2015年10月17日 講演

 

● 聴 講(1:10:48)

 

2015年度総会記念講演
「私たちは何のために
      弁証法を学ぶのか」

高村 是懿(常任理事)

 


 11月中旬から「諺からみた弁証法入門」という新しい講座を開催いたします。この講座を開催するにあたって、そのガイダンスともいうべきお話しをしようと思っています。
 「何のために弁証法を学ぶのか」が講演のタイトルになっています。私は弁証法の研究を始めて40年ほどになりますが、やっと最近になって弁証法の真髄をつかめた気がしたので、それを紹介したいと思い、このタイトルにさせていただきました。

哲学は真理を探究する学問

 労働者学習協議会は科学的社会主義の基礎理論を普及する大衆的な組織です。この科学的社会主義の哲学が弁証法的唯物論ですが、なぜ弁証法を学ばなければならないのかを考えてみないといけません。それを考えるにあたって、そもそも哲学とは何なのか、哲学の原点にさかのぼって考える必要があるわけです。
 古代ギリシャに始まったのが哲学ですが、ギリシャ語で哲学をフィロソフィアと言います。知を愛するという意味です。知を愛するとは、真理、真実を愛する学問だということになるでしょう。自然科学とか社会科学という、いわゆる経験科学は自然や社会の真理を探究するわけですが、哲学は真理、真実を認識するためにはどうすればよいのかという思考の方式、思惟法則、考える法則を探求する学問であって、その意味で哲学は経験科学の土台になる学問だと言われております。

真の理想求め弁証法が発展

 長い人類の歴史のなかで、哲学は2600年続いてきた学問ですが、この中で弁証法が哲学の歴史上問題になってきたのは大きく3つの時期に限られています。まず第1は紀元前5世紀から4世紀にかけての古代ギリシャであり、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの時代です。第2は18世紀から19世紀にかけてのドイツ古典哲学といわれるものであり、カント、フィヒテ、シェリング、そしてへーゲルという人達です。第3はそれを引き継いで誕生したマルクス、エンゲルスによる弁証法ということになるでしょう。
 なぜこの時期にのみ弁証法が論じられ、その形式が整えられ、発展させられてきたのでしょうか。それは一言でいえば、この3つの時期は哲学の歴史の中でも最も高揚期を迎えた時期であり、しかも3つの時期に共通しているのが「真の理想とは何か」を探求した時代です。この理想の探求とともに弁証法が発展していったところに、弁証法のもつ大きな意味があるということに最近やっと気づいたのです。それが、「ヘーゲル精神現象学を学ぶ」という本の基になった講義をしている中でのことです。
 次に、ではなぜ科学的社会主義の学説は哲学として弁証法をもっているのでしょうか。科学的社会主義をつくりだしたエンゲルスは弁証法を「思考の最高の形式」だと言っていますが、その意味を考えるには、人間とはそもそもいかなる存在なのかを考えなければなりません。人間が他の動物から区別される理由は、自然や社会を変革する能力をもっているころにあります。変革の立場にたつというのは、もっとも人間らしい活動になります。では世界を変革しようとするときに何が問題になるのかというと、世界はどう変えるべきかであり、そこから「真の理想」が求められることになります。したがって「真の理想」をとらえようとする弁証法は、人間が人間らしく生きていくうえで最も重要な哲学であり、その意味で哲学の歴史の頂点に立つということができると思います。
科学的社会主義の学説は人類の優れた知的遺産の一切を引き継いで誕生した学説だといわれておりますので、こういう最高の哲学である弁証法をその構成要素としてもっているということになるわけです。

2つの真理 空想から科学へ

 このように「真の理想」という問題を考えるとき、実は真理には「事実の真理」と「当為(まさにこうあるべき)の真理」の二つの真理が問題となります。「事実の真理」とは、世界がどのようにあるのかという真理であり、「当為の真理」とは、世界はどのようにあるべきかの真理です。それを私たちは「真の理想」とよぶのであり、古代ギリシャの人達はイデア(理念、理想)と呼びました。真理には「事実の真理」と「当為の真理」とがあることを知ることは極めて重要です。
 というのも私たちが現実社会の中で生きていくうえでは、当為の真理が問題になることが極めて多いからです。いま話題になり、総会のテーマでもあります「戦争法廃止の国民連合政府」の提案は、まさに真の理想であり当為の真理です。われわれが政治の問題について考えるときには、常に真の理想、当為の真理は何なのかが問われています。政治は常に未来を見つめ、未来がどうあるべきかを議論するものだからです。
 それで問題なのは「事実の真理」と「当為の真理」という2つの真理の関係をどう捉えるかが問題になってくるのです。その関係をめぐって、先ほどお話しした歴史上の3つの時期において弁証法が論じられてきたのです。「事実の真理」と「当為の真理」は決して別個の問題ではありません。別個の問題として取り上げると理想は理想ではなくて単なる空想になってしまうわけです。皆さんもお読みになった方も多いと思いますが、エンゲルスが書いた『空想から科学へ』という科学的社会主義の古典がありますが、正式な名称は『空想的社会主義から科学的社会主義へ』というタイトルです。それを言い換えると「空想的な社会主義から真の理想としての社会主義へ」ということを意味しています。
 弁証法というのは「事実の真理」を通じて「当為の真理」をつかまえる、「思考の最高の形式」なのです。そこでここからの話は、「事実の真理」と「当為の真理」の関係をこれまでの歴史上どのようにとらえてきて、その中で弁証法がどのように発展してきたか、そのことによって弁証法を学ぶ意義を明らかにしていきたいと思います。

民主主義の原点 古代ギリシャ

 弁証法は「当為の真理」、真の理想を探求する中で生まれてきたわけですが、最初に誕生したのは古代ギリシャです。なぜは古代ギリシャで弁証法が発展したのかというと、ギリシャの都市国家は奴隷制社会ではありますが、そこの市民は基本的にすべての成人男子は政治に参加していました。すべては広場に集まって決める、民会で決める。こういうのを直接民主主義といいますが、民主主義の原点はギリシャのポリスにおける直接民主主義に始まります。
 いま戦争法をめぐって若い人達やお母さん方が要求しているのは、まさのこの直接民主主義です。今までは民主主義というと選挙の時に一票を投じる、これが民主主義だと思っていたけれど、こういう間接民主主義というのはまやかしではないかとみんなが気がついてきたのです。だから「民主主義とは何だ」「民主主義とはこれだ」というコールになって表れてくる、その原点が古代ギリシャの都市国家であったわけです。そこでは自由と民主主義が保障されていたところから、真の理想とは何かを探求するギリシャ哲学が発展していったわけであります。
 
真の理想は現実に転化する必然性をもったイデア

 そこでは何が問題になったかというと、人間が自然や社会を学んでいく、それを認識論といいますが、認識を高めていく、その認識の発展過程を哲学者が論じたのです。認識はどこから出発するのかというと、まず目で見たり、耳で聞いたり、手で触ったりする、五感から始まります。感覚から始まって見たり、聞いたりしたものを頭の中に次第に蓄えていきます。それは知るということであり、言い換えれば知覚です。まず感じるから始まって、それから段々認識したものを蓄えることによって知る段階になり、さらに頭の中に蓄積したものをつうじて考える段階になり、考える段階の最高の段階が変革する、創造するというように人間の認識は発展していきます。
 感じる、知る、考える、創造する、こういう認識の発展をギリシャ哲学では探求する中で、では人間の認識の最高の到達点は何なのかといったら、それは変革の立場にたって真の理想をとらえることにあるということに気がついたのです。それを彼らはイデアと呼びました。
 古代ギリシャの哲学者の中で一番有名なのがソクラテス、プラトン、アリストテレスの3人ですが、この3人の関係は、ソクラテスがイデア論の入り口を開き、プラトンがイデア論を完成し、そしてアリストテレスは真の理想は現実に転化する必然性をもったイデアであることを論じました。このことはとても大事なことです。つまり理想と現実がどういう関係にあるのかということを古代ギリシャの時代から、早くも議論し始めたからです。
 アリストテレスは真の理想は現実に転化する必然性をもった理想だと言いました。しかし、現実に転化する必然性をもった理想はどうすればつかまえることができるのかということは、まだ明らかにすることはできないという限界を持っていました。
 
真の理想と現実とを結びつける

 その限界を打ち破ったのが、ドイツ古典哲学です。ドイツ古典哲学でなぜ弁証法が取り上げられたのかというと、1789年に始まったフランス革命の影響です。フランス革命は自由、平等、友愛という真の理想を掲げて闘われた革命でした。しかし、その革命は結局は挫折してしまいます。挫折する中で、では真の理想と現実とを結びつけるためにはどうしたらいいのかをドイツ古典哲学は模索することになるわけです。
 先ほどお話ししたようにカントに始まり、フィヒテ、シェリングを経て、へーゲルによってドイツ古典哲学は完結いたします。そしてヘーゲルがたどり着いた結論は、「真の理想は現実的であるべきなのではなくて、現実的なのであり、そしてそれのみが現実的なのである」。では「それのみが現実的」な真の理想はどうやったらつかまえることができるのか。このことをヘーゲルは苦闘しながらつかまえることに成功いたします。

本質のもつ矛盾、対立を明らかに

 どういうことかというと、そのためにはまず「事実の真理」を知らなければいけない。事実の真理を知るということを言い換えると、その事実の真の姿としての本質を認識するということです。しかし、ただ本質を認識しただけでは、その中から真の理想は生まれてきません。大事なことは、その本質のもつ矛盾、対立を明らかにすることによって、その矛盾を解決するものとして真の理想をとらえなければならない。このように考えたわけです。この点が非常に大きなヘーゲルの功績だということが出来るでしょう。
 こうやってヘーゲルのもとにおいて事実の真理と当為の真理の関係が初めて明らかにされました。ですからエンゲルスに言わせると、ヘーゲルの哲学の本質は「革命的性格」であると『フォイエルバッハ論』で言っております。なぜ「革命的性格」なのか、それは理想と現実の統一、言い換えると事実の真理と当為の真理の統一を唱えたからです。革命とは自然や社会を変革することでありまして、変革するためには事実の真理と当為の真理を統一しなければならないのです。

実践的に現実の矛盾を打開する武器としての弁証法

 3番目の弁証法の歴史を築いたのが、マルクス、エンゲルスです。彼らは資本主義を変革する立場にたって、現実を変革する武器として弁証法を実践的に活用するという大きな成果を残しました。ヘーゲルは理論的に弁証法のもつ意義を明らかにしましたが、実践的に現実の矛盾を打開して生み出す真の理想をとらえたのはマルクス、エンゲルスが初めてです。
 言うまでもなくマルクスは『資本論』において資本主義の矛盾を解明し、その矛盾を解決するものとして真の理想である社会主義・共産主義を展望いたしました。そうやって空想的社会主義は科学的社会主義に転化したわけです。
エンゲルスはマルクスとずっと共同作業しながら科学的社会主義の学説を生み出してきた人物ですが、彼の『空想から科学へ』は資本論の要約なのです。資本論を要約して短い言葉で説明することは、資本論全体を理解していないと絶対出来る仕事ではありません。それをエンゲルスは『空想から科学へ』の中で見事に成し遂げているのです。だから『空想から科学へ』は科学的社会主義の古典の中で最もよく読まれている古典の一つになっています。
 こうしてマルクス、エンゲルスの2人は弁証法を単なる理論にとどめるのではなくて、現実を切り開き、現実世界を合法則的に変革する武器であることを実践的に証明しました。ですからエンゲルスは弁証法というのは、我々にとって「最も良い道具」「最も鋭利な武器」であると『フォイエルバッハ論』の中で述べています。どういう意味で「最も良い道具」「最も鋭利な武器」なのかと言うと、それは現実を合法則的に発展させるうえで、「鋭利な武器」だということです。
 結論になりますが、「私たちは何のために弁証法を学ぶのか」、それを一言で言えば、弁証法というのは哲学の歴史上、最高の哲学だから学ぶということです。それをもう少し展開して言うならば、私は2つの理由をあげることが出来ると思います。
 一つは社会変革のために弁証法を学ぶということです。社会変革とは、社会のあらゆる部門で「真の理想とは何か」を探求する運動であり、真の理想をつかむために弁証法が必要になってくるのです。

戦争法廃止の国民連合政府は真の理想

 先ほど戦争法廃止の国民連合政府の提案は真の理想であり、当為の真理であると話をしました。戦争法は安保闘争に匹敵する国民的な運動にもかかわらず強行採決されてしまいましたが、当日早くも日本共産党の志位委員長が「戦争法廃止の国民連合政府」を提案いたしました。本当に戦争法を廃止しようと本気で考えたらどうなるのかと言ったら、自公政権に取って代わる新しい政府をつくるしかないわけであり、それは野党がバラバラでは決して出来ません。
 というのも小選挙区制があるからです。小選挙区制では1人しか当選しませんから、自民党の候補者に対決するには野党の候補者が一つにまとまって、来年の参院選で32の小選挙区で野党5党が一緒になって協力して一人の候補者に絞って戦えば、小選挙区でも勝利できるのです。なにせ国民の6割は戦争法に反対しているわけですから。
 ですから本当に戦争法を廃止するのかどうかという野党の本気度がいま問われているのであり、野党の本気度を示すのが国民連合政府の提案です。どういう意味で本気度を示しているのか。それはこれまでの一点共闘の教訓に学んで、野党の主義主張の相違点はさておいて、戦争法廃止、立憲主義を回復するの一点で選挙協力をして小選挙区でも勝利し、衆参両院で多数を占めて政府を変えようではないかという提案です。志位さんは「清水の舞台から飛び降りる決意で決断した」と語っていました。安保廃棄の立場にたつのかどうかは、主義主張の違いなのであって、その違いを横に置いて、戦争法廃止と立憲主義の回復の一点で協力しようと、思い切った提案をしたわけです。

社会変革のために弁証法を学ぶ

 この提案がいかに現実的な提案であったのか、毎日新聞の世論調査では「賛成」が38%です。日本共産党の支持率はどんな世論調査によっても10%には届かないでしょう。日本共産党の提案がこれまでの約4倍にのぼる支持を得たことは、それほど現実的な提案だったからです。国民の大多数が望んでおり、国会での共闘を踏まえ、さらに沖縄の一点共闘の経験も踏まえた現実的提案だったからです。
 これこそが真の理想であり、真に現実的な理想です。提案が出たとき一番共鳴したのは、生活の党の小沢さんでした。民主党の岡田さんは、「大胆な提案で敬意を表するけれども連合政府となるとどうかな」と報道されました。しかし昨日10月16日、民主党の枝野幹事長の提案で野党5党と、この運動を支えてきたシールズやママの会や学者の会などの人たちを一堂に集めて戦争法廃止と立憲主義復活へ向けての懇談会を開いたではないですか。なぜ開くことが出来たのか、志位さんの提案がまさに現実を生み出す力をもっている真の理想だったからです。
 これが弁証法の力です。歴史的な分岐点にたっている中で弁証法の力をまざまざと感じることができたと思います。つまり弁証法を学ぶ意義の一点は、社会変革のためには弁証法を学ばなければならないということです。

真の理想に生きるのが最高の生き方

 もう一つ、これも大事なことですが、みなさん一人一人、個人の生き方にとっても真の理想に生きるということは最高の生き方につながるということです。
 哲学は古代ギリシャに始まったときから、人間としていかに生きるべきかと人間の生き方を問題にしました。ソクラテスは「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということだ」と述べています。「よく生きる」とは、より人間らしく生きることであり、それは変革の立場にたって生きることです。変革の立場にたって生きるとは真の理想を追求して生きることになるでしょう。ですから弁証法を身につけて真の理想に向かって生きていくことは、最も人間らしい最高の生き方になるということです。
 私たちはなぜ弁証法を学ばなければならないのか。その結論は、それが最高の哲学であり、真の理想をとらえることによって最高の生き方につながる哲学だからです。40年かかって私はようやくそのことに気がついたということです。このことに気づいていない人が圧倒的に多いので、「諺からみた弁証法入門」講座をやろうと思っているのです。

「弁証法入門」講座の受講を

 「諺からみた弁証法入門」講座は、入門講座ですから分かりやすく話さなくてはいけないのですが、これは一番難しいことです。弁証法の真髄を手の内に納めて初めて自在に、分かりやすく話すことができるのです。その意味ではやっとこういう講座を開くことができたということで多くの人に参加してもらいたいと思います。
 分かりやすく弁証法を理解してもらうために2つの手法を取ることにしました。一つは、これまで出した10数冊の本の中で述べてきたことですが、今回まとめて、いかに実践的に役に立つかを私自身が経験した実例に基づいて話をしたいと思います。弁証法の本は哲学的な理屈を縷々述べている本が多くて、自分がそれを使って新しい解明をしたか、新しい発見をしたか、いかに鋭利な武器として役に立ったかを述べている人はあまりいません。
 自分自身が経験した実践例を中心にお話しすることで、分かりやすい講座にしたいということが一つです。

「寸鉄人を刺す」

 もう一つは諺を使うことです。諺はどこがよいかというと、非常に短い言葉の中に真理をきっちりとらえている。そういうのを「寸鉄人を刺す」と言います。寸鉄とは短い刃物のこと、短い刃物でも人の心臓を刺すと命取りになります。そういう短い言葉でぐさりと突き刺さるような、真理を短い言葉で突き刺すのが諺です。ですから諺を使って弁証法を語れば分かりやすいのではないかと思います。
 諺の大半は江戸時代までにつくられました。まだ科学的社会主義が日本に広がっていない時代ですから、変革の立場にたって諺もとらえられていません。新しい諺も提案しながら、諺で弁証法を語っていきたいと思っています。
 そういう弁証法入門の諺ですから、参加された以上は、よく分かった、おもしろかった、為になったという講義でないといけないわけで、そのために1時間講義、1時間討議、30分感想・意見ということにしました。自由に質問を出してもらって、自由に討論して、みなさんと一緒に弁証法を考えていきたいと思っています。
 それができるのは広島の教室に参加できる受講生だけです。その意味で教室受講に大勢の人が参加していただきたい。若い人、これから科学的社会主義を勉強しようという人、弁証法を勉強しようという人はもちろんのこと、弁証法をいろいろ勉強したけど身についているとは思われない方は、ぜひ受講してほしいと思います。弁証法を学べば活動が楽しくなることは請け合いです。ニコニコしながら社会変革の運動をする。こういう運動をしていくためにも多数のみなさんのご参加を心から期待しまして、講演を終わりたいと思います。