『ヘーゲル「精神現象学」に学ぶ』より

 

 

第一一講 「D 精神」 ④

 啓蒙の真理は「現実の国」の変革にある

 前回の最後で、結局「啓蒙の光をあてられた」(三三〇ページ)のは「精神によって捨てられた有限性」(同)としての「有用性の概念」(三二五ページ)のみであり、信仰がその対象としていた無限性という「真理は空しい彼岸」(三三〇ページ)にとどまったことを学びました。この啓蒙自身のもっている「満足していない憧憬の汚点」(同)は、克服されなければなりませんが、実は、「有用性」のうちにすでに即自的には「汚点は廃棄されている」(三三一ページ)ことが、以下の「啓蒙の真理」(同)で明らかにされることになります。
 有限な有用性という啓蒙の「肯定的結果」のうちには、実は無限性という彼岸の要素が含まれていたのであり、その無限性が自己と物との無限判断にほかならないのです。第一部の「意識の経験の学」のなかの「観察的理性」において、理論的理性の頂点が「物は自己であり、自己は物である」ことを無限にくり返す無限判断であり、それは主観と客観の同一、理想と現実の統一を示す絶対的精神、絶対的真理としてとらえられました。第二部の「精神の現象学」においては、この第一部の無限判断が、産業革命から生まれた商品生産としての「有用性」として示されることになります。
 「有用性」としての商品生産は、社会の変革そのものではなく、「物」の変革という制約をもっていますが、「物は自己であり、自己は物である」ことを無限に反覆することをつうじて、物の概念としての「真にあるべき姿」に無限に接近することになり、有限性のうちに無限を生みだすことになります。この意味で、自我と物との統一であると同時に物における有限と無限の統一としての「有用性」は、理性の力による「現実の国」の変革として「啓蒙の真理」となる、というのです。以下において、その論理の展開をテキストにそってみていくことにしましょう。
 前講で学んだ「啓蒙と迷信の戦」の結果、「くすんだ、精神の織りなす」(同)信仰は「退いて行っている」(同)のに対し、啓蒙の意識は「かえって明晰になって」(同)います。というのも即自的には「概念である純粋透見」(同)は、自己を客観化し「実現することによって」(同)、概念としての「純粋な物」(同)を生成し、主観と客観の同一を実現しようとしているからです。
 すなわち即自的な概念としての純粋透見は、概念としての「純粋な物」をつくり出し、「純粋な物としての純粋な思惟」(同)になろうとしているのです。しかし純粋透見は「まだ疎外の段階にあるために」(同)、純粋な思惟と純粋な物とは「等しいものであることを認識」するには至っていません。
 そのため「絶対実在」(同)するものは、主観であるか客観であるかに関して、啓蒙は唯物論と観念論という「二つの党派に別れる」(同)ことになります。一方は「純粋思惟」(三三二ページ)、つまり精神を「出発点」(同)とし、他方は「絶対実在」(同)、つまり「物質」(同)を出発点とします。しかしヘーゲルにいわせると、両者は「同一の概念」(同)ですから、「区別があるとすれば」(同)、ただ「出発点のちがい」(同)にすぎないことになります。結局唯物論も観念論も「自体存在と思惟が同一である」(三三三ページ)という「デカルト形而上学の概念に到達していない」(同)ところから生じる「二つの党派」にすぎない、とされます。
 「デカルト形而上学の概念」とは、デカルトが、神という無限実体から演繹して思考と存在という二つの有限実体を産出し、思考と存在の二元論のうえに神という概念を媒介にした、両者の同一性を主張したことを意味しています。ヘーゲルが唯物論と観念論の対立をたんなる出発点のちがいにすぎないとしていることは、問題だといわざるをえません。しかしヘーゲルのいいたいことは、概念に媒介されることによって主観と客観の同一が実現されるのであり、それが「啓蒙の真理」としての「有用性」だというのです。つまり有用性において「思惟は物態であり、物態は思惟である」(同)が実現されることになるので、その限りでは、唯物論と観念論の対立は、物から出発するか、それとも思惟から出発するかの違いにすぎない、というものとして理解することができます。

 産業革命は「物」の変革として「啓蒙の真理」

 重要なことは、物から自己へ、自己から物へという商品生産の無限判断では、まだ物の概念がとらえられないままの無限判断ではありますが、その無限判断から生まれる商品の「有用性」(三三四ページ)をつうじて、次第に物の概念が浮かびあがり、概念に接近していくのです。しかし「啓蒙の真理」では、「観察する理性」とは異なり、直接的には自己と物との「無限判断」という用語は使われていません。物から自己へ、自己から物へという無限判断が「有用性」としての商品生産であるという、より明確な表現は、「絶対知」において示されています。
 「物は自我である、この無限判断においては……物はそれ自体では何物でもない。物は関係において、つまり自我によって、自我との関係によってのみ意味をもつだけである。この契機は意識にとっては、純粋透見及び啓蒙において生じたものである。つまり物はただに有用であり、有用性の点から考察さるべきである」(四四二~四四三ページ)。
 自己と物との無限判断をつうじて、物は「自我との関係によってのみ意味」をもち、自我にとって「有用」である、つまり使用価値をもつことによってのみ市場において流通しうる商品となるのです。「教養を与えられた自己意識は、自らを外化することによって、物を自己自身として生み出し、そのため、物のうちになお自分自身を維持しており」(四四三ページ)、「物が本質的には対他存在」(同)、つまり物は自己との関係において有用であることによって、他の物(商品)と交換しうるという本質的な「対他存在」であることを「知っている」(同)のです。
 一八世紀後半からイギリスで始まった産業革命は、マニュファクチュアから機械制大工業への移行をもたらし、啓蒙の意識にもとづく生産力の飛躍的発展と、大量の「有用」な商品生産による市場経済の拡がりをもたらしました。ヘーゲルは変革の立場にたつ理性的な啓蒙の本来の土俵は、「信仰の国」ではなく「現実の国」にあると考えていたところから、「現実の国」の「物」の変革である産業革命と商品生産をもって「啓蒙の真理」ととらえたのです。
 自己と物との無限判断をつうじて、啓蒙の意識は、物は自己にとって有用であるがゆえに、他者にとっても有用であるという対他存在であり、したがって市場において商品として流通しうることを知ることになります。こうして物を、自己にとって有用であると同時に他者にとっても有用であるという観点から考察すると、そこには、「自体存在と対他存在と自独存在」(三三四ページ)という三つの契機が無限に「交替し合うだけで、自己自身には帰らない動き」(同)という現実を見いだすことができるのです。
 すなわちこの無限判断は、「自独存在」としての自己が、それ自体で存在する「自体存在」としての物を加工し、自己と他者とにとって有用な「対他存在」に変えていく無限の運動なのですが、まだ物の「概念」は認識していないので、「自己自身には帰らない動き」にすぎないのです。つまり有用性とは、自己と物という「両契機が休むことなく交替」(同)することをつうじて、「純粋透見が自分を完全に実現し、自分自身の対象とするもの」(同)なのです。その意味では、有用なものは「純粋透見が自分を完全に実現」する産業革命の産物ではあっても、いまだ物の概念を実現するものにはなっていません。したがって「純粋透見は、対象の(デカルト的 ── 高村)形而上学」(三三五ページ)、つまり概念を媒介とする自己と物との同一を意識してはいるものの、「存在と概念自身の統一には、まだ行き着いていない」(同)のです。知の目標は、「知が自己自身を見つけ、概念が対象に、対象が概念に一致するところ」(六一ページ)にあり、それが絶対知なのですが、有用性はまだそこには到達することなく、無限に概念に接近していくにとどまっています。
 ヘーゲルは、有用性において純粋透見は「自ら満足した現実の意識」(三三五ページ)となり、「観念的並びに実在的なこれまでの全世界の真理となっている」(同)としています。つまり資本主義は産業革命をつうじて有用なものとしての商品を大量生産することによって、「人と物との関係」の真理をとらえ、物の概念にせまることをもって、「現実の原理」(同)としました。有用性はこれまでの純粋透見には欠けていた「現実の原理」をもつことによって、「啓蒙の真理」となった、というのです。
 したがって自己意識は、商品生産という無限判断によって「対象の真の本質」(三三六ページ)、つまり概念を「見透す」(同)のであって、商品生産の関係のうちに「真理と現在並びに現実とが統一されている」(同)のです。その意味で理想と現実の統一という「二つの世界は和解しており、天上は地上に移植されている」(同)ことになります。
 確かにヘーゲルのいう「理性は、全実在であるという意識の確信」という立場からすると、「現実の国」における変革の対象は「物」であっても「社会」であっても「現実」に変わりはない、ということになるかもしれません。また「観察する理性」の最後において「物は自己であり、自己は物である」という無限判断が絶対的精神としてとらえられていることからすると、「有用性」をもって「啓蒙の真理」とすることは、当然の論理の帰結ということにもなるでしょう。
 しかし「D 精神」の「B 自己疎外的精神」の主題となっているのは、「人倫の国」の回復という階級社会における現実的疎外からの回復を求める変革の意識であり、その意味では産業革命による生産力という「物」の変革は、生産関係という「社会」の変革による人間疎外からの回復ではないといわなければなりません。したがって、正面から社会の変革による疎外からの回復を求めた次に論じるフランス革命こそ、「啓蒙の真理」の名に価するというべきものでしょう。それを「物」の変革をもって「啓蒙の真理」とすることは論理のすりかえに等しいとの批判をまぬかれないでしょう。

「c 絶対自由と恐怖」

 「絶対自由と恐怖」(同)とは、一般意志にもとづく人民主権の実現を求めてたたかわれたフランス革命と、その一環としてのジャコバン独裁のもとでの恐怖政治を意味しており、第一部の主観的精神で学んだ「徳と世の中」(二二二ページ)に対応するものということができます。
 意識は、「有用性において自らの概念」(三三六ページ)が理想と現実の統一にあることをみつけますが、「この目的を直接的にはまだ手に入れていない」(同)のであり、したがって意識は有用性という物の「内的な変革から、現実を現実的に変革すること、意識の新しい形態、絶対自由が現われ出てくる」(同)ことになります。
 いわば、有用性が人と物との関係における理想と現実の統一をめざすのに対し、「意識の新しい形態」としての絶対自由は、人と人との関係、つまり現実の社会における理想と現実の統一をめざすのです。その新しい意識が「絶対自由」とよばれるのは、「物が本質的には対他存在」(四四三ページ)であったのに対し、新しい意識は「自己自身を二重」(三三七ページ)化して、自己のうちに概念をもち、他者を必要としない「自己に帰って行く統一」(同)としての意識だからです。
 つまり絶対自由とは、いかなる他者をももつことなく、自己の意志を概念としてそのまま世界全体の意志とする絶対的主体を主張する自己意識なのです。「かくて精神は、絶対的自由として現存することになる」(同)のであり、絶対自由の精神は、「自己自身の確信が、実在的並びに超感覚的世界の、全精神的集団の本質であり、……この意識にとり、世界は直ちに自らの意志であり、この意志は一般的意志(ルソー)である」(同)。
 ルソーのいう一般意志とは、人民の真にあるべき意志、つまり意志の概念を意味しており、ルソーはこの一般意志の行使をもって「主権」ととらえ、一般意志を統治の原理とする政治を人民主権と呼びました。絶対的自由の精神は、自己のうちに一般意志という意志の概念をかかげることによって、物のうちに理想と現実の統一を求めるのではなく、社会のうちに理想と現実の統一をめざすことになります。
 ルソーのいう人民主権論とは、「われわれの各々は、身体とすべての力を共同のものとして一般意志の最高の指導の下に」(『社会契約論』三一ページ、岩波文庫)おき、「何びとにせよ一般意志への服従」(同三五ページ)を求められるのです。
 「主権とは一般意志の行使にほかならぬのだから、これを譲りわたすことは決してできない」(同四二ページ)のであり、また「同じ理由によって、主権は分割できない」(同四四ページ)のです。すなわち主権は、行政権、立法権、司法権のすべてを貫徹して支配するのであって、「もろもろの権利は、すべて主権に従属し」(同四五ページ)、「主権から出てくるにすぎない」(同)として、三権分立は否定されることになります。
 ヘーゲルは、この点をとらえて「絶対的自由のこの未分の実体は、世界の王座にのぼるが、いかなる威力も、それに対抗することはできない」(三三七ページ)としています。というのも一般意志において「対象が概念になるのだから、対象には、存立するようなものは、何もない」(同)ことになり、「否定性が対象の全契機に浸透」(同)することになるからです。つまりヘーゲルは一般意志の本質を「意志の概念」ととらえることにより、一般意志の行使による人民主権に反するものは全て否定されるところに注目するのです。
 したがって、一般意志を統治原理にすることにより、「いろいろな区別をもった精神的集団も、個々人の制限された生活も」(三三八ページ)、一般意志への服従を求められ、「共に廃棄」(同)されることになります。「こうしていかなる積極的な仕事も行果も、一般的自由をもたらすことはできない。この自由に残されたことは、否定的な行為にすぎない。つまり絶対的自由は消え行く狂暴にほかならない」(三三九ページ)。
 その結果一般意志にもとづく絶対的自由は、「単純で不屈で冷酷な一般と、……利己的点のような態度をとる現実の自己意識と、に分れ」(同)ます。この両極の関係は、「全く媒介できないただの否定」(三四〇ページ)であり、「一般的自由の唯一の仕事及び行果は、死である」(同)ことになります。
 こうしていまや「絶対に自由な自己意識は、自分の実在する姿が、実在自身の概念とは、全く別のものであることに気」(同)づきます。すなわち「一般的な意志は、個人格に対して肯定的なもの」(同)であるはずなのに、「否定的本質に転換し」(三四一ページ)、「死の恐怖」(三四〇ページ)をもたらすことになります。こうしてルソーの一般意志は、外界に向けられるべきものではなくて、自己自身に帰り、「自己自身としての真にあるべき意志」という「純粋知であり純粋意欲」(三四二ページ)になるべきであって、それがつまり道徳的意識だというのです。
 道徳的意識とは、自己のうちに、自己がいかに生き、かつ行動すべきかという一般的意志を定立し、それに向けて自己の自然的な個別的意志を接近させていく意識です。「こうして絶対的自由は、一般的意志と個別的意志の対立」(三四三ページ)を自己のうちに定立し、かつその対立を解消することによって「自分自身と和解させる」(同)道徳的意識となります。
 「絶対的自由は、自己自身を破壊する現実から出て、それとは別の自己意識的精神の国(ドイツ)に移る」(同)。この新しい精神の国で、絶対的自由は「道徳的精神」(同)という新しい形態をとることになります。つまり現実の社会の変革によって疎外からの回復を求めた「自己疎外的精神」は、フランス革命の挫折という現実を前にして現実の変革から自己の内面的な変革としての「道徳的精神」へと方向転換をすることになります。ここに当時のフランス革命をめぐる情勢が、ヘーゲル哲学に直接的に反映しているのをみてとることができます。

 

四、「C 自己確信的精神、道徳性」

 カントの道徳論

 道徳とは、社会において人間としていかに生き、かつ行動すべきかの真理を探究する理論ということができるでしょう。ヘーゲルの道徳論は、カントの道徳論である『実践理性批判』(一七八八年)を前提とし、その批判のうえに展開されることをその特徴としています。
 カントは『実践理性批判』の三年後に『判断力批判』を出版しました。『実践理性批判』では生き方の理想としての道徳論が論じられたのに対し、『判断力批判』では芸術と生命体という限られた分野ではあっても、現実世界における理想と現実の統一が論じられています(拙著『ヘーゲル「小論理学」を読む』第二版②三三〇ページ以下参照)。ヘーゲルは「判断力批判のすぐれた点は、そのうちでカントが理念の表象、否、理念の思想をさえ、はっきりと述べている」(『小論理学』㊤二〇一ページ)にとどまらず、「理想〔理念と実在との統一〕の現実性を示している」(同二〇二ページ)ところにあるとしています。『判断力批判』では、不十分ながら、ヘーゲルが知の目標とする理想と現実の統一を論じている、というのです。それにもかかわらず『現象学』ではもっぱら『実践理性批判』のみしか取り上げていないところに、当時のヘーゲルの挫折感がいかに大きなものであったかを示すものとなっています。
 カントの道徳論は、それまでの感性的な幸福主義という恣意的な道徳論に対し、理性的な道徳論を示す画期的なものでした。幸福主義(功利主義)とは、人間の最高の目的は幸福(快)にあり、快をもたらす行為は効用あるもの(有用性)であって、それが道徳的であるとするものであり、ベンサムの「最大多数の最大幸福」に代表されるものでした。つまり先に学んだ「有用性」論というのが、道徳論としては幸福主義となるのです。
 これに対し、カントの道徳論は、自然的自己意識としての感性に対し、道徳的意識としての理性を対立させ、自然的意識は必然性に支配されているのに対し、理性的意識は自由な意志をもつ、というところから出発します。そして、自由な意志をもつ人間が、心のうちに「どう行動すべきか」という理性の命じる道徳的義務を感じるところに「純粋理性の事実」としての道徳法則があり、この道徳法則にただ「尊敬の念」をもって従うところに、理性的自由がある、とします。この道徳的義務に反する行為にでるとき、私たちは心のうちにしさ、後悔、呵責の念が生じるところに、道徳的義務の存在を確信することができるのであり、また「道徳法則への尊敬の念」がみられるのです。
 この道徳的義務の履行を命じる命令とは、見返りを期待するような条件的なものではなく、無条件的なものでなければならず、「義務は義務のためになされなければならない」とされます。この義務による命令は、仮言的命令や選言的命令のような考えられるいくつかの命令(「多くの義務」三四八ページ)ではなく、「定言的命令」とよばれる無条件的な唯一の命令でなければなりませんし、それのみが真の道徳法則ということができるのです。
 因みに仮言的命令とは、「もし病気をなおしたければ、医者に行くべし」というような命令であり、選言的命令とは、「暴力団に脅かされたときは、弁護士か、警察か、別の暴力団のところに行くべし」というような命令を意味しています。
 真の道徳法則である定言的命令の根本形式は「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理となるように行為せよ」というものであり、言いかえると、自分が実践しようと思うことを、万人が実践したとしても矛盾が生じないような行為として実践せよ、というのです。カントはこの一般的道徳法則を個々の具体的局面にあてはめることにより、個別的な具体的道徳法則が導き出されるというのです。
 これに対するヘーゲルの批判は、カントの道徳論は、道徳と自然、理性と感性などの対立する二つの契機を調和させようとするものだが、それを概念に統一しようとしないため、「思想なき矛盾の全巣窟」(三五二ページ)に陥っている、というものです。そのためカントは道徳的目標の達成をまじめに望まず、矛盾の存在をごまかす「おきかえ」(同)に終始していると批判します。
 しかしヘーゲルのカント道徳論への批判は、後年の『法の哲学』では、「矛盾の全巣窟」にむけられるのではなく、実践理性の中心課題が道徳論におかれていることそれ自体にむけられています。つまり人間の実践においてもっとも重要なのは、内面的な道徳的実践ではなく、社会的実践であるとされ、道徳の上位に「人倫」(家族、社会、国家)がおかれ、社会変革こそが最高の実践理性の課題とされることになります。

 「C 自己確信的精神、道徳性」の概要と構成

 ヘーゲルのいう「自己確信的精神」とは、自らのうちに道徳的な真理の基準があることを絶対的に確信している精神であり、最終的には「良心」を意味しています。「C 自己確信的精神、道徳性」は、大きく「序論」「 道徳的世界観」「b おきかえ」「c 良心、美しき魂、悪とその赦免」の四つに分かれます。
 「序論」では、道徳的世界観とは、自己自身のうちに生き方、行動の真理があることを確信する「自己確信的精神」であること、それは自己意識が自然的自己を乗り越えて理性的自己をめざし、自ら義務を知り、行う運動であり、絶対自由の精神であることが論じられます。
 「 道徳的世界観」においては、カントの道徳論が紹介されます。そこでは義務のみが本質的であること、その義務は道徳的意識と自然的意識、理性と感性という対立する二つの契機の調和の要請から生じること、さらに道徳的に行為するときには、多くの義務と純粋義務との対立が生じ、そのなかから純粋義務を取り出すには「聖なる立法者」(三四九ページ)、つまり神という第三の調和の要請が生じること、しかし道徳的世界観はこれらの対立を「表象する」(三五一ページ)(ごちゃまぜにする)だけで、概念に統一せず、そのため「b おきかえ」というごまかしの生じることが論じられます。
 「b おきかえ」では、カントの道徳的世界観は「矛盾の全巣窟」であること、その矛盾は道徳性と自然、理性と感性、純粋な義務と多様な義務という三つの対立として示されること、これらの対立する契機の一方は、いずれもその反対の契機に「おきかえ」られることで、矛盾はごまかされること、したがって意識はこの「おきかえ」に嫌気がさして、道徳的意識から良心に移行することが論じられます。
 「c 良心、美しき魂、悪とその赦免」では、まず「良心」とは、道徳的意識が対立する二つの契機の調和(統一)を求めていたのとは異なり、無媒介の統一のうちにある道徳的精神であること、自己は良心という道徳的法則をもつことによってはじめて義務にかなった道徳的行動をなしうること、しかし良心は「絶対至上の独裁権」(三六九ページ)であるところから、自分ではそれが良心であると思っていても、他人に承認されないこともあることが論じられます。 
 次の「美しき魂」(三七五ページ)とは、良心に基づく行動が恣意的になり、「悪」となることをおそれて、内心に閉じこもり行動にでない「空しい無」(三八〇ページ)としての良心です。しかし良心は行動してこその良心であり、良心は「美しき魂」から抜けだして行動することにより善と悪という対立を生みだしますが、その一面性を相互に承認し、「赦免」し合うことによって、個と普遍、個人と共同体の統一としての概念が誕生するのであり、それが絶対的精神であるとされます。


「序論」

 人倫的世界は「個別的な自己が、この世界の運命であり、真理であること」(三四三ページ)を示しましたが、人倫的世界が崩壊することから生まれた「法の国の人格」(同)は、疎外された「抽象的人格」(同)にすぎませんでした。そこで「教養と信仰の世界の運動」(同)をつうじて、この自己疎外的精神は疎外からの回復を求め、一般意志にもとづく「絶対自由」に達しますが、結局絶対自由は恐怖政治となってその目的を達成することはできませんでした。
 これらの経験を経て、自己意識は自己自身に帰り、自己自身のうちの「真と知」(同)の対立を解消して、自己自身のうちに真理があることを確信し、その実現を求める絶対自由の精神となります。つまり自己意識は、自己のうちの絶対自由の「純粋知」(同)として、自己のうちに疎外からの回復を求めようとする道徳的意識となるのです。こうしていま自己意識は、「対象は意識自身にとり自己の確信」(同)となっており、自己自身のうちに存在する「純粋知」の確信となっている、というのです。
 ここには、ヘーゲルが「自己疎外的精神」を「現実の疎外」という以上に「意識の疎外」としてとらえ、したがって疎外からの回復の問題も道徳的意識という意識における疎外からの回復としてとらえる観念論的弱点が現れていると同時に、論理の展開としても矛盾したものとなっています。
 というのも第四講の「B 自己意識の自由」では、ストア主義、懐疑論、不幸な意識という三つの哲学は、現実の苦しみと悩みから逃れて内面的自由に沈潜する自由にすぎないから、現実を変革する「理性」に向かわざるをえないという論理の展開となっています。
 したがって「自己意識の自由」と「理性」との関連からしても、フランス革命という現実の疎外からの解放を求める運動の挫折があったにしても、フランス革命の精神は、マルクス、エンゲルスの『共産党宣言』が指摘するように、一九世紀前半には「一つの妖怪がヨーロッパをさまよっている ── 共産主義の妖怪が」(全集④四七五ページ)と表現されるほどの広がりをもつ社会主義・共産主義の思想に発展的に継承されていたのですから、その運動に注目すべきものでした。それを再び、自己の内面のうちに疎外からの回復を求めようとする道徳性の問題にたち帰ることは、論理の一貫性を欠くものであり、また変革の立場を不徹底なものにとどめてしまっています。
 それはともかくとして、この自己確信的精神は、「直接的にもまた絶対的に媒介された形でも、自己意識と不可分の統一をなして」(三四三ページ)います。「直接的に」というのは、「自己意識自らが義務を知り行い、自らの本性としての義務に従う」(三四四ページ)からであり、「絶対的な媒介」(同)というのは、「直接的な定在」(同)としての自然的自己意識を廃棄し、「自ら一般者になる自己の運動」(同)だからです。
 つまり、道徳的な自己意識は、「自己意識の知る意志のなかへ、全対象性と世界」(同)を引き入れ、その対象性のなかで自分がどう行動すべきかの回答を自らに与えます。したがって自己意識は、いまや他者をもつことのない意識、つまり「自らの自由を知っている点で、絶対に自由」(同)な意識ということができるのです。
 人間は自己のうちに生き方、行動の真理としての絶対的な「当為」を確立し、それに到達することを義務としてとらえ、行動するという意味で「絶対に自由」な存在であり、それが道徳性の立場なのです。


「道徳的世界観」

 ここでカントの道徳的世界観をみていくことにしましょう。
 カントは、自己意識は「義務によってのみ制約されて」(同)おり、自己のうちにおける「義務が絶対的実在であると知って」(同)いるといいます。この道徳的世界観における義務とは、自己のうちに対立している二つの契機、つまり「道徳的な即且対自有(真にあるべき姿 ── 高村)と、自然的な即且対自有(現にある姿 ── 高村)」(三四五ページ)との対立から生じる義務なのです。この対立する二つの契機から、対象物の調和を求める次の三つの要請が生じることになります。
 第一の要請は、道徳性と自然(幸福)の調和の要請です。カントの道徳的世界観においては、「道徳的意識一般が前提」(同)されており、この道徳的意識一般が真にあるべき意識ですから、それを実現する「義務」(同)が道徳的意識の「本質」(同)であって、「その現実と行為において、義務を充たすことに」(同)なります。他方この道徳的意識に対立するのが、「自然という前提された自由」(同)、つまり自然的意識となります。自然的意識にとっては、その要求が充たされた状態が「幸福」(同)であり、道徳的意識は、自然的意識を自己のうちに「含む」(同)ことによって成り立っていますから、「幸福を断念することも」(同)、「捨て去ることも」(同)できないのです。
 つまりカントの道徳論は、幸福主義の道徳論を批判するものではあっても、幸福主義を捨て去るものではありません。したがって「道徳性と自然の調和」(三四六ページ)、言いかえると「道徳性と幸福の調和」(同)が「要請されている」(同)ことになります。この調和の要請は、理性が前提となる「理性の要求」(同)から生まれる「理性の直接的確信」(同)からくる要請なのです。
 第二の要請は、第一の要請から生まれてきます。意識とはまず「自然的なもの」(同)としての「感性」(同)であり、それは道徳的「純粋意志とその純粋目的」(同)である理性に対立しています。この「両者の意識された対立から出てきた統一」(三四七ページ)が、「初めて現実的な道徳性」(同)となります。
 感性と理性との統一は、「現に在るわけではない」(同)ため、感性が道徳性としての理性に「適う」(同)ことを要請する第二の要請となるのです。感性は理性との統一に向かって「絶えず前進して行くべき」(同)ではありますが、「その完成は無限の先に押しやられて」(同)おり、その完成は「絶対的課題として、考えらるべきもの」(同)にすぎないのです。
 この「課題に止まっているのに、なお実現さるべきだという課題の矛盾」(三四八ページ)こそ、「道徳性の矛盾」(同)にほかなりません。この道徳性の矛盾から第三の要請が生まれます。すなわち、道徳的意識においては、「 道徳性と対象的自然との調和」(同)と「道徳性と感性的意志との調和」(同)という二つの要請が生じることを学びましたが、この二つの要請を「結びつけるものは、現実的行動自身の動き」(同)であり、行動することは、抽象的義務から抜け出し、具体的義務の履行としてあらわれることになります。
 具体的行動は、「多様な現実」(同)を反映して「多様な道徳的関係とを含んでいる」(同)ところから、具体的な「多くの義務」(同)、つまりカントのいう仮言的命令や選言的命令のもとでの義務を生みだすことになります。しかし、「もともと道徳的意識に妥当するのは、それらの中での純粋義務」(同)、つまりカントのいう定言的命令のもとでの義務だけにすぎません。したがって「多くの義務としての義務を神聖なものとする」(三四九ページ)、つまり純粋義務に高めるには、「聖なる立法者」(同)としての神という第三の要請が必要になってくるのです。言いかえると、純粋義務が成立するのは、神の存在という「現実的意識の外のこと」(同)となるので、逆にいうと結局現実的意識は「不完全な道徳的意識」(同)でしかないことになります。
 つまり「道徳的自己意識の概念」(三五〇ページ)からすると、「純粋義務と現実という二つの側面は一つに統一」(同)されるべきものなのですが、実際には「道徳的意識は純粋義務を措定するけれども、自分自身とは別の(神という ── 高村)存在者のうちに」(同)措定するのですから、道徳的義務は現実には「それ自体に自分で妥当するものではなく、むしろ非道徳的なものを、完全なものとして妥当させる」(同)結果となってしまいます。そうなるのも、道徳的意識が、対立する二つの契機を「概念にまとめるようなこと」(同)はせず、たんに「義務を表象されたもの」(同)、つまりごちゃまぜにしたものとして立てるからなのです。
 こうしていまや道徳的世界観の「別の形態」(三五一ページ)が生じることになります。「出発点」(同)となった第一の命題は、「現実的な道徳的自己意識」(同)は「存在する」(同)というものでしたが、「この統一は、意識の現実の彼岸」(同)にとどまり、自己意識に「残っている」(同)のは、「道徳的に完成された現実的意識は存在しない」(同)という「第二の命題」(同)となったのです。
 この二つの命題から生じる第三の命題は、「二つの命題の、総合的統一」(同)として、道徳的自己意識は「存在する」(三五二ページ)と同時に「存在しない」(同)、つまり「存在するけれども表象においてのことにすぎない」(同)という矛盾を示すものとなっており、概念的統一には達していないのです。

 

 

* コラム * 史的唯物論と有用性理論、フランス革命

 Ⅰ 史的唯物論と有用性理論(功利主義)

 マルクス、エンゲルスは、『ドイツ・イデオロギー』や『資本論』において、当時まだ理論的影響力をもっていた有用性理論(功利主義)の詳細な批判を展開しています。功利主義の代表者・ベンサムは「最大多数の最大幸福」の命題でよく知られていますが、その意味するところは、個々人が商品を生産し、市場で商品を交換して自己の利益を追求することは、「事物の予定調和に従って、……彼らの相互の利得、共同の利益、全体の利益という事業をなしとげる」(『資本論』②三〇一ページ)という資本主義美化論でした。
 予定調和とは、ライプニッツの「モナド論」で展開されたもので、世界の基本単位となる一つひとつのモナドは独立していながらも、「モナドからなる世界に秩序があるのは、神があらかじめモナド相互に調和をもたらすように定めたからであるとする」(同)理論を意味しています。
 「この相互利用の理論は、ベンサムがうんざりするほど詳論したもの」(全集③四四一ページ)ですが、この理論は、ホッブス、ロックによって「イギリス革命、つまりブルジョアジーが政治的権力を略取した最初の進撃と同時」(同四四一~四四二ページ)に誕生したものであり、マルクスはその背景に「近代市民社会の内部ではすべての関係が、実際上、抽象的な貨幣関係および商売関係という一つの関係のもとに包摂されているという事実」(同四四一ページ)があることを指摘しています。
 そのうえで、この有用性理論(功利主義)の本質は、資本主義的搾取を隠蔽するところにあることを明らかにしています。すなわち「労働力の売買がその枠内で行なわれる流通または商品交換の部面は、実際、天賦人権の真の楽園であった。ここで支配しているのは、自由、平等、所有およびベンサムだけである」(『資本論』②三〇〇ページ)としています。資本主義的搾取は商品を生産する生産過程で行われているのに、ベンサムは商品が流通する流通過程のみに注目することによって、あたかも資本主義は「天賦人権の真の楽園」であり、搾取も貧困も階級も存在しないかのように美化している「俗流自由貿易論者」(同三〇一ページ)だと批判しています。この功利主義は、「人間による人間の搾取」(全集③四四二ページ)という明確な意味を押し隠す「無意識的あるいは意識的な表現」(同)の仮装にすぎないのです。
 マルクスは「犬にとってなにが有用であるか?を知りたければ、犬の本性を究めなければならない。この本性そのものは『功利主義』から構成されはしない」(『資本論』④一〇四九ページ)と功利主義の本質的批判をしています。さらにベンサムが「標準的人間として想定」(同)したのは「近代的俗物、とりわけイギリス的俗物」(同)としてのブルジョアジーであって、「このへんてこな標準的人間とその世界にとって有用なものが、それ自体として、有用なものである」(同)と皮肉り、ベンサムを「ブルジョワ的愚鈍の天才」(同)とよぶ最大の侮蔑的表現を提供しています。
 結局この有用性理論(功利主義)は、まだ資本主義的矛盾が全面的に顕在化していない時代に特有の資本主義美化論ということができます。科学的社会主義による資本主義的搾取の秘密が解明される以前に生きたヘーゲルが、華麗なる産業革命のもとで有用性理論を「啓蒙の真理」として高く評価したことは、やむをえなかったとはいえ、時代の制約を示すものであると同時に、「人倫の国」の回復をめざす「自己疎外的精神」としても不徹底なものになってしまったといわざるをえません。

 Ⅱ 史的唯物論とフランス革命

 フランス革命の意義

 封建制に対するブルジョアジーのたたかいは、一六世紀の宗教改革に始まり、一七世紀のイギリス革命を経て一八、一九世紀のフランス革命で完成します。
 フランス革命は、「一方の交戦者だった貴族が滅ぼされて他方の交戦者だったブルジョアジーが完全に勝利するまで、ほんとうにたたかいぬかれたという点でも、最初のもの」(全集⑲五五七ページ)でした。フランス革命は、ルソーの一般意志と人民主権論を目標に掲げて絶対主義の封建制国家を打倒するたたかいとして始まりましたが、その推進力となったのは、ブルジョアジーと、サン・キュロットとよばれる無産階級でした。革命を徹底的に推進しようとするサン・キュロットと、自分達の要求の範囲内に革命を押しとどめようとするブルジョアジーとの間には、革命の全過程をつうじて激しい階級闘争が展開されます。
 一時は、サン・キュロットの支援のもとに一般意志の実現を方針とするジャコバン独裁の革命政権が誕生しますが、その現実の姿は反革命とのたたかいのなかでギロチンによる恐怖政治となったところから、ブルジョアジーのクーデター(テルミドールの反動)を呼びおこして革命政権は打ち倒され、ブルジョアジーが全権力を掌握してフランス革命の第一幕を閉じることになります。
 しかし、フランス革命は、「ほんとうにたたかいぬかれた」階級闘争であったところから、無産階級はフランス革命の精神を引きつぎ、一般意志にもとづく真の平等、つまりたんなる政治的平等にとどまらず、社会的・経済的平等を求めて、第二幕としての社会主義思想を生みだすことになります。先に紹介した『共産党宣言』は一八四八年に発行されたものですが、当時は、「共産主義の妖怪」が全ヨーロッパをさまよっていると称されるほど、さまざまな社会主義思想が全ヨーロッパ規模に拡大していたのです。フランス革命から生まれた社会主義諸思想は、こうして一九世紀前半には全ヨーロッパへと拡大しており、この雑多な社会主義思想のなかから、マルクス、エンゲルスによる科学的社会主義が誕生することになります。その意味では、フランス唯物論は「直接に社会主義と共産主義とにそそいでいる」(全集②一三六ページ)ということができます。
 ヘーゲルは『現象学』において「徳と世の中」でも「絶対自由と恐怖」でも、フランス革命について触れています。しかしどちらの箇所でも、フランス革命が封建制から資本主義、さらには社会主義へと大きく歴史を動かした意義を論じることなく、全体として、恐怖政治を理由に消極的評価にとどまっています。そこに『現象学』を著した当時の情勢が色濃く反映しています。しかし『現象学』におけるヘーゲルのフランス革命の評価は、晩年の『歴史哲学』では大きく転換することになります。
 『歴史哲学』では「世界史とは自由の意識の進歩を意味する」(『歴史哲学』㊤四四ページ)との立場にたって世界史がとらえられているのですが、フランス革命については、アナクサゴラスの「ヌース(理性)が世界を支配する」(同下三一一ページ)との命題を引用しながら、「人間はここにはじめて、思想が精神的現実界(人類の歴史 ── 高村)を支配すべきものだということを認識する段階にまでも達したのである。その意味で、これは輝かしい日の出であった」(同)とその評価を百八十度転換しています。
 この箇所は、エンゲルスも『空想から科学へ』のなかで引用して、「故ヘーゲル教授のこのような公安に害のある変革学説にたいして、いまこそまさに社会主義者取締法を発動すべきではなかろうか?」(全集⑲一八七ページ)と、皮肉たっぷりにヘーゲルの「変革学説」を紹介しています。ヘーゲルが『現象学』体系を放棄するに至った理由の一つは、ヘーゲルが生涯にわたって関心を持ち続けたフランス革命への評価の転換にあったということができるでしょう。

 ルソーの「一般意志」と人民主権論

 ルソーが『社会契約論』で展開した一般意志と、一般意志の行使としての人民主権論とは、フランス革命の合言葉になりました。しかしヘーゲルは、『現象学』では一般意志を一定評価しながらも、それが専制主義に転化する要素を内包しており、恐怖政治をもたらしたとしています。
 ルソー研究家のギールケも同様に、「あらゆる個人主義的な出発と目標とにもかかわらず、その時々の多数者の意志のうちにあらわれる主権の絶対的な専制が結果として生ずる」(『ルソー研究』第二版九六ページ、岩波書店)としています。ギールケが一般意志と「多数者の意志」とを混同しているのは論外としても、人民主権論から恐怖政治が生じたという歴史的事実は、一般意志の行使である「主権」への服従の強制は、「主権の絶対的な専制」をもたらす危険性を内包しているのではないか、との問題を提起するものとなっています。
 ルソーが提起した一般意志とそれを統治の原理とする人民主権論の意義は、個人と社会共同体とが一体化することのみが人間解放につながるものであり、その実現のためには、一般意志による統治という人民主権論以外にはありえないことを明らかにしたところにあります。人民主権とは、一般意志を統治原理とする治者と被治者の同一性の実現であって、これ以外に、個人と社会共同体とが一体化する理論は存在しえないのです。
 したがって、ヘーゲルも、真の人倫的現実を「われわれである我と、我であるわれわれとの両者が一つ」(一一五ページ)となる一般意志に求めたのです。そればかりではありません。マルクスも「ユダヤ人問題によせて」(全集①)のなかで、『社会契約論』を引用しながら、「現実の個別的な人間が、抽象的な公民を自分のうちにとりもどし、個別的人間のままでありながら、……類的存在となったときはじめて、……人間的解放は完成」(同四〇七ページ)するととらえました。
 ではそれにもかかわらず、なぜ人民主権論から恐怖政治が生じたのでしょうか。それは労働者階級の政党の主導性のないまま人民主権国家を実現しようとしたところから、人民が「定形のない塊り」(『法の哲学』五三三ページ)として暴走したことによるものということができるでしょう。その意味では民主主義と衆愚政治とはメダルの表裏の関係にあるということができます。したがって、ヘーゲルが人民主権には人民が「定形のない塊り」として暴走する可能性があり、暴走の結果が恐怖政治、全体主義の政治となったと指摘したことには、一面の正しさがあったということができるでしょう。
 階級社会において人民は内心に人間の類本質をもちながらも、疎外された現象をもっています。類本質として共同社会性をもち「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という「精神の概念」(一一五ページ)をもちながらも、「定形のない塊り」という疎外された現象として行動するのです。
 しかし、人間の類本質は、たえずこの疎外を克服しようとして葛藤するのであり、正しい導き手が存在すればこの類本質が顕在化することになります。ここに人民に対して無限の信頼をおきうる根拠があり、人民主権とは人民への信頼のうえに成立する理論ということができます。
 この人民の暴走の教訓に学んで、マルクス、エンゲルスは、労働者階級の政党の主導性があってはじめて一般意志にもとづく人間解放の人民主権国家を実現しうると考え、それを「プロレタリアート執権」とよんで、科学的社会主義の学説の重要な柱としたのです。すなわち「プロレタリアート執権」とは、労働者階級の政党がその理論的な先見性によって一般意志を人民の前に提示し、その強力な組織力と一般意志という真理のもつ力によって、すべての被搾取、被抑圧人民を団結させ、一歩前進させるために主導性を発揮することを意味しているのです。
 労働者階級の政党の主導性とは、その「指導的役割」を意味するものではありません。指導といえば指導するものと指導されるものという関係が生じることになってしまい、政党と人民とが指導と被指導、支配と服従の関係とされてしまいます。この過ちを犯したのが、旧ソ連、東欧だったのです。労働者階級の政党の主導性の真の意義は、労働者階級の政党が人民を団結させる要の役割を果たすことにあるのです(詳細は拙著『世紀の科学的社会主義を考える』一四〇ページ以下)。
 日本共産党綱領のキーワードとなっている「国民が主人公」とは、プロレタリアート執権の今日的表現ということができるのであって、決して労働者階級の政党の主導性を否定したものではなく、その主導性のもとでの「国民が主人公」を意味しているのです。
 もっとも民主的といわれたワイマール憲法のもとで、ナチスは自ら引き起こした国会放火事件を共産党の仕業にでっちあげ、ドイツ共産党の国会における八十一議席を抹消したうえ、共産党弾圧のテロルによって共産党と人民を切りはなし、そのもとで総選挙を実施して、議会の絶対多数を握り、ついに議会制民主主義をつうじてナチスの一党独裁を実現しました。この事実もまた労働者階級の政党が主導性を失うことによって、「定形のない塊り」としての人民がナチス支持に暴走した一例ということができるでしょう。