『科学的社会主義の源泉としてのルソー』より
序
本書は、広島県労働者学習協議会編の五冊目の著作であり、『人間解放の哲学――科学的社会主義の自由・民主主義論』(学習の友社)の続編ともいうべきものです。
本書でのベースになったのは、著者の「講座・科学的社会主義の源泉としてのルソー」(二〇〇三年四月から七月)の講義です。講義後に検討した問題もいくつかありましたので、それらを含めて新たに書き下ろしたものについて、これまでと同様、「広島県労学協スタイル」で編集委員会の半年余にわたる論議を経て出版に至ったものです。
『人間解放の哲学』のなかで、「プロレタリアート執権論」をルソーの人民主権論の発展としてとらえたのですが、それに関連して、ルソーを科学的社会主義の源泉としてとらえるべきではないかとの問題意識が生じてきました。
そこで、ルソーの『人間不平等起原論』と『社会契約論』を中心に、現代の科学的社会主義の到達点にたって、あらためてルソーを再評価してみようというのが、本講座開催の直接の契機となったものです。
講座をつうじて、あらためて、レーニンの「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」に立ち向かうことになりました。その中で源泉とは何か、源泉と構成部分とはどのような関係にあるのか、という理論問題に、一歩踏みこんだ検討が求められることになり、著者なりの問題整理ができたのではないかと思っています。
また主題となった、ルソーを科学的社会主義の源泉としてとらえうるのか、の問題についても、たんに、ルソーの人民主権論がフランス革命に思想的影響を及ぼしたというのみならず、フランス革命の持つダイナミズムをつうじて、ついにはフランス共産主義にまで到達したことを理解しえたのは大きな収穫でしたし、エンゲルスが、共産主義革命をフランス革命の「第二幕」、その連続的発展としてとらえていることを知ったのも筆者にとっては新たな発見でした。
ルソーの政治思想の中心をなす人民主権論は本来人間解放の理論となるものであって、けっして、ブルジョワ民主主義革命の枠内にとどまるものではありませんでした。だからこそ、それは、フランス共産主義にまで発展していくことができたのです。
またプロレタリアート執権論と人民主権論とは、出発点において結びついていたにもかかわらず、その後の歴史のなかで、プロレタリアート執権論が一人歩きをし、そのあげく人民主権論の対極に位置する人民抑圧の理論にまで転化したことを知りえたことも収穫の一つでした。
ソ連流の歪曲された「プロレタリアート執権論」と一党支配体制のもとで、人民主権論は、一時科学的社会主義の学説の表舞台からは姿を消したようにみえながらも、脈々と地下水脈として生き続け、いま日本共産党の綱領において、「国民が主人公」という理念として甦っています。
「科学的社会主義とは、人間が主人公、人間解放を目指すヒューマニズムの理論である」(『人間解放の哲学』二四五ページ)。
二一世紀は、資本主義のいきづまりが様々な形で噴出する一方、科学的社会主義の学説と事業がその本来の姿に回帰し、再び希望ある未来をさし示す輝かしい理論として、その真価を発揮する世紀になることを確信しています。
本書が、その一助になればこれにすぐる喜びはありません。
本書も、県労学協編集委員会の協力なくしては出版しえなかったものであり、あらためて編集委員会のみなさんに幾重もの感謝の気持ちを表明したいと思います。
なお装丁は、テキスタイル・デザイナーである二女、高村まどかが担当しました。
二〇〇四年 三月 一八日
パリ・コミューンの日に
高村 是懿
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