが「下劣な意識」である。
しかし教養を積んだ個人は、「国家権力と財冨」、「善と悪」、
「高貴な意識と下劣な意識」などの対立する契機のいずれもが真理ではなく、
真理はこの対立を揚棄した統一のうちにあることを知る。
つまり、教養の世界とは、弁証法を身に着ける世界であるとして、
ヘーゲルは弁証法の「無類の傑作」、ディドロの『ラモーの甥』を紹介。

 

コラムは「史的唯物論と封建制社会、絶対主義(絶対君主制)」。
古代社会が地中海社会だったのに対し、
中世社会はゲルマン民族により建設されたヨーロッパの封建制社会。
封建制とは、封建領主と臣下との間で封土付与と従軍義務との
双務契約を中心とする身分制的主従制度。
ゲルマン諸国家は、ローマ・カトリック教会と手を結び、
強大かつ広大な封建制国家を樹立したところから、
「キリスト教的=ゲルマン国家」とよばれる。
その経済的基盤は、中世ヨーロッパを支配していた
「三圃農法」による「マルク共同体」の形式は残しながらも、
丸ごとゲルマン諸国家の支配下に置いて、
これまでの自由農民を農奴に変えたもの。
絶対主義とは、封建制から資本主義への過渡期の権力。