2021年6月19日 講義

 

 

第9講 商人資本と利子生み資本

 

1.商人資本(第3部第4篇)

● 商人資本は、産業資本から自立化した資本

 ・商人資本とは、第6講で学んだ「産業資本の単なる一存在形態としての商
  品資本」(Ⅰ⑨ 463ページ、Ⅱ⑨ 459ページ)が自立化した転化形態に
  なったもの

 ・産業資本は、商人資本に商品の販売を引き受けさせることにより、これま
  での通流時間を生産時間に転化させて剰余価値を増大させることができる
  し、また剰余価値からの通流費用の控除を免れることができるので、その
  増大した剰余価値の一部を商人資本に支払う

 ・商人資本は産業資本から支払われた剰余価値の一部を商業利潤とし、産業
  資本から派生的に生じながらも自立化することが可能となる

● 商業利潤

 ・商人資本は、産業資本から自立化して流通過程に加わり、社会的総資本の
  再生産過程に参加することにより、「利潤の生産には参加しないで利潤の
  分配に参加する資本」(Ⅰ⑨ 486ページ、Ⅱ⑨ 482ページ)となる

 ・すなわち、産業総資本は、これまで平均利潤率20%の全価値を得ていた
  が、商人資本の参加により総資本が増大するため、平均利潤率は18%に
  低下する。産業資本は商人資本に対し、商品を費用価格に全価値よりも低
  い18%の平均利潤をプラスした生産価格(k+p)で販売し、商人資本
  はその入価格にさらに18%の平均利潤をプラスした全価値の価格である
  現実の生産価格(k+p+h)で販売し、商業利潤を手にする(k=費用
  価格p=産業資本の平均利潤 h=商人資本の平均利潤)

 ・「したがって、生産価格、すなわち産業資本家が産業資本家として売る価
  格は、商品の現実の生産価格よりも小さ」(Ⅰ⑨ 488ページ、Ⅱ⑨ 484
  ページ)く、商人の販売価格が購入価格を超えるのは、「購入価格が全価
  値よりも低いからである」(Ⅰ⑨ 489ページ、Ⅱ⑨ 485ページ)

 ・いわば、産業資本の取得した剰余価値が、産業資本と商業資本との間で分
  配されるのである

● 商人資本の介入による再生産過程の撹乱

 ・商人資本は諸商品を産業資本から購入することによって、「諸商品の一大
  部分は外観上消費にはいっているに過ぎず、現実には売れずに転売人たち
  の手中に滞積し、したがって実際にまだ市場にある」(Ⅰ⑤ 125ページ、
  Ⅱ⑤ 120ページ)ことになる

 ・こうして商人資本は、最終的な需要から独立した「架空の需要」(Ⅰ⑨
  519ページ、 Ⅱ⑨ 515ページ)をつくり出す

 ・商人資本のもとに最終需要を超えた大量の商品在庫が市場に滞留するよう
  になると、生産と消費の矛盾が表面化し、恐慌を招くことになる

 

2.利子生み資本(第3部第5篇)

● 第5篇の構成

 ・第5篇「利子と企業者利得とへの利潤の分裂。利子生み資本」は、マルク
  スが心血を注ぎ、エンゲルスも第3部の編集にあたって最も苦労した箇所
  であり、 エンゲルスの編集にも限界があることが指摘されている

 ・宮田惟史(これふみ)駒澤大学准教授は、「マルクスの信用論の課題と展
  開」(『マルクスの恐慌論』707ページ以下)において、マルクスの草稿
  とエンゲルスの編集とをあわせ検討して、マルクスの信用論の草稿におけ
  る「本論中の本論」が「現実資本の蓄積との関連における貨幣資本の蓄積
  の分析」(同 708ページ)、つまり貨幣資本の過多にあることを指摘して
  いる

 ・本講座では、宮田論文を参考にしながら、①利子生み資本の本質、②信用
  制度の概説、③利子生み資本は、貨幣資本の過多を生みだす、④新自由主
  義(カジノ資本主義)〔第10講で論じる〕の4項目で利子生み資本を論
  じたい

① 利子生み資本の本質(第21章)

 ・平均利潤の完成により、「資本が生産部面内で産業的に投下されようと、
  流通部面で商業的に投下されようと、資本はその大きさに"比例して"同じ
  年平均利潤をもたらす」(Ⅰ⑨ 576ページ、Ⅱ⑩ 572ページ)

 ・ここに至って貨幣は、それを使用すれば平均利潤を生産するという「1つ
  の" 特殊な"商品」(Ⅰ⑨ 577ページ、同)となる

 ・「貨幣は、それが貨幣として有する使用価値のほかに、1つの追加的使用
  価値、すなわち資本として機能するという使用価値をもつようになる」(
  同、同)

 ・ここにおいて貨幣を使用する利子生み資本は、「自己自身で自己を増殖す
  る自動装置」(Ⅰ⑩ 825ページ、Ⅱ⑪ 807ページ)となる

 ・つまり、年平均利潤率を20%とすると、100の産業資本から20の利
  潤が生じる。資本家Aが資本家Bから100の資本を借りて20の利潤を
  生産したとすると、AはBに対して20の利潤のうちから5を利子として
  支払い、15を自己の企業者利得とする。

 ・こうして産業資本の生みだした利潤は、産業資本の取得する「企業者利得」
  と、利子生み資本の取得する「利子」とに分裂する

② 信用制度の概説(第25章、第26章)

● 信用制度の考察の範囲

 ・信用とは、貨幣の貸し借り、債権債務の関係

 ・信用制度では、「資本主義的生産様式一般の特徴づけ」(Ⅰ⑨ 694ページ、
  Ⅱ⑩ 680ページ)として商品取引にともなう貨幣の貸し借りとしての「商
  業信用」と、商品取引を含まない貨幣の貸し借り(金融)としての「銀行
  信用」だけを取り扱う

 ・したがって以下においては、信用制度に関し、商業信用と銀行信用の問題
  だけを扱う

● 商業信用

 ・「商業信用」とは、いわば商品の掛け売りによって貨幣の貸し借りが生じ、
  買い主が売り主に対し支払いにかえて発行する手形が満期日まで裏書きさ
  れて流通することによる「再生産的資本家たちが相互に与え合う信用」(
  Ⅰ⑩ 905ページ、Ⅱ⑪ 878ページ)

 ・手形とは、買い主の支払い約束であり、約束手形と為替手形とがある

 ・約束手形とは、買い主が売り主に対して、一定期限に支払うことを約束し
  て振り出す手形であり、為替手形とは、売り主が支払い委託の書面を発行
  し、買い主に引き受けさせることによる支払い約束の手形

 ・手形所持者は、銀行に満期日までの利息を支払って手形を割り引いてもら
  い、代わりに銀行券を受け取る

 ・「手形の振り出しとは、商品を信用貨幣の一形態に転化することであり、
  また手形の割引とは、この信用貨幣を他の信用貨幣すなわち銀行券に転化
  することである」(Ⅰ⑨ 752ページ、Ⅱ⑩ 739ページ)

● 銀行信用

 ・「銀行信用」とは、銀行を媒介とする貨幣の貸し借りである

 ・銀行には、商業信用を取り扱う側面と、利子生み資本の管理機構の側面と
  いう2つの側面がある(現代では銀行は投資信託を扱い、金融投機に一役
  買う側面をもち、かつ強めている)

 ・銀行は商業信用を取り扱う側面をからすると、手形所持者に対し、商業手
  形を割り引いて、代わりにいつでも支払われうる銀行業者の振り出す約束
  手形である銀行券を与える

 ・また銀行は、遊休貨幣を集めて産業資本家に貸しつけ、利子を受けとると
  いう、利子生み資本の管理機構となる

 ・銀行が、利子生み資本として貨幣資本を媒介し管理する側面は、銀行制度
  の本質的部分であったが、現代では金融投機が銀行の本質的部分に変わっ
  てしまっている

● 銀行券は管理通貨制度のもとで価値章標の完成された形態となる

 ・紙幣は、「価値分量でもある金分量を紙幣が代理する限りでのみ、紙幣は
  価値章標なのである」(Ⅰ① 223ページ、Ⅱ① 216ページ)

 ・金が無価値な章標である紙幣によって置き換えられうるのは、「金が鋳貨
  または流通手段としてのその機能において孤立化または自立化される限り
  でのこと」(Ⅰ① 224ページ、Ⅱ① 217ページ)にすぎない

 ・銀行券は、いつでも金と兌換できる金本位制度のもとにおいて、持参人に
  いつでも金を支払うという銀行業者の振り出す約束手形として、本来の信
  用貨幣であり、正式な貨幣の基準となる

 ・中央銀行が確立されると、一国の銀行の金準備はすべて中央銀行に集中さ
  れ、中央銀行の発行する銀行券のみが兌換銀行券として通貨となる

 ・これに対し不換銀行券は、国家が中央銀行の発行する銀行券に強制通用力
  を付与することによって通貨となる銀行券

 ・「貨幣の章標に必要なのは、それ自身の客観的社会的妥当性だけである。
  紙製の象徴はこの妥当性を強制通用力によって受け取る」(Ⅰ① 225ペ
  ージ、Ⅱ① 218ページ)

 ・不換銀行券の国家強制が有効であるのは、「国内の流通部面の内部におい
  てだけ」(同、同)であり、国外では通用しない

 ・資本主義の矛盾の深まりのなかで、1929年の大恐慌を機に、1930年代半
  ばまでに世界各国で金本位制度は崩壊し、各国の不換銀行券(紙幣)が流
  通する管理通貨制度となった

 ・管理通貨制度のもとで、国家紙幣は「価値章標の完成された形態」(「経
  済学 批判」全集⑬ 96ページ)となる

 ・しかし、国家紙幣には金との兌換がなく、そのため発行に限度がないのが
  問題であり、不換紙幣はすべて流通過程にとどまりインフレーションを引
  き起こす

 ・管理通貨制度によって国際的に基軸になる通貨がなくなると、国際的為替
  相場が不安定になるため、1944年アメリカを中心に連合国の代表が集まり、
  アメリカのドル(金1オンス=35ドル)を基準に各国の通貨の交換比率を
  固定して、固定相場制を確立した(IMF体制)

 ・しかしアメリカは貿易収支の赤字による金保有量の減少を理由に、1971年
  金ドル交換停止(ニクソン・ショック)を決定し、各国の管理通貨制度は
  固定相場制から変動相場制に移行した

③ 利子生み資本は、貨幣資本の過多を生みだす(第29章から第32章)

● 信用制度に関連した「比類なく困難な諸問題」(第30章)

 ・信用制度に関連した「比類なく困難な諸問題」(Ⅰ⑩ 841ページ、Ⅱ⑪
  822ページ)として、本来の貨幣資本の蓄積は、どの程度まで現実の資本
  の蓄積の指標になるのかという、「資本のいわゆる過多」(同、同)の問
  題をあげている

 ・マルクスが信用制度において最大の関心を抱いたのは、「貨幣資本(マニ
  イド・キャピタル)と現実資本(リアル・キャピタル)」との関係を明ら
  かにすることにあった

 ・「マルクスは草稿において、資本の循環形態である『貨幣資本(ゲルト・
  カピタル)』と区別して、信用制度下で具体的な姿態をとって現われる利
  子生み資本を『貨幣資本(マニイド・キャピタル)』と呼んだ」(宮田、
  同 708ページ)

● 貨幣資本(マニイド・キャピタル)の架空性(第29章)

 ・貨幣資本の膨張は、「銀行制度の普及の結果」(Ⅰ⑩ 865ページ、Ⅱ⑪
  843ページ)であり、「貨幣資本の膨張が生産的資本の増大を表現するも
  のでない」(⑩ 866ページ、同)

 ・というのも、「貨幣資本の蓄積は、大部分が、生産にたいするこれらの請
  求権の蓄積、これらの請求権の幻想的な資本価値である市場価格の蓄積以
  外のなにものでもない」(Ⅰ⑩ 829ページ、Ⅱ⑪ 810ページ)から

 ・銀行資本が保有する預金は、「利子生み資本として貸し出され、したがっ
  て銀行の金庫には存在せず、預金者の貸方勘定として彼らの帳簿のなかに
  姿を現わすだけである」(Ⅰ⑩ 831ページ、Ⅱ⑪ 812ページ)

 ・また銀行の保有する国債、地方債は、例えばこれらの国や自治体の負債に
  5%の利子が付くとすれば、5万円の国債は100万円の資本の利子とみ
  なされるという「資本還元」(Ⅰ⑩ 824ページ、Ⅱ⑪ 806ページ)によっ
  て、負債が資本とみなされているにすぎない

 ・銀行が保有する株式も、それらの市場価値は、「その名目価値とは異なる
  規定」(Ⅰ⑩ 826ページ、Ⅱ⑪ 808ページ)を受けとり、株式の市場価
  値は、株式市場で売買されることにより「一部は投機的」(同、同)とな
  っている

 ・こうして、「銀行業者資本の最大の部分は、純粋に架空なもの」(Ⅰ⑩
  830ページ、 Ⅱ ⑪ 811ページ)となる

 ・「架空資本は、貨幣請求が確実に履行可能であるという条件のもとでのみ
  存続することができるのであり、逆にこの条件を失えばたちまちに架空性
  は露呈される」(宮田、同 715ページ)

 ・マルクスは、「信用制度のもとにある貸付可能な貨幣資本……だけでなく、
  国債や株式などの有価証券の形態をとる架空資本をも含めて、全体として
  『貨幣資本(マニイド・キャピタル)』と呼び、その独自な蓄積を主題と
  した」(同)

 ・「この信用制度においてはすべてのものが、2倍にも3倍にもなり、単な
  る幻影の産物に転化する」(Ⅰ⑩ 836ページ、Ⅱ⑪ 817ページ)

● 貨幣資本(マニイド・キャピタル)の過多(第31章、第32章)

 ・「貸付資本の蓄積は、少しも現実の蓄積なしに」(Ⅰ⑩ 880ページ、Ⅱ
  ⑪ 857ページ)、「現実の蓄積とはかかわりなく増大する」(同、同)

 ・というのも「この新たな蓄積か? その使用にさいして諸困難、投下諸部
  面の不足にぶつかり、したがって生産諸部門の飽和と貸付資金の過剰供給
  とが生じるとすれば、貸付可能な貨幣資本のこのような過多が証明するの
  は、資本主義的生産の諸制限以外のなにものでもない」(Ⅰ⑩ 903ページ、
  Ⅱ⑪ 876ページ)から

 ・すなわち、「資本の過多は根本的には現実資本の蓄積の『制限』によって
  形成される」(宮田、同 724ページ)のであり、その制限とは「具体的に
  は、現実資本の蓄積における『利潤率の低下』のことである」(同 725ペ
  ージ)

 ・つまり「資本主義的生産の諸制限」とは貨幣資本の架空性と利潤率低下の
  法則のことであり、この2つ法則が貨幣資本の過多を生みだすのである

 ・したがって「(産業)循環の一定の諸局面ではつねに貨幣資本の過多が生
  じざるをえないのであり、またこの過多が、信用の発達につれて発展せざ
  るをえないのである」(Ⅰ⑩ 904ページ、Ⅱ⑪ 877ページ)

 ・1980年代前半から世界各国に貨幣資本の過多が生じ、市場にはマネーがあ
  ふれている

 ・「自由に利用できる貨幣資本の発展」(Ⅰ⑩ 911ページ、Ⅱ⑪ 883ペー
  ジ)につれて、「有価証券(ジヨツパーズ)の投機取引を行なう証券取引
  業者たちが貨幣市場で主役を演じる」(同、同)ことになる

 ・信用制度の発展につれて、「大きな集中された貨幣諸市場がつくりだされ
  る」 (Ⅰ⑩ 913ページ、Ⅱ⑪ 885ページ)のであって、「銀行業者たち
  は、これら(証券)取引業者連中に公衆の貨幣資本を大量に用立てるので
  あり、こうして賭博師一味が増大する」(Ⅰ⑩ 913〜914ページ、同)

 ・1971年の金ドル交換停止によって変動相場制に移行したのと、1980年代
  前半からの利潤率低下の法則のもとで、国際的な過剰資本形成が明確にな
  ったことが原因となり、過剰な貨幣資本は金融投機に突っ走り、マネーゲ
  ームを生みだした

 ・現代の資本主義は、過剰生産のもとで、モノづくりからマネーゲームのカ
  ジノ資本主義に突入してしまっている