● 聴 講(①50:35、②56:55、③16:24)

 

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第15講 『現象学』から何を学ぶのか

 

第1講で、『現象学』を
①科学的社会主義をより豊かにする、
②ヘーゲル哲学の出発点として学ぶ、
③現在の自然科学、社会科学の到達点から学ぶ、
という3つの見地から学ぶことを指摘した。

この見地からするとき、第1に指摘したいことは、
『現象学』の認識論は弁証法的唯物論の認識論であることである。
個人の意識の発展を、感覚、知覚、悟性、理性という、
発展する一連の意識形態としてとらえ、
理性を意識の最高形態としての変革の意識としているのは、
現代の認知心理学からしても正しい。
また対象意識と自己意識を区別し、
人間の類本質としての共同社会性の意識を自己意識としてとらえたのも、
現代科学と一致している。
これに対し現代のあらゆる観念論は、
この一連の意識を分断することで観念論におちいっている。

第2に、『現象学』は、変革の立場にたっている。
それは知の目標を、概念(真にあるべき姿)と存在の統一、
つまり理想と現実の統一としているところに象徴的に示されている。
特に『現象学』が「概念はいかにして認識されるか」を明確にしているのは、
後に弾圧回避のためにその点を曖昧にしている『小論理学』と異なるところ。
またヘーゲルが変革の立場から、
真理には事実の真理と当為の真理があることを指摘しているのも重要である。

しかし、変革の立場に立ちながらも、
宗教改革とフランス革命について消極的評価しか与えていないこと、
資本主義を美化していることは、その後のヘーゲル哲学の発展からすれば、
『現象学』体系を放棄する原因になったものと思われる。

第3に、ヘーゲルが道徳、宗教を正面から論じていることは、
「全一的世界観」としての史的唯物論に反省を迫るものとなっている。
道徳、宗教の二面性をふまえ、人民の道徳、宗教の探究が求められている。

最後に、これまで誰一人ヘーゲルのいう理性と概念の意味を
正確に理解しなかったために、
『現象学』が全体として何を言いたいのかを明らかにしえなかった。
その真意は「すべての事物は、その事物の本質の認識を通じて
概念を認識することにより、合法則的に発展しうる」としたところにある。
この点を解明したところに本講座の意義がある。