2021年4月17日 講義
第7講 恐慌論
1.恐慌はあらゆる矛盾の総合的な爆発である
● 恐慌はあらゆる矛盾の総合的な爆発である
・恐慌は「ブルジョワ的経済の全矛盾の現われ」(全集㉖ Ⅱ 686ページ)、
つまり「資本主義的生産のあらゆる矛盾の総合的な爆発」(大谷・前畑『
マルクスの恐慌論』43ページ)である
・したがって、恐慌の可能性から現実性への転化を考えるには、『資本論』
の第1部、第2部、第3部の全体をとおして矛盾が次第に蓄積され、つい
に爆発 することを考察しなければならない
・概略すると、まず第1部の資本の生産過程をつうじて、「商品と貨幣」の
対立は、「販売と購買」という「本質的には相互補完的な諸契機の分裂と
分離」(全集㉖ Ⅱ 687ページ)によって、販売しても購入しないところか
ら、「恐慌の可能性」 (同)、つまり抽象的可能性が生まれる
・次に第2部の流通過程をとおして、「発展した恐慌の可能性」(同 694ペ
ージ)、つまり恐慌の具体的可能性が生まれる
・「販売と購買との分離」という生産過程における恐慌の抽象的可能性は、
「剰余価値の実現」(同693ページ)が問題となる「流通過程においては
じめて」(同)、 具体的可能性というより発展した可能性を生みだす
・資本の再生産過程という流通過程において、恐慌の本質である「生産と消
費の矛盾」が現れる
・最後に、第3部において「現実の恐慌」(同)を論じるには、「資本主義
的生産の現実の運動、競争と信用からのみ説明することができる」(同)
● 現実性と必然性
・マルクスのいう恐慌の「可能性から現実性への転化」を理解するには、ヘ
ーゲルの『小論理学』に立ち戻って哲学的に考察されねばならない
・現実性には、内にあった本質が外に必然的にあらわれでた真の意味の現実
性と、内にあった単なる可能性がたまたま外にあらわれでた偶然的な現実
性とがある
・「単なる可能性という価値しか持たぬ現実的なものは、1つの偶然的なも
のである」(『小論理学』㊦ 88ページ)
・単なる可能性とは、抽象的可能性であり、可能でもあり、不可能でもある
という程度の可能性である
・これに対して、「本質のあらわれ」としての現実性は、具体的可能性が拡
大し、現実性となったものである
・具体的可能性とは、「本質」としての「事柄」が「条件」と結びつくこと
により、「必然的」に現実性となることである
・本質としての「事柄」も、「それ自身諸条件の1つ」(同 94ページ)で
あり、「諸条件」のなかのもっとも本質的な条件となる
・「あらゆる条件が現存すれば、事柄は現実的にならざるをえない」(同)
のであり、それが必然的な現実性である
・つまり、恐慌の真の意味の「現実性」を論じるということは、恐慌の「必
然性」を論じることにほかならないのであって、現実性を認めながら、必
然性を認めないことは論理的にありえない
・久留間鮫造氏は、マルクスが「必然性」という言葉を使用していないこと、
また必然性を認めると、「1870年以降のそれまでのような周期的な恐慌が
見られなくなると、マルクスの恐慌理論は間違い」(大谷・前畑『マルク
スの恐慌論』103ページ)とする議論もでてくるとして、恐慌の「必然性」
という用語の使用を否定し、「恐慌の可能性の現実性への転化」(全集㉖
Ⅱ 686ページ)のみを論じている
・しかし、「生産と消費の矛盾」という恐慌の「事柄」は資本主義である限
り、なくなることはないし、1870年代以降の周期的な恐慌が見られない(
といっても、2008年には、リーマン・ショックの恐慌あり)のも、恐慌の
「全条件」が揃わないというだけのこと
・したがって、マルクスが恐慌の「必然性」という用語を使用しなかったと
しても、恐慌の必然性は、恐慌の現実性とともに肯定されねばならない
2.資本の流通過程における恐慌の具体的可能性
● 生産と消費の矛盾(恐慌の具体的可能性としての「事柄」)
・恐慌では、「剰余価値の実現」(全集㉖Ⅱ 693ページ)が問題になるので
あり、したがって恐慌は、「再生産過程であるところの流通過程において
はじめて現われうる」(同)
・「この過程のなかに、さらに発展した恐慌の可能性」(同 694ページ)、
つまり恐慌の具体的可能性が存在する
・「剰余価値の実現は、社会一般の消費欲求によってではなく、その大多数
がつねに貧乏であり、またつねに貧乏のままでいなければならないような
一社会の消費欲求によって限界づけられている」(Ⅰ⑥ 502ページ 注32、
Ⅱ⑥ 499ページ 注32)
・こうして販売と購買との分離・対立は、流通過程において「生産と消費と
の矛盾」(全集㉖Ⅱ 699ページ)を生みだす
・「すべての現実の恐慌の究極の根拠は、依然としてつねに、一方では大衆
の貧困であり、他方では、社会の絶対的消費能力がその限界をなしている
かのように生産諸力を発展させようとする、資本主義的生産様式の衝動で
ある」(Ⅰ⑩ 857ページ 注4、Ⅱ⑪ 835〜836ページ 注3)
・「資本主義的生産様式の矛盾は、まさに生産諸力の絶対的発展へのこの生
産様式の傾向」(Ⅰ⑧ 442ページ、Ⅱ⑨ 439ページ)と、「社会の絶対
的消費能力」との矛盾、つまり生産と消費の矛盾のうちにある
・生産と消費の矛盾とは、資本の蓄積過程から生まれる貧富の格差の拡大と
いう資本主義の根本的矛盾の流通過程における現れであり、恐慌の「事柄」
を意味する
● 流通過程の諸矛盾は生産と消費の矛盾を拡大する
(恐慌の具体的可能性としての「条件」)
・「生産資本の諸要素」(全集㉖Ⅱ 696ページ)、とりわけ原料の価値の騰
貴は再生産過程の撹乱をもたらす
・「これらの原料が原料として不変〔資本〕のなかにはいって行くにせよ、
生活 手段として労働者の消費にはいって行くにせよ、恐慌が原料騰貴の結
果として発生しうる」(同 698ページ)
・また「生産物の騰貴」(同 697ページ)も「それが総じて一般的消費には
いって行くかぎりでは、……他の諸生産物にたいする需要を減少させ」(
同)、商品の貨幣への再転化を撹乱する
・さらに恐慌は、商品から成っている「固定資本の過剰生産」(同 699ペー
ジ)により、 商品の販売の撹乱からも生じる
・以上の流通過程の諸矛盾は、生産と消費の矛盾を拡大し、恐慌の具体的可
能性としての「条件」となる
● 商人資本の介入が生産と消費の矛盾を拡大する
(恐慌の具体的可能性としての「条件」)
・さらに流通過程に存在する商人資本は、「流通過程の短縮」により、架空
の消費を生みだし、消費制限を隠蔽する
・商人資本の介入のもとで、「諸商品の一大部分は外観上消費にはいってい
るにすぎず、現実には売れずに転売人たちの手中に滞積し、したがって実
際にまだ市場にある」(Ⅰ⑤ 125ページ、Ⅱ⑤ 120ページ)
・したがって商人資本の介入は恐慌の「条件」であり、生産物は販売されつ
つ販売されないとの矛盾を生みだし、「生産と消費」の矛盾を拡大し、恐
慌の具体的可能性を拡大する
3.資本主義的生産の総過程における恐慌の現実性
● 現実の恐慌は、第3部の競争と信用から生じる
・第2部の流通過程において恐慌の抽象的可能性が具体的可能性に発展した
としても、まだそれだけでは、恐慌は現実のものとならない
・具体的可能性を現実性に転化するのは、「あらゆる条件」が揃って「事柄」
を 必然的に現実性に転化することである
・つまり生きている矛盾は、第2部の生産と消費の矛盾を「事柄」としなが
ら、第3部の「競争と信用」(全集㉖Ⅱ 693ページ)においてさらに「条
件」が積み重ねられて、「あらゆる矛盾の総合的な爆発」となる
・利潤率の傾向的低下法則は、生産と消費の矛盾、資本の過剰と人口過剰の
増大という矛盾を拡大して、恐慌の現実性を実現する(恐慌の具体的可能
性としての「条件」)
・『資本論』第3部第3篇「利潤率の傾向的低下の法則」のうち、第15章
「この法 則の内的諸矛盾の展開」については、利潤率低下の法則と恐慌論
とを切りはなして理解する見解も存在した
・しかし、1993年、マルクスの第3部の第1草稿がMEGA第Ⅱ部第4巻第
2分冊として公表され、利潤率低下の法則と恐慌論を統一的に理解する見
解が支配的となった(前畑『マルクスの恐慌論』573ページ以下)
・すなわち第15章の「この法則の内的諸矛盾」という題目は、利潤率低下
の法則の「内的諸矛盾」を意味する
・利潤率低下の法則は、「利潤率の減少と絶対的な利潤総量の増加」(Ⅰ⑧
378ページ、Ⅱ ⑨ 376ページ)という「二面的な法則」(同、同)の「内
的諸矛盾」をもっている
・「利潤率の低下と加速的蓄積とは、両方が生産力の発展を表現する限りで、
同じ過程の異なる表現にすぎない」(Ⅰ⑧ 414〜415ページ、Ⅱ⑨ 411ペ
ージ)
・「蓄積に結びついた利潤率の低下は、必然的に競争戦を引き起こす」(Ⅰ
⑧ 440ページ、Ⅱ⑨ 437ページ)
・競争戦のもとで、利潤率の低下の「二面的な法則」は、一方では「蓄積衝
動」(Ⅰ⑧ 419ページ、Ⅱ⑨ 416ページ)の増大によって「社会の消費
力」(Ⅰ⑧ 419ページ、Ⅱ⑨ 416ページ)を狭い範囲に限定し、他方で
各個別資本の生産力を発展させて、「加速的蓄積」を強制する
・したがって、「資本主義的生産に内在するところの生産と消費の矛盾は、
利潤率の傾向的低下法則によってたんに資本主義的生産に『内在する』矛
盾としてではなく、その矛盾を外在化させる。あるいは、恐慌の可能性を
現実性に転化する」(前畑『マルクスの恐慌論』581ページ)
・つまり、「内的な矛盾は、生産の外的領域の拡張によって解決をはかろう」
(Ⅰ⑧ 420ページ、Ⅱ⑨ 417ページ)とし、生産諸部門間の比例性を撹
乱する
・「それゆえ、この法則は、資本の過剰と人口過剰の増大という矛盾した現
象、つまり恐慌として目に見えるようになる」(前畑前掲書582ページ)
・したがって利潤率の傾向的低下法則における「利潤率の低下と利潤量の増
大」という「抗争し合う作用諸因子の衝突は、周期的に恐慌にはけ口を求
める」(Ⅰ⑧428ページ、Ⅱ⑨425ページ)ことになる
● 信用は、再生産過程を拡大し生産と消費の矛盾を拡大して、恐慌の
現実性を実現する(恐慌の具体的可能性としての「条件」)
・個別資本は、銀行信用を利用して、自らのもつ貨幣資本の限界を超えて生
産を拡大する
・「信用制度が過剰生産および商業における過度投機の主要な槓杆として現
われるとすれば、それはただ、その性質上弾力的である再生産過程が、こ
こでは極限まで押し広げられるから」(Ⅰ⑨ 779ページ、Ⅱ⑩ 764ペー
ジ)である
・信用制度による再生産過程の極限までの拡大は、資本の蓄積の拡大を意味
し、蓄積の拡大は、生産と消費の矛盾、つまり貧富の格差を限りなく拡大
する
・「銀行および信用は、……資本主義的生産様式を駆り立てて、それ自身の
諸制限を踏み越えさせるもっとも強力な手段となり、また恐慌とぺてんと
のもっとも有効な手段の1つとなる」(Ⅰ⑩ 1096ページ、Ⅱ⑪ 1063ペ
ージ)
● 恐慌の現実性への転化
・こうして資本主義の根本的矛盾の現れであり、恐慌の事柄である「生産と
消費の矛盾」は、恐慌の条件である流通過程の諸矛盾、商人資本の介入、
利潤率の低下法則のもつ矛盾、銀行による生産の極限までの拡大などの諸
矛盾の蓄積と結合して恐慌の現実性に転化する
・「恐慌は、つねに、現存する諸矛盾の一時的な強力的解決でしかなく、撹
乱された均衡を瞬間的に回復する強力的爆発でしかない」(Ⅰ⑧ 428ペ
ージ、Ⅱ⑨ 425ページ)
・恐慌による生産力の低下により、「生産と消費の矛盾」は一時的に解決さ
れるものの、資本主義の新たな産業循環のもとで、「生産と消費の矛盾」
はより拡 大されて進行し、次の循環をくり返すことになる
4.「あらゆる矛盾の総合的な爆発」としての
恐慌と、「恐慌の究極の根拠」
● 恐慌の2つの根拠
・マルクスは、一方で恐慌を「あらゆる矛盾の総合的な爆発」としてとらえ
ている
・したがって、『資本論』の全体におけるあらゆる矛盾が1つ1つつみ重ね
られながら恐慌において爆発することになる
・しかしマルクスは、他方で「恐慌の究極の根拠」を論じている
・マルクスの草稿によると、「すべての現実の恐慌の究極の根拠は、依然と
してつねに、一方では大衆の貧困であり、他方では、社会の絶対的消費能
力がその限界をなしているかのように生産諸力を発展させようとする、資
本主義的生産様式の衝動である」(Ⅰ⑩ 857ページ 注4、Ⅱ⑪ 835〜836
ページ 注3)
・つまり、現実の恐慌の究極の根拠は、「生産と消費の矛盾」にあるという
もの
● 恐慌の「究極の根拠」は、恐慌の本質的条件を示したもの
・なぜマルクスは、一方で恐慌を「あらゆる矛盾の総合的な爆発」としなが
ら、他方で「生産と消費の矛盾」を「恐慌の究極の根拠」としたのか
・マルクスは恐慌を資本主義のあらゆる矛盾の総合的な爆発としてとらえな
がらも、そのあらゆる矛盾のなかの究極の矛盾・根拠として、生産と消費
の矛盾、つまり貧富の格差の拡大という矛盾の現れを恐慌の「事柄」とと
らえ、それこそが恐慌の本質的条件であることを示したもの
・言いかえれば、貧富の格差拡大という資本主義の根本的矛盾の現れである
「生産と消費の矛盾」が、恐慌の「事柄」となり、その他の矛盾は、この
「事柄」を拡大し、現実性に転化する「条件」となって、恐慌の現実性が
必然的に生みだされるのである
・労働者は、階級闘争をつうじて人間疎外から人間解放へと向かい、賃労働
を廃止して自己の手に生産物を取得しなければならないのであり、したが
って「生産と消費の矛盾」は、賃労働から生まれる貧富の格差拡大という
資本主義の根本的矛盾の現れとして、資本主義の必然的現象としての恐慌
の「事柄」となっているのである |