『変革の哲学・弁証法─レーニン「哲学ノート」に学ぶ』より
第一四講 哲学史 三 哲学史、歴史哲学など
前回までで、いかにヘーゲルがソクラテス・プラトン・アリストテレスから学んで概念論を確立していったか、を学ぶことができました。このあとは時間の都合上、弁証法を考えるうえで重要と思われる箇所にしぼってお話ししたいと思います。
一、懐疑派と弁証法
「懐疑家たちの哲学」(二六七ページ)に入ります。すべてを疑い、あらゆる物は一つの面からも、その反対の面からもとらえることができる、したがって、そこには真理がない、というのが懐疑派のとらえ方です。つまり、懐疑派というのは、あらゆるものに疑問(アンチテーゼ)を投げかけ、それを否定する。
肯定的な成果をもつ弁証法
「ある理由が成り立つとしたら、それの反対の理由も成り立つ」として、どちらの理由にも賛成しがたい、という立場に立つことによって真理を否定する。これは、真理に対する一種の無能力だと、ヘーゲルは懐疑論を批判しています。これに対して、弁証法というのは、否定の要素を含んでいるけれども、それにとどまらないのです。
「肯定的な哲学は、懐疑主義の否定的要素を自分自身の内に含んで」(二六七ページ)いるのですが、「この要素は、この哲学の一つの契機であるが、しかしその真理においては懐疑主義のもっていないような否定的要素である」(二六八ページ)。
ここで「肯定的な哲学」といっているのは、弁証法のことです。つまり、弁証法は、否定の否定による肯定を生み出すというところが懐疑主義とは違うのです。懐疑主義も否定を繰り返すことによって、否定の否定の立場に立つこともあるけれども、それは偶然であって、弁証法のように、否定の否定(肯定)を必然性においてとらえようとしてない、という批判をしています。
弁証法的哲学では、「理念がそれ自身、弁証法的であって、抽象的理念の静止、不動性を揚棄するということである;このように哲学的な理念は、それ自身、弁証法的なのであって、その偶然性において弁証法的なのではない。ところが懐疑主義はそれの弁証法をその偶然性において使用する」(二六八ページ)。弁証法的否定は積極的なものを発展的に生み出すのに対し、懐疑主義における否定からは、積極的なものは偶然的にしか生まれてこないというのです。
次に懐疑派の「トロポイ」をみてみましょう。トロポイというのは、どんな主張や理由にも、それに反対する主張や理由を対置することによって、どちらが正しいとはいえないという、真理に対する一種の無能力を示す手法です。
トロポイ(懐疑論の一般的方法)
『哲学ノート』に古いトロポイと新しいトロポイが引用されていますが、ここでは五つの新しいトロポイ、「弁証法を含み、概念に関係している」(二七〇ページ)ものを紹介します。まず「a、哲学者たちの……意見の違い」です。哲学者の一つの見解には、それに反対の見解も存在する、したがってどちらが正しいともいえない、となるわけです。「b、無限逆行(或るものは他のものに依存し、等々、限りなく進む)」。Aの根拠はBになるけれども、さらにそのBの根拠はCになるというように、根拠は無限にさかのぼっていくことができます。結局、あらゆる根拠は、根拠であると同時に根拠づけられたものであり、絶対的な根拠は存在しない、ということです。
それから「c、相対性(諸前提の)」とありますが、これは関係のトロポイといわれています。一つの対象が、人によって異なってみえるということを問題としています。ある人にとっては、この花は美しくみえるけれども、他の人にとっては美しくみえない、あの人はいい人だという人もいるけれど、悪い人だという人もいる、つまり、見方によって、あるいはみる人によって、対象は異なってみえるわけで、どちらが正しいんだともいえないと、いういい方であります。
「d、前提・独断論者たちは証明されない諸前提を提出している」。これは前提のトロポイといわれているものです。幾何学等で公理というのをたてて、そこから議論を出発するわけですが、公理というのは、証明なしに無前提で正しいものとして提出されるわけです。しかし無証明である公理を定立しうるのであれば、同様にその反対の公理も無証明で定立しうる権利があるじゃないか、つまり、公理というものは、その正しさが証明されていないから、どんな公理でもたてられるではないか、というトロポイです。それから「e、相互性。循環論(誤った)……」とありますけれども、これは例えば「右」を定義して「左ではないもの」、といい、では「左」とは何かというと「右ではないもの」というように、定義が循環するということは、それぞれが絶対的なものとして規定しえないことを意味し、したがってそこには真理がないというのです。
ヘーゲルは、これをとらえて「これらの懐疑主義のトロポイが実際に的中するのは、独断的哲学と名づけられるところのもの」(二七一ページ)としています。独断的哲学というのは、「或る規定されたものを絶対的なものとして主張する」哲学です。例えば「有が真理である」というエレア派の哲学は、独断的哲学です。それに対して「無が真理である」という哲学も成り立ちえます。そういう意味で、独断的哲学に対して、トロポイの立場から反対のテーゼを提起して、それを批判する懐疑主義は有効なのです。懐疑主義はある見解を批判するうえでは有効なのです。しかし、懐疑主義は真理そのものを認めない。批判は出来るけれども、では何が真理なのかというと、それを提示することが出来ないわけで、ここに懐疑主義の限界があるわけです。
懐疑論は最悪の独断論
懐疑主義に対してヘーゲルは、「批判主義こそ最悪の独断論である」(二七一ページ)と批判しています。この批判主義というのは懐疑主義のことです。懐疑論は独断論を批判しているわけですが、懐疑論こそが最悪の独断論だというのです。
「なぜならそれは、《自我》、自己意識の統一は、有に対立していて、即自かつ対自的にあり、この自我の外部に《即自的》なものが同じくあり、しかもこの両者は絶対に出会うことができないと、主張するからである」(二七一ページ)。
自我というのは主観であり、有というのは客観のことです。懐疑論は主観と客観とは対立していて絶対に一致するということはない、という命題をたてているわけです。しかし、客観に一致する主観はあり得ないというのは、それ自体が独断ではないかという批判をしているわけです。
続いてヘーゲルは、この懐疑論のトロポイの批判をしています。「これらのトロポイは……思弁的な理念に対して効果がない、なぜなら思弁的な理念は弁証法的なもの、および有限的なものの揚棄を自分自身のうちに含んでいるからである」(二七二ページ)。対立したものを絶対的に対立したままにしておくトロポイは、対立するものを止揚する弁証法の前には、もはや光を失ってしまうのです。
二、「歴史哲学」
理性が世界を支配する
以上で哲学史を終わりまして、次に「歴史哲学講義の摘要」に入っていきたいと思います。歴史哲学にもなかなか面白い命題があり、レーニンも「理性が世界を支配している」(二七七ページ)という命題に着目しています。理性が世界を支配しているというと、何か地球の外に、理性というものが存在していて、神が世界を支配するように世界を支配している、というふうに理解されがちですが、そうではありません。世界には発展法則があるということがいいたいのです。
こういう歴史のとらえ方をエンゲルスは非常に高く評価しまして、『反デューリング論』の中で「ヘーゲルの体系で、はじめて…。自然的、歴史的、精神的世界の全体が一つの過程として、すなわち、不断の運動、変化、転形、発展のうちにあるものとして示され、またこの運動や発展の内的な連関を明らかにする試みがなされた」⑴ といっています。
エンゲルスは「この観点からすれば、人類の歴史、はもはや無意味な暴力行為…の乱雑なもつれあいとは見えなくなって、人類そのものの発展過程として現われてきた」、「あらゆる外見上の偶然性をとおしてつらぬいているこの過程の内的な法則性を明らかにすることが、いまや思考の課題となった」(同)として、ヘーゲルが歴史の法則性を認めたことを高く評価をしています。
ヘーゲル歴史観の限界と意義
同時に、この法則をヘーゲルが明らかにしえなかったことは、ヘーゲルの歴史的限界としてあるわけで、エンゲルスは、それに続いてこういっています。
「ヘーゲルがこの課題を解決しなかったということは、この場合どうでもよいことである。彼の画期的な功績は、この課題を提起したことであった」(同)。
ヘーゲルは歴史に発展法則があることを前提として、ヘーゲルなりにそれをとらえようとして、「世界史は自由の意識における進歩である、――この進歩をわれわれはその必然において認識しなければならない……」(二七七ページ)とか、「世界史は自由の概念の発展にほかならない」(二八三ページ)と、述べています。
つまり、ヘーゲルは自由というものを基準にして世界の発展をみようとしたのです。世界の歴史を経済を土台とする経済的社会構成体の発展としてみなかったという限界はもちろんありますが、ヘーゲルの歴史観自体も今日的意義をもっているのではないかと思われます。というのも、ヘーゲルのいっている自由というのは、「必然を前提し、それを揚棄されたものとして自己のうちに含んでいる」⑵ からです。人間の歴史は自然や社会の必然性に盲目的に支配されている段階から、だんだん必然性を洞察することを通じて自由になっていくという過程なのだ、と大きくとらえたのです。エンゲルスは、このヘーゲルの観点に着目して『空想から科学へ』の中で、資本主義から社会主義への発展を「必然の国から自由の国への人類の飛躍である」と述べています。
この「必然の国から、自由の国への人類の飛躍」という言葉は、ヘーゲル論理学の本質論から概念論に移行するところで、「必然から自由への、あるいは現実から概念への移りゆき」⑶ という言葉や歴史哲学における「世界史は自由の意識における進歩である」というヘーゲルの言葉も念頭に置きながら、エンゲルスが定式化したものだと思われます。
その「理性が世界を支配している」ということの意味が、さらに明らかになるのは次の文章です。
「歴史においては、人々の行動を通じて、《人々が目的としかつ達成するところのもの、人々が直接に知りかつ欲しているところのもの以外に、なお別のものが(現れてくる)》成就される」(二七七ページ)。人々が望んでいるものとは別のものが、人々の行動を通じて現れてくる、それは理性であり、いいかえれば、歴史の法則性だということであります。
エンゲルスはこれをうけて、『フォイエルバッハ論』の中で、「歴史の領域では無数の個々の意思や個々の行為が衝突する結果、無意識の自然を支配しているのとまったく類似の状態が生まれてくる。行為の目的は意欲されたものであるが、その行為から実際に生じてくる結果は意欲されたものでなかったり、あるいは、その結果が、はぎめは意欲された目的に対応するようにみえても、けっきょくのところ、意欲された結果とはまったく別のものになったりする。こうして、歴史上のできごとは、大体において、同じように偶然に支配されているように見えるのである。ところが表面で偶然がほしいままにふるまっている場合には、この偶然はつねに内的な隠れた諸法則に支配されているのである。たいせつなのは、ただこうした諸法則を発見することだけである」⑷ といっています。
このように、ヘーゲルの歴史観は、史的唯物論に継承、発展させられているのです。
フランス革命の教訓
フランス革命にかんしてヘーゲルは、「人間ははじめて(フランス革命において)《頭脳のうえに、すなわち思想のうえに立ち、そして現実を頭脳にしたがって建設する》というところまで到達した」(二八二ページ)といっています。これは『空想から科学へ』で引用されている有名な記述です。エンゲルスは、フランス革命について「ヘーゲルが言っているように、世界が逆立ちさせられた〔世界の上に思想をではなく、思想の上に世界をおいた〕時代であった」⑸ と述べています。 観念論者であるヘーゲルが、理性を実現しようとしたフランス革命を、世界が逆立ちした時代だと述べたというのは、一見すると奇異に思えます。
「こうして正義の思想の内に、今や一つの憲法がうち立てられ、今後はすべてのものが、この基礎の上に据えられるべきだ、とされた。 太陽が天空にかかり惑星がそのまわりをまわるようになって以来、人間が逆立ちをして、すなわち思想の上に立って、現実を思想にしたがって建設するということは、かつて見られなかったことである」⑹ 。
ヘーゲルは生涯を通じて、フランス革命を積極的に評価する姿勢を変えていません。彼は、フランス革命の後に、恐怖政治をへてテルミドールの反動、そしてナポレオンの帝政復活という過程をずっとみているわけです。ヘーゲルは、フランス革命の理想を高く評価しつつも、結果的には失敗した、フランス革命のかかげた自由の精神というのは生かされなかった、と考えたのです。そこから、世界の上に思想をおく「逆立ち」したフランス啓蒙主義を否定し、客観世界とのかかわりのなかで、概念たる「真にあるべき姿」を構想しようとしたのではなかろうか、というのが私の推論であります。
世界史的個人── 最良の生き方
次に世界史的個人の問題にふれておきます。
ヘーゲルは、「歴史上の偉人とは、彼ら自身の特殊な目的のうちに、世界精神の意志であるところの実体的なものが含まれている人々のことである」(二七八ページ)とし、これを世界史的個人又は英雄とよびました。
ここでいう「世界精神の意志」というのは、その時代の「理念」を意味しており、その時代の「理念」を自己の生きる目的として掲げる人物が、その時代の英雄だというのです。
『歴史哲学』では、「彼らの事業は、この一時的なもの、その世界の必然的な次の段階を知り、これを自分の目的とし、これに全力を注ぐことにあった。それ故に世界史的人物、時代の英雄は、また『ものを見抜く人』とも見うるべきものであって、彼らの言動、彼らの言説はその時代における最良のものである」⑺ とのべています。
哲学とは、真理、真実を探求し、より良く生きることをめざす学問だと最初にお話ししました。ヘーゲルのいう世界史的個人としての生き方こそ、最良の生き方となるのではないでしょうか。つまり、社会進歩と発展の方向に自己の生き方を重ね、その時代の「真にあるべき姿」を自己の生きる目的として掲げつつ、真理、真実の前にのみ頭をたれる生き方が「その時代における最良のもの」となるといってよいでしょう。
その意味から、科学的社会主義者として生きることは、その一人ひとりが、「世界史的個人」としてのよりよい生き方となるのではないでしょうか。
三、「弁証法(論理学)のプラン」
論理学は認識論
次に「ヘーゲルの弁証法(論理学)のプラン」(二八六ページ)をみてみましょう。
レーニンは、ヘーゲル「小論理学」の目次を抜き書きして、全体がどういう流れと構成になっているのか、大きく論理学全体をとらえようとしたプランです。
一つ大きな特徴は、この論理学を全体として認識論だととらえていることであります。
「最初には諸印象がぼんやりうかび、そのつぎに或るものがはっきりと姿をあらわし、── その後に質(物または現象の諸規定)および量の概念が発展する。ついで研究と思索とが、同一性── 区別── 根拠── 本質と現象との関係── 原因性、等々の認識へその思想を向ける。認識のこれらすべての契機(一歩一歩、段階、過程)は、主観から客観へむかっており、実践によって検証されるのであり、この検証を通じて真理(=絶対的理念)に到達するのである」(二八八ページ)。
有論、本質論、概念論と進むにつれて人間の認識は前進して、その過程をとらえたのが論理学であるというとらえ方をしています。さらに「概念(認識)は有のうちに(直接的な諸現象のうちに)、本質(因果律、同一性、区別、等々)をあばき出す── これが総じてあらゆる人間的認識(あらゆる科学)の真に一般的な歩みである」(二八七ページ)としたうえで、レーニンは、このヘーゲル弁証法は自然科学の歩み、あるいは、哲学、歴史の歩み、そういうものを総括した「思想史の概括」(二八七ページ)ととらえているわけです。
しかしレーニンが概念論をどのように理解したかということになってくると、やはり問題があるといわざるをえません。
というのも、レーニンは、ヘーゲルが有論では「抽象的なものから、具体的のものへ」と進みながら、概念論では、これと反対に「主観的概念── 客観── 真理(絶対的理念)」と具体的なものから抽象的なものへすすむとしており、これは「観念論者の不一貫性(マルクスがヘーゲルにおける理念の神秘主義と呼んだもの)ではなかろうか? あるいはいっそう深い道理があるのであろうか?」(二八八ページ)といって、なお論理学全体の構成のなかにおける概念論の位置づけをつかみ切れていないことを表明しているわけです。
ですから、論理学全体を認識論ととらえつつも、レーニンは、概念論が認識論上どのように位置づけられるのかが正確にはつかみ切れず、結局、概念論において主観と客観の一致を生み出す実践の問題を展開していることは分かったけれども、その位置づけを明確にとらえることはできなかったのです。
資本論の論理学
そして、有名なところですが「マルクスは〝論理学〟(大文字ではじまる〔著書としての"論理学"〕)をのこさなかったとはいえ、〝資本論〟の論理学をのこした」として、「〝資本論〟のなかでは、ヘーゲルにあるすべての価値あるものを取りいれ、そしてこの価値あるものを前進させたところの唯物論の、論理学、弁証法および認識論(この三つの言葉は必要ではない¨これらは同一のものである)が、一つの科学に適用されている」(二八八ページ)といっています。
レーニンは、『資本論』において経済学の「有」ともいうべき、商品から始まって、貨幣を論じ、そして貨幣から資本への転化を論じ、資本による剰余価値の生産を展開して、やがてはそれが資本主義の矛盾を生み出す、という過程が論理的に展開されていることを指摘しています。
『資本論』では、個々の商品というもっとも単純なものから出発して、そのなかに価値と使用価値という対立が存在することを分析によって明らかにし、次いで、価値には相対的価値形態と等価形態という対立が存在し、商品交換を通じて貨幣が誕生するという過程を解明していきますが、レーニンは、その過程に『資本論』の「有論」をみたのです。
ついで、『資本論』の「本質論」として、「本質と現象との関係」を考察し、その例として三つあげています。一つは「価格と価値」であり、価格が現象、価値が本質です。二つ目は「需要供給と価値(=結晶した労働)」です。価格が需要と供給のバランスによって決定されるとするのは現象であり、それを本質的に規定しているのは価値なのです。だから、需要供給は現象であり、価値は本質だということになります。三つ目は「賃金と労働力の価格」です。賃金を労働の価格とするのは現象であり、労働力の価格というのが本質なのです。
このように本質と現象の関係をレーニンは『資本論』のなかにみているわけです。レーニンが『資本論』の中にヘーゲルの弁証法を読みとろうとしている努力は、きわめて一貫しています。論理学の中で、繰り返し資本論との対比を問題にしてきたことは、みなさんもこれまで学習してきたところであります。
四、「弁証法の問題について」
「弁証法の問題について」に入ります。レーニンには弁証法の教科書的なまとめをつくろうという考えがありました。この「弁証法の問題について」も、それをするうえでの覚え書の一つという性格をもっています。短いものですが、非常に重要です。しかしこれもまた弁証法のいくつかの問題について自分の考えるところを展開したということであって、決して「まとめ」になっているというものではないと思います。
弁証法の核心 対立物の統一
まず冒頭に「一つのものを二つに分け、この一つのものの矛盾した二つの部分を認識すること(ラサール《ヘラクレイトス》の第三篇《〝認識について〟》のはじめにある、ヘラクレイトスについてのフィロンからの引用文を見よ)は、弁証法の核心(〝本質の〟一つ、唯一の根本的な特性あるいは特徴ではないまでも、根本的な特性あるいは特徴の一つ)である」(三二六ページ)とあります。これはラサールの著書『エフェソスの暗い人ヘレクレイトスの哲学』に引用されているもので、「一つのものは、二つの対立物から成るものであり、したがってそれが二つに切断されると、二つの対立物は認識できるようになる」(三二〇ページ)というものです。
一つのものの対立する二つの部分を認識すること、これは、いいかえれば、或るものを対立物の統一としてとらえるということになるわけですが、これが「弁証法の核心」「根本的な特性」だといっています。
レーニンはまた、「対立物の同一(おそらく対立物の〝統一〟というほうが正しいのではないか?……或る意味では両者とも正しい)」(三二六ページ)と言っていますが、広義の対立物の統一の中には、狭義の対立物の統一のほかに、対立物の相互移行、対立物の同一、対立物の闘争、止揚という側面が含まれています。対立物の調和的な統一から対立物の闘争へ進んでいくと、対立物から矛盾になってくるのです。
レーニンは、対立物の例として「数学ではプラスとマイナス、微分と積分」をあげています。プラスとマイナスは、両者あわせてはじめて数学の計算ができるという意味で、いわば調和的な統一です。微分と積分というのも同様です。これに対して、次の力学における「作用と反作用」というのは、対立物の同一なんです。作用することが同時に反作用を生み出すわけですから、対立する二つのものが存在するというのではなくて、作用=反作用という対立物の同一なんです。それから物理学の「陽電気と陰電気」というのは、プラスからマイナスへ移行するわけですから、これは対立物の相互移行の例だと思います。化学における「原子の結合と解離」とありますが、結合と解離というのは別々の過程ですから、結合即解離ではないわけです。結合があり、解離があるという二つの対立物の統一の例でしょう。
それから「社会科学では階級闘争」とありますが、階級対立が存在するという段階から階級闘争になってくるということは、対立から矛盾への移行を意味します。そこでレーニンは「自然(精神も社会もふくめて)のすべての現象と過程とのうちに、矛盾した、たがいに排除しあう、対立した諸傾向を承認すること(発見すること)である。世界のすべての過程を、その〝自己運動〟において、その自発的な発展において、その生きいきとした生命において認識する条件は、それらを対立物の統一として認識することである」(三二六ページ)として、運動しているものを運動においてとらえるには、「対立物の統一として認識すること」が必要なのだという、「弁証法の核心」を展開して述べています。
対立と矛盾とは、絶対的に切り離されたものではありません。対立から矛盾に移行し、また、矛盾から対立に移行するものとしてあるわけで、そういう両者をひっくるめて大きく対立物の統一ととらえるべきだと思います。
レーニンも「普通の表象作用は、差異と矛盾とを把握するが、差異から矛盾への移行は把握しない、しかしこれはもっとも重要なことである」(一一三ページ)として、差異、対立から矛盾への移行を重視し、両者を切り離すとらえ方を批判しています。また、「弁証法の問題について」のなかでも、「対立物の統一(合致、同一、均衡)は条件的、一時的、経過的、相対的である。たがいに排除し合う対立物の闘争は、発展、運動が絶対的であるように、絶対的である」(三二七ページ)と述べ、調和的対立から、矛盾への移行を当然のこととして論じています。
それから「二つの根本的な発展観」について、次のように述べています。一つは「減少および増大としての、反復としての発展」、もう一つは「対立物の統一(一つのものがたがいに排斥しあう二つの対立物に分裂すること、および両者の相互関係)としての発展である」(同)。
つまり、対立物の闘争としての発展ということです。「第一の運動観にあっては、自己運動が、その推進力が、その源泉が、その原動力が、かげにかくれたままである(あるいは、この源泉が外部に――神、主観、等々にうつされる)。第二の運動観にあっては、主な注意はまさに〝自己〟運動の源泉の認識に向けられる」(同)と指摘しています。第一の発展観というのは、発展というより運動一般なのではないでしょうか。発展というのは、対立物の止揚を通じて新しい質のものが生まれることではないかと思います。
レーニンのいう第二の発展観において、はじめて飛躍とか漸次性の中断、古いものの消滅と新しいものの出現というものを理解する鍵が与えられると指摘しているのは重要なところです。やはり、対立物の闘争が対立物の統一の一形態であるととらえているのだと思います。
次に、主観主義(懐疑主義と詭弁等々)と弁証法の関係の問題です。主観主義というのは、すべてを否定するのみであるのに対して、弁証法は「否定の否定」としての肯定を認めるということを先ほど学びました。レーニンは「(客観的)弁証法においては相対的なものと絶対的なものとの区別もまた比較的(相対的)だということにある。客観的弁証法にとっては、相対的なもののうちに絶対的なものがある。主観主義と詭弁にとっては、相対的なものはひたすら相対的であって、絶対的なものを排除する」。(同)と述べております。
弁証法の叙述
ここで、レーニンが「弁証法の問題について」でもっとも中心課題と考えていた弁証法の叙述の検討に入ります。弁証法一般の叙述、あるいは弁証法というのを教科書的に述べるとしたらどのように展開されるべきかを述べています。レーニンの念頭にあるのは、もちろん「資本論の論理学」です。『資本論』を例にとって「ブルジョア(商品生産)社会のもっとも単純な、もっとも普通な、もっとも根本的な、もっとも大量的な、もっとも日常的な、何十億回となく出くわす関係」である商品交換の分析から始まって、「もっとも単純な現象のうちに(ブルジョア社会のこの〝細胞〟のうちに)現代社会のすべての矛盾(あるいはすべての矛盾の胚芽)をあばきだす」。「それから先の叙述は、これらの矛盾とこの社会との発展を」「始めから終わりまで」(三二七ページ)示すことだということで、もっとも単純なものから始まって次第に複雑なものへその叙述を進めていくというように、弁証法の教科書も書くべきではないかという大筋を示しています。
そのうえで、「弁証法一般の叙述の方法」に入っていきます。では、何から始めるべきなのかを問題とし、「もっとも単純なもの、もっとも普遍的なもの」から始めるべきであり、例えば「木の葉は緑である、イヴァンは人間である」こういう命題から始めるべきだろう、そこにはすでに、「個別的なものは普遍的なものであるという弁証法がある」からだとしています。個と普遍の弁証法の中に「すでにここに、自然の必然性、客観的連関、等々の要素、萌芽、概念がある。偶然的なものと必然的なもの、現象と本質とが、すでにここにある」(三二八ページ)としています。つまり、弁証法一般の叙述は、個と普遍の弁証法から始めるべきではないか、というのがレーニンの提案であります。しかし、これは、弁証法一般の問題というより主観的弁証法の問題にすぎないのではないかと思われます。
そのあとにまた認識論の問題が出てきて、「このようにして、弁証法が総じて人間のすべての認識に固有なものであることがしめされる。そして自然科学は、客観的自然が、個別的なものの普遍的なものへの、偶然的なものの必然的なものへの転化、対立物のもろもろの移行、変移、相互関連という同じ諸性質をもっていることを、われわれにしめしている」(三二八~三二九ページ)。まとめとして、「弁証法こそ、(ヘーゲルおよび)マルクス主義の認識論である」(同)ということを述べているわけであります。
観念論が生みだされる根拠
それから、レーニンは観念論の認識論的な根拠について述べており、これも重要なところだと思います。
「哲学的観念論は、粗野な、単純な、形而上学的な唯物論の見地からすればたわごとにすぎない。これに反して、弁証法的唯物論の見地からすれば、哲学的観念論は、認識の特徴、側面、限界の一つを、物質、自然から切りはなされた、神化された絶対者へと、一面的に、誇大に、過度に(ディーツゲン)発達させ、(膨張させ、ふくらませ)たものである」(三二九~三三〇ページ)。
つまり、観念論の認識論的根拠は二つあるとレーニンは指摘しているわけで、一つは認識の特徴、側面、限界の一つを、一面的に過度に発達させ、ふくらませることによって観念論が生まれるというのです。
エンゲルスも『反デューリング論』のなかで、「思考のあらゆる分野で起こることであるが、現実の世界から抽象された諸法則が一定の発展段階に達すると、それは現実の世界から分離されて、なにか自立的なものとして、外からやってきた法則……として現実の世界に対置されるようになる」⑻ と述べています。人間の認識は客観的事物を抽象化していく過程であり、それによって理論や法則に到達するわけですから、抽象化するということは、客観的実在からだんだん切り離されていく過程なのです。それが一面的に、過度に切り離されていくと、観念論へ陥るのです。
ではもう一つの観念論の根拠は何か。
「人間の認識は直線ではなく(あるいは直線をえがいてすすむものではなく)一系列の円へ、螺旋へ無限に近づいていく曲線である。この曲線の、どの断片、破片、一片も、独立の、まったくの直線に転化する(一面的に転化する)ことが出来る」。(三三〇ページ)
こういう「直線性と一面性、硬直と化石性」が観念論の認識論的な根拠である、ということです。
客観的事物は普遍的連鎖、連関のなかにあり、不断に運動、変化、発展しています。しかし、いったん具体的事実を概念としてとらえることは、客観的事物を、連鎖、連関から切りはなし、孤立化させることです。そうすることによって、客観的実在としては存在しえない「動かすことのできない固定した境界線」⑼ や不動の対立を認識のうえでつくってしまいますし、硬直した概念によっては、運動する事物を正しく認識しえないので、観念論に陥る危険性があるのです。いわば、形而上学的認識からくる観念論といってもよいでしょう。形而上学的思考は、現実には統一のうちにある、対立する二つの契機を分離し、分離した一方の契機に固執するのです。
これに対し、「事物とその概念上の模写とを、本質的にそれらの連関、連鎖、運動、生成と消滅においてとらえる」弁証法だけが、観念論から逃れることができるのです。エンゲルスが、「概念を運用する技術」は「ほんとうの思考を必要とする」とし、それを受けたレーニンが「諸概念の分析、諸概念の研究、〝諸概念を運用する技術〟(エンゲルス)はつねに諸概念の運動、それらの連関、それらの相互移行の研究を要求している」(二二〇ページ)と指摘していることを念頭において、この部分は理解すべきものでしょう。
観念論の根拠を、人間の認識の仕方そのものに求めているのは卓見です。観念論というのは、宗教を信じたりするところからだけ生まれるわけではないのです。だから観念論はなくならないのです。専門的な分野で優れた業績をあげている科学者でも、観念論に陥る根拠があるのです。
ヘーゲルの観念論とその認識論的根拠
また同様にヘーゲルの観念論の批判も、やはり認識論的根拠にまでさかのぼって行うべきであろうと思います。ヘーゲルを観念論者だと批判するにとどめず、ヘーゲルの観念論がなぜ生じたのかというところまで明らかにして、批判しないと、真の批判にはなりません。
それには、大きく三つの原因があると思われます。一つは、ヘーゲルが自然や社会に発展法則があることを予測しつつも、それを解明できず、世界発展の根本原理を「世界精神」や「絶対理念」に求めたことです。ヘーゲルは世界は動いている、動いているからには何か動かす力があるはずだ、と考えながらもそれが何かを明確にしえなかったのです。
二つめは、当時の唯物論が、機械的唯物論であり、人を機械と同様に考えていたことへの反発があります。ヘーゲルは、人間の意識の創造性というものを非常に重視した哲学者であって、人間は機械ではないと考えていたからです。
それから三つめは、人間の意識の創造性の一面的誇張があったと思うわけです。意識の創造性に着目したのはいいんだけれども、それを一面的に誇張したところから、絶対的理念が世界全体を動かしていくというような考え方になったのではないか、と思われます。
以上で『哲学ノート』のなかかからヘーゲルとレーニンの「変革の哲学」を読みとる作業を終えます。一五講では、全体を総括しながら私自身の「変革の哲学」の試案を積極的な形で展開してみようと思います。
⑴ マルクス・エンゲルス全集⑳二三ページ。
/『反デューリング論』①、国民文庫、三一ページ。
古典選書版『空想から科学へ』では、五四ページ。
⑵『小論理学』㊦一一六ページ。
⑶『小論理学』㊦一一八ページ。
⑷ マルクス・エンゲルス全集㉑三〇二ページ。
/『フォイエルバッハ論』古典選書、八〇ページ。
⑸ 同⑲一八六ページ。
/『空想から科学へ』古典選書、二四ページ。
⑹ 同、一八七ページ。
/古典選書、二五ぺージ。
⑺ ヘーゲル全集⑩五七ページ。
/『歴史哲学講義』㊤、岩波文庫、五九ページ。
⑻ マルクス・エンゲルス全集⑳巻三八ページ。
/『反デューリング論』①、国民文庫、五五ページ。
⑼ 同、五二〇ページ。
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