2021年3月20日 講義
第6講 資本の流通過程
《第2部 資本の流通過程》
[はじめに]
● 第2部「資本の流通過程」の内容
・第1部では「資本の生産過程」を論じたが、第2部「資本の流通過程」で
は、第6講により、第1、2篇の「資本の循環と回転」と第3篇の「社会
的総資本の再生産」を論じる
・「資本の循環と回転」では、資本は剰余価値を生産しない通流時間(流通
時間)と通流費(流通費)」(Ⅰ⑤196ページ、Ⅱ⑤191ページ)をゼロ
にしようとすることが論じられる
・さらに輸送業に関し、これまでの使用価値を自然素材と有用性ととらえる
見解を転換して、有用性のみで生産的労働としてとらえているのが注目さ
れる
・「社会的総資本の再生産」では、社会的総資本はどういう条件のもとで再
生産を実現するのかという均衡論を学ぶ
・しかし、エンゲルスの編集では、社会的総資本の不均衡の問題が取り上げ
られていないので、第7講で「恐慌論」を取り上げる
1.資本の循環と回転
● 資本の循環
・資本の循環とは、出発点が復帰点となる資本の運動を意味する
・資本の循環は、貨幣資本の循環、生産資本の循環、商品資本の循環の3つ
の形態をとる
・「3つの循環のすべてに共通なものは、規定する目的としての、推進する
動機としての、価値の増殖」(Ⅰ⑤ 163ページ、Ⅱ⑤ 158ページ)である
・「社会的総資本の過程はつねに3循環の統一」(Ⅰ⑤ 170ページ、Ⅱ⑤
165ページ)をも つかぎりにおいて、連続的に再生産を実現しうる
・したがって「資本は、運動としてのみ把握されうる」(Ⅰ⑤ 171ページ、
Ⅱ⑤ 166ページ)のであって、価値は「さまざまな運動を経過し、その
なかで自己を維持すると 同時に増殖し増大する」(同、同)
・資本の循環では、「通流時間と生産時間とは、互いに排除」(Ⅰ⑤ 201
ページ、Ⅱ⑤ 196ページ)し合い、「資本は、その通流時間中は生産資
本としては機能せず、したがって商品も剰余価値も生産しない」(同、
同)から、資本は通流時間と 通流費をゼロにしようとする
● 輸送業とサービス業
・マルクスは、第1部第1篇の商品論(1863.8〜64夏)では、「ある物の有
用性は、その物を使用価値にする」(Ⅰ① 66ページ、Ⅱ① 60ページ)と
しながら、使用価値は「富の素材的内容をなしている」(Ⅰ① 67ページ、
Ⅱ① 61ページ)として、使用価値を有用効果と自然素材の統一としてと
らえている
・しかしマルクスは輸送業において、使用価値のうち重要なのは、自然素材
ではなく、有用効果だとして、輸送業を生産的労働としてとらえている
・すなわち、一般的な定式では、生産的労働によって生産される商品は、「
物質的な物」(Ⅰ⑤ 91ページ、Ⅱ⑤ 86ページ)である
・しかし「輸送業が販売するものは、場所の変更そのもの」(Ⅰ⑤ 92ペー
ジ、Ⅱ⑤ 87ページ)という「有用効果」(同、同)であり、「商品とし
て流通する使用物」(同、Ⅱ⑤ 88ページ)は存在しない
・飯盛(いさがい)信男佐賀大学名誉教授の『日本経済の再生とサービス産
業』(青木書店)は、マルクスの輸送業の記述が第5草稿(1876〜77)
だったことにに注目して、サービス業(生活関連サービス、余暇関連サー
ビス、教育・医療・福祉サ ービス)を生産的労働としてとらえている
・「サービス部門の生産物は、無形生産物(有用効果)そのものであり、こ
れは サービス部門における労働対象(物質的な物—高村)の不在によるもの」
(同 144ページ)
・運輸業の文脈からみれば、「有用効果概念は物財以外の生産物すなわち非
有形的な使用価値たるサービスを指すものと理解すべき」(同 158ページ)
という結論を出している
・全産業のなかでサービス業の比率が次第に増加し、主要産業となっている
ことからしても、サービス業を生産的労働としてとらえることは、妥当な
見解と考える
● 資本の回転
・資本の回転とは、投下された資本価値が同じ形態で復帰するまでの資本の
再生産の運動
・「再生産も、前貸し資本価値を資本として、すなわち自己増殖する価値と
して 再生産するための一手段としてだけ現われる」(Ⅰ④ 985ページ、Ⅱ
④ 971ページ)
・「過程進行中の資本の回転の自然的な度量単位は1年である」(Ⅰ⑥ 252
ページ、 Ⅱ⑥ 244ページ)
・価値増殖の仕方からすると、生産資本は不変資本(労働手段と労働対象)
と可変資本(労働力)に区分されるが、資本の価値の還流の仕方の違い方
からすると、生産資本は流動資本と固定資本に区分される
・流動資本とは、労働対象(原材料)と労働力であり、総投下資本の1回の
循環でその価値のすべてが還流してくる資本
・これに対し固定資本とは、工場や機械のように、総投下資本の1回の循環
では、その価値の一部のみが生産物のなかに移転し、残りの価値は生産場
面に固定されている資本
・「前貸し資本の総回転は、その資本の相違なる構成諸部分の平均回転であ
る」(Ⅰ⑥ 295ページ、Ⅱ⑥ 286ページ)
・すなわち、工場の総投下資本価値を10億円とし、回転時間を20年、機
械が30億円と10年、原材料が2億円と1ヶ月、労働力が1億円と1ヶ
月とすると、総投下資本の年回転額は、次のような加重平均による1.09年
となる(大谷著『図解 社会経済学』262ページ)
・資本は、資本の年回転数をあげることによって、剰余価値率は一定でも、
1年間に生みだされる剰余価値の絶対量を増大させようとする
・また「資本主義的生産様式の発展につれて、生産諸手段の変化、および生
産諸手段が物質的に生命を終えるよりもずっと以前に社会的摩滅(モラー
リツシユ)のために 常に補填される必要もまた増大する」(Ⅰ⑥ 298〜
299ページ、Ⅱ⑥ 290ページ)ことも、また資本の回転数を高める理由
となる
・そこから、回転速度を高めるために、資本は通流時間と通流費を最小限に
縮減しようとして「通流時間なき通流」を求める
2.社会的総資本の再生産
● 第2部第3篇の問題点
・資本主義的生産様式は、分業を前提に、市場において商品交換がおこなわ
れる市場経済を前提としている
・社会的分業を基礎とする商品生産のもとでは、社会的総生産物の適正な配
分は、一方で生産の無政府性にもとづく不均衡と、他方で市場における需
要と供給のバランスという均衡によって、不均衡と均衡の統一を保ちなが
らおこなわれることになる
・したがって本講では、第6講で「社会的総資本の再生産」と題して均衡論
を、第7講で不均衡の問題を「恐慌論」と題して論じる
● 社会的総資本の再生産表式
・社会的総資本の再生産を論じるには、「価値補填ならびに素材補填」(Ⅰ
⑦ 629ページ、Ⅱ⑦ 626ページ)、つまり価値と使用価値の両面からの補
填が考慮されな ければならない
・社会的総生産物は、まず「使用価値」の視点から、生産手段生産部門(第
Ⅰ部門)と消費手段生産部門(第Ⅱ部門)の2大部門に分割され、両部門
間の商品交換をつうじて相互補填されることになる
・社会的総生産物は、次に「価値」の観点から、第Ⅰ、第Ⅱ部門の不変資本
(c)、可変資本(v)、剰余価値(m)の3つに分けられ、各部門のc、
v、mが補填されなければならない
● 単純再生産
・マルクスの再生産表式は以下のとおり
Ⅰ 4,000c+1,000v+1,000m = 6,000
Ⅱ 2,000c+500v+500m = 3,000(Ⅰ⑦ 636ページ、Ⅱ⑦ 633ページ)
・Ⅰ 6000のうち(4,000c)は、Ⅰ部門の不変資本として、Ⅱ 3000のう
ち(500v+500m)は、Ⅱ部門の資本家と労働者の消費手段として、そ
れぞれ価値的にも 素材的にも内部補填される
・Ⅰ(1,000v+1,000m)は、Ⅱ(2,000c)と交換され、Ⅰ部門の資本家
と労働者はⅡ部門から取得した消費手段を消費し、Ⅱ部門の資本家はⅠ部
門から取得した生産手段でⅡ部門の不変資本をまかなう相互補填をする
・まとめてみると
・したがって、社会的総生産の単純再生産の均衡条件は、Ⅰ(v+m)=Ⅱc
(Ⅰ⑦ 644ページ、Ⅱ⑦ 641ページ)でなければならない
● 拡大再生産
・社会的総資本が単純再生産から拡大再生産に移行するには、まず第1に、
消費需要が増大することによって、第Ⅱ部門の拡大再生産が必要となり、
第Ⅱ部門の要請によって、第Ⅰ部門が先行的に拡大しなければならない
・第2に、第Ⅰ部門が剰余価値の50%を蓄積するものとして、それをⅠ
4000v:1000mの比率で蓄積すると、第I部門の諸要素は次のように配
置がえがおこなわれる
すなわち
Ⅰ(4000c+400mc)+(1000v+100mv)+500m=6000
・第3に、第Ⅰ部門の配置換えの結果、第Ⅱ部門が縮小する
というのもⅠ 1000v+100mv+500m<Ⅱ 2000cとなり、第Ⅱ部門
の資本家は、第Ⅰ部門から1600の生産手段しか引き渡してもらえないた
め、Ⅱ 2000cを1600以下に縮小するしかないことになる
・マルクスはこの立場から、第II部門を総生産額は3000のままとして
Ⅱ 1500c+750v+750m=3000 に設定した
・すなわち、拡大再生産の均衡条件を Ⅰ(v+m)> Ⅱc としたのである
・「蓄積を前提すれば、Ⅰ(v+m)は Ⅱc より大きく、単純再生産でのよ
うにⅡcと等しくないことは、自明である」(Ⅰ⑦ 844ページ、Ⅱ⑦ 836
ページ)
・こうしてマルクスは、以下の拡大された規模での再生産の出発表式に到達
する
(初年度)Ⅰ 4,000c+1,000v+1,000m=6,000
Ⅱ 1,500c+750v+750m=3,000
(Ⅰ⑦ 831ページ、Ⅱ⑦ 827ページ)
〔両部門で生産された商品は、9000と単純再生産と同じであるが、
Ⅰ(v+m)>Ⅱcにより、Ⅱcは単純再生産の2000cが1500c
になり、かわりにⅡvは500vから750vにふえている〕
〔第Ⅰ部門の剰余価値であるⅠ 1,000mのうち500mが、400:100
の割合で第Ⅰ部門のcとvの蓄積にまわり、残った剰余価値は500
mとなる〕
(2年度の第Ⅰ部門)
Ⅰ 4,400c+1,100v+500m=6,000(初年度)
〔剰余価値率(m/v)を100%にすると〕
Ⅰ 4,400c+1,100v+1,100m=6,600(2年度)
〔追加された第I部門の可変資本である100(mv)に対して、消費
手段の生産拡大のため第II部門の不変資本であるⅡ 100(mc)の
追加が必要となる〕
〔Ⅱのc:vは1500:750として2:1だから、Ⅱ 100(mc)を
追加するにはⅡ 50(mv)の追加が必要となる〕
(2年度の第Ⅱ部門)
Ⅱ 1600c(1,500c+100(mc))
+800v(750v+50(mv))+ 600m
=(初年度)
〔Ⅱ 100(mc)と50(mv)が追加されたため、これまでの
Ⅱ 750mは600mに減少した〕
〔剰余価値率(m/v)を100%にすると〕
Ⅱ 1,600c+800v+800m=3,200(2年度)
・まとめてみると
(初年度)Ⅰ 4,000c+1,000v+1,000m=6,000 ─┬ 9,000
Ⅱ 1,500c+ 750v+ 750m =3,000 ─┘
(2年度)Ⅰ 4,400c+1,100v+1,100m=6,600 ─┬ 9,800
Ⅱ 1,600c+ 800v+ 800m =3,200 ─┘
〔初年度では、Ⅰ 1,000v+1,000m>Ⅱ 1,500c、2年度では、
Ⅰ 1,100v+1,100m>mⅡ 1,600cと、いずれも、Ⅰ(v+m)
>Ⅱcとなっている〕
〔社会的総資本は、9800/9000 として109%の拡大再生産〕
〔こうしてマルクスは、第6年度までの拡大再生産の計算をしてい
る〕(Ⅰ⑦ 841ページ、Ⅱ⑦ 834ページ)
● 前畑憲子立教大学名誉教授による、マルクスの拡大再生産の出発表式
書き換えの意義
・前畑名誉教授は、マルクスが拡大再生産の出発表式を4回も書き改めてい
る理由を、第8稿をもとに「1つの新しい問題」(前畑『マルクスの恐慌
論』493ページ)に直面したことに求めている
・すなわち、追加されたⅠ 100mvとⅡ 50mvの計150mvは、第2年度
ではじめて雇用されるⅠ、Ⅱの労働者であり、労賃後払いのため第1年
度の生産物にたいする需要として発動できないから、「部門Ⅱでの追加
貨幣資本の蓄積が不可能になる」(同)という「新しい問題」である
・そこでマルクスは「商品在庫の形式という契機を導入することによって、
今期の労賃が前期の生産物の販売に支出される、という想定」(同510ペ
ージ)をした
・この想定により、「Ⅰの可変貨幣資本100がⅠの労働者階級の手を経て
Ⅱに還流」(Ⅰ⑦ 833ページ、Ⅱ⑦ 828ページ)し、「Ⅱは商品在庫の
形で存在する100mをⅠに引き渡し、同時に商品在庫の形で存在する50
〔m〕をⅡ自身の労働者階級に引き渡す」(同、Ⅱ⑦ 828〜829ページ)
ことにより、Ⅰ、Ⅱの追加労働者は後払い賃金で在庫形態にあるⅡ部門
の生産物を購入することができた
・こうして「部門Ⅱが最初に投下したg(貨幣資本—高村)がこの部門に、
今期の内に還流し、これによって部門Ⅱでの追加貨幣資本の蓄積が可能に
なる」(同 499ページ)ことを明らかにし、「1つの新しい問題」を解
決した
・前畑見解によると、マルクスが再生産の出発表式を4回書き改めたのは、
単に再生産表式の正解に迷っていたからではなく、より深く真理に接近し
ようとしたためだったことが判明する
● 再生産の諸条件は均衡の条件であると同時に不均衡の条件
・資本主義的生産様式は、「この生産様式に固有な、正常な転換の一定の諸
条件を、したがって再生産 ─ 単純な規模でのであれ拡大された規模でので
あれ ─ の正常な進行の諸条件を生みだすのであるが、これらの諸条件はそ
れと同じ数の異常な進行の諸条件に、すなわち恐慌の諸可能性に急転する。
というのは、均衡は ─ この生産の自然発生的な姿態のもとでは ─ それ自
身1つの偶然だからである」 (Ⅰ⑦ 803〜804ページ、Ⅱ⑦ 801ページ)
・その意味で均衡は、「1つの偶然」にすぎないのに対し、資本主義社会の
「全矛盾の現われ」(全集㉖ 686ページ)としての恐慌という不均衡は、
資本主義の根本的矛盾をかかえながら、それに加えてあらゆる矛盾を積み
重ねる資本主義社会にとって必然なのである |