『科学的社会主義の源泉としてのルソー』より

 

 

第五講 人民主権

一、一般意志

ルソーの人民主権論

 人民主権論は、第四講でお話しした人間解放の社会契約国家を実現するうえでの根本原理となるものです。
 ルソーのいう人民主権論は、一味違うものとなっています。一般的には人民主権論といえば、人民が主権者となって、国家を統治する意志(国家意志)の決定に参画することを意味していますが、ルソーの場合には、それを前提としつつも、それにとどまることなく国家意志の内容そのものにまで踏み込んでいます。
 「だから、もし社会契約から、その本質的でないものを取りのぞくと、それは次の言葉に帰着することがわかるだろう。『われわれの各々は、身体とすべての力を共同のものとして一般意志の最高の指導の下におく。そしてわれわれは各構成員を、全体の不可分の一部として、ひとまとめとして受けとるのだ』」(『契約論』三一ページ)。
 ここにいう「身体とすべての力」の「身体」も「人格」と訳されるべきでしょう。ルソーは社会契約から生まれる国家を、「一つの精神的で集合的な団体」(同)とか、「すべての人々の結合によって形成されるこの公的な人格」(同)とよんでいます。各構成員は、「私的な人格」であり、社会契約国家は「公的な人格」というわけです。
 それはともかく、ここでは二つの点を注目しなければなりません。
 一つには、すべての構成員は、共同して「一般意志」を形成し、「一般意志の最高の指導の下に」おかれる、ということです。
 二つには、各構成員は、国家という共同体の「全体の不可分の一部」として、「ひとまとめ」のものとして結合する、ということです。
 「一般意志」という聞き慣れない言葉がでてきましたが、これこそルソーの人民主権論のキーワードとなるものです。フランス語ではヴォロンテ・ジェネラル(volonte generale)であり、「普遍的意志」と訳されることもあります。この一般意志との対比で用いられるのが、「全体意志」、ヴォロンテ・ドゥ・トゥ(volonte de tous)であり、「万人の意志」と訳されることもあります。
 それでは、まずこの一般意志から検討してみることにしましょう。そのためには、ヘーゲルの手を借りねばなりません。

一般意志

 「単なる共通性と真の普遍性との相違は、ルソーの有名な社会契約のうちに見事に言いあらわされている。ルソーは、国家の法律は普遍的意志から生じなければならないが、といって決して万人の意志である必要はない、と言っている。もしルソーが常にこの区別を念頭においていたら、かれはその国家論にかんしてもっと深い業績を残したであろう。普遍的意志とはすなわち意志の概念であり、もろもろの法律はこの概念にもとづいている意志の特殊規定である」(『小論理学』下巻一二九ページ、岩波文庫)。
 形式論理学のうえで、「概念」といえば、あるものに共通する普遍的な観念を意味しています。「人間は理性的な動物である」と定義する場合、「人間」という「概念」は、すべての人間は理性を持つ動物であるという共通する普遍をもっているものとして規定されているのです。
 ところが、ヘーゲルが、「概念」という場合、個々のものに共通する普遍性という以上の意味をもたせ、そのものの「真にあるべき姿」にみられる普遍性、としてとらえました。そのうえで、形式論理学上の「概念」を「単なる共通性」(あるいは抽象的普遍)とし、他方、ヘーゲルのいう「概念」を「真の普遍性」(あるいは具体的普遍)として、区別したのです。
 そのうえでヘーゲルは、ルソーが一般意志と全体意志を区別したことを高く評価し、一般意志、つまり「普遍的意志とはすなわち意志の概念」であるととらえたのです。
 ルソーのいう全体意志とは、多数者の意志です。これにたいして、一般意志とは、人民の真にあるべき意志、真にあるべき政治を求める人民の意志を意味しています。ルソーは人民の多数の意志は、必ずしも人民の真にあるべき意志に一致するものではないことを知っていました。多数決は必ずしも真ならずというわけです。そこで、人民主権の政治とは、人民の真にあるべき意志に導かれる政治でなければならない、と考えたのです。
 現在の日本でも、国民には普通選挙権が与えられ、国民の多数決による全体意志にもとづいて政治が行われています。しかし、自民党政治の本質は、アメリカに従属し、財界・大企業の利益に奉仕するものであって、日本国民が真に願っているような、くらしと福祉、平和と民主主義を優先させる政治にはなっていません。全体意志と一般意志との間には大きな距離が存在しています。それも、マスコミや教育、さらには選挙制度などをつうじて、国民の意思が正しく政治に反映されない仕組みとなっているためです。
 ルソーは、「全体意志と一般意志のあいだには、時にはかなり相違があるものである。後者は、共通の利益だけをこころがける。前者は、私の利益をこころがける。それは特殊意志の総和であるにすぎない」(『契約論』四七ページ)として、全体意志と一般意志とを区別しました。しかし、この区別を徹底せず、両者を混同しているようにもとれる表現があるところから、ヘーゲルから、「もしルソーが常にこの区別を念頭においていたら、かれはその国家論にかんしてもっと深い業績を残したであろう」との批判をうけています。
 例えば、ルソーは、「これらの特殊意志から、相殺しあう過不足をのぞくと、相違の総和として、一般意志がのこることになる」(同)という言い方もしています。この箇所を読むと、人民の意志が山型の正規分布図を形づくる分布をなしている場合に、その両端を「相殺」して切りすて、残った山型の頂点を中心とする部分が一般意志となると読めなくもありません。そうなると一般意志と多数の意志との区別は曖昧になってきます。また、「個別意志が一般意志と一致しているということは、個別意志を人民の自由な投票にゆだねた後に、はじめて確かめうる」(同六四ページ)とか、「投票の数を計算すれば、一般意志が表明されるわけである」(一五〇ページ)などの箇所も、全体意志がすなわち一般意志であるかのように読みとることもできます。
 しかし、ルソーの真意は、あくまでも全体意志と一般意志を区別するという前提にたったうえで、全体意志は、一般意志に向かって無限に前進すべきものであり、ついには全体意志が一般意志に一致するに至ったときにはじめて真の人民主権の政治ということができるという、区別と同一の統一の立場から、両者を混同するような言い方もしたと考えるべきでしょう。
 例えば、原子力発電所の誘致とか、河口堰の設置など、争点が一点に絞られ、住民の選択が単純化された場合の地方レベルでの住民投票においては、日本の現状でも全体意志が一般意志に合致するのをみることができます。
 人民主権のもとでは、すべての人民が、主権者として、国家意志形成に参画します。その意味からいえば、人民主権は、必ず全体意志を形成します。ルソーも国家意志は、「人民全体の意志」(同四四ページ)であり、「一般意志は全部の人から生まれ、全部の人に適用されなければならない」(同五〇ページ)と述べています。しかし、形成される全体意志は必ずしも一般意志ではないところから、全体意志は、一般意志に向かって無限に前進し、やがては一般意志と合致すべきものとされているのです。
 したがって、ヘーゲルのルソー批判は、一面の正当性はあるものの、ルソーの真意をとらえきっていないとの批判をまぬがれないでしょう。
 では何故、全体意志は、一般意志に向かって前進すべき必然性をもっているのでしょうか。それが問題なのです。

未来の真理としての一般意志

 ルソーは、「一般意志は、つねに正しく、つねに公けの利益を目ざす」(同四六ページ)、と述べています。
 一体何故一般意志は、つねに正しいのでしょうか。それは、一般意志が、人民の真にあるべき意志として、未来の真理をとらえた意志だからです。政治というものは、つねにあるべき社会という未来社会を探究する仕事です。日本の政治の現状をみても、全ての政党が、現状をどう改革するのかという、未来のあるべき姿を問題としています。その考えられるいくつものあるべき姿の中にあって、真にあるべき姿は、未来の真理をとらえたものとして、たった一つしかありません。真理はつねに単一なのです。
 一般意志は、未来の真理をとらえた人民の意志だから「つねに正し」く、また未来の真理をとらえているから、人民の全体意志は、真理である一般意志に向かって無限に前進し、やがては一致することになるのです。
 もっとも、ルソー自身が、一般意志は未来の真理であるということを言っているわけではありませんし、何故つねに正しいのかその理由も詳しくは述べていません。
 しかし、ルソーの真意は、その言葉のはしばしから十分に汲み取ることができます。
 「人民の決議が、つねに同一の正しさをもつ、ということにはならない。人は、つねに自分の幸福をのぞむものだが、つねに幸福を見わけることができるわけではない。人民は、腐敗させられることは決してないが、ときには欺かれることがある。そして人民が悪いことをのぞむように見えるのは、そのような場合だけである」(同四六、四七ページ)。
 ルソーの言わんとするところは、人民が欺かれているときには、その全体意志は「悪いことをのぞむように見える」のですが、欺かれているのに気づき、未来の真理を見いだしたときには、その全体意志は、一般意志になる、というものでしょう。
 また、ルソーは、全体意志と一般意志の不一致が生じたとき、一般意志は破壊されるのか、という問いを発しています。
 「社会の結び目がゆるみ、国家が弱くなりはじめると、また個人的な利害が頭をもたげ、群小の集団が大きな社会に影響を及ぼしはじめると、共同の利益はそこなわれ、その敵対者があらわれてくる。投票においてはもはや全員一致は行われなくなる。一般意志は、もはや全体意志ではなくなる。対立や論争が起る。そして、どんなに立派な意見でも、論争をへなければ通らなくなる」(同一四五ページ)。
 ここでルソーが想定しているのは、国家内部の意見対立が激化し、一般意志が人民のなかに形成されても、それが少数意見にとどまり、全体意志になりえない場合です。こうした場合に、「一般意志が破壊あるいは腐敗したということになるのであろうか?いな、それはつねに存在し、不変で、純粋である。しかし、一般意志は、それに打ちかつ他の意志に従属せしめられているのだ」同一四六ページ)と、答えています。
 一般意志は、全体意志として、国家意志となることもあれば、まだ少数意見にとどまる場合もあります。では、一般意志が少数意見にとどまる場合に、一般意志は破壊されたのかといえばそうではない、一般意志は、「つねに存在し、不変で、純粋」であり続けるのです。何故なら、それは未来の真理だから。不変の、また純粋な真理としての一般意志は、消滅することもなければ、破壊されることもなく、人民とともに「つねに存在し」、やがては、人民の多数の意志となり、全体意志に転化していくことになるのです。
 このように、一般意志を未来の真理をとらえる人民の意志としてとらえることは、同時に、では、不定形の集団にすぎない人民が、はたして真理をとらえうるのか、という問題に逢着せざるをえません。それがルソーのいう「立法者」の問題です。

 

二、一般意志の形成

一般意志への導き手

 社会契約国家においては一般意志にもとづいて、国家の統治がおこなわれることになりますが、この一般意志は国家により、「法」という形式に高められなければなりません。ルソーは「法律は一般意志の宣言」(同一三四ページ)とか、「法は一般意志の行為に属する」(同一五九ページ)とか述べてその趣旨を明らかにしています。ヘーゲルが、「普遍的意志とはすなわち意志の概念であり、もろもろの法律はこの概念にもとづいている意志の特殊規定である」と述べているのも、これを受けてのものです。
 そこで、人民のなかから一般意志を導き出し、これを法案に作成する「立法者」が必要となってきます。
 「目のみえぬ大衆は、何が自分たちのためになるのかを知ることがまれだから、自分が欲することを知らないことがよくある、そうした大衆が、どういうふうに、立法組織というような、あのように困難な大事業を、自ら実行しうるのだろうか?人民は、ほっておいても、つねに幸福を欲する。しかし、ほっておいても、人民は、つねに幸福がわかるとはかぎらない。一般意志は、つねに正しいが、それを導く判断は、つねに啓蒙されているわけではない。」(同六〇、六一ページ)。
 人民を啓蒙し、人民の全体意志を一般意志に導き、形成された一般意志を法にまとめる人民の「導き手」としての役割が、「立法者」に求められることになります。
 「公衆を啓蒙した結果、社会体の中での悟性と意志との一致が生まれ、それから諸部分の正確な協力、さらに全体の最大の力という結果が生まれる。この点からこそ、立法者の必要が出てくるのである」(同六一ページ)。
 ここに「悟性と意志との一致」とあるのは、「全体意志と一般意志との一致」と理解すべきものでしょう。
 人民の導き手としての立法者については、何よりも「すぐれた知性」の持ち主であり、先見性をもち、高潔で、自己犠牲的で、先憂後楽の精神の持ち主でなければなりません。
 「その知性は、人間のすべての情熱をよく知っていて、しかもそのいずれにも動かされず、われわれの性質を知りぬいていながら、それと何らのつながりをもたず、みずからの幸福がわれわれから独立したものでありながら、それにもかかわらずわれわれの幸福のために喜んで心をくだき、最後に、時代の進歩のかなたに光栄を用意しながらも、一つの世紀において働き、後の世紀において楽しむことができる、そういう知性でなければなるまい。人々に法を与えるには、神々が必要であろう」(同六一、六二ページ)。
 神々でなければ、「立法者」になりえないということになれば、ルソーのいう人民主権論は絵に画いた餅でしかないことになってしまいます。実際ルソーは、「この立法という仕事のなかには、両立しがたいように見える二つのものが、同時に見いだされる。人間の力をこえた企てと、これを遂行するための、無にひとしい権威とが、それである」(同六五ページ)として、「人間の力をこえた企て」とまでいっています。また立法者の「権威は、暴力を用いることなしに導き、理屈をぬきにして納得させうるようなもの」(同)というのですから、立法者はその理論的先見性により、常に未来の真理を人民の前に示し、一般意思形成の導き手となり続けることにより、暴力を用いることなしに権威を確立するのです。
 これだけ厳しい条件をつけられれば、何世紀に一人とでもいうような天才でもなければ立法者にはなりえないことになってしまいます。ですから、ルソー自身、母国のフランスにおいて人民主権が実現しうるとは考えていませんでした。それは、「ヨーロッパには、立法可能な国がまだ一つあるそれはコルシカの島である」(同七六ページ)としていることからも分かります(この立場から、ルソーは後日頼まれて「コルシカ憲法革案」を起案しています)。

人民の成熟

 それではこのように、神にも等しいような立法者が存在しないような場合には、どうすればいいのでしょうか。
 それには、人民自身が成熟して一般意志を形成しうる知性を身につけるしかないことになります。
 「青年は、幼年ではない。人間におけると同じように国民においても、青年、それとも成熟の時期があり、国民を法に従わせるには、この時期を待たねばならない」(同六九ページ)。
 国民が成熟している場合には、革命によって、古い体制を打ち破り、一般意志を形成することも可能となります。「国家は内乱によって焼かれながらも、いわばその灰の中からよみがえり、死の腕から出て、若さの力を取りもどすことがある」(同六八ページ)。
 しかし、ルソーは「こうした出来事はまれ」(同六八ページ)であるとし、人民が神にも等しい立法者を持つこともなく、しかも成熟しないまま革命に突入してしまえば、「動乱が人民を破壊することはありえても、革命が人民を再建することはできない。そしてその鉄鎖が断ちきられたとたんに、人民もばらばらになり、もはや在立しないのである」(同六九ページ)と述べています。
 ルソーの死後、わずか一一年後に勃発したフランス革命は、ルソーの不安が決して杞憂ではなかったことを示したのでした。
 ロベスピエールの率いるジャコバン独裁のもとで、ルソーの人民主権論をかかげた一七九三年憲法が制定されながら、実際には、一般意志にもとづく政治ではなく、断頭台を血の海と化す恐怖政治がまかりとおったのです。
 この経験は、人民主権論への強力な巻きかえしを生みだしました。
 フランス革命の影響を強く受け、終生フランス革命のかかげた自由の政治的実現に共感をよせ続けたヘーゲルもまたその例外ではありませんでした。
 「人民という言葉は往々にして個々人としての多くの人々の意味に解されるが、・・・・・・これは定形のない塊りであって、その動きとふるまいは、まさにそれゆえに自然力のように暴力的で、無茶苦茶で荒々しく、恐るべきものであるであろう。だからわれわれは、国家体制ないし憲法にかんする論議において、相変わらず人民というこの非有機的な全体のことが語られるのを聞くや否や、それだけでもう、一般論とひねくれた長談義しか期待できないものと、あらかじめ心得てかかっていいわけである」(『法の哲学』五六二ページ、世界の名著『ヘーゲル』)。
 のちに詳しく述べますが、恐怖政治の経験にもかかわらず、ルソーの人民主権論は、人民解放の理論として、一九世紀のフランス共産主義理論に引きつがれていくことになります。
 しかし、それを単なる抽象的な理論の領域から、現実に人民解放の武器に発展させるためには、人民の暴走を防ぐと同時に、神のような立法者をも現実のものとする必要があったのです。
 この人民主権論を労働者階級という導き手と結びつけたのが、マルクス、エンゲルスの「プロレタリアート執権」論でした。

導き手としての労働者階級

 マルクスが「プロレタリアート執権」(労働者階級の権力)という用語を最初に使ったのは、フランスの二月革命(一八四八年)をとりあげたときでした。しかし、マルクスは、一八七一年のパリ・コミューンを目のあたりにするなかで、「プロレタリアート執権」概念を充実させ、発展させていったのです。パリ・コミューンは、これも後に述べますが、ルソーの人民主権を実現し、人民の一般意志として、階級支配そのものの廃止を実現しようとした国家でした。
 「パリのプロレタリアートが二月革命を開始したさいの『社会的共和制』という叫びは、階級支配の君主制形態ばかりでなく、階級支配そのものをも廃止するような共和制への漠然たるあこがれを言いあらわしたものに他ならなかった。コミューンこそは、そういう共和制の明確な形態であった」(全集⑰三一五ページ)。
 ここにいう「共和制」とは、人民主権の政治体制とはほぼ同義に考えていいでしょう。
 コミューンは、「人民による人民の政府」(同三二三ページ)、「人民自身の政府」(同三三五ページ)でした。
 しかし、公然と人民の先頭にたって、人民の一般意志の導き手となったのは、労働者階級でした。
 「それにしても、これは、労働者階級が社会的主動制を発揮する能力をもった唯一の階級であることが、富んだ資本家だけを除いて、パリの中間階級の大多数──小店主、手工業者、商人──によってさえ、公然と承認された最初の革命であった」(同三二〇ページ)。
 コミューンは、労働者階級に指導された人民主権の政府、人民自身の政府だったのです。
 「コミューンは、こうして、フランス社会のすべての健全分子の真の代表者であり、したがって真に国民的な政府であったが、それと同時に、労働者の政府」(同三二三ページ)であり、「本質的に労働者階級の政府」(同三一九ページ)でした。
 こうしてコミューンは、神のような天才的な個人ではなく、階級としての労働者階級が人民の導き手となり、人民の一般意志を形成し、実現していく役割を果たしうることを、歴史上はじめて明らかにしました。
 エンゲルスは、プロレタリアート執権が、「どんなものかを諸君は知りたいのか?パリ・コミューンをみたまえ。あれがプロレタリアート執権だったのだ」(同五九六ページ)といっています。マルクス、エンゲルスが、プロレタリアート執権(労働者階級の権力)という用語を用いたのは、労働者階級の指導のもとに、人民の意志を一般意志にとりまとめ、人民主権の国家を樹立することを意味していたのです。
 ですから、プロレタリアート執権と人民主権とは、本来切り離しえない関係にあったのです。それがその後、とりわけレーニンの時代に、プロレタリアート執権のみが一人歩きをするようになり、人民主権がおいてけぼりをくってしまい、その結果、プロレタリアート執権の概念が歪曲されることになってしまったのは、残念というほかありません。

 

三、治者と被治者の同一性

自分自身と契約

 それでは次に、人民主権のもう一つの本質的要素である「われわれは各構成員を、全体の不可分の一部としてひとまとめとして受けとるのだ」という箇所を検討してみることにしましょう。
 人民が、一般意思を形成し、それを国家意志とする国家の統治下におかれることになれば、人民の真に願う政治が実現されることになりますから、統治する者も人民であり、統治される者も人民という、治者と被治者の同一性が実現されることになります。すべての人民が、国家意志形成に参画したとしても、そこから生まれる全体意志が一般意志でないときには、治者と被治者の同一性は実現されません。
 ルソーがあえて、人民の一般意志という概念をもち出し、その下での「全体の不可分の一部」といったのは、この治者と被治者の同一性こそ、最終的に人民主権において実現すべき目的であり、一般意志は、それを実現する手段であったことを示しています。
 ルソーは、この治者と被治者の同一性を、「各個人は、いわば自分自身と契約している」(『契約論』三三ページ)と表現し、次のように述べています。
 「この多数者が、このように、統合して一つの団体をつくるやいなや、その団体を攻撃することなしに、構成員の一人といえども傷つけることはできない。その構成員が苦痛を感じることなしに、その団体を傷つけることは、なおさらできない。このように、義務と利害とがともに、契約当事者の双方がたがいに助け合うように強制する」(同三四ページ)。
 こういう治者と被治者との同一性が実現された人民主権の国家において、はじめて人民は自己を愛するのと同様に国を愛するという愛国心が、心の中から自然発生的に湧きだしてくるのです。
 今、政府は教育基本法を改悪して愛国心を国民に押しつけようとしています。統治者と被統治者との利益が極端に対立する状況の下で、愛国心を持ちだすことは、おのずから国家による思想統制につながり、それに抵抗する者を非国民扱いすることになってきます。愛国心そのものは否定されるべきではありません。しかし問題は、愛国心がおのずから湧きだすような国家を実現することが問題なのであり、けっして愛国心は国家によって強制されるべき問題ではないのです。

人民の人民による人民のための政治

 ルソーは、ロックと並ぶ人民主権論者とされています。
 しかし、ルソーとロックの人民主権論には大きな違いがあります。
 ロックは、政府の目的は、人類の福祉にあり、政府は、この目的達成のために人民から権力を信託されている、したがって政府がその信託に違反したときは、人民は革命権を有すると考えました。ここには、被治者から治者への信託と、革命権はあっても、治者と被治者の同一性を担保する、一般意志論は存在しません。したがって、人民はいざとなれば革命によって被治者の意志を消極的に実現することはできても、積極的に被治者の意志を日常的に治者に反映すべき方策は示されていません。
 リンカーンが、ゲティスバーグの演説でのべた「人民の人民による、人民のための政治」という人民主権論の定式化は、ロックの人民主権論というより、ルソーの人民主権論を展開したものということができます。人民主権の国家とは、文字どおり人民が主権者として、国家、社会の主人公となる、人民あっての社会、人民あっての国家ということになるのです。

二〇〇三・七・二四