2016年2月13日 講義

 

 

第4講 「始めあるものは終わりあり」

 

1.「始めあるものは終わりあり」

●「始めあるものは終わりあり」

 ・すべてのものは生成、発展、消滅するという世界観をとらえた、たとえ

 ・ヘラクレイトス「万物は流転する」

 ・この大局的世界観にたって合法則的に世界を変革することが重要

● 運動法則・発展法則と人間の実践による合法則的発展

 ・人間の実践は、生成、発展、消滅の運動法則、発展法則を認識し、その変
  化・発展を促進する合法則的発展の役割をもつ

 ・「故きをね新しきを知る」──かつて学んだことを吟味して、新しい道理
  を見いだしていく

 ・人間は社会のもつ法則を取り除くことはできないが、その法則を認識し、
  それを発展させた新しい未来社会の「生みの苦しみを短くし、やわらげる
  ことはできる」(『資本論』① 12ページ)

 ・そのために弁証法的決定論は、あらゆる事物は一義的に決まっているとす
  る機械的決定論(宿命論)と、あらゆる事物は偶然性に支配されていると
  する非決定論に反対し、すべての事物を必然性と偶然性、本質と現象、自
  由と必然などの対立の統一ととらえることで、その合法則的発展をとらえ
  る

 

2.国家の合法則的発展(実例③)

● 国家は階級支配の機関か

 ・科学的社会主義では、国家を「和解できない対立物に分裂」(全集㉑ 169
  ページ)、つまり階級分裂したことから生まれた階級支配の機関としてと
  らえる

 ・古代国家は「奴隷所有者の国家」であり、封建国家は「貴族の機関」であ
  り、「近代の代議制国家は、資本が賃労働を搾取するための道具」(同
  171ページ)

 ・国家の「本質」が階級支配の機関であることに異論はないが、しかしそれ
  は国家の「現象」まで規定したものではない

● 国家の本質と現象

 ・国家は、生産力の発展による階級分裂により、それまで原始共同体の全員
  でまかなってきた「共同の利益」(全集⑳ 185ページ)を守る機関を、搾
  取階級が独占することにはじまる

 ・搾取階級は自己の手にした「共同の利益」を守る機関を、次第に階級支配
  の機関におきかえ、公的強力(軍隊、警察など)をもつに至る

 ・こうして国家は、階級支配の本質をもつと同時に、全人民の共同の利益を
  守るという現象をもつ

 ・国家は、不断に本質を拡大し、現象を縮小していくが、国家は全人民の代
  表としての性格上、現象をゼロにすることはできない

 ・国家を本質と現象の対立と闘争として、その合法則的発展をとらえる

 ・国家をめぐる階級闘争は、本質である階級支配の部門を縮小し、現象であ
  る全人民の利益につながる福祉、教育、医療、年金の部門を拡大するたた
  かいとして位置づけられる

 ・「板子一枚下は地獄」──福祉切り捨て

 ・国家を本質と現象の統一としてとらえることによって、この本質と現象と
  の対立と闘争が国家の合法則的発展のたたかいとなる

● 国家の死滅

 ・社会主義革命が勝利して、国家が「全社会の公式の代表者」(全集⑳ 289
  ページ)となったとき、国家は「死滅する」(同290ページ)

 ・つまり、「社会関係への国家権力の干渉は、一分野から一分野へとつぎつ
  ぎによけいなものになり、やがてひとりでに眠りこんでしまう」(同 289
  ページ)

 ・つまり、国家の死滅とは、国家機関そのものが消滅することを意味するも
  のではなく、本質としての階級支配の部門が消滅し、現象としての共同の
  利益部門のみの国家となることを意味している

 ・それは「人に対する統治に代わって、物の管理と生産過程の指揮」(同)
  とが現れる国家

 

3.人民の意志の合法則的発展(実例④)

● 人民への信頼

 ・多数者革命は、人民が真の理想に向かって変革の立場にたつことへの無限
  の信頼を根底においている

 ・その意味で多数者革命は、どんなときでも人民を信頼しうることにかかっ
  ており、人民への不信頼を示すとき、多数者革命の展望を失う

 ・ルソーとへーゲルは、ともに人民主権論にたったが、ルソーは人民を主権
  者として無限の信頼をおいたのに対し、へーゲルは恐怖政治の教訓から人
  民を「定形のない塊り」と称し、理性的官僚による人民主権を唱えた

 ・人民は偶然と必然の統一であり、「定形のない塊り」としての偶然性をも
  ちながらも、人間の類本質という必然性をもっており、その根底において
  信頼しうる存在となっている

 ・人民は偶然性と必然性の統一

 ・人民は、マスコミに影響されて偶然性をさまようが、人間の類本質として
  の自由と民主主義という必然性を失うことはない

 ・「人と煙草の善し悪しは煙となって世に出る」──人間の真価は死んだ後
  になって分かる、のたとえ

 ・人民は、この偶然性と必然性との統一のうちで、類本質の顕在化を求めて
  階級闘争に立ちあがり、人間解放の社会主義・共産主義という真の理想に
  立ち向かう必然性をもっている

 ・その意味で人民は左右にゆれながらも、偶然性が必然性へと向かい、根底
  において無限に信頼しうる存在

 ・「人は石垣、人は城」―人民は城を守る石垣のように大切なもの

 ・人民を偶然性と必然性の統一としてとらえることで、合法則的発展をとら
  える

 ・この人民内部の偶然性と必然性の対立・矛盾を理論的にとらえることによ
  って、人民への無限の信頼がたんなる感性的なものから、理性的なものに
  高まることになる

 

4.個人の意志決定の合法則的発展(実例⑤)

● 科学的社会主義の自由とは、自由と必然との統一

 ・人間の意識決定が自由か因果必然かは、スコラ哲学以来の論争のうちにあ
  る──法則に支配されない自由か、法則に支配される因果必然か

 ・スピノザを経て、へーゲルは意志決定を自由と必然の統一、つまり必然を
  認識する程度の深浅によって自由の範囲も規定されるとしてとらえた

 ・エンゲルスは、へーゲルの自由論を継承し、「自由とは必然性の洞察」
  (全集⑳ 118ページ)であり、「意志の自由とは、事柄についての知識を
  もって決定をおこなう能力」(同)と規定した

 ・「事柄についての知識」とは「その事物の必然性についての知識」という
  意味

● 個人の意志決定における4段階の自由

 ・秋間実氏は、自由を必然性との統一(自由 Ⅰ )としてとらえる場合、思想、
  良心、表現の自由(自由 Ⅱ )と、どう統一的に理解すべきかが問題だとし
  た

 ・これに応えることが求められており、へーゲルの『法の哲学』で示唆され
  ている方向をとりあげ、自由論を自由と必然の統一としての4段階発展説
  として解明

 ・「雨降って地固まる」──必然性を学んでこそ、より安定した自由を手に
  しうる

 ・第1段階は、客観世界のもつ必然性(法則性)を否定し、必然性に背を向
  けたまま意志決定する「否定的自由」──引きこもりの自由

 ・第2段階は、客観世界のもつ必然性は認めながらも、それを無視して恣意
  的(偶然的)に意志決定する「形式的自由」──何でもありの憲法上の自
  由権。「内容からすれば正しいものを選ぶ場合でさえ、気が向いたらまた
  他のものを選んだかも知れないという軽薄さを持っている」(『小論理学』
  ㊦ 91ページ)

 ・第3段階は、客観世界のもつ必然性を認め、それに沿って意志決定する
  「必然的自由」──法則に寄りそう自由だが、一面では法則に支配される
  不自由

 ・第4段階は、客観世界のもつ必然性を揚棄し、それを真にあるべき姿に変
  革する「概念的自由」──真の自由

 ・以上の4段階発展説により、意志決定の自由を自由と必然との統一として
  とらえ、人間が段階的に自然や社会を支配し、より自由なものとして発展
  していくのをとらえることができる

 ・個人の意志を自由と必然の統一としてとらえることで、その合法則的発展
  をとらえる

● 社会主義は「必然の国」を揚棄した「自由の国」

 ・エンゲルスは『空想から科学』で、社会主義を「自由の国」としてとらえ
  ているが、これは社会主義を概念的自由としてとらえたもの

 ・「人間は、ついに自分自身の社会的結合の主人になり、それによって、同
  時に自然の主人に、自分自身の主人になる──すなわち、自由になる」
  (全集⑲ 225)──人間は自然と社会を支配する主人として自由になる

 ・「これは、必然の国から自由の国への人類の飛躍である」(同224ページ)

 ・「富士の山と擂り鉢ほど違う」──同じ国家でも資本主義と社会主義は擂
  り鉢と富士山ほど違う

 ・つまり社会主義とは、必然的自由の国から、概念的自由の国への人類の飛
  躍を意味している──生産手段の社会化、社会主義的計画、プロレタリア
  ート執権という、社会主義の3基準は、概念的自由実現の手段に過ぎない