2021年8月21日 講義

 

 

第11講 地代論、『資本論』の総括

 

1.地代論

① 地代は土地の独占から生まれる

● 地代論の対象となるのは、資本主義的生産様式の支配する農業

 ・マルクスが研究対象としたイギリスでは、農地を所有する土地貴族が支配
  階級の主要な勢力となっており、彼らが手にする地代の解明が大きな課題
  となっていた

 ・借地農場経営者は、地主から土地を借りて地代を払い、耕作農民を雇って
  農業生産物を生産するという「資本主義的生産様式によって支配される」
  (Ⅰ⑪ 1110ページ、Ⅱ⑫ 1077ページ)農業経営を営む

 ・「ここには、近代社会の骨組みをなす3つの階級が、全部そろって、互い
  に対立し合いながら登場する—賃労働者、産業資本家、土地所有者」(Ⅰ
  ⑪ 1120ページ、 ⑫ 1086ページ)がそれである

● 地代は土地独占から生まれる超過利潤

 ・「資本主義的生産様式に照応する土地所有形態は、資本主義的生産様式そ
  のものによって、農業を資本に従属させることを通じて、はじめてつくり
  だされる」(Ⅰ⑪ 1115ページ、Ⅱ⑫ 1081ページ)

 ・「農業を資本に従属させる」とは、土地は本来剰余価値を生産するもので
  はないにもかかわらず、資本主義的生産様式のもとにあっては、土地所有
  者が 土地を独占することから、農場経営者の平均利潤をこえる剰余価値の
  一部(超過利潤)が転化して地代となっていることを意味する

 ・土地所有者にとっては「土地は労働の生産物ではなく、したがってどんな
  価値ももたない」(Ⅰ⑪ 1128ページ、Ⅱ⑫ 1094ページ)にもかかわら
  ず、土地独占を媒介として「借地農場経営者から徴収する一定の貨幣税」
  (Ⅰ⑪ 1115ページ、Ⅱ⑫ 1081ページ)でしかない

 ・地代には、差額地代と絶対地代とがある

 ・絶対地代とは、最劣等地の土地を利用する借地農場経営者が土地所有者に
  支払う地代

 ・差額地代とは、最劣等地以外のすべての土地を利用する借地農場経営者が
  絶対地代にプラスして土地所有者に支払う地代

② 差額地代

● 差額地代は土地の豊度から生まれる農場経営者の超過利潤

 ・結論的にいうならば、差額地代とは、土地の位置や豊土といった土地条件
  により、農場経営者が手にする生産物の個別的価値は安くなるにもかかわ
  らず、生産物が市場価格で販売されることによって超過利潤を手にし、そ
  れを地主に対し支払う地代である

● 差額地代はどこから生じるのか

 ・農業の場合、農場経営者は土地をもっていないので、土地所有者に地代を
  支払って土地を借りなければならない

 ・借地の対象となる土地には、その土地固有の位置や豊度という条件(土地
  条件)がついている

 ・しかし、借地農場経営者にとっては、こうした「土地条件は相互間の競争
  の条件には属さない例外的な生産条件」(大谷『図解社会経済学』388ペ
  ージ)となる

 ・というのも、土地の位置や豊度などの土地条件は、農場経営者と土地所有
  者間における借地条件の内容となるのみであって、農場経営者相互間の「
  競争の条件」にはならない「例外的な生産条件」だからである

 ・「このような例外的な生産条件のもとで生産される商品の例外的に低い個
  別的価値は、この部面での市場価値の成立には関与」(同)しない

 ・市場価値とは、ある生産物はそれぞれ個別の価値をもっているが、市場で
  の競争の結果、その生産物にはただ1つの価値しかつかないという「一物
  一価の法則」のこと

 ・工業生産の場合、市場価値はその部門間での生産条件の異なる諸資本間の
  競争によって生じる個別的価値の加重平均によって生まれる

 ・優れた生産力をもつ資本家は超過利潤を手にし、遅れた生産力を持つ資本
  家は欠損価値を蒙ることになるが、剰余価値の異なる生産物が市場での競
  争をつうじて加重平均されることによって超過利潤と欠損価値は相殺され
  て、市場価値が成立することになる

 ・したがって、工業生産の場合、生産条件の差異が加重平均されて市場価値
  が形成されたのであり、農業生産の場合も「例外的な生産条件」としての
  土地条件は、市場価値の形成に関与しないのである

 ・では、農産物の市場価値はどのようにして成立するかといえば、やはり競
  争の条件となる生産条件によってである

 ・つまり、「例外的でない生産条件のもとで生産された商品の個別的価値」
  (同)が市場価値として決定されることになる

 ・言いかえると、土地の位置や豊度が問題にならない「最劣等地の商品の個
  別的価値」(同)によって市場価値が決定されるのである

 ・というのも、市場価値は「生産物の交換価値を基礎」(Ⅰ⑪ 1195ページ、
  Ⅱ⑫ 1161ページ)として生じる一物一価の法則であるから、例外的な土
  地条件と関わりのない最劣等地の個別的価値が、交換価値を基礎とする市
  場価値を決定するのである

 ・そうなると、例えば総生産物のわずか1%の、土地条件をもたない最劣等
  地の商品が市場価格を決定し、土地条件をもっている残りの99%生産物
  の個別的価値は、この市場価値を下回り、超過利潤が発生することになる

 ・土地所有者は、「この超過利潤はそれぞれの土地が生んだ果実だとして、
  資本にその引き渡しを要求」(同389ページ)し、それが差額地代になる

● 差額地代は「虚偽の社会的価値」のうえに成立する

 ・では農業において加重平均される超過利潤に見合う欠損価値はどこにある
  のか

 ・この欠損価値は、「資本主義的生産様式の基盤の上で、競争を媒介として
  自己を貫徹する市場価値による(市場価格の)規定である。これはある虚
  偽の社会的価値を生み出す」(Ⅰ⑪ 1194ページ、Ⅱ⑫1160〜1161ペー
  ジ)

 ・どの商品についても「市場価値の法則」(同、Ⅱ⑫ 1161ページ)は、「競
  争を媒介」 として」、超過利潤と欠損価値を相殺して成立する一物一価の
  法則であるに もかかわらず、差額地代については超過利潤のみが存在し、
  欠損価値は「虚偽の社会的価値」にすぎないのである

 ・すなわち、工業部門では、優位の諸資本は特別剰余価値を取得するのに対
  して、劣位の諸資本は、個別的価値を社会的価値として実現することがで
  きず、欠損価値を負ってしまうことになり、超過利潤も欠損価値も工業部
  門内で相殺されてしまう

 ・これに対して農業経営の場合には、「超過利潤のプラスに対応するマイナ
  ス(欠損価値)はこの部門の内部にはない」(大谷『図解社会経済学』
  390ページ)、つまり農業部門内で相殺されることがないのであって、差
  額地代に転化する「超過利潤は、農産物が市場価値で売られることによっ
  て、他の生産部門か ら移転した価値」(同)だということを意味する

 ・つまり、農業部門が他の生産部門から受け取るこの価値額は、「消費者と
  みなされた社会が土地生産物にたいし払い過ぎるもの」(Ⅰ⑪ 1195ペー
  ジ、Ⅱ⑫ 1161ページ)であり、それが「土地所有者たちにとってのプラ
  ス」(同、Ⅱ⑫ 1161〜1162ページ)となる差額地代となるのである

 ・したがって差額地代は、「虚偽の社会的価値」のうえに成立している

③ 絶対地代

● 最劣等地にも絶対地代は生じる

 ・差額地代では、「最劣等地は地代を支払わない」(Ⅰ⑪ 1336ページ、Ⅱ
  ⑬ 1305ページ)との前提にたっていたが、絶対地代とは、「土地種類の
  豊度の格差」(Ⅰ⑪ 1358ページ、Ⅱ⑬ 1326ページ)にかかわりなく、
  最劣等地にも生じる地代である

● 絶対地代は地主の土地所有から生まれる農場経営者の超過利潤

 ・「本来の農業において資本の構成が社会的平均資本の構成よりも低度」(
  Ⅰ⑪ 1356ページ、Ⅱ⑬ 1325ページ)なところから、農業資本の生産する
  剰余価値が「社会的平均構成をもつ同じ大きさの……資本の場合よりも大
  きいということは、理論的に確実である」(Ⅰ⑪ 1357ページ、同)

 ・例えば非農業部門の社会的平均資本の構成を85c+15v+15m(115)と
  すれば、農業資本の構成は75c+25v+25m(125)となり、農業資本の
  資本の構成が低いため、非農業部門の社会的平均資本の剰余価値が15で
  あるのに対し、農業部門の剰余価値は25と高い

 ・しかし、それだけでは絶対地代を「説明するには決して十分ではない」(
  Ⅰ⑪ 1358ページ、Ⅱ⑬ 1327ページ)

 ・というのも「資本が部分的にしか克服できないか、またはまったく克服で
  きない外的な力」(Ⅰ⑪ 1359ページ、Ⅱ⑬ 1328ページ)としての土地
  所有にぶつかると、それが障壁となり、資本の自由な移動が制限されるこ
  とになる

 ・そうなると、農業部門と非農業部門との間には、剰余価値の平均利潤への
  均等化は実現されず、農業部門には超過利潤が生じることになり、その超
  過利潤が地代に転化することになる

 ・すなわち、もし土地所有という障壁がなければ、農業と非農業部門間の総
  剰余価値の40(25m+15m)は均衡化して、どちらの資本にも20の平
  均利潤が帰属し、どちらの生産物も120の生産価格で売られることにな
  るが、非農業部門から農業部門への資本の流入は、土地の所有が障壁とな
  って妨げられるため、非農業部門の115の生産価格と農業部門の生産価
  格125との差額の10がそのまま農業部門の絶対地代に転化することに
  なる

 ・土地所有が設けるこの資本流入の制限の結果、「市場価格は、土地が生産
  価格を超える超過分すなわち地代を支払いうる点まで騰貴せざるをえない」
  (Ⅰ⑪ 1360ページ、Ⅱ⑬ 1329ページ)ことになる

④ 地代は剰余価値の一部分

 ・結局、差額地代も絶対地代も、資本家たち全員で生みだした平均利潤を基
  準とし、それを超える超過利潤を、地主が土地所有を理由に地代として取
  得するというもの

 ・「土地所有者はふたたび資本家から、以前に展開された諸法則に従って、
  地代の形態のもとに、この剰余価値または剰余生産物の一部分をくみ出す」
  (Ⅰ⑫ 1462ページ、Ⅱ⑬ 1436ページ)

 

2.『資本論』の総括

●『資本論』第3部「第7篇 諸収入とその源泉」の要約

 ・第7篇の「諸収入とその源泉」は、『資本論』全体を総括するものとして
  書かれたが、マルクスは『資本論』をどう総括するか、最終的にまとまら
  ないまま第7篇を執筆した模様

 ・したがって、本講座では、2つの問題にしぼって『資本論』を総括したい

 ・1つは、資本主義的生産様式の物神崇拝の克服の問題であり、もう1つは、
  資本主義の必然的没落とアソシエーションの問題(第12講)である

① 資本主義的生産様式の物神崇拝の克服

●資本主義的生産様式における物神崇拝

 ・俗流経済学は、資本—利子、土地—地代、労働—労賃として、諸収入の源
  泉は資本、土地、労働の3つがあると理解して、収入の「三位一体的定式」
  を主張して物神崇拝を肯定している

 ・まず物神崇拝は、資本の第1部の「資本の生産過程」から現れる

 ・すなわち、本質的には労働が剰余価値を生みだすのであるが、現象的には
  「労働そのものにではなく資本に属する諸力」(Ⅰ⑫ 1479ページ、Ⅱ⑬
  1448ページ)が 剰余価値を生みだすものとして現れる

 ・つまり、労働力の価格である労賃は、労働の価格としての時間賃金や出来
  高賃金として支払われるから、搾取を隠蔽し、資本が価値を生産するとみ
  なされる

 ・次に第2部の「資本の流通過程」においては、「もともとの価値生産の諸
  関係がすっかり背景に」(Ⅰ⑫ 1480ページ、同)」しりぞいてしまい、諸
  価値の回収も「流通から発生するように見える」(同、Ⅱ⑬ 1449ページ)

 ・というのも、譲渡のさいの利潤は、商業資本が産業資本から生産価格より
  も 安く商品を手にいれ、生産価格で販売することで生ずるのではなく、「
  詐欺、狡知、専門的知識、手腕、およびありとあらゆる市況に左右される」
  (同、同)ようにみえるからである

 ・第3部の「資本主義的生産の総過程」では、一般的利潤率が生まれること
  で資本の価値増殖の神秘化が完成し、一般的利潤率を前提とする利子生み
  資本では、貨幣が利子を生みだす「1つの"特殊な"商品」(Ⅰ⑨ 577ペー
  ジ、Ⅱ⑩ 572ページ)とみなされ、剰余価値の実態はさらにみえなくなっ
  てしまう

 ・「資本は当初、流通の表面で、資本物神、価値を生む価値として現われた
  が、それは、いまやふたたび、利子生み資本の姿態において、そのもっと
  も疎外された、もっとも独自な形態にあるものとして現われる」(Ⅰ⑫
  1483ページ、Ⅱ⑬ 1451ページ)

 ・第3部の最後に現われる土地の所有では、「剰余価値の一部分は、社会諸
  関係にではなく、1つの自然要素である大地に直接に結びついているよう
  に見えるために、剰余価値のさまざまな部分相互の疎外および骨化の形態
  は完成され」(Ⅰ⑫ 1483〜1484ページ、Ⅱ⑬ 1452ページ)ている

 ・差額地代も絶対地代も「社会諸関係」が超過利潤を生みだしたにもかかわ
  らず、土地そのものの属性が生みだしたかのようにみえる

 ・つまり差額地代では、最劣等地の個別的価値が市場価格と超過利潤を決定
  し、絶対地代では、土地所有による参入障壁が農産物の超過利潤を生みだ
  すのであり、いずれも土地の属性ではなく、「社会的諸関係」が超過利潤
  を生みだしているのである

 ・以上により、資本—利子、土地—地代、労働—労賃と3つの収入をバラバ
  ラにとらえる「経済学的三位一体においては、資本主義的生産様式の神秘
  化」 (Ⅰ⑫ 1484ページ、同)が完成されているのである

● 物神崇拝の克服

 ・これに対して、「資本主義的生産様式の科学的分析」(Ⅰ⑫ 1571ペー
  ジ、Ⅱ⑬ 1536ページ)は、資本主義的生産様式が独自の生産様式である
  ことから出発する

 ・というのも、ブルジョア的経済学が問題とする利子、地代、労賃は、資本
  主義的生産様式から生みだされる分配関係をなすものであり、この分配諸
  関係は 「生産諸関係と本質的に同一であり、その裏面」(同、Ⅱ⑬ 1537
  ページ)をなすものにすぎないからである

 ・したがって重要なことは、科学的分析をつうじて資本主義的生産様式にお
  ける生産諸関係とは何かをつかむことであり、それをつうじて生産諸関係
  が裏面としていかなる分配諸関係をつくり出すのかを明らかにすることに
  ある

 ・資本主義的生産様式の生産諸関係をきわ立たせるものは、2つあり、第1
  に「その生産物を商品として生産する」(Ⅰ⑫ 1573ページ、Ⅱ⑬ 1539
  ページ)ことであり、第2に、特に重要なのは「生産の直接的目的および
  規定的動機としての剰余価値の生産」(Ⅰ⑫ 1575ページ、Ⅱ⑬ 1541ペ
  ージ)である

 ・つまり「資本は本質的に資本を生産するのであり、資本がそうするのは、
  ただそれが剰余価値を生産する限りでのことである」(同、同)

 ・資本主義社会では、その「剰余価値は、資本に帰属する平均利潤として現
  われ」(Ⅰ⑫ 1461ページ、Ⅱ⑬ 1436ページ)、平均利潤はふたたび産
  業利潤と商業利潤 に、さらには企業者利得と利子とに分裂」(同、同)し、
  最後に「土地所有者はふたたび資本家から、……地代の形態のもとに、こ
  の剰余価値または剰余生 産物の一部分をくみ出す」(Ⅰ⑫1462ページ、
  同)

 ・したがって資本主義社会とは、産業資本において労働者の生みだした剰余
  価値が、平均利潤となってまず産業利潤と商業利潤、さらには産業資本家
  の企業者利得と銀行資本家の利子とに分裂し、最後に借地農場資本家と土
  地所有者の間で地代として分割されるにすぎない

 ・つまり俗流経済学の「三位一体的定式」は、資本主義的生産様式において、
  産業資本の生みだした剰余価値が資本、土地、労働に分割されることを神
  秘化して示したものにすぎない

 ・したがって資本主義の物神崇拝を克服するには、『資本論』そのものを学
  んで、資本主義の生産諸関係を主軸にしながら、その裏面の分配諸関係を
  も学ぶことが重要となってくるのである