2017年11月18日 講義

 

 

第9講 世界は矛盾に満ちている

 

1.真理は主観と客観の一致

● 真理とは、人間の主観が客観的事物に一致すること

 ・つまり真理とは主観と客観の一致

 ・しかし主観と客観とは対立・矛盾する関係のうちにあり、主・客の一致は
  簡単には実現できない

 ・真理は相対的真理から絶対的真理へと発展することで、主観は客観と一致
  し、主・客は一致する

 ・こうして人間のとらえる理想は現実となり、理想と現実の統一が実現する

 ・これが唯物論的真理観

● 人間は言語により客観世界を主観のうちに「模写」することで、真理に接
 近する

 ・「模写」するとは、客観世界を主観のうちに反映すること

 ・言語は具体的な客観世界を抽象化して模写するのであり、そこにすでに客
  観世界の「加工・変形」が生じる

 ・しかも人間は、感性、知性、悟性、理性へとどんどん抽象化・普遍化を進
  め客観世界から離れていく

 ・客観世界を、概念、本質、法則、理念などに抽象化・普遍化し、最後に「
  真にあるべき姿」という理念を実践することにより、抽象化が正しい抽象
  化であったか否かを検証する

 ・人間は模写を反復しながら、相対的真理から絶対的真理へと接近する

 ・それは主観と客観の対立から、主観と客観の一致への道であり、それが模
  写にほかならない

 

2.世界は矛盾に満ちている

● 形式論理学と弁証法的論理学は、真理をとらえる主観の産物

 ・主観と客観とは対立・矛盾しており、なかなか一致しない

 ・主観と客観を一致させるために、真理認識の方法として形式論理学と弁証
  法的論理学という主観の産物が誕生した

 ・2つの論理学は、主観と客観の一致をめざしながら、客観を「加工・変形
  」してとらえる

● 形式論理学は、客観を「加工・変形」して、主観のうちに本質を取り出す

 ・客観世界のすべての事物は網の目のようにつながっており、そのままでは
  1つの事物の本質を知ることはできない

 ・形式論理学は、網の目のつながりのなかから、1つの事物を切りはなして
  とり出し、そのものが「何であるか」を探究し、主観のうちに本質をつか
  み出 す

 ・つまり形式論理学は、客観をバラバラに「加工・変形」することによって、
  客観の本質を主観のうちに取り出す

 ・他方で、形式論理学は、直接性と媒介性の統一としての客観を、直接性の
  みの誤った自然観を生み出す

● 弁証法的論理学は、客観の運動を「加工・変形」して主観のうちに矛盾を
 とらえる

 ・弁証法は形式論理学の誤った自然観を乗りこえ、客観のすべての事物は相
  互に連関し、運動、変化、発展しているととらえる

 ・弁証法は、客観の連関、運動を「加工・変形」して主観のうちに矛盾とし
  てとらえる

 ・客観的事物は自己のうちに自己を否定するものが存在しているから、その
  ままあり続けることはできない

 ・矛盾は思惟の運動の総括として生まれたもの

 ・へーゲル「思惟の本性そのものが弁証法」(『小論理学』㊤ 79ページ)

 ・弁証法は客観的事物の運動を矛盾としてとらえ、矛盾の解決により、客観
  的事物の自己運動の原理を解明した

 ・エンゲルスは「単純な力学的な位置の移動でさえ、1つの物体が同一の瞬
  間に1つの場所にありながら同時に別の場所にある」(全集⑳ 125ページ
  )ので あって「運動そのものが1つの矛盾である」(同)としている

 ・これは「単純な力学的な位置の移動」という客観の運動も、「加工・変形
  」して主観のうちに「同一の瞬間に1つの場所にありながら同時に別の場
  所にある」矛盾としてとらえたというもの

● 世界は矛盾に満ちている

 ・弁証法は「世界は運動に満ちている」という客観的事物を、「世界は矛盾
  に満ちている」としてとらえる

 ・エンゲルスは、弁証法と客観的事物の運動とは、「実質においては同一で
  あるが、その現われかたから言えば次の点でちがっている」(全集㉑ 298
  ページ)として、次のように述べる

 ・「すなわち、人間の頭脳は両者を意識的に使用することができるが、それ
  は、自然のなかでは、また今日までのところ人類の歴史のうえでも大部分、
  意識されないで、外的必然性という形をとって、偶然事と見えるものの果
  てしない系列のただなかで、貫徹されているのである」(同)

 ・つまり人間は客観的事物の運動のなかに、弁証法の矛盾を「意識的に使用
  する」ことで、弁証法と客観的事物の運動とを区別するのに対し、自然の
  なかでは弁証法の矛盾は意識されない

 ・エンゲルスも「概念弁証法(主観的弁証法―高村)そのものは、現実の世
  界の証法的運動の意識された反映にすぎない」(同)としている

 ・つまり矛盾とは、客観的事物の弁証法的運動の「意識された反映」

 ・世界の運動を矛盾としてとらえることによって、人間は「真にあるべき姿
  」をとらえ、世界を合法則的に変革することができる

 

3.人間は弁証法をすくいあげて世界を変革する

● 人間は世界を変革する

 ・人間は世界の「真にあるべき姿」を認識し、実践して世界を変革する

 ・「真にあるべき姿」は客観的事物に媒介されながら、客観的事物を乗りこ
  えるもの

 ・「真にあるべき姿」は、客観的事物のうちに潜んでいるのみで存在しない
  ものを主観のうちにとらえたものとして、その真理性が問題になる

 ・マルクス「人間の思考に対照的な真理が得られるかどうかという問題は
  ── 理論の問題ではなくて、実践的な問題である。実践において、人間は
  真理を、すなわち彼の思考の現実性と力、此岸性を証明しなければならな
  い」(『〈新訳〉ドイツ・イデオロギー』110ページ)

 ・「真にあるべき姿」の真理性は、実践をつうじてそれを現実化しうるかど
  うかにかかっている、という意味

 ・真理でない「真にあるべき姿」の実践は、客観的事物によってはね返され
  るのみ

 ・「真にあるべき姿」が真理であるためには、客観的事物の運動を対立・矛
  盾においてとらえ、その矛盾を解決するものとして「真にあるべき姿」を
  とらえる弁証法が必要となる

 ・レーニン「対立物の同一とは、……自然(精神も社会も含めて)のすべて
  の現象と過程とのうちに、矛盾した、たがいに排除しあう、対立した諸傾
  向を承認すること、発見すること」(「弁証法の問題について」レーニン
  全集㊳ 326ページ)

 ・矛盾を「発見する」とは、客観的事物の諸現象のうちに、運動をもたらす
  矛盾を人間の意識のうちにすくいだすこと

 ・そこに人間の存在意義がある

● 本質的矛盾と矛盾の解決

 ・事物の合法則発展のためには、事物のなかのあれこれの矛盾のなかか ら、
  事物に運動をもたらす本質的矛盾を発見しなければならない

 ・そのうえで本質的矛盾を解決することが求められる

 ・へーゲルは矛盾の解決を「止揚または揚棄(アウフヘーベン)」とよんで
  いる

 ・アウフヘーベンには「保存する」と「否定する」の2つの意味がある

 ・つまり止揚(揚棄)とは、古い質を否定しつつ、新しい質を保存すること
  であり、「非連続性と連続性の統一」である

 ・こういう矛盾の解決により、事物は合法則的に発展する

 ・事物の運動の本質的矛盾を発見し、その解決策として「真にあるべき姿」
  を見いだすところに、客観的事物を言語機能によって加工・変更する弁証
  法の役割がある

● 人間は客観的事物のうちから矛盾をすくいだし、弁証法によって世界を合
 法則的に変革する

 ・人間も大きな意味では自然の一部であり、変革の意識もまた自然とともに
  ある

 ・人間は自然と共存しながら生きていくことしかできない

 ・人間の変革の意識も、自然をその運動法則にそって合法則的に変革するこ
  としかできない

 ・そのために弁証法は、主観と客観の一致を真理ととらえ、矛盾の解決とし
  ての「真にあるべき姿」を当為の真理ととらえる

 ・例えば、人類は自然界に存在しない核兵器を開発し、自然を非合法的に変
  革しようとした

 ・ヒバクシャと日本人民は、核兵器廃絶という合法則的発展を追求し、2017
  年国連の122ヵ国の賛成で核兵器禁止条約を採択、核兵器を違法と断罪した

 ・核兵器廃絶の運動も、自然の合法則的発展の運動の一環

 ・人間の変革の意志は、矛盾の解決による自然の合法則的発展でなければな
  らない