『ヘーゲル「小論理学」を読む(上) 』より

 

 

前期第一講 ヘーゲルとその時代

科学的社会主義の運動論を深めるために

 これからヘーゲル論理学ゼミナールを皆さんと一緒に学んでいきますが、開講にあたっていくつか大事な点をお話しいたします。
 まず第一に、何のためにヘーゲルを学ぶのかということです。ひとことでいうと、科学的社会主義の運動論を深める立場からヘーゲルの論理学を学びたいというのが私の講義の基本姿勢です。
 科学的社会主義の運動論というのは、簡単にいうと、科学的社会主義の学説に導かれながら社会の現実の矛盾を明らかにして、その矛盾を人民にとってよりよい方向に打開する合法則的な運動を進めていくことです。つまり社会というものを法則に沿いながら段階的に発展させていくという運動論です。こういう科学的社会主義の運動論を本当に身につけるためには、やはり世界の諸法則を包括的に学ぶ必要があります。全体として世界の諸法則がどうなっているのかを身につけてはじめて、職場、地域、学園で合法則的に活動することができるのです。
 その世界の諸法則を包括的に扱ったのがヘーゲルというドイツの哲学者です。ヘーゲルにはいろんな著作がありますが、中心をなすのが「論理学」です。ですから、ヘーゲル論理学を学ぶことによって、一人ひとりがそれぞれの場で固有の運動法則を探求し、解明する力量を身につけてほしい、という立場から講義をしたいと思います。
 ヘーゲル論理学の講義をするのはこれで二度目ですが、今回の講義は前回のくりかえしではありません。今回、改めて講義をするについてはいくつかの理由があります。一つは私自身の一度目の講義を振り返ってみて、はなはだ不十分だという自省の念があるのです。特に、全体としてヘーゲル哲学をどうつかむかという点が弱かったと思います。ヘーゲル論理学を科学的社会主義の見地から講義をされた見田石介さんという方がおられますが、この見田石介さんの論理学を引き継いで今頑張っておられるのが関西勤労者教育協会の哲学の講師をしておられる関西大学の鯵坂真先生です。前回の講義は、この見田さんや鯵坂先生の解釈するへーゲル論理学をほとんどそのままに、私の見解をあまり加えないでお話ししたのです。今回はそれをベースにしながらも私独自の考えをつけ加えて話したいと思うのが二つ目です。
 どの点を一番つけ加えて話したいのかというと、ヘーゲル論理学のなかの「概念論」という部分です。論理学の構成は第一部が有論、第二部が本質論、第三部が概念論で、この概念論をどう解釈するかという点で、私なりに考えたことをお話ししたいと思います。それは一言でいえば、社会や自然の合法則的な発展をめざす変革の立場を強調したのがヘーゲルの「概念論」ではなかったのかという見地です。
 テキストは岩波文庫から出ております松村一人訳の『小論理学』です。サブ・テキストは鯵坂先生などの書かれた『ヘーゲル論理学入門』(有斐閣)という本で、適宜これらを引用しながら話を進めていきたいと思います。
 それ以外に参考になるものも幾つかあるので、それを紹介しておきますと、まずレーニンの『哲学ノート』があります。この『哲学ノート』は大半がヘーゲルの著作からの抜き書きとそれに対するレーニンのコメントですけれども『哲学ノート』の中心になっているのがヘーゲル論理学のノートなんです。それから科学的社会主義の創始者であるマルクス、エンゲルスも、ヘーゲル論理学を熱心に勉強しました。エンゲルスは、ヘーゲル論理学の研究をノートとして遺し、それが『自然の弁証法』という本になっています。『自然の弁証法』はいわば未完の書で大変読みにくいんですけれども『自然の弁証法』のなかには『論理学』の抜き書きにあたる部分が随分あります。これもおおいに参考になると思います。マルクスも、時間があればヘーゲル論理学の神秘的部分を取り除いて弁証法的唯物論の教科書的なものを書きたいという気持をもっていましたが、社会変革の実践の先頭に立ち『資本論』の執筆に全力をかたむけ、果たさずして亡くなってしまいました。
 現在のものでいいますと、先ほど紹介いたしました見田石介さんの講義録である『ヘーゲル大論理学研究』(大月書店)が全三冊で出ています。見田さんはヘーゲル論理学の講義の途中でお亡くなりになったものですから、未完のままなんです。その未完のところを後に鯵坂先生たちが完成いたしまして、それが『ヘーゲル大論理学概念論の研究』という本になりました。この四冊あわせてワンセットということになります。
 私が読んでおもしろかったのは姜尚暉氏の『ヘーゲル大論理学精解』(ミネルヴァ書房)という本で、これも大変参考になりました。それとヘーゲル哲学では独特の用語を用いるので、とても難しく感じるのですが、その用語を理解するために事典を活用されたらよいと思います。事典を二つほど紹介しておきますと、一つは『ヘーゲル用語事典』(未来社)、もう一つは分厚い『ヘーゲル事典』(弘文堂)が出ておりますが『ヘーゲル用語事典』で十分間にあうと思います。これらを参考にしながら、みなさんと一緒に学んでいきたいと思います。

ヘーゲルとその時代

 今日は「ヘーゲルとその時代」というテーマですので、ヘーゲルがどんな時代に生き、何を考え、どんな哲学をやってきたか、という時代背景と人物紹介をしておこうと思います。
 ヘーゲルが生まれたのは一七七〇年で、亡くなったのが一八三一年。ですからもうかれこれ二〇〇年も前の人です。どういう時代だったかというと、フランス革命が始まったのが一七八九年です。ですから、ヘーゲルの青年時代というのはフランス革命のまっただなかでした。その後ナポレオンがヨーロッパ全体を支配し、ナポレオンが敗れた後、ウィーン会議が開かれて、いわゆるウィーン体制というものが確立したのが一八一五年です。ウィーン体制というのは、フランス革命の影響を一掃して再び絶対主義体制の復帰をめざす反動的な体制だったのですが、そういう時代を経てドイツは一八四八年に三月革命を迎えます。これがドイツにおけるブルジョア民主主義革命ですが、その前にヘーゲルは亡くなっています。やはりヘーゲルも「時代の子」でありまして、彼の哲学には、こういう時代が色濃く反映されているのです。
 ヘーゲルは一七七〇年にシュツットガルトというドイツの南の方で生まれますが、お父さんはシュツットガルトが首都だったヴュルテンベルク公国の財務官でした。当時ドイツは封建的な絶対君主があちこちに散らばっていて、まだ近代的な統一国家は実現していません。
 ヘーゲルはシュツットガルトの高等学校(ドイツ語ではギムナジウム)でギリシャ悲劇に興味をもって勉強しました。ギリシャ悲劇のどこに共感したのかというと、そのなかに含まれている合理的な啓蒙思想に共感を覚えたといわれています。それで一七八八年にチュービンゲン大学の神学科に入学しました。そこでキリスト教の歴史を勉強するのですが、この時代にシェリング(ドイツの哲学者)と友達になります。シェリングはヘーゲルよりも五歳年下なんですが、彼は天才的だったらしくずいぶん若い時から名をあらわしていたのです。ヘーゲルはこのチュービンゲン大学の時代にフランス革命に遭遇し、彼はこのフランス革命こそいわば啓蒙思想を実現する革命だとして、双手を上げて歓迎するのです。
 フランス革命を思想的に準備した人たちを、啓蒙主義者といっておりますが、モンテスキュー、ディドロ、ジャン・ジャック・ルソーという人たちです。彼らは、絶対主義国家というのはまちがっており、人間の理性に反した国家である、もっと理性的な国家をつくらねばならないとして、理性にもとづく国家の建設を訴えました。そのことはエンゲルスの有名な『空想から科学へ』の冒頭に詳しく書かれております。フランス革命が起きたときに、ヘーゲルは熱狂して「自由の樹」を植え、そのまわりを革命歌を高唱しながらシェリングやヘルダーリンと一緒に踊りまわった、という有名な逸話があります。
 チュービンゲン大学でキリスト教を勉強するなかで、理性的な宗教によって国民の自由が実現できるのではないかという考え方が芽ばえます。一種の啓蒙思想にたった宗教観にもとづいて「国民の自由を実現しよう」という考え方をもつに至ったようです。
 神学校を出ているのですから、普通だったら大学を卒業して、牧師になるんですけれども、牧師にはならないで、学問の道を志してスイスに行きます。しかし、職がなかったため家庭教師をしながら学問の道へ入って、カントやフィヒテの哲学を研究しました。
 ここでドイツの古典哲学について話しておきたいのです。ドイツ古典哲学というのは科学的社会主義にとっても非常に重要な意義をもっています。ドイツ古典哲学とイギリスの経済学、フランスの社会主義をあわせて「科学的社会主義の三つの源泉」と呼んでいます。
 ドイツ古典哲学の出発点に位置するのがカントです。カントからフィヒテ、シェリング、ヘーゲルと続きます。ドイツ古典哲学はここまでは観念論哲学ですが、この後、唯物論者のフォイエルバッハが登場します。エンゲルスの『フォイエルバッハ論』という本がありますけれども、その正式な名称は「ルートヴィッヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結」という題名になっています。つまりドイツ古典哲学はフォイエルバッハに至って終わってしまったという意味なんです。なぜフォイエルバッハだけ違うのかといいますと、この人は唯物論者であり、かれはカントからヘーゲルに至るドイツ古典哲学をすべて観念論ということで批判するのです。マルクス、エンゲルスは、ヘーゲルの観念論的弁証法をつくりかえて弁証法的唯物論という哲学を生みだすのですが、当時のドイツ哲学というのは十九世紀の世界の思想上の頂点に立っていたのです。
 その最初に位置づけられるのがカントです。マルクスにいわせると、カントは「フランス革命のドイツ的理論」だといってるのですが、このカント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルなど全部が当時のフランス革命の影響を強く受けています。フランスは現実に政治的な革命をやったのですが、ドイツでは絶対主義的な君主が支配していて、とてもそんなことをやる自由がない。だから哲学のなかで革命をやったといわれるのです。カント、フィヒテ、シェリングからヘーゲルに至る道というのは、フランスの啓蒙思想を引き継ぎながら、それをドイツ観念論哲学の言葉でどう表現していくかという議論なんです。
 先ほど述べたようにヘーゲルはスイス時代にカント、フィヒテの哲学を研究します。その後一七九七年にはフランクフルトに行ってまた家庭教師をするのですが、その時にはカント、フィヒテを卒業しまして、今度はシェリングの影響を非常に強く受けるに至ります。一八〇一年から当時シェリングのいたドイツ哲学の中心地であるイエナというところに行きまして、そのイエナ大学の講師になります。この時から哲学者ヘーゲルの人生が始まるのです。
 当時シェリングは既にイエナ大学の教授でした。いわば五歳年下のシェリングの導きでイエナ大学に入ったので、はじめはシェリングと一緒になって論文を発表したり雑誌を出していたんですけれども、ヘーゲルはだんだんシェリングの哲学にあきたらなくなって、自分の独自の哲学をうちたてていきます。その最初のヘーゲル哲学の著作が一八〇六年に書かれた『精神現象学』という本です。エンゲルスは「精神の発生学」だといっているのですが、人間の認識が感覚から出発してだんだん高い意識になり、理性や精神をへて絶対知に至るという、人間の認識の発展過程を、個人の認識の発展過程と重ね合わせて書いた著作です。この『精神現象学』のなかでヘーゲルはシェリングを痛烈に批判しました。そのためにシェリングと絶交状態になり、それ以降はもう全然つき合いがなかった、といういわくつきの本です。
 その『精神現象学』を書いている時に、当時のプロシア(ドイツの中心的な国だった)とナポレオンの率いるフランスが戦争をして、プロシアはフランスに負けるのです。そのときの最大の主戦場になったのが、ヘーゲルのいたイエナでした。このイエナ開戦でプロシアが負けて、ナポレオンがイエナに入場してくるのをみながら、ヘーゲルは『精神現象学』を書きあげたといわれています。ヘーゲルはナポレオンを窓越しにみて「世界精神が町を通って馬を進めるのをみた」といっています。この辺がなかなかおもしろいところで、普通からいえば、自分の国が負けたわけですから、敵の将軍が入場してくるのに対して、それを評価するというのはおかしなことなのです。しかしナポレオンは革命を生んだフランスから来た人物ですから、彼こそがプロシアに自由をもたらす人物だろうと思って、ヘーゲルは彼を歓迎するのです。実際にはそうではないのですが、そういう逸話が残っております。
 その後、プロシアがナポレオンに占領されてイエナ大学は閉鎖され、ヘーゲルはクビになったものですから、ニュールンベルクに行ってそこのギムナジウムの校長になります。そこでギムナジウムの課程に哲学を盛り込むのです。高等学校でヘーゲル哲学を教えようというのですから、とんでもない暴挙という感じもします。それでこのニュールンベルク時代に、第二の著書である『大論理学』これを何回にも分けて一八一二年から一八一六年の間に出します。
 彼は高等学校の校長では満足しません。やはり大学の教授になって哲学を教えたいという強い希望があって、ハイデルベルクという非常に古い中世の時代から学問で有名な町があるのですが、一八一六年にそのハイデルベルクの大学の教授にようやくなるのです。その翌年の一八一七年ですが『エンチクロペディー』という著作を発表します。正式な名称は「哲学的諸学問のエンチクロペディー」です。エンチクロペディーというのは英語でいえばエンサイクロぺディア(百科事典)です。啓蒙思想家のディドロが中心になって「百科全書」を作って「百科全書派」とよばれました。だから、ヘーゲルもそれにならって自分の哲学体系を哲学の百科全書としてここに完成するのです。そのヘーゲル哲学は、大きくいいますと『エンチクロペディー』の第一部が「論理学」、第二部が「自然哲学」、第三部が「精神哲学」となっています「精神哲学」はちょっとわかりにくいのですけれども、要するに人間社会の哲学、社会哲学と同じような意味です。それでこのエンチクロペディーのなかの「論理学」のことを「大論理学」と対比して「小論理学」とよんでいます。われわれが学ぶのもこの「小論理学」です。
 この『エンチクロペディー』によってヘーゲル哲学の体系が完成して、この頃からヘーゲル哲学の評判がだんだん高くなり、ヘーゲル学派というのがつくられていくのです。その『エンチクロペディー』は一八一七年に最初の版が出ます。その後一八二七年と一八三〇年にそれぞれ改訂版を出して、現在使われて残っているのは一八三〇年の第三版で、われわれが学ぶのもその第三版です。
 一八一〇年にベルリン大学が開校し、哲学の教官だったフィヒテが一八一四年コレラで亡くなったため、空席になります。その空席の哲学教授にヘーゲルは一八一八年に就任します。これからがヘーゲルの人生で最も華々しい時代になります。ヘーゲルが国定哲学にまで昇りつめたのは、このベルリン大学の時代です。一八二一年に『法の哲学』という本を発表しました。『法の哲学』は精神哲学の一部を構成するものですが、しかし独立した書物であり、現在でもよく読まれている本です。
 一八三一年、ヘーゲルもコレラにかかって亡くなります。ヘーゲルが死んだ後にそれまで講義したものをヘーゲルの弟子たちがまとめて『歴史哲学』『宗教哲学』『美学』『哲学史』などの本を出版しています。現在、岩波書店のヘーゲル全集に収録されていますが、これらはのちに弟子たちが編纂したものであって、ヘーゲル自身が書いたものではありません。

ヘーゲル哲学とは何か

 さて、いよいよ本題に入るのですが「ヘーゲル哲学とは一体何なのか」「ヘーゲル哲学の本質は何なのか」という問題をお話ししたいと思います。ヘーゲルは哲学上の巨人で、ソクラテス、プラトン、アリストテレス以来の二五〇〇年におよぶ哲学の歴史を総決算し、自分なりの哲学をつくった人です。そういう巨人ですから、そのなかの何をもってヘーゲル哲学の本質とするかというのは、どういう観点からヘーゲル哲学を学ぶかにも関連してくると思います。
 ここではっきりしておかなければならない問題は、ヘーゲルは一般に観念論者だといわれていますので「観念論」だといわれているヘーゲル哲学をなぜ、われわれが学ばなければならないのかという点を明確にしておかなければならないと思います。労働者教育協会が発行している『学習の友』でいま哲学を連載しております。そこにも出ていますが、現代における哲学上の課題の最たるものは何かというと、やはり観念論とのたたかいなんです(一九九六年八月号~九七年五月号)。現在の観念論哲学というのは、一つはオウムのような非合理主義です。オウム真理教に入っているような人たちもまじめに世のなかを何とかしなければならないと考えている人が多いと思います。ただ解決方法がまちがっているんです。そういう真面目な人たちが、オウムに行った根底に非合理主義があるのです。もう一つの観念論としては反科学主義があります「科学の発達によって、世のなかはかえって悪くなった」として科学そのものを否定する観念論哲学が横行しています。こういう観念論とヘーゲルの観念論とを同列に論議できるかというと、それは全然できません。
 まず、どういう意味でヘーゲルが観念論者だといわれるかといいますと、ヘーゲルの哲学体系がまず問題なのです。ヘーゲルの哲学は先ほどいいましたように論理学と自然哲学と精神哲学があって、論理学は何で終わっているかといいますと絶対理念で終わっています。つまり世界の根本的な真実は何かといえば、それは絶対理念だというのです。その絶対理念が自己展開して自然となり、それが再び自己復帰したのが精神だというのでヘーゲルは観念論者であるといわれています。確かにその体系の枠組みからいえばそういえなくもないので、その批判自体はまちがってはいないけれども、それがヘーゲル哲学の本質だということになったら、ヘーゲル哲学はお伽話にすぎない、何ら学ぶ価値のない存在でしかない、ということにならざるをえません。
 実際には、ヘーゲルという人はあえて数字で言えば、九五%唯物論者だと思います。どこが観念論かというと、やっぱり彼の哲学体系の枠組みが観念論なんであって、その中味は基本的に唯物論だと思います。やはりヘーゲルも「時代の子」として、ドイツ観念論のカント以来の影響を強く受けているために、そういう枠組みを取らざるをえなかったということではないか、というように私は考えています。
 そのことを詳しくお話ししてみましょう。ヘーゲルの中味の九五%は唯物論者だといったんですけれども、そこをつかむにはドイツ古典哲学の発展の系譜のなかでヘーゲルをつかまえなければいけないと思うのです。
 そこで、さっきのことをもう一回おさらいしてみたいと思うのですが、ドイツ古典哲学では、絶対者というものを探求しています。絶対者すなわち、この世のなかで絶対的な真なるものは何かを探求するという問題意識に貫かれています。われわれが住んでいるこの世界にあるものはすべて運動・変化・発展するので、それは限りある存在です。限りある存在というものを、有限者という言葉で呼んでいるのですが、有限者は真なるものではない、有限の限りあるものは真なるものではない、という問題意識とも関連して絶対者というものをとらえようとするのです。
 そこで、まずカントですけれども、カントは「絶対者は有限者のなかにはない。有限者は真実ではない存在であって、無限者たる絶対者は有限の彼岸にあってこれは認識不可能」と考えました。これに対しフィヒテは「絶対者は有限者の彼岸にあり、到達すべき目標だ」といっています。どうしてこんな事をいうのかといいますと、これはやっぱり啓蒙思想なんです。先ほどマルクスは、カントを「フランス革命のドイツ的理論」といったことを紹介しましたが、啓蒙思想とは何かというと、絶対的な真理というものを人間の頭のなかで考えるのです。その観念的な理想を、人間社会に実現しようというのが啓蒙思想です。
 『空想から科学へ』の冒頭で次のようにエンゲルスはいっています。
 「フランスで来たるべき革命のために人びとを啓蒙した偉大な人物たちは……理性の審判の前で、その存在の正当性を立証するか、さもなければ存在することをあきらめなければならなかった「世界は、これまでまった」く偏見にみちびかれてきた。すべての過去のものはあわれみとさげすみに値するだけであった。いまやはじめて日の光、理性の王国があらわれた。これからのちは、迷信、不正、特権、および抑圧は、永遠の真理、永遠の正義、自然にもとづく平等、およびゆずり渡すことの出来ない人権によって、とってかわられなければならない」(古典選書版二四ページ/全集⑲一八六ページ)。 
 つまり、人間の頭のなかで、これこそが絶対的真理だと考えたものを、人間社会に押しつけようとしたのが啓蒙思想家なのです。その影響を受けてその絶対的真理なるものは有限のもののなかにはない、この世のなかにはない、それは人間の頭のなかにあるんだというのが彼ら(ドイツ観念論者)の考えなのです。有限なものをこえた普遍に真理があると考えるのは一理あるのです。例えば、個別と普遍、人間でいえば個人と人類のどちらが真なるものかと考えた場合、個人は有限ですが人類は相対的に無限です。また個人は進化しませんが、人類は進化します。その意味で人類の方がより根本的であり、真なるものと考える理由はあるのです。
 こういうカントやフィヒテの絶対者に対してシェリングは批判します。シェリングはどういう批判をするかといいますと、絶対者はあらゆる現象の根底に存在する普遍として自己同一的なものだというのです。つまりこの世のなかに存在しているものは、みな限られた存在だが、その根底には変わらないものが一貫して存在している、それが絶対者だというのです。これはどういう点でカントらをのりこえているかといいますと、カントとフィヒテは、絶対者を有限者と切り離して有限者の彼岸にあるとみています。だけどシェリングは、絶対者は有限者の彼岸にあるのではなくて、有限者の底にある普遍なものだというのです。
 そこでヘーゲルは最初、シェリングの考え方に賛成します。なぜかというと、ヘーゲルは絶対者を歴史の法則性だとみているからです。つまり歴史というのはいろんな社会が登場して次々交代していく、いろんな人間が生まれては交代していくのですが、その底に不変の絶対者がある。それはいわば歴史の法則性ともいうべきものなんだとヘーゲルは理解します。それで彼はシェリングに賛同するのです。一時期ヘーゲルはシェリング主義者になりました。だけれどもヘーゲルはよくよく考えてみたら、シェリングもおかしいと気づきます。何がおかしいかというと、結局、シェリングも絶対者(無限者)と有限者とを切り離している点では同じなんです。カントとフィヒテは有限者の向こう側に絶対者がいると考えており、シェリングは有限者の底にいわば有限者と区別された絶対者があるというのですが、シェリングも絶対者と有限者とを切り離している点ではカント、フィヒテと同じだと、ヘーゲルは批判しました。
 つまりヘーゲルは、有限者の底にではなく、有限者のなかにこそ絶対者がある、有限者と絶対者を切り離すのはまちがいと考えたのです。歴史の法則はシェリングのいう通りだけれども、歴史の法則というのは人類の歴史のさまざまな形をとって現れる現象のなかに貫いて存在しているのだというのが、ヘーゲルの考えです。だから有限者と切り離されて存在するのではなく、それと一体となり、有限者の総体として絶対者というのは存在すると考えるのです。
 現在のわれわれの言葉でいえば、有限者というのは客観世界のことです。客観世界は運動、変化する有限な存在です。絶対者というのをわれわれの言葉でいえば「理想」とほぼ同じだと考えてよいと思います。理想というのはわれわれが絶対に正しいと思うものだからです。つまりヘーゲルは、理想と客観世界は切り離して考えてはいけないというのであり、もう一歩発展させていうならば、ヘーゲルの絶対者観というのは、理想と現実の統一なのです。
 どうしてヘーゲルがこういう考え方に到達したのかといいますと、フランス革命のヘーゲル的総括からです。彼はフランス革命をみまして、最初は狂喜乱舞し、これによって国民の自由が実現すると大歓迎したのです。しかし、ロベスピエールの恐怖政治によって、多くの犠牲を出し、その後のナポレオンの登場、そしてウイーン体制によってフランス革命が一掃されてしまいます。そこで彼は何を考えたかというと、頭のなかだけで考えた理想では駄目なんだということに気づくのです。そういう観念論的な発想からでは世のなかを変える力にならない、世のなかをほんとうに変えようと思ったら、現実をしっかりみつめて、そのなかの法則をつかみとって、その現実の法則と理想とを統一しなかったら、やはり真なるものには到達できないと考えるのです。
 だからヘーゲルの哲学というのは、観念論の枠組みをもっていて、自ら絶対者の体系といって、絶対者の自己展開などということをいうのですが、中味をみてみるとほとんど唯物論ということになってくるのです。そこに私はヘーゲルを学ぶ意義があるのではないかと思うのです。
 次に、そのことをヘーゲル哲学にそって検証してみたいと思います。まず『大論理学』と『小論理学』の関連を述べておきますと『大論理学』は名前どおり大変分厚いものです。ヘーゲルが若いころに書いたもので、整理されていないところもあったりします『小論理学』は後にヘーゲルが最後まで書きかえようとして努力した。書物ですから、彼の思想の完成度の高いものといってよいでしょう。分量は少ないが中味は濃いのです。
 『エンチクロペディー』は一節からはじまり、五七七節で終わっています。一節から一八節までが序論、一九節から二四四節までが論理学(そのうち、一九節から八三節までが予備概念、二四五節から三六七節までが自然哲学、三七七節から五七七節までが精神哲学となっています。ですから「エンチクロペディーへの序論」は
『小論理学』だけの序論ではなくて、ヘーゲル哲学の第一部「論理学」、第二部「自然哲学」、第三部「精神哲学」、その全体にわたる序論になっており、ヘーゲル哲学全体の基本的な考え方をつかむことができます。そういう意味でこの序論は、大変おもしろく、またヘーゲル哲学の根本思想を表現しているといってもよいと思います。
 その六節の最後で「哲学はただ理念をのみ取扱うものであるが、しかもこの理念は、単にゾレンにとどまって現実的ではないほど無力なものではない」として、哲学は現実となる力をもつ理念(理想)を取り扱うのだといっています。
 次に七節「哲学という名称は、経験的個別性の大洋のうちにある確かな基準および普遍的なものの認識」に、与えられるとあります。経験的個別というのは客観世界における個別的存在というのと同じ意味です。個別のなかの普遍性を認識するのが哲学だというのです。ついで哲学は一見無秩序にもみえる「無数の偶然事のうちにある必然的なものや法則の認識」に従事するといっています。哲学は何をするかというと客観世界における必然性や法則性の認識だといっているのです。これもきわめて唯物論的な考え方です。だから哲学というのは経験的科学とあるところまでは共通の目的をもっているが、哲学はそこにとどまらず、経験諸科学以上のものを求めるというのです。それは何かというと、人間の意識の創造的な働きです。ヘーゲルは意識の創造性を非常に重視し、客観世界の法則性を認識するというだけでは不十分だとして、それを超えるものを哲学に求めるのです。
 九節では、哲学(思弁的な思惟)は経験諸科学と同様に必然的なものや法則を認識するだけでなく「独自の諸形式をもっており、そしてこの独自の諸形式の普遍的な形式は概念である」といっています。哲学はそういう客観世界における認識の法則性にとどまらず、哲学の独自の諸形式をもっている、それが概念だというのです。そういう客観世界の法則性を認識するものを超えた人間の独自の創造性の領域を、自分は概念と呼んでいるのだといっているのです。そこで論理学の構成に入っていくのですけれども、論理学というのは、さきほども話しましたように、第一部・有論、第二部・本質論、第三部・概念論、という構成をとっています。
 有論と本質論を大論理学のなかでは客観的論理学といっています。つまり客観的論理学というのは、客観世界における法則性の認識なんです。これに対し概念論というのは、人間の主観のもつ独自の形式を示したものということから、主観的論理学と呼んでいます。つまり人間の意識でいうと客観的論理学は、いわば狭い意味での「反映論」の立場にたっているのに対し、主観的論理学は人間の意識の創造性を問題としているのです。レーニンも『哲学ノート』のなかで「人間の意識は客観的世界を反映するだけでなく、それを創造しもする」(レーニン全集㊳一八一ページ)と書いていますが、人間の意識の創造性の役割を重視するのがヘーゲルなんです。先ほど私は「理想と現実の統一」といいました。それをヘーゲルの用語でいいますと、有名な『法の哲学』の序文にあるのですが「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」ということになります。これは、ヘーゲル哲学の真髄を命題として定式化したものだと思います。
 これは一体何を意味するのかということですが、一般には「現状肯定の保守主義を示したものだ」と理解されやすい文章です。しかしこの文章のなかにヘーゲルの革命的な本質をみ抜いた人がいる、それがエンゲルスです。『フォイエルバッハ論』のなかでエンゲルスは「この命題ほどはなはなだしく、目先のみえない政府からは感謝(古典選書版、一二ページ/全集㉑二六九ページ)を、そしてそれにおとらず目先のみえない自由主義者からは憤激を、まねいた命題はなかった」といっています。当時の自由主義者とは、今でいえば、進歩的な立場に立っている人ですから、この文章は先のみえない時の権力者に歓迎されて、時の進歩的な人たちには反対されたけれどもそうではないんだとエンゲルスはいっているのです。
 「ヘーゲルの命題はヘーゲルの弁証法そのものによってその反対物に転化する。すなわち、人間の歴史の領域で現実的であるものはすべて、時がたつにつれて、非合理的なものになり、したがって、もともと定められているところからいえば非合理的なものであり、まえもって非合理性を背負わされているのである。そして人間の頭脳のなかで合理的であるものは、すべて、たとえ現存するみかけのうえでの現実性にどれほど矛盾しているにしても、現実的なものになるように定められているのである。現実的なものはすべて合理的であるという命題は、ヘーゲルの思考方法のあらゆる規則にしたがって、他の命題に、すなわちすべて現存しているものは滅亡するにあたいするという命題に解消する」(古典選書版一四~一五ページ/全集㉑二七〇~二七一ページ)。
 エンゲルスが一番注目したのは「理性的なものは現実的である」というところです。理性的なものというの、は合理的な理想のことをさしています。そこで、どんな理想が合理的なのかが問題となります。そのことをヘーゲルは「概念論」で追求したのです。現実化しうる理想、現実化の必然性をもった理想、それを「概念」と呼んでいるのです。だからエンゲルスはこの文章を引用したなかで、この命題のなかに「このヘーゲル哲学の真の意義と革命的性格がある」といっています。一見、保守的な反動的な命題のようにみえるこのヘーゲルの命題のなかに、ヘーゲル哲学の真の意義と革命的性格が示されているのだということを、エンゲルスは『フォイエルバッハ論』のなかで述べています。
 こうみてくるとヘーゲルというのは、現状肯定の保守主義というのではなく、客観世界における必然性・法則性を認識すると同時に、それにとどまらないで社会の合法則的な発展をめざして概念を追求した、理想を追求したということをご理解いただけるのではないかと思います。
 『法の哲学』の序文では、この文章の後に、面白い文章が出てくるので紹介しておきますと「真理にだんだん近づく哲学などでもっては理性は満足しない。他方また、この現世ではたしかに万事がひどいか、せいぜい中くらいの状態だということは認めるが、そこではどうせましなものは得られないものとし、それゆえただ現実との平和が保たれさえすればいいとするような、冷たい絶望でもっても理性は満足しない」(『ヘーゲル』「世界の名著」三五巻中央公論社一七三ページ)といっています。真理に近づくだけで、実践にふみださないのも、またこの世のなかはどうせこんなものだといって、この世のなかに絶望することにも、理性は満足しない。では、理性は何を要求するのかといえば「認識が得させるものは、もっと熱い、現実との平和である」というのです。冷たい絶望ではなく、もっと熱い現実との平和、つまり哲学が果たす役割というのはよりよい現実を実現することにある、とヘーゲルはいいたいのです。
 人間の意識は客観を反映するにとどまらず、意識の創造性としての「理性」を生みだすのであり「理性」は、現実となる力をもつところに、理性たるゆえんがあるというのです。ヘーゲルは、理想と現実の統一をこそ真理だと考えました。
 ですから先ほど論理学が客観的論理学と主観的論理学に分かれるといいましたが、客観的論理学というのは、いわば解釈の立場にたった客観世界の法則の探求です。これに対し概念論というのは変革の立場です。世界はどうあるべきなのかということを問題にして、人間の意識の独自の役割を探求しています。そういう意味で、この概念論の解釈が見田石介さんの考えと私とでは異なるのです。見田さんの考えでは、ヘーゲル哲学は有論のなかに一番鋭い弁証法があり、概念論にいくにしたがってヘーゲルの革命性が薄らいで保守主義になっている、概念論は万事ことなかれの調和主義なんだというような理解の仕方なのです。私はそうではないと思うのです。概念論のなかにこそ、ヘーゲルの変革の立場が一番明瞭に示されているのではないかと考えていますので、そういう見地から講義をしていきたいと思います。
 それではヘーゲルが単なる観念論者ではなかったということを『空想から科学へ』のなかのエンゲルスの言葉を紹介しながら、みてみたいと思います。啓蒙主義者たちというのは、絶対の正義・永遠の真理とかを頭のなかで考え、それにもとづいて世界を作り変えようとしたということを先ほど話しました。問題は、それをヘーゲルがどうとらえていたかということです。つまり、もしヘーゲルが観念論者であり啓蒙主義の立場に立っているとしたら、自分の考えと啓蒙主義者との考えは一致しているというべきでしょうが、実際にはその反対なのです。フランス革命の時代というのは「それはヘーゲルがいっているように、世界が逆立ちさせられた時代、世界の、上に思想をおくのではなく思想の上に世界をおいた時代であった」と、エンゲルスはいっています。ヘーゲルはフランス革命を最初は双手をあげて賛成したのですが、後にはこれを批判しました。どういう見地から批判したのかといえば、それは「逆立ちさせられた時代」だったとして批判したのです。つまり、啓蒙思想というのは観念論の世界であったという見地から批判を加えています。それはヘーゲルの『歴史哲学』のなかに出ており『空想から科学へ』では、その部分をかなり長く引用しています。そういう点からも、ヘーゲルが単なる観念論者ではなかったことがうなづけるのではないかと思います。
 まとめてみると、ヘーゲルは啓蒙思想から出発して、啓蒙思想の発露としてのフランス革命を経験し、フランス革命の失敗をも経験するなかで、啓蒙思想という観念論に限界を感じたのです。人間の頭のなかだけで理想の社会を描いてそれを社会に押しつけるのでは絶対に成功しない。そうではなくて、歴史には人間のいかんともしがたい歴史の法則性があり、その法則性を認識したうえで、そのうえに立って社会の真にあるべき姿、つまりそれが「概念」ということになるのですが、そういうものを考えていかないとそれは現実化する力をもたない。これが論理学においてヘーゲルが全体としていいたかったことではないかと思います。
 こういう見地から、今回のヘーゲル論理学の講義をおこないたいと思います。ですから時間配分とすれば、変革の立場を示す概念論のところに一番時間をかけたいと思います。有論、本質論は、どちらかといえば解釈の立場に立った客観世界の法則性の認識ですから、わりあい簡単にやりたいのですが、今年の講義予定は、本質論の途中までの予定となっていますので、基本的にはこれを守りたいと思います。ただ来年の概念論の講義もおもしろいものになるぞということを予告しておきたいと思います。
 さらに今回、新しく述べたいのは「向自有」と「実体」の問題です。向自有とは何なのか、また概念と実体、とはどういう関係にあるのか、などについて、私なりの見解をお話ししたいと思います。
 現在の観念論が非合理主義ないし反科学主義の立場に立っているなかで、ヘーゲルの合理主義は貴重なものと言わなければなりません。理性に無限の信頼をおき、人間の理性によって届かざることはないんだということをヘーゲルはいっているのですが、理性に対する無限の信頼というのは、それ自体哲学的にみて価値あるものと思います。そのヘーゲルの合理主義というのは科学をふまえたものになっていることも重要です。そういう意味でヘーゲルは観念論者という枠組みはもっているけれども、今日、ヘーゲルを学ぶ意義は極めて大きいものがあると思われるのです。

《質問と回答》

 いくつかの質問がありましたので、それにお答えします。
 一つは『法の哲学』の序文に関連する質問です。「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」というヘーゲルの言葉に関連して、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』のなかでこの文章をとらえて、「ここにヘーゲル哲学の真の意義と革命的性格がある」と述べていると話しました。そのときに「理性的なものは現実的である」とは、法則をとらえ、法則にそった理想をかかげれば必ず対象を変化させることができるという意味だと説明したと思います。法則的なものから理想が引き出されれば、それは必ず現実になる力をもっているということ、人間の意識の力によって自然や社会を法則的に発展させうるということをエンゲルスは読みとって「ここにヘーゲル哲学の真の意義と革命的性格がある」といったのだと説明しました。また後段の「現実的なものは理性的である」のところは、一般的にはこれが現状肯定の保守主義の立場だと理解されやすいが、そうではないと話しました。
 そこで質問は「現実的なものは理性的であるというのは、なぜ現状肯定の保守主義だと理解されてきたのか」というものでした。
 ヘーゲルのいいたいことは、必然的なものとしてあらわれでてきたものには、あらわれでるだけの合理的な根拠があるという意味なのです。しかし、一般に誤解されやすいのは「現実的なものは理性的である」というと現に存在するものにはすべて合理的な存在理由があると理解しやすいのです。つまりヘーゲルの命題は、現にこの世のなかに存在するものすべては神が創り給うたもので、存在すべき合理的な理由があるんだと解釈することもできるのです。それで現にヘーゲルのこの命題をつかまえて、この世はすばらしいと現状を肯定し、この世にあるものはすべて神のおぼしめしであって存在理由があるものなんだというように評価した人もいたのです。それを批判してエンゲルスはそうではない、この文章はそのように理解すべきでないといったのです。
 もう一つ「ヘーゲル哲学とニュートン力学との関係はどうなのか」という質問がありました。つまりヘーゲル哲学は、客観世界の法則性の探求という点では、経験諸科学とも一致するということを話しました。ニュートンは近代物理学の始祖といわれていますが、一六四三年に生まれ一七二七年に亡くなっていますので、ヘーゲルより約百年ぐらい前の人にあたります。ご承知のように「万有引力」を発見して、当時の唯物論的な世界観の基礎をつくった物理学者です。ヘーゲルはニュートン力学を一面では評価しながら一面では批判しています。どういう面で批判しているかというと、ニュートンやフランシス・ベーコン、ドルバックなどの人たちは、経験論者とよばれており、経験から出発すべきという近代的な科学を発展させる土台となった唯物論的な考えであり、それはそれで意味はあるのですけれども、ヘーゲルはそれが気に入らないのです。
 経験論というものを一定評価しながらも、やはりそれは限界をもつのだと、テキストの第三七節以下で経験論の批判をしています。ヘーゲルが経験論をどういう意味で批判するのかといいますと、人間の意識は客観世界をそのまま受動的に反映するだけのものとしてとらえていると批判するのです。唯物論的な認識論として「反映論」という言葉を使いますが、人間に限らず、生物というものは何らかの意味で外界を反映する機能をもっています。そうでなかったら生きていけません。つまり外界とのかかわりのなかで、はじめて生物は生きているのです。植物よりも動物の方がその反映機能が高いのです。例えば、アメーバなんかでも、自分が食べられるものと食べられないものとをはっきり区別して、まずそのものに触ってみて、食べられると思えばそのまま体内にのみこんでしまう。食べられなければそのまま外に出してしまいます。ものを食べるということ自体が、動物にとって受け入れられる外界を自分のなかに取り込むことです。そのこと自体が一つの反映なんです。
 経験というのは、客観的世界をそのまま人間意識に反映するという機能を意味しています。だからそれはそれで大事なことなのですが、ヘーゲルはそれだけでは満足しないのです。なぜ満足しないかというと、そうなると現実に存在するものを丸ごと肯定してしまうことになるのではないかと彼は考えます。人間の意識というものはそんなものではないだろう、人間の意識というものは、客観的世界を丸ごと肯定するのではなくて、それをもっとよりよいものに変えようという意識をもっているので、その意識の創造性みたいなものは経験論のなかには含まれていない、こういってヘーゲルはニュートン力学などを批判しています。
 つまり経験論は、思想の自由を認めない不自由な学説だというのです。どんな意味で不自由かというと、客観世界に縛られているから不自由なんだというのです。人間の意識は、本来客観世界を乗り越えるもの、客観世界を乗り越えた自由な存在としてあるものなのに、経験論は意識を客観世界の枠内にとじこめているという意味で不自由な学説だと批判しているのです。ただ、そうはいいながらも、ニュートン物理学の万有引力の法則は、引力と斥力のバランスによって、太陽系を説明するものですから、引力と斥力という相反する力を統一したものとしてとらえる点は、弁証法そのものだとして、この見方についてはニュートンの功績だと評価しています。
 それから「普遍と個別とどちらが根本的な存在か」ということに関連して質問がありました。普遍の方がより根本的だと考える立場があり、それには一定の根拠があると話したと思います。その例として、個別の人間(=個人)と普遍の人間(=人類)とどちらがより根本的な存在かと考えた場合、人類の方がより根本的な存在だと考える理由があるといいました。その理由として、個別の人間というのは進化しないけれども人類は進化する、進化する主体は人類である、進化するのは普遍たる人間=人類だけだと説明しました。
 この点について「人類は進化するが、個人は進化しないというのは理解できない」という質問です。
 これはおそらく個人の発達のことをいっておられるのではないかと思います。個人はいろんな能力をもっていて、その長い人生を通じて能力をいろんな方面に発達させます。そういう個人の発達はもちろんあるのですが、個人が獲得した力というのは遺伝しません。親父さんがボディビルをやってすごい筋肉をつけると、その息子もすごい筋肉の子供になるかというとそうはならないのです。
 だから個人には発達ということはあっても、進化はないのです。これを遺伝学上、獲得形質は遺伝されないといいます。個人が獲得した形質が、遺伝すると考えたのはラマルクの進化論ですが、ダーウインの進化論はそれを否定したのです。個人は人間として獲得形質を発達させることができます。だけど、それは進化の要因ではない。進化するというのはあくまでも遺伝子の変化であって、遺伝子の変化というのは人類という普遍をつうじてしか生じない。一人の人間の一生のなかで、その人の遺伝子が途中から変わるということは絶対にないのです。そういう意味で、人類は進化するが個人は進化しないといったのです。だから人類と個人とどちらが根本的な存在かといえば、人類がより根本的な存在と考える理由がある、と説明したのです。ヘーゲルは普遍こそが真に存在するものだと考えています。

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