講義日 1991年4月

 

 

科学的社会主義と自由・人権

 

一、自由と必然

 人類の歴史は、大局的にみるならば、自由拡大の歴史である。
 エンゲルスは「自由とは、自然的必然性の認識にもとづいて、われわれ自身ならびに外的自然を支配することである。したがって、自由は必然的に歴史的発展の産物である」(全集⑳一一八ページ)とのべている。
人類は実践を媒介としながら、自然や社会に対する類としての認識を歴史的に発展させてきた。即ち、労働を中心とする実践をつうじて、人類は自然や社会の諸事物を現象から本質へ、さらに法則的必然へと認識を発展させ、相対的真理を一つひとつ自らのものとして獲得していった。
 真理を認識することは、自由を実現する条件である。何故なら真理の認識は、人類に対立して存在する自然的・社会的制約を、単に制約として認識するだけでなく、客観的実在たる制約の法則的必然をとらえ、その法則性を合目的的に活用して、自然と社会の支配者となることを可能とするからである。
 この意味から、人間の実践は、真理の客観的基準であるが、同時に真理の基準であることをとおして、自由の基準である。人類の歴史は、一方では実践をつうじて、自然と社会に関する認識を発展させ、相対的真理を積み重ねて無限に絶対的真理に接近していく歴史であり、他方では、相対的真理を獲得する度合いに比例して、その自由を拡大してきた歴史である。
 対自然との関係でいうならば、人間は、物質的生産という実践をつうじて、自然の法則性に関する認識を拡大することによって、自由を拡大し、それにより生産力を発展させ、その結果がさらに自由の基礎を拡大してきた。 他方、対社会との関係において、人間は、物質的生産をつうじて、生産関係を中心とする、人間の社会的関係、人と人との関係を生みだし、自由な人間関係の方向へと発展させてきた。
 即ち、個の問題としては、共同体に埋没した個性から、自由な個性への発展、人間関係としては「物的依存性」に強制された人間関係から自由な結合の人間関係へと、歴史的に発展してきた。
 資本主義社会は、自由な人間関係を実現するうえで、巨大な、歴史的前進をしめした。しかし他方、階級分裂と階級支配、国家の存在は、個の自由な人間関係を歪曲し、転倒させるものとなった。
 階級社会において、階級闘争は歴史発展の原動力であるが、階級闘争という実践は、いつでも自由拡大の原動力であった。人間の認識が、社会の階級的制約、国家的制約に対する「法則性」の認識にまで到達したとき、自由のために階級闘争がはじまる。
 個人の尊厳、人権感覚、主権者意識、多数決原理と議会制民主主義などの、自由と民主主義の思想と制度も、被抑圧階級の要求から出発し、過去幾多の弾圧を受けながらも倦むことなく、その要求を高くかかげ、その実現のためにたたかい続けてきた長い階級闘争による歴史的産物として、獲得されてきたものである。
 日本国憲法が基本的人権の本質を「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」と規定しているのは、歴史的事実であり、単に日本においてのみならず、全世界のすべての自由と人権、民主主義に妥当するものである。
 「人権の思想とその具体的実現は、支配権力と被治者の利害の対立、それぞれのイデオロギーの相剋、抑圧する力と抵抗する力の拮抗――つまりは、階級対立を中心とする諸力の関係に、最も大きく依存してきた」(小林直樹「近代国家と人権」『基本的人権』一三五ページ、東大出版会)。
 ここにいう「人権」とは、社会の階級的・国家的支配からの「自由」を意味しており、この意味における「自由」と「人権」は同義に解してよい。階級的・国家的支配からの自由を求めての資本主義社会における階級闘争の産物が、フランス革命における人権宣言以後は、「人権」あるいは「基本的人権」と称されてきた。
 階級闘争には、三つの側面がある。経済闘争、政治闘争、イデオロギー闘争がそれである。経済闘争は、経済的自由(生存の自由・社会権など)を、政治闘争は、政治的自由(人民主権、参政権、表現・集会・結社の自由、民族の自由など)を、思想闘争は、内心の自由(思想・良心の自由、学問の自由、宗教の自由など)を、それぞれ拡大する。
 階級闘争が、一応の決着をみて、従来の社会的・国家的制約を打ち破ったとき、そのときの階級の力関係が実定法上の自由として定着し、その時代の自由の内容が実定法の形式をまとって表れ、自由の内容と形式の統一が実現される。その意味において自由は常に歴史的産物であり、時代の制約を身にまとってたちあらわれる。「権利宣言は、何より歴史的所産であり、その内容もしたがって、歴史的にのみ理解されなくてはならない。……それらは一般に知られるように、何よりもまず従来行われた制限の否定である。従来検閲が存したから、出版の自由が宣言されたのであり、良心強制が支配していたから、信仰の自由が宣言されたのである。権利宣言は、かように、アンシャン・レジーム的権力によって否定され、弾圧された各種の自由な意志ないし権利を、そうした権力に対抗して、主張することを目的として生まれた」(『人権宣言集』一九六九年二八ページ、岩波文庫)。
 しかし、実定法に固定された形式上の自由は、階級間の力関係の変動によってその内容を不断の変動にさらさざるをえない。支配階級の力が被支配階級の力にまされば、実定法の空洞化ないし、解釈による法の改変がおこなわれ、自由は形式だけのものとなり、その内容を喪失する。逆に被支配階級の力が支配階級の力にまされば、実定法には存在しない自由が社会的承認を受けることになる。形式をもたない、内容上の自由が現出する。
 こうした過程を経て、この新しい階級闘争が、ついには実定法の改定を生みだし、再び自由の形式と内容は、その一致をみるに至る。
 このように、階級闘争を力として、自由の形式と内容の矛盾が、定立され、かつ解決されることをつうじて、実定法としての自由は拡大、発展していくのである。

 

二、資本主義的自由とその限界

 アメリカの独立宣言とフランス革命における人権宣言(一七八九年)は、資本主義的自由の基調をなすものといわれている。そこでは、「生命、自由および幸福追求」(独立宣言)、あるいは「自由、財産、安全および圧政への抵抗」(人権宣言)が、人間の天賦固有の権利とされ、「人の権利」としての自由権とならんで、「公民の権利」としての参政権が宣言された。
 かかる人権の根拠として用いられたのは、ジョン・ロックによって代表される、自然権思想、社会契約説であった。即ち、人間は国家以前の自然状態において、自然法により与えられた、他人にゆずりわたすことのできない固有の権利をもっている。ところが自然状態では、これらの人権の保護が不十分なために、社会契約によって国家がつくられた。契約の主旨は、人権の保護にあるから、国家がその任務を果たさない場合は、国民は抵抗権、革命権を有する、というものである。
 国家の起原を社会契約とすることも、自然法思想も、もとより観念の所産であり、何ら歴史的・科学的検証をたたえない理論であることは明瞭である。それにもかかわらず、ブルジョア法学において、今なおこれが唯一の人権の根拠とされているのは、資本主義的自由と人権の現実的土台を覆い隠すためであり、資本主義的自由の本質が「搾取の自由」にあることから目をそらさせ、それを神聖不可侵、かつ絶対的なものとして美化せんがためのものであった。
 「近代国家における人権の承認は、古代国家による奴隷の承認となんらちがった意味はもたない。つまり古代国家が奴隷制をその自然的土台としたのとまさに同じように、近代国家が自然的土台としたのは、市民社会ならびに市民社会の人間、すなわち、私的利害と無意識の自然必然性というきずなによって人間と結ばれているにすぎない独立の人間、営利活動と彼自身ならびに他人に私的欲望の奴隷である。近代国家は、そのようなものとしてのみずからのこの自然的土台を普遍的人権のかたちで承認した」(全集②一一八ページ)。
 マルクスは、「ユダヤ人問題によせて」のなかで、フランスの人権宣言を手がかりとして、資本主義的自由と人権の徹底的分析と批判を展開している(全集①四〇〇ページ)。
 まずマルクスは、人権宣言が「人(l'homme)および市民(citoyen)の権利宣言」であって、人の権利(droits de l'homme)と公民の権利(droits de citoyen)を区別していることに注目する。公民の権利は、「政治的共同体つまり国家制度への参加」の権利であり、社会的存在としての人間、類的存在としての人間が、共同社会とかかわるうえで不可欠に重要な権利である。
では「人の権利」は何を意味するか。
 「なによりもさきにわれわれの確認することは、いわゆる人権、すなわち公民の権利とは区別された人の権利が、市民社会の成員の権利、すなわち利己的人間の、人間と共同体とから切りはなされた人間の権利にほかならないという事実である」。
 右人権宣言では、自然権として、「平等、自由、安全、所有権」が規定されている。
 では、自由の本質はどこにあるか。
 第六条は「自由は、他人の権利を害しないすべてをなしうる、人の権能である」としている。「したがって自由とは、どの他人をも害しないすべてのことをしたりやったりできる権利である。……問題となっている自由は、孤立して自己に閉じこもったモナド(単子)としての人間の自由である」。
 「自由という人権は、人間と人間との結合にもとづくものではなく、むしろ人間と人間との区別にもとづいている。それはこうした区分の権利であり、局限された個人の、自己に局限された個人の権利である。自由の人権の実際上の適用は、私的所有という人権である」。
 次に、私的所有の本質は何であろうか、それは、「任意に、他人にかまわれずに、社会から独立に、その資力を収益したり処分したりする権利、つまり利己の権利」である。
 また、平等とは、「自由の平等にほかならない。すなわち、各人がひとしくこのような自立的なモナドとみなされることである」。
 安全とは、「その一身、その権利およびその所有権の保全のため、保証をあたえることに存する」(第八条)から、「むしろ、その利己主義の保証である」。
 以上、四つの基本的人権の批判のうえにたって、マルクスは、次のように結論を下している。
 「だから、いわゆる人権はどれ一つとして、利己的な人間以上に、市民社会の成員としての人間以上に、すなわち自分の殻、私利と我意とに閉じこもり共同体から区分された個人であるような人間以上にこえでるものではない」。
 マルクスがこのように資本主義的自由と人権を批判しているのは、もとよりその歴史的意義を認めなかったためではあるまい。資本主義的生産様式は、封建制の地方的、身分的特権と人身的きづなを打ち砕き、そのうえに、自由競争、移転の自由、商品所有者たちの平等の世界をつくりだすことによって、歴史上前例のない巨大な生産力の発展を生みだし、全地球的規模での自然の改造をなしとげた。
 資本主義的自由は、自然に対する人間の自由の拡大を生みだしただけではない。それは、労働力の売り手としても、生産手段からの自由という意味においても、二重の意味で自由な労働者を生みだし、万人に対する自由と平等の形式的保障によって労働者階級に階級闘争を発展させる理論的武器を提供した。労働者階級を中心とする被抑圧階級の階級闘争は、個人の尊厳、主権者意識、人権感覚などを国民の共通の財産として確認させるに至ったのである。
 しかしそれにもかかわらず、資本主義的自由は、その本質において、私的取引の自由による「搾取の自由」というブルジョアジーの経済的要求に立脚しているものであり、したがってそこからくる制約を免れえないことを、マルクスは強調したかったのであろう。
 資本主義的自由の特徴は、形式上は万人に対する自由と人権への保障でありながら、ブルジョアジーにおいてのみ、その形式に対応する内容が保障されているのであって、労働者階級をはじめとする被抑圧階級に対して与えられる自由と人権は、その形式に比し、内容が著しく貧困であることに求めることができる。
 その一つの例として、辻村みよ子氏の『「権利」としての選挙権』(六六ページ以下、勁草書房)によりつつ、フランスにおける主権論と選挙権論をとりあげてみよう。何故なら、これこそ民主主義をはかる試金石だからである。
 フランス革命の直接的産物としての、人権宣言は、第三条において「あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する」と主権在民を宣言し、第六条で、「法は、総意の表明である。全ての市民は、自身でまたはその代表者を通じて、その作成に協力することができる」と規定されていたから、形式上は、すべての市民が主権者として、選挙権を与えられるはずであった。
 しかしフランス革命をつうじてその政治支配体制を確立していったブルジョアジーは、労働者階級の政治参加を排除する目的のもとに、租税、社会的身分による制限間接選挙制を導入した。それを正当化する理論が、一七九一憲法の中で採用された「ナシオン主権」論とそれにもとづく「選挙権公務説」であった。
 「ナシオン主権」論とは、主権は、総体としての「国民(ナシオン)」に帰属しているが「ナシオン」は、抽象的な集合体であって、本来的に意志能力を欠き、みずから主権を行使しえないから、「国民代表」にその行使を委ねざるをえない。さらに「国民代表」は、「全国民の代表」であって、特定の階級、階層の代表ではないから、国民代表を選出する選挙は「全国民のために行う憲法上の職務(公務)」にすぎない。したがって選挙という公務を行使する選挙人の資格をどのように定めるかは、公権力に委ねられており、経済的・社会的地位による制限選挙を実施しても何ら問題はない、とする理論であり、ブルジョアジーの階級的利益を露骨に反映したものであった。主権在民は見事にまで空洞化され、ブルジョアジーのみが、国民代表として主権を行使しうることになったのである。
 革命の成果を独り占めにするブルジョアジーの裏切りに対し、勤労大衆は、九二年一〇月武装蜂起して王制を廃止し、制限選挙をなげすて、男子普通選挙権を実施するに至った。
 この時期の主権論、選挙権論は、九一年憲法に対抗するものとして、「プープル主権」論を基礎とする「選挙権権利説」であった。
 主権は、生きた人間である「市民」の総体としての「人民(プープル)」に帰属する。「プープル」を構成する各市民は、みずから主権の行使に参加する平等の権利をもつ。選挙は、主権者の権利の行使であり、選挙権は権利であるから、すべての市民に与えられねばならない、というものである。
 結局フランス革命は、「テルミドールの反動」によってブルジョアジーの勝利に終わり、以後「ナシオン主権」論と選挙権公務説がフランスを支配し続けるのである。
 因みに、主権在民をかかげる日本国憲法のもとにおいても、「選挙権公務説」が公法学界の通説となっており、最高裁も基本的にこの見地にたって、選挙運動制限規定を一貫して合憲と判断し続けていることを指摘しておくことも、無駄ではないであろう。
 以上みてきたように、資本主義的自由もまた一つの歴史的産物として、その歴史的制約を免れることはできないのであるが、ブルジョア法学は、それを絶対的なものとして美化する。
 ここでは日本のブルジョア法学を代表する一人である、宮沢俊義氏の見解をとりあげてみたい。
 宮沢氏は、世界の人権宣言には、二つの系譜があると指摘しており、これは公法学界のほぼ定説となっているといっても過言ではない。
 即ち、一つは、アメリカ、フランス革命において生まれた「自由国家的人権宣言」およびその流れを引継ぎ、第一次、第二次大戦を機に広がった「社会国家的人権宣言」であり、他の一つは、「社会主義的人権宣言」である。
 宮沢氏の主張するところをきいてみよう(宮沢俊義『憲法Ⅱ(新版)』四六ページ、法律学全集、有斐閣)。
 「自由国家的人権宣言」は、「アメリカ、フランス両革命の子として生まれた結果、それら両革命の指導原理であった自由主義的国家・政治観をその指導原理とするもの」であり、その中心的地位を占めたのは、自由権と参政権であった。ところが、二〇世紀になると、第一次世界大戦、とりわけ、一九一九年のワイマール憲法を機として、諸国の人権宣言に、各種の社会権または社会的基本権があらわれはじめた。自由権とならんで、社会権の宣言に重きを置く人権宣言を「社会国家的人権宣言」とよぶ。これに対して、ソ連や人民民主主義諸国家の人権宣言は、「社会主義的人権宣言」とよぶことができる。それらの人権宣言は、「その立脚する原理が、自由国家の原理を真正面から否定する」点において、「社会国家的人権宣言」(社会国家の理念は、「自由国家のそれを否定するものではなく、それを前提とし、それを実質化しようとするものである」)とも性格がちがうから、別の系譜に属するものである(同四八ページ)。
 例えば、ソ連憲法では、「国家は自由の守り手と考えられ、国家権力は、言論の自由に対して強い制約を加えている。ことに西方的意味における政治上の言論の自由は、そこには存在しない。その打倒をさけぶ新聞の存在も許されない」(同五八ページ)。社会主義諸国の「憲法における人権宣言が宣言・保障しようとするものが、『人間性』に基礎づけられる人間の権利としての人権ではなくて、勤労者 ── 具体的には、それらの組織としての共産党ないしそれに準ずる政党 ── の権利であることが注目されなくてはならない」(同五九ページ)。
 大略以上のように要約しうるものと思うが、結論的には、「ソ連型社会主義」の誤りと反共主義に災いされ、歴史の部分的歪曲までおこなって、人権宣言の二元論を構築している、といってよいものと思われる。
 宮沢氏は、人権宣言が「歴史の所産」であることを指摘して、「それらは、一般に知られるように、何よりもまず従来行なわれた制限の否定である」というイェリネックの言葉を引用している。
 もし、この言葉を真剣にとらえるならば、宮沢氏は、社会主義的人権宣言もまた「歴史の所産」であり、資本主義的自由を継承・発展させつつ、その「制限の否定」として誕生したことを見るべきであった。社会主義的自由は、搾取の自由を否定することによって、形式的な資本主義的自由を内容のあるものとし、かつ資本主義的自由では実現しえなかった、生存の自由、民族の自由を実現したのである。宮沢氏も認めているように、一九一八年のソビエト憲法は、宗教の自由、集会の自由、団結の自由などの自由を実質的なものにするために、物質的手段の保障をも規定していた。一八歳以上のすべての男女に普通選挙権を与え、土地改革により貧農に土地を与え、完全な八時間労働制を実現し、労働能力を一時的または永久に喪失したすべての者に対する「生存の自由」を保障し、「平和についての布告」「ロシア諸民族の権利宣言」によって、「民族の自由」を認めたが、これらは、いずれもそれまでのどの資本主義的自由もなしとげえなかった、前例のない自由の拡大であった。
 ソビエト憲法の翌年に制定されたワイマール憲法は、ソビエト憲法に対抗するものとして誕生した。それは資本主義的自由に民主主義的偽装と妥協を施し、ソビエト憲法の水準に近づこうとして、労働者の労働権、生存権などの「社会権」をもりこまざるをえなかったのである。
 したがって、歴史の流れにしたがうならば、「自由国家的人権宣言」から、「社会主義的人権宣言」に、そして「社会主義的人権宣言」から「社会国家的人権宣言」へと発展していったのが、歴史の真実であり、宮沢氏の指摘するように「自由国家的人権宣言」が自己運動の結果として「社会国家的人権宣言」を生みだしたものでもなければ、「自由国家的人権宣言」のながれと無関係に「社会国家的人権宣言」が生まれたわけでもない。もちろん、「自由国家的人権宣言」ないし「社会国家的人権宣言」と、「社会主義的人権宣言」とを別の系譜としてとらえることもできないわけではない。しかしそれは、宮沢氏の指摘する意味においてではなく、資本主義社会における「社会国家的人権宣言」は、自由権にしても、主権在民と参政権にしても、社会権にしても、被抑圧階級にとっては、形式に対応した内容をともなっていないが、「社会主義的人権宣言」、搾取の廃止を実現し、多数者による多数者のための権力を確立することによって、自由の形式と内容の統一とを原理的に可能にしたことに求めるべきものである。
 宮沢氏も、資本主義の人権宣言には、一八一四年、王制復古後のフランス憲法、戦前日本の帝国憲法などのように、「外見的人権宣言」とよばれるべきものが存在することを認めている(同二一ページ)。「自由権的人権宣言」を「実質において承認することを拒否しながらも、外見上は、どこまでもそれを尊重する形式を維持しようとするものであり、まさにそういう人権へのリップ・サービス的役割を勤める」ものをそうよんでいるのであるが、これこそ資本主義的自由が形式自由にすぎないことを、露骨に宣言したものとして理解すべきものである(同八五ページ)。さらにいうならば、「外見的人権宣言」は、何も帝国憲法だけに関してではなく、日本国憲法にも、さらには、およそ資本主義国の憲法全体について、そうよばれるのが相当である。何故ならば、宮沢氏のいう「社会国家的人権宣言」の中心をになう、社会権のほとんどすべてが、民主主義的偽装にすぎず、国家に対する具体的請求権として認められていないからである。宮沢氏も、日本国憲法第二五条の「生存権」が「この規定により、直接に、個々の国民は、国家に対して具体的現実的にかかる権利を有するものではない」(同四三四ページ)とする最高裁判例を紹介している。搾取の自由のもとにおける「生存権」の保障が、単なる「プログラム規定」にすぎないことは、ブルジョア法学も自認せざるをえないところである。
 宮沢氏の主張は、反共意識に引きずられて、学問的・法律的見解というより、俗論となっているものも少なくない。社会主義国家を「全体主義体制ないし独裁制」としてとらえたり、中国の言論の自由は「マルクス主義の範囲内で言論の自由があるようだ」とする新聞記事を紹介したりしているのがそれである。自由の形式と内容の不一致を問題とするのであれば、資本主義的自由においても同様にそうすべきものであったが、企業のなかでは憲法の適用がないことをも肯定的に評価する宮沢氏には、それを期待する方が無理というものであろう。
 いずれにしても、今日の東ヨーロッパの一連の事態をみるとき、宮沢氏ならずとも、これらの諸国の自由と人権に重大な制約があったことは否定しがたいが、それは社会主義の本来の姿から逸脱したスターリン・ブレジネフ流の社会主義の破綻を示すものであり、今日の民主化の姿こそ、本来の社会主義への苦悩に満ちた模索の過程とみるべきものと思うが、その詳細を語ることは、本論の主題ではない。

 

三、社会主義的自由

 社会主義社会は、高い生産力の発展のうえに生産手段を社会化することにおいて、実現される。「社会以外の」なにものの指揮の手にもおえないほどに成長した生産力を、社会が公然と、直接に掌握する」わけである。
 高い生産力は、何よりも自由の基礎を提供する。労働時間の短縮による自由時間の短縮をもたらすからである。また生産手段を社会が掌握することにより、生産の無政府性から解放され、国民の豊かさを保障する計画経済が可能となる。また搾取を廃止することによって、物質的生産における階級的支配・従属関係はなくなり、自由な人間関係への道が開かれる。
 また資本主義社会の国家は、少数者による少数者のための権力であるのに対し、社会主義社会は、人民を主人公とする社会であり、多数者による多数者のための国家権力であるから、名実ともに主権在民を実現することになる。人民には主権者として、自由権、参政権が保障されることはもとより、搾取の廃止により生存の自由、民族の自由の実質的保障が可能となる。
 こうした意味で、客観的内容においても、主観的内容においても自由は拡大し、いまやはじめて、人間は自然および社会の支配者となり、「このときからはじめて、人間は、十分に意識して自分の歴史を自分でつくるようになる」。
 しかし、まだ国家は死滅せず、生産力も「能力に応じて働き、労働に応じて分配する」という段階にとどまっているから、やはりまだ必然の国である。さらに生産力が発展し、社会主義から共産主義の段階に達すれば、国家は死滅して、人間は階級社会だけではなく、国家権力による支配からも最終的に解放され、自己目的としての労働のみを必要とする真の自由の国に至る。
 一昨年来、「共産主義終焉」論、「社会主義崩壊」論が横行している。しかし共産主義はもとより、本格的な社会主義すら、まだ地球上には実現されていない。実現されていないものが「崩壊」しよう筈もない。それはともかく、科学的社会主義の自由論の理論的展開によってこれらの反共宣伝と正面から対決することは、科学的社会主義を志向するものの焦眉の課題となっていると思う。本小論文が、そのための一助となれば、これに勝ぐる喜びはない。

一九九一年 四月