『科学的社会主義の源泉としてのルソー』より
第四講 社会契約論
一、ホッブス、ロックの社会契約説
社会契約説は、一七世紀から一八世紀にかけて、イギリスのトーマス・ホッブス(一五八八~一六七九)、ジョン・ロック(一六三二~一七〇四)、フランスのルソーなどによって展開された合理主義的な思想であり、アメリカの独立宣言、フランス革命などのブルジョワ民主主義革命に大きな影響を与えました。社会契約説には、様々な色合いがありますが、当時の自然法思想とも結びつき、自然状態において自由・平等であった個人が、主体的意志によって社会契約を結び、国家(社会)を形成したという理論構成をその特徴としています。
当時の絶対君主制のもとでは、君主の権力は神によって与えられたとする「王権神授説」が支配していました。したがって王の権力は絶対であり、いかなる制限もうけない、王は神に対してのみ責任を負うとして、人民は、王権への絶対的服従を求められたのです。
台頭してきたブルジョワジーは、自由な取引、自由な契約を求めて絶対君主制のもとでの身分制支配に反対していくことになりますが、その理論的武器となったのが、社会契約説でした。
ホッブスの社会契約説は、イギリスのピューリタン革命を背景として生まれました。自然状態の人間は、自由・平等であって、生存のために一切の行動をなしうる権利(自然権)をもつとされます。しかし各人がその権利を追求することになれば、「万人の万人に対する闘争」が生じます。そこでこの戦争状態を抜け出すために人々は、社会契約を結び、みずからの権利を主権者に委ねることにより、国家を成立させ、人々は、国家・主権に服従することになります。結局ホッブスの社会契約説は、人間の自然権から出発しながら、絶対主義国家を合理化することに終わってしまいました。
これに対し、ロックは、自然状態の人間を、自由・平等の存在であったと考えます。
すべての人間は、自由・平等ですから、そこには何人も他人の生命、自由、財産を傷つけてはならないという、自然法が支配しています。
とりわけロックにとって重要なのは、所有権の問題です。ロックは、自分の労働にもとづく私的所有を絶対的な権利だと考えました。
この自然状態のもとでの生命、自由、財産は不安定であるところから、人々は、社会契約を結び、人民は政府に対し、生命、自由、財産の保護を信託します。政府が人民の信託に反して人民固有の権利を侵害したときには、人民は革命権、抵抗権を行使する権利をもつというのです。
こうして、ロックは、人民主権と、革命権、抵抗権を主張したのですが、人民固有の権利としての財産権(所有権)を絶対化したところから、当時の台頭してきたブルジョワジーの自由な取引を求める要求に応える理論となりました。そして、ロックの所有権不可侵の理論は、財産権を侵害するものだとして、労働者を抑圧し、工場立法を阻止するための理論的根拠にもなったのです。
ロックの社会契約説は、アメリカの独立宣言にも大きな影響を与えました。しかし同時にそれは、所有権の絶対化により、資本主義を擁護する理論となったという歴史的制約をもつものでした。
これに対し、ルソーの社会契約説は、私的所有の批判のうえに成り立っていることを最大の特徴としています。
ルソーは、『不平等論』において、不平等を生みだす根源が私的所有にあることをつきとめ、この不平等の根源をとりのぞく社会として社会契約国家をとらえたものですから、そこでは私的所有が否定されるのは、当然の論理的帰結というべきものでした。
ルソーもロックも、社会契約説にもとづき、自由と平等、人民主権論を唱えました。その点は、両者に共通(もっともその内容はかなり異なる)なのですが、私的所有をめぐって両者の間には決定的な違いが存在するのです。ですからロックの理論が、資本主義の枠内の理論にとどまったのに対し、ルソーの社会契約説は、フランス革命のなかに具体化されながらも、資本主義の枠組みをこえる未来社会をも展望しうる射程距離をもつに至っているのです。
二.ルソーの社会契約論
未来社会論
ルソーは、『契約論』の冒頭を、「わたしは、人間をあるがままのものとして、また法律をありうべきものとして取り上げた場合、市民の世界に、正当で確実な何らかの政治上の法則がありうるかどうか、を調べてみたい」(『社会契約論』一四ページ)との文章で始めています。
不平等を解決するあるべき未来社会を、政治と法の見地から考えてみようというのです。そこには、社会を規定する根本は政治にあるとする、ルソーの独特な思想が横たわっているのを見ることができます。ルソーの『告白』では、より明確に『契約論』で問うたものを示しています。
「わたしの知ったのは、すべては根本的には政治につながるということ、また、どのような試みをしたところで、いかなる国民もその『政体』の性質の作りなせるもの以外ではありえない、ということであった」として、「ありうべき最良の『政体』はなにかという大問題」に答えを示したものであると語っています(『告白』二五六ページ)。
ここにルソーの最大の特徴があると同時に、またルソーの限界があるといっていいでしょう。
「唯物史観は、次の命題から出発する。すなわち、生産が、そして生産についてはその生産物の交換が、あらゆる社会制度の基礎であり、歴史上に現われるどの社会においても、生産物の分配は、それとともにまた諸階級または諸身分への社会の区分は、なにを、どのようにして生産するか、そして生産されたものをどのようにして交換するかによってきまるという命題である。この見地からすれば、あらゆる社会的変化と政治的変革との究極の原因は、人間の頭のなかに、永遠の真理や正義についての人間の洞察がますます深まってゆくということに、求めるべきではなく、生産および交換の様式の変化に求めなければならない。それは、その時代の哲学にではなく、経済に求められなければならない」(全集⑲二〇六、二〇七ページ)。
このように、唯物史観は、社会的諸制度を支える土台は、生産的諸関係、つまり経済にあり、政治や法は、その土台によって規定される上部構造であると考えます。しかしそのことは、けっして政治や法の役割を軽視してもいいということではありません。政治や法は、国家という組織と結びつき、土台に規定されつつ、相対的に独立した存在として、逆に土台に働きかけ、土台を強化する役割をもっているからです。
ですから、ルソーが、政治と法の観点から未来社会を考察しようとしたことは、ルソーの思想を特徴づけるものではあっても、けっしてルソーの思想史上に果たした役割を否定するものにはなりません。かえって今日的状況からみると、ルソーの果たした役割には、もっと光をあてるべきではないかと思われます。
しかしこの問題は、全体的考察を終えたうえで検討さるべき問題として、最後にもう一度立ち返ることにしておきましょう。
とりあえずこの段階では、ルソーが政治的、法的見地から未来社会を論じようとしたことを確認しておけば十分だと思います。
社会契約とはなにか
ルソーの出発点は、あるべき社会(国家)というのは、力による支配ではなくて、人民の合意にもとづく社会でないかぎり、正当なものとはいえない、というものです。
力による支配は、人民を服従させることはできても、支配することに正当な権利があることを意味するものでもなければ、人民に服従の義務を負わせるものでもありません。「力は権利を生みださないこと、また、ひとは正当な権力にしか従う義務がないこと」(同二〇ページ)を出発点とすることは、現代において大きな意味をもっています。というのも、アメリカは、世界唯一の超大国として、国連憲章も世界の世論をも無視してイラクに対する先制攻撃戦争を強行し、アメリカ中心の国際秩序を、力による支配として確立しようとする野望を示しているからです。
これに対し、「国連憲章にもとづく平和の国際秩序」を求める世論と運動が、アメリカの同盟国のなかからも広がっているのが、もう一つの特徴となっています。これは、合意にもとづく国際社会を求めるものであり、ルソーの見地を引き継ぐものといってよいでしょう。
ヘーゲルは、ルソーと同様に、人間の自由な意志を国家、社会の根本原理と考えた哲学者ですが、ルソーを評価して次のように述べています。
「ルソーには、たんに形式上思想である原理(たとえば社会衝動とか神的権威とかいったようなもの)ではなく、形式上だけではなく内容上も思想であり、しかも思惟そのものであるような原理、すなわち意志を国家の原理として立てたという功績がある」(『法の哲学』四八一ページ、世界の名著『ヘーゲル』、中央公論社)。
しかし、合意つまり契約による社会であれば、どんな社会でもいいのか、というと、そうではない、支配・服従の関係を生み出すような合意は無効だ、とルソーはいうのです。というのも、ルソーにとって、自由な意志は、人間にとっての本質的要素ですから、支配・服従を生みだす服従契約あるいは奴隷契約は、人間の自由を否定するものに他ならないからです。「自分の自由の放棄、それは人間たる資格、人類の権利ならびに義務をさえ放棄することである。・・・・・・こうした放棄は、人間の本性と相いれない。そして、意志から自由を全くうばい去ることは、おこないから道徳性を全くうばい去ることである。要するに約束するとき、一方に絶対の権威を与え、他方に無制限の服従を強いるのは、空虚な矛盾した約束なのだ」(『契約論』二二、ニ三ページ)。
ルソーの社会契約は、服従契約、奴隷契約を否定したところにはじめて成立します。この点は、ルソーの社会契約全体を貫くメイン・テーマであり、人民主権の内容をも規定するものとなりますので、記憶にとどめておいてください。
では、社会契約とは何か。
「各構成員の身体と財産を、共同の力のすべてをあげて守り保護するような、結合の一形式を見出すこと。そうしてそれによって各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること」(同二九ページ)。
まず訳語の問題として、「各構成員の身体と財産」の「身体」とは、フランス語のペルゾンヌ(personne)の訳であり、ここでは、精神と肉体の両者を統一した「人格」として訳されるべきものだと思います。
というのも、ルソーは、人間にとって自由な独立した人格と個人の尊厳が何よりも大切であり、それを侵害する社会状態を否定するものとして、社会契約国家を考えているのですから、そこでは人間の生命・身体そのものが保護されるにとどまらず、人間の尊厳、自由な独立した人格そのものが保証されなければならないからです。現に、『エミール』(下巻二三二ページ、岩波文庫)では、「私たちはみんな共同に、自分の財産、人格、生命、そして自分の力のいっさいを、一般意志の最高指揮にゆだねる。そしてみんなで一緒に、全体の分別できない一部としての各自の部分を受けとる」と、「人格」に訳されています。
さらに、「人格」と訳すべき積極的理由として、ルソーが、社会発展を人間の人格の陶冶と結合してとらえていることを指摘しておかねばなりません。『不平等論』のなかで、人間は自由な意識をもって自然を改造すると同時に、人間自身を改善していく能力があることに注目し、これを「自己改善(完成)能力」とよび、しかもこの能力は、「種にも個体にも存在する」ととらえました。人格の陶冶をたんに個人の問題としてのみならず、種としての人類の問題としてもとらえているところがポイントです。
後に詳しく述べますが、ルソーは、真の人民主権の社会を実現しうるためには、人民自身が成熟し、主権者としての自覚を高める必要があると考えました。人間が、自由な独立した人格を確立し、主権者の自覚をもって、人間の尊厳を実現していくためには、人格の陶冶を保障するような社会制度が必要だと、ルソーは考えたのです。
それは言いかえれば、社会状態によって疎外された人間性を回復する、人間解放の社会といってもいいでしょう。
さて以上を前提として、ルソーのいう社会契約の内容を検討してみましょう。
第一に、人民が、社会契約を結んで、社会契約国家をつくるのは、「各構成員の人格と財産を、共同の力のすべてをあげて守り、保護する」という目的を実現するためであり、社会契約国家は、すべての構成員を、人間らしい人間として解放し、人格を高め、その生活を保障するべき義務を人民に対して負うことになります。
第二に、社会契約国家においては、国家・社会と人民との関係において、支配・服従の関係があってはなりません。その意味では、国家機関、または社会の重要組織の要員であろうとなかろうと、国家・社会の構成員である人民はすべて平等でなければならないことになります。人間の本質としての平等は社会契約国家において現実のものとなるのです。
第三に、人民は、社会契約国家をつうじて、共同社会の一員となり、「各人が、すべての人々と結びつ」くことになりますが、共同社会という結合のなかで、「以前と同じように自由」でなければならないのです。
ここには、ルソーの独特の自由論があります。ロックは、ルソーと同じ社会契約論者ですが、自由論については、「国家からの自由」という、根本から異なる見解をとっています。すなわち、ロックは、生命、自由、財産という自然権は、個人にとって不可侵の権利であり、これを国家権力から守るために社会契約を結ぶのだと考えました。いわば自由というものを国家から逃れる自由、国家からの自由という消極的なものとしてとらえたのです。
しかし、人間は果たして、国家や社会から逃れることができるでしょうか。人類はもともと、社会とともにあり、人間が社会をつくり、社会が人間をつくってきたという関係にあります。人間とチンパンジーとの間には、生物学的にみればDNAでわずか数パーセントの差しか存在しないのに、これだけ大きな差が存在する理由の一つは、チンパンジーには社会が存在しなかったことにあると思われます。
人間と社会とが切り離せない以上、自由の問題も社会との関わりのなかにおいて求めるものでなければなりません。
ルソーが、「結合のなかにおける自由」という積極的自由を唱えたのは、自由論を本来の土俵にすえたものといっていいでしょう。
この土俵のうえに、ヘーゲルやマルクスの自由論も展開されています。ヘーゲルは、「自由は必然を前提し、それを揚棄されたものとして自己のうちに含んでいる」(『小論理学』下巻一一六ページ、岩波文庫)として、社会との媒介を止揚して自己のうちに含むところに自由を求め、「最高の共同性は最高の自由である」(『理性の復権』八五ページ、批判社)と述べました。
またマルクスも同様に、「ほんとうの共同態において諸個人は彼らの連帯のなかで、またこの連帯をとおして同時に彼らの自由を手に入れる」(全集③七〇ページ)といっています。
自由と平等とは、自由が平等を保障し、平等が自由を保障するという関係にあるのです。
社会契約国家は、人間解放を実現する
以上を要約するならば、社会契約的国家とは人間の尊厳を回復し、人間の本質である自由と平等、豊かな生活を保障する人間解放の社会と言っていいでしょう。
ルソーのいうところを聞いてみましょう。
「この推移は、人間のうちにきわめて注目すべき変化をもたらす。人間の行為において、本能を正義によっておきかえ、これまで欠けていたところの道徳性を、その行動にあたえるのである。その時になってはじめて、義務の声が肉体の衝動と交代し、権利が欲望と交代して、人間は、その時までは自分のことだけ考えていたものだが、それまでと違った原理によって動き、自分の好みにきく前に理性に相談しなければならなくなっていることに、気がつく。この状態において、彼は、自然からうけていた多くの利益をうしなうけれど、その代りにきわめて大きな利益を受けとるのであり、彼の能力はきたえられて発達し、彼の思想は広くなり、彼の感情は気高くなり、彼の魂の全体が高められる」(『契約論』三六ページ)。
この新しい状態によって、「バカで劣等な動物から、知性あるもの、つまり人間たらしめたこの幸福な瞬間を、絶えず祝福するにちがいない」(同)として、ルソーは社会契約国家の成立を祝福さるべき人間解放の瞬間ととらえているのです。
これに関連して、ルソーは、「自由という言葉の哲学的意味は、わたしの当面の課題ではない」(同三七ページ)といいながらも、自由を三段階に区分し、社会契約国家においては、三つの自由がすべて実現され、最高の自由が実現されるととらえています。
まず第一段階の自由は、「個人の力以外に制限をもたぬ自然的自由」(同三七ページ)です。
いわば勝手気ままに行動する「恣意の自由」、「形式的決定の自由」です。それによって本人は自由だと思っていても、それは、自然や社会の必然性に支配された枠内での自由でしかありません。
第二段階の自由は、「一般意志によって制約されている市民(社会)的自由」(同)です。一般意志というのは、次回の人民主権論でお話しすることになりますが、その意味するところは先ほど述べた「結合のなかにおける自由」、社会的共同のなかにおける自由です。
第三段階の自由は、「道徳的自由」です。これは、「人間をして自らのまことの主人たらしめる唯一のもの」(同)であり、人間が、人間自身の主人公として、人間性を全面的に開花させ、ヒューマニズムに満ちあふれた人間となることを意味しています。
人間解放は、人間の種としての「自己完成能力」にもとづき、人格を陶冶し人間性を完成させた姿としてえがきだされているのです。
全面譲渡
では、こういう人間解放の社会を実現するためには、どうしたらいいのか。そのためには、社会状態においてもたらされた不平等の根源、つまり私的所有そのものにメスを入れなければなりません。それがつまり「全面譲渡」の理論です。
社会契約の「諸条項は、正しく理解すれば、すべてが次のただ一つの条項に帰着する。すなわち、各構成員をそのすべての権利とともに、共同体の全体にたいして、全面的に譲渡することである。その理由は、第一に、各人は自分をすっかり与えるのだから、すべての人にとって条件は等しい。またすべての人にとって条件が等しい以上、誰も他人の条件を重くすることに関心をもたないからである。
その上、この譲渡は留保なしに行われるから、結合は最大限に完全であり、どの構成員も要求するものはもはや何一つない。……要するに、各人は自己をすべての人に与えて、しかも誰にも自己を与えない。そして、自分が譲りわたすのと同じ権利を受けとらないような、いかなる構成員も存在しないのだから、人は失うすべてのものと同じ価値のものを手に入れ、また所有しているものを保存するためのより多くの力を手に入れる」(同三〇ページ)。
いうなれば、社会契約国家の構成員は、自己のもつもの、つまり自己の所有する物と自己自身のすべてを社会共同体に与え、人間として生きるに必要なすべてのものを社会共同体から受けとるのです。個人と社会共同体は一体となり、個人は、個人でありながら、社会共同体から切り離すことのできない存在となります。
この全面譲渡のなかで、一番大事な点は、これまで不平等の原因とされてきた生産手段(原材料、土地、道具、機械、工場)を社会共同体に譲渡すること、つまり生産手段の社会化にあります。
ルソーの生きていた時代は、資本主義の初期になります。しかしまだ産業革命は、イギリスにおいてようやく始まりかけていた時期ですから、基本的な生産手段は、農業生産のための土地と、道具によるマニュファクチュアでした。
ルソーは、土地支配権について、次のように述べています。
「共同体の構成員の各々は、共同態が形成された瞬間に、自己を共同体にあたえる、──つまり彼自身と、彼がもっている財産がその一部をなす彼のすべての力とを、そのとき現にあるがままの状態であたえる」(同三七ページ)。
では、どうやって人民は生きていくのか。彼らは、「生存するために必要な広さの土地しか占拠」せず、「労働と耕作によってこれを占有する」(同三八ページ)、つまり、生産手段としての土地は社会化されますが、自らの労働にもとづいて生活するに必要な土地の占有は認められるのです。「彼の分け前がきまった以上、彼はそれで辛抱しなければならない」のであって、「共同体の財産に対しては、もう何も権利はない」のです(同)。
しかし、あくまでも基本になるのは、土地全体を社会化することにあります。したがって「各個人が自分自身の地所に対してもつ権利は、つねに、共同体が土地全体にたいしてもっている権利に従属する」(同四〇ページ)ことになります。
ですから生産手段の社会化は、自分の労働にもとづく生産手段の私的所有まで否定したものではなく、搾取につながる生産手段の私的所有のみを否定しているのです。
「この譲渡において特異なことは、個々人から財産を受けとる場合、共同体は、彼らからそれをはぎ取るのではなく、むしろかえって、彼らにその合法的な占有を保証し、そのうえ横領を真の権利に、享有を所有権に変えるだけだということである」(同四〇ページ)。
ルソーは、『不平等論』においても、「富める者の横領」(同書一〇三ページ)という言葉を用いていますが、ここにいう、「横領」は「搾取」の意味に理解すべきものでしょう。私的所有については、搾取につながる生産手段の私的所有は認めず、自己の労働にもとづく私的所有のみを認めるというものです。こうして、「すべての人がいくらかのものをもち、しかも誰もがもちすぎない」(『契約論』四一ページ)社会的平等が実現されることになり、「人間は体力や、精神については不平等でありうるが、約束によって、また権利によってすべて平等になる」(同)のです。
ルソーは集団主義者か
この全面譲渡論については、ルソーの全体主義・集団主義を示すものとの批判があります。
例えば、ルソー研究家のギールケは、「あらゆる個人主義的な出発と目標とにもかかわらず、その時々の多数者の意志のうちにあらわれる主権の絶対的な専制が結果として生ずる」(杉之原寿一『ルソー研究』九六ページ)として、ルソーには個人主義と集団主義が併存するという矛盾があるとしています。
またヴォーンに至っては、ロックの社会契約とちがって、ルソーにおいては個人的な力と自由とを全面的に譲渡するのであるから、それは個人人格の破棄であり、滅却であって、「極端な形式の集団主義」(同一一四ページ)とまで、こきおろしています。
しかし、こうした批判は、全く見当ちがいというべきものです。
ルソーは、個人と社会共同体をバラバラに切り離すのではなく、個人が社会共同体としっかり結びつき、社会共同体と一体化することによって、人間性が完成され、人間解放が実現すると考えていました。
マルクスは、このルソーの考えに賛同し、人間解放を論じています。
「現実の個別的人間が、抽象的公民を自分のうちにとりもどし、個別的人間のままでありながら、その経験的な生活において、その個人的な労働において、その個人的な関係において、類的存在となったときはじめて、つまり人間が自分の『固有の力』を社会的な力として認識し組織し、したがって社会的な力をもはや政治的な力の形で自分から切りはなさないときにはじめて、そのときにはじめて、人間的解放は完成されたことになるのである」(全集①四〇七ページ)。
全面譲渡というのは、社会共同体にすべてを譲渡し、社会共同体からすべてを受けとるのです。社会共同体のなかにあって、働けても働けなくても、幼児であっても高齢者であっても、誰もが安心して暮らせて、将来に何の不安もない、労働、医療、年金、教育、生活の保障された社会のなかで、人間は、自分の個人的力と社会的力の統一をし、人間的解放が完成されるのです。
個人主義と集団主義とをあたかも対立物であるかのようにとらえる見解は、ブルジョワ個人主義か、それともブルジョワ独裁の全体主義かの二者択一しかないと考えるブルジョワ的制約の枠内にとどまる議論でしかないといっていいでしょう。
ルソーの全面譲渡論は、階級対立に伴う支配・服従の関係を否定し、政治的、経済的、社会的平等を実現するための手段であって、これをもって、集団主義・全体主義というのは、見当ちがいの議論といわなければなりません。
二〇〇三・七・二二
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