2016年5月14日 講義

 

 

第7講 「真理は必ず勝利する」

 

1.真理は必ず勝利する

●「天網恢恢疎にして漏らさず」

 ・中国の「老子」に「天網恢恢疎にして失わず」とあるのが、転じて「天網
  恢恢疎にして漏らさず」という諺となったもの

 ・「恢恢」とは広く大きいさま。天の網は広大で目は疎いようだが、そこか
  ら漏れることはないことのたとえ

● 真理は必ず勝利する

 ・この諺を現代風に表現すれば、「真理は必ず勝利する」となる

 ・この場合の「真理」とは、事実の真理のみならず、当為の真理としての理
  念をも意味しており、「理念は必ず現実となる」ことをも意味している

●「真理は必ず勝利する」という言葉のなかに、科学的社会主義の真理には、
 事実の真理のみならず、当為の真理も含まれていることを示している

 ・理想と現実の統一(実例⑭)

 ・この場合の「理想」とは、当為の真理としての理念

 ・理想と現実とは、一般に相反するものとしてとらえられており、「それは
  たんなる理想論」とか「現実はそれほど甘くない」などの俗論もよく耳に
  する

 ・これに正面から異論を唱えたのがへーゲルであり、理想と現実の統一を訴
  えたところに、へーゲル哲学の「革命的性格」(『フォイエルバッハ論』
  全集㉑ 271ページ)がはっきりと示されている

 ・一般に「理念や理想は幻想にすぎず、哲学とはそうした幻想の体系にすぎ
  ない」(『小論理学』㊤ 70ページ)とか「理念や理想は現実性を手に入れ
  るにはあまりに無力である」(同)という考えがある

 ・しかし「理念と現実を切り離すことを好むのは、悟性的な(反弁証法的な
  ──高村)考え方をする人々」(同)だけであり、「哲学はただ理念をの
  み取扱うものであるが、しかもこの理念は、単にゾレン(当為──高村)
  にとどまって現実的ではないほど無力なものではない」(同 71ページ)

 ・理念、理想は頭のなかからではなく、現実のなかから取り出されるからこ
  そ、現実を変革する力をもっている

 ・このへーゲルの理想と現実の統一の立場は、「真理は必ず勝利する」との
  諺として表現されている

 ・へーゲルの『法の哲学』における「理性的なものは現実的であり、現実的
  なものは理性的である」という有名な命題は、「現実的なもののうちには、
  当為の真理という理性的なものが含まれており、その理性的な当為の真理
  をとりだすならば、それは現実に転化する必然性をもっている」ことを意
  味している

 ・エンゲルスは『フォイエルバッハ論』でこの命題を引用し、「人間の頭脳
  のなかで合理的(理性的──高村)であるものは、どんなに現存する見か
  けだけの現実性と矛盾していようと、すべて現実的になるようにさだめら
  れて」(全集㉑ 271ページ)おり、ここにへーゲル哲学の「真の意義と革
  命的性格」(同)があると指摘

● なぜ「真理は必ず勝利する」するのか(実例⑮)

 ・人間の脳は知ること、とりわけ真理を知ることに喜び(快)を感じるよう
  にできており、したがってソクラテスのいうように「知を愛する」(フィ
  ロソフィア)哲学をやめることはできない

 ・その場合の真理には、事実の真理のみならず、当為の真理も含まれる

 ・「歴史にたいする前衛党の責任とは何か。それは、そのときどきの歴史が
  提起した諸問題に正面からたちむかい、社会進歩の促進のために、真理を
  かかげてたたかうこと」(第20回党大会特集号『前衛』41ページ)

 ・「その方向が真理(当為の真理──高村)にそっているかぎり、たたかっ
  てむだなたたかいはない」(同 42ページ)

 ・当為の真理は、事実の真理のもつ矛盾を解決するものとして現実を変革し、
  現実の問題を解決する力をもつから、常に現実的であり、無駄はない

 ・当為の真理を求めるたたかいは、現実の階級闘争の課題となり、人民の心
  をとらえ、その記憶に引きつがれ、新たなたたかいの火種となる意味でも
  無駄はない

 ・当為の真理は、はじめは少数者の真理であっても、真理のもつ力によって、
  やがて多数者に共有される真理となり、最後は必ず勝利する

 ・「真理は未来においては、いろいろなジグザグはあったとしても、かなら
  ず多数派になる」(同 41ページ)

 ・「真理は必ず勝利する」を世界観的確信にしていくことが、社会変革を志
  すものに求められている

 

2.唯物論と観念論

● 哲学の根本問題

 ・エンゲルスは『フォイエルバッハ論』において、「すべての哲学の、とく
  に近世の哲学の、大きな根本問題は、思考と存在とはどういう関係にある
  かという問題である」(全集㉑ 278ページ)と述べている

 ・さらにこれを展開して、「自然に対する精神の根源性を主張」(同279ペ
  ージ)する者は観念論の陣営をつくり、「自然を根源的なものと見なした
  他の人々は、唯物論のさまざまな学派にはいる」(同)としている

 ・いわば、観念論か唯物論かの問題とは、世界の根源性を「精神かそれとも
  自然か」の問題としてとらえたもの

● レーニンによる唯物論と観念論

 ・レーニンは『唯物論と経験批判論』において、エンゲルスの提起した問題
  にかんし、唯物論と観念論を区別する「3つの方法」を提起した

 ・それを不破氏は整理して                     
  ①あなたは、人間が生まれる前に、地球があったことを認めるか     
  ②あなたは、人間がものを考えるとき、脳の助けを借りていると思うか   
  ③あなたは、他人存在を認めるか                
  (『マルクスは生きている』13ページ/平凡社新書)と説明している

 ・この「3つの方法」は、世界の根源が自然にあることを立証しようという
  もの

● 唯物論と観念論の問題は、「世界の根源性」の問題であると同時に、「認識
 の源泉性」の問題でもある

 ・以上の「3つの方法」について、唯物論であることを否定する者は、おそ
  らく一人もいないであろう

 ・しかし、では唯物論と観念論の問題はすでに決着済の問題かといえば、そ
  うではない

 ・巷には観念論があふれていて、いまだに唯物論か観念論かの論争はとどま
  ることを知らない

 ・それは、唯物論か観念論かの論争が、世界の根源性の問題を乗り越え、認
  識の源泉性の問題に突入しているからである

 ・エンゲルスはそれを「思考と存在との同一性の問題」(同 280ページ)す
  なわち思考が存在と同一になるのか(唯物論)、それとも存在が思考と同
  一になるのか(観念論)の問題だとしている

 ・つまり、認識の源泉は「精神かそれとも自然か」をめぐる問題であり、そ
  れをめぐって観念論か唯物論かが論議されることになる

● すべての観念論は、自然が認識の源泉である事を否定する

① 経験から出発する観念論

 ・イギリス経験論者バークリとヒュームは、経験こそ認識の出発点としなが
  らも、経験から得られる感覚を超える必然性、普遍性を否定することで主
  観的観念論に

 ・エンゲルスは「最も適切な反駁は、実践、すなわち、実験と産業とである」
  (全集㉑ 280ページ)として、あかね草の色素(アリザニン)をコールタ
  ールから製造した例をあげている

② 価値を非科学とする観念論

 ・新カント派は、感性による事実の認識の真理はみとめつつ、思惟による価
  値の認識は、主観の産物として真理を否定

 ・新カント派のウェーバーは、科学的社会主義をえせ科学と批判し、唯物史
  観を否定する

③ 非合理主義の観念論

 ・生の哲学、現象学は、近代科学は非合理を生み出したとして、反科学主義
  の立場に

 ・実存主義は、非合理の解決を個人中心の非合理主義に

④ 実証主義の観念論

 ・実証主義は、感覚だけが経験した事実であるとして、「現象」のみを追い求
  める記号論理学やプラグマティズムとなる
  ──結局、全ての観念論は、変革の立場に立たない「書斎の中の哲学」と
  して、最後まで自然が認識の源泉である事を否定する

● 階級闘争としての唯物論と観念論

 ・階級闘争には、政治闘争、経済闘争、思想闘争の3つの分野がある

 ・資本主義社会における思想闘争は、資本家階級と労働者階級の階級対立を
  背景として生みだされる

 ・資本家階級は基本的に観念論の立場にたち、認識における精神の根源性を
  唱え、非真理、虚偽の事実を宣伝する

 ・労働者階級は基本的に唯物論の立場にたち、認識における自然の根源性を
  唱え、真理、真実を宣伝する

 ・真理をかちとることは、資本家階級の観念論を打ち破り、労働者階級の唯
  物論が勝利して思想闘争に勝利することに他ならない

 ・ここに現実世界における唯物論と観念論の論争がつきることなく、「真理
  は必ず勝利する」まで思想闘争として展開される理由があることになる

 ・したがって、唯物論と観念論との対決には階級闘争として決して終わりは
  ないのであり、「真理は必ず勝利する」という唯物論を堅持すべき理由が
  ある