機関紙『一粒の麦』(2019年9月20日 No.284)より

 

 

「哲学講座」30年史

 

1 佐田雅美さんを悼む

 1989年9月、中国で天安門事件、東欧革命の起きた年に、嵐のような「社会主義崩壊論」のなかで、県労学協が再建された。再建直後から、科学的社会主義の原点をつかむために、「空想から科学へ」「フォイエルバッハ論」「共産党宣言」などの講座を主催してきたが、1994年、佐田雅美副会長から「ヘーゲルを勉強したい」との申し出があった時から、本格的な「哲学講座」がはじまり、早くも30年が経過した。

 哲学講座の開催も弁証法である。講義しようというものと、講義を受けようとするものとが同時に存在して、はじめて哲学講座も成立し、発展する。佐田さんは、ヘーゲルゼミの開始が決まってから、猛然と受講生の募集に取り組み、35名を組織して講座が始まり、「哲学講座」の土台をつくった。

  また、佐田さんは、組織作りでも類い希な才能を発揮した。「県労学協の存在意義は、学習を運動として組織することにある」として、「哲学講座」開催以後、受講生の面々は変わりつつも、講師と受講生との間で、民主的に討論しながら講座内容を発展させてきた。その結果、講義内容を整理したものは、「広島県労働者学習協議会編 高村是懿著」として、講師と受講生の共同出版として世に出されることになったのである。さらには次回講座についても、講師と受講生で何をやるかを論義し、受講生の希望を踏まえて「哲学講座」を準備させてきた。それと同時に、佐田さんは、「哲学講座」を軸に県労学協の会員を組織し、再建当時数十名だった会員を、1998年には206人、2006年には400人と、日本一の組織に発展させ、2004年には県労学協出版部として「一粒の麦社」を設立させたのである。

 それだけではない。佐田さんは組織拡大のために、科学的社会主義そのものをアピールする大演説会を考え、2001年、上田耕一郎「21世紀を平和に」、2002年、不破哲三「21世紀に資本論を読む」、2003年、松竹伸幸「反戦の世界史」、2004年、鈴木安名「職場のメンタルヘルスを考える」を企画して、不破演説会には680人の参加を得た。

 しかし、残念ながら佐田さんは、不治の病にかかり、編集委員としての佐田さんの名は、2010年9月出版の「ヘーゲル『小論理学』を読む(第2版)」をもって、終わっている。これまで機会がなかったが、遅まきながら「哲学講座」にちなみ、ここに謹んで哀悼の意を表したい。佐田亡き後も、竹森鈴子理事が「哲学講座」の後継者となり、困難ななかを後を継いで今日に至っている。

 

2 『哲学講座」30年史

 佐田さんは、「源泉をたどる旅」と題して、20年史において、「哲学講座」の出版物をいくつか紹介している。1999年「ヘーゲル『小論理学』を読む」、2001年『変革の哲学・弁証法」、2003年「人間解放の哲学」、2004年「科学的社会主義の源泉としてのルソー」、2005年「ヘーゲル」『法の哲学』を読む」、2006年「『資本論』の弁証法」、「資本論を鳥瞰する」などである。「法の哲学」からは、教室受講と合わせてCD受講による通信講座も開設して、全国に講座を広げた。「哲学講座」は、大学での哲学の講座とは異なり、社会変革に加わる人々の参加する講座であるから、変革の哲学であることが一貫したテーマとなっており、それ以降の「哲学講座」も、同じ見地を貫いている。

 2007年の「弁証法とは何か」は、エンゲルスが「フォイエルバッハ論」で指摘した、ヘーゲルは観念論者であるとの見解にたいし、ヘーゲルの言う「概念論」とは「真にあるべき姿」を示したものとの立場にたって、弁証法を変革の哲学ととらえている。このときから、神戸の吉崎明夫さんが編集委員に加わることになった。

 2008年には、「エンゲルス『反デューリング論』に学ぶ」が出版された。「反デューリング論」は、科学的社会主義の「百科辞典的な概観」を与えるものとして、特筆すべき重要な古典であるが、130年も昔の出版物であるため、現代の到達点に立って読み直そうというものであり、大変に苦労した記憶がある。このときの合宿で「20世紀の自然科学は弁証法を検証する」と題して、アインシュタインの相対性理論と量子論を弁証法的に解明した講義をしたのが懐かしい。

 2009年の「ものの見方・考え方」は、全国商工団体連合会(全商連)の機関誌「月刊民商」に2年間連載されたものをまとめたものであり、民商運動の哲学的解明を試みたつもりである。岡田史織さんのイラストで素敵なものとなった。

 2009年から2010年にかけて、「ヘーゲル『小論理学』を読む(第2版)」を出版した。初版本が売り切れて、第2版が望まれていたところ、初版本には欠けていた「序文」「エンチクロペディーへの序文」「予備概念」を補充し、逐条的解釈による、より充実した、しかも新書版4冊のよりハンディーなものとなった。いわば、これまでのあれこれの『小論理学』の解説を、ひとまとめにし、完成版を目指したものであった。

 こうしてヘーゲル研究が一段落した頃、先輩から「科学的社会主義の研究者」として、紹介されたことがあった。それが記憶に残っていたのか、2011年の「21世紀の科学的社会主義を考える」を出版する運びとなった。科学的社会主義の研究の一つの到達点を示すものとして、「科学的社会主義とは、人間解放の真のヒューマニズム」の立場から、一方で何故ソ連・東欧は、崩壊したのかを問題とし、他方で「ソ連型社会主義」を批判して、人民が主人公の社会主義を目指したユーゴスラビアが何故崩壊するに至ったのかの究明にも力を注いだ。これまで余り議論のされていない領域へ、弁証法を使って切り込んだ問題提起の書である。

 2013年の「科学的社会主義の哲学史」は、科学的社会主義の学説は「人類が生みだしたすべての価値ある知識の発展的継承者であると同時に、歴史とともに進行する不断の進歩と発展を特徴としている」(日本共産党)と規定されているが、何故そうなのかを、哲学史に遡って検証してみようとの「未知への挑戦」から生まれた産物である。ソクラテス、プラトン、アリストテレスという古代ギリシャの3賢人の哲学が、どのように「価値ある知識」として現代に継承されているのかをはじめ、現代哲学の観念論の諸潮流は、なぜ科学的社会主義を乗り越えることができないのかなどの解明をつうじて、頭書の目的を達成し得たと考えている。なお、本書から、北海道・旭川市の渡辺良忠さんが編集委員に加わった。渡辺さんは、2005年から、ホームページ「高村是懿哲学講座」において、県労学協の全講座を、著作、レジメ、録音を含めて再現を試みつつある人物であるから、是非ホームページを参照していただきたい。

 最後の出版となったのが、2015年の「ヘーゲル『精神現象学』を学ぶ」である。訳者の樫山欽四郎さんが「結論であるはずの『絶対値』の章が明確な結論を与えていない。この書を通じて結局何を書こうとしたのか、ということを確定することは極めて困難なことである」と述べている難解な書である。今回の講座をつうじて、「現象学」を理解する鍵は、「理性」を変革の意識、「概念」を真にあるべき姿ととらえることにより、結論の「絶対知」とは「概念と存在の統一」、つまり理想と現実の統一を意味しているという、「現象学」の大きな流れと意義を理解することができたのは、大きな収穫だった。

 ここまで来て、さすがに受講生からの受講希望もなくなったのと、講師の体調不良もあって、講師活動もここまでかと思ったが、受講生から、月一回の「哲学講座」だけは続けてほしいとの訴えがつづいたことから、初心者用に、月1回、弁証法を語ることにした。こうして始まったのが、2015年11月からの全7回という短期間の「諺からみた弁証法入門」である。考えてみると、初めての弁証法入門講座であり、戦争法=安保法制成立の直後であったところから、「事実は真実の敵なり」、「千丈の堤も蟻の一穴より」、「理念なくして運動なし」などをあげて、戦争法廃止の国民連合政府と統一戦線の問題を語った。

 この成功に味を占め、体調も考慮しながら、2016年8月から「『資本論』に学ぶ弁証法入門」と題して、2度目の全5回の短期講座を始めた。資本論を利用しながら、資本主義の基本矛盾とはなにか、階級矛盾はどのように展開するのか、どうすれば階級矛盾は解決しうるのか、などを語り、現代の統一戦線運動の意義を明確にした。

 どうやら体調も落ち着いてきたので、ではもう一度「哲学講座」を再開しようということになり、2017年2月「目からうろこの哲学」と題して、「人間論」「真理論」「社会変革論」の計15回の長い講座を再開することになった。人間論では、科学的社会主義の学説は、人間解放の学説であり、人間解放とは、人間を疎外する一切の諸関係をくつがえし、人間を最高の存在にすることだと語った。真理論では、真理には「事実の真理」と「当為の真理」とがあり、弁証法は矛盾の解決として、事実の真理をつうじて当為の真理を実現すると話した。社会変革論では、新自由主義のもとでは99%の人民が搾取され、抑圧されており、99%の人民の団結する統一戦線が求められる時代であり、「真理は必ず勝利する」ことを示した。 

 弁証法は、真理を探究しうる「全一的な世界観」(レーニン)である。それを実証するために、2018年8月から、一年間の予定で「時代を哲学する」講座が始まった。あらかじめ、テーマを定めることなく、その時々の時代の特徴を弁証法を使って読み解き、生き方を模索しようというのである。まず「君たちはどう生きるか」というベストセラーを題材とし、「よく生きる」ことの真理を話し合い、つづいて是枝監督の「万引き家族」を取り上げ、貧困と豊かさを論じ、対話のもつ意味を論じた。さらにAIとベーシックインカム、「水が売られる」、大門実紀史参議院議員の「カシノミクス」を題材に「日本が売られる」などを経て、最後の3回は「時代を哲学する」①②③と題して、現代は変革の時代であり、いかにして多数者革命を実現するのかで、しめくくった。
 次は、2019年10月から、一年間で「時代を哲学する Ⅱ」を予定している。

 

3 これからの展望

 機関誌「一粒の麦」の7月号に、島根県学習協の吉儀和平さんが、中高年の生き方について、余るほど自由時間をもっている中高年層は、人間の全面的発達のために学習と実践を「生き方」とすべきだと主張している。不破哲三さんは、『マルクスは生きている』のなかで、人類社会の「本史」である社会主義とは、「人間の全面的発達の問題、すなわち、すべての人間にその能力を全面的に発達させる機会と条件を保障することが、社会自身の大目標になる」(P163)とのべ、その要となるのが「労働日の短縮」だとしている。

 人間の全面的発達とは、人間が自己と社会のうちにもつ矛盾を定立し、それを解決し、又新たに矛盾を定立し、解決することを繰り返すことによって、自己を人間として一段と高い位置に引き上げる発展を意味している。かつてユーゴスラビアは、人間解放を目指す人民主権の社会をめざしながら、労働者が、生産者でありながら消費者であるという矛盾を、生産者と消費者の統一により解決するのではなく、消費者優先で解決しようとして、生産力を発展させることができず、ついに崩壊してしまった。また社会主義を目指す諸国では、生産手段を社会化した結果、競争原理の働かない公営企業では、生産力を発展させ得ないとして、市場経済を導入する方向に転化する動向を示している。

 矛盾の解決による人間の全面的発達は、社会主義だけの問題ではなく、人間が人間らしく生きる生き方の問題であることを意味している。その意味では、老いも若きも、資本主義でも社会主義でも、21世紀の最大の課題となっているといってよい。。私たちは、矛盾を定立し、その矛盾を解決する、人間の全面的発達を目指して、不断に学習しているのである。「哲学講座」の意義はそこにある。